2010年08月30日

古時計陸奥行脚 20

     国道を西に柏崎到着、さあ古時計探索に入る。
 しかし友人登場、「探索に入る前に腹ごしらえをしないと気が散る」と、またまた飯の催促であるが之が又、揉め事の始まりである。
 
 例の如く、何処で何を食べるか、其の選択で2人の意見が食い違うことは明らか、「柏崎まで来たのであれば当然海鮮料理」と友人、私は余り魚は好きでなく「魚より何か違ったものが良い」と意見が合わない。
 運転はこちらがしているので自分の意見で店を探しに入ると、古民家風の店構えの蕎麦屋発見、直ちに其の店に急行する。
 友人いわく、「自分で入ったのだから、蕎麦が美味しくなくても文句を言うな」と、先に釘を刺されてしまった。
  忠告を聞きつつ店に入ったが、中々雰囲気の良い蕎麦屋であり腹の中で、「シメタ、ここは当たりかも」と思いつつ奥の席に着くことに。
  席に着くなり友人、「やっぱり、思ったとおり蕎麦が何でこんなに高いのか」と、客が多くいるのにお構いなし、声を大きくして私に問いかけてきた。
  渡されたメニューを見て確かに高い、定食ばかりで単品が無い、やたらと他のものが付いて値段を上げているようだ。
  すかさず友人、「おねいさん、ざる蕎麦無い」と、またまた大声で店員を呼び、「お金が無いから単品の蕎麦だけ下さい」と嫌味たらたら言い注文する。
  「やっぱり出たか友人の嫌味節」、しかし定食だけのメニューで之を食えとはケシカラン、私も腹の中で思いつつ目を奥にやる。
  すると目の先に古時計発見、席を立ち古時計を見学に、其の時計は国産のグランドファーザァー型、高さ2.2メートル位の大きな古時計である。
  アメリカ製のアンソニア風の文字盤が付いているが、どうやら国産ローヤルの様で中を見ないと何ともいえないが、店の雰囲気にはピッタリである。
  程度は普通で余り手が掛けてなくてオリジナルの状態であるが、今はどうやら動かしていない様で、中にクモの巣がはっている。
  席に帰ると蕎麦は出ていて、友人は食べ始めていたが、私が食べようとすると、両手でペケ印を示したので
 「やっぱりか」と思いつつ蕎麦を食べた。
 やはり蕎麦は旨くなく、蕎麦をかき込みすぐに店を出たが、「古時計を見た見学料であると思えば」と、自分に言い聞かせ友人の顔を見ると、嫌味だ苦笑いしてこちらを見てる。
 気を取りなおして次に進む事にして、国道を西に走り始める。

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2010年08月24日

古時計陸奥行脚 19

    引き続き長岡市内を探索する。
 前の店で珍品を発見、しかし値段が非常に高かったので購入をしなかったが、中々出てこない時計でもあることから、諦め切れず2人で後ろ髪ひかれる思いで市内を散策する。
 その後、2軒の店を訪問したがめぼしい物が無く、市内の探索を諦め、国道を柏崎方面に進路を取るが、其の時、目の前にリサイクルショップが目に飛び込んで来た。
 ウインドーに古時計が2、3台展示してあるのを友人が見つけ指を指す、急停車し其の店に直行、店内に入り早速古時計をチェック、すると珍しい会社の時計を発見。
 愛知県半田の小栗時計で振り子室のラベルも程度が良く、其の上値段が非常に安い、「シメタ」と時計を持ってレッジに向かう。
 値段も安いがダメでもともと、店員さんに値引きを交渉、すると「私では分からないから店長に聞いてみます」と言って、マイクで店長を呼び出してくれた。
  若い店長が出てきて「幾らで欲しいのですか」と逆に質問され、こちらが「5000円位なら」と答えると、其れで良いですよと即答してくれた。
 早速料金を払って古時計手にし、車に戻り改めてチェックを始める事に、文字盤はオリジナルだし、ラベルも綺麗に残っている。
 只、指針や振り子は少し違うようで、半田の小栗時計の振り子でなく、精工舎の振り子が付いているので、オリジナルに付け変えれば、完全な状態の時計に仕上がると確信。
 時計を見つけてくれた友人に感謝、最近ではリサイクルショップも以前と違って値段も高く付き、テレビの「鑑定団」の影響が大きく、我々にとっては良くない現象である。
 テレビの鑑定値段が即売値に反映して、程度状態やオリジナルで「有ると無いとでは」値段が全然違うが、同じ形であれば即、値段も同じと思われているのも、非常に迷惑な話である。
  しかし愚痴を言っていても始まらず、自分の足で良い古時計を探すしか方法は無く、地道に店を回り値段交渉を楽しむしか道は無いと悟る。
  
