2014年11月24日

蚤の市巡り

      相性がある

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 蚤の市、全国各地で開かれているのだが、最近は少し下火になってしまったような気がするのも不景気なせいかも知れないと思っている。

 景気は回復傾向にあると言われているが、まだまだ実感がわいてこないのが実状、景気回復と同時に物も多くなのと言われるが、まだその様な状態ではない。

 蚤の市を巡っていても、行く先々で景気の話になると、皆が首をかしげるしぐさをするのは、やはり回復していない証拠、早く回復して貰いたいものだ。

 以前のように面白いものが多く出回っていた時のように、ワクワクして出かけたいと願っているのだが、果たして何時になることだろうか。

 そんな気持で最近も蚤の市巡りをやっているが、めぼしいものは見つかっていない現状、何処の蚤の市に行っても古時計の数が少ないと思う。

 店の主人に聞けば、扱う業者も最近は時計が出なくなったと言うが、物がない訳ではなく、古時計の値段が安いから持ってこないとも言うのだ。
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 昔仕入れた古時計は値段が高かったから、今売っても損するばかりだから持ってこないとも言うのだ、確かに依然買い込んだものは今の値段よりも高かった事は確か。

 これは古時計に関わらず、どんな代物でもいえる事、流行、スタリがあるのもこの世界、流行が去ってしまえば値段も下がるし、物も出てこないのだ。

 ある店の親父は、古時計は沢山持っているが、今は買う人も少なくなったしまい、此方の値段と合わないので、仕方なく今は我慢して持っているのだとも言うのだ。

 確かに主人の言う事も一理あり、仕入れた値段よりも現実の古時計の相場は安い、これでは売ろうとする気になれないと、そんな気持ちも良く分かる。

 以前は大きな蚤の市に行けば、古時計はより取り見取りといったような状態であったのが、現在は探さないと古時計が見当たらない位に少ない。

 しかし、店主が付け加えたのは、珍品の時計はこの様な状態の中でも、相変わらずに高い値段で取引されているし、又余り出て来ないから、やっぱり引っ張りだこだと言う。

 SANY0602.JPG蚤の市は値段も安く、珍しい物が手に入ることでも人気の場所、何か良い物が出ているのではと言う期待を持たせてくれる場所でもあり、楽しい場所だと思う。

 そしてもう1つが、蚤の市に出している店主との相性、これが意外と難しいものなのだと思う、お互いに商売だと思っているが、相性によって気分良く買えない事もある。

 幾ら商売でも、相性までピッタリと合う筈がなく、欲しいものがあっても店主との相性が合わなくて、折角の物が買えない事もあるので、相性も大事な要素だ。

 だからこそ愛好家は蚤の市巡りを欠かさないのだと思うが、そんな期待を裏切らないように、店主たちも頑張って欲しいものだと思う、それだけ期待もしているから蚤の市の行くのだ。

 別に大きな蚤の市だけではなく、地方の小さな蚤の市でも同じ事、ワクワク感は小さいとか大きいとかは問題ではなく、期待感を持たせてくれればそれで良いと思うし、相性も良い方が良いに決まっている。

 やっぱり古時計は出会いが肝心、予期せぬところで、予期せぬ物に、良き物に出会う、このワクワク感は古時計愛好家なら誰しも経験する事と思う。

 
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2013年11月04日

何の部品か

      古いものなのか
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 友人が古い部品を持って現れ「これ何の部品なのか、時計の物か」とさし出したが、見て直ぐに分かった事はバラバラの部品だと言う事。

 友人によると廃業した時計屋から出てきたものだと言うが、1つの時計の部品ではなく、何台かの時計の部品である事は間違いない。

 持って来た友人に「これは和時計の部品だ」と云い、何処で見つけてきたのかと尋ねれば、「どこか分からないが箱に入っていた物の1つ」だと言う。

 その時計屋は古くから営業していたのかと訪ねると、昔から同じところで時計屋をやっていたとの事、場所はと聞けば、大津の市内と言う。

 本人に言わせると「この時計屋は昔は時計師と言われた爺さんがいたらしい」と、場所からして和時計を修理した事のある時計屋らしく、その部品が残っていたものと思われる。
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 この部品役に立つのかと友人、彼に言わせると、「持って来てやったのだから役立たせろ」と言う事だが、和時計の部品は1台1台違うから、この部品は使えない。

 役に立つとしたら、分銅くらいのもの、右上の錘みたいな部品、これくらいであとは役に立たないもの、何の部品かと言えば、1番面白いものは真ん中の細長いものだ。

 この部品はおそらく天賦式の尺時計用のもの、それも幕末から明治にかけての最後の方のもの、振り子式の尺時計の振り子だ。

 真鍮製の部品で、分銅型の振り子、この部品は珍しい物だが使い道は無いもの、珍しいのと使える物とは違い、利用価値は無いもの。

 左上の部品は、古い時代の和時計の鐘を鳴らす機構の一部、時計の1番隅にある鐘を打つ槌の部品、大きさからして中型の時計の物。

 櫛状の物は棒天賦で、幕末のものであろうが、試用した形跡が無く、予備の部品なのか、何にしても友人が言う様な使用価値は無い。SANY8392.JPG

 驚かせようとしたことは分かるが、和時計とは難しいもので、同じ部品は無く、1台、1台その時計のためだけに作られたもの、他の時計には合わない。

 それを期待して持って来た友人、折角驚かそうとしたけどつまらない、今度はビックリする物を持ってきてやるから待っていろと減らず口を叩く始末。

 なんだか分からないが、時計屋から出てきたもので古いものだから良い物と思っていたらしい。
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2011年07月04日

ガラス絵16

      宣 伝 広 告

 くちくがん.jpg時計のガラス絵には色々な種類の物が存在しているが、製造段階でのオリジナルのガラス絵が基本であり、その後に独自に変更されたガラス絵も存在している。

 明治時代に、最新流行の時計は注目の的であり、早くも時計の存在を高く評価し、注目度の高い事を利用しようと、其の時計の流行に臨場して、自社の宣伝を企てる者が現れてくる。

 何時の時代でも、先進的な考え方をする人が居るもので、時計のガラスに宣伝を入れることを思い立つ、しかし当時の時計は非常に高価であり、其の時計に宣伝文句を入れることは非常に金の掛かる事であった。
 
