2010年12月03日

続古時計行脚 14

      主人曰く、「この前、あんたが帰った後直ぐにお客さんが来て、あんたのサインがもらえるか」と尋ねられたと。

 この店の主人に前も、私が出した本にサインを何冊かした事があり、其のお客もサインをして欲しいとの事、ありがたい話で私のサインでよければ幾らでもする。

 差し出された本にサインをして、「時計は入っている」と聞けば、難しそうな顔をして「この所さっぱりで珍しい時計等全然見ない」と厳しい答えが返ってきてしまった。

 確かに其のとうりで、更に主人曰く、「この不景気で業者は昔買いこんだ時計は、今安くて売れば損がたつから今は売らないし、話にも乗ってこない」と、半ば投げやりの言葉。

 そんな話を聞いていると先が思いやられるから、主人に「情報は無いのか」と逆に問いかけ、これから長野まで行くから、其の間に何処か古時計を持っている業者を教えてと。

 すると主人、「更埴に買出し屋の仲間がいるから寄ってみたら」と、ありがたく場所を教えてもらい佐久市内を探索に出発、佐久はあまり道具屋は多くないので、さらりと回るが何も無く小諸に車を向ける。

 国道を小諸に向う道筋に大きなリサイクルショップが左側にあり、良く寄ったリサイクルショップで、多い時には50台を越す古時計を店内に展示し、其れを販売していた。

 此処でも昔は多くの珍品を入手した事がある縁起の良い店でもあり、今回も期待して車を走られるが、そろそろ腹がすいて来たようで2人とも上田まで持たない事を確認。

 コンビ二に車を横ずけにして友人「あんまん、豚まん、どっち」と、聞くや素早く店内に入り両方の熱々の「あんまん、豚まん」を買い込んできて2人とも無言で食べだした。

 やっぱり予想どうり、「上田のかたなや」まで腹が持ちこたえてくれず、自分の意思に反して勝手に行動しているのが情けないと、思いつつあんまんを早速たいらげる。

 例のリサイクルショップに到着店の中に、確かに古時計はあるが前と殆ど変わっていない様子、店員のおばちゃんに、その後新しい時計は入っていないと尋ねる。

 おばちゃん「私では分からないが、店番して居ても時計は売った事がない」と、やっぱり期待して来るとこんな事だと思いつつ、次に進む事にする。
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2010年12月01日

続古時計行脚 13

      結局、朝起きて元気な友人が運転席に座る事になる。

 友人、珍しくナビで1番楽なルート、浅間温泉経由三才山トンネルを通って和田に抜ける、そして紹介された道具屋に直行するも、時間が早くて店はやっぱり開いていない。

 友人、「そんな馬鹿な」と小さな声でぶつぶつ、当たり前の事であるから笑えて、「朝早くに店など開いてないが普通」と言えば、「けしからんせっかく来たのに」とマタマタ、「ぶつぶつ」と、今度は大きな声である。

 この店、茅葺の民家を其のまま店にしていて、確かに何かありそうな雰囲気があるが、店が閉まっていては話に成らないので、縁が無かったと思い先に進む事にする。

 国道を佐久に向けて車を走らせ、車内で友人「今日は初めから幸先が悪い」と呟きだし、「昼飯も食べれないかも」とマタマタ弱き発言が飛び出してきた。

 確かに、このままのルートだと上田の蕎麦屋 「かたなや」まで食べれないかもしれない」と、私も思ったが先に進むしかないので車を走らせる。

 佐久市内に入る手前に買出し屋の店があるので、友人にそちらに向うように指示、しかし友人「何処だったけ」と言い出す始末、確かに私も何度か行ってはいるが、新しい道が出来て風景が違っている。

 少し来ないと風景が変わるが、新しい道が出来てしまうと、ついつい通り越して目的地がわからないことが多いが、今日も其れらしき気配に成ってきたようだ。

 何時もの事であるが、ナビは確かに車に存在するが、2人とも頭の中にしまってある店のイメージを頼りに進むのが常、この店も御多聞にもれず、名前など無いし苗字も知らない。

 あるのは、以前に行った事があるから其の記憶のみ、人には絶対教えられない頭の中のナビ、よく人から「店の名前を教えてくれればナビで行ける」と聞かれるが、店の名前は知らないし、覚えてもいない。

 それでも何時も目的地には到達しているから、別に人から「よく、それで全国に行くね」と言われるが、昔から一度通った事のある道は記憶に残っていて、周りの風景から全体像まで浮かんでくるから、頭のナビは大丈夫である。

 やっぱり今回も新しい道が出来ていて通り越したよう、2人して絶対に通り越したよ「風景が違う」との事で引き返し、結局迷った挙句店に到着、早速店の中へと入る。

 2年ぶり、店の主人が出てきて、早速、「戸田さん、頼まれているから本にサインして」と顔を見るなり催促され、本にサインをする羽目に。
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2010年11月30日

続古時計行脚 12

      大浴場でゆったりと疲れを取り部屋に帰ったら小腹が空いてきた。

 友人登場、何だか「小腹が空いてこない」と水を向けてきたので、私はわざと「余り空いていないが」と突き放せば、友人「1人で行くか」と、私に聞こえるように独り言みたいな態度。

 すると友人服を着替えて直ぐにでも行ける格好に、仕方なく私も服に着替えて蕎麦を食べに、蕎麦屋は「花月」の直ぐ裏の「こばやし本店」歩いて1分の蕎麦屋で昔から行きつけの店であり、蕎麦屋を探す必要も無い近場。

 この「こばやし本店」昔ながらのたたずまいの店、古い暖簾をくぐり店の中に入ると、客はまばらであったが中央の席に着き、ざる蕎麦を注文する。

 店の中に入ると突き当たりに蕎麦を打つガラス越しの場所があり、客が蕎麦打ちを見学できるようになっていて、打ちたての蕎麦を食べることの出来る店でもある。

 よく店の看板に蕎麦は打ちたてと書いてあるが、実際には作り置きの蕎麦を茹でて、客に出す店が非常に多い、打ちたてとうたっているだけの偽物である。

 此処の蕎麦正真正銘の打ちたて蕎麦で、白くて腰のある「更科蕎麦」、汁は少しからめでかつおの出汁が利いていて、後で蕎麦湯で薄めても鼻にかつおの香りが鼻に抜ける。

 2人して無言で蕎麦をすすり、早々と店を出て、近くの四注神社に明日の成果を祈願するために向う、ここも歩いて3分時間が掛からず、腹ごなしには成らないが御参りをする。

 たかが歩いて時間も掛からなかったが、体が冷えたので大浴場にまつしぐら、誰も入ってなくて2人してのんびりと湯につかり、「やっぱり食べすぎ」と腹をさすって湯につかる。

