2018年05月21日

トレードマーク

      調査は慎重に

SANY6695.JPG 以前から時計に関する情報の一つ、トレードーマークについて色々と質問も多く頂いており、事有る度に説明を求められることが多く、私としても一番の関心事でもあるから、正確にと思っている。
 以前、明治村の伊藤さんが特許庁の時計部門の資料を詳しく調査をして頂いて、私が時計展を明治村にて開催の折にも、非常に役に立ってメーカーの分からなかったものが多く判明、展示がスムーズに行き大いに助かったもの。
 明治初期、日本には余り特許について感心が無く、ましてや自分の権利を確保するという申請には無頓着であり、逆に海外から他社のトレードマークを使用したとして提訴された事もしばしば。
 そんな事で、明治10年代後半からようやく日本でも自社の商標を申請して、特許を取得することが一般的となり、一挙に商標登録が激増するはめになる。
 しかしながら、まだ当時の人たちは難しい申請には自分で行えず、代理人を立てて申請をしていて、逆に現在それがネックとなり調査を難しくしている原因ともなっている。
 つまり、代理人が申請していて、実際の人が分かりずらくなっている事、実名であっSANY6702.JPGても会社の関係者であれば、特許を申請している事もあり、時計会社との関係が分からないことも多い。
 時計製造会社の代表者であれば、定款等で直ぐに判明するのであるが、其の他の人が申請している場合は、調査がしにくて中々判明しないことが多い。

 特に個人の名前で申請していると、会社名は全くと言って良いほど分からず、何処の時計製造会社の時計かも知れず、調査のしようがないものもある。
 事実、特許庁の認可のおりたものに、現在は何処の誰だか分らないものも多く、住所だけでは調査する事も出来ず、難題だらけである。
 当時の人物を名前だけで調査するのも難題で、申請して人と製造人とは違う事も、それだけ当時は拘らなかったと言う事か。
 今と違って当時は特許取得にはさほど拘らなかった事も、そしてもう一つが本人以外でも申請している事、やはり個人が拘らなかったものなのか。
 然しながら特許の申請件数は多くて、企業として特許を取得して宣伝に役立てた事は確か、他社との競争に利用した事に違いはない。
 
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2017年11月10日

カラクリ付き

      売り込み

SANY3961.JPG
 ある骨董屋から電話が入り、「カラクリ付きの置時計を買出し屋から買ったので買わないか」と云われ、どんな物だと再度問いかけると、店主「程度の良いものだから信用して」と云う。
 この店で古時計は何台か買ったことがあり、ソコソコ信用はしていたが、この世界は実物を見ないと何とも云えないのが現実、値段を聞けば安い。
 腹の底で「値段が安ければ失敗しても」と思いつつ、店主に「物を送って」と頼んで電話を切り数日後、自宅に荷物が届いたので中を検品。

 期待はしていないが、やはり少しは期待もして荷物を開けると、なにやら軽い時計が出てきたが、雰囲気が何だかオカシイ事に気がつく。
 包装紙の端に「チャイナ」の文字らしきものを発見、まずいぞと思いつつ手早く包装SANY4661.JPGを解く、出て来た物を見るなりガッカリ、期待はしていないと云うがヤッパリ期待していた。
 古いものを買うときは、自分の目で確かめて、自分が納得してから買わないと失敗の原因に、余程相手がその道のプロであれば信用も出来るのだが、大抵の場合はそうも行かない。

 その場で確認しなければ後の祭り、良くある事だが助平根性丸出しては相手のペースに嵌る事が多く、失敗のもととなる事が必定だと分かってはいる。
 今回も悪いパターン、チャイナの文字を見た瞬間悪い予感は的中、中国製の目覚まし時計が顔を出し、それ以上は開ける事をやめてその間々しまい込んでしまった。
 この時計、当時何処にでもあった置時計、中国製の目覚しでカラクリらしき物もついているが、安価で粗雑な造りをしている時計、チョットしたカラクリが付き、上のものはあしかが乗せているボールが回り、旗が動く仕組み。
 確かに値段も安いので損はしていないもの、期待しただけにガッカリ度が大きく、こんな事は良くある事で、別に驚く事でもないと思いつつ、やはり古時計は現物を自分の目で見なければ失敗するもの、何度も同じことの繰り返しとなる実例だと肝に銘じるが果たして。
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2017年11月06日

信濃古時計行脚13

   真田の地で

 
SANY4095.JPG 最近話題の真田、勿論真田幸村の事、大河ドラマで人気を博した幸村、まさしくここが上田の地である。
 テレビでより人気となり上田城は訪問者が多い、真田の人気はまだまだ健在のようだが、城は何度も行っているのであるが、そのすぐ傍に骨董屋の真田屋があり、前からよく通った店、古時計を多く持っていた所でもある。
 最近は余り目ぼしいものはないが、上田へ来れば訪問しなければ、中へ入ればやっぱり古時計が掛かっていた。

 ここで買った古時計が非常に珍しいもの、買った時はまだ駆け出しであったために、その古時計の珍しさが分からなかった。
 先輩たちに見せた所、中々手に入らない代物だと言われて気分が良かったことを思い出すが、それ以来ここで何台か珍品を買SANY4091.JPGったものだ。
 そなん真田屋を後に古時計を求めて再び市内を見て回る事に、勿論骨董店も回るが、それよりも買い出し屋の親父の所を回りたいのだ。

 彼らと仲良くできれば、情報も多く教えてくれるもので、何処そこにこんな古時計があり今度買い出して来るとか、あの業者がこんなものを持っているとか、色々な情報を教えてくれ、そのうえ安く古時計を譲ってくれるからだ。
 そんな事で彼らとは仲良く関係を保っているが、年配者が多く最近は代変わりも進んで来て、寂しい気もあるのだ。
 長い付き合いから信頼関係で保ってきたが、代変わりをすれば又一からのやり直し、それも時代なのか。SANY4075.JPG

