2017年09月19日

懐かしの品

      やっぱりロボット
SANY2042.JPG
 子供の頃のおもちゃは幾つになっても懐かしいもの、特に自分が遊んだおもちゃは又格別、其れを手にした時心はあの日と同じ、何時でもそのときに帰れるものだ。

 我々の子供の頃はそなんにおもちゃが沢山あったわけではなく、殆どが手作りの物、買えないし売ってもいなかったから、お金を出せばその当時も当然あったが。

 我々が集まるところには売ってなかったもの、駄菓子くらいで其れより値の張る物は置いていなかったし、置いていたとしもて買えなかったものだ。

 昭和30年代に入り、そこそこ玩具も手に入るようになったと思うが、その当時遊んだおもちゃが復刻版として市場にで回ったのが、20年位前の事。

 ある店先で見つけ早速購入、もちろん復刻版と分かって買い込んだが、偶々友人が来たのでそのロボットを見せれば、「俺も欲しいから是非買って来てくれ」と。
 同世代の人にとってはとても懐かしくて、そして思い出のある品、喩SANY2045.JPGえ復刻版と言えども形はそっくり、新しいから動作も電池を入れれば動く事。

 今までは頭の中でしか動かなかったロボットが、目の前で動く事の喜び、在りし日を思い出すよりも、目の前で動いている物に感動すら覚える。

 こんな気持ちになるのは、我々の世代だけであろうか、嫌々現代の人もやつぱり同じ気持ちではないのか、単純な物ほど感動があるような気がする。

 ブリキのロボット、アトムや鉄人と共に、子供の頃憧れていたおもちゃ、もっと忠実に再現して欲しい物だが、簡単に手に入ってはやっぱり面白くない。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アンティーク

2017年09月15日

ランプ

      灯りは安らぎ


SANY3265.JPG 灯りは人間の心を明るくしてくれる物、落ち込んだ時とかに、遠くのぼんやりとした小さな明かりに何故か心が和むような、そのな気持ちになるのは何故。
  灯りは人の心に深く入り込んでくるものでもあり、例えば山でご来光を見たときの感動は何とも云えないもの、普段見慣れている太陽であるが、登山等でのご来光は、光が体の中にしみこんで来るような感覚になる。

 あれは何であろうか、何時も浴びている太陽の光であるのに、苦労して上がった山で見るからであろうか、いやそれとも違うものではなかろうか。
 今、現代生活の中の明かり、家の中の灯りは部屋の隅々まで光が行き届いた、光の中で生活している状態、その光は白くて無機質な光のようである。

 以前、海外の蚤の市でアンティークのランプを求めていた時、蚤の市の店主が何やら私に問いかけているがさっぱり分からず、友人に「何を言っている聞いてくれ」と頼んだ。SANY3271.JPG
 友人いわく「は店主は何故こんなランプをお前は買うのか、家で使うのか」と言っているとの事、私は「何でそんな事聞くのか」と又友人に聞くように、すると「日本の家庭は何であんなに明るくしているのか、そして工場みたいな蛍光灯をつけるのか」と言っているという。

 「そんな生活だから、こんなランプは必要ないだろう」とも付け加えたらしいが、言われてみれば確かにそのとうり、今の我々の生活は蛍光灯の光で満ち溢れ、彼の言う通り無機質な光の中に生活している。
 外国の人から見ると、日本の家庭の照明は不思議に思われているらしく、工場で使用している蛍光灯を、何故家庭で使うのか不思議であるそうで、又あんなに明るくする必要が有るのかとも言うのだ。

 指摘はごもっとも、彼の言う通りであり、必要以上に今の日本の家庭は明るすぎ、それになれてしまっているから、暗くすると何だか怖いと思う様になってしまったのだろう。
 以前のような白色電球の黄色い光ではなく、蛍光灯の白色の光に慣れたせいで、ご来光の黄色い光が懐かしく思えたのであろうか、何れにせよ太陽に近い光の方が我々には安らぐのではないだろうか。




 
 
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アンティーク

2017年09月12日

瀬戸の染付け柄

      古  代  柄
SANY0623.JPG

 祥瑞とは、中国の崇禎年間(1628年ー1644年)明王朝末期に景徳鎮で製造された陶器、丸い紋を描きその中に花鳥風月を彩色、幾何学文様と合体した独特の染付け。

 青藍色の釉薬、素地は精白であり、この磁器を焼いたものであるが、こうだい内に「五良大甫」や「呉祥瑞造」と書かれていたことから、祥瑞と呼ばれる。
 一説には「呉祥瑞」、「五良大甫」は人物の名前であるとの説も有力、どちらが正解かは別にしてこの時代に製造された様式の磁器を祥瑞と日本では呼ばれている。

 この磁器は日本の茶人に好まれ、高級磁器として中国から輸入されていたが、有田で時期が製造されるとこの図柄を真似て盛に作られるようになる。SANY0624.JPG

 図柄も丸紋れんけつ模様でけでなく、日本独自の図柄も考案され、次第に日本様式の祥瑞が製造され、中国磁器に取って代わり、茶人たちの信頼を得ることになる。
 瀬戸の染付けは1770年以後急速に磁器製造が進行し、有田に追いつく技術開発がなされ、瀬戸でも磁器による染付けが製造開始されるようになる。