 明日のルートの話になり、またまた意見が続出してルートが決まらず、「青木峠を越して行く」のか、「和田峠を越して行く」のか2人して喧々諤々と論議が始まる。

 つまり、和田峠を越して佐久から小諸、上田、更埴、長野ルートと、青木峠を越して更埴、上田、小諸、佐久と回るルートであるが、どちらから回った方が、成果が有るのかで論議噴出。

 明日は田沢温泉が宿泊地、どちらのルートを通っても田沢温泉に帰ってくるわけではあり、さほど変わりはないが、昼食べる蕎麦屋が何処で食べるのかが問題なのだ。

 結局はどちらのルートも決まらず、朝起きて先に運転するものが決める事にして論議は打ち切りにする。
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2010年11月28日

続古時計行脚 11

      ホテル 「花月」にチックインして荷物を置き、直ぐに外に出る。

 この宿、もう何十年前からの行きつけの宿、外観は松本城のある町にふさわしく古風な建物、如何にも高そうに見えるが意外とリーズナブルな値段であり、ビジネスホテルと変わら無い値段で泊まれ、しかも内装は豪華で松本家具やヨーロッパ調の雰囲気を漂わせる、お気に入りの宿。

 此処に宿泊すれば松本市内は自由に足で回れ、夜は夜で食べ物屋に困らないくらいに沢山の店もあり、松本観光の一押しのホテルで、又アンティーク好きな人には特にお勧め。

 私は特に気に入っているのは風呂、当然部屋にもあるが、やっぱり大浴場が1番、朝も早くから開いているので便利だし、ゆったりとして寛げるのが良い。

 食事も美味しいし安いのも魅力、何だかホテル「花月」の宣伝の様になってしまったが、別に宣伝料を貰っているわけではないので、今日の夕食は行きつけの「木曽屋」でする事に、この店松本民家をそのまま店にした造りで、非常に雰囲気が良い。

 店内には我々が好きなものがインテリアとして、さりげ無く飾ってあるのも良く、当然其の中には古時計も、もちろん飾ってあり誰が訪れても懐かしさを覚える店である。

 此処のお勧めはやっぱり馬刺し、それに田楽定食之を食べなければ松本に来た気がしないのと、後でやっぱり食べとけばと言う後悔が出る恐れが、何だか変な方向に行った。

 2人して馬刺しを食べながら、友人は「地酒」、私は「水割り」と何時もの別々の飲み物を飲みながら、今日の反省をしだしたが、友人恭しく「今日は走りすぎて疲れた」とおっしゃる。

 しかし、他かが高山から松本まで150キロそこそこ、陸奥行脚では1日700キロを超えていたし、高速道路とはいえ1人で運転したわけでなくそんなに何故疲れたのか分からず。

 「何故」と、すると友人「飲みたいものも飲まず、食べたい物も食べず我慢したから」と、のたまいはじめ、「さあ体力作り」とばかり馬刺しを口に放り込み酒を飲む。

 何だかんだと云いつつ木曽屋で食事を終え、橋を渡れば「まるも」の前、まだ店を開いていたので再びコヒーを飲みに中へ、閉店まじかで客もいない。
 
 静かな店の中、男2人が静かにコヒーを飲んでいてもさまにならず、早々にコヒーを飲み込み店を出 「花月」 に帰り大浴場で旅の疲れを癒す事にした。
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2010年11月27日

続古時計行脚 10

      店の主人が何処に行くのかと尋ねてきた。

 帰り際に店の主人が「之から何処に行くのか」と聞いてきたので、私は「松本で今日泊まり」と言う、すると「明日はどちらに」と又訳の分からないことを聞く、如何してかと聞けば、「紹介したい骨董屋がある」との事。

 主人曰く「和田峠を少し越して、白樺湖に向け少し走った所に友人がやっている道具屋があり、其処にも珍しい時計があるから寄って行ったらどうかと奨めてくれたのである。

 有り難く情報を教えてもらい松本へと車を走らせ市内に入ると、またまた友人登場、「今日はコーヒーを飲んでいない」とのたまう、そういえばコーヒーを飲んでいないことに気が付く。

 私は、一日に少なくとも3、4杯のコーヒーを飲まないと、落ち着かなく何か物足らなさを感じるので、其の都度行きつけの喫茶店にコーヒーを飲みに行くのである。

 松本市街には何時もの行きつけの喫茶店、「まるも」 が待っているが、急に飲みたくなり其処まで持たないので、近くの喫茶店を探してコーヒーを飲むことにしたが。

 それらしき喫茶店が見つからず、自動販売機で買うことに、これが又揉め事の原因に成ってしまう事に、友人コーヒーについては詳しく、又拘りがあり「このメーカーの自販機はダメ」とか、「その缶コーヒーは不味い」とかで、どの自動販売機で買えばよいのかと揉めだした。

 結局、缶コーヒーを買うのに自動販売機をはしごする羽目に、そして最後はコンビニに入って自分の納得のコヒーをお互いに買い込んで、やっと松本市街に入る。

 真っ先に馴染みの四柱神社前にある古道具屋2軒に向かう、ここは過去色々な珍品を入手した縁起の良い場所、早速店の中に入るが古時計の姿が見つからないし、店の主人が居ない。

 直ぐ近くのもう一軒の店に入ると目の前に古時計発見、掛けてある時計の振り子室の扉を、片っ端らに開けてラベルの検査をするが、目新しい物は無く期待はずれ、店の主人も呆れ顔。

 諦めて、何時もの喫茶店「まるも」でゆっくりとコーヒーを飲み、松本へ来た実感を味わいながら、明日の行く先について2人して検討に入るが、中々決まらず今夜の宿「花月」に入る。

