2017年10月13日

西洋ランプ

      灯りは明るければよい


SANY3670.JPG 我々の生活は、明治に入ってからガラリとその生活様式が変わったが、文明開化の恩恵を少なくとも受け、西洋に対する憧れは益々募っていった。
 江戸時代には、庶民は菜種油で火を灯しての生活をしてきたが、明治に入りランプが西洋より輸入され、その明るさに皆驚きと同時に憧れへと変わってゆく。

 それはより明るく自分の部屋を灯したいと言う欲求、蝋燭や灯明の明かりより遥かは明るいランプ、その明るさを求めて日本人は次第にエスカレートして行く事になる。
 明るさの追求は、しいては近代化の推進であり、近代国家への原動力となって行き、発電所の開発に邁進する事になり、電力の明かりへと移行をしてゆく。

 明治以来の流れの中、現在の日本の照明は必要SANY3681.JPG以上に明るく、商用施設などは、より明るくするために電灯を増やし、結果として必要以上の明かりを灯している。
 その灯りは蛍光灯による明かり、外国人が日本の家庭は、何故工場と一緒の明かりをつけるのか不思議であると、素朴な疑問を抱いている。

 しかし、我々は其れが当たり前であり、何の疑問も持たないで今まで来たが、この震災でやっと疑問に気が付いたようであるが、果たしてそうであろうか。
 以前に、イギリスの友人に同じ事を言われた事を思い出す、彼曰く「お前の家でも工場みたいな蛍光灯を使用しているのか」と云われ、「もちろん使用している」と答えたが、彼は「何故そんなに明るくするのか理解できない」と不思議がった。
SANY3676.JPG
 彼等は、「必要な場所に」、「必要な明かりを付ければよく」、部屋全体に明かりを灯さなくても良いと、何故日本人は無駄な事をしているのかと、やはり理解できないらしい。
 私がランプを求めるのも、逆に不思議に思えるらしく、何故ならば、こんなランプは明るくないから、明るいのを好む日本人が何故買うのかと、マタマタ質問。

 彼は痛烈に、我々日本人が無駄な電力を使っている事を、批判しての発言である事を知ったのは、それから後の事、イギリス人独特の言い回しだ。
 しかし、云われて見ればそのとうり、無駄に電力を使って必要以上の明るさにしている現代の生活、ここらで少し考えを買えないといけないのではないだろうか。





 
















 
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2017年10月08日

花生け

      ロマンがある

 SANY3490.JPG 明治初期から時計に関する色々な物が製造され、当時の流行を素早く取り入れて、庶民に販売を仕掛けるのは、何時の時代でも承認である。
 只、明治初期は従来の流行とは少し違っていたのは、西洋から入ってきた近代機械や乗り物、洋服等今までに無い物ばかりであり、直ぐに飛びつく訳には行かなかった。

 製造する方も、西洋物は始めて見る物であり、其の物自体を把握していたわけでなく、見よう見真似で製造しなくてはならず、悪戦苦闘を強いられた事は推測される。
 現在その当時に製造された物を見るに、現物とはかけ離れている物も多く存在し、当時の状況を知らないと、何故こんな物を製造したのかと理解に苦しむ。

 其の1つが時計でもあり、初期段階では製造者するSANY3500.JPG目で見る機会も少なかったようで、話を聞いて想像して製造したのではないのかと思われる製品もあり、現物との違いも大きな開きのある物も製造されたようだ。

 それにもう1つは、初期段階で製造されたものは、現物に忠実に再現された物と、想像で製造された物との比較において、大差が出来ている事も現実である。
 江戸時代からの流れの中で、適当に現物が創造されれば良いとの認識の甘さで、製造された商品はやはり庶民から敬遠されたのは云うまでも無く、忠実に再現された物ほど売れ行きが良かったようである。

 写真の花生けは、尾張瀬戸で明治初期に製造された磁器の花生け、陶器でなく磁器で製造したのも、最先端の時計を磁器で再現し、時代の新しい流を作る意欲が感じられる物になっている。SANY3496.JPG

 この花生けは、実にシンプルであり、生地がよく白さが引き立つ出来、縁取りに鉄柚を使いアクセントを出した傑作の1つといっても良い代物である。
 初期の物は現物に忠実に作られている事が、この花池を見れば実感として伝わって来、当時の職人の心意気まで見えてくるような製品に仕上がっている。
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2017年10月07日

和製ステンドガラス 

    合うものは少ない

斜め.jpg ステンドガラスの西洋物は中々日本の家屋にあうものがなく、探すのに苦労する。
 西洋物のステンドガラス、最近は数も多くてサイズも多い、しかし日本の家屋に合う物は中々無く、その物単体を見ている分には、気に入っても自分の家に合うのかと思うと、考えさせられるものも多い。

 その物を気に入っても家との調和が取れなく、ステンドガラスとしては素晴らしく気に入っても、サイズもやはり関係して、何処に設置するのか考え込んでしまうものも多いのでは。