 
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2010年08月16日

古時計陸奥行脚 18

    長岡市内に入り次の店を探して少し遠回りする。
 ここ長岡も最近では古時計に関する情報が乏しく、以前のように多くの古時計情報が入らず、自分の足で探すしかないと思っていたが。
 何処も同じ状況で古時計が市場に出回らなくなって来たが、これも不景気が原因しているのか、それとも古時計が出尽くしてしまったのか、その原因は分からない。
 こんな時だからこそ、人に頼らずと自分で探せと言い聞かせ古時計探しに精を出す事に、2軒目の店発見、早速店の中に飛び込む。
 この店は古民具が得意と見えて、其れらしきものが多く時計の姿は何処にも無い、店の中をウロウロしていたら若い店主らしき人が姿を表す。
 怪しげな2人組と見えたらしく何処と無く白々しい、「古時計を探しいてると告げる」と無愛想に「どんな物が良いのか」と返事が返ってきた。
 「珍しい時計が欲しい」と告げれば、直ぐに店の奥に引っ込んで行き、大事そうに古時計を抱えて出てきた。
 見れば神谷時計の製品で、「大正天皇即位式記念」に製造された珍しい物、店主「お宅達は知らないかもしれないが珍品時計です」と自慢げ。
 そして、アンティーク掛時計の本を片手に解説が始まって、「このページに乗っている時計と同じだが、この時計よりも家のほうが程度が良い」と、またまた自慢げに解説。
 「お宅達は見た事無いでしょう」とのたまう、「見た事ありません」と告げれば、またまた解説が長々と続き自慢話が止まらない。
 其れを見ていた友人、「所で値段は幾ら」と切り出す、すると店主「やっぱりお宅達初心者だね」と又解説、時間が過ぎてしまうので、再度値段を尋ねる。
 ここに来て自分の書いた本を解説してもらうのも、ちょつと恥ずかしくて又嬉しくもある、しかし時間が無いので友人と目で合図し合う。
 想像したとおり、非常に高い値段を言われ「我々初心者では手が出ません」と丁重に断ると、このクラスに成ると「初心者では手が出ませんね」と若主人。
 新潟まで来て自分の書いた本の解説をしてもらって、変な気分で店を出たが、友人「何で黙って話を聞くの」と少し怒こったように問いかける。
 しかし、折角自分の本を見てくれているのに、それに反論するのは失礼だし若い人が興味を持ってくれることはありがたい事。
 友人の忠告はありがたく拝聴して、次の店を探しに長岡市内を更に散策、古時計を探し求めることに。
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2010年08月13日

古時計陸奥行脚 17


    新潟市内を後に長岡近くに到着する。
 
 この長岡も私にとっては重要な情報が入った所でもあり、かっては其の情報を元に珍しい時計を手に入れた事もあって、今日も期待が掛かる。
 
 国道を長岡市内に向けて進む、そして国道から少し入った旧道沿いに其の店はあり、古い民家で軒下も少し傾き加減、面から見ても商売をしている所とは気が付かない。
 
 戸を開けて中に入ると、古い鴨居に古時計が掛けてあり、其の中には珍しい時計も、其れを見て俄然やる気が沸いてきて店中を隅々まで見渡す。
 
  店の主人らしき人が出てき、「何をお探しですか」と問いかけられ、「古時計を探している」と答えるや否や鴨居を指差し「良いのが沢山あるけど」と即座に返事が返ってきた。
 
 確かに其のとおりで古時計は沢山あるが、値段を聞かなければ欲しくとも即座に手を出すわけにも行かず、主人に「右から二つ目の時計は幾ら」と聞けば驚くほど高い、相場の倍だ。
 
  こちらがビックリする様子を見ると「あんた達、素人だね」、この値段でも安いほうで、奥にはもっと高くてよい品があると自慢げにのたまう。
 
  其の上、「素人は知らないかもしれない」が、自分の家の時計は他では絶対に手に入らない時計ばかりで、「値段も安い方」だと。
 
 今や古時計の値段も全国的に平均化され、其の上インターネットで値段も広く知れているから、余程の収集家でも高い値段の時計は手を出さなくなっている時代だ。

 昔は兎も角、今は情報化社会、九州の古時計の値段も北海道の古時計の値段も、大体同じような値段に統一されている。
 
 店の主人が良い古時計と言うのは、黒柿のユーハンスで少し変わった形の物であるが、確かに以前は高かったし数も多くなかった。
  しかし、全国の骨董屋が値段が高く売れると成ると、ユーハンスを沢山どっと市場に出した為、収集家がウンザリし買わなくなってしまた。
 
 今は、其の時の高い値段では誰も買わないし、又全国にユーハンス物がまだまだ多くある事に気ずいた収集家達が、目を向けなくなった為に値段は暴落した。
 
  この店の主人こそ、今の相場知らずで古時計の情報を入手していない素人と同じ、情報化社会のはみだし者でもある様だ。

  
  こんな高い店では古時計を買う訳には行かない、店を後に次に向かう。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2010年08月06日

古時計陸奥行脚 16

       新潟に到着、さてどちらに行くのか。
 村上方面と長岡方面、そして湯沢方面と3つの選択肢があるが、帰りの事も合わせて考えると2人して長岡方面探索に決める。
 先ずは新潟市内捜査に入るが、道はやっぱりこんでいて目的地に中々着かないので、市内は諦め馴染みの買出し屋に連絡を取りそちらに向かう。
 新潟も縁起の良い土地で過去に数々の珍品時計を入手、その殆どが買出し屋の親父から買ったのが多い、今日も果たして良い物があるか期待して向かう。
  連絡していたので先方は我々の到着を待っており、自宅先で迎えに出て来て、あわただしく家に誘い込むのである。 
 親父いわく「数日前に珍品の時計を手に入れたが見て欲しい」と鼻息が荒い、その時計を奥から持ってきたが、確かに珍品である。
 上下に鎌倉彫の細かい彫がしてあり、今まで見た時計の中では1番良い出来の時計、しかしあちらこちらに部品が足らない。
 何時もの事だがこの親父、今までに珍品を何台と無く掘り出しては来ているが、殆どがこおした部品の足らない時計が多かった。
 「あんた達なら部品が無くとも復元するから」とさして気にしていない、更に「値段が安いから持ってゆけ」と強気である。
 確かに親父の言うとおり、値段は安いが相手の言い値では買えないのが我々の性分、例によってお互い駆け引きをするが、これも何時もの事で直ぐに商談成立。
 「これからどちらに行くのか」と親父が聞くので、「何故か」と聞き返せば、湯沢近くの買出し屋が「面白い時計」を持っているが行かないかと教えてくれたが、「今日は別方向に行くから」と情報だけ聞いて帰る。
 親父の家を後に、車に乗り込み2人して「やっぱり新潟は縁起が良い」と、次に長岡方面に向け車を飛ばす事にする。
 すると友人「飯はまだ食ってない」と、そして又、何処に行くのかもめだし「蕎麦がよい」とか「郷土料理」がよいとか何時もの食談義。
 結局、蕎麦に落ち着きそばや探しが始まり、以前食べたところに行くことにしたが着いてみると、「本日休業」の張り紙。
 またまた、臨時休業兎に角食べたいと思って食べに行くと、何時もこの始末今日に限って何も臨時休業することは無い。
 2人して「ジンクスは何時になったら変わるのか」と、ぶつぶつと 愚痴の言い合である。