 そして図柄も丸紋よりは、額縁形式の文様が出来上がり、中国様式より幾何学模様も細かく、日本様式の祥瑞が完成、江戸後期から明治に入りこの様式が全盛となる。

 写真の鉢は、瀬戸で製造された祥瑞柄の染付け、丸紋でなく窓に山水が描かれ、幾何学模様も中国様式ではなく、少し形態の変わった物になっている。

posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アンティーク

2017年09月11日

父親の形見

      懐  中  時  計 


SANY2954.JPG 父親が蒐集したものは色々な物があり、亡くなってあと4人兄弟で分けることに、それぞれが欲しい物を取ることにしたが、それは面白い結果であった事を思い出す。
 私の兄弟は其々に欲しい物を取って遺品分けをしたが、殆どが骨董品、その価値は本人たちもまったく分からず、私は最後でよいから上の兄弟に取る様に進めた。

 そして各々が好きな物を取った後、残った物を私が受け継ぐ事になったのであるが、残ったものは全てが古くて余りきれいな物は1つもなかった。
 しかし、残ったものは私から言わせれば、兄弟が其々に取った物より遥かに価値の高い物ばかり、それもそのはずで骨董品は中々見分けるのは難しく、骨董に経験がない兄弟は分からぬもの。
SANY2966.JPG
 私が持ち帰った物の中に、この懐中時計が入っていた事に気が付いたのは数年後、母にその話をした時、父親が生前この懐中時計を修理しようと時計屋に持っていったが、修理できないと言はれ修理を諦めたと聞き、それではと早速修理する事にした。

 知り合いの修理屋に持っていったが、「今部品が無いので、部品さえあれば修理できるのだが」と時計屋の主人、仕方なく部品を探す事にしてあちらこちらに部品を探してくれる様に頼み回った。
 後日、頼んだ友人から電話が入り「部品が手に入ったから取りに来る様に」との事、早速部品を貰いに急行すれば、修理の安い所があるから時計を持って来るようにとの事。

 やっぱり持つものは友人であると感謝しつつ修理SANY2960.JPGを頼み、父親が修理できなかった時計を短時間で修理出来、私の手元に帰った来たが、以前の時計よりも遥か綺麗に磨きもかけられて、別の時計と思うほど輝いていた。
 早速母にその時計を見せれば、父親は「生前口癖のように何処か直してくれる所があれば」と言っていたよし、仏壇に供えて修理できた事を報告し家に持ち帰った。 
 
 大正期のスイス製ロンジンの懐中時計、アールデコ様式の薄型、父親の若い頃に流行の時計であったようで、大事に使っていたらしいのでキッチリ保管する事にした。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アンティーク

2017年09月10日

蓄音機

      思 い 出 の 品


 SANY3403.JPG最初にイギリスへ訪れたのは28年も前の事、もちろんアンティークをもとめての旅であり、友人に連れられての珍道中であったが、楽しい思い出の1つでもある。
 友人はアンティークを扱うプロの商売人、何故私が付いて行ったかは「オルゴール」、友人は機械に弱くましてやオルゴールは全く分からない男。

 その為、私にオルゴールの機械が本物かどうか見させ、買い付けをする為の同行、つまりオルゴールの機械を見てくれとの依頼で、費用は持つからと良い誘いでもあった。
 彼は、英語に関してはペラペラ、私は全くダメなので彼が話し、私が機械を見る二人三脚、「オルゴールと時計」を探しての珍道中をすることに。

 お決まりのコース、ロンドン市内のアンティークSANY3407.JPGショップや蚤の市を見て回ったが、値段が高くその上機械は別物のものが多く、これといったものが無く、ロンドン市内は諦めた。
 友人はイギリスの知り合いのバイヤーから、ロンドン郊外のコレクターを紹介してもらい現地に行く事に、場所はロンドンから汽車で特急2時間の田舎であった。

 現地に着き、紹介されたコレクターの家に、確かに綺麗なオルゴールが部屋一杯にあり、友人相手の進めるオルゴールが直ぐに気に入り商談成立と、それに私が待ったをかけた。
 不機嫌そおの友人に、「箱も機械も非常に綺麗だが、之はすべてオリジナルでなく、別々物を1つにした物だから止めろ」と、すると友人「何故だ」と又聞くので、相手が日本語が出来ないのを確かめ、「このオルゴールは機械と箱が別々のものを一台にした物なSANY3412.JPGのか」と、見掛けは良いが偽物と告げる。

 私は部屋の隅に置かれてあった汚いオルゴールを指差して、「之を買いたいのだが」と、相手に告げればコレクター少し動揺し「それは動かない」と言う、私が見たところ単にネジが巻いてないだけでオリジナルな物。
 要するに機械と箱が違うが綺麗な物、それを知らない人に買い込ませる手口、その為に見栄え良くして買わせる、そんな手口はお見通し、我々は汚いオルゴールを強引に買い付ける。

 別れ際に相手のコレクター「お前たちはプロのバイヤーだ、綺麗な物は贋のオルゴールだ」と悪げも無く言ってのけ、「グッド、ラック」とニッコリ、之には友人、開いた口がふさがらず「そんな馬鹿な」と、やっと相手の手口に気がつく始末。
 私はこのアンティークショップで、この置物を見つけておまけとして貰う、雰囲気のある蓄音機の焼き物、旅の良い思い出の代物になったが、友人は之を見ると今でも「イギリス人は信用なら無い」と、当時を振りかえり又も憤慨する始末。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アンティーク