 西洋物のステンドガラスといっても、イギリス、フランス、イタリア、アメリカなど色々な国のものがあり、現在はイギリス物が多いのか、アメリカ製のステンドも最近は多いみたい。
 イギリス製のステンドは日本に入ってくる物は、ドアー付きの物やガラス戸的感じの物が多く、使い勝手はイギリス物の方が良いのか、フランス製のものは、絵画的なステンドガラスが多いのかも知れない。
鳥.jpg
 もちろん日本製のステンドガラスも存在しているが、西洋物に比べれば遥かに少なく、その反面最近では日本のステンドガラスに人気が集中し、値段も高くなっている様で手に入れるのが難しくなっている。
 日本製のステンドガラスの種類は二つに分かれ、絵画的に作られた物と、色ガラスの単純な組み合わせの物と二    種類が存在しているが、絵画的な物は少なく、値段もそれは非常に高い。
                                                                                             日本製のステンドガラスは欲しいが、気に入ったものとなると値段が、幾ら気に入っても値段が高くては二の足を踏む。
 サイズもぴったりと合うのに値段が、雰囲気も図柄も良い、我が家に是非とも欲しいと思うが、やっぱり値段が。

 有名なステンドガラス作家のものは、数が少なく値段も高いが、市場に出て来るのも少ないから、手に入れるのもかなり厳しく情報を早く手にすることである。
 色ガラスの組み合わせ物は、絵画物よりは数は多く有るから、ジックリと待てば、良いものも手に入れることが出来る可能性は高く、自分の好きな色柄を選べば良い。

 

 
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2017年09月29日

招き猫7

      瀬戸と常滑


 DSCN1699.JPG招き猫の歴史は古く、以前名も説明をしたが江戸時代に遡り、その起源は中国の故事に成るが、日本ではそんなに古くなく江戸に入ってからの事。
 各地で盛んに作られるようになり、発祥の元祖争いがあちらこちらであり、自分のところが発祥と譲らず、元祖争いをしているようで嘆かわしい限りだ。

 招き猫にされた猫の方が迷惑しているかも、それはさておき瀬戸と常滑は今でも招き猫の産地として競い合っているが、瀬戸と常滑とは材質も形も違っている。
 一般の人から見るとドチラがドチラか全く区別が付かないようであるが、1番分かりやすいのは叩いてみる事、瀬戸の招き猫は磁器で製造されているから、硬くて叩けば高い金属的な音がする。

 一方の常滑の招き猫は、陶器で出来ている為に叩けば鈍い低い音がするので、瀬戸との区別が簡単に分かるはず、しかし音だけでは区別が付かない人も居るであろう。
 瀬戸で製造されている招き猫は、磁器で製造されているから硬くて丈夫、何よSANY0188.JPGりも光沢があり豪華美しい出来である。

 一方の常滑の招き猫は燃焼温度が低く、強度の面で磁器には及ばず光沢も無いが、安価なのが受けて販売は好調、招き猫の顔を見ても、現代的な猫の顔をしているし、可愛らしく仕上がっている。

 瀬戸の招き猫は伝統的な仕上がり、顔はより現実の猫に近く厳しい顔をし、やはり縁起物らしくキリリとした姿をしている事と、シンプルな伝統を重んじた物。
 
 そしてもう1つの違いは、常滑の猫は小判を抱いているが、瀬戸の招き猫は何も持っていなく
て落ち着きのある猫。

 派手で「現代的な招き猫」か、シンプルな「伝統的な招き猫」かは其々の特徴であり、好みも問題であるに違いない。 
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2017年09月28日

瀬戸の磁器

      森村組への参画 


 SANY3421.JPG明治初期、瀬戸の磁器は高度の技術を誇っていたが、西洋の洋食器を作るのは大変な苦労を要してのである。
 日本食器と違い、西洋食器の図柄もまた未知数でも有ったようで、色々な図案が試みられたが、完成するまでに至っていなかった。

 当初の森村組の製品は、試行錯誤の段階で、形や形式図柄にしても日本的な感覚と違い、西洋の雰囲気に会うようなものを試作。
 初期の製品を見るに、コバルトの強い発色をした物であり、図柄も日本的な図柄をして、垢抜けた物ではなかったようである。

 例えば初期のものは、日本の食器に手をつけたようなコーヒーカップ、湯飲みを少し崩しただけのコーヒーカップ、SANY3415.JPG
 試行錯誤の様子が良く分かる製品が残されているが、日本人が懸命に西洋食器を作り出そうとする意気込みが感じられる。

 写真は初期のデミタスコーヒー用のカップであるが、何処と無く湯飲みに手を付けただけの様な物に成っている。
 ソーサーも、そりの角度がぎこちなく全体には硬い感覚の物に出来上がっている。

 只現地では異国情緒が出ていて、当時の人達からは好まれたようだ。
 勿論マイセンやフランス物には及ばず、後発の参入となるも珍しさが先行したようだ。
 その後、見違えるように技術が進み、輸出陶器の花形となってゆくことになる。
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2017年09月23日

招き猫の形

      手の形で変わる


SANY2283.JPG 招き猫は色々な形が製造されているが、一番の大きな違いは「右手を挙げている」か、「左手を挙げている」かであり、その上げ方でいわれが違っている事。
 古い招き猫は、右手か左手を挙げているが、新しい物になると両手を挙げている物や、バイバイをしている物、あぐらをかいている物、様々なポーズが製造されている。

