2010年06月23日

古時計奮闘記

 古時計を蒐集していると良く部品が一部足らない時計が出てきますが、古時計を集めた初めのうちは、そんな時計には目もくれなくてよりオリジナルの時計を買い求めていました。

徐々に時計の数が集まりだすと当然の事、まず資金が不足して欲しいオリジナルな時計は高くて買えなくなってきます。

しかし古時計は「欲しいし」、「金は無いし」と当たり前なのだが自分としてはその欲求に耐えられなく、金は無くとも古時計を捜し求めて道具屋巡りをする事になる。

そんな金の無いときに限って目指す古時計に出くわすもので、値段もそこそこ、普段なら直ぐに買い求めるのだが給料日前で先立つ資金がない。

後ろ髪ひかれる思でその場を後にするしか方法が無く、断腸の思いで自宅に帰っえり寝床についても、あの時計のことが頭の中に浮かんでくる。

如何することも出来なく指折り数え待ちに待った給料日、その道具に直行し店に入って見渡すがお目当ての時計が無い。

まさかと思いつつ店の主人に少し高めの声で、ここに在った時計は何処に行ったのかと尋ねる。

主人いわく「あんたが来た直ぐ後にお客が来て安いからと持っていった」とさらりと言われた。

一瞬頭の中が真っ白になり暫し無言でその場に座り込んだのを覚えている。

昔から諺に「逃がした魚は大きい」とあるけど、正にそのとうりだが今は洒落にも成らない。

私の苦い経験であるが、こんな経験を皆さんも少なからずお持ちではないだろうか。

それから数年後、同じ道具屋から「少し部品が足らないがあの時と同じ時計が出た」との知らせ、値段も安く完品ではないが目指す時計に変わりなく飛んで行き買い求めた。

この時計を手に入れなければ、この先何年待つのかとの思いが走り
これを逃しては成らないと決断。

完品で有ればそれに越したことは無いが、その分値段も高い理想と現実との板ばさみかもしれない。

古時計は欲しい物が出たら程度の「良い」、「悪い」に関わらず先ずは手に入れることが先決であると私の鉄則がこのときから生まれた。

逃がした魚は大きかったと後から悔やむより、まずは手に入れよで有る。







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2010年06月22日

古時計蒐集のきっかけ

古時計の蒐集を始めて早いもので40年になります。友人から貰った一個の時計からスタートしたが、その時計が偶然にも小さい頃に我が家にあったアメリカ製八角型の極普通の時計であった。
その時計を貰ったけれど、ほこりまみれで汚かったので暫くそのままにして置いたが、友人がせっかく持ってきてくれたので、その好意に感謝して磨く気になったのである。
友人から貰った時計をいざ磨くことにしたけれども長年手を入れてなく、おまけに錆びだらけで余りにも汚く掃除をする気にならず時間ばかり過ぎていったが仕方なく作業することにした。
まず埃だらけの時計の外箱を掃除することにして作業を始めたが、磨いても磨いても雑巾が真っ黒になるだけで、中々外箱が綺麗にならなかったので作業を途中放り出したりして嫌々時計の外箱を磨き、一日係でやっと磨き上げた。
私は短気な性格で単純な作業を長く続けられる事が出来ず、嫌々ながら雑巾と格闘長い一日の作業を終え、磨き上げた時計を見るに何故かしら懐かしい思いに駆られたのであった。
それは私が少年の頃まで家の土間の柱に掛けてあった時計と同じものである事に気ずき、懐かしく思われたのはその為でないだろうかと思った。
時計の形は八角型黒塗りで金箔で縁取りがされ、明治初期にアメリカから輸入された普通の掛時計であるが、磨きあがった黒塗りの綺麗な時計を見ているうちに不思議に少年の頃が懐かしく蘇って来るのである。
冬の寒い朝寝床で聞いた時刻を打つ時計の音、「ボンー、ボンー」と寒々しく鳴る音や夏の真夜中、暑くて寝苦しく目を覚ますと「ボーンボーン」何故か怪しげに響く音、又休みの日午後3時を知らせる美味しそうに聞こえる音など走馬灯のように蘇って来る。
今まで古時計に対してそんな感情など存在しなかったのに、この時計を磨いて行くうち急に古時計を集めたいとゆう感情に駆られ、次々と合う知人に「古時計は無いのか」と聞きまわるようになり、瞬く間に数台の時計が集まって来た。
当然の事、貰った時計はすべて「埃にまみれだったり」、「機械は壊れていたり」、「あちらこちら部品が無かったり」でまともな時計は少なかったが、それらの時計をせっせと外箱から磨き上げ、機械を修理し一生懸命修復作業に没頭するようになった。
汚く壊れていた時計が掃除や修理し実際に稼動するようになった時計を真の当たりにすると、明治以来少なくとも数十年間時を刻み、その後忘れ去られ埃にまみれた時を経、そして修理を終え実動する事に対する感動に浸って行く様になる。
こおした感動を幾つか味わいながら古時計蒐集のスピードがグングンと加速して行き、全国の「骨董屋」、古い「時計店」、はたまた「個人宅」にと時計の情報を耳にするたび居ても立っても居られず走り回ることになる。
40年間で蒐集した時計は5000台を越し、当然の事我が家に入るはずも無く修理しては「博物館」や「資料館」、又「学校」へと旅立って行き、現在は 600台と数は少なくなったが、まだまだ当初の目標に到達することが出来ず、これからも初心を忘れず古時計蒐集に邁進を続ける次第です。


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