 明治中期、時計の値段は国産品の八角で約3円ほど、外国製の時計であれば7、8円、そしてスリゲル型のドイツ物は15円と高価な物であった。

 その高価なドイツ、スリゲル型の時計に宣伝を入れようと言う発想で、当然金も掛かるが、そんな高価な時計に宣伝なんぞ入れることは、やっぱり冒険としか言えない。

 時計の本家アメリカでも、ドイツのスリゲル型の時計に、宣伝を入れているものは殆ど無く、後発の日本が其の時計に宣伝を入れると言うからやっぱり冒険だ。

 写真のガラス絵は、正にドイツのユーハンス、スリゲル型の時計に入っているガラス絵、高級な黒漆が全体に塗られ、当時としても非常に珍しい時計であった。

 其の時計の前面に、薬の宣伝を入れたのであり、斬新と言うのか、驚きと言うのか、表現に困るが見てとうりの勇ましい宣伝文句、薬の名前は「駆逐丸」、そして其の薬は梅毒に利く薬である。

 この時期、日清戦争前後と見られ勇ましい宣伝文句、軍需景気に湧く時代背景を意識しての効果を狙ったものと考えられ、ガラス絵も非常に豪華に、金彩と銀彩二色と凝ったガラス絵を採用していることも、この時計が高級品の証でもあるようだ。

 この様なドイツ製の時計に宣伝を入れ、市場に投入した会社も其れなりの効果が上がったかは、分からないが宣伝に金が掛かった事だけは、ハッキリしている事だ。 




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2011年06月04日

あれから一年

      月 日 の 経 つ の は 早 い

あかい.jpg 昨年、ブログを立ち上げ何時まで続けられるのか、いや続けるのか、心配で仕方が無かったのを覚えているが、早一年が経ったようであり、その間何回も挫折をした。

 何故ならば、原稿を書いているうち、同じ事を書くわけにはいかず、前書いたものは削除しているつもりであるが、そんなに甘くないもので、同じ文章が出来上がることが、多くなって来てしまう。

 其の内に、原稿を書く手が止まり、其の先に進めなくなると、もうこの辺りが限界かなと思い始めると、絶対に文章は出てこなくなり、強烈に挫折感を味わったものだ。

 はじめは、何となく進んで行くと気楽に考えていたし、どうせ自分の文章等読んでもらえないものと、タカを括っていたが、あくる日にアクセス数を見ると、ちゃんと多数の人が見てくれている。

 其れを確認してから、今度は「あんな事書いて良かったのか」とか、「何て変な表現をしたのか」とか、疑心暗鬼になり出し、今度は文章が全然出てこなくなり、これまた挫折。

 そんな事が度々重なって、もうブログを辞めようと何度も考えた事も、しかし一旦立ち上げたものを短期間にやめる事は、余りにも情けなく、読者に対して失礼に当たると考え直し、現在に至っている始末。

 思い起こせば、40年も前に友人から貰った数台の古時計を修理、部屋に掛けて眺めていた時から、いばらの道の始まりであったが、今思えば其れもまた楽しかったものだ。

 人の縁は謎めいていて、先は全然見えず、過去は既成の事実として存在し、消えずに我が胸の奥に溜め込まれ、人生の年輪となって刻み込まれている。

 人から貰った壊れた古時計が、これ程までに私の人生の一部に成って行った事も、自分自身また驚きであり、これから何時まで続けて行くのかも不明である。

 そんな古時計を今一度眺めていると、今までに出会った大勢の人の顔が、走馬灯のように思い出され、懐かしさと共に幾多の縁に、感謝の気持ちが湧いて来る。

 人は一人では生きて行けず、人と交わりながら生かされていることを、再確認すると共に、この先も人との出会いを感謝する事と、古時計との新たな出会いを夢に見て、一年を振り返ってみた。




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2011年04月06日

新たな珍客

秋田産.jpg      珍客はいつでも歓迎。

 今までにも沢山の珍客を迎えてきたが、その都度新たな感激を貰い、又古時計の奥の深さを痛感するのであるが、得てして珍客は無理難題を抱えてやってくる。

 珍客には色々なタイプに分かれるが、清まして来る珍客もあれば、疲れ果ててくる物もあり、その時々で違った姿を見せてくれるが、やっぱり珍客は手間が掛かるもの。

 彼らには何の意識もないのであるが、此方にとっては考えもひとしお、そんな珍客を癒してやるためには、どんな方法が良いのかその都度考えなければならず、頭痛の種である。

 しかし、珍客を迷惑がっているのではなく、いつでも大歓迎であるが、複雑な思いはどう表現していいのか、私の元にたどり着いたのであり、やっぱり感謝しなければいけないと思う。

 さて、この珍客大分世間ずれしていて、その上疲れが酷い、長い休息が必要であると思い、じっくりと休養してもらう事に。

 荒波にもまれてきたらしく、あちらこちらに傷を負っているが、出は列記とした素性の持ち主でもある。

 出身は東北であるよし、名刺には秋田の裁判所に勤務していたらしく、律儀な性格でもある様に見える。

 身の上話はこれからじっくりと聞くが、今は家でゆっくりと休養をして貰い、暇を見つけてこれから付き合ってゆきたいと思っている。

 私も引き受けるのには、私なりのルールが有り、戸籍だけはしっかりと知っておく必要があると思っているからである。

あきた.jpgあきた2.jpg戸籍を聞けば、「大正生まれ」であり、その後「秋田の裁判所」で長く勤務していて、定年後あちこちの部署を転々として、後は記憶喪失になり、その後の事は覚えていないらしい。

 時計の背板には、「秋田裁判所」の焼印が押されている。
 
 国の購入した物にはこの焼印が有るのが普通で、出生証明みたいな物であり、これが無いと証明にはならない。

 焼印はその証拠である。
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2011年02月14日

古時計蒐集の始まりは

カップ.jpg      古時計を集めるきっかけは人其々。

 蒐集するきっかけは人其々で、私の場合は人から貰った時計が蒐集をするきっかけとなったが、思っても見なかったきっかけで時計の蒐集に入ってしまった人達は多いのでは。

 それまでは、古時計を蒐集するつもり等なかったのに、如何したわけか古時計にはまって、次々と蒐集してしまう人や、時計本体は集めずに、時計にまつわるグッツを集める人。

 その他、古時計の写真を自分で撮り続け蒐集する人など、人其々の古時計を収集するきっかけは違うが、時計に魅せられた事だけは共通点である。

 私の場合も貰った時計が蒐集のきっかけであったが、貰った時は別に之を集めようとは思ってなく、むしろ邪魔な物として扱っていたように思う。

 動きもしない時計は、時計の役目を果たしておらず、しばらくは其のままになっていたが、家を新築したのを境に、貰った時計を修理して動かす事にしたのである。

 何日か掛かって時計をやっと修理して、部屋の壁に掛け動かしてみたが、直ぐに止まって動かず四苦八苦、メカに強い友人に手伝ってもらい何とか動くようになった。

 動かしてみると古時計の不思議な雰囲気を感じ始め、自分の部屋で時計を見つめていると昔の事が思い出されて、次々と浮かんでくるのを覚えた。

 其の時の感動は、私を古時計蒐集の道に引きずり込む導火線の様なものであったが、まだ其の先の爆弾が破裂するような蒐集には時間が掛かるのであるが。

 私の場合は其れがスタートであったが、会員中には面白しきっかけで古時計を蒐集した人も、コーヒーが好きでコーヒーカップを買いに行き、意識せずして時計の図柄の付いたカップを買い込み、自分の部屋でコーヒーを飲んでいた時。

