2020年07月08日

金庫時計

   シンプル
 金庫時計は珍品時計の部類に属し、中々手に入らなSANY2255.JPGい時計の一つ、意外にも機械構造はあまり難しくないものが付いている。
 金庫時計には色々なものが存在しているが手に入る機会も少なく、手に入れたいと思う人は大けれど、手にする人は少ないと思う。
 この時計は普通の機械を少しだけ変えて販売されているが、ちんぴんの部類なので手に入らないものが存在している。
 ただ金庫時計は大きなものは存在しなくていたって小さなものが多く現存して、愛好家からは数奇なものとして人気を得ている。
 日常生活で蓄えられる金額をコツコツとして集めるものが金庫時計、小さなものでは金庫部分は極めて小さな部分が付いているだけ。

 時計全体もそんなに大きくないので、SANY2252.JPGそれに比較して金庫のスペースは小さく、とても金庫とは言える代物ではない。
 言い換えれば小さな貯金箱と言えると思うが、貯蓄推奨を薦めた当時の政府、それに乗らされた時計メーカー、両者が造り上げた政策目的の時計である。
 そんなに数がある訳でもないのに、貯蓄を推奨した時の政府が現実を把握していたのかと疑問に思える時計だ。
 本当に国民に貯蓄を薦めたいのなら、もっと大きくて、頑丈な金庫を持つ時計を造らせ、政策を推し進めるべきであった。
 今だから言える言葉で、当時はそんな事を口にしたら非国民と罵られてしまいそう、形だけの金庫時計だと思う。


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2020年06月04日

回想

   巡りくる
 誰にでも思いで深いものがあると思う、それSANY4853.JPGがどんな物でも思いが詰まったものは感慨深く、懐かしくも思うものであると。
 そんな思いを持った人も多いと思うが、自分にもそんな思いを持っている時計があり、それを見るたび懐かしく頭に浮かんで来る。
 まだ駆け出しの頃、ある人から滋賀の琵琶湖のほとりに時計の好きな人物かいると、そんな噂を聞き、会いたいと思った。
 然し住所も知らないと言うので、それなら自分で調べれば分かるはずと調べたが分からず、結局はそのままになっていた。
 その後しばらくして行き付けの春江堂で偶然その人に合う事に、春江堂の安藤さんに紹介され始めて会ったのが勝部洪庵氏、当時は和服にちょんまげのスタイル。
 驚きと共に興味半分で勝部氏に古時計を見せてSANY4855.JPG欲しいと懇願、すると気前よく見に来ても良いと言う返事を貰ったのだ。
 安藤さんの紹介もあり話が順調に進んだのは偶然のなせる業、出会いとはそんなものだと感じたのはその時であった。

 後日守山市の勝部洪庵宅に赴き、コレクションを見せて頂き、すっかり古時計にハマったのを感じた時でも、その時見た古時計が気になり、その後何度も勝部さんに譲って欲しいと、しかし勝部さんも滋賀で製造された灰谷時計だから地元に置いときたいと、その都度断られた。
 その後この時計を求めに何度か勝部邸に日参し、勝部さんにどうしても欲しいと懇願、結果は「あんたも古時計が好きだなあ」と、この時計をやっと譲ってくれた。
 この時計を手渡す時に「大事にしてやってください」と名残惜しそうに言われ、勝部さんのこの時計に対する思いを感じたものだ。
 如何に勝部さんが古時計を好きで集め、大事にしてきた事を改めて感じ、思いで深い印象を持った事を思い出す。
 時計の背板にはその証拠として勝部洪庵所有の墨で書かれた文字が印象的、筆も達筆で勝部さんの持ち物だった証がここにある。

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2020年06月01日

幻のオリンピック

   幻と消えた
 コロナの影響でオリンピックが延期しDSCN0996.JPGいるが昭和15年の東京オリンピック、日本で開催される予定であったもの、前回のオリンピック後開催地を東京と決められた。
 当時は世界中が不穏な空気に包まれていた時代、世界のあちら、こちらで紛争が続いていた時代、日本もその最中にあった。
 そのような状態の中、次のオリンピックは東京で開催と決まったが、その後も様々な出来事が世界で起こる事になる。
 勿論日本も例外ではなく、日中の間でもきな臭い状態となっていた時、国を挙げてオリンピックを開催しようと動き出した。
 その一方、軍部は中国に侵攻を開始してしまい、日中が戦争状態となり、オリンピック開催が危うくなって行く事に。
 世界からも日本に対する風当たりが強くなり、結局日本は東京オリンピックを辞退する事になり、ここに幻のオリンピックとなってしまったのだ。
 そのオリンピックを当てにして数々の代物が造られた事を、小さな蕾で紹介したが、その内容について質問があった。
 質問は2つ、一つはオリンピックを記念して造られた時計、優勝カップをデザインした時計、この時計についての質問だ。
 時計に付いている振子がおかしいのではと言う事、カップの色が銀色であり、振り子だけが金色ではおかしいのではと言う事。

