2017年11月09日

エンジェル

      可愛らしさ 


 SANY4207.JPG瀬戸のノベルティーは歴史が古く、江戸時代に遡るが、その時代、時代によって輸出されてきた物が違い、古い時代のものはヨーロッパの貴族向けであり、最近のものは子供向けと時代によって分かれる。
 又、明治初期から中期にかけては、磁器で製作された大きな物が中心であったようで、灯篭やテーブルの様な置物が中心、特にパリ万博が開催された折の出品物は大きな物であった。

 大正から昭和にかけては、食器物が中心で、特にコヒーカップやディナー皿などが中心、そして戦前戦後は子供向けの玩具類が多く輸出された。
 戦前はヨーロッパが主、そして戦後はアメリカが主な輸出国、そしてこの時代になると瀬戸のノベSANY4213.JPGルティーと呼ばれる置物が全盛期に入る事になる。

 ドイツのマイセンで作られていた装飾品を瀬戸地方が一手に製造する事になり、大量にアメリカに輸出され、好評を博する事になるが、その技術はマイセンをも凌ぐといわれ、日本の重要な外貨を稼いでいた。
 その時代に造られた人形や置物は、技術的にも最高の製品を作り出し、しかも値段的にはマイセンより安く製造されたため、アメリカではドイツの市場を駆逐したといわれている。

 写真の置物は、時代的には少し下がり昭和30年代、非常に可愛らしいエンゼルが横に付いた時計の置物、高さは5センチと小さいが、見た目では遥かに大きく見え、迫力のあるものに仕上がっている。
 その色使いもシンプルで、エンゼルの淡いピンクと、時計のブルーのコントラストが絶妙、可SANY4209.JPG愛らしさは又格別であるが、其れよりも瀬戸の技術の高さが光る置物でもある。
 この置物は、たぶんドールハウス用に製造されたものであるようで、置物としては少し小さいので、ドルーハウスの大きさに合わせて製造された物なのか。








 
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2017年11月07日

だるま

      手も足も

SANY4608.JPG 達磨は手も足も無いのが普通、ダルマとは馴染み深い真っ赤な着物に髭ずらの親父顔、選挙や入学祈願のとき等に買い込み、願いが叶ったら片目を入れる。
 これが普通のダルマであり、馴染み深いものでもあるが実際の達磨とは、その昔5世紀前半南インドの王国に第3子として誕生、釈迦から数えて28代となる人物。

 普通元年(520年)南インドより仏教の布教するため中国広州に上陸、時は南北朝時代であり、南朝の梁の国に入り、武帝と面会するが武帝より、「仏教とは何かと問われ」、達磨は「何も無であると答えた」と言う。
 武帝は達磨の答えに満足せず、尚も「我は仏教の為寺を幾つも建立したが徳はあるか」と問う、しかして達磨「何も御座らぬ」と答えたといわれ、達磨と武帝はお互いを理解することは無かった。

 その後達磨は嵩山少林寺に入り、岩に向って9年間座禅をしたと云われ、禅を極めて悟りを開き禅宗の開祖となるが、9年間の座禅により足が腐り無くなってしまったと言われる。SANY0182.JPG
 これはもちろん逸話であるが、9年間も岩の壁と向き合い悟りを開いたその姿を、後世の人が絵に描いた姿が達磨大師の図で、その姿を形にしたのがダルマさんである。
 日本には12世紀宋の時代に道元が禅の教えを持ち帰り、禅宗を民衆の間に深め、日本中に禅が流行するが、ダルマさんは江戸時代に成ってから、現在の高崎の少林寺で始めて造られたと言われているが定かでない。

 日本全国にもダルマさんの置物は存在しており、各地で其々の形が作られているが、生産量では高崎のダルマが1番多く製造されて、全国の選挙や入学祈願に使われているのが現実である。
 下の写真はそのダルマをブリキと陶器で造り、本来はダルマは不動とされているが、このダルマは貯金箱とゼンマイのもの、前にゆっくりとした動きで歩き出すのであり、常識をくつがえした動きをする。
 昭和30年代のブリキの玩具としては異例の物、達磨が歩くとは驚きであり、其れを逆手に取ったユーモラス一杯の楽しい玩具であり、中々手に入らない一品である。
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2017年11月01日

ブリキの笛

      私 の 宝 物  


 SANY4099.JPG誰でも子供の頃、何の変哲も無いガラクタを、自分の大事な宝物として、こっそりと引き出しの隅に隠して置いた事があるだろうと思う、今空けて見ればやっぱりガラクタだ。
 しかし、其のガラクタには子供の頃の楽しい思い出がギッシリと詰まり、其れを見るたびに、遠い子供の頃の記憶が蘇ってくるものであり、
懐かしく其の頃を思い出すのである。

 私も子供の頃はやたらと色々の物を集め、自分の引き出しの墨に入れていたが、母親がそれらを見つけ良く叱られたもので、「何で勉強に関係のないガラクタを引き出しに入れているのか」と。
 そして、「汚いものは廃るように」と怒られた事を記憶しているが、だからと言って其れを捨てたりはしなかったし、益々ガラクタの宝物は増えていった。