 市内は全部回ったがやはり探し物はなくユーハンスやイングラハムのダルマはあった、しかし探し物ではなく郊外に古時計を求めて行く事に、先ずは海野宿や望月方面に進路をとる事にした。
 この辺りは買い出し屋の親父が居て、よく古いものを探し出して来ており、たまには古時計も買い出しており、それが又楽しみでもあるからだ。
 過去には珍品も数々あった事も、だから無駄足と思ってもつい足が向き、何かあるのではと期待してしまう。
 このままそちらに進めば諏訪方面、和田峠越えとなってしまい、松本に行けなくなる恐れ、しかし宿場も見てみたいと思いやはり海野宿に行く事に。
 隣で「海野宿や望月も何もないぞ」と悲観的、しかし「食べ物にはありつけそうだから良しとするか」と分からない事を言い出す。






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2017年11月03日

信濃古時計行脚12

   何もないまま
 
SANY3986.JPG 入れ込み過ぎて何も収穫がないまま上田市内に戻って来、友人「コーヒーでも飲まないと」言い出した。
 確かに朝から珍しくコーヒーも飲んでいない、小諸市内はコーヒー店も少なく、車を止めるところもないのだ。
 勿論この上田でも同じこと、何度となく訪れているが車を止めるのには一苦労、何せ道が狭いから大変だ。
 今日も朝から多くの店を回り、行く先々で店主とも話をして、情報も貰うがあまり良い成果はない。

 長年付き合ってきた店主とも「何かないのか」と、聴いて見たが収穫らしきものは何もなしの状態、やっぱり今日は入れ込み過ぎか。SANY3977.JPG
 駅前のみすず飴本舗に行きコーヒーを飲むことに、駐車場に車を止め店内に入る、ここはコーヒーも飲めて古時計も見学できるが普通の人はやらない。
 ここは以前から良く通った店、店主の趣味で店内には古時計が展示してあり、これを見学する事が目的でもあった。
 2人して店内の展示してある古時計を見ながら、これからの行動を検討するが、何せ古時計は何処に何が出るかは運次第。
 縁起の良い上田であるから良い物に出くわしたいが、そんなに上手く行かないのが古時計探しである。

 残るは小諸と同じく北國街道沿いの店を探索する事になるが、果たして古時計が存在しているものなのか不安でもあるが、先ずはコSANY3991.JPGーヒーを飲んでゆっくりと検討、店は買い物客で賑わっているが我々は古時計を観察だ。
 すると友人が「今日の晩飯は何処で食べる」と聞いて来た、「やっぱり今日は郷土料理が食べたい」と答える。
 友人ニヤリと笑い「駅前の何時もの店か」と再び問いかけてるが、その答えは「何処に行こうか」とお茶を濁した。
 2人とも腹の中では行きたい店は決まっている筈、だけど一応は腹を探っていると思っており、お決まりの文句でもある。
 みすず飴本舗を出て北国街道沿いの店に行き、探索すれど欲しいものはないので今日は探索打ち切りにして宿に行く事にした。
 今日も上田市内のビジネスホテル、外で夕飯を食べる事になるが、2人の意見が違い何処に行くやら、それが又この旅のもう一つの目的でもある。


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2017年10月31日

信濃古時計行脚11

   北國街道

 SANY4001.JPGここは骨董屋が四軒かたまっている所、順に見ていけて便利が良いが車を止めれないので歩いてしか行けない。
 今日も暑い日、夏と変わらない位に暑い日になっており、歩いていても汗が流れ出る事に、友人が「何でこんなに暑いのか」とブツブツ、確かに暑いが古時計を求めて歩くしかない。
 簡単に手に入ってしまえば感動もないし記憶にも残らず、手に入れたとしても楽しくはないものとなる。
 そんな思いで良い古時計はないのかと探索開始、この界隈は雰囲気も申し分ない所、古い建物が集中している。
 特に骨董屋は古民家、その上歴史のある店ばかりで面白い所でもあり、何か良い物がありそうである。

 そしてもう一つが旨い蕎麦屋が二軒あり、行き付けの蕎麦屋も、食べる事は後にして順に店を回る事にした。
SANY4022.JPG
 しかし店構えに迫力があり、知らない人は一寸入り辛い、一見さんでも気楽に見せてくれるが、そこは気合が必要。
 店構えに圧倒されて入らない人に多く、店の外から覗くだけ、しかし覗くだけでは見つからなく、やっぱり気合で入って欲しい。
 店の主人も一見さんが来ることは拒ばないと思うし、気楽に挨拶をして見せて貰う事、挨拶もなしに行くからまずい。
 気楽に挨拶をすれば快く見せてくれ、その上探し物があれば聞く事、知ったかぶりは禁物、あくまでも素人だから。
 それにしても歴史のありそうな店構え、店だけでも骨董だと思いつつ店の中に、主人に挨拶をして古時計はないのかと尋ねてみる。
 店には一台の古時計が掛けてあり、良い物は中にあるのではとSANY4048.JPG聞いてみたが、店にあるだけだと言う。

 最近は古時計も出なくなり、探す人も少ないからと、確かに数は少なくなったことは事実、
その上ネットで見つける人が多い、だから店に来ないとも言うのだ。
 何だかんだと言いつつも四軒の店を回ったが収穫はなし、ムード満点の店を回り満足感を味わった。
 やっぱり雰囲気は大事な要素、幾ら良い物が置いてあっても雰囲気がないと、それは私だけかもしれない。
 その後、丁子屋で蕎麦を食べ、今日も古時計を求めて店回りをすることに、さてさて何が出て来る事やら。