 突然のヒラメキ、図柄に描いてある時計を持ってみたくなって、古時計を買いに走ってしまい、部屋につれて帰りコーヒーを飲みながら時計の音を聞き、益々虜になってしまった人もいる。

 偶然のなせる業、しかしそれには人の郷愁をそそる雰囲気を、古時計は持っていると言う事であろうし、又其の期待に答えてくるれからこそ、虜になるのではないだろうか。






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2011年01月12日

続古時計行脚 28

松本城.jpg      床屋の主人宅にてラベルのチェックに時間をついやする。

 
 人間は都合の良い動物であり、目先の事で今までの目標を忘れてしまう、そもそもなんで此処まで歩いて来たのか、腹をすかせるため歩いてきただけ、目標はあくまで「デイリーのカレー」であるはずだ。

 其のカレーを食べる為に運動をしてきたのに、今は時計のラベルを読む事に没頭している2人、しかもかなりの時間を掛けてしまって、「デイリーの営業時間」をすっかり忘れていた。

 床屋の奥さんがお茶の用意までしてくれ、主人と時計談義と同時に振り子室のラベルを読み、やっぱり時間を大幅についや、気付いた時には「デイリーの営業時間外」になっていた。

 結局、床屋の主人宅の時計は全部見れないわ、そして「デイリーのカレー」も食べれないわ、2人して「目先の餌に何でも飛びつくから如何」とお互い責任の擦り合い。

 良く考えてみたら、長坂から松本に来たのは「デイリーのカレーを食べる為、高速を使って戻ってきたのであり、腹がふくれてカレーが食べれないから腹ごなしに散歩」、友人が古時計を見つけなかったら、こんな事にならなかったと後悔しきり。

 しかし、私もついついラベルを見るのに時間を掛け過ぎ、友人と「我々はまだまだ修行が足りない」と、自己反省をしつつ床屋の主人に礼を云い、元来た道を引き返す。

 友人、歩きながら「今日は翁の蕎麦を食べたし、古時計も見たし、余り欲張りすぎた」と、しかし、「床屋にあれだけの古時計があるとは思わなかった」とも、そして「二頭どころか三頭も追えば捕まえられないのは当たり前」と、あたかも悟りの境地に入ったかのごとく云い振り。

 そんなやり取りをして、2人の重い足取りで帰路に、気が付けば喫茶「まるも」の前の橋に来ていて、コヒーの香りに誘われ「まるも」の店内に入ってしまう。

 何時も、「良い時も、悪い時も結局此処でコヒーを飲み、自己反省をして帰路に着くジンクス」は健在であり、振り出しに戻って来た双六みたいな古時計探索であった。

 すると友人、「カレーがダメならもときの蕎麦がある」と言い出したので此方がびっくり、さっきまであたかも悟りの境地の如く発言、一変して畜生道の再来、短時間にコロコロと意見が変わるのもまた常。

 そんな発言に驚くと同時に「もときの蕎麦」を食べてから帰るのも悪くないし、車で行けば時間にも間に合うから食べに行こうかと、呆れていた私も同調してしまうあさはかさ。
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2011年01月10日

続古時計行脚 27

ラベル2.jpg      まさか床屋の中に古時計が幾つも掛けてあるとは?


 何時もの事であるが友人、古時計を今までに思いがけないところから発見するが、そんな不思議な能力を持っているのか、今度も余程気を付けていないと絶対に分からない場所。

 そんな場所でも古時計を見つけ出す、友人「超能力者」では無いのかと思うくらい、まさか本当とは思っていないのであるが、度々見つけ出されると不思議でならないのである。

 其れはさて置き、床屋に潜入する事にして中に、店の主人「いらっしゃいませ」と、やけに威勢が良く、逆にこちらは恐縮して「すいません客ではないのですが」と頭を下げる。

 変な男が2人も店に入ってきてので、店主若干引き気味に「何の御用でしょうか」と迷惑顔、こちらは低姿勢に「古時計を見せて下さい」と尚も低姿勢に接する。

 すると店主、警戒していた心が少し解け、「何処から来たの」と問いかけてきたので、名古屋からと言えば、「何故此処が分かったのか」とまた再び問いかけてきた。

 偶然に見つけ、たまらず店に入ってしまったと説明、「時計がそんなに好きか」と云いつつ、時計を見ても良いと許可を貰う、外形だけでは分からないので、早速中を見せて貰う。

 一つ一つ振り子室の扉を開けラベルの確認をしていると、主人「何で振り子室のラベルを見ているのか」と、不思議な顔をして私に又も問いかけてきた。

 何時ものように説明、名古屋で作られた時計を全部蒐集したいので、今日も上田方面から諏訪経由、松本まで来たことを伝えると「何故名古屋の時計を集めるのか」と切り返す。

 私は明治時代、名古屋の時計産業は日本で1番製造され、其の時計を全部蒐集する目的で此処に来たと伝え、そして未だにまだ全部の時計が集まらないことも説明。

 そんな時計談義を私がはじめてしまったので、店主が迷惑するのかと思いきや、此方の不安を見事に打ち消して、店主「家にもまだ10台位あるから見せても云い」と言い出した。

 待ってましたと2人して渡りに船と、店主の後を着いて店の裏の自宅に、そこには10台どころか30台以上あり唖然とする我々を見、店主は「余り沢山あると業者が売れとしつこく付いて回る」、だから見せないだけの事と。

 之は全部振り子室の扉を開けて見ていると時間がかかるので、主だった物だけを物色して、振り子室の扉を開けラベルのチェック、しかし時間がかかる事になる。
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2011年01月08日