 私の子供の頃も、グリコのおまけは流行っていたし、私も大好きでおSANY4101.JPGまけ欲しさにキャラメルを幾つも買っては、母親に叱られていた。
 写真の右、小さい時計型の笛、之もグリコのおまけであり、自分で集めた記憶は無いが、しかし7、8年前に我が家を解体する際に自分の机を整理していて見つけたものである。

 左の大きなものはグリコのおまけではなく、輸出用に作られた(オキュバイド、ジャパン)の笛である。
 6時の位置に赤とブルーの色が見えるが、これは廃物を利用して作られた証で、物の無かった時代の証でもある。

 今気付いた事であるが、この時は別に時計の形をしていたから集めておいた物ではなく、単に笛として集めたはずであるが、時計を集める複線上に既にこの時から有ったのであろうか。
 この時から、古時計を集める縁があり、現在も其の縁にしたがって、行動をさせられているのではないのであろうかと思わざるを得ないのである。



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2017年10月29日

SPレコード

   不思議な音

SANY4352.JPG 最近SPレコードが見直されていると言うが、その魅力は何であろうと疑問視する人もいるようだ。
 いまSPレコードと言ってもピンと来ない人が多くて、レコードそのものも知らない人も多くなっている。
 今はCDになってしまい、もはや前世紀の遺物みたいになったSPレコード、しかし最近また人気とか。
 てっきり年配者の人が懐かしさでそれを求めていると思っている人、それが違う事であると分かるのだが。
 確かに年配者にとっては懐かしい音であり、郷愁に誘われるが、今求めているのは若い人たちであると言うのだ。
 IT全盛の時代にSPレコードとは、何故それも若者が求めるのか、そこには音に対する興味があるからだ。

 CDの音に慣れてしまっている人にすれば、SPレコSANY4360.JPGードの音は新鮮に聞こえると言い、新たな興味が湧くとも言うのだ。
 電子音に慣れている人にとって、SPレコードから聞こえる音は全く違ったものに聞こえ、その上雑音が一杯聞こえる。
 しかしその音が良いと彼らは言う、それは肉声に近い音だから、今のCDは電機で造られた音、しかしSPレコードは電機音でないもの、肉声に近い音だから。

 現代人はいま電機音に慣れてしまい、自然界の音を聞くことが少なくなっている事は事実、何処へ行っても電機音だ。
 それが当たり前となった現代の生活、若者はSPレコードの音がより新鮮に聞こえてもおかくしないと思う。
 むしろ彼らはその音が新しいもののように聞こえていると言う、我々とは少し違った感覚であることは確か。
SANY4355.JPG
 私が時々行っているコンサート、勿論蓄音機での演奏、最近若い人がコンサートに来るようになり、半分は若い人だ。

 これには年配者もビックリしているようだが、毎回増えている事は確か、SPレコードから聞こえてくる音に感心する事。
 何故こんなに良い音が出るのか、それも原始的な機械からと言う、何だかんだと言いながら、レコードより最後は蓄音機の構造の話になる。
 蓄音機の説明して欲しいと、そして何故こんな音が出るのが不思議だと言う、よく説明を聞いても
やっぱり不思議だと言うのだ。

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2017年10月25日

瀬戸の染付け

      海外で好評 

 SANY3301.JPG幕末から瀬戸の磁器は盛んになり、海外に向け輸出をされたが、特にパリ万博で染付けの技術が高く評価され、それに伴い注文が多く入る事になる。
 瀬戸の染付けは江戸時代よりの技術は定評があり、その繊細な筆使いから生み出される、模様は緻密でありダミと呼ばれるぼかしの技術、細部的になされる業。

 これらが一体となり、1つの集約された器が完成されるが、特に瀬戸のゴスと呼ばれるコバルトのがんりょう、その美しい発色が海外で人気を博したようである。
 瀬戸独特の生地、白くて透明度の高い下地に、コバルトのブルーが鮮やかに発色し、当時の東洋趣味も合間って貴族階級に、特に人気があった。

 飾り壷や更なとの他、コヒーカップも生産され輸SANY3305.JPG出、当時のコヒーカップは見本を見て造られはしたが、やはり日本的な形が多く、始めは湯飲みに持ち手をつけた様な形が多かった。
 その内にしだいと技術も向上すると供に、形も西洋物に劣らない器が製造されるようになり、益々その量は多くなり外貨獲得に大いに貢献したようである。

 それらの製造元の多くは、やがて森村組(後のノリタケ陶器)の誕生に係わり、その技術を遺憾なく発揮して、瀬戸の染付け技術や粘土の増産に大いに役立った。
 写真の器は幕末から明治にかけて造らせたコヒーカップ、美しい白地に鮮やかなコバルトブルーの模様が際立って目立つ、当時の輸出磁器の傑作である。
 少し小振りであるが、洗練された鳳凰の図柄、器いっぱいに描かれた見事な染付け模様は、見る人を引き付けるに充分な豪華さ、これだけの器が短期間に造られるようになったのも、当時の職人の努力の賜物であると思われる。