 この宿、40数年前から松本に泊まるなら「花月」か「いちやま旅館」と決めていたし、又此処でしか泊まらないが2つの宿、昔ながらの建物で重厚かつ豪華、料金も安いが雰囲気も良い、アンティーク好きにはたまらない宿でもある。

 以前から良く行ったお気に入りの旅館、しかし残念であるが「いちやま旅館」は今は廃業して存在しないし、泊まりたくても泊まれないのが心残りであるが。
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2010年11月24日

続古時計行脚 9

      やっぱり探していた堀部時計に間違いなかった。

 何時もの事であるが、探しもとめている古時計と何処で出会うかわからないし、それが古時計探索でもあり、古時計との出会いでもあるが、突如としてやってくるのも又古時計だ。

 今までの経験から言うと、期待して店に入って行く時は余り成果が無いのは、過去のデーターが物語っているし、事実期待して行く店ほど成果は逆に乏しかった。

 今回もこのパターン、確かに主人の持ってきた時計は珍品であり、中々お目に掛かれない物でもあったが、どおしても欲しいとは思えず買う気にならないし、又主人の塗料の話で興味が半減してしまった。

 諦めた矢先の事であるから、感激もひとしおで2人して顔が綻びかけたが、相手に悟られては安く時計を買えず、何食わぬ顔で元の位置に時計を置いて、「他に珍しい時計は無いのか」と主人に尋ねる。

 「あの時計は要らないのか」と再度主人、私は、「又帰りにでも寄りますよ」と言って店を出る振りをすると、「せっかく来たから何か買って行ってよ」と主人が押してきた。

 「欲しい物が無いので」と言うと、主人「さっき見ていた時計は」とやっぱり押してきたが、「八角は幾らでも有るから要らない」と店を出ようとすると、「其の時計幾らでも良いから買ってよ」と来た。

 其れを此方は待っていたが、「幾らといわれても今安いから値段が合わないよ」と言えば、そちらの値段で良いからと言われ、買う事にしたが、友人「八角ばかり買っても溜まるだけでどうしようも無いと違う」と、買うなとばかりに追い討ちを打つ。

 示し合わせているわけではなく、友人は時計ばかり買って如何するのだと、呆れての発言であり、我が家の実情を良く知っていて、又時計を買って何処に置くのかと言いたげだろう。

 確かにそのとうりで、我が家はまさに時計で満杯の状態であり、時計を買い込んで何処に掛けるのか分からないが、目の前の時計は見逃したら、又何時会えるか分からない。

 堀部時計は明治30年代数年存在していた時計製造会社、記録上は確認できている時計会社であるが、何故かしら現物の時計が存在しない時計製造会社でもあり、今まで見たことが無い時計である。

 程度の良し悪しは別にして、史料価値が非常に高く、出会ったからには是非確保したいと思って買い込んだ物、友人の言う様に買い込んだ後、どおするのか考えるしかないが。

 長年探しいていた堀部時計を手にいれ、松本市内に向け気分良く進む事にして車に乗ると、店の主人が車に近寄って来て、「これからどちらに行くのか」と、問いかけてきた。

 










 
 
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2010年11月23日

続古時計行脚 8

      骨董屋の主人が持ってきた時計は確かに珍しい。

 一目で名古屋製であることは分かるが、製造所の確定となると中々難しいのでは、ラベルは無印であり、渦巻き鈴の台にも名前が無い、箱の後ろには愛知県時計組合のラベルが貼られている。

 時計は6インチ文字盤で、厚さ1センチの一枚板を全体に浅い彫が施されていて、余り見られない形をした古時計であり、時代的には大正時代であると思われるが。

 兎に角、買い出してきたばかりであり、埃が凄いのと機械は錆びて、多分分解掃除をしなくては動かないであろうと思いつつ、時計の横を見れば、ニスが剥げて手で触っただけで、ぼろぼろと剥げてくるから始末が悪い。

 確かに珍品に違いは無いが、此処まで状態がひどいと修復に手間が掛かるのと、修理を請け負ってくれる人が居れば良いのであろうが、時間とお金が掛かるから、結局は高く付いてしまうだろうと私は思って見ていた。

 其の様子を見ていた店の主人「どおですか珍品でしょう」と、一気に攻めてくるが、こちらがその気の無いのを見抜けぬ様子、追い討ちを掛けて「こんな珍品二度と出てこない」と、たたみ掛けて来た。

 「そうだね」と私は言いつつ、「之が完品であればすく゛にでも買って行くけどね」と、之だけ酷いと成ると修復する人がいないのではと、主人に水を向ける。

 主人曰く、「こんな物、古色を付ける塗料があるから、今から塗って上げようか」と、すました顔で私に投げかけてきたから驚き、「そんな事したら時計が台無しに成ってしまう」と言えば、「今まで誰もそんな事は行った人はいないよ」と、又してもすまし顔。

 確かに塗料を塗れば綺麗に成るのは必上、しかしそれでは古時計を蒐集する意味が無い、第一今までの塗料がどんな色で塗られていて、其れが復元可能か調べないうちに、上から塗料を塗ってしまったら価値がなくなってしまう。 

 よく古道具屋やリサイクルショップなどで、ピカピカの塗料が塗られた時計を目にするが、幾ら珍品時計でも買いたいとは思わないし、それでは古時計に対して失礼であると私は思うが。

 そんなやり取りをしていると、店の片隅に八角型の掛時計を発見、主人の話を他所に其の時計にまっしぐら、振り子室の扉を素早く開け中のラベルを読もうとするが、埃まみれで字が読めない。

 ここで友人登場、ラベルを読んでもらう事に、友人時計を持って店の外へと素早く立ち去り、「ローマ字で堀部と読めるけど、後は分からない」と、其れを聞いて俄然やる気がしてきた。

 本当に堀部であれば、今まで探してきたが終ぞお目にかからず、40数年にして始めてお目にかかる代物で、店の外で2人して振り子室のローマ字を確認する。

 背板に張られている白紙には、やはり堀部と確認でき2人して「間違いない」と、確信に変わり、すぐさま主人に「他に珍しいのは」と聞けば、何だか怪訝そうな顔で「こちらの時計は要らないの」と逆に問いかけてきた。