続古時計行脚 26

      友人、蕎麦湯を2杯飲み干し「翁」を後に。


 さて、蕎麦はたべたし古時計はソコソコの収穫であったから、このまま高速で帰る事にしようか、それ
とも今一度古時計探索を開始するのか、思案中。

 すると友人登場、「どうせ遅くなるのだからデーリーのカレーを食べて帰る」と、今食べたばかりなのに
マタマタのたまう。

 長坂から松本まで高速で行けば時間なんか、かからないと宣いだし、其の上デーリーのカレーは久し
振りだからと、運転席につく。

 自分が食べたいのなら、自分で運転してゆくと実力行使であるが、こちらもデーリーのカレーは久し振
りで食べたい。

 友人に運転を代わり、そのまま高速で松本に引き返すが、腹がふくれているから少し運動をしないと、
カレーは入らない。

 松本市内のデーリー前の市営駐車場に車を止め、少し離れた骨董屋に歩いてゆく事に、古時計を探
すのではなく、カレーを食べたいが為の運動である。

 歩く事20分、目的の骨董屋に着くが店は閉まっており、2人して其のまま来た道を引き返すが、友人
の歩きがやけに速度を増して来た。

 今までの私であれば早足であろうが負けるはずが無いのであるが、膝を痛めてから歩く速度を落とし
ているから、友人について行けない。

 友人どんどん先を行き、100メートルは離れピッチを上げた模様、すると突然友人大きく手を振り早く
私にこいとの仕草。

 此方は足が痛いから早くは歩けないと自分のペース、止まっている友人にやっと追いつくと、友人床屋
の前で待っていた。 

 私がやっと着くなり、友人店の中を指差し「時計、時計」と大きな声で叫ぶ、通行人までが一緒に店の
中を覗くことに。

 床屋の店の中には古時計が5、6台掛けてあり、其れを友人が見つけて私を呼んだのであり、ゆっくり
歩いているから早く来いとの催促ではなかった。
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2010年12月29日

続古時計行脚 25

      前山寺の胡桃おはぎをたべやっと腹がふくれた。

前山寺.jpg 2人して境内へ、三重塔を見て友人「どこが未完成なのか」と、パンフレットの説明は何度も見ているし、直に説明も聞いてはいるが友人独特の言い回しでもある。

 三重塔の窓が無いのと回廊が無い、しかし友人に言わせれば、小さな窓と回廊を付けない方がバランスが良く、後世の人が勝手に其れを見て想像しているだけだとも言う。

 確かに其のとうりで、バランスは「ごちゃごちゃ」しているよりスッキリしていて、今のほうが良く窓や回廊等ないのが良い、それも当時の棟梁の思惑でもあると思う。

 友人と三重塔の論議をし境内を出るが、入り口で干し柿を発見買わずにはいられず購入、その場で干し柿を食べながら参道を下ると、一面黄色の落ち葉で一杯、すべりそうになり慌てて体制を立て直す、友人「年は取りたくないなぁ〜」と、大きなお世話だ。

 駐車場に戻り2人して、次は何処にするのかと思案するが、2ルートあり「松本経由高速」、「諏訪経由高速」どちらも行きたいルート、しかし両方は行けずやはり思案する。

 結局は蕎麦が決めて、折角来たのだから「翁」の蕎麦を食べずして帰るとは残念、長坂の「翁」の蕎麦を食べてから帰るのが礼儀ではないのかと、変な理屈で決定。

 昔から走り慣れた山越えルートを辿り、長坂に直行すれば大した時間は掛からないと、車を長坂に向け走り出す、国道152号線を茅野方面に抜け、そして原村から長坂に着く。

 インターを降り長坂の町に入るが、やっぱり夏に来た時と違って街中も空いているし、静かな雰囲気の何時もの長坂の町、慣れない人は「翁」までの道のりが分かりずらく、初めて来た時はこんな山奥に店など在るのかと思ったものだ。

 以前は店に入った正面に蕎麦打ちの台があり、名人「高橋氏」が蕎麦を打っていたが、今は其の姿も見ることは出来ないが、弟子がその蕎麦の味を引き継いでいる。
 
 8月の盆後に来てから久し振りの 蕎麦「翁」、友人「何だか空いていない」と、確かに云われて見れば空いているようだが、店内に入りざる蕎麦を注文、着いて直ぐに食べられるのも久し振りである。

 夏場は観光客で一杯になり、待ち時間も長くなるが今は観光客の姿もまばら、我々にはこの方が良く蕎麦もゆっくりと味わって食べれ、騒がしくないのがやっぱり1番。

 例の如く蕎麦を食べるのは早く、出てきた蕎麦を一気に掻き込み蕎麦を堪能、蕎麦はゆっくりと食べるものではなく、喉越しと同時にすするのが蕎麦の食べ方と決めている。

 蕎麦湯を貰い、出しの利いた汁に蕎麦湯を入れ蕎麦の香りとコクを堪能するも、友人2杯目の蕎麦湯を飲み干す、彼は蕎麦湯が大好きであり、何処の蕎麦屋に行ってもかならず2杯以上蕎麦湯を飲む。

 





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2010年12月27日

続古時計行脚 24

いせや.jpg      奥に入っていた老人が古時計を持って現れた。

 先ほどまで古時計はないと云っていた人が、古時計を持って現れたので、こちらが戸惑いの表情をしていると、老人「古時計が好きな人なら時計は大事にしてくれるはず」と、やっと笑顔を見せた。

 老人曰く、「修理に持ってきたが連絡しても長年取りに来ない時計があり、これも其の1つ」と、そして「もう20年も取りに来ないから」と時計の生い立ちを聞く事に。

 何でも先代の頃からのお客さんで、時計修理を頼まれていたらしく老人も良く其処の家に行って修理、しかし代が変わって息子さんの代になり、修理した時計は要らないと言われたらしいが、修理代を貰っていないとの事。

 結局時計を取りに来ず、修理代も貰えず20年が過ぎてしまい、今ではどうしようも無く、時計も其のまま老人の手元に残っていたらしく、処分に困って居たと老人曰く。

 「あんたが時計好きなら修理代さえ貰えれば」と時計を差し出したので、断る事も出来ず其の時計を譲って貰う事に、明治のニューへブン社八角12インチの時計で珍しくないが、之も何かの縁ありがたく受け取ることにした。

 友人、「これも善光寺さんの御利益で感謝しなくては」とまたまた減らず口、しかし之も善光寺さんの御利益と思い、友人に手渡しトランクの中にしまいこんで出発。

 その後、2軒ほど回ったが成果無く別所温泉に向うが、それは蕎麦と前山寺に目的のものがあり2人して車を走らせ、あの映画で寅さんが降り立った別所温泉駅を過ぎ、蕎麦屋に着く。