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2017年10月22日

小さな玩具

      小 型 の お も ち ゃ

 SANY0554.JPGブリキの玩具、好きで次から次えと買い込むうちに、一杯となり何処に置いて良いやら置くところが無くなり、遂には山積みをして傷をつけて失敗したりと、数が多くなると弊害も現れてくる。
 安すくて程度の良い物を見つけると、買わずに入られないもので、こんなに安くて良い品を他の人に買われては勿体なく、折角見つけたのだから早く買わなければと、もう一人の私が囁きかける。

 この囁きにツイツイ負けて買い込んでしまうが、家に持ち帰って「さて何処に置くのやら」と、その時にやっと「又買い込んでしまった」ときずく始末、何時までたっても成長しない。
 こんな事が度重なって、終いには置く所よりも買うからいけないと自己批判の毎日、部屋を見渡せば自分の座る所さえない始末に、やっSANY4261.JPGと気が付き又反省。

 しかし、反省はすれど買うのを止めるわけではなく、今後は大きい物はダメだと気が付くだけ、之ではちっとも反省していないと同じなのであるが、其れは兎も角反省には違いない。
 その結論は大きい物はダメ、小さな物であれば場所は取らない筈と、マタマタ勝手に判断して買うことを止めようとしない人、他の人から見れば、「こりゃダメだ」と思われるかもしれない。

 懲りもせず、今度は小さな物を探し始める始末、そして既にどんな物であれば買い込んでも支障がないのではと勝手な理論、落ち着くところが写真のブリキの玩具。
 7センチにもならない小さな物、小さいものは4センチこれ位いの小さな物であれば、今までのもの1つで10台は入るはず、大きな物を少し少なくすれば2、30台は置けるはずと勝手な理屈。
 そんな事で、現在も懲りずにせっせと探しては、安い物を買い集め、少しでも空いてるスペースにこっそりと置いて、まだあの隙間に入るはず、どんなものが入るか想像する始末、やっぱりダメだ。
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2017年10月17日

ブリキと共同

           セルロイドとブリキ   


SANY3682.JPG ブリキの玩具は、全部がブリキだけで出来ている物もあればそうでない物もあり、其れは時代とも密接に関係していて、時代の変遷も分かる様でもある。

 ブリキの玩具の種類により、文体がブリキだけで製造されているものは、動くものは少ない様に思う、何故ならば動くものは車輪がついているため、自動車やオートバイなどはゴムの車輪が付くからである。

 古いものはブリキで出来た車輪もあるが、その後はゴムの車輪が主流になり、殆どの車はゴムでタイヤを製造され、ブリキの車輪は姿を消す事になる。  

 車輪だけでなく、付属する物にブリキ以外のものが使用され始め、例えば人物であるが顔や手足は、セルロイドで作られたものが付けられる様になり、急速に付属品のセルロイド化が進む。 
SANY0617.JPG
 特にセルロイドで出来た人形は、手足や顔などはゴムで連結して、自由に動かせるように工夫し、リアルな動きを出す事により、今まで動かなかった人物も、動くようにした。
 この動きによりブリキの玩具が飛躍的に売り上げを伸ばし、海外に輸出をされるようになり、益々セルロイドとの合体したブリキの玩具が発達してゆく。

 写真の玩具も、その様なセルロイドとの合体した商品、この玩具の特徴は人物の手や顔、そして足が車輪と共通の回転をするために、人気が爆発的になった代物。
 いかにも子供が三輪車を足で回しているかのような、そんな構造をしており、少しの工夫で最大限の動きを生み出すことに成功した例でもある。
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2017年10月13日

西洋ランプ

      灯りは明るければよい


SANY3670.JPG 我々の生活は、明治に入ってからガラリとその生活様式が変わったが、文明開化の恩恵を少なくとも受け、西洋に対する憧れは益々募っていった。
 江戸時代には、庶民は菜種油で火を灯しての生活をしてきたが、明治に入りランプが西洋より輸入され、その明るさに皆驚きと同時に憧れへと変わってゆく。

 それはより明るく自分の部屋を灯したいと言う欲求、蝋燭や灯明の明かりより遥かは明るいランプ、その明るさを求めて日本人は次第にエスカレートして行く事になる。
 明るさの追求は、しいては近代化の推進であり、近代国家への原動力となって行き、発電所の開発に邁進する事になり、電力の明かりへと移行をしてゆく。

 明治以来の流れの中、現在の日本の照明は必要SANY3681.JPG以上に明るく、商用施設などは、より明るくするために電灯を増やし、結果として必要以上の明かりを灯している。
 その灯りは蛍光灯による明かり、外国人が日本の家庭は、何故工場と一緒の明かりをつけるのか不思議であると、素朴な疑問を抱いている。