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2010年08月01日

古時計陸奥行脚 15

Q.jpg 喜多方は今まで古時計に関して購入した覚えは無く、骨董屋も少ないので会津市内で探す事にして車を走らせる。
再び会津市内巡りの開始、陸奥行脚の初日に来た店を除き、骨董屋を古時計求めて捜索開始、以前に紹介されていながら、時間が無く訪問していなかった店を思い出し、其処に向かう事にした。
私は確か滝沢口から少し猪苗代に向かった左手であったと記憶しており、先ずはそちらに友人と今日の成果を期待しながら向かう。
現地近くなり、友人いわく「何やら道が新しく風景が違う」と言い出し、気が付けば新道を走っていたの私も気ずき、旧道に引き返して再び探索。
 すぐに目的地発見、2人して「今日は一発で現地到着、縁起が良い」と車を止め店へ足早に入るが、何処にも古時計らしき物が見当たらない。
店の主人いわく「前は沢山の古時計を集めていたが最近はメッキリ減った」と、そして「今は全然手に入らない」と、やっぱり何処も一緒古時計も簡単に手に入らなくなったようだ。
気を取り直し、次の店を探しに猪苗代方面に向かう、しかし探せど店は無く2人して「縁起が良い」と思ったが、やっぱりそんなに甘くなく簡単に古時計を探せたら逆に面白くないかも。
急いで会津市内に取って返し、市内の道具屋を片っ端に捜査するも成果無く、諦めて行き付けの渋川問屋に向かう事にした。
 渋川問屋は26年前から良く宿泊していた所で、前は民宿でスタート、その頃は余り人に知られていなく、静かな宿であったが、今は旅館として営業客も多いようだ。
宿も大分様変わりをして、トイレや部屋も改装されて綺麗になってしまったのは、我々にしたら前のほうが雰囲気が良く改装は感心しない。
若い人を呼び込むには、此れも時代の流れで仕方が無いのかも、昔のままでは若い人は宿泊し難いのか、しかし良い風情は残して欲しいものだ。
 その話はともかく、渋川問屋の郷土料理を満喫して2人で又、昔話に話が弾み「今食べている所が以前我々が宿泊した場所であった」と回想しながら夜がふけた。
 あくる日、新潟に早く到着するか、其れとも、この会津でもう少し古時計を探してみるのか論議、結果新潟に向けて早くたつとの結論に成る。
新潟に向けて会津を出発する。

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2010年07月31日

古時計陸奥行脚 14

P.jpg 
 山形県から福島県に入って直ぐに、友人がしきりに山を又にらみつけている。
そろそろ車を止めて「山菜取りに山に入ろう」と言い出すのではないかと、すると「この辺りはマツタケは生えないのか」と問いかけてくる。
確かに赤松が沢山生えてはいるが、「雑草が生い茂って背丈ほどもありマツタケは無理」、もう少し下草が綺麗に手入れされていないとマツタケは生え無い。
そんな会話をしながら喜多方に入り、レンガ倉庫群に向かう事にしたが、ここで「ナビ登場」、昔通った道が綺麗に整備されているから、雰囲気がまったく違うが2人でナビを無視。
 自分達の昔の記憶を頼りに目的地に行こうとする拘りが頭を出しだし、それがややこしくなるばかりで、中々目的地に着かない。
「こんな道ではない」とか、「もう少し右の方角だ」とか周りをウロウロし出し、ナビが示しているのもお構いなく2人して譲らず、時間は過ぎるばかり。
結局、最後はナビで目的地へと向かう羽目に、しかし着いて見ると昔の面影が無い、「おかしい」と友人が言い出し私も変だと思ったが、後で分かった事だがそれも当たり前であった。
 我々は逆方向から入ってきているから、左右が逆当然記憶と違い反対方向を、2人で探していたのに気ずかなかったのである。
 もう一つは、かってのように観光客がまったく居ない事に気が付き、静かであるから雰囲気も活気もやはり違ったものになっていたのである。
しかし、我々にとってはこの方が自然で、昔を偲ぶ佇まいがあり落ち着いて見学でき、若かりし日を思い出すのにはうってつけであった。
 倉庫群を後に喜多方市内に入り、蔵の町を散策するが友人「坂内に行かないのか」ときた、友人にとっては26年振りの訪問であるから当然である。
坂内と言えば喜多方ラーメンの元祖であり、今や全国区的存在で寄らない訳いはイケナイ、記憶を頼りに坂内に向かう。
「坂内」で食事を済ませあとは「べろべろ餅」探しに向かうが、どおしても店の名前が浮かんでこない、友人に「べろへろ餅」の場所に記憶が無いのかと尋ねるが、「べろべろ餅」自体に記憶が無く探し回る。
 べろべろ餅とは、薄い餅で舌に似た形からその名が付いたらしく、かって会津地方冬の子供のお菓子みたいな餅の事であり、火鉢の炭で餅を焼いて食べたらしい。
 探せど分からなく捜索を断念、会津市内に向かう事にする。
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2010年07月29日