 別所温泉の直ぐ近く、「美田村手打ち蕎麦」此処の蕎麦屋「4つ味が楽しめる店」、普通の蕎麦屋は出し汁だけでざる蕎麦を食べるが、ここ蕎麦は4つの味が楽しめる店。

 「1つ目普通の出し汁」、 「2つ目絡め大根」、 「3つ目味噌」、 「4つ目塩」と珍しく、蕎麦の歴史を遡って食べて行くみたいな薬味、今まで色んな蕎麦屋で色々な食べ方を経験してきたが、此処の蕎麦屋は 「歴代の蕎麦切りの食べ方」が一度に出きる全国でも数少ない店、蕎麦も美味しいが何よりもユニークな趣向が楽しみな蕎麦屋である。

 友人は「絡み大根に味噌を少し溶かして食べる方法が良い」と、私は「絡み大根だけで食べたほうが旨い」とお互いに気に入った具で蕎麦を掻き込み店を出る。

 近くの前山寺に到着し庫裏に直行、見学は後回し、食べる物を食べゆっくりと見学した方が体に良いと、勝手な理屈を付け慌しく庫裏に入り席に着く事にする。
 
 ここ前山寺「胡桃おはぎ」で有名な寺、混んでいて早くしないと売り切れで食べれなくなり、遠回りして来た甲斐が無く素早く注文して待つ、この「胡桃おはぎを」を食べないで信州に来た意味が無い。

 普通のおはぎと違って、前山寺のおはぎはあんこが無く胡桃をすりつぶしたたれが絡めてあり、独特の味で余り甘くないが、それが又病みつきになるほど旨い。
 
 美田村蕎麦の絡み大根の辛さが残っている内に、甘い胡桃おはぎを食べれば又格別、甘いのと辛いのとのハーモニー、酒飲みの友人と2人満足な顔をして胡桃おはぎをたいらげる。

 








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2010年12月25日

続古時計行脚 23

      藤村ゆかりの田沢温泉「ますだや」後にする。

 夕べ今日のルート確認をするはずであったが、友人の早寝でルート確認できず出発、仕方なく紹介された更埴の買出し屋に直行、場所は聞いていたのと自分の感、大体の場所は頭に入っているから、現場付近まで行けば分かるはずと。

 案の定、ナビはあてにせず此方の描いていた場所に買出し屋の家を発見、国道から一本入った旧道にあり、やっぱり普通の家、外から見ても其れらしい気配は無く個人宅である。

 玄関を空け、訪問を告げると中から主人らしき人、我々の顔を見るなり「昨日来る筈ではなかったのか」と逆に問いかけられ、慌てて「昨日は時間が遅くなり訪問を遠慮した」と告げ中に入る。

 招き入れられ中に入ったが、其処にも何も無く変な気配、すると主人「奥の車庫に時計があるから」と奥に案内され、車庫の中を見れば確かに時計は一杯ある。

 しかし、昭和の時計が主で古い時計は見当たらないので、私が「もっと古い時計が欲しい」と言えば、主人「この時計は古いのと違うのか」と半ば不機嫌そうである。

 確かに現在は昭和も遠くなり、初期の物は80年以上経っていることには変わりはないが、今若い人には人気かもしれないけれど我々には余り興味があまり湧かない。

 その辺の感覚の違いなのか、買出し屋の主人を決して馬鹿にしている訳でなく、趣味の違いと丁寧に説明して家を出次に向う、すると友人「善光寺さんの御利益はもう薄れてきたか」と云い始めた。

 確かに幸先は悪いが、「そんなに早く善光寺さんの御利益が薄れるはずは無い」とばかり、気を取り直して車を走るせ旧国道を進むと、信号の角に古い時計屋らしき建物発見即訪問する。

 店に入ると正面に老人がセッセと時計の修理をしているではないか、歳の頃80近いと思われるが元気に時計を修理、我々が突然入って来たので驚くのかと思いきや、直ぐに「古時計は無いよ」と云われてしまった。

 まだ古時計の話をしない前に先手、何故かと尋ねると老人曰く、「あんた達みたいなのが良く訪ねてくるから」そして、うちのお客さんは皆顔馴染み、知らない人は其の類でしかないからと。

 確かに、こんな狭い町であれば尚更の事、我々みたいなよそ者は直ぐに分かるはず、こちらの魂胆もお見通しで片腹痛い、気を取り直し「ここら辺りに古時計を持っている所は無いかと尋ねてみたが、「以前に皆持って行ったので無い」と又冷たい返事。

 再度、「我々は業者でなく趣味で古時計を探している」と其のむねを伝え帰ろうとした時、老人「業者が良く来るので間違えてたが、そんなに時計が好きか」と、再び問いかけてきた。

 老人「何処から来たのか」と問いかけられ、「名古屋から」と答えれば、老人「ちょつと待ってて」と奥に入り、「何やらゴソゴソとしている様」そして驚く事に古時計を持って現れた。
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2010年12月22日

続古時計行脚 22

精工.jpg      部屋に帰ってきた友人と明日のルートを確認するが。

 久し振りに友人が酔っているので、そんなに沢山飲んだのかと聞けば、友人「おば様に気を使って酔いが早く回った」と、お前がそんな 「たま」 かと思いつつ、明日のルートを話そうとするが、友人「気分が良いのでもう少し飲もう」と言い出した。
 
 しかし、部屋には冷蔵庫はないしビールも無い、下に降りて行って自販機でビールを買いに、私はビールを余り飲まないのでウイスキーを探すが、自販機には無く宿の帳場も閉まっている。

 仕方なくビールを買って部屋に戻ると、友人もう寝ているではないか、自分で飲もうと言っておいて、寝ているとは「ケシカラン」とばかり、叩き起こしてビールを飲ませる。

 流石の奴さんも年には勝てないらしく、少し飲んで眠たそうに「明日如何する」と聞いてきたが、話をしている間にもう寝ている始末、これでは話にならず飲むのを止め、私は再び時計のチェックに入る。

 長野市内で手に入れた石原町の時計のラベルを再び確認する事に、振り子室のドアーを開けて照明の下で見るが、文字が薄くて中々読みずらいので時計を近づけたり、離したりしてみるがハッキリと読み取れない。

 すると友人、寝たはずなのに後ろから「そんな見えない目で見ても判るはずが無い」と厳しい声、寝ていたのではないかと思っていたのに、「突然口を出すな」と私は一言。

 云われてみれば昼間、私が分からないから友人に読んで貰ったのに、夜私が読めるわけも無く友人の云うとうりであり、ラベルを読むのを諦めて寝ることにしたのである。

 翌朝食堂でおば様方とご対面、おば様達は既に出発の準備を済ませての食事、我々はまだ浴衣姿で眠気顔、そんな2人を他所におば様達は凄い食欲。

 我々の食が進まないのを見て、「もっと元気だしてね」と逆に励まされて食事する羽目に、おば様達は早々と宿を後にしたが、我々は食事後また露天風呂に入りに行く。

 朝の露天風呂は清々しく気持ちよいが、やっぱり少し寒いので長々と浸かる事30分、風呂から上がりロビーで又も主人に時計を譲れと交渉したが、あえなく撃沈されてしまった。