 しかし、我々は其れが当たり前であり、何の疑問も持たないで今まで来たが、この震災でやっと疑問に気が付いたようであるが、果たしてそうであろうか。
 以前に、イギリスの友人に同じ事を言われた事を思い出す、彼曰く「お前の家でも工場みたいな蛍光灯を使用しているのか」と云われ、「もちろん使用している」と答えたが、彼は「何故そんなに明るくするのか理解できない」と不思議がった。
SANY3676.JPG
 彼等は、「必要な場所に」、「必要な明かりを付ければよく」、部屋全体に明かりを灯さなくても良いと、何故日本人は無駄な事をしているのかと、やはり理解できないらしい。
 私がランプを求めるのも、逆に不思議に思えるらしく、何故ならば、こんなランプは明るくないから、明るいのを好む日本人が何故買うのかと、マタマタ質問。

 彼は痛烈に、我々日本人が無駄な電力を使っている事を、批判しての発言である事を知ったのは、それから後の事、イギリス人独特の言い回しだ。
 しかし、云われて見ればそのとうり、無駄に電力を使って必要以上の明るさにしている現代の生活、ここらで少し考えを変えないといけないのではないだろうか。





 
















 
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2017年10月08日

花生け

      ロマンがある

 SANY3490.JPG 明治初期から時計に関する色々な物が製造され、当時の流行を素早く取り入れて、庶民に販売を仕掛けるのは、何時の時代でも承認である。
 只、明治初期は従来の流行とは少し違っていたのは、西洋から入ってきた近代機械や乗り物、洋服等今までに無い物ばかりであり、直ぐに飛びつく訳には行かなかった。

 製造する方も、西洋物は始めて見る物であり、其の物自体を把握していたわけでなく、見よう見真似で製造しなくてはならず、悪戦苦闘を強いられた事は推測される。
 現在その当時に製造された物を見るに、現物とはかけ離れている物も多く存在し、当時の状況を知らないと、何故こんな物を製造したのかと理解に苦しむ。

 其の1つが時計でもあり、初期段階では製造者するSANY3500.JPG目で見る機会も少なかったようで、話を聞いて想像して製造したのではないのかと思われる製品もあり、現物との違いも大きな開きのある物も製造されたようだ。

 それにもう1つは、初期段階で製造されたものは、現物に忠実に再現された物と、想像で製造された物との比較において、大差が出来ている事も現実である。
 江戸時代からの流れの中で、適当に現物が創造されれば良いとの認識の甘さで、製造された商品はやはり庶民から敬遠されたのは云うまでも無く、忠実に再現された物ほど売れ行きが良かったようである。

 写真の花生けは、尾張瀬戸で明治初期に製造された磁器の花生け、陶器でなく磁器で製造したのも、最先端の時計を磁器で再現し、時代の新しい流を作る意欲が感じられる物になっている。SANY3496.JPG

 この花生けは、実にシンプルであり、生地がよく白さが引き立つ出来、縁取りに鉄柚を使いアクセントを出した傑作の1つといっても良い代物である。
 初期の物は現物に忠実に作られている事が、この花池を見れば実感として伝わって来、当時の職人の心意気まで見えてくるような製品に仕上がっている。
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2017年10月07日

和製ステンドガラス 

    合うものは少ない

斜め.jpg ステンドガラスの西洋物は中々日本の家屋にあうものがなく、探すのに苦労する。
 西洋物のステンドガラス、最近は数も多くてサイズも多い、しかし日本の家屋に合う物は中々無く、その物単体を見ている分には、気に入っても自分の家に合うのかと思うと、考えさせられるものも多い。

 その物を気に入っても家との調和が取れなく、ステンドガラスとしては素晴らしく気に入っても、サイズもやはり関係して、何処に設置するのか考え込んでしまうものも多いのでは。

 西洋物のステンドガラスといっても、イギリス、フランス、イタリア、アメリカなど色々な国のものがあり、現在はイギリス物が多いのか、アメリカ製のステンドも最近は多いみたい。
 イギリス製のステンドは日本に入ってくる物は、ドアー付きの物やガラス戸的感じの物が多く、使い勝手はイギリス物の方が良いのか、フランス製のものは、絵画的なステンドガラスが多いのかも知れない。
鳥.jpg
 もちろん日本製のステンドガラスも存在しているが、西洋物に比べれば遥かに少なく、その反面最近では日本のステンドガラスに人気が集中し、値段も高くなっている様で手に入れるのが難しくなっている。
 日本製のステンドガラスの種類は二つに分かれ、絵画的に作られた物と、色ガラスの単純な組み合わせの物と二    種類が存在しているが、絵画的な物は少なく、値段もそれは非常に高い。
                                                                                             日本製のステンドガラスは欲しいが、気に入ったものとなると値段が、幾ら気に入っても値段が高くては二の足を踏む。
 サイズもぴったりと合うのに値段が、雰囲気も図柄も良い、我が家に是非とも欲しいと思うが、やっぱり値段が。