 時代の変化による物であるが、やっぱり招き猫は縁起物、スタンダードな形のものが1番良いのでは、生産地の意向もあり様々な物があるが、目まぐるしく変わる現在の需要なのかも知れない。
 その需要、目まぐるしく変わり新たな商品が次々と作り出されているのが現状で、例えば昔は考えられなかった色も沢山製造されている。

 従来の招き猫は三毛猫が定番、もっと古いものは赤色と黒色、それが招き猫であったが、昭和に入り色々SANY2289.JPGと変化してきた。
 それと風水が流行り出して、招き猫もその流行に敏感に反応して、様々な色が出現する事に、昔は考えられなかった色が。

 赤、白、黄色、緑、青、金、銀、ピンク、そして極めつけは七色の招き猫まで出現、見た目にカラフルで現代的であるが、縁起物の招き猫とはやっぱり少し違うようである。
 新しいものが良いか悪いかは別の機会に論議するとして、招き猫の手は右を挙げていればお金を招き、左手を挙げていれば人を招くと古来から言われている。

 どちらにしても商売人は、人が店に来てくれなければ商売にならない事は当たり前、人が集まって来てくれれば、当然お金も集まるのは必定。
 人、金、どちらを優先するかは人其々、金の世の中だからやっぱり、右手を挙げている招き猫が持てはやされるのか、どちらがこれまた多いのか私は知らない。DSCN0136.JPG

 古い招き猫は右左関係なく耳よりしたの位置で手を招いているが、新しいものは耳より高く手を挙げている様で、遠くの人やお金を招く仕草であると言われる。
 人間はやっぱり欲張りな生き物、近くよりも遠くの人が沢山来てくれるようにと、願っているのも又人情かもしれないが、ソコソコの所で納めて欲しいもの。

 写真の招き猫は、瀬戸で製造された物、時代は少し新しいようで左手を耳より高く上げて、遠くの人を招いているようであり、どっしりとした風格は、いかにも縁起物の招き猫のようだ。
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2017年09月21日

七宝

      た か ら も の


 SANY1594.JPG七宝は古からあり、古代ペルシャの時代には既にあったようて゛、古墳からも出土したおり、その歴史は古いもの、日本にはシルクロードを経て中国から日本に伝わった。
 5、6世紀の古墳からも出土、奈良正倉院御物の中にも七宝焼きは存在しているが、その後途絶えてしまい幕末に、江戸幕府の命により、尾張潘、海東郡の尾張藩士、「梶常吉」に七宝焼きを再現するよう命が下る。

 江戸幕府はオランダよりもたらされた、美しい皿の再現を梶家の次男常吉に、七宝皿の再現を命じ、七宝を再現させ幕府に献上するよう、常吉は苦心惨憺の末見事に七宝焼きを完成させる。

 七宝とは、法華経に「金、銀、瑠璃、瑪瑙などの宝」をさす、之に値する美しさであるとの喩えから、SANY3362.JPG「七宝焼き」となずけられたといわれており、以来七宝村にて製造されてきた。

 七宝焼きには、有線、無線の技法があり七宝村で焼かれていた物は有線七宝、この焼き物は金属の壷などに、細い真鍮などで図柄をかたどり、それにガラスの釉薬を施して、窯に入れ燃焼させて作る物。
 細かい図柄の線を根気良くおいて行く作業は大変で、この作業を怠ると直ぐに作品にひびき、上質な物が出来ず職人の腕のみせどころでもある。

 写真の七宝の壷、時代的にはそんなに古くは無いが、有線七宝の細かい図柄、ちょうど今の季節にぴったりの物、梅に鶯の図柄で有線七宝、雲をかたどった細かい図柄と、咲き誇る梅が巧みに配置されている。
SANY1776.JPG
 写真下はフランス七宝、通称泥七宝と呼ばれる透明感の無い釉薬、1800年代の泥七宝、多く製造されたが、その後透明感のある釉薬が開発され、艶やかな模様と共に、七宝の持つ輝きのある物が製造される。
 現代においては、この輝きのある七宝が主体であり、泥七宝は景を潜める格好となり、現在は余り作られていない物となってしまったようである。
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2017年09月19日

懐かしの品

      やっぱりロボット
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 子供の頃のおもちゃは幾つになっても懐かしいもの、特に自分が遊んだおもちゃは又格別、其れを手にした時心はあの日と同じ、何時でもそのときに帰れるものだ。

 我々の子供の頃はそなんにおもちゃが沢山あったわけではなく、殆どが手作りの物、買えないし売ってもいなかったから、お金を出せばその当時も当然あったが。

 我々が集まるところには売ってなかったもの、駄菓子くらいで其れより値の張る物は置いていなかったし、置いていたとしもて買えなかったものだ。

 昭和30年代に入り、そこそこ玩具も手に入るようになったと思うが、その当時遊んだおもちゃが復刻版として市場にで回ったのが、20年位前の事。

 ある店先で見つけ早速購入、もちろん復刻版と分かって買い込んだが、偶々友人が来たのでそのロボットを見せれば、「俺も欲しいから是非買って来てくれ」と。
 同世代の人にとってはとても懐かしくて、そして思い出のある品、喩SANY2045.JPGえ復刻版と言えども形はそっくり、新しいから動作も電池を入れれば動く事。