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2017年10月28日

信濃古時計行脚10

   久し振りに

 
SANY3972.JPG 小諸城は懐かしい場所でもあるのだが、そこは城跡ではなく蕎麦屋、門を入ってすぐの蕎麦屋がそこだ。
 この蕎麦屋は若い頃、幾つもの古時計を手に入れた所、初めてこの蕎麦屋で古時計を見つけた。
 当時は店に入って右手の壁には何台かの古時計が掛けてあり、話を聞けば店主曰く「ここ等辺りの旧家で見つけて来たもの」と言っていた。
 まだまだ沢山の古時計がここ等辺りは存在すると言うのだ、そしてほとんどが貰ったものだとも言う。
 そんな古時計が気に入り、店主に何度か交渉して無理言って何台も譲って貰ったのが、現在の古時計蒐集する起爆剤となった事は確か。SANY3961.JPG
 親父さんは「あんたが余りしつこいので熱意に負けたが、貰ったものなので本当は譲りたくなかった」とも言ったことが今でも頭に残っている。

 久し振りに訪れてみると、店には古時計は一台もなく、店主も代変わりしており若かった。
 壁には寅さんの写真が一杯で、昔の面影はないが店の佇まいは昔のまま、やっぱり懐かしい場所、若い頃がよみがえってくる。
 蕎麦を食べながら、あの当時の事を思い出し、あらためて壁を見ればこちらを寅さんの写真が見ているので、何だか恥ずかしい思いだ。
 そんな事で蕎麦を食べ、思い出の小SANY3935.JPG諸城址を散策、頭の中は若い頃見た景色のまま、久し振りに藤村の千曲川スケッチの碑を見る。
 何だか昔の受験勉強を思い出し、この詩を暗記したことを思い出すが、今でも完全に覚えているのもおもしろい。

 懐古園を後にして市内の行き付けの店を何軒か回るが、これと言った古時計は見つからない。
 縁起の良い土地であり、何かないものかと探し回ったが結果はゼロに終わり、さてどこに向かうのか2人で思案する。
 結局北国街道沿いの店に行き、ジックリと最後の探索をすることにしてそちらに向かう、しかし現地は駐車場がなく、徒歩で行く事にした。
 歩いてもそんなに遠くはないのだが暑い、今年は何でこんなに暑いのか、汗を流しながら最後の店回りだ。






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2017年10月24日

信濃古時計行脚9

   鳩時計が目につく

SANY4060.JPG 久し振りに来て直ぐに鳩時計に目が行き、その中にドイツ製のものが2つ、程度はまあまあなものだ。
 店員さんに言葉をかけ機械を見せてもらうが、一つはジャンク品でものにならず、もう一つがそこそこ良いもの。
 じっくりと見る事に、側の状態も悪くはないが、問題は値段で店員さんに交渉しても無駄と思い、「責任者にこの時計の値段を聞いて」と言えば、店員さん書いてありますと言うのだ。
 よく見ると確かに小さな字でシールが貼ってあり、9000円とうっすらと見えるが、これでは高い値段である。
 「責任者に電話してください」と再度頼むと、チョット待ってと事務所に入って行き、電話をしている様だ。

 すると店員さん「電話に出てくださSANY3913.JPGい」と言って受話器を渡してくれ、「話してください」と言うのだ。
 やはり前と同じで店員さんには決定権はなく只の店番、受話器を取り電話で話をすると、向こうから「あんた前買ってくれた人」と親父の声、私の事を覚えているので「そうです、この時計4000円にならない」と問いかけてみた。
 親父「5000円なら良いです」と又渋い、あと少しまけろと言って4500円で決着し、この時計を買い込んだ。
 相変わらず親父も厳しいが、そんなやり取りを聞いていた店員さん、「お宅等プロの商売人」と聞いて来たのだ。
 普通の人はそんなに値切らないよと、確かにそうかもしれないが、これもゲームのうち、ほかの人には分からないかも。
SANY3916.JPG
 その後、2、3軒店を回ったがめぼしいものは見つからず、友人が「今日の宿は何処だ」と聞いてきた。
 前から気になっていた所、初めての所だが見に行くかと布引観音に向かう事に、何故かいと言えば今日の宿はその布引観音のすぐそばだから。
 前から泊まりたいと思っていた所だが機会が無くて、今日初めて泊まるために布引観音を見てついでに宿を見るため。
 以前は布引観音は小諸城から見渡せたが、最近は木が大きくなり今は見えなくなってしまい、小諸城の対岸にある。
 あの善行寺参りの(ウシに引かれて善行寺参り)と言われる発祥の寺、寺の布が牛の角に引っ掛かり、老婆が引かれて善光寺まで行く事になったらしい。
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2017年10月21日

信濃古時計行脚8

   今日は期待している

 SANY4054.JPG昨日は収穫ゼロ、期待はしていなかったが何もないとなると、やっぱりガッカリするし疲れがたまる。
 今日は何時も収穫がある地域、特に上田と小諸はラッキー地区、今までに何度となく珍品を手に入れ所。
 特にその中の2軒は私にとっては縁起の良い店、だから今日は期待して良い筈、しかし期待しすぎると良くない。
 今日は佐久から順に上田まで攻める事にしているが、一番遠い所から先に行く事にして、私がハンドルを握る事にした。
 頭の中では清里の手前まで行き、そこから順に前行った店をしらみつぶしに訪問しようと考えている。
 どれだけ回れるかは分からないから、古時計が無かったら無駄話はしないと、しかし話好きな親父も多いから気を引き締めて行く事に。
SANY4065.JPG
 高速で佐久インターまで行き、高速を降り国道141号を佐久穂町まで、ここの買い出し屋の親父の所が一番初め、過去に何度か珍品が出た所、まっしぐらに現地に直行、しかし何もない。
 何の収穫もなく国道を佐久に向けて戻り、二軒目の親父のもとに、この店もかっては良いものを手に入れた所、期待したがやはりここも収穫なし。

 隣で「今日は期待し過ぎで入れ込みし過ぎだ」と友人、確かにその通りかも知れない、入れ込み過ぎているときは過去に良くない結果だったと反省しつつ前に進む。
 佐久市内を回ったがやっぱり収穫が無し、以前の事が頭にあり期待していたが、期待外れとなったようただ。
仕方なく国道を小諸に向けて走り、これも何時も立ち寄るリサイクルショップに行く事に、この店は常に古時計を多く持っており、もう30年近くになSANY2261.JPGると思うが今も営業している。
 バイトのおばさまが店番しており、値段の交渉が中々難しく、電話で店主とやり取りしなければならない店でもある。