2017年09月03日

ブリキの玩具オート

      乗り物は楽しい


SANY3437.JPG 子供の頃より乗り物には憧れがあり、一番初めに親父に買ってもらったと認識しているのが自動車であり、それからも自動車ばかりを買ってもらった思い出がある。

 少年時代はバイクに憧れ、どんな小さなバイクでも良い乗りたくてたまらず、友人のバイクを借りて乗ったのを覚えているから、やっぱり乗り物は良い。

 ブリキの玩具にしても動く物、特に自動車やバイクは、欲しい物の代名詞ぐらいに思っていたから、自分で帰るようになってからは、やっぱり乗り物を買い込んだ。

 前にも述べたが、親父から貰った自動車を未だに探し続けている事をみれば、幾つになっても子供の頃のSANY3442.JPG思い出は褪せなく、逆に益々強くなっていくような気がする。

 ゼンマイ仕掛けで動く乗り物は、その動きが独特であり、ぎこちなく動く物の方がおもしろいように思え、余り高級な玩具よりも楽しい物であると思う。

 写真のバイクは昭和40年頃の物、もう1つのアイスクリーム売りはその後の物であるが、このアイスクリーム売りの動きが実に滑稽であり、ブリキ玩具の傑作でもあると思う位。

 くるくると足を動かして円運動をする様子が、実にリアルで簡単な仕組みの物であるが、それだからこそ親しみやすくて、愛さずにはいられない。
 ブリキの玩具は単純でいて、それで動きがぎこちないのが良く、電動式のスムーズに走るブリキの玩具はSANY0611.JPG面白くなく、拘りだと言われ様が、ゼンマイ仕掛けに限る。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アンティーク

2017年08月29日

ロボット

      少 年 の 憧 れ


SANY3426.JPG 子供の頃、雑誌「少年」、「マガジン」などに乗っていた漫画、その中にはSF物も多くあったが、その中に出てくるロボット、アトムや鉄人28号などのロボットよりも少し古いロボット。

 アトムや鉄人は高性能でより強く、人間味から少し離れているようであり、それより古いロボットの方が楽しめ、それでいて何処と無く「ノロマ」なロボット。

 そんなロボットに引かれてブリキのロボットを集めた事もあったが、今はアトムと鉄人と他1台になってしまい、やっぱり寂しくなり欲しいと思うようになった。

 そんな折に骨董屋で見つけたのが陶器のロボット、何気なしに持ってみたら軽い、その上実に良くロボッSANY3429.JPGトの風合いを出しているのに気がつきツイツイ買い込んでしまった。

 店の親父に何時ごろのものなのか質問したが、逆に「之は瀬戸で作られたものだから、あんたの方が知っているはず」とこれまた手厳しい言葉であった。

 しかし、私はこのロボットが何時ごろ瀬戸で製造されていたのか全く知らず、後日調べる事にしてロボットを家に持ち帰り、ブリキのロボットの横に置いてみた。
 陶器だからブリキのロボットと合わないと思いきや、これがしっくりと同居するではないか、銀色に光る陶器のロボット、実際のブリキのロボットでは銀色のものは無く、もっと落着いた色のロボットである。

 しかし、陶器で製造されているから、中々あの燻しSANY3434.JPG銀の輝きのロボットと比較する方がおかしい、このロボットは之でよいのでだと、余りリアルでは逆におかしいのかと思える。
 今では、ブリキのロボットよりも陶器のロボットの方が珍しく、其れ以来陶器のロボットにめぐり合ってはいないから、これが出会いと言うものなのかも知れない。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アンティーク

2017年08月20日

競争相手

      マイセンと肩を並べ


SANY2970.JPG 戦前戦後を通じて瀬戸の焼き物は飛躍的に進歩するが、1番変わったのは置物を製造する窯元、当時ドイツが生産の主要国であったが戦後は瀬戸がそのドイツと入れ替わる事に。

 ノベルティーと呼ばれる置物、当時世界ではドイツのマイセンの置物が世界最高峰として君臨していて時代、マイセンの置物は精密な技術により最高の置物を、上流階級向けに製造していた。

 一方瀬戸の置物はのっぺりとした立体感の無い置物であり、とてもマイセンと対抗できる代物でなく、ヨーロッパ市場に食い込むことは難しかったようだ。
 そもそも瀬戸のノベルティーは明治36年、「加藤佐太郎」が水に浮く陶器で出来た、「浮き玉」と呼ばれる「金魚や亀」を開発、これが当時爆発的に売れ、一躍瀬戸の主要輸出商品となる。
SANY2974.JPG
 海外での浮き玉の売れ行き好調に気を良くした「加藤佐太郎」は本格的にノベルティー部門に参入する事にし、商品開発に力を注ぐとにより、複雑な石膏型の開発に成功する。

 この「石膏型」の開発により、今までの瀬戸の置物ののっぺり感を一掃、精密な置物を製造することが出来るようになり、マイセンの置物を参考にドレスデン人形なるものを製造して技術を磨く。

 その結果、マイセンに見劣りする事のない商品の開発に成功、之によりヨーロッパ市場に於いても、マイセンと肩を並べるまでに生長して行く事になる。

 戦後は、ドイツのマイセンが輸入されなくなったアメリカ市場に、マイセンに取って代わり瀬戸のノベルSANY2980.JPGティーが市場を占有、アメリカの中流階級に大いに持て囃される事となる。
 しかし、輸出が主であった事も有り、瀬戸のノベルティーは世界最高峰にありながら、国内ではその存在を知る人は少く、評価が低いのは残念な事である。