 今までは頭の中でしか動かなかったロボットが、目の前で動く事の喜び、在りし日を思い出すよりも、目の前で動いている物に感動すら覚える。

 こんな気持ちになるのは、我々の世代だけであろうか、嫌々現代の人もやつぱり同じ気持ちではないのか、単純な物ほど感動があるような気がする。

 ブリキのロボット、アトムや鉄人と共に、子供の頃憧れていたおもちゃ、もっと忠実に再現して欲しい物だが、簡単に手に入ってはやっぱり面白くない。
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2017年09月15日

ランプ

      灯りは安らぎ


SANY3265.JPG 灯りは人間の心を明るくしてくれる物、落ち込んだ時とかに、遠くのぼんやりとした小さな明かりに何故か心が和むような、そのな気持ちになるのは何故。
  灯りは人の心に深く入り込んでくるものでもあり、例えば山でご来光を見たときの感動は何とも云えないもの、普段見慣れている太陽であるが、登山等でのご来光は、光が体の中にしみこんで来るような感覚になる。

 あれは何であろうか、何時も浴びている太陽の光であるのに、苦労して上がった山で見るからであろうか、いやそれとも違うものではなかろうか。
 今、現代生活の中の明かり、家の中の灯りは部屋の隅々まで光が行き届いた、光の中で生活している状態、その光は白くて無機質な光のようである。

 以前、海外の蚤の市でアンティークのランプを求めていた時、蚤の市の店主が何やら私に問いかけているがさっぱり分からず、友人に「何を言っている聞いてくれ」と頼んだ。SANY3271.JPG
 友人いわく「は店主は何故こんなランプをお前は買うのか、家で使うのか」と言っているとの事、私は「何でそんな事聞くのか」と又友人に聞くように、すると「日本の家庭は何であんなに明るくしているのか、そして工場みたいな蛍光灯をつけるのか」と言っているという。

 「そんな生活だから、こんなランプは必要ないだろう」とも付け加えたらしいが、言われてみれば確かにそのとうり、今の我々の生活は蛍光灯の光で満ち溢れ、彼の言う通り無機質な光の中に生活している。
 外国の人から見ると、日本の家庭の照明は不思議に思われているらしく、工場で使用している蛍光灯を、何故家庭で使うのか不思議であるそうで、又あんなに明るくする必要が有るのかとも言うのだ。

 指摘はごもっとも、彼の言う通りであり、必要以上に今の日本の家庭は明るすぎ、それになれてしまっているから、暗くすると何だか怖いと思う様になってしまったのだろう。
 以前のような白色電球の黄色い光ではなく、蛍光灯の白色の光に慣れたせいで、ご来光の黄色い光が懐かしく思えたのであろうか、何れにせよ太陽に近い光の方が我々には安らぐのではないだろうか。




 
 
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2017年09月12日

瀬戸の染付け柄

      古  代  柄
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 祥瑞とは、中国の崇禎年間(1628年ー1644年)明王朝末期に景徳鎮で製造された陶器、丸い紋を描きその中に花鳥風月を彩色、幾何学文様と合体した独特の染付け。

 青藍色の釉薬、素地は精白であり、この磁器を焼いたものであるが、こうだい内に「五良大甫」や「呉祥瑞造」と書かれていたことから、祥瑞と呼ばれる。
 一説には「呉祥瑞」、「五良大甫」は人物の名前であるとの説も有力、どちらが正解かは別にしてこの時代に製造された様式の磁器を祥瑞と日本では呼ばれている。

 この磁器は日本の茶人に好まれ、高級磁器として中国から輸入されていたが、有田で時期が製造されるとこの図柄を真似て盛に作られるようになる。SANY0624.JPG

 図柄も丸紋れんけつ模様でけでなく、日本独自の図柄も考案され、次第に日本様式の祥瑞が製造され、中国磁器に取って代わり、茶人たちの信頼を得ることになる。
 瀬戸の染付けは1770年以後急速に磁器製造が進行し、有田に追いつく技術開発がなされ、瀬戸でも磁器による染付けが製造開始されるようになる。

 そして図柄も丸紋よりは、額縁形式の文様が出来上がり、中国様式より幾何学模様も細かく、日本様式の祥瑞が完成、江戸後期から明治に入りこの様式が全盛となる。

 写真の鉢は、瀬戸で製造された祥瑞柄の染付け、丸紋でなく窓に山水が描かれ、幾何学模様も中国様式ではなく、少し形態の変わった物になっている。

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2017年09月11日

父親の形見

      懐  中  時  計 


SANY2954.JPG 父親が蒐集したものは色々な物があり、亡くなってあと4人兄弟で分けることに、それぞれが欲しい物を取ることにしたが、それは面白い結果であった事を思い出す。
 私の兄弟は其々に欲しい物を取って遺品分けをしたが、殆どが骨董品、その価値は本人たちもまったく分からず、私は最後でよいから上の兄弟に取る様に進めた。