 久し振りに中に入れば案の定多くの古時計が掛かっており、気分的に何故か安心するのは何故だろう。
 別に驚くほどの良い古時計がある訳ではないが、何故かしら多くの古時計を見て安心するのも今までの反動かも知れない。
 この店はリサイクルショップで店内が広くて、何処に何があるのか分からないが、そこが又面白い所、壁に古時計がずらりと掛けてある。

 





 

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2017年10月18日

信濃古時計行脚7

   やっぱりあった

 
SANY3891.JPG 物置で汚い古時計を一つ一つ見て行く、そして一番下にあった時計の扉を開けた瞬間、文字盤に扇子のマークが目に飛び込んで来た。
 まさかと思いつつジックリと見るもやっぱり倉知時計のマーク、辛抱して探すものだとこの時確信したのだ。
 この倉知時計で2台目、以前に探し出したものより状態が良く、ここで見つけるとは思ってもみなかった。
 友人「お前の顔を見れば直ぐに分かった」とニヤリ、親父に幾らだと聞けば、何時も通り値段を言えと、「4000円」と一言、それで決まりだ。
 気が付けば4時近くになっており、親父の店を慌てて出、蕎麦を食べに「にしざわ」に行く。

 車で10分もかSANY3902.JPGからずに到着、閉店きりきりで間にあい、早いが晩飯を食べる事に、友人は私が降りるより早くおり店の中に入る。
 二人共何時ものようにざる蕎麦をたのみ、後は鴨ざるをたべて終了、ホテルへ直行して部屋に入る。
 大きな風呂に入って一休みしてから、また近くのラーメン屋に行く事にしたが、ここで意見が分かれ、醤油派と豚骨派に、勿論私は醬油ラーメン、店も決めているのでそちらに行く事にした。
 友人、「仕方がないからそちらの店に行くか」と後からついてくるので、「お前は好きな所に行け」と言うと、「一人で行ってもつまらない」と同じ店に行く事に。

 今日は収穫があったから、出足はどうなる事かと思っていたが、結果は良しとなり、明日何処に行くのかと二人で相SANY3905.JPG談、一応須坂方面と言う事になる。
 しかしハンドルを握る者に優先権があり、果たしてそのようになるのか、明日次第である。
 今日は先に友人の運転、何やらまた昨日行った方面に走り出し、真田屋敷に行くと言い、車はそちらに走り出した。
 20分もしないうちに目的地に到着、その後海津城に行き満足げな友人、進路をやっと須坂方面に修正して走り出した。

 その後須坂、中野、飯山とまわれども何の収穫もなく、走行距離だけ伸び、上田が今日の宿泊所、方向を転換して上田方面に進路をとる。
 今度は私がハンドルを握っているから、今日の晩飯はこちらが決める事に、久し振りに駅前の郷土料理を食べに行きたい。
 帰り道、更埴の買い出し屋の店に立ち寄り、何かないのかと物色すれど何もなし、今日は収穫ゼロである。





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2017年10月15日

信濃古時計行脚6

   行き先は運転手

 
SANY4160.JPG 我々のルールは運転しているものが優先権があり、その者が行き先を決める仕組み、暗黙の了解事項である。
 今までこれでやって来たので当然今回もそのルールで、だからこの男「にしざわ」に目標を置いている。
 買い出し屋の家は通り道、別にこの男の頭には買い出し屋なぞどうでもよく、今は蕎麦の事で頭が一杯であるはず。
 案の定、買い出し屋の家に着いても車から降りようとしないので、中に入らないのかと聞けば、「どうせロクな物はないはず」と中に入ろうとしない。
 仕方なしに一人で家の中に入るが、挨拶をしても誰も出てこないので、何時ものように裏の物置に行く。SANY4217.JPG
 やっぱり親父が荷物を整理している所、相変わらずガラクタの山、そして何処に何があるか宝探しだ。
 挨拶もそこそこに勝手に古時計を探しまじめるが、親父「ダンボール箱にも入っているぞ」と教えてくれた。
 勝手知ったる物置小屋、次から次へと段ボールをあけて中を確かめるが、数が多くて中々見つからない。
 すると親父が「そこの前にあるダンボールを全部どけろ」と指図して来た、仕方なしに親父の指示通りダンボールをどければ古時計が出てきた。

 2、30台の古時計が山積されておSANY4157.JPGり、見た限りでは部品のないものが多いようだが、何が出て来るか分からないのがこの様な光景だ。
 ここの親父は整理しない事でも有名、買って来た時のままの状態で置いてあるから、そこが又良い所でもある、変に手がかけてないから。

 降りてこない友人を呼びに行き、2人して古時計を見て回る事に、その姿を見て親父は「お前たち相変わらずだな」と、しかし我々は何か良いものをと一つ一つ振り子室の扉を開けて確かめる。
 置いてあった時計は全く手は掛けてないようで汚い、その上部品のないものも多くて、状態の良いものは少ないのだ。
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2017年10月12日

信濃古時計行脚5

   安いから買えと

SANY3873.JPG 善光寺の門前町の骨董屋の親父、「折角寄ったのならこの時計買って行け」と言うが値段が合わない。
 勿論まだ値段も聞いてないが、こちらが欲しいと言えば必ず高い値段を言うに決まっているから、こちらからは買うとは言はない。
 極普通のどこにでもあるイングラハムのダルマ、此方から切り出す事もしないので結果はそのまま店を出る。

 すると友人「親父、今日は何だか押してこないな」と言う、確かに彼の言う通りだがSANY3881.JPG親父も分かっているはず、すんなりと我々が買うとは思っていないから。
 これから行く先で何も買えなかったらまた来れば良い、今日はこれで良いのだと友人に伝えると、「厄払いするか」と言い出す。