 
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2010年11月21日

振り子 2

      時計の振り子はデザインで良し悪しが決まる。

 
 振り子式の時計は振り子が付いているのは当たり前であるが、其の振り子色々な種類や形があり、時計の品格や風貌まで決まってしまう重要な部品でもある。

 掛時計や置時計に振り子は全部付いているが、大まかに大別すると八角型には、あまり変わった振り子は殆ど見受けられないが、スリゲル型や変化型の時計には変わった振り子が付いている場合が多い。

 例外として、八角尾長の掛時計には変形タイプの振り子が付く物も一部にあるが、これが又面白い振り子で、アメリカ製の振り子をモデルにコピーした物であると分かるのだが。

 大抵は女性の顔が彫られた振り子が多くあり、これを日本の製造所が手本に振り子を製作したであろうが、アメリカ製の振り子は女性の顔の彫が深く、日本で製作された振り子の顔は彫が浅く、まさに日本人の顔をしているから面白い。

 コピーするのだからアメリカ製の顔と同じ物に成るはず、それが同じ顔にならず、平べったい日本の人の顔に出来上がるから面白く、意識してそお成ったのかは分からないが、製作段階で自然に成ったであろうと思う。

 時計本体はそのままのコピーで忠実に再現されており、振り子だけは日本的に成るのも不思議であるが、日本人が西洋人の顔を描いても、やっぱり日本人に成ってしまう様だ。

 この振り子とは別に、エンゼルが付いた振り子もたまに見かけるが、この顔もやはり日本的なエンゼルの顔をしていて、見ていると笑わずにはいられない位の出来である。

 振り子の殆どがアメリカ製や外国製の振り子のコピーで、日本独自にデザインされた振り子も存在しているが、数が少なく余り見かけることが無い。

 例外は、大正天皇の即位記念や昭和天皇の即位記念に作られた時計の振り子には、「鳳凰や菊の御紋」が入った「特別な振り子」が製作させているが、其れときずかずに見ている人も多いのではないか。

 もう1つは、陶器で出来た振り子で、大正時代に製作されているが、戦前戦後の金属不足の時期にも製作され、その振り子も存在しており、之も珍しいし数が少ないから、集める事をお勧めする。

 このように振り子に視点をおいて、古時計を鑑賞されるのも又別の意味で、楽しい物になると思いますし、明治時代コピーだけに明け暮れていたのではなく、日本独自の振り子も製造してやろうとした、先人たちの心意気も振り子の中から、読み取っていただければ、古時計もより一層興味が湧いて来るのではないだろうか。






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2010年11月18日

続古時計行脚 7

      今回も懐中型掛時計は商談成立せず。

 今夜の宿、「山久」に到着、この宿高山にあって値段も安くて、しかも設備と雰囲気は抜群、料理も美味しくて何時来ても満足な宿、それでいて上三之町にも近く、利用価値の高い宿だ。

 この宿「山久」、昔の日本旅館の良さがふんだんに残っている宿、決して豪華ではないが落ち着いた建物、高山らしく木の素材が生かされ、大きな梁があちこちに見られる。

 ロビーには、主人の蒐集した色々なコレクションが展示してあり、さながら実に博物館のようで、其の中には当然古時計も含まれており、私の目を楽しませてくれている。

 私は仕事上で高山には良く行くことがあり、一ヶ月に1回はこの宿に泊まり、仕事から解放された一時をすごすことが出来、気分転換にロビーで古時計を眺めながら過ごした。

 そしてこの宿、外国人にも人気て゛風呂に入っていると、突如外国人が入ってくるから、はじめはビックリしたけど直ぐに打ち解け、話せない片言の英語で「身振り手振り」よろしく、風呂の中で会話するのも日常茶飯事である。

 宿の主人の古時計買い付け場所を聞き出し、翌日其の骨董屋に向かうが、松本の近くとの事であるが、道が入り組んで説明し難いので、近くに行ったら現地で聞いたほうが分かりやすいと、宿の主人。

 翌日、安房峠を越えて松本へと車を進め、目的地近くで聞き込み開始、何時もの事であるが2人供ナビを信用しないで探すのが常、何のためのナビかはさて置いて。

 宿の主人が言っていたとおり道が狭いし分かりずらい、車を空き地に止め歩いて目的地探し、近所の人に聞いても「知らない」との返事、それもそのはず、骨董屋と店を決め付けていたので誰に聞いても知らないと、探し当てたのは雑貨屋であった。

 雑貨屋の片隅に店主の趣味で骨董品を買い出してきては販売しているとの事で、骨董屋の看板なぞ何も無い、私が勝手に骨董屋と思い込んでいただけである様だ。

 店に入り主人に噂を聞いてやって来たのだと言うと、「そんなに遠くから何で又わざわざ来るのか」と半ば呆れた顔をして我々を案内してくれた。 

 最近はめっきりと古時計が減ったと、主人は嘆きながら埃まみれの時計を取り出して、「この時計少し変わっていない」と私に問い掛けてきたので、其の時計を受け取りじっくりと見る。




 
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2010年11月17日

続古時計行脚 6

      ゑま庄の店に入り、何時もの事であるが店内を見渡す。

 相変わらず、鴨居には柱時計が5台ほど掛かっていたが、以前と余り変わりは無く新しく入った様子が無い、ガラスケースには置時計が数点あったが、欲しい物は見当たらない。

 2人して店内を見て回るが、普段なら店の主人が現れ、世間話をするはずであるが、今日は顔を見せないので可笑しいと思ったら、店の奥から奥さんが出てきて、「今日主人は寄り合いがあっていないです」と、主人との世間話はお預け、近くの骨董屋を見て回る事に。

 ゑま庄の近くには骨董屋が4、5軒固まっており、見て回るには都合が良いが、この辺りは顔見知りの骨董屋ばかりで、店に入れば直ぐに「古時計は入ってないよ」と、こちらが問いかける前に返事が返って来る始末でやり難い。

 友人と2人顔を見合わせ、「何か指名手配の犯人のようだ」とニガ笑い、「ギャラリークラツボ」に入り時計を見るも、やはり新しい物は無く帰ろうとすると、店の奥から主人が「何時になったらこの時計を持って行ってくれるのか」と声を掛けた来た。