 そして各々が好きな物を取った後、残った物を私が受け継ぐ事になったのであるが、残ったものは全てが古くて余りきれいな物は1つもなかった。
 しかし、残ったものは私から言わせれば、兄弟が其々に取った物より遥かに価値の高い物ばかり、それもそのはずで骨董品は中々見分けるのは難しく、骨董に経験がない兄弟は分からぬもの。
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 私が持ち帰った物の中に、この懐中時計が入っていた事に気が付いたのは数年後、母にその話をした時、父親が生前この懐中時計を修理しようと時計屋に持っていったが、修理できないと言はれ修理を諦めたと聞き、それではと早速修理する事にした。

 知り合いの修理屋に持っていったが、「今部品が無いので、部品さえあれば修理できるのだが」と時計屋の主人、仕方なく部品を探す事にしてあちらこちらに部品を探してくれる様に頼み回った。
 後日、頼んだ友人から電話が入り「部品が手に入ったから取りに来る様に」との事、早速部品を貰いに急行すれば、修理の安い所があるから時計を持って来るようにとの事。

 やっぱり持つものは友人であると感謝しつつ修理SANY2960.JPGを頼み、父親が修理できなかった時計を短時間で修理出来、私の手元に帰った来たが、以前の時計よりも遥か綺麗に磨きもかけられて、別の時計と思うほど輝いていた。
 早速母にその時計を見せれば、父親は「生前口癖のように何処か直してくれる所があれば」と言っていたよし、仏壇に供えて修理できた事を報告し家に持ち帰った。 
 
 大正期のスイス製ロンジンの懐中時計、アールデコ様式の薄型、父親の若い頃に流行の時計であったようで、大事に使っていたらしいのでキッチリ保管する事にした。
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2017年09月03日

ブリキの玩具オート

      乗り物は楽しい


SANY3437.JPG 子供の頃より乗り物には憧れがあり、一番初めに親父に買ってもらったと認識しているのが自動車であり、それからも自動車ばかりを買ってもらった思い出がある。

 少年時代はバイクに憧れ、どんな小さなバイクでも良い乗りたくてたまらず、友人のバイクを借りて乗ったのを覚えているから、やっぱり乗り物は良い。

 ブリキの玩具にしても動く物、特に自動車やバイクは、欲しい物の代名詞ぐらいに思っていたから、自分で帰るようになってからは、やっぱり乗り物を買い込んだ。

 前にも述べたが、親父から貰った自動車を未だに探し続けている事をみれば、幾つになっても子供の頃のSANY3442.JPG思い出は褪せなく、逆に益々強くなっていくような気がする。

 ゼンマイ仕掛けで動く乗り物は、その動きが独特であり、ぎこちなく動く物の方がおもしろいように思え、余り高級な玩具よりも楽しい物であると思う。

 写真のバイクは昭和40年頃の物、もう1つのアイスクリーム売りはその後の物であるが、このアイスクリーム売りの動きが実に滑稽であり、ブリキ玩具の傑作でもあると思う位。

 くるくると足を動かして円運動をする様子が、実にリアルで簡単な仕組みの物であるが、それだからこそ親しみやすくて、愛さずにはいられない。
 ブリキの玩具は単純でいて、それで動きがぎこちないのが良く、電動式のスムーズに走るブリキの玩具はSANY0611.JPG面白くなく、拘りだと言われ様が、ゼンマイ仕掛けに限る。
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2017年08月29日

ロボット

      少 年 の 憧 れ


SANY3426.JPG 子供の頃、雑誌「少年」、「マガジン」などに乗っていた漫画、その中にはSF物も多くあったが、その中に出てくるロボット、アトムや鉄人28号などのロボットよりも少し古いロボット。

 アトムや鉄人は高性能でより強く、人間味から少し離れているようであり、それより古いロボットの方が楽しめ、それでいて何処と無く「ノロマ」なロボット。

 そんなロボットに引かれてブリキのロボットを集めた事もあったが、今はアトムと鉄人と他1台になってしまい、やっぱり寂しくなり欲しいと思うようになった。

 そんな折に骨董屋で見つけたのが陶器のロボット、何気なしに持ってみたら軽い、その上実に良くロボッSANY3429.JPGトの風合いを出しているのに気がつきツイツイ買い込んでしまった。

 店の親父に何時ごろのものなのか質問したが、逆に「之は瀬戸で作られたものだから、あんたの方が知っているはず」とこれまた手厳しい言葉であった。

 しかし、私はこのロボットが何時ごろ瀬戸で製造されていたのか全く知らず、後日調べる事にしてロボットを家に持ち帰り、ブリキのロボットの横に置いてみた。
 陶器だからブリキのロボットと合わないと思いきや、これがしっくりと同居するではないか、銀色に光る陶器のロボット、実際のブリキのロボットでは銀色のものは無く、もっと落着いた色のロボットである。

 しかし、陶器で製造されているから、中々あの燻しSANY3434.JPG銀の輝きのロボットと比較する方がおかしい、このロボットは之でよいのでだと、余りリアルでは逆におかしいのかと思える。
 今では、ブリキのロボットよりも陶器のロボットの方が珍しく、其れ以来陶器のロボットにめぐり合ってはいないから、これが出会いと言うものなのかも知れない。
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2017年08月20日