 すぐ近くに川中島があるから、そちらに行って「信玄のように考えてみるか」と訳の分からない事を言っているが、腹が見えたようだ。
 それは後にして今は運転手に任せて川中島に行く事にしたが、今日の宿は市内のビSANY3886.JPGジネスホテルだから遠くに行かない事に。

 川中島に着き厄払いのため神社に、久し振りに来るが何だか整備されたよう、前よりも綺麗になっている。
 信玄と謙信の銅像は昔と変わらず、堂々としており、戦の模様が肌で感じられるよう、気を引き締めて厄払いのためお参りをする。

 彼奴がここに行こうと言い出したのは近くに翁グループの「にしざわ」があるためだと分かっていた。
 今日はここで夕飯をするつもりだともお見通しだ、案の定、近くの買い出しやに寄ってから「にしざわに行こうか」と切り出して来た。



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2017年10月09日

信州古時計行脚4

   やっぱりあった

 
 SANY4013.JPG少し遠回りはしたけれど無事善光寺の門前の親父の店に到着、早速中に入れば目の前に古時計発見。
 珍しい古時計ではないが、何故か安心するのは何故、良い古時計に巡り合っていないと、普通の古時計でもとても良いものに見えて来るから不思議、ごみだめの鶴の如く見える。
 それもこれも今日は当てが外れているから、心理状態が不安定、そんな時には良いものに見えてしまうのだと思う。
 親父が現われ、「何だあんた達か」と無愛想な顔、何時もの事だがぶっきらぼうの応対であるが、これが逆にSANY3989.JPG愛想よくされれば気持ちが悪い。

 しかし、ここでは欲しそうな顔は禁物、それをすれば親父の思うつぼ、高い買い物をする羽目になるからだ。
 親父は我々が柱に掛かっている古時計を見つけている事は承知しているから、こちらの動きを見ているのだ。

 前回も石原町の古時計を買うのに散々苦労したので、この親父は警戒しなければ、しかしそれがまた楽しいのだが。
 古時計などは駆け引きをしなくて、すんなりと手に入れば面白くもなんともないものなのだ。
 特にこの親父のような人とはDSCN1295.JPG、その駆け引きを楽しむのも楽しみの一つ、ゲームみたいなものである。
 勿論相手もそのつもりで応対しており、それがお互いに出来なければ、やはり面白みに欠けるのだと思う。

 柱に掛かっている古時計はイングラハムの金達磨、ごく普通の古時計だが、そこはゲームを楽しまなければ。
 店の中をぐるりと見渡し、「何にもないから又来るわ」と親父に告げれば、親父「そこに掛けてあるのが目に入らないか」と水を向けて来る。
 すかさず「何処に古時計があるのか」と惚けて見せると、親父「またまた惚けて、あんたにはかなわんわ」と。
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2017年10月06日

信州古時計行脚3

    月と仏とおらが蕎麦

 
SANY3857.JPG 田毎の月と言えば一茶、近くに長楽寺があるはず、そこに行くことにしたが道が細い、農道に矢印はあるのだが。
 山の上からでも長楽寺は見えているが、そこに行く道が少し狭くて、やはり遠回りした方が良いと考えて迂回する。
 ほどなく長楽寺に着き、駐車場に車を止め境内に入れば右手に観月堂、そして上に行けば月見堂があり田毎の月を見られる名所となっている所。
 ここは文人墨客が多く訪れたところ、境内には多くの歌碑が建っており、芭蕉の句碑もあり多くの人が訪れている。

 そんな長楽寺を見学して国SANY3863.JPG道に出る、何時もの店に直行して店に入るが時計らしきものはなく空振りに終わる。
 更埴にある買い出し屋の家に行くことにし国道に出れば大渋滞、のろのろと少しづつしか進まずイライラする。
 こんな状態だと先が思いやられ、良い兆しではない事にイライラ、そんな時は良いものには出くわせない。

 すると運転手、コヒーでも飲まないと余計イライラすると店を探せど見当たらず、「これは幸先が悪い」とブツブツ言い出す。
 運転主、「翁の蕎麦は食べれないし、さっきの店は何もなし、やっぱり先が思いやられる」とまたブツブツと独り言。
 今までのジンクスでは一番悪いスタイルだと、今日のSANY3994.JPG状態を分析しているようだが、まだ先は長いのだ。

 そして二つ目の店に到着、ここは何時も古時計が置いてあるところ、何か良いものはと中に入ると一台の壊れた古時計を発見。
 二人目を合わせてやっぱりダメだと、何時もなら数台の古時計があるはず、しかし今日は見当たらない。
 これでは今日の収穫はないのかと、そんな思いで店を出、長野市内へ入り行き付けの店屋に行く事にした。
 善光寺の門前にある店、親父と幾度となくやりあっている因縁の店、あそこなら古時計がない事はないと気を引き締める。

 


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2017年10月03日

信濃古時計行脚2

    またまたジンクス

 
SANY3840.JPG 「それ見ろジンクスの始まりだ」と隣で息巻く一人、ツイさっきまでは「最初は安曇野翁だ」と豪語していたのに。
 現金な奴が隣、その上「翁で食べれないと分かると急に腹が空いた」と勝手な言い草をブツブツと言い出す。
 これは二人共、安曇野翁の定休日を勘違いしていただけの事、月曜日は定休日で第三火曜日も定休日、それを忘れていたのだ。
 しかし二人共認めたくない為に責任のなすりあい、結果は何処かで蕎麦を食べるしかないとの結論、しかし何処かが問題。
 ハンドルを握っている者が決める事に、方向は長野市に向け車を進めるが、二人とも長野市まで腹が持たないので何処で妥協するかまた問題だ。