古時計陸奥行脚 13

.jpg白布温泉を出発し喜多方に進路を取る。

米沢市内を抜け国道を喜多方に向かうが、ここで友人登場「山に山菜が一杯あるのでは」と直ぐに車を止める。

彼も私も山菜は大好きであり、昨日も宿で新鮮な山菜を食べたばかりなのだが、山に取りに入ろうと言い出す始末。

其れは少しまずい、「国道沿いに絶対無人の販売所があるからそこで買えばよい」と友人をなだめて先に進む事にした。

だが友人は運転をしているのに山が気になって仕方がない、「あそこは沢山山菜がありそうだ」と横ばかり見て危なくてしょうがない。

結局山形と福島の県境の道の駅で停車、彼は足早に店の中に駆け込み探せど山菜の姿は見えず、店員に尋ねると「まだ時間が早いから商品が有りません」とつれない。

それでは此処に居ては時間の無駄とばかり道の駅を後に、少し走って峠に差し掛かり左手に怪しげな店発見、通り過ぎれどもユーターンして怪しげな店に入ろうとすると番犬が吠え出した。

当たり前だ「お前が怪しげな男だから」と2人して指の差し合いであるが、番犬は激しく泣くので後ずさりして裏手に向かう。

店の主人はまだ寝ているらしく中には入れず、ガラス越しに2人して覗くことにしたが、目の前に古時計発見無理に扉を開けようとすれど開かず。

大曲でもそんな事があって、又此処でせっかく古時計を見つけたのに手に入れる事叶わず、2人してイライラすれどどうしようもない。

諦めて喜多方に向け車を走らせるが「折角見つけたのに、お前と来るとこんな事ばかり」と愚痴がツイツイ出てしまう。

すると友人は「やっぱりあの時山に入って山菜を取れば良かった」とこちらもブチブチと独り言を言い出している。

気を取りなおして車を先に進める事にした。
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2010年07月25日

古時計陸奥行脚 12

P1040050.JPG福島県飯坂を右に13号線を米沢に向け車を走らせる。

米沢市内に入り懐かしい風景が広がるが、先ず米沢駅前の後藤さんの店に直行する事にした。

この店は昔から時計が多く出る所として私はよく行ったし、又多くの珍品も分けてもらった陸奥の宝石箱的存在の店である。

店は新しくなって昔の風情は無いが人情だけは其のまま、主人は留守で店には時計も少なく今回は空振りであった。

駅前を市内に向け進み「すき焼きの大河原」が右に見えるが今日は通過、最上川渡り左手にも縁起の良い店が有り寄るも又空振りである。

米沢市街に入り2軒の店を回れど欲しい古時計は見当たらず、捜索を断念して白布温泉に向かう。

この白布温泉は実に趣のある温泉で、かっては茅葺の宿が3軒並んで良い雰囲気のある湯治場でもあったが、火災で焼失し今は西屋のみとなってしまった。

その西屋が今日の宿、昔この温泉宿で米沢で買った古時計を、部屋で磨いていたら時計屋と間違われた事もあったし、又仲居さんが自分の家にあった古時計を、「良かったら差し上げる」と持って来てくれた事もあった。

そんな事を思い出しながら三戸で手に入れた時計を出し始め、昔の事を思い出しつつ磨きに精を出す。

友人は例の如く、手酌で酒を1人で呑んでいるがこちらは時計磨きに忙しくて酒どころではない。

仲居さんが「食事の時間です」と部屋を訪れたが、古時計磨きを見て「お客さんは時計屋さんですか」と、又昔と同じことを言われてしまった。

食事後この宿自慢の風呂に行く、打たせ湯が3つと岩をくり貫いて造った湯船が、昔ながらの風情を漂わせて実に良い。

風呂上りに窓から見える枝垂桜が満開に咲いていて、良いときに来たものだと友人と酒を交わす。























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2010年07月24日

古時計陸奥行脚 11

100518_1035~0001.jpg高速道路を乗り継ぎ三戸の城山近く教えてもらった骨董屋に到着、
小さな古民家の薄暗い店であった。

弘前の骨董屋の親父から電話連絡が入っていて、店に入ると主人が直ぐに出てきた。

確かに多くの古時計があるが大体は昭和の物が殆どであり、こちらの欲しいものは数が少なかった。

半ば諦めかけ最後の古時計の振り子室ドアーを開けて見る、程度は良くないが名古屋地域で製造された半田の小栗時計が出てきた。

これはラッキー、期待していなかった分喜びは倍返しで帰ってきたのである。

思いがけない所で出会うのが古時計、「鶏印」、「小栗時計」2つの珍しい時計が偶然に手に入った。

半田の小栗時計を三戸で見つけるとは、弘前の親父に感謝しつつ古時計をトランクに入れ再び高速道路を福島に向け出発。

高速道路ひたすら走りつづけ盛岡を過ぎ南に下る、途中北上川が見えた頃、突如友人が「中尊寺はこの辺り」かと私に尋ねる。

友人中尊寺の金色堂が急に見たくなったらしく、早速高速道路を降りる事にし中尊寺に向かう。

中尊寺の金色堂を見学し裏手高台の店で食事をするが、其処からの眺めが素晴らしく北上川が一望でき、遠くには古戦場が見えた。

友人、またまた「義経はここら辺りで討ち死にしたのではないか」と又聞いてきた。100518_1141~0002.jpg

私はそうだ、「この近くで弁慶等一族郎党が討ち死にしたところで高館は直ぐ其処」と答えると、つれて行けと。

高館に立ち、義経等の戦の模様を頭に描きながら衣川の古戦場を遠望、悲劇のヒーローを偲びつつ高舘を後にする。

少し時間が有るので、久し振りに国道4号線を福島に向けて再び走り出す。

若い頃、この国道をひたすら走り弘前まで来た事を思い出し、友人と思い出話が次々とで「あのドライブインは記憶にある」とか、「この道は新しくバイパスが出来ている」とか話が弾み思ったより早く福島手前まで進む。

