競争相手

      マイセンと肩を並べ


SANY2970.JPG 戦前戦後を通じて瀬戸の焼き物は飛躍的に進歩するが、1番変わったのは置物を製造する窯元、当時ドイツが生産の主要国であったが戦後は瀬戸がそのドイツと入れ替わる事に。

 ノベルティーと呼ばれる置物、当時世界ではドイツのマイセンの置物が世界最高峰として君臨していて時代、マイセンの置物は精密な技術により最高の置物を、上流階級向けに製造していた。

 一方瀬戸の置物はのっぺりとした立体感の無い置物であり、とてもマイセンと対抗できる代物でなく、ヨーロッパ市場に食い込むことは難しかったようだ。
 そもそも瀬戸のノベルティーは明治36年、「加藤佐太郎」が水に浮く陶器で出来た、「浮き玉」と呼ばれる「金魚や亀」を開発、これが当時爆発的に売れ、一躍瀬戸の主要輸出商品となる。
SANY2974.JPG
 海外での浮き玉の売れ行き好調に気を良くした「加藤佐太郎」は本格的にノベルティー部門に参入する事にし、商品開発に力を注ぐとにより、複雑な石膏型の開発に成功する。

 この「石膏型」の開発により、今までの瀬戸の置物ののっぺり感を一掃、精密な置物を製造することが出来るようになり、マイセンの置物を参考にドレスデン人形なるものを製造して技術を磨く。

 その結果、マイセンに見劣りする事のない商品の開発に成功、之によりヨーロッパ市場に於いても、マイセンと肩を並べるまでに生長して行く事になる。

 戦後は、ドイツのマイセンが輸入されなくなったアメリカ市場に、マイセンに取って代わり瀬戸のノベルSANY2980.JPGティーが市場を占有、アメリカの中流階級に大いに持て囃される事となる。
 しかし、輸出が主であった事も有り、瀬戸のノベルティーは世界最高峰にありながら、国内ではその存在を知る人は少く、評価が低いのは残念な事である。















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2017年08月19日

木象嵌

      幾 何 学 模 様

SANY0840.JPG 時計の装飾には色々な種類があり、塗料で彩色される物、木材の皮で装飾される物、漆等の天然の物で彩色される物、彫刻等で装飾される物等色々とある。
 中で持ての込んだ装飾を施す物に、木象嵌がと言う技法があり、この技法は中々と手の込んだ装飾の部類に属するもの、時間と手間が掛かるのと、やはり技量が出るものだ。

 木象嵌とは、木の種類により色の濃淡があり、その色の濃淡で模様を描く技法の事だが、この技法は手間が係り時計に装飾を施すと、高価な値段に成る為、一般機には装飾を施さない。
 つまり、木象嵌を施してある時計は高級機である証でもあり、その模様も手の込んで物が多く、ヨーロッパの時計が盛に用いたが、時代が下がり一般に普及する時計には施されなくなる。
SANY2645.JPG
 ヨーロッパより後発のアメリカでは、本家のイギリス製の木象嵌を施した時計をモデルとして、新たにアメリカで製造するようになり、その技法を取り入れて、新たな物を開発する。
 アメリカで製造された木象嵌は、本家のイギリスの模様とは少し違って、幾何学模様ではあるがイギリスの模様とはやはり違う、アメリカらしさを表現している。

 例えば、イギリスの模様は葡萄から草の様な図柄を表しているものが多いが、アメリカの木象嵌は円と線で幾何学的な模様を施している物が多い。
 写真の模様はまさに線と円で構成された図柄、木の素材の持つ色の濃淡を利用して模様を描き、薄い色の素材と濃い色の素材をうまく配置している。
DSCN1330.JPG
 まず図柄に沿って少し彫り込みを入れ、薄い木の板を色の配色を見て彫られた所に埋めて行く、その時に木目の向きや色の濃淡をうまく利用することが必要である。
 線を繋ぐ円形の部分には、違った図柄を配置して、アクセントを持たせ鮮やかな幾何学模様を作り出しているが、この様な図柄は本家イギリスの時計には無い物である。
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2017年08月13日

蚊取り線香

    何やら雲行きが怪しい。


SANY3005.JPG 夏と言えば蚊取り線香、緑色をした渦巻状の形をした馴染み深い線香、陶器の器に入れて蚊から我々を守ってくれたあの線香。
 夏は蚊帳と蚊取り線香と決まっていた時代、この2つは切っても切り離せない存在であったが、昨今この2つが消えかけている。

 蚊帳は一足先に其の使命を終えたかのようだが、蚊取り線香のあの渦巻きはまだ健在であるが、此処えきて何やら雲行きが怪しくなっているようだ。
 今や夏はエヤコンが主流で、部屋を閉め切ってしまう、渦巻状の蚊取り線香は煙が出る為、エヤコンを掛けて使用できなくなっている様だ。
 
 独特の香りと、煙で人々を百年以上昔から蚊の攻撃から守ってきてくれた蚊取り線香、生活スタイルが変わってしまい、其の役目を終えてしまうのか。
 あの、有名なコマーシャル「日本の夏、キンチョウSANY3009.JPGの夏」で一世を風靡した蚊取り線香、おまえは何処に行こうとしているのか。
 