 何時もの事だが、店を選び過ぎて蕎麦を食いはぐれる事も、そんな事のならない様に二人共無口になる。SANY3836.JPG
 国道沿いのそれらしき蕎麦屋に運転手が車を止め、ここで妥協するかと言い出したのだ、こちらも腹が減っているから無言で車を降りる。
 店に入れば地元の人で満員、これは当たりかもと顔を見合わせ席に着く、しかし中々注文に来ないのでイライラする。

 やっと注文に来た店員さん、我々の顔を見て新参者だと直ぐに分かり、「ごめんなさい常連さんは自分で申告に来るから」と。
 早い話、常連さんばかりなので、注文は勝手に申告してくると言うのだ、それがここでのルールみたいだ。
 ざる蕎麦を注文して席に着き、二人でどんな蕎麦が出た来るのかとひそひそ話、さてどんなものが現われるのか。
SANY3845.JPG
 持ってこられた蕎麦は更科蕎麦、細くて白い蕎麦、想像に反して旨そうな蕎麦の登場、早速蕎麦をすすり込む。
 蕎麦の香りが鼻に抜け、思った以上に旨いがつけ汁が今一、出汁の香りが良くないのと、少しからめの付け汁、二人共好みでない汁だ。

 食べ終わって店を出ると、目に飛び込んできたのが「田毎の月の看板」、二人で顔を見合わせ、そちらに向かう事にした。
 車で20分くらいで着くがイメージが湧いてこない、暑いせいでピンと来ないので、日陰で風景を見る事に、しかし景色は最高。
 

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2017年09月30日

信州古時計行脚

    久し振りに

 
DSCN1945.JPG 少し間が開いたが信州古時計行脚をしたくなり、ぶらりと出かける事にしたが、何に出くわすかは分からない。
 何時もの事だが目的はその場限りのあなた任せ、その時のひらめきが左右する旅、頭の中で決めるもの。
 最近は感が鈍くなったせいか中々良いものに出くわしていないのも実状、これも時代の流れなのか、それとも歳なのか。

 古時計も最近は持ち直したよう、若い人たちも関心を持つようなになった由、うれしい事でもあるのだと思う。
 会員さんにも若い人が参加、年配者と意見交換もして喜ばしい限り、先の希望も繋がったような気がする。
SANY2856.JPG
 そんな事を思いながら信州に向けて旅の始まり、とは言え古時計ばかりを探すのではなく、やっぱり蕎麦が主でもある。
 主であると言うよりもそれが目的でもあり、先ずは翁グループの店を回るのが目的、信濃方面には4軒の店がある。

 この店を食べて歩くのも目的の一つ、一つと言うよりもそれが主なものと言え、微妙に違う蕎麦を味わうのだ。
 2人して真っ先に行くと決めた店は安曇野翁、ここの蕎麦を食べずして信州へ行く価値がないとも思っている位。
 今回は安曇野翁に直行、その間にあるSANY2858.JPG店は帰りにジックリと見る事にして、兎に角翁のぞばを食べたい。

 隣で今日は休みと違う、確か火曜日が定休日かなとブツブツと言っているが、そんな事は何時もの事である無視して進む。
 安曇野翁に到着すれどやっぱり暖簾がない、「それ見ろ休みだ」と隣で喚く、そんな筈ではないとガッカリ、案の定定休日、3時間も走って来たのにこのザマ。
 藪原でおぎのやに行っていれば蕎麦は食べれたのにと2人してブツブツと車に乗り込む。



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2017年02月18日

目標は1つに

      古時計蒐集禄


SANY0866.JPG 時計愛好家から良くある質問に、珍しい時計を集めたいが、どおすれば良いのかと言う質問、質問の中でも1番多いものだ。
 確かに珍しい時計は誰しも手に入れたいのは人情、私もその1人であるから人にとやかく言えるものではないが、やっぱり同じ考えでもある。
 珍しい時計と言っても色々とある事は確か、どれが珍しいと思うかによって分かれると思うが、人其々であるから一概には言えない。
 誰しも認める珍しい時計はそんなに有るはずがなく、少ないから珍しい、珍しいから欲しがるが物が無いと、矛盾しているところが珍品時計でもある。
 初めて時計を蒐集し始めの人も、ベテランの蒐集家もそれぞれに欲しいものがあり、それは目標を持たないと大変な事になる。
 何故ならば古時計は数が多く、新しい物から古いものまで千差万別、あたりかまわず珍しい時計を求めても手に入るはずが無いのだ。
SANY4546.JPG 私の経験上、今までに珍品と言われる時計の殆どが、偶然の産物である事、その時は欲しくて手に入れたものは少なく、出くわしたから手に入れたもの。
 それが後になってから珍しい時計と分かっただけの事、それを目指して求めた物でないから、質問の内容にもよるが答えは的を絞るしかないと思う。
 今だから言えるが、私は若い時からお金が無かったから、高い時計は手に入らないと思い、人のやらない国産の時計に目標をおき、安くて面白い時計を求めたもの。
 特に八角の掛時計、それも有名な製造元ではなく、地元名古屋で製造された時計、これが安かったから自分でも買えたもの、安いから買ったのだ。
 その中に偶々、今となっては珍しいと分かった時計も幾つかあるだけの事、自分にあった目標を早く見つける事こそ、1番の早道と言えるのではないだろうか。
 DSCN1979.JPG古時計の原点と言える八角の時計、マダマダ珍品といえる時計が潜んでいるから、私はこれからも八角の時計を目標に探すつもりです。
 目標を絞る事こそ、目的を達成させる1番の早道と思う、やっぱり自分自身で、これと思う時計を目標に定める事こそが、早く答えが出ると思う。
 しかし高いものは買えないから、地道にコツコツとやるしかないと、そんな思いで今日も古時計を探してさまようのだ。

 
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2017年01月09日

前の文献

   記録のはざま

 