 この時計とは、「懐中時計型両面時計」で、もう20数年も同じ事をしているのであるが、「向うの言い値とこちらの言い値」が合わず、月日だけ流れて今日に至っている。

 誰か買って行けば、こんなやり取りは無くなると思っていたが、買い手なく20数年も経ってしまい、今だに同じ会話をしている事も驚き、別に時計が悪いわけではない。

 むしろ珍品時計であり、今では滅多にお目に掛からない代物であるが、値段が合わないから、そのまま店に居ついて、店の主みたいな存在になってしまった。

 古時計を蒐集していると、不思議なことが数々あるが、この時計も其の1つであり、実はこの店に来る以前に30年も前、別の店でもこの時計と出会っているが、やはり値段が高くて手が出なかった物。

 縁 (えにし) としか思えないのであるが、普通であれば、とっくに我が家に来ていても不思議でないのであるが、この時計に関しては何故か欲しいけど買う気にならないので、又不思議であり自分でも分からない。

 縁 (えにし) が有るのか無いのか、この時計「厚さが12センチ、直径40センチ以上、重さ6キロ」もあり、それが二の足を踏んでいる理由に成っているかも知れないが、それだけであろうか。

 












 
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2010年11月13日

続古時計行脚 5

      居合い道師範の店を後に高山に向けまっしぐら。

 飛騨の里入り口のアンティークショップに行くも閉店して誰も居ず、市内の骨董屋に向かうが友人、「i f」でコヒーを飲まないのかと宣、それもそうだ「今日は高山泊まり」、先を急ぐ必要は無いのであるが、気持は日の高い内に古時計探索をするのが先ではないのかと思うが、友人の意見に賛同そちらに行くことにした。

 高山駅前の喫茶「i f」、、、、「喫茶いふ」、、、ここは40数年も前から通い詰めている喫茶店、店主の清水さんは某有名人の親父、私にとっては古時計仲間。

 昔は、こじんまりとした喫茶店で、中に入ると別世界であり、憧れの古時計が所狭しと置いてあり、時間の立つのも忘れて時計に見入っていたものである。

 アメリカ製の時計、フランスやドイツの掛置時計、日本の珍品時計などが40台以上あったし、店内のテーブルや椅子は特注品で店の名前が彫り込まれた、趣のあった店でもあった。

 そして、駅にも近いことから人気店であり、店に入りきらず客が表で列を成していた事も多く、中々順番待ちが多く、直ぐにコヒーは飲ませてもらえなかった。
 
 今はビルとなり店も倍以上に広く、何時でも入れる大きさになっているが、椅子やテーブルは元のままであるが、やっぱりこじんまりとした前の店の方が、私は古時計にはあっていたと思う。

 コヒーを飲み終え、骨董屋「ゑま庄」に向かう事にし、車を走らせ路地を抜けようとした時、友人突如登場、「ストップ」と大きな声で私を指示、何かと思えば、民家の中を指差して「時計」と一言。
 車を止め家を覗き込むと、其処にスリゲル型のユーハンスが掛かっていたのを、友人が目敏く見出し、「何だか予感がした」と自慢そうな顔をして、私を見ていた。

 何度かこの路地は通ったことはあるが、今まで気が付かなかったし、こんな所にユーハンスが有るとも思わなかったが、探せばまだ我々の気が付かないところにも、古時計が存在しているものだ。

 何だか気分が良くなり、これから先、良い古時計にめぐり合うような予感、しかし、友人「何時も幸先が良い時は後が悪い」と、またまた水をさす発言が跳ね帰ってきた。

 気分が良くないが「ゑま庄」に到着、此処の店との付き合いも古い、私が時計を蒐集する前からの付き合いで、過去には色々な珍品の時計を安く出してもらい、情報も多く教えてくれた店。

 此処の主人も早くから古時計の知識は深く、又自分も古時計好きである事から、店にも沢山の古時計が置いてあり、店に寄る度新しい発見が待っていた。



 
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2010年11月03日

続古時計行脚 4

      居合い道師範の店に到着するも店は閉まっている。

 やっぱり、又無駄足であったかと店の前に、ドアーに張り紙がしてあるのに友人が気ずく、外出中で午後2時には帰宅と書いてあり、仕方なく待つことにした。

 店の直ぐ近くに小川があり、友人は早速小川を探索に行く、岩魚の絶好の釣り場所であるようで、ポイント探しに険しい崖を降りて行ってしまったのである。

 何時もの事であるが、釣りの事になると友人は目の色が変わり、危険な所でも見境が無く、釣り場探しに没頭するから、幾らこちらが呼んでも返事もしない。

 こんな時はほかっておくのが1番、好きな事となると時間は気にしないいから、納得が行けば帰ってくるだろうと店の主人を待つ、待つこと15分、主人が帰ってきた。

 私が居るのに主人は気が付き、「連絡無しに来ても無駄足であったのに」と、呆れた顔で私のほうに近寄って来て、「見た顔だね」と店の中に招き入れる。

 店は、古民家を利用しているから、雰囲気は良く、囲炉裏が中央にあり、回りに所狭しと骨董品が置いてあるが、この雑然とした雰囲気が又良い、何か有りそうな雰囲気であるから。

 ガラスの扉の向うに、色ガラスの置時計が数点目に入るが、其の上の鴨居に古時計発見、珍品時計であり中々お目にかからない代物であるが、程度が良くない。
 
 気にはなるが知らない素振りして、主人に「出物の良い時計は無いのか」と尋ねれば、私の方を指差して「あんたの頭の上」とあたかも「何処を見ているのか」と言いたい素振り。

 そらきた、心の中で「やっぱりこの時計を売りたいらしい」と分かったが、興味無さそうに「程度が悪いのと部品の一部が無い」ので気が進まないと主人に告げる。

 主人、「幾らなら買える」と直ぐに返答が帰ってきた。私は「安ければ直してみるが、金が掛かりそうなので、この時計は遠慮するよ」と告げ、気にも留めない素振りをする。

 尚も店内を探索していると、主人「珍品だから買ってゆけ」と追い討ちを掛けてきたので、「今度来る時に残っていれば買う事にする」と答えると、「安くするから持って行け」と、またまたダメ押しをして来た。

 お互いに通り相場は分かっているが、後は「欲しいと思った方が負け」で、「こちらは時計」、「あちらは金」、とお互いが折れ合うかどうか、やっぱりゲームでもある。

 そんな駆け引きを、じっくりと腰を据えて主人と遣り合っていると、そこに友人登場、「何も無いなら時間が掛かるから早く次に行く」と、今までの自分の事は忘れているかの様な口振りで催促する。