 今主流の電気蚊取りに、あっけなく主役の場を明け渡してしまうのか、それとも我々がエヤコン離れをするのか、選択するときが来てしまったのか。
 しかし、電気蚊取りはやっぱり喉には良くないと私は思う、天然の植物から作られる蚊取り線香の方が体に良いはずであるが、あの煙が何とか成らないのか。

 煙が蚊取り線香の武器で、其れを取ってしまったら役に立たないのか、結論は私には分からないが、何とか残して欲しい夏の風物でもあるから。
 
 あの、昔から受け継がれた独特のデザイン、箱を開けた時の、あの匂い、そして緑色の渦巻き、どれを取っても日本の夏の主役である、この試練を香取り線香は是非とも乗り越えて欲しいと願う。
 
 
 
 
 
 
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2017年08月12日

明治の宣伝ビラ

      今も昔も宣伝第一

SANY0181.JPG
 宣伝をすることは今の時代だけではなく、昔から宣伝は商売の鉄則みたいな物であり、今に始まった事ではなく古くから行われていた様で、その方法は様々だった。
 江戸時代に於いても宣伝は商売には欠かせないもの、例えば良く知られたてるのが土用の丑の日、鰻やが夏は客が来なくて困っていたのを、平賀源内が丑の日に鰻を食べると精がつき病気にかからないと、張り紙を出し客を寄せたのが始まり。
 結果、その張り紙1つで客が寄って来て鰻屋は繁盛したらしい事は、現在も良く知られている最も効果の上がった宣伝であったようだ。

 ここに上げた写真のビラは、明治初期に大阪の時計店が出したもの、当時のハイカラな宣伝ビラと昔ながらの宣伝ビラの2つ、片方はとても日本の宣伝ビラとは思えない物。
 小さな子供が時計を手にしている姿が印刷されているが、当時としては画期的な宣伝ビラであったようで、舶来信仰の高い日本人消費者の心を射止めたようである。
SANY2817.JPG
 一方、同じ店で出した宣伝ビラ、これは昔ながらの文句で書かれたもの、写真や絵などは無く文字ばかりで書かれたビラ、両方とも同じ解けて印から出されているとは思えないもの。
 この宣伝ビラを出したのは大阪の時計商「石原時計店」、 この石原時計店は大阪では老舗の時計店であり、創業は弘化3年(1846年)初代、
石原萬助が大阪心斎橋筋に和時計などを扱う「時計司」を開業したのが始まりであり、手広く時計や舶来物を一手に販売して財を成した。

 2代目、石原久之助は大阪市心斎橋通南久宝町3丁目に移転、石原時計店を開業し、当時としては非常に大きな店構えであり、時計を初め舶来品や測量機まで販売していた。
 明治22年、大阪時計製造会社設立にも関係し、明治28年には懐中時計の製造を開始、時計製造と同時に時計店として繁栄をし続け、大阪一の時計店と成る。
 その後、現在まで石原時計店として淀屋橋南西角にビルを設け、営業活動をしており、大坂井おける時計店の生き字引的存在、宣伝ビラが有効な成果を上げた良い例である。

 下の写真は同時期の名古屋の時計商が出していた宣伝、非常にシンプルな文面であり、石原商店のものと比べれば違いが判るもの。
 当時はどちらが支持されたかは不明であるが、人目を引くのは石原時計店の方、如何にも舶来品であると印象付ける宣伝。
 一方の名古屋のものは昔通りの作り方、シンプルが良いのか、分かりやすい方が良いのか、見て人が判断するもの。
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2017年08月08日

オパールセント

      やっぱりお国柄


SANY2845.JPG ランプにもお国柄が出てくるもの、日本で製造されれば何処と無く日本的に仕上がり、職人の意識の中に、日本らしさを出そうとするものであるから。
 つまり、国柄が何処となしに出るから不思議と言えば不思議、よく日本人が外国人の顔描くと、日本人の顔になってしまうと云われ、逆に外国の人が日本人の顔を描いても、日本人には見えないものになる。

 其々が生まれ育った土地の持つ、不思議な力ではあるまいか、物を作り出すのも土地柄が反映するもの、ランプもこうした無意識の力が自然に出てくる。
 しかし、それとは違って、国柄を意識して出そうと努力している作品も又少なくなく、色々な分野で特色を出す「デザイン」であったり、「形」であったり、又「色」でもあったりする。

 1800年代後期から1900年代初頭に掛けてのSANY2839.JPGガラスの世界も、こうした流れの中で製作されたものであり、国によって其の国の特色が出ていて、其れを見ていると何となく何処の国か分かってくるものだ。

  「イギリスのランプ」と「フランスのランプ」、2つを並べて比較し見ると、私なりの見方であるがイギリスのランプはフランス物に比べて「シンプルな物が多く」、逆にフランスのランプはイギリス物に比べ「形が複雑」になっているようだ。