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2010年07月23日

古時計陸奥行脚 10

翌日弘前に向け出発、昼前に弘前城に着き久し振りに城を散策、城近くの郷土料理屋で食事して骨董屋巡りを再開。

ここ弘前も私にとっては縁起の良い土地で、過去幾つもの珍品時計を発掘した所で、又顔馴染みの骨董屋も少なくないが今回は何が飛び出すやら。

城近くに馴染みの店があるので寄るが主人留守他に回る事に、そこからさほど距離が無い次の店に行くことに。

この店は思わぬ珍品時計が出る所であるが、親父が時計に関して無関心であり、値段も安く私にとっては非常に有り難い店である。

昔ながらの木枠のガラス戸を開け中へ、相変わらず古時計が無造作に店の隅に積み上げてある。

ここの親父は1台、2台と台数を多く買わないと機嫌が良くないし値段も高くなる。

逆に台数を多く買えば驚くほど安くしてくれ、オマケまでつく事があるから面白い親父である。

無造作に積んである古時計を1台、1台振り子室の扉を開けラベルを確かめ珍しい時計が無いか調べる。

その様子を見ていた親父「あんたは相変わらずラベルの検査か」と笑いながらこちらの仕草を見守る。

そんな親父を背に時計の振り子室を調べ続けると、「やっぱりあった珍しい時計が」と思わず声を上げた。

すると親父「何だ、只の八角じゃないか」とぶっきら棒に、「最変わった時計を持ってゆけ」と精工舎の小型スリゲルを指差して呆れ顔。

そして、もお1台見つけて親父に値段を聞けば、2台で1万2千円とのこと、1万にせよと値切り購入する。

1台は鶏印の製時合資会社の時計でラベルには鶏が描かれており、文字盤もオリジナルの程度の良い物で、2台目は林時計の初期型であった。

親父は愛想良く、「これから何処へ行くのか」と聞いてきたので、「弘前駅前の馴染みの店に行く」と言えば、「そこはもう廃業して今はない」と教えてくれた。

そして、古時計を探すなら岩手の県境に知り合いが居る、「古時計を多く持っているから」其処に行けと、有りがたく意見を取り入れ其処に向かう。

































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2010年07月20日

古時計陸奥行脚 9

 ようやくホテルにチェックインし一休みする。

7時ホテルを出、南部炉辺に向け足を進め城跡近くの神社で必勝祈願をする。

久し振りの炉辺、足早に現地近くに辿り着くが「店が無い」、二人して確かにこの場所のはずと確認すれど「店が無い」。

二人とも南部炉辺は絶対に外せないと勇んで来たのに「ガッカリ」、しかし探せど無いものはどうしょうもない。

この南部炉辺は二人とも思い出深い場所で、岩手に来たときは必ず訪れ店の親父と「どぶろく」をたらふく飲み、炉辺焼きに舌鼓を打ったものだ。

あの親父との再会を楽しみにしていたがやもおえない、別の場所で食事をし来た道を足重く引き返す。

帰り道、大河ドラマで有名になった「じゃじゃ麺」を食べに「白龍」に立ち寄る。

此処の「じゃじゃ麺」は天下一の代物で、盛岡に来たら外せない店であるが、それよりも我々にとっては此処も思い出の店でもある。

値段がまず安い、そして麺が旨い、最後にスープがまたよしと三拍子そろった店である。

最初に来たのは35年も前になるが、知り合いの人に連れてこられてからの馴染みの店。

初めて食べたときは、なんとも不思議な食べ物だと思って食べたが、何回か食べる内にこの味にスッカリ虜に成っていた。

そんな「白龍」で一息ついて次の店、「食道園」に向かう、此処もまた行きつけの店、焼肉屋であるが目的は「冷麺」。

此処の冷麺も又実に旨い、最初は店の人が止めるのも聞かず一番辛い冷麺を頼んで大失敗をした。

辛いものは二人とも強い方であるが、あの辛さにはお手上げで店の人の話を聞けば良かったと後悔したものだ。

その辛い冷麺を求めて食道園の暖簾をくぐり、焼肉を食べた後あのピリ辛の冷麺をいただく。

やっぱり辛い、辛いが旨い、と思いつつも全部汁ごとたいらげ満足してホテルに到着する。





























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2010年07月18日

古時計行脚 8

渋民到着、早速北上川が見える高台に啄木の碑を見に行くことにした。

有名な「やわらかに 柳あおめる北上の 岸辺目にみゆ 泣けとごとくに」の碑を10年振りに目にする。

啄木がこよなく愛した故郷の風景は、我々啄木信者にとって啄木を偲ぶ大切な碑でもある。

碑を後に、啄木が新任教師時代に教壇に立った小学校に向かうが、着くとなにやら雰囲気が違う、新しい場所に移転され記念館も新築されていた。

しかし小学校は啄木が赴任した当時の姿を留めていて、10年前を思い出し懐かしく見学し記念館も見る。

やはり10年振りに訪れたが町の雰囲気はガラリと変わっていて、時代の流れをつくづくと感じさせられた。

渋民を出て盛岡市内に向かうが途中に骨董屋があるから、そちらに回るように友人に指示、車を走らせる。

その骨董屋に近くなり又、場所が分からなくなり二人して意見が分かれ、車がどちらが正しいのかと言いたげである。

散々揉めたが目的地にはどうやら到着、店に入るが何処にも古時計が見当たらずガッカリ、店主と古時計談義を済ませ店を出る。

再び盛岡市内に向けて車を走らせ今夜の食事の話になり、昔行った「南部炉辺」は絶対に外せないと意見一致、スピードを上げる。

市内に入りラッシュと鉢合わせ、イライラしながらホテルに向かうが、一方通行ばかりで中々ホテルに着かない。

ここで再びナビ登場、ナビに従いホテル近くなるが又言うことを聞かなく一方通行を入れと指示する。

友人にナビは無視して私の指示に従って運転せよと、友人「どちらも信用できないが人間指示に従う」いやみを一言。

無事にホテルに到着しチェックインを済ませ部屋に入る。
















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2010年07月17日

古時計行脚 7

     古時計陸奥行脚 7



角館で麺類ばかりを拾いこみ流石に食べすぎで体が重い、それでも食い気は消えないが一先ず盛岡に向かう。

田沢湖手前に確か買出し屋がいた筈で、記憶を頼りに探すことにしたが、友人の記憶では大きな信号を右に折れたはずと。

だが何処の大きな信号か結局分からず交番で聞くことにしたが、その買出し屋の名前が分からず四苦八苦。

お巡りさんが「何か目印は無いのですか」と質問され、そお言えばその家の近くに大きな神社があった事を思い出す。

それなら多分此処でしょうと場所を教えてもらい車を走らせることにした。

神社は直ぐに見つかり、其れと同時に二人とも買出し屋の場所も思い出したのである。

昔と変わらない町並みに安堵すると同時に、鮮やかに記憶が蘇ってくる。