 DSCN1983.JPG古時計を研究していると色々な事実に出くわす事が多く、その時の驚きと共に新鮮さを感じてならない。
 今までにも多くその様な事実に出くわし、その都度感激した事を覚えているが、その一つが中條勇次郎に関する事項。
 愛知県史作成時に林市兵衛の申告書、もちろん愛知県史の中の時計史についての記述、林市兵衛は中條勇次郎より先に西洋時計を完成させたとしているが。
 色々な文献を見ている内に面白い事が発見され、林市兵衛の申告書が、その事実と違っている事も立証できたのだ。
 林市兵衛は自分が西洋時計の元祖であると申告、苦心惨憺して結果量産出来うる時計を完成させたとしている。
 これは中條勇次郎よりも先に自分が西洋時計を造り出したと主張しているのだが、その根拠として記述される日付を見ると面白い事が分かった。DSCN1987.JPG
 林市兵衛は二代目中條勇次郎より申告された書類の記述で示されている日付よりも、常に先に自分の方が西洋時計を早く完成させたとしている事。
 例えば中條勇次郎が明治15年に西洋時計を造る事を始めたとしているのに対して、林市兵衛は明治14年に始めたとしている。
 また時計完成させたのは中條勇次郎は明治18年としているが、林はそれ前に完成させたとしている事。
 その他、細かい点においても、常に中條勇次郎が申告した期日よりも先に記述されている点、そして完成後の事についても述べられている。
 つまり中條勇次郎が製作した時計は未完成のものであり、時盛舎を設立してから製造を開始したが中條勇次郎の完成させた時計は不完全で調子が悪かったと。
 その為に自分が苦心してそれを改造した完成させたと言うのだが、当時は中條勇次郎も時盛舎に居て、                  えんかくし.jpg
共に時計製造に携わっていたが2年で退職している。
 林市兵衛と経営方針が合わず、また製造に関しての摩擦が大きくなり岡崎に帰り時計商を再開、新たな時計製造に取り組み明治32年に亡くなる。
 一方林市兵衛は着実に時計製造が軌道に乗り、時盛舎から林時計製造会社にと発展を遂げ、県議会議員となる。
 その後に愛知県史がつくられるが、林市兵衛は県議会議員の立場を利用して自分の記述通りに県史に記載したのだ。
 後に水谷駒次郎は、当時の状況を振り返り中條勇次郎の業績が打ち消されたと言っているが、世間では全てが林市兵衛の業績となっている。
 現在でも林市兵衛の記録を優先して伝えているが、史実は違っており、私も文献でその事を伝えたが、学者の一部はこの事を認めて林市兵衛の記述を削除している。
 しかし、現実はまだまだ改善されていなくて、中條勇次郎の業績は林時計の林市兵衛であると思っている人が多い。SANY8540.JPG
 最近ある学芸員が林市兵衛について書いた記事にも、全く以前の林市兵衛の記述通りに書いていたが、自分で研究せずに簡単な文献を参考にして記事を書くと、この様な間違いをする。
 少なくとも学芸員ならば、もっと細かな資料を参考にしなくては良い記事は書けないと思うが、そして事実を把握したのちに記述すべきであると思う、新たな文献があるのだから。
 簡単に手元の文献だけを見て書くから、訳の分からない文章となっており、学芸員の恥をさらしているようである。
 愛知県史にも記載されている時計史を、もっと深く研究して欲しいものだと思っており、愛知の時計史を深く掘り起こして欲しいものだ。

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2016年11月20日

古時計の修理

    めんどくさい

 
 DSCN1576.JPG古時計を多く所有していると故障は避けられないので、仕方がない事と諦めているもの、しかし直さなければならない。
 今時修理代もバカにならないので、自分で直せるものは直しているが、面倒である事は仕方がない事である。
 時計屋さんに修理して貰えば良いのだが、修理代もバカにならないし、古時計の数が多いと大変で、簡単な修理は自分で直す事にしている。
 古時計を集め出してから、故障している時計を直して来たが、修理代がかかるから自分で直して来たのだ。
 難しい修理は出来ないが、簡単な修理であれば見様見真似で直して来たので、大抵の故障は挑戦しているのだ。
 以前は機械を全部分解してから組立ていたが、最近では目も悪くなり、分解はしていないが、軽い故障は直す。
DSCN1574.JPG 古時計にも色々な種類があるから、面倒な機械も多くあり、なかなか自分で直す事も大変な作業である。
 特に部品の多い古時計は面倒な事が多くあり、修理する時もイライラの連続で、今はそれが苦痛となっているのだ。
 歳は取りたくないもの、最近は老眼もひどくなり、見にくい事ばかりで作業が中々捗らないのである。
 その上根気がなくなり、メンドクサイ作業がやり辛くなってしまい、修理を諦める事も屡々起こる事になる。
 色々な古時計があるが、メンドクサイ修理に鳩時計があり、この時計はやたらと付属品が付いている。
 鳩時計はふいごで音を出す仕組みの時計、その上ドイツの郭公時計は時うちの鐘と鳴くふいごと二つ付いているのだ。
 時打ち用の鐘はそんなに面倒ではないが、ふいごがまず邪魔なもの、ふいごを外さないと機械の修理が出来ないからだ。DSCN1715.JPG
 しかしこのふいご外す時も面倒で、アームが付いているから、このアームから外すが、無理するとふいごが破れてしまう恐れがある。
 その為に慎重にアームを外すのだが、これが中々抜けないで手こずらせ、時間が掛かってしまうのだ。
 簡単な様でやって見ると良く分かるがめんどうな作業となり、イライラさせられる事になるもの。
 何時もここで時間が掛かり、修理前から苛立つ事に、これが二つ付いているから尚更イラつく事になる。
 これも自分で修理して見ないと分からない事、やっとふいごを外して機械を修理しようとするが、今度は鳩が邪魔をすることになる。
 DSCN1716.JPG鳩時計であるから鳩が付いているが、仕組みは簡単であり、別に難しくはないが、鳩と扉が連結しているのだ。
 その為に連結している針金を外すが、これも意外と面倒で直ぐには外れないから、ここでもイライラがはじまる。
 簡単な作業ではあるが、金具が外しにくいので手間もかかる事になり、思わぬ所に時間を費やしてしまう。
 鳩時計は面倒な時計で、修理には忍耐が必要であり、中々手強い時計であると思う、それは私だけであろうか。
 何にしても直さない事には動かないから、今日も面倒な作業が続く、仕方がないことかもしれない。
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2014年11月24日