,,,,,,,,,,

 
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アンティーク

2017年08月19日

木象嵌

      幾 何 学 模 様

SANY0840.JPG 時計の装飾には色々な種類があり、塗料で彩色される物、木材の皮で装飾される物、漆等の天然の物で彩色される物、彫刻等で装飾される物等色々とある。
 中で持ての込んだ装飾を施す物に、木象嵌がと言う技法があり、この技法は中々と手の込んだ装飾の部類に属するもの、時間と手間が掛かるのと、やはり技量が出るものだ。

 木象嵌とは、木の種類により色の濃淡があり、その色の濃淡で模様を描く技法の事だが、この技法は手間が係り時計に装飾を施すと、高価な値段に成る為、一般機には装飾を施さない。
 つまり、木象嵌を施してある時計は高級機である証でもあり、その模様も手の込んで物が多く、ヨーロッパの時計が盛に用いたが、時代が下がり一般に普及する時計には施されなくなる。
SANY2645.JPG
 ヨーロッパより後発のアメリカでは、本家のイギリス製の木象嵌を施した時計をモデルとして、新たにアメリカで製造するようになり、その技法を取り入れて、新たな物を開発する。
 アメリカで製造された木象嵌は、本家のイギリスの模様とは少し違って、幾何学模様ではあるがイギリスの模様とはやはり違う、アメリカらしさを表現している。

 例えば、イギリスの模様は葡萄から草の様な図柄を表しているものが多いが、アメリカの木象嵌は円と線で幾何学的な模様を施している物が多い。
 写真の模様はまさに線と円で構成された図柄、木の素材の持つ色の濃淡を利用して模様を描き、薄い色の素材と濃い色の素材をうまく配置している。
DSCN1330.JPG
 まず図柄に沿って少し彫り込みを入れ、薄い木の板を色の配色を見て彫られた所に埋めて行く、その時に木目の向きや色の濃淡をうまく利用することが必要である。
 線を繋ぐ円形の部分には、違った図柄を配置して、アクセントを持たせ鮮やかな幾何学模様を作り出しているが、この様な図柄は本家イギリスの時計には無い物である。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アンティーク

2017年08月13日

蚊取り線香

    何やら雲行きが怪しい。


SANY3005.JPG 夏と言えば蚊取り線香、緑色をした渦巻状の形をした馴染み深い線香、陶器の器に入れて蚊から我々を守ってくれたあの線香。
 夏は蚊帳と蚊取り線香と決まっていた時代、この2つは切っても切り離せない存在であったが、昨今この2つが消えかけている。

 蚊帳は一足先に其の使命を終えたかのようだが、蚊取り線香のあの渦巻きはまだ健在であるが、此処えきて何やら雲行きが怪しくなっているようだ。
 今や夏はエヤコンが主流で、部屋を閉め切ってしまう、渦巻状の蚊取り線香は煙が出る為、エヤコンを掛けて使用できなくなっている様だ。
 
 独特の香りと、煙で人々を百年以上昔から蚊の攻撃から守ってきてくれた蚊取り線香、生活スタイルが変わってしまい、其の役目を終えてしまうのか。
 あの、有名なコマーシャル「日本の夏、キンチョウSANY3009.JPGの夏」で一世を風靡した蚊取り線香、おまえは何処に行こうとしているのか。
 
 今主流の電気蚊取りに、あっけなく主役の場を明け渡してしまうのか、それとも我々がエヤコン離れをするのか、選択するときが来てしまったのか。
 しかし、電気蚊取りはやっぱり喉には良くないと私は思う、天然の植物から作られる蚊取り線香の方が体に良いはずであるが、あの煙が何とか成らないのか。

 煙が蚊取り線香の武器で、其れを取ってしまったら役に立たないのか、結論は私には分からないが、何とか残して欲しい夏の風物でもあるから。
 
 あの、昔から受け継がれた独特のデザイン、箱を開けた時の、あの匂い、そして緑色の渦巻き、どれを取っても日本の夏の主役である、この試練を香取り線香は是非とも乗り越えて欲しいと願う。
 
 
 
 
 
 
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アンティーク

2017年08月12日

明治の宣伝ビラ

      今も昔も宣伝第一

SANY0181.JPG
 宣伝をすることは今の時代だけではなく、昔から宣伝は商売の鉄則みたいな物であり、今に始まった事ではなく古くから行われていた様で、その方法は様々だった。
 江戸時代に於いても宣伝は商売には欠かせないもの、例えば良く知られたてるのが土用の丑の日、鰻やが夏は客が来なくて困っていたのを、平賀源内が丑の日に鰻を食べると精がつき病気にかからないと、張り紙を出し客を寄せたのが始まり。
 結果、その張り紙1つで客が寄って来て鰻屋は繁盛したらしい事は、現在も良く知られている最も効果の上がった宣伝であったようだ。

 ここに上げた写真のビラは、明治初期に大阪の時計店が出したもの、当時のハイカラな宣伝ビラと昔ながらの宣伝ビラの2つ、片方はとても日本の宣伝ビラとは思えない物。
 小さな子供が時計を手にしている姿が印刷されているが、当時としては画期的な宣伝ビラであったようで、舶来信仰の高い日本人消費者の心を射止めたようである。
SANY2817.JPG
 一方、同じ店で出した宣伝ビラ、これは昔ながらの文句で書かれたもの、写真や絵などは無く文字ばかりで書かれたビラ、両方とも同じ解けて印から出されているとは思えないもの。
 この宣伝ビラを出したのは大阪の時計商「石原時計店」、 この石原時計店は大阪では老舗の時計店であり、創業は弘化3年(1846年)初代、
石原萬助が大阪心斎橋筋に和時計などを扱う「時計司」を開業したのが始まりであり、手広く時計や舶来物を一手に販売して財を成した。