家に入ると主人が出てきて何か御用と、二人ともほぼ同時に「昔お宅で時計を分けて頂いた」と合唱のように答えた。

主人は笑いながら「其れはご苦労様」と、そして昔話が次々に出て盛り上がったが、古時計は残念ながら入手出来ず。

再び国道を盛岡に向け走り峠に差し掛かる頃、友人が蕎麦屋は「この辺りじゃなかったのか」と言い出すが、其れらしき建物は無い。

以前には、その蕎麦屋で幾つかの古時計を分けてもらったのと、蕎麦を良く食べによったので思いでもひとしおだ。

しかし道幅が広くなり、周りの風景が一偏しているので記憶と結びつかず探すのを断念。

峠を越し小岩井農場を過ぎた辺りで、またまた友人登場「渋民村はこの近くではないの」と言い出した。

渋民と聞き急に啄木に会いに行くことに、車を渋民に向け走り出すことにした。

























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2010年07月16日

古時計行脚 6

p.jpg     古時計陸奥行脚 6



目的地角館到着、早速角館駅前の饅頭屋に車を走られるが、着いて見ると何やら店の前に張り紙がしてある。

「本日は臨時休業です」と、すかさず友人が「そら始まった、またまたジンクス登場」とのたまう。

「なるともち」を食べたくて角館に入り真っ先に饅頭屋に来たのに、「こんな仕打ちは無いよね」と心の中で呟いた。

仕方が無い、次に行こうと車を伝承館に向けるが、頭の中はやはり「なるともち」でスイッチが切り変わらない。

すると友人、私の頭の中を見抜いて「なるともち」は忘れて「蕎麦」を食いに行かねばとけしかける。

伝承館近くの蕎麦屋「長助」に行くことにしたが、頭の中は「なるともち」で一杯で店の前を通り過ぎてしまった。

「はたと」、我に返り蕎麦屋は何処だと友人に、呆れ顔で「今通り過ぎました」と。

引返して長助の蕎麦を頂く、ここの蕎麦は実に旨い蕎麦で食通には堪らない蕎麦屋の一つだ。

美味しい蕎麦を食べ終わって、店主にラーメンの「伊藤」と言うラーメン屋の場所を聞く。

店主は、今蕎麦を食べたばかりなのに、次はラーメンを食べるのかと呆れ顔で私を見たが、場所は細かく教えてくれた。

長助の直ぐ前は映画「黄昏の清兵衛」のロケをした古民家、映画の1シーンを頭に浮かべながらゆっくり見学。

次は何度も訪れた伝承館前に居る、屋台アイスクーリムのおばちゃんに会いに行くことにした。

おばちゃんと昔話にはながさき、懐かしいアイスクーリムを食べ凧絵師の武藤さんに会いに行くことにした。

私の本にも書いたが武藤さん宅の時計を譲ってもらった事があり、此処に来たなら挨拶をしなければと。

記憶を頼りに武藤さん宅を探すが、新しい家ばかりで昔の家並みが無い、さんざん探したが見つからず諦めて次に向かう。

ラーメンの「伊藤」探し、長助の主人から詳細に場所は聞いたが、一般の民家で看板も無いから分かりずらいと言われたが、やっぱり分からない。

やっと探し当て店の中に、カウンターだけのこじんまりとした店で満席であった。

暫く待って席に着きラーメンを注文、出てきてラーメンに二人とも目が点になる。

汁が極端に少なく、具もたまねぎと豚肉が少しのみ、いたってシンプル、そして麺がすごく固く普通のラーメンとは程遠い麺である。

二人して顔を見合わせ、「もくもくと食べ」店を後に、車に乗るや、いなや、同時に「何だあのラーメンは」と言葉が飛び出す。

旨いか、旨くないかは個人差があるが、一風変わったラーメンであることには間違いない。

角館から盛岡までの道沿い骨董屋が三軒があり、かって珍しい古時計を見つけた、そちらの骨董屋に向けて出発。













































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2010年07月14日

古時計行脚 5

     古時計陸奥行脚 5  



思い出の藤三旅館を後に、今日の目的地角館に向かう。

旅館を出る前に友人が、忘れ物が無いのかと私に聞くので自分の荷物を確認、部屋を後にし1時間程走ったところで、旅館から携帯に電話。

「お客様、お部屋にジャンパーの忘れ物です」と連絡が入ってきたが自分のではないので、友人の顔を見る。

俺、ジャンパーを着てないんだ、「何だか可笑しいと思っていた」と「シャアシャア」と言ってのける。

人に忘れ物が無いかと注意をしておいて、自分が忘れるとは呆れてものが言えない。

宅急便で自宅に配送してもらうように旅館の人にお願いをして携帯をきる。

やはりあの旅館は何か起こる旅館らしく、今度も又思い出を作ってくれた様だ。

角館に行く途中に道具屋らしき所発見、車を即座に止め店は向かうが、店のドアーが開かない。

仕方なくガラス越しに店の中を二人して覗く、すると私の目に古時計が飛び込んできた。

この旅初めての古時計の収穫とばかりに、途端に喜びがこみ上げてきたが店主が留守。

二人して、その店のドアーを開けようとしたり、店の前をウロウロするから通行人が「怪しげな人物」と誤解しているようである。

縁が無いとは、こう言う事だと自分に言い聞かせるが、それにしても此の古時計は勿体ない、中々手に入らない代物であるが諦めるしかない。

後ろ髪ひかれる思いで、この道具屋を後に大曲に向けて車を走らせて直ぐに、またまた道具屋発見。

今度はと、逸る心を抑えて店のドアーを開ける、主人が直ぐに出て来たが、この店古時計の値段が目茶目茶に高い。

欲しいものもあったが、こんな高い値段では買う気にならないし、相場と言うものがあるのだから。

店の主人いわく「あんた方、素人だね時計の良し悪しも分からないようだね」と、のたまうから始末が悪い。

古時計は欲しいが値段が合わないし、店の主人の態度が良くないので此の店では買うわけには行かない。

ソコソコの相場でなければ買う気にならないのと、やはり「人と人の繋がり」、「相性」もあるから古時計を買うのも難しい。

大曲を出て角館に向かう、角館に着いたら駅前の饅頭屋で「なるともち」を是非食べたいと思い、車を走らせる。


















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2010年07月13日

古時計行脚 4

古時計陸奥行脚 4



ホテルをチェックアウトして古時計探しに出かける。

会津は過去に余り良い成果を出したことの無い土地で、満田屋近くの店で2、3台見つけた程度である。

今回も期待せず、馴染みの骨董屋を回るも、やはり之と言った古時計は無く探すのを諦め、飯盛山に向かうことにする。

白虎隊が最後に眺めた、飯盛山から南に鶴ヶ城を望む位置に立ってみる。

004_100516.jpgあの一場面が頭に浮かぶ「南、鶴ヶ城望めば、砲煙上がる、痛酷涙を呑んで、」、城下が燃えているのを城が落ちたと間違えて、白虎隊全員が腹を切って自刃した場面が頭に浮かぶ。