 有名なステンドガラス作家のものは、数が少なく値段も高いが、市場に出て来るのも少ないから、手に入れるのもかなり厳しく情報を早く手にすることである。
 色ガラスの組み合わせ物は、絵画物よりは数は多く有るから、ジックリと待てば、良いものも手に入れることが出来る可能性は高く、自分の好きな色柄を選べば良い。

 

 
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2017年09月29日

招き猫7

      瀬戸と常滑


 DSCN1699.JPG招き猫の歴史は古く、以前名も説明をしたが江戸時代に遡り、その起源は中国の故事に成るが、日本ではそんなに古くなく江戸に入ってからの事。
 各地で盛んに作られるようになり、発祥の元祖争いがあちらこちらであり、自分のところが発祥と譲らず、元祖争いをしているようで嘆かわしい限りだ。

 招き猫にされた猫の方が迷惑しているかも、それはさておき瀬戸と常滑は今でも招き猫の産地として競い合っているが、瀬戸と常滑とは材質も形も違っている。
 一般の人から見るとドチラがドチラか全く区別が付かないようであるが、1番分かりやすいのは叩いてみる事、瀬戸の招き猫は磁器で製造されているから、硬くて叩けば高い金属的な音がする。

 一方の常滑の招き猫は、陶器で出来ている為に叩けば鈍い低い音がするので、瀬戸との区別が簡単に分かるはず、しかし音だけでは区別が付かない人も居るであろう。
 瀬戸で製造されている招き猫は、磁器で製造されているから硬くて丈夫、何よSANY0188.JPGりも光沢があり豪華美しい出来である。

 一方の常滑の招き猫は燃焼温度が低く、強度の面で磁器には及ばず光沢も無いが、安価なのが受けて販売は好調、招き猫の顔を見ても、現代的な猫の顔をしているし、可愛らしく仕上がっている。

 瀬戸の招き猫は伝統的な仕上がり、顔はより現実の猫に近く厳しい顔をし、やはり縁起物らしくキリリとした姿をしている事と、シンプルな伝統を重んじた物。
 
 そしてもう1つの違いは、常滑の猫は小判を抱いているが、瀬戸の招き猫は何も持っていなく
て落ち着きのある猫。

 派手で「現代的な招き猫」か、シンプルな「伝統的な招き猫」かは其々の特徴であり、好みも問題であるに違いない。 
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2017年09月28日

瀬戸の磁器

      森村組への参画 


 SANY3421.JPG明治初期、瀬戸の磁器は高度の技術を誇っていたが、西洋の洋食器を作るのは大変な苦労を要してのである。
 日本食器と違い、西洋食器の図柄もまた未知数でも有ったようで、色々な図案が試みられたが、完成するまでに至っていなかった。

 当初の森村組の製品は、試行錯誤の段階で、形や形式図柄にしても日本的な感覚と違い、西洋の雰囲気に会うようなものを試作。
 初期の製品を見るに、コバルトの強い発色をした物であり、図柄も日本的な図柄をして、垢抜けた物ではなかったようである。

 例えば初期のものは、日本の食器に手をつけたようなコーヒーカップ、湯飲みを少し崩しただけのコーヒーカップ、SANY3415.JPG
 試行錯誤の様子が良く分かる製品が残されているが、日本人が懸命に西洋食器を作り出そうとする意気込みが感じられる。

 写真は初期のデミタスコーヒー用のカップであるが、何処と無く湯飲みに手を付けただけの様な物に成っている。
 ソーサーも、そりの角度がぎこちなく全体には硬い感覚の物に出来上がっている。

 只現地では異国情緒が出ていて、当時の人達からは好まれたようだ。
 勿論マイセンやフランス物には及ばず、後発の参入となるも珍しさが先行したようだ。
 その後、見違えるように技術が進み、輸出陶器の花形となってゆくことになる。
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2017年09月23日

招き猫の形

      手の形で変わる


SANY2283.JPG 招き猫は色々な形が製造されているが、一番の大きな違いは「右手を挙げている」か、「左手を挙げている」かであり、その上げ方でいわれが違っている事。
 古い招き猫は、右手か左手を挙げているが、新しい物になると両手を挙げている物や、バイバイをしている物、あぐらをかいている物、様々なポーズが製造されている。

 時代の変化による物であるが、やっぱり招き猫は縁起物、スタンダードな形のものが1番良いのでは、生産地の意向もあり様々な物があるが、目まぐるしく変わる現在の需要なのかも知れない。
 その需要、目まぐるしく変わり新たな商品が次々と作り出されているのが現状で、例えば昔は考えられなかった色も沢山製造されている。

 従来の招き猫は三毛猫が定番、もっと古いものは赤色と黒色、それが招き猫であったが、昭和に入り色々SANY2289.JPGと変化してきた。
 それと風水が流行り出して、招き猫もその流行に敏感に反応して、様々な色が出現する事に、昔は考えられなかった色が。