蚤の市巡り

      相性がある

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 蚤の市、全国各地で開かれているのだが、最近は少し下火になってしまったような気がするのも不景気なせいかも知れないと思っている。

 景気は回復傾向にあると言われているが、まだまだ実感がわいてこないのが実状、景気回復と同時に物も多くなのと言われるが、まだその様な状態ではない。

 蚤の市を巡っていても、行く先々で景気の話になると、皆が首をかしげるしぐさをするのは、やはり回復していない証拠、早く回復して貰いたいものだ。

 以前のように面白いものが多く出回っていた時のように、ワクワクして出かけたいと願っているのだが、果たして何時になることだろうか。

 そんな気持で最近も蚤の市巡りをやっているが、めぼしいものは見つかっていない現状、何処の蚤の市に行っても古時計の数が少ないと思う。

 店の主人に聞けば、扱う業者も最近は時計が出なくなったと言うが、物がない訳ではなく、古時計の値段が安いから持ってこないとも言うのだ。
SANY0564.JPG
 昔仕入れた古時計は値段が高かったから、今売っても損するばかりだから持ってこないとも言うのだ、確かに依然買い込んだものは今の値段よりも高かった事は確か。

 これは古時計に関わらず、どんな代物でもいえる事、流行、スタリがあるのもこの世界、流行が去ってしまえば値段も下がるし、物も出てこないのだ。

 ある店の親父は、古時計は沢山持っているが、今は買う人も少なくなったしまい、此方の値段と合わないので、仕方なく今は我慢して持っているのだとも言うのだ。

 確かに主人の言う事も一理あり、仕入れた値段よりも現実の古時計の相場は安い、これでは売ろうとする気になれないと、そんな気持ちも良く分かる。

 以前は大きな蚤の市に行けば、古時計はより取り見取りといったような状態であったのが、現在は探さないと古時計が見当たらない位に少ない。

 しかし、店主が付け加えたのは、珍品の時計はこの様な状態の中でも、相変わらずに高い値段で取引されているし、又余り出て来ないから、やっぱり引っ張りだこだと言う。

 SANY0602.JPG蚤の市は値段も安く、珍しい物が手に入ることでも人気の場所、何か良い物が出ているのではと言う期待を持たせてくれる場所でもあり、楽しい場所だと思う。

 そしてもう1つが、蚤の市に出している店主との相性、これが意外と難しいものなのだと思う、お互いに商売だと思っているが、相性によって気分良く買えない事もある。

 幾ら商売でも、相性までピッタリと合う筈がなく、欲しいものがあっても店主との相性が合わなくて、折角の物が買えない事もあるので、相性も大事な要素だ。

 だからこそ愛好家は蚤の市巡りを欠かさないのだと思うが、そんな期待を裏切らないように、店主たちも頑張って欲しいものだと思う、それだけ期待もしているから蚤の市の行くのだ。

 別に大きな蚤の市だけではなく、地方の小さな蚤の市でも同じ事、ワクワク感は小さいとか大きいとかは問題ではなく、期待感を持たせてくれればそれで良いと思うし、相性も良い方が良いに決まっている。

 やっぱり古時計は出会いが肝心、予期せぬところで、予期せぬ物に、良き物に出会う、このワクワク感は古時計愛好家なら誰しも経験する事と思う。

 
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2013年11月04日

何の部品か

      古いものなのか
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 友人が古い部品を持って現れ「これ何の部品なのか、時計の物か」とさし出したが、見て直ぐに分かった事はバラバラの部品だと言う事。

 友人によると廃業した時計屋から出てきたものだと言うが、1つの時計の部品ではなく、何台かの時計の部品である事は間違いない。

 持って来た友人に「これは和時計の部品だ」と云い、何処で見つけてきたのかと尋ねれば、「どこか分からないが箱に入っていた物の1つ」だと言う。

 その時計屋は古くから営業していたのかと訪ねると、昔から同じところで時計屋をやっていたとの事、場所はと聞けば、大津の市内と言う。

 本人に言わせると「この時計屋は昔は時計師と言われた爺さんがいたらしい」と、場所からして和時計を修理した事のある時計屋らしく、その部品が残っていたものと思われる。
SANY8380.JPG
 この部品役に立つのかと友人、彼に言わせると、「持って来てやったのだから役立たせろ」と言う事だが、和時計の部品は1台1台違うから、この部品は使えない。

 役に立つとしたら、分銅くらいのもの、右上の錘みたいな部品、これくらいであとは役に立たないもの、何の部品かと言えば、1番面白いものは真ん中の細長いものだ。

 この部品はおそらく天賦式の尺時計用のもの、それも幕末から明治にかけての最後の方のもの、振り子式の尺時計の振り子だ。

 真鍮製の部品で、分銅型の振り子、この部品は珍しい物だが使い道は無いもの、珍しいのと使える物とは違い、利用価値は無いもの。

 左上の部品は、古い時代の和時計の鐘を鳴らす機構の一部、時計の1番隅にある鐘を打つ槌の部品、大きさからして中型の時計の物。

 櫛状の物は棒天賦で、幕末のものであろうが、試用した形跡が無く、予備の部品なのか、何にしても友人が言う様な使用価値は無い。SANY8392.JPG

 驚かせようとしたことは分かるが、和時計とは難しいもので、同じ部品は無く、1台、1台その時計のためだけに作られたもの、他の時計には合わない。

 それを期待して持って来た友人、折角驚かそうとしたけどつまらない、今度はビックリする物を持ってきてやるから待っていろと減らず口を叩く始末。

 なんだか分からないが、時計屋から出てきたもので古いものだから良い物と思っていたらしい。
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