 この時計、精工舎の「パリー」と云う時計で人気の高い時計、「ますや」で昔から使っていた時計でもあり、やっぱり今日も打ち落とされて「スゴスゴ」と引き下がるしかなく、又の再挑戦と気合を入れる。

 旅館「ますや」の古時計入手に再挑戦するも、またも成果無く再度訪問する事になったが、又露天風呂に入りにおいでとのメッセージと、逆に受け止めて宿を後にする。
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2010年12月18日

続古時計行脚 21

      藤村の間は三階建ての三階の角部屋である。

 藤村が若い時小諸から此処に湯治に来たのは明治中、今我々が其の藤村のとまった部屋で、其の時代の時計をいじっているのも又、なんかの縁である。

 ゼンマイが切れてしまったので時計を直すのを諦め、風呂に入る事にしたが雨がぱらついて来てしまい、露天風呂は傘をさしてはいる事にしたが、どうせ濡れるのだから傘は止めた。

 此処の露天風呂はそんなに大きくなく、湯もぬるめであり長く入っていないと上がれないので、二人してゆっくりと浸かるが、隣の露天風呂で若い女の子の声、俄然友人元気になる。

 最近女性客が増えたとは聞いていたが、やはり若い女性は良い、声を聞くだけで元気が出るのだから、友人早々と湯から上がり部屋に帰ってしまった。

 それは何故かと言えば、部屋から風呂に行く長い廊下があり、自分の部屋から廊下が見えるため、どんな女性か興味心身で部屋に戻って見学する為である。

 夕食時間、本来部屋で食事をとるのだが、彼女達が食堂で食べると聞いて食堂で食事する羽目に、いそいそと食堂に行けば、彼女達のほか宿泊客が多く居てほぼ満席である。

 友人の思惑が外れ、隣の席のおば様達からビールを勧められ、若い女性の方にも行けず結局彼女達は食事を済ませ部屋に帰ってしまったのである。
 
 おば様達は元気が良く酒も強く、友人は最後まで人質として囚われの身、私は早々に切り上げ部屋で寛ぐため食堂を後して部屋に帰った来たが、待てど友人は帰って来ない。

 再び露天風呂に向かいゆっくりと湯に浸かるが、又も隣で彼女達の声、しかし気の毒に友人はおば様達に人質の身、風呂から上がり部屋に帰ったが、友人まだ帰還せず。

 帰ってきたのは10時前、友人曰く 「おば様達の酒の強い事、帰るにも帰れずこの始末」と、大分上機嫌で帰還、結局おば様達のおごりで友人ニコニコ顔。

 これだから 「呑べい」 はたちが悪い、酒が入れば終わりが無い、結局は宿の女将さんに門限を言い渡され、おば様連中も渋々部屋に引き上げて行ったようだ。

 袖すり合うも多少の縁、静かな湯治場で宴会は似合わないが、意気投合して酒を酌み交わすのも縁、人に迷惑の掛からない程度の宴会なら良いのかも。
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2010年12月14日

続古時計行脚 20

4.jpg      結局ゲームは千円の攻防で終了する。

 信州人はやっぱり辛抱強い、しかし石原町はしっかりと入手、之も善光寺さんのお陰と感謝して、今夜の宿田沢温泉に向うことにしが、時間が少し早いと友人。

 珍しい、何時もは早くしないと遅くなるとばかり先を急ごうとする人が、今日に限って何故と思いきや、犀川で釣りをしている人を発見していたからである。

 友人は大の釣り好き、暫し犀川の河原近くで釣り人の見学をする事に、夕暮れ近くであり西日が傾く中、釣り人は川の中で最後のがんばりをしているようである。

 この時期何を釣っているのか、友人いわく 「禁漁と違うかな」 と腕を組みつつ、やっぱり楽しそうであるが、私には何で寒いのに川に入っていなければならないのか理解できない。

 さあ先を急ごう、田沢温泉まで約1時間車を走らせ宿に到着、余り聞きなれない名前の温泉かもしれないが、あの坂田の金時「金太郎さん」が産湯を使った温泉である。

 坂田金時の母が東下り途中、この田沢温泉近くの寺で祈願し、金太郎さんが生まれたところが田沢温泉、昔から湯治場として栄えていた、現在でも4、5軒の旅館がある。

 其の中に島崎藤村ゆかりの旅館 「ますや」が今日の宿、此処「ますや」は古くからの馴染みの宿、もう40年以上前から宿泊しているが、特に良いのは建物、高楼造りと云われ城を作る手法で木造三階建ての豪壮な建物である。

 今は絶対に造れない建築物、これが三棟建っているから圧巻、しかし、少し前までは宿泊客も多くなく寂しかったが、最近若い女性客に人気のようで、宿泊客も以前より多くなっている。

 玄関を入るとロビーには古時計が3台掛けてあるが、殆どの客は気付かない様であるが、私はその中の1台が気に入り以前から分けて欲しいと頼み込んだことがある。

 何時もの部屋、藤村が若い時に宿泊したといわれる部屋に入り、長野で手に入れた石原町の時計を早速分解してみる事にし、車から道具を持ってきて、文字盤を外す。

 思っていたように大分痛んでいるようで、分解掃除をしなければ動かないであろうと、ネジを巻こうとした瞬間バネが切れ危うく怪我をしそうに成った。

 古時計をいじっていると良くある事だが、警戒をしていたお陰で怪我をすることは無かったが、やっぱり古い時計をいじる時は何が起こるか分からないのも、注意してかまわないと行かず、それも古時計行脚の1つであるが、友人澄ました顔で 「やっぱり値切ったからだ」と、又も減らず口を。

 




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2010年12月13日

続古時計行脚 19

      待つ事暫し、直ぐに席が開き十割蕎麦を注文。

 三ヶ月振りの蕎麦、8月の盆過ぎに来てから食べたいと思っていた蕎麦、やっぱり美味しいし値段が安い事に関心、決して手を抜いているから安いのではなく、キッチリと仕事はされている。

 むしろ値段が高い蕎麦屋より、こちらの仕事の方手が掛かっていて気持ちがよいのと、店員さんも気さくでお高く留まっていなく庶民的、こんな店が近くにあったら毎日でも通ってくるのに。