 私も、「じゃあ又来るよ」と告げ腰を挙げると、主人「あんたの言い値でよい持って行け」と、其れを「待ってました」とばかり金を払って、時計を受け取り高山に向け車に飛び乗る。
 




























 
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2010年11月02日

続古時計行脚 3

      逆さ振り子の時計未だ我が家に飛来せず。

 40年もの永きに渡って求め続けて、未だに我が手元に入らない時計も数々あるが、平甚の時計は又別の意味で、ひとしお思いが深い時計でもある。

 しかし、今は手に入らないので蕎麦を堪能して、郡上の骨董屋を巡るが、昭和の時計ばかりで数も少なく、見るべきものも無く次に進むことにして、郡上から飛騨清見に抜ける事にした。

 この街道は、「せせらぎ街道」とも呼ばれ、高速道路が出来る前は高山へ抜ける重要な街道であり、多くの人が利用したが、今は交通量もさほど多くなく静かである。

 しかし、この道は標高が高く峠もきつく、カーブが多い事でも一級品の国道で、時間短縮には成らないが、景色は抜群で小川もあり、四季を通じて見所満載の街道でもある。

 ゆっくりと旅を楽しむには、うってつけの街道であり、地元の食べ物を探しながら、高山までの道のりを、あちらこちらの店で摘み食いをして、時間を掛けて行きたい街道である。

 郡上から20分位走った所に、あの源平の合戦で有名になった名馬「磨墨」、宇治川の先陣争いで梶原景季が源頼朝から拝領した名馬である。
 その「磨墨」が出たところ、つまり名馬「磨墨」の故郷が、この地明宝町で此処からあの名馬が出たとは、今は道の駅の「磨墨公園」に、大きくて立派な磨墨の銅像が建っている。
 
 その銅像を眺めながら、遠い昔の「名馬磨墨」の勇姿を頭に描き、源平の合戦、宇治川の先陣争いを想像し、名馬が駆け抜ける姿をダブらせるのも一興ではないか。

 そして、ここ明宝町は全国に知られた美味しいハム、「明宝ハム」の生産地でもあり、道の駅で販売しているから、一つまみするのも楽しいのではないか。

 次なる目標は、この街道の中間あたりに目指す店があり、其処には今までにも変わった時計を手に入れているが、値段が高いのが「いまいち」、それさえ克服できれば都合の良い店である。

 この店の主人、居合い道の師範で全国を渡り歩いているので、中々店が開いてないから、注意して訪問しないと時間を掛けて行く事に成るから、開店日を確かめた方が良い。

 
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2010年10月29日

続古時計行脚 2

     論議をするも郡上まで腹が持たずヤナ場で鮎を食べる。

 ヤナ場とは、夏の終わりごろ鮎が産卵のため川を下るが、其の鮎を川の一部に誘導して、竹製のデッカイ簀みたいなもので、水は隙間から下に流れ鮎が取り残され、一網打尽に捕まる仕掛けである。
 
 友人の頼みで鮎を食べたが、まだ腹が一杯にならないのは何時もの事、やっぱり「郡上の平甚」で蕎麦を食べなければ旅の始まりは無い、まっしぐらに平甚に直行する。

 この「平甚」は蕎麦処として有名、ある有名人が平甚の蕎麦を食べに来て、中々順番が来ないのに苛立ち始め、付き人が「早くしてくれ」と主人に頼み込んだらしい。

 すると主人、「有名人であろうが一般人と同じで待ってもらう、嫌なら帰れ」と一括、有名人を無視、蕎麦を打ち出し、それを聞いた人達が拍手喝采をしたとか、そんな逸話を持つ頑固親父の店である。

 そして、私にとって今でも後ろ髪引かれている店で、未だに其の問題を解決されていない、難題を抱えた曰く因縁の店でもある。

 郡上の平甚の店に入り、左手の壁中央付近に掛けてある時計が其の問題児、この問題児をめぐって早40年が過ぎ、問題児を未だ手に入れることが出来ていないでいる。

 その問題児は、明治後期名古屋で造られた掛時計で、今では中々見る事の出来ない「大珍品の時計」、「神谷鶴次郎作の逆さ振り子の掛時計」である。

 40年も前、ここの主人が私に「何処の時計か分かるか」と、蕎麦を食べている時に問いかけてきたので、早速中を開け見て「ビックリ」神谷時計であり、しかも完全オリジナルに近い珍品時計であったのには驚いた。

 よせば良いのに若かった私は、自慢げに「この時計は大珍品であり」、しかも「中々見る事の出来ない物」で、お宝ですよと主人に告げると、「そんな良いものなら取っておこう」と言い出した。

 其の上、私が不思議そうな顔をすると、主人いわく「動かないから捨てようと思っていた」と、思っても見ない返事が返ってきたのに私は驚いた。 

 しまった、自慢げに私が時計を褒めすぎ「珍品時計」と言った為、動かないから捨てるはずの時計を、捨てるどころか「お宝として」大事に保管する事になってしまった。

 その後、何度も主人に譲ってくれと申し出たが、「あんたが大珍品だと言ったから家宝として取っておく」と、私の話に取り合わない。

 それ以来40年、あんな説明をしなかったら、この時計は我が家に引っ越してきて、我が家の一員になってたのに、自慢げに知ったかぶりをして説明したお陰で、この時計を手に入れることも出来ず大失敗したのである。

 
 









 
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2010年10月28日

続古時計行脚 1

      陸奥行脚を終え、暫くは静かにしていたが、またまた虫が出てきました。

 陸奥の旅を終え、暫く静かにしていたが、やっぱり腹の底から徐々に虫が這い出て来、古時計を求めて又旅に出る事にしたが、今回は短い時間で効率よく回るのを目指して、目的地に向け出発。

 例によって友人登場、古時計などまったく興味がない男と又旅に出、何故か息が会うから二人とも自然に旅に出るが、「酒と温泉」があれば何も言わない友人でもある。

 それゆえ、何時も目的地はこちらが決めてから、事後承諾で友人に告げるのが今までの通例、しかし一度も友人は文句を言わないが、食べ物が美味しくないと豹変するのである。
 
 何時もの事であるが、「蕎麦」には2人とも拘りがありすぎで揉める原因とも成るが、しかし酒に関してもめた事が一度もないのは、私が日本酒が嫌いで洋酒しか飲まない為、もめる事はなかった。