彼らの冥福を願いつつ飯盛山を後に、滝沢口を迂回して白虎隊を偲びつつ高速道路に車を向ける。

東北道を岩手花巻に進路を取るが、隣で友人が猪苗代で見たいところがあるけど降りないかと。

しかし高速道路を降りてしまえば、1000円で花巻まで行けなく損だ、車窓から猪苗代湖を眺めて諦めてもらう。

昨日と違って、今日の高速道路は順調そのもの、定刻時間より早く花巻に着き、以前から縁起の良い骨董屋に向かうことにした。

花巻駅前の骨董屋は陸奥で古時計を大量に見つけた縁起の良い店、主人は息子さんの代に変わっていて、先代と会うのを楽しみにしていたが残念である。

店には時代の流れなのか古時計が少なく、期待を裏切られたが店は昔と変わっていなかったので嬉しかった。

今日の宿、鉛温泉藤三旅館に向かうが、この旅館木造三階建ての旅館で、旅館部と湯治部とに分かれ昔ながらの温泉旅館である。

友人は26年ぶり、私は10年ぶりで二人にとっては思い出深い旅館でもある。

この旅館の風呂は「日本一深い湯船」で、深さ150センチもある有名な風呂で、始めて訪れた時溺れそうになった旅館でもある。

友人と酒を飲んだ後、酔い覚ましにと風呂に向かったが、まさかそんなに深いとは思ってもみなかった。

その風呂は階段を下りて行き、あたかも地下にある様な湯船で、見た目には深く見えなかったので、二人とも一気に湯船に入った。

浅いと思って入ったから足が着かないので、あせって二人とも風呂水をたらふく飲んで、溺れそうになった思い出の深い風呂である。

昔を思い出しつつ、今度は溺れないように、深い湯船でじっくりと疲れを癒し、明日への鋭気を養う。



















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古時計行脚 3

h.jpg     古時計陸奥行脚 3


 夕暮れの大内宿を後に今日の最終目的地会津へと車を飛ばす。
会津市内は薄暗くなりかけて今夜の宿を探し始めるが、ナビが又、言うことを聞かない。

小さい路地を入れと支持するが、人が多くて危ないと感じ広い道に出て迂回するが、ナビは又細い路地を支持してくる。

またまた、友人登場「安いナビはやっぱり言うことを聞かない」とぶつぶつ言い出した。

そんなナビは気にせず目的地は大体分かっていたから、自分の意思でホテルへ到着、これで一先ず「一件落着」である。

チェックインを済ませ何時も食事に行く、田楽の「満田屋」を目指し足早に向かう。

満田屋に着くが、何故かしら今日は早く店じまいしたらしくて、暖簾が掛かっていない。

すると友人いわく「さあ、始まった何時ものことが」と又呟き始めた。

「何時ものこと」とは、第一目的地は大体今までに「スムーズに食べられた事が無い」とのジンクスがある。

その「ジンクス」とは、殆どがその日に限って「臨時休業」、「社員旅行」、「店舗改装」とかで食べれなかった事が非常に多かった。

満田屋を後に後ろ髪ひかれる思いで次の目的地うなぎの「えびや」に向かう。

えびやの鰻も6年振りで、足早に店に入り人目もはばからず「ビール」と大きな声で注文する。

二人でものも言わずにビールと鰻をかきこみ、「旨い」とこれまた大声で叫ぶ。

隣の家族ずれがあきれたような顔をして見つめているが、そんな事は気にせず鰻とビールをたいらげる。

やはり、えびやの「鰻」は何時食べても旨いと二人で店を出る。

次は野口英雄の記念館のある喫茶店に行く、これも会津に来たらお決まりのコースである。

コーヒーを飲み終わると同時に、「お客さん閉店ですよ」と店員さんに言われ席を立つ。

最後の締めはラーメンであると友人が近くの店を教えてもらい急行する。
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2010年07月11日

古時計行脚 2

002_100516.jpg     古時計陸奥行脚 2



出足快調、妙高を後に一路会津を目指し北陸道を新潟に進路をとる。

時間的には快調で渋滞も無く、このまま行けば到着時間は大幅に短縮できるはずが、世の中そんなに都合よく出来てないのか新潟手前で大渋滞につかまる。

予定では新潟を12時前に通過するはずだが、既に12時を過ぎているし、まだ10キロも先で時間ばかり過ぎ焦り出す。

隣で友人が、「やっぱりそんなに上手く行くはずがない」とぶつぶつ呟やいている。