 門前町であり観光客は多いが、観光客相手の手の抜いた商売でない事が良く伝わり、客も良く知っていて食べたら直ぐに席をたち、後の客に席を譲ってくれる。

 良い店は、客も心得ているから気分良く蕎麦を食べ次に進む、この門前町にも3軒ばかり道具屋があり、夏来た時にめぼしい所はチェックしていたので其処に向かう。

 車で五分、直ぐに店に着き店内に入ると主人、「今出かけようとしていた」と云いつつ我々を向い入れ、「今日は夏に置いて行ったのを取りに来たのか」とのたまう。

 夏に来たとき、「この時計で一悶着したので、今日は慎重に」と主人に言うと、「値段さえ合えば」と又も澄ました顔、敵はしたたかで歴戦練磨の兵、油断は禁物しかし、今日は他の時計がなく、直ぐに夏の残して置いた時計の争奪戦再開。

 この時計、主人は精工舎としか分かっていないが、高く買いすぎて売り損するから中々妥協しなく苦戦、別に高いと言ってもべら棒に高いわけではなく、主人は2万円とおっしゃる。

 こちらの言い分は「単なる八角にそんなに高く買えない」とつぱねるが、敵は譲らないので降着状態、何故欲しいかは「この時計石原町であるから」、しかし主人は知らない。

 振り子室のラベルは薄くなってしまっているが、文字の配列は紛れもなく石原町であり、之を見逃すわけには行かず夏も戦ったが引き分けで、今回再挑戦の戦いでもある。

 主人も、大した時計でもなく客とゲームを楽しんでいる様で、こちらの動きを見据えているが、其の手に乗れば値段は安くならず踏ん張り時で、ゲームをこちらも楽しむ。

 すると友人登場、「飽きもしないで又同じ事をやっている」と2人を呆れ顔で見るので、主人「折角来たのなら此処は折半でどうだ」とのたまうので話に乗る。

 折半とは、こちらが 「1万」、あちらが 「2万」と譲らず引き分けたので、今回は 「1万5千円」でどうだと主人の主張、しかし、それでは面白くないので、後一声と言えば、渋い顔して 「千円だけ」とマタマタしぶとい。

 











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2010年12月09日

続古時計行脚 18

      期待していた上田で古時計探索は不発に終わる。

 やっぱり、期待して行くと今までの実績どうり不発に終わり、友人が言ってた「今日は幸先が悪い」の言葉が現実を帯びてきたようで、このままの雰囲気では良くない結果に終わるような気配。

 マタマタ、友人登場「かたな屋で蕎麦は食ったけどコーヒーは」とやっぱり催促、そう言えば「コーヒーを飲んでないから調子が出ないのか」と、上田市郊外の千曲川の見える喫茶店に入り、コーヒーを飲むことにした。

 対岸には戸倉上山田温泉が見え、眼下には千曲川が流れ風光明媚な喫茶店、コーヒーを飲みながら友人「今日は思ったとおりの結果や」と又言い出し、「スケジュウルを変えた方がよいかも」と宣、確かに良くない傾向でこの先思いやられる。

 コーヒーを飲み気分を一新、国道を長野方面に向け車を進め、最初の訪問店に到着店の中に入るが誰も居ない、店内を見て回っているとおばあちゃんが出てきて、「何か欲しい物がありますか」と尋ねられる。

 古時計を探していると告げると、「息子が居ないので分からない」との答え、辺りを見渡しても無さそうであるから店を出ることに、友人「そろそろ始まったね」と又不吉な事を言い出す。

 そろそろ始まったとは、何時もこうゆうペースだと、過去1台も古時計を手に入れたことが無い、ジンクスで友人は先を予感しての発言でも有った。

 友人の進言を受け入れルート変更、高速で長野へ直行、善光寺に参拝して傾きかけた運勢を、善光寺さんの力で振り払ってもらう事にし、2人で参拝。

 昔から 「牛に引かれて善光寺参り」 と云われ、今日も全国からの老若男女、熱心な信者さんで一杯、其の中に我々2人不順な考えを持って厄払いに来ているのも罰当たりかもしれない。

 ありがたい線香の煙を体一杯にふりかけ祈願、これで真っ白な状態に復帰、新しい気持ちになり出直しであり、それにはやっぱり蕎麦と、
善光寺を出、参道を下ると左手に 「十割蕎麦の看板」、此処の蕎麦は 「安くて旨い」 。

 よく看板に十割蕎麦とあり、「値段が飛び抜けて高い店」、そして食べてはみたが「そんなに旨くない店」、これが十割蕎麦かと疑がいたくなる店が多い中。

 この店は違う、前にも食べたことがあり、友人と「かたなやの蕎麦は消化したし」と云いながら暖簾をくぐるが、店は満員で座るところが無く待つことにした。

 此処の蕎麦は戸隠系列の蕎麦、更科蕎麦で麺は白く、腰があって尚且つ硬からず喉越しは最高な蕎麦、汁もカツオと昆布の出汁が利いていて旨い。



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2010年12月08日

続古時計行脚 17

      上田市街は道幅が狭く車を止めようとしても止められない。

 結局、大分離れた駐車場に車を止め歩いて店に、店は手芸品が中心で女性向の店、そこに男2人が入って来たので店のおばちゃま、なんだか警戒気味。

 それもうなずけるのは、友人派手な格好をしてしかも雪駄履きであり、他の人から見ればチョット悪に見え、あまり良い雰囲気を出しているとは思えないから。

 それでも客である事には変わりなく、おばちゃま「何か御用ですか」とかん高い声で対応、店には1人女性客が居たが我々の訪問で店を後にして出て行ってしまった。

 そんなに我々は人相が悪いのか、2人で「お前のせいだ」とお互いに擦り合い、其れより時計だとばかり店に掛けてある時計を見に、黒柿のユーハンス、しかも小型で細工が少しあり珍しい形をしている。

 おばちゃまに「この時計わけて欲しい」申し出ると、其れ売り物ではなく可愛いから知人宅から貰ってきたとの答え、そして動かないから修理してもらいたいが、この辺りでは修理してくれる所がないと。

 更に、「動かなくても良いから是非譲って下さい」と更に詰め寄ると、前にもそんなお客さんが着たけど「お断りしました」と、おばちゃま形が好きだから店のお客さんも「良い時計ね」と言ってくれるからと落ちない。

 そこに、別のお客さんが入ってきて、我々がおばちゃんと話している間に入って、「何か揉め事でもあるの」と、割り込んできてしまったので、2人して「そんな風に見えました」と聞けば、「テッキリおばちゃまに詰め寄っていると思った」と言われてしまった。