 2代目、石原久之助は大阪市心斎橋通南久宝町3丁目に移転、石原時計店を開業し、当時としては非常に大きな店構えであり、時計を初め舶来品や測量機まで販売していた。
 明治22年、大阪時計製造会社設立にも関係し、明治28年には懐中時計の製造を開始、時計製造と同時に時計店として繁栄をし続け、大阪一の時計店と成る。
 その後、現在まで石原時計店として淀屋橋南西角にビルを設け、営業活動をしており、大坂井おける時計店の生き字引的存在、宣伝ビラが有効な成果を上げた良い例である。

 下の写真は同時期の名古屋の時計商が出していた宣伝、非常にシンプルな文面であり、石原商店のものと比べれば違いが判るもの。
 当時はどちらが支持されたかは不明であるが、人目を引くのは石原時計店の方、如何にも舶来品であると印象付ける宣伝。
 一方の名古屋のものは昔通りの作り方、シンプルが良いのか、分かりやすい方が良いのか、見て人が判断するもの。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アンティーク

2017年08月08日

オパールセント

      やっぱりお国柄


SANY2845.JPG ランプにもお国柄が出てくるもの、日本で製造されれば何処と無く日本的に仕上がり、職人の意識の中に、日本らしさを出そうとするものであるから。
 つまり、国柄が何処となしに出るから不思議と言えば不思議、よく日本人が外国人の顔描くと、日本人の顔になってしまうと云われ、逆に外国の人が日本人の顔を描いても、日本人には見えないものになる。

 其々が生まれ育った土地の持つ、不思議な力ではあるまいか、物を作り出すのも土地柄が反映するもの、ランプもこうした無意識の力が自然に出てくる。
 しかし、それとは違って、国柄を意識して出そうと努力している作品も又少なくなく、色々な分野で特色を出す「デザイン」であったり、「形」であったり、又「色」でもあったりする。

 1800年代後期から1900年代初頭に掛けてのSANY2839.JPGガラスの世界も、こうした流れの中で製作されたものであり、国によって其の国の特色が出ていて、其れを見ていると何となく何処の国か分かってくるものだ。

  「イギリスのランプ」と「フランスのランプ」、2つを並べて比較し見ると、私なりの見方であるがイギリスのランプはフランス物に比べて「シンプルな物が多く」、逆にフランスのランプはイギリス物に比べ「形が複雑」になっているようだ。

 例えば、ランプの下部にあるヒダ、ヒラヒラとした様に波打った形、この部分を見てもフランスものは「ヒダの曲げ具合」がイギリス物よりも大きく誇張され、大胆に波がうねっている様に見え、一方イギリスものは何処と無く品がある。
 写真のランプは、フランスで製造された1800年代最後の時期に、製造されたであろうと思われるランプ、 「オパールセント」 と呼ばれる、宝石の「オSANY2836.JPGパール」の輝きを再現したもの。

 「乳白色の白とかすかに青み掛かった光のラメ」が、オパールの輝きに似て、独特の雰囲気をかもし出すように、製造されており電気を付けると「輝きが増す」。
 そしてこのランプの特徴は、ヒダの部分が大胆に波を打って、立体感を持ち迫力のあるランプに仕上がっていて、いかにもフランスらしいデザインである。

 このランプをイギリスで製造すると、もう少し落ち着いたヒダになり、雰囲気も全然違ったランプに仕上がることは必定、フランス製造だからこの雰囲気が出るのではないか。
 写真は一番下がイギリス製のもの、同じオパールセントでも形が違うと雰囲気もがらりと違うものになる。
 どちらが好きかはその人しだい、勿論部屋の雰囲気も大事な要素、チグハグではまとまりがなくなるから、それだけは注意して選びたいもの。

posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アンティーク

2017年08月05日

奇抜な顔

      素 朴 と 奇 抜

 SANY0425.JPGこけしは素朴な玩具、その歴史はそんなに古くなく幕末頃とされているが、正確な年代は不明、東北地方に多く集中しているが、之は幕末頃お伊勢参りの帰りに、小田原や箱根の湯治場で作られていた木地具を、湯治場に来ていた農民が地元に持ち帰り、其れを真似て作り出したのが始まりとされている。

 湯治場に来る農民のお土産として木地具を作って売り出し、次第に人気となり現金収入を得る大事な商売に発展、木地師たちが次第にこけしを製造するようになる。

 そして、東北一円の温泉場でこけしが製造されるようになり、各地独特のこけしが誕生、産地によって製造方法や図柄が違い、木地師たちは自分のこけしを独自に発展させて、地区ごとの系統が誕生する。

 こけしの伝説の名人が誕生、[高橋胞SANY1000.JPG吉]、[小椋久四郎]、[佐藤周助]、此の三人が伝説のこけし職人、彼らの製造したこけしは現在蒐集家達の憧れの的となっている。
 三人の製造したこけしは、数も少なく幻のこけしとして蒐集家たちは血眼になって探しているようであり、その所在は中々突き止めれないもので、こけしの重要文化財とまで言われている。