 赤、白、黄色、緑、青、金、銀、ピンク、そして極めつけは七色の招き猫まで出現、見た目にカラフルで現代的であるが、縁起物の招き猫とはやっぱり少し違うようである。
 新しいものが良いか悪いかは別の機会に論議するとして、招き猫の手は右を挙げていればお金を招き、左手を挙げていれば人を招くと古来から言われている。

 どちらにしても商売人は、人が店に来てくれなければ商売にならない事は当たり前、人が集まって来てくれれば、当然お金も集まるのは必定。
 人、金、どちらを優先するかは人其々、金の世の中だからやっぱり、右手を挙げている招き猫が持てはやされるのか、どちらがこれまた多いのか私は知らない。DSCN0136.JPG

 古い招き猫は右左関係なく耳よりしたの位置で手を招いているが、新しいものは耳より高く手を挙げている様で、遠くの人やお金を招く仕草であると言われる。
 人間はやっぱり欲張りな生き物、近くよりも遠くの人が沢山来てくれるようにと、願っているのも又人情かもしれないが、ソコソコの所で納めて欲しいもの。

 写真の招き猫は、瀬戸で製造された物、時代は少し新しいようで左手を耳より高く上げて、遠くの人を招いているようであり、どっしりとした風格は、いかにも縁起物の招き猫のようだ。
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2017年09月21日

七宝

      た か ら も の


 SANY1594.JPG七宝は古からあり、古代ペルシャの時代には既にあったようて゛、古墳からも出土したおり、その歴史は古いもの、日本にはシルクロードを経て中国から日本に伝わった。
 5、6世紀の古墳からも出土、奈良正倉院御物の中にも七宝焼きは存在しているが、その後途絶えてしまい幕末に、江戸幕府の命により、尾張潘、海東郡の尾張藩士、「梶常吉」に七宝焼きを再現するよう命が下る。

 江戸幕府はオランダよりもたらされた、美しい皿の再現を梶家の次男常吉に、七宝皿の再現を命じ、七宝を再現させ幕府に献上するよう、常吉は苦心惨憺の末見事に七宝焼きを完成させる。

 七宝とは、法華経に「金、銀、瑠璃、瑪瑙などの宝」をさす、之に値する美しさであるとの喩えから、SANY3362.JPG「七宝焼き」となずけられたといわれており、以来七宝村にて製造されてきた。

 七宝焼きには、有線、無線の技法があり七宝村で焼かれていた物は有線七宝、この焼き物は金属の壷などに、細い真鍮などで図柄をかたどり、それにガラスの釉薬を施して、窯に入れ燃焼させて作る物。
 細かい図柄の線を根気良くおいて行く作業は大変で、この作業を怠ると直ぐに作品にひびき、上質な物が出来ず職人の腕のみせどころでもある。

 写真の七宝の壷、時代的にはそんなに古くは無いが、有線七宝の細かい図柄、ちょうど今の季節にぴったりの物、梅に鶯の図柄で有線七宝、雲をかたどった細かい図柄と、咲き誇る梅が巧みに配置されている。
SANY1776.JPG
 写真下はフランス七宝、通称泥七宝と呼ばれる透明感の無い釉薬、1800年代の泥七宝、多く製造されたが、その後透明感のある釉薬が開発され、艶やかな模様と共に、七宝の持つ輝きのある物が製造される。
 現代においては、この輝きのある七宝が主体であり、泥七宝は景を潜める格好となり、現在は余り作られていない物となってしまったようである。
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2017年09月19日

懐かしの品

      やっぱりロボット
SANY2042.JPG
 子供の頃のおもちゃは幾つになっても懐かしいもの、特に自分が遊んだおもちゃは又格別、其れを手にした時心はあの日と同じ、何時でもそのときに帰れるものだ。

 我々の子供の頃はそなんにおもちゃが沢山あったわけではなく、殆どが手作りの物、買えないし売ってもいなかったから、お金を出せばその当時も当然あったが。

 我々が集まるところには売ってなかったもの、駄菓子くらいで其れより値の張る物は置いていなかったし、置いていたとしもて買えなかったものだ。

 昭和30年代に入り、そこそこ玩具も手に入るようになったと思うが、その当時遊んだおもちゃが復刻版として市場にで回ったのが、20年位前の事。

 ある店先で見つけ早速購入、もちろん復刻版と分かって買い込んだが、偶々友人が来たのでそのロボットを見せれば、「俺も欲しいから是非買って来てくれ」と。
 同世代の人にとってはとても懐かしくて、そして思い出のある品、喩SANY2045.JPGえ復刻版と言えども形はそっくり、新しいから動作も電池を入れれば動く事。

 今までは頭の中でしか動かなかったロボットが、目の前で動く事の喜び、在りし日を思い出すよりも、目の前で動いている物に感動すら覚える。

 こんな気持ちになるのは、我々の世代だけであろうか、嫌々現代の人もやつぱり同じ気持ちではないのか、単純な物ほど感動があるような気がする。

 ブリキのロボット、アトムや鉄人と共に、子供の頃憧れていたおもちゃ、もっと忠実に再現して欲しい物だが、簡単に手に入ってはやっぱり面白くない。
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2017年09月15日