 端から見れば我々がそんな風に見えてしまうのかとも思い、其のお客さんに実状を説明、とんだ邪魔が入って交渉は出来ず、店主に「又後の機会にします」と言って店を出る。

 車に戻るなり、友人「あんたの風体が怪しいから」と先手を打ってきたが、何時もの事「人のせいに出来るか、自分の格好を見てみろ」と、こちらも逆襲、2人ともお前のせいだと責任を転嫁しつつ車を進める。

 泥仕合をしている間に「真田屋」に到着、この店も随分と古くから訪れている店、主人が時計好きらしく数多くの珍品時計を発掘してきた実績のある店。

 店は二つに分かれていて、以前は地下に時計類は鴨居に掛けてあったが、今は余り時計も多くないが、ユーハンス類が数台掛けてあり、国産の時計は余りないようだ。

 主人に、今の古時計の現状を聞くが、何処も同じ答えが返ってきたので、他の店の情報を聞けば「この辺りでは最近珍しい時計の話を聞いたことがない」と、やっぱり厳しい答え。
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続古時計行脚 16

      感傷に浸るどころか腹が空いて食い気ばかり。

 上田に車を進め腹が空いているせいか、やけに遠く感じ中々着かないと思い始め、人間腹が空くと感覚や理性まで失ってしまうのか、我々凡人はと思いつつ、目的地へ。

 1時すぎ無事上田 「かたなや」 到着、店はピークを過ぎたのでさほど混んではいなかったが、やはり店の外で待つこと暫く、思っていたよりも早く店に入れた。

 此処、「かたなや」の蕎麦は非常に特徴のある個性的な蕎麦で有名、先ず品書きを見れば其の特異体質が分かるが、普通の人の感覚と少しかけ離れている。

 その一つ目は蕎麦の硬さにあり、一般的な蕎麦の堅さとは全くの別物、其の硬さは食べてみれば直ぐに分かるが、此処の蕎麦は兎に角良く噛まないと食べれない蕎麦。

 麺は更科蕎麦と思っていると間違いで、太さも更科蕎麦の二倍以上太いし、硬さは倍以上硬い、初めて食べる人は其の硬さに戸惑いながら不思議な顔をして食べている。

 私も始めて食べたときは、茹で方を間違えて早く出したのかと思ったほどであり、自称蕎麦通の私でも「変な蕎麦屋に入ってしまった」と思ったのである。

 しかし、食べ進むにつれて蕎麦本来の味と香りがしてくるから、蕎麦は噛み締めて食べれば、こんなに蕎麦の香りがすることが、分かる硬さであると思い始めるのである。

 そして、もう1つが蕎麦のもりが多い事、初めてのお客は席に着くなり、「ざる蕎麦普通1つ」と注文するのが当たり前、しかし、店員さんが「ざる小にしたら」と、注文した人に告げる。

 「うちは蕎麦の量が多いから食べれませんよ」と忠告してくれるが、殆どの人は「普通でよいです」と、あくまで普通もりを食べたがるのが常である。

 しかし、店員さんが蕎麦の普通盛りを持って現れると、全員が全員、 「目が点になる」 ので、それを常連客は横目で「にそり」と、笑いをこらえて見ているのも又常。

 兎に角、「刀 屋」の量の多さは半端じゃない、普通盛りは他の店の大盛よりもっと多い、だから男でも多分食べれないくらい多いから、とても女性では無理。

 だからと言って、不味い訳が無く蕎麦の「味は一品」、刀屋の蕎麦は実に美味しい、ただし量の多いのと、少し固めであり非常に個性的な蕎麦である事には代わりは無い。

 さて、刀屋の蕎麦を食べて満足、上田の骨董屋を回ることに、馴染みの店3軒を回るも目新しいものは無く、次に行こうとした時友人登場、
「今の店時計が掛かっていた」と大きな声で叫ぶ、しかし道幅も狭く車は止めれないので、近くの駐車場を探すが見当たらなく、少し離れた駐車場に車を止め歩く事にした。

 
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2010年12月06日

続古時計行脚 15

      運転手交代、友人少々お疲れで眠くなる。

 小諸まではそんなに遠くないので国道を進む、国道脇の食べ物屋がやけに気になって、食べ物の事しか頭にないのだ、之はヤバイ傾向であり、とっさに食べ物屋に入って何時も失敗するパターン。

 運転しつつ、「ラーメンも良い」、あ、「蕎麦も良い」、ああ、「中華も良い」とか、次々に出てくる食べ物屋の店ばかり気に成り出したから、頭で別の事を考えようと思っても食い気には勝てない。

 小諸の道具屋は2軒しかなく、そんなに時間が掛からないはず、ざっと見れば古時計が「有るか無いか」、は直ぐに分かるから早く済ませて上田に行くことにした。

 小諸は思い出深い土地、古時計を集めだした切っ掛けを作った時計の一台が、この小諸の地であり、又藤村ゆかりの地と、私にとっては馴染み深い土地である。

 小諸城址の茶店は古時計を集める切っ掛けを作ってくれた店、若い頃この茶店で古時計を見てから現在まで、古時計に引き寄せられ探し回っている原点で、感慨深い店。

 当時は店に古時計が沢山かけてあり、その中の女性のガラス絵が付いていた時計が気に入り、店の主人にわけて欲しいと申し出ると、主人 「売り物でなく趣味で集めている」と断られた。

 その後行くたびに交渉した末、「そんなに気に入ったのであれば」と安く分けてもらってから、古時計の蒐集に嵌ってしまった因のある店で
あり、此処に来ると其の時の光景が今でも目に浮かぶ。


 有名な千曲川スケッチ、島崎藤村が 「小諸なる古城のほとり、雲白く遊子悲しむ、緑なすはこべは萌えず、若草もしくによしなし」、と歌った舞台でも有る。


 そんな小諸に到着、何時も行く駅近くの骨董屋に直行、案の定時計らしくもの無く諦め次の店に、其の店は一方通行であるから回り道して店に着くが、此処も店が開いてない。

 またまた、ガラス越しに中を見渡すが、やはり時計らしきものは無い、しかたなく早々に引き上げるが、過去小諸では面白い時計を安く手に入れているので、今日もつい期待してしまう。

 しかし、そんな甘い期待は直ぐに砕け散って、再び腹の虫がくり返してきそう、上田の「刀 屋」に向け車を走れせ2人して、「この時間だと当然店の外で待たなければ成らないな」と合ずちを打つ。

 
 今までの昔の思い出に浸っていた感傷は何処へやら、はや、食い気だけ先に来て、昔のムードどころでなく食い気に走っている未熟者が2人、蕎麦屋を目指して走る姿は見せたくないものである。
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