 そして、此の三人の後継者が又名人と言われるこけし職人となり、彼らの製造したこけしもまた伝説となり、現在も蒐集家が真っ先に収集するこけしである。

 写真真中付近の二つのこけしは、その三人の内、山形県肘折温泉の「佐藤周助」の子供、「佐藤巳之助」のこけしで、彼の作り出すこけしは奇抜な頭をしており、普通こけしの頭は丸くなっているが、巳之助のこけしは四角の形をした物。
 独特の頭と二重まぶたの目、これが巳之助のこけしの特徴、その表情は同じものが無くその時、その時の気分によって様々な表情のこけしが製造された。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アンティーク

2017年08月03日

宣伝

SANY1556.JPG      明 治 の 宣 伝

 明治時代の宣伝広告の中でも時計の広告が目に付く、それも掛け時計ではなく殆どが懐中時計、当時は懐中時計は憧れの的、ステータスシンボルであった。
 明治初期、文明開化の申し子とも言うべき時計、流行の最先端を行くもの、人々はこぞって時計を買い求めようとしたが、先進な機械時計はやっぱり高かった。

 掛時計等はまだ安かった部類であったが、それが懐中時計となれば少し事情が変わってくるのも当たり前、当時の懐中時計は高価であり、ましたや金時計などは非常に高価なものであった。
 明治初期当時の総理大臣の給料が月400円であったようで、其処から察すると如何に高かったことが分かるが、それが又高いと言うことで、益々人気が高くなった。

 洋服に金時計はステータスのシンボルSANY3106.JPGとばかりに、こぞって買い求めようとしたのも、西洋に憧れた当時の日本人の気質が伺え、今も昔も舶来信仰のあらわれである。
 其の当時、日本に流入してきている時計は、外国では一流の時計会社の製品ではなく、外国では安い部類に入る時計や型が遅れた時計等、要するに流行遅れの時計であった。

 その様な時計を商社やバイヤーが安く仕入れて、発展途上の日本の市場に送り込んだ物、それを日本の人たちが飛び付いて買い求めたのも、文明開化。
 その中の一つが、スイス製の懐中時計「ターバン」、この時計ヨーロッパでも販売されていたが、向うでは三流品の時計メーカーの品、日本ではあたかも最高級の時計みたいな宣伝をしている。
 当時の時計店のカタログにも、多くの「ターバン」の時計の宣伝が記載されている事から、商社やバイヤーが大量に仕入れていた事の裏ずけではないだろうか。
 いずれにしろ、当時の時計のカタログは、その時代の流行を敏感に反応していた事は確か、人々がこの様な宣伝に踊らされていたのも事実であったようだ。

posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アンティーク

2017年07月31日

宝  物

      懐 か し の カ メ ラ



SANY2900.JPG 何時もの事、昔の物を整理していたら、机の奥から懐かしいものが出てきてビックリ、一瞬にして童心に帰り慌てて取り出して、よくよく眺めながら記憶を辿ってみる。

 子供の頃に遊んだ道具は幾つに成っても懐かしいもの、其れを手にした瞬間に子供の頃にタイムスリップするから不思議で、誰しも経験があると思う。

 子供の頃に遊んだ道具は、壊れてしまったり、色あせて捨てられたりして中々残っていない物、しかし其れを見つけて手にした時、それはそれは懐かしいものである。

 その玩具が他人にとってはくだらない物であっても、当人にとっては宝物であり、誰にもとやかく言われたくないもの、たとえそれが石ころであっても同じSANY2906.JPG事、それが本人には宝物である。

 私の子供の頃は、今みたいに玩具が氾濫していなくて、欲しいと思っても手に入ら無い時代、それを今の時代、自分の手で買わなくても親が買い与えてくれ、子供は苦労しなくても、手に入る良い時代である。
 そなん状態で欲しい玩具を手にしても、今の子供は当たり前のように思っている節があり、我々の子供時代とは大違い、何でも手に入る時代のようである。

 簡単に手に入れた品物は、大してありがたくも無く、大切にしようとする事も無いようであるが、何でもかんでも買い与えるのも如何なものかとも思うが、其れも時代かもしれない。

 前置きが長くなってしまったが、私が子供の頃欲しくて、欲しくて中々手に入れられなかった玩具が、机の奥から出てきたので、思わず興奮してしまったが。SANY2908.JPG

 写真の物がそれ、当時の玩具日光写真の機械で、是が欲しくて小遣いを貯めてやっとの事手に入れ、大喜びをしたことを思い出すのである。
 見てとうり、単に紙で出来た単純な物、今思えばそうであるが当時の私にとっては列記とした写真機であり、苦労して手に入れた宝物である。

 この写真機で、アトムや鉄人28号の日光写真をとって、自慢し合っていた時代が思い出され、懐かしくもあり又悲しくもある複雑な思いがするのである。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アンティーク

2017年07月30日

舶来品

      時計には飾りが


SANY0746.JPG
 日本人は兎に角は舶来物に弱いと決まったものであるが、これは古来よりの因縁めいたものかもしれないと思われ、古墳時代から現在まで延々と受け継がれている。
 明治に入り海外から時計が輸入され益々舶来志向が高まり、病原菌のように一斉に全国に広まり、人々の中に入り込んでしまい、良いも、悪いも、舶来品であれば有り難がるようになる。