 夏の終わり出発進路は信州上田方面、この地方は友人と何十年来出かけていた地域で、2人とも何処で飯を食べ、何処の骨董屋に行けば古時計らしきものが有ると知り尽くしている場所でもある。

 先ず美濃市に向けて出発、上田に向け行くはずが何故美濃なのか、不思議に思われるであろうが、それは次第に進むにつれて分かる事であり説明は後に。

 東海環状を使い美濃市に到着、インターからさほど遠くない所に買出し屋があり、最初の訪問箇所に向かう事にした。

 ここは何度と無く立ち寄った所であるが、思いがけない掘り出し物を見つけたことが多くあり、縁起を担いで最初に寄ったが、主人留守で店が閉まっていてガッカリ。

 仕方なく国道を郡上方面に進む、すると友人登場、「確かこの川の向うに骨董屋があった筈だよな」と言い出したので、そちらに向かう。

 20分ほど走って店の前に到着、しかし様子が可笑しい、友人「この店潰れたと違う」とのたまう、よくよく見れば人の気配がない事に気付く。

 今日は初めから縁起が悪い、旅の初めからこれでは先が思いやられ、2人して厄払いの為、国道に戻り近くの神社で厄払いをする羽目に成る。

 厄払いをした後、郡上まで一気に進み、昼飯を食べる事にするが、又意見が分かれ、「蕎麦と鮎」どちらにするか激論が勃発する。

 友人は大の釣り好き、「郡上の鮎」を食べずして先に進めないと、其処まで言われれば鮎を食べるしかなく、郡上手前の「ヤナ場」に立ち寄る事にした。

 










 
 






 







 
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2010年10月24日

時計の振り子1

     古時計には振り子がつきものである。

 古時計は当然機械時計でありから、振り子が付いているが、この振り子オリジナルかどうか見極めるのも、中々難しく素人の人には非情に分かりずらく、専門家でも詳しい人は少ないようだ。

 明治初期にアメリカから輸入された古時計の中で、大小色々な形の時計があり、又メーカーにより振り子も様々な形をしているが、この振り子がオリジナルであると、直ぐに分かる時計がある。

 其の時計は、アメリカ製イングラハム社の時計であるが、振り子の裏にはイングラハムの振り子と分かるように印が入っているので、オリジナルかどうかの判断が素人にも分かりやすい。

 イングラハム社の掛時計の振り子には、裏側にパテントを取った日付けが記されているから、それが付いていればイングラハムの振り子である証、オリジナルであると思って良い。

 他社にも極まれに刻印が入っている物もあるが数が非常に少ないから、イングラハム社と間違えることは少ないと思われ、又イングラハム社の同じ振り子を2、3個比較してみれば、直ぐに覚えられると思う。

 イングラハム社のように特徴がある振り子であれば、素人でも直ぐに見分けが付くが、明治に輸入された時計の大半は、それであると見分けの付く振り子が少ないから、数多く見て細かく観察するしかない。

 日本製の時計の振り子では、精工舎初期の振り子に特徴があって、それさえ覚えれば初期型と、その後の振り子かどうかを判断する材料に成る部分がある。

 精工舎初期の掛時計の振り子には、2種類の振り子があり、振り玉だけの振り子と両袖に真鍮の棒が付き葉っぱが2つ付く振り子がある。

 振り子を取り外して、見分け方は振り子を裏返して、貝柱のように突起している部分を見ると、突起した部分の形により古いか新しいかが判断出来る。

 貝柱の部分中央が空洞で窪んでいれば新しい振り子であり、窪んでなければ古い振り子であると思って間違いない。

 特徴がハッキリしているから素人にも直ぐに分かるはず、石原町時代の振り子は、すべて貝柱の部分は窪んでいないし、振り玉だけの振り子は特に重く貝柱の部分が確りしているのが特徴であるから、新しいものとは区別できる。




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2010年10月19日

ガラス絵 2

    古時計にはガラス絵が付いている物も少なくない。
 古時計の振り子室、そこには振り子が動いている様子が分かるように、ガラスが嵌っているが、透明のガラスであったり、絵が描かれたりと様々である。
 大型の時計にはガラス絵は少なく、掛時計でも、小型のものにガラス絵が入っている物が多いようだが、其の種類にもよる。
 スリゲル型の掛時計には入っているものは少なく、大きい物は殆ど無く、あってとしてもガラス絵は、スッキリとした図柄のものが多く、小型の物でも余り入ってはいない。
 逆に八角型の掛時計には、振り子室にガラス絵が全て入っていて、そのガラス絵は種類も豊富であり、又形も様々である。
  木製の置時計にもガラス絵は入っていて種類も多いが、何故かしら八角型の掛時計のガラス絵の方が人気が高く、同じガラス絵が入っていても八角型の人気にはかなわない。
  1つには日本の生活様式に其の原因があり、掛時計よりも、置時計を置く場所が限られていた事も、要因の1つであると思われる。
 いずれにしても、八角型の掛時計に人気が集中し、明治初期より八角型の時計が多く輸入され、其の中でガラス絵の入った物が特に人気が高かったようである。
 しかし、ガラス絵と言っても八角型の掛時計には、ガラス絵ではなく、写真が貼り付けてあるものが多く、実際のガラス絵が入った物より人気があったのは何故だろうか。
  写真は「貴婦人風」、「子供」、「花」、「風景」と色々あるが、やっぱり西洋の薫り高い貴婦人の写真が一番人気であったようだ。

  今も昔も舶来品には非常に弱い日本人、そしていて西洋に憧れ、西洋物を買う日本人の性質であろうか。
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2010年10月12日

ガラス絵 1

    時 計 の 顔 ガ ラ ス 絵 。
 
 古時計の顔と言えば「文字盤」と答える人と、「ガラス絵」と答える人の2種類になるがどちらが多いのかは人それぞれで不明である。
 
 古時計には色々なガラス絵が付いていて、掛時計、置時計と種類はあるがガラス絵が付いていると、ツイツイ手が出て買ってしまう。
 
 其の時計が極普通の時計であっても、ガラス絵が良い出来であけば、ガラス絵につられて買ってしまうのは、私だけであろうか。
 
 古時計愛好者なら1度や2度は経験されているのでは、私はガラス絵に引かれて幾度と無く古時計を手に入れ、家に持ち帰って改めて時計本体を見て、ガッカリする事も多かった。
 