自分の頭の中では、会津坂下を降りて大内宿に向かう途中であるはずと、こちらもぶつぶつと言いはじめる。

予定とは「未定であり」「決定ではない」ともっともな事を言いいながら気を落ち着かせる。

結局渋滞を抜けるのに2時間と10分係り、新潟をやっと通り越し会津坂下に着くが、今度はナビがおかしな方向を指し始めた。

大内宿は会津坂下からさほど遠くないのだが「オカシイ」、ぐるりと回って元のインターに戻ってきてしまった。

友人が又、ぶつぶつと呟く、「安いナビはこんなもの、高いのにしておけば良かった」と「ぶつぶつ」。

仕方なく周りを見渡せばタクシーが1台止まっているのに気ずき、早速大内宿方面を聞く。

「山越えルート」と「会津を迂回して行くルート」を教えてもらうが、これが又事件の始まりであった。

当然二人とも先を急いでいるから短時間で行けるルートを選ぶ、これが間違いの元であった。

友人にハンドルを任せていたことを忘れて、彼は大内宿を目指し山道をスピードを上げた。

余り運転は旨くない男にハンドルを任せたばかりに、ヘアーピンの連続の山道、約一時間緊張の連続で血圧がピークに達してしまった。

気分が悪くなって来た時、やっと大内宿到着で緊張から開放されたが、宿場の様子がおかしい。

着いた宿場はガランとしているではないか、其れもその筈4時半をすぎていたのである。

「やばいと直感」、目当ての6年前に泊まった民宿兼蕎麦屋へ直行すれど゛「蕎麦」は売り切れとのこと、「ガッカリ」。

この民宿の蕎麦、少し変わった食べ方をする蕎麦屋で、箸が付いてこないのである。

箸の変わりに長い葱がどんぶりの上にのって出てきて、其れを箸の代わりとして食べるのだ。

蕎麦も旨いし長葱をかじって蕎麦を食べるのもおつであり、大内宿の名物でもある。

この為に山越えルートを選び我慢してきたのに蕎麦は食べられず、店は閉店のしたくはするはで見るところ無し。

しかし昔の静かな宿場町の雰囲気が逆に出てきて、観光客がいない方が風情があって、其れは又それで良かった。

日が西に傾き茅葺の家々が良い雰囲気、大内宿に来たのもその風情を味わいたくて来たのであるから。



































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2010年07月10日

古時計行脚 1

      古時計陸奥行脚 1



10年ぶりに古時計を求めて友人と陸奥行脚に出かけた。

土、日1000円の謳い文句につられたわけではないが、安い事にはこした事がないので土曜日出発と決めた。

目的地は、上は北の「青森」下は越後の「新潟」と真に芭蕉の奥の細道を辿る旅でもあった。

5月15日土曜日自宅を車で出発、1日目まず高速道路を目指し700キロ先の目的地、会津へと足を向けた。

同じ目的で1000円の高速道路の旅に出た仲間が多いのか中央道はやけに混雑していた。

何時もの事であるが旅に出ると、まず昼飯を何処にするかで友人と揉めるのが常で、恒例の行事みたいである。

蕎麦を何処で食べるかで早くも前哨戦が始まってしまったが、高速道路は降りれないことに二人して悩み始めた。

降りてしまえば1000円で会津まで行けないし、あちらの「蕎麦屋」こちらの「蕎麦屋」と答えはもっと複雑で蕎麦を食べるところが決まらないからである。

揉めに揉めたが、やはりハンドルを握っている私の意見が優先されるのは言うまでもないことである。

会津には早く着いて行く所があるので、妙高のサービスエリアまで直行することに決めた。

二人無言で休憩もせず妙高に到着、友人がサービスエリアなんぞに旨いものが有る筈ないと、ぶつぶつ文句を尻目に蕎麦屋に入る。

ざる蕎麦を注文して二人ともトイレに走りこみ、用を済ませて席に戻ると同時に蕎麦が出て来た。

店員がビックリする位素早く席に着くと、二人とも間発を入れず蕎麦をかきこみ驚いた。

「旨い」予期せぬ事態に二人ともものも言わず一気に蕎麦をかきこみ顔を見合す。

「大当り」予想しなかった「旨さ」に二人とも大満足、幸先良いスタートを切ったのである。









































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