 この様な日本人の舶来思考を利用して、古来より類似品が市場に多く出回り、あたかも外国製品であるかのような商品が出来、それを又買い求める人が多くいたようだ。
 現在でもそうであるが、やたらと英語を記入してあたかも外国物と紛らわしくし、消費者に衝動買いさせようとしている商品が多いのも、古来よりの伝統かも知れない。

 明治時代、英語とも、ローマ字とも、読めないSANY0744.JPGローマ字がやたらと多く、特に時計のラベルには分けの分からない文字が多く、当時の人たちは英語であると思っていたようだが。
 振り子室のラベルには、その時計製造会社の名前や所が印刷されているもの、日本で製造している時計であり、日本語で明記すればよいものを、ワザワザ横文字で表す。

 写真の時計は、正に明治を代表する類似品、一見外国製の時計としか思えないが、れっきとした日本製の時計であり、アメリカ製の時計ではない。
 しかし、ラベルにはUSAの表記やアメリカの会社名が明記されており、何処から見てもアメリカ製の時計のようであるが、それこそが日本人の舶来思考を逆手に取った商品である。

 舶来品の雰囲気を漂わせる商品には、明治の人々は簡単に騙されてしまったものであるが、それも海外への憧れであり、一概に罪悪でも無さそうである。SANY0798.JPG
 現実に機械はアメリカ製のものを使用して、外箱を日本で製造し、例えばアンソニアの時計として販売されたものが多い。
 厳密にいえばアンソニアの製造とは言えないが、明治期この手の時計が幅を利かせいてたことも事実、これを偽物とは言えず、アンソニアの時計であることは間違いない。

 国内生産だと解釈すれば現実的であるとも言え、現在でも行われていることを考えれば、現実的であると言える。
 明治期の人々はそれだけ西洋文明に憧れていて事の証、舶来信仰の先駆けでもあったよう、これもまた文明開化の副産物でもあると言えよう。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アンティーク

2017年07月28日

時計の図柄

      幕末にも流行は確実に存在する。
さらだ.jpg

 何時の時代にも流行はあるもので、流行の物をすかさず取り入れて商品を販売するのは、やっぱり商人の腕によるものであるが、それをデザインする物も存在する。
 流行を何に取り入れるかは、そのセンスによるとこるが大きく作用するのは当たり前で、腕の良し悪しが即販売に繋がり、売れ行きが早いかどうか決まってしまう。

 幕末の頃、時計も1つの流行りものであり、錦絵から色々な物に登場するが、此処に上げた物は実用品であるが、実際にどんな人が注文したかは不明で、皿のみが知る。
 写真の皿は、五寸(15センチ)皿で、実用には1番使いやすい皿、この皿に和時計の文字盤を取り入れた、斬新なデザインになっているが、今見た目には何処と無く不釣合いのような感じがする。

 真ん中に、和時計の文字盤を配し其の周りに、日本の孟宗竹と思われる竹を配している図柄、竹と時計との関係は不明であるが、時計は当時の流行であったから、単に真ん中に配置したxo.jpgだけなのか、それとも何らかの意味があって孟宗竹と結合させたのか。
 現代でも、何の関係のないのに流行の物と合体させてあるものが多いから、之も其れと同じで意味はないのかも知れたないが、当時は斬新なデザインであったと推測される。

 この皿、縁に起の良い竹図柄、裏側には鳳凰が三羽配置され高級感を出している。
 使い勝手の良い大きさで、料理を乗せるのにはうってつけの大きさ、当時は良く使われた皿である。
 実用的なものにも流行を取り入れているあたり、陶器職人のセンスの良さが伺える一皿でもある。
 (幕末、伊万里焼五寸皿)
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アンティーク

2017年07月23日

特 許

      明治の日本は特許に疎い


SANY0290.JPG
 今節電、節電とやかましく言われ、やっと電気のあり難さが身にしみた近頃、電気がなければ何も出来ない時代になってしまったようであり、空気みたいな存在でもある。
 しかし、電気の有り難味は無くなって見ると良く分かり、それほど現代は電気に依存しているが、100前の日本はまだ電気が入ったばかりであった。

 電気と言うより電灯、それまでの日本は蝋燭の明かりで生活してきたので、電灯が生活の中に入ってきた時の驚きは想像でき、その明るさに驚いた。
 しかもその電灯が日本の竹で出来ているとは、驚きであったようで何故あんなに明るく灯るのか、不SANY2860.JPG思議の連続であったが、それも束の間直ぐに慣れてしまったようだ。

 人間と言う動物は適応性の高い動物でもあるらしく、次々と進化してゆくのに適合してゆくが、その分有り難味も半減してゆくらしく、直ぐに忘れてしまうらしい。
 白熱球の発明者、トーマス、エジソン(アメリカ)1879年10月21日、日本の京都の竹を素材として白熱球を発明、世界最初の電灯を作ることに成功する。

 そのエジソンが白熱球を発明して100年を記念して白熱球が再現され、市場に売りに出されたが実は日本のメーカーによる復刻版である。
 写真はその復刻版の白熱球、パッケージにはトーマス、エジソンの銅像が入り、手には自分で発明した電SANY2855.JPG灯を持った写真がプリントされている。

 バルーン型の独特のスタイル、フィラメントには竹ではなく、カーボンが使用されているが当時と同じスタイルの懐かしい白熱球、実際に使用でき、1000時間以上の耐久性を誇る。
 こんな電気で昔を演出するのも如何でしょうか、明治の明るさを体験してみたら、当時の人々を思い起こすことが出来るかもしれない。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アンティーク