 その時は、ガラス絵の魅力に引き込まれてしまい、時計本体に目が行かず、「部品が変わっていたり」はたまた、「所々が剥げていても気が付かなかったり」で、普通はこんな古時計を買うつもりなど、絶対にないはずであるが。
 
 この時は、ガラス絵に引き付けられて、冷静さを無くしてしまい去る、ガラス絵にはそんな魔力が有るのではないだろうか。
 古時計のガラス絵と言っても、色々な種類があり掛時計に限っても種類は多く、スリゲル型の絵ガラスは、おもに金彩の絵柄が多く、銀彩もあるが線で描かれた図柄が多いようだ。

 特に大型の掛け時計にはガラス絵は少なく、有ったとしても図柄はシンプルで少ない線の図柄が多い、そして小型のスリゲルには、ガラス絵の付く物が極端に少なくなってしまう。 

 其の中でも、日本の時計愛好家に大人気のガラス絵が存在するが、其のガラス絵が付いた時計は、型が同じであっても値段が高くなっていることが多い。 
 

 それはアメリカ製アンソニア社のニューウ ハバナ型、この時計は古時計収集家であれば一台は必ず持っている人気の時計だ。
 ハバナ型のガラス絵が、ハンキングバスケットの図柄が付いたガラス絵は1番人気であり、店に入れば直ぐに買い手が付き、無くなってしまうのが常。

 しかも、バックオーダーを抱えるほど引っ張りだこであるが、中々ガラス絵の程度の良いものは少なく、やっぱり憧れの的でもある。
 同じ時計でもガラス絵の図柄で古時計の値段も跳ね上がるとは、ガラス絵の不思議な魅力かもしれない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2010年10月05日

招き猫 3

    招き猫発祥については諸説が多過ぎる。
 猫の習性を商売に結びつけ、それを製造販売して金儲けをする、又その招き猫を買い込んで自分の商売繁盛を願う。
 招き猫には連鎖して人々を金儲けをさせるご利益があるのか、しかしそれを売り出したのが「神社」であり、「お寺」であり、1番金儲けをしているのは「神社やお寺」である。
 庶民が小さな幸せを掴もうと地道に生活をしている中、真っ先に神社やお寺が金儲けをもくろむ為に、招き猫の故事を利用して金儲けをしているとは、何だかスッキリしないのは私のひがみなのか。
 そもそも、招き猫の生まれるきっかけは「猫の恩返し」に由来、自性院説や豪徳寺説、西方寺説や今戸神社説共に飼い猫が恩返しをした事に由来している。
 又、おいらん説やお店のばあさん説なども、捨てられていた野良猫を拾ってやり可愛がった末、猫が其の事に感謝して恩返しをしたとされ、恩返しの美談であるはずである。
 それを招き猫の姿にし作り出して、一般庶民にご利益がある様に仕向けるのは、神社や寺のやる事ではないと思うが。
 由来は兎も角、招き猫が誕生し、時代が立つにつれ招き猫に色々な物が付いてくる事、先ずは招き猫は「三毛猫」であること。
 話の最初が三毛猫であった事から、招き猫の姿は「三毛猫」と決まっていたかの様に作られているが、これは猫の中でも「三毛猫」は珍しく、幸運を招く猫であると言われていたから。
  初めから三毛猫で招き猫は作られたようで、江戸の由来とは違い、京都伏見の伏見人形の猫も三毛猫の姿で作られ、全国に広がり各地で招き猫は三毛猫として定着する。
 自称、江戸で最初に招き猫を作ったとされる今戸神社の招き猫も三毛猫であり、その後多くのところで作られた招き猫も、殆どが三毛猫の姿でである。
 これも京都伏見の伏見人形に由来するものであり、本来はみやげ物として売り出された素朴な土人形であった。
  それを神社やお寺が金儲けのため、招き猫を作って売り出し儲けるとは「けしからん事」、やっぱり私はくどいのかも知れない。 
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2010年09月06日

古時計陸奥行脚 21


    柏崎は良寛が晩年を過ごしたところ。
 
 港町でもあり、昔から栄えた土地で北前舟で都から物資が運ばれ、財を成した者が多くいたことでも知られている地であり、古時計を当然ある土地柄。
 
 そして、ここ柏崎は「良寛さん」の故郷でもあり、子供の頃漫画やテレビで良く見たもの、良寛と聞けば懐かしさが蘇っても来る。
 
 子供たちと夕暮れまで手毬などついて、遊んでいる風景が頭は浮かんでくるが、実はこの「良寛さん」晩年は若い尼僧と暮らしていたらしい。
 
  仏の道をまっしぐらに生きて、晩年を子供たちと遊び悟りの境地にを開き、余生も又、信仰に帰依していたとばかり思っていたが。
 
  小さな庵に若い尼僧と暮らしていたとは、良寛さんも中々やるではないか、何だか逆に親しみやすくなった感じだ、悟りを開き聖人みたいで取っ付き難い人かと思っていた。
 
  虚像とは違い、人間味らしい良寛さんの実像を知り、そんな良寛さんが益々好きになってしまって様である。
 
  其の良寛さんの地元で古時計の探索をしているのも何かの縁、是非良い物が見つかりますようにと、良寛だのみをするのも可笑しいのか。

  続けて柏崎市内を探索すると、又もリサイクルショップ発見、早速店内に入るが古時計らしき物は見当たらず、店員に「古時計はないのですか」と尋ねる。
  店員いわく「先週まで有ったが売れてしまった」と、しかし古時計が欲しいのならば、近くに置いてある店があるから行って見たらと、其の店の場所を教えてくれた。
  早速、教えてもらった店に急行する、やはりリサイクルショップであり中に入ると、多くの古時計があったが、昭和の物ばかりで欲しい物は無かった。

  その後2、3軒の店を回ったが結果は同じ、昭和の物ばかりで求めている物に出くわす機会は訪れず、良寛さんのご利益も終ぞ無かった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  

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