 例えば、ランプの下部にあるヒダ、ヒラヒラとした様に波打った形、この部分を見てもフランスものは「ヒダの曲げ具合」がイギリス物よりも大きく誇張され、大胆に波がうねっている様に見え、一方イギリスものは何処と無く品がある。
 写真のランプは、フランスで製造された1800年代最後の時期に、製造されたであろうと思われるランプ、 「オパールセント」 と呼ばれる、宝石の「オSANY2836.JPGパール」の輝きを再現したもの。

 「乳白色の白とかすかに青み掛かった光のラメ」が、オパールの輝きに似て、独特の雰囲気をかもし出すように、製造されており電気を付けると「輝きが増す」。
 そしてこのランプの特徴は、ヒダの部分が大胆に波を打って、立体感を持ち迫力のあるランプに仕上がっていて、いかにもフランスらしいデザインである。

 このランプをイギリスで製造すると、もう少し落ち着いたヒダになり、雰囲気も全然違ったランプに仕上がることは必定、フランス製造だからこの雰囲気が出るのではないか。
 写真は一番下がイギリス製のもの、同じオパールセントでも形が違うと雰囲気もがらりと違うものになる。
 どちらが好きかはその人しだい、勿論部屋の雰囲気も大事な要素、チグハグではまとまりがなくなるから、それだけは注意して選びたいもの。

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2017年08月05日

奇抜な顔

      素 朴 と 奇 抜

 SANY0425.JPGこけしは素朴な玩具、その歴史はそんなに古くなく幕末頃とされているが、正確な年代は不明、東北地方に多く集中しているが、之は幕末頃お伊勢参りの帰りに、小田原や箱根の湯治場で作られていた木地具を、湯治場に来ていた農民が地元に持ち帰り、其れを真似て作り出したのが始まりとされている。

 湯治場に来る農民のお土産として木地具を作って売り出し、次第に人気となり現金収入を得る大事な商売に発展、木地師たちが次第にこけしを製造するようになる。

 そして、東北一円の温泉場でこけしが製造されるようになり、各地独特のこけしが誕生、産地によって製造方法や図柄が違い、木地師たちは自分のこけしを独自に発展させて、地区ごとの系統が誕生する。

 こけしの伝説の名人が誕生、[高橋胞SANY1000.JPG吉]、[小椋久四郎]、[佐藤周助]、此の三人が伝説のこけし職人、彼らの製造したこけしは現在蒐集家達の憧れの的となっている。
 三人の製造したこけしは、数も少なく幻のこけしとして蒐集家たちは血眼になって探しているようであり、その所在は中々突き止めれないもので、こけしの重要文化財とまで言われている。

 そして、此の三人の後継者が又名人と言われるこけし職人となり、彼らの製造したこけしもまた伝説となり、現在も蒐集家が真っ先に収集するこけしである。

 写真真中付近の二つのこけしは、その三人の内、山形県肘折温泉の「佐藤周助」の子供、「佐藤巳之助」のこけしで、彼の作り出すこけしは奇抜な頭をしており、普通こけしの頭は丸くなっているが、巳之助のこけしは四角の形をした物。
 独特の頭と二重まぶたの目、これが巳之助のこけしの特徴、その表情は同じものが無くその時、その時の気分によって様々な表情のこけしが製造された。
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2017年08月03日

宣伝

SANY1556.JPG      明 治 の 宣 伝

 明治時代の宣伝広告の中でも時計の広告が目に付く、それも掛け時計ではなく殆どが懐中時計、当時は懐中時計は憧れの的、ステータスシンボルであった。
 明治初期、文明開化の申し子とも言うべき時計、流行の最先端を行くもの、人々はこぞって時計を買い求めようとしたが、先進な機械時計はやっぱり高かった。

 掛時計等はまだ安かった部類であったが、それが懐中時計となれば少し事情が変わってくるのも当たり前、当時の懐中時計は高価であり、ましたや金時計などは非常に高価なものであった。
 明治初期当時の総理大臣の給料が月400円であったようで、其処から察すると如何に高かったことが分かるが、それが又高いと言うことで、益々人気が高くなった。

 洋服に金時計はステータスのシンボルSANY3106.JPGとばかりに、こぞって買い求めようとしたのも、西洋に憧れた当時の日本人の気質が伺え、今も昔も舶来信仰のあらわれである。
 其の当時、日本に流入してきている時計は、外国では一流の時計会社の製品ではなく、外国では安い部類に入る時計や型が遅れた時計等、要するに流行遅れの時計であった。

 その様な時計を商社やバイヤーが安く仕入れて、発展途上の日本の市場に送り込んだ物、それを日本の人たちが飛び付いて買い求めたのも、文明開化。
 その中の一つが、スイス製の懐中時計「ターバン」、この時計ヨーロッパでも販売されていたが、向うでは三流品の時計メーカーの品、日本ではあたかも最高級の時計みたいな宣伝をしている。
 当時の時計店のカタログにも、多くの「ターバン」の時計の宣伝が記載されている事から、商社やバイヤーが大量に仕入れていた事の裏ずけではないだろうか。
 いずれにしろ、当時の時計のカタログは、その時代の流行を敏感に反応していた事は確か、人々がこの様な宣伝に踊らされていたのも事実であったようだ。

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