ランプ

      灯りは安らぎ


SANY3265.JPG 灯りは人間の心を明るくしてくれる物、落ち込んだ時とかに、遠くのぼんやりとした小さな明かりに何故か心が和むような、そのな気持ちになるのは何故。
  灯りは人の心に深く入り込んでくるものでもあり、例えば山でご来光を見たときの感動は何とも云えないもの、普段見慣れている太陽であるが、登山等でのご来光は、光が体の中にしみこんで来るような感覚になる。

 あれは何であろうか、何時も浴びている太陽の光であるのに、苦労して上がった山で見るからであろうか、いやそれとも違うものではなかろうか。
 今、現代生活の中の明かり、家の中の灯りは部屋の隅々まで光が行き届いた、光の中で生活している状態、その光は白くて無機質な光のようである。

 以前、海外の蚤の市でアンティークのランプを求めていた時、蚤の市の店主が何やら私に問いかけているがさっぱり分からず、友人に「何を言っている聞いてくれ」と頼んだ。SANY3271.JPG
 友人いわく「は店主は何故こんなランプをお前は買うのか、家で使うのか」と言っているとの事、私は「何でそんな事聞くのか」と又友人に聞くように、すると「日本の家庭は何であんなに明るくしているのか、そして工場みたいな蛍光灯をつけるのか」と言っているという。

 「そんな生活だから、こんなランプは必要ないだろう」とも付け加えたらしいが、言われてみれば確かにそのとうり、今の我々の生活は蛍光灯の光で満ち溢れ、彼の言う通り無機質な光の中に生活している。
 外国の人から見ると、日本の家庭の照明は不思議に思われているらしく、工場で使用している蛍光灯を、何故家庭で使うのか不思議であるそうで、又あんなに明るくする必要が有るのかとも言うのだ。

 指摘はごもっとも、彼の言う通りであり、必要以上に今の日本の家庭は明るすぎ、それになれてしまっているから、暗くすると何だか怖いと思う様になってしまったのだろう。
 以前のような白色電球の黄色い光ではなく、蛍光灯の白色の光に慣れたせいで、ご来光の黄色い光が懐かしく思えたのであろうか、何れにせよ太陽に近い光の方が我々には安らぐのではないだろうか。




 
 
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2017年09月12日

瀬戸の染付け柄

      古  代  柄
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 祥瑞とは、中国の崇禎年間(1628年ー1644年)明王朝末期に景徳鎮で製造された陶器、丸い紋を描きその中に花鳥風月を彩色、幾何学文様と合体した独特の染付け。

 青藍色の釉薬、素地は精白であり、この磁器を焼いたものであるが、こうだい内に「五良大甫」や「呉祥瑞造」と書かれていたことから、祥瑞と呼ばれる。
 一説には「呉祥瑞」、「五良大甫」は人物の名前であるとの説も有力、どちらが正解かは別にしてこの時代に製造された様式の磁器を祥瑞と日本では呼ばれている。

 この磁器は日本の茶人に好まれ、高級磁器として中国から輸入されていたが、有田で時期が製造されるとこの図柄を真似て盛に作られるようになる。SANY0624.JPG

 図柄も丸紋れんけつ模様でけでなく、日本独自の図柄も考案され、次第に日本様式の祥瑞が製造され、中国磁器に取って代わり、茶人たちの信頼を得ることになる。
 瀬戸の染付けは1770年以後急速に磁器製造が進行し、有田に追いつく技術開発がなされ、瀬戸でも磁器による染付けが製造開始されるようになる。

 そして図柄も丸紋よりは、額縁形式の文様が出来上がり、中国様式より幾何学模様も細かく、日本様式の祥瑞が完成、江戸後期から明治に入りこの様式が全盛となる。

 写真の鉢は、瀬戸で製造された祥瑞柄の染付け、丸紋でなく窓に山水が描かれ、幾何学模様も中国様式ではなく、少し形態の変わった物になっている。

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2017年09月11日

父親の形見

      懐  中  時  計 


SANY2954.JPG 父親が蒐集したものは色々な物があり、亡くなってあと4人兄弟で分けることに、それぞれが欲しい物を取ることにしたが、それは面白い結果であった事を思い出す。
 私の兄弟は其々に欲しい物を取って遺品分けをしたが、殆どが骨董品、その価値は本人たちもまったく分からず、私は最後でよいから上の兄弟に取る様に進めた。