2017年06月28日

宝 物

      懐 か し の 玩 具

SANY1360.JPG
 幾つになっても昔遊んだ玩具は懐かしく、又かけがえの無い宝物、それがどんな物でもその人にとっては宝物であり、人が見て何の変哲も無い物であっても本人には宝物。
 我々が幼いころは物がなかった頃、その為に自分で作るのが当たり前の時代、主に木で作っていたと思う。

 今の子はナイフや金槌を持たないらしく、当然ノコギリも使わないらしく、親が危ないからと使わせないとか。
 だから今の子はナイフの使い方を知らないらしく、危険なものとして使った経験もないそうだと聞く。

 良いか悪いかはわからないが、危ないからと使わせないのもどうかと思う、危ないからこそ使って、その体験をすることによって上達すると思うが。SANY1364.JPG
 何でも買い与えるのが今の時代、自分で作りださせる事をさせないとは、子供の発達には何事も経験がものをいうと思う、全てを買い与えるのではなく、作られるのも一つ。
 買い与えるものと自分で作るものとを両方させる事により、楽しさが倍増するものと、私は考えるが今の時代は違うかもしれない。

 私も昔親父から買ってもらった自動車の玩具、買って貰い大事にしていたがやがて壊れてしまい、捨てられてしまったが、今でもそれと同じ様な自動車を捜し求めている。
 人には忘れられない玩具が存在していると思うし、又懐かしくも思われると思うのだが、今それを「求めよう」と思う人と「思わぬ人」に分かれるが、私は求めたいと思う人。
 買ってもらった時期は5、6才だと記憶しているが、果たして合っているかどうかは定かでないが、幼稚園に入る前だと記憶に残っている。SANY0134.JPG

 最近、当時持っていた自動車と同じ様な物をネットで見つけ、落札するつもりでいたが、時間を間違えて他人に落札されてしまった苦い経験が頭をよぎる。
 これからも、この自動車だけは自分の手元に取り戻したいと、八方手を尽くしているがどうなる事らや、その昔は競争自動車と呼んでいたが、今のレースカーである。

 そしてもう1つが「鉄人28号」であり、之はもう少し時代が新しくなり、小学校三年生の頃玩具、ブリキリ鉄人28号もまた遊びすぎて壊してしまい捨てられてしまった。
 鉄人の方は何とか探し当て手元にあるが、レースカーは見逃してしまったのであれから見ないが、何時かきっと手に入れることを願っている。

 写真は鉄人28号の新しい物であるが、こうした物を見るとツイツイ手が出てしまうから、幾つあっても欲しくなるのはやっぱり、昔の夢が忘れられないのか。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アンティーク

2017年06月09日

素朴が良い

      秋 田 の 名 工


SANY1012.JPG 日本全国に「こけし」は多く存在し、今尚根強い人気を保っているが、その多くは東北中心のようであり、過去色々な名工と言われる人たちを多く排出したのも又東北である。
 一時期の熱狂的なこけしブームは去り、今は静かなブームと言えるのではないか、このこけしの登場はそんなに古く無く、幕末頃に東北の木地師によって作られたといわれる。

 そもそも、この「こけし」は子供の「遊び道具」として、木地師が自分の子供や孫に造ってやったのが始まりとされ、当時は彩色もなしの生地そのままの物、人をかたどった玩具であったようだ。
 勿論この時はこけしとして売りに出すものではなく、あくまでも遊びの道具としてつくられたもの。
 子供のために簡単な玩具とて造りあげ、それで遊ばSANY0996.JPGせていたとも言われている。

 そのうち、生地に彩色を施して温泉地で土産として少しづつ売り出し、やがてそれが評判となり、木地師の現金収入となったため大々的に製造するようになる。
 冬には雪で閉じ込められる生活であった人々、生活の糧は出稼ぎなどして生計を立てていたとも言われ、それがこけしで現金収入となることに。
 当時現金収入の少なかった木地師達は互いに競い合い、次第に各地独特のこけしが登場する事になり、それを目あての観光客は自分の好きなこけしを求めだすことになる。

 明治から大正時代に現在のこけしが確立、東北地方各自の型が出来上がり、温泉場のみやげ物の横綱と言われるまでに成長、そしてその中から名人と言われる人物が登場する。SANY3974.JPG
 その一人が「小椋久四郎」であり、現在彼は伝説的なこけし職人と呼ばれ、こけし界のスーパースターで、彼のこけしを捜し求める蒐集家は数多く、憧れの存在でもある。

 その息子「小椋久太郎」も父久四郎に手ほどきを受け、見る見る上達して父親と肩を並べる位に成長、此の2人のこけしの特徴は何と言っても、こけしの胴にに描かれる梅の絵、久四郎の梅は跳ねている様に描かれ、久太郎は整然と描いているとも言われる。

 この木地山こけし素朴さが一般大衆に受け、他とは少し違った図柄、おぼこと呼ばれるスタイル、特に前垂れと呼ばれる図柄が特徴である。
 2人に共通するのは派手ではなく素朴なこけしを製造している事、秋田の木地師の誇りを奥に秘め、素晴らしい作品であると同時に、蒐集家の憧れ的存在である。
 写真は「小椋久太郎」の「こけし」、如何にも素朴な雰囲気を持ったこけしであり、蒐集家の好むこけしの代表と言って良いもの。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アンティーク