 そして各々が好きな物を取った後、残った物を私が受け継ぐ事になったのであるが、残ったものは全てが古くて余りきれいな物は1つもなかった。
 しかし、残ったものは私から言わせれば、兄弟が其々に取った物より遥かに価値の高い物ばかり、それもそのはずで骨董品は中々見分けるのは難しく、骨董に経験がない兄弟は分からぬもの。
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 私が持ち帰った物の中に、この懐中時計が入っていた事に気が付いたのは数年後、母にその話をした時、父親が生前この懐中時計を修理しようと時計屋に持っていったが、修理できないと言はれ修理を諦めたと聞き、それではと早速修理する事にした。

 知り合いの修理屋に持っていったが、「今部品が無いので、部品さえあれば修理できるのだが」と時計屋の主人、仕方なく部品を探す事にしてあちらこちらに部品を探してくれる様に頼み回った。
 後日、頼んだ友人から電話が入り「部品が手に入ったから取りに来る様に」との事、早速部品を貰いに急行すれば、修理の安い所があるから時計を持って来るようにとの事。

 やっぱり持つものは友人であると感謝しつつ修理SANY2960.JPGを頼み、父親が修理できなかった時計を短時間で修理出来、私の手元に帰った来たが、以前の時計よりも遥か綺麗に磨きもかけられて、別の時計と思うほど輝いていた。
 早速母にその時計を見せれば、父親は「生前口癖のように何処か直してくれる所があれば」と言っていたよし、仏壇に供えて修理できた事を報告し家に持ち帰った。 
 
 大正期のスイス製ロンジンの懐中時計、アールデコ様式の薄型、父親の若い頃に流行の時計であったようで、大事に使っていたらしいのでキッチリ保管する事にした。
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2017年09月03日

ブリキの玩具オート

      乗り物は楽しい


SANY3437.JPG 子供の頃より乗り物には憧れがあり、一番初めに親父に買ってもらったと認識しているのが自動車であり、それからも自動車ばかりを買ってもらった思い出がある。

 少年時代はバイクに憧れ、どんな小さなバイクでも良い乗りたくてたまらず、友人のバイクを借りて乗ったのを覚えているから、やっぱり乗り物は良い。

 ブリキの玩具にしても動く物、特に自動車やバイクは、欲しい物の代名詞ぐらいに思っていたから、自分で帰るようになってからは、やっぱり乗り物を買い込んだ。

 前にも述べたが、親父から貰った自動車を未だに探し続けている事をみれば、幾つになっても子供の頃のSANY3442.JPG思い出は褪せなく、逆に益々強くなっていくような気がする。

 ゼンマイ仕掛けで動く乗り物は、その動きが独特であり、ぎこちなく動く物の方がおもしろいように思え、余り高級な玩具よりも楽しい物であると思う。

 写真のバイクは昭和40年頃の物、もう1つのアイスクリーム売りはその後の物であるが、このアイスクリーム売りの動きが実に滑稽であり、ブリキ玩具の傑作でもあると思う位。

 くるくると足を動かして円運動をする様子が、実にリアルで簡単な仕組みの物であるが、それだからこそ親しみやすくて、愛さずにはいられない。
 ブリキの玩具は単純でいて、それで動きがぎこちないのが良く、電動式のスムーズに走るブリキの玩具はSANY0611.JPG面白くなく、拘りだと言われ様が、ゼンマイ仕掛けに限る。
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2017年08月29日

ロボット

      少 年 の 憧 れ


SANY3426.JPG 子供の頃、雑誌「少年」、「マガジン」などに乗っていた漫画、その中にはSF物も多くあったが、その中に出てくるロボット、アトムや鉄人28号などのロボットよりも少し古いロボット。

 アトムや鉄人は高性能でより強く、人間味から少し離れているようであり、それより古いロボットの方が楽しめ、それでいて何処と無く「ノロマ」なロボット。

 そんなロボットに引かれてブリキのロボットを集めた事もあったが、今はアトムと鉄人と他1台になってしまい、やっぱり寂しくなり欲しいと思うようになった。

 そんな折に骨董屋で見つけたのが陶器のロボット、何気なしに持ってみたら軽い、その上実に良くロボッSANY3429.JPGトの風合いを出しているのに気がつきツイツイ買い込んでしまった。

 店の親父に何時ごろのものなのか質問したが、逆に「之は瀬戸で作られたものだから、あんたの方が知っているはず」とこれまた手厳しい言葉であった。

 しかし、私はこのロボットが何時ごろ瀬戸で製造されていたのか全く知らず、後日調べる事にしてロボットを家に持ち帰り、ブリキのロボットの横に置いてみた。
 陶器だからブリキのロボットと合わないと思いきや、これがしっくりと同居するではないか、銀色に光る陶器のロボット、実際のブリキのロボットでは銀色のものは無く、もっと落着いた色のロボットである。

 しかし、陶器で製造されているから、中々あの燻しSANY3434.JPG銀の輝きのロボットと比較する方がおかしい、このロボットは之でよいのでだと、余りリアルでは逆におかしいのかと思える。
 今では、ブリキのロボットよりも陶器のロボットの方が珍しく、其れ以来陶器のロボットにめぐり合ってはいないから、これが出会いと言うものなのかも知れない。
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