 写真で見ていてもおかしいと感じたと言うもの、確かに銀色と金色でDSCN1001.JPGは不釣り合いと思われても仕方がない、私もこの手の時計には、金色のものと銀色のものとがあったのではと言う話を聞いた事があり、前から疑問に思っていた。
 しかし金色の時計は見た事が無いので何とも言えない、振り子が違うかもしれないとの疑問も一理あると思う。
 もう一つがポスター、写真のポスターは公式のポスターではないのではと言う事、その点については質問されるまでもなく、公式のポスターではない。
 勿論文章中にも公式であるとは書いていないが、当時のオリンピックにあやかって造られたポスターである事は確か、それに名古屋の逓信局が出しているポスターであり、国が造ったポスターである事、民間で無い所が良いと思う。
 いずれにしても、珍しいものには違いはないが、完全にオリジナルかどうかは分からないと答えるしかないが当時の資料も不足している現状は、推測の域を出ないと思うが、オリンピックを当てにして造られた事だけは確かである。
 それにしても、読者とは恐ろしいものであり、冷静に文章を読んでおられると感心する事しきり、これからも気を付けて書かねばと思っているが、今度の東京も幻にならないようにしたいものだ。
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2020年05月11日

案外古いもの

   見た目よりも古い
DSCN1145.JPG
 古時計が何時造られたものなのか、古時計愛好家ならずとも知りたいと思う人も多いと聞く、よく言われるのには見た目。
 古時計には時代の流と言うものがあり、流行とも言われているが、それは時代の流れとも一致している。
 時計の製造も時代の流れに敏感に反応していると、今の自動車の形と同じ、時代によりデザインが変化して行く。
 古時計にもそんな時代と一致しているとも、だから色々な時計を見ていると実感して来るが、それが全部であるとは言えない。
 それは私も色々な時計を見て来て実感したもの、形が似ているから同じよう新しい物と思ってしまう事もあった事。
 しかしよく調べて見ると意外な事が分かった来て、新しいものでは無いのではとの疑問が、形こそ昭和のものだと思えても。
DSCN1148.JPG

 実際はもっと古い物ではないのかと、そんな時は機械形式から調べて見るのも、機械も当然だが時代によって変化している。
 その為に形こそ新しいものだと見えても、意外と古い時計であったと言う事もあり、やはり先入観だけではダメと言う事。
 以前に私の先輩の人から、「この時計は昭和のものだね、古くはないものだよ」と言われ、私もそのように思っていた。
 ある時、偶然にも同じ時計を見る機会があり、その時計の機械を見て、自分の持っている時計も古い物だと思うように。
 それは見せて貰った時計の機械に刻印が押されており、非常に見にくいが薄っすらと確認でき、家に帰ったから調べてみた。
 以前から持っていたトレードマークのコピー、勿論明治村の学芸員が調べてくれたものだが、その中に今日見た刻印を発見。DSCN1151.JPG

 今まで気が付かなかったが、明治30年代に登録されていたもの、昭和だと思っていた時計が、少なくとも大正時代であると言う事だ。
 今回の古時計もそれに該当するもの、会員の田中コレクションの中から見つけたカレンダー付の時計、一見新しいものに見えるが。
 何気ない普通の頭丸型の掛時計、一般的には昭和の時計に見えるが、文字盤を開けて見ると機械に刻印がある。
 よく見ると林の刻印に見え、「KT」が図案化され菱形に囲まれたマーク、このマークは林時計が明治時代に登録したものだ。
 後で調べて見たら、明治43年に登録されたトレードマーク、少なくともこのマークは大正時代までは使われていた、一見昭和に見えてしまう、カレンダー付掛時計、実は大正時代のものである証拠、外形からだと昭和の時計だ、やはり形だけでは製造時期を誤解してしまう、製造させた時期を間違えしてまう事に、ジックリと見極めなければならないと思う。













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2020年03月19日

末広がり

   苦労の末SANY4458.JPG
 古時計愛好家に取っては珍しい古時計を探し当てるのが楽しくて、それを探し求めていると言えるが中々目的を達し得ない。
 人よりも先に、人よりも良いものを、人よりも珍しいものを、そんな思いで古時計を探し求めるのだが、世の中そんなに甘くない。
 自分の思いとは裏腹に珍しい古時計は現れず、幻を追い続けているがごとしで、一種の幻想に近い想いと思うが、それは私だけだろうか。
 愛好家とはそんな思いを持っていると思うが、自分だけは人よりも恵まれているから、絶対に探し当ててやると思っても見る。
 それが無ければ思うものは手に入らないが、逆に思いが強すぎても失敗する事も多く、どれが正しいかは神のみぞ知る。
 古時計とは難しいもので自分の思い通りにはならず、逆に良くない方に傾くもの、縁が無ければ寄っては来ないものなのだと思う。
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 この2つの古時計、個性的な造りのもの、多分末広がりの縁起を担いだものと思われる造り、扇子は間違いなく縁起を担いだものだが、富士山はどうだろうか、富士は不事の意味だと思う、縁起の良い響き、そんな思いで造り上げたのだと解釈しているが、果たして正解かは分からない。
 やはり富士山は日本一の山、一番高い山だから高みを求めたいとの思いを込めているとも言える、解釈次第であるが。
 この2つの古時計、製造者はどんな意図で造り出したかは分からないが、私は縁起を担いて洒落を形にしたと思っている。
 数少ない古時計の中でも縁起を担いだものと解釈、激戦区名古屋の時計業界が造り出した珍品の古時計と言える代物。
 色々な解釈をするのも古時計愛好家の楽しみの一つ、どんな思いで造られたか、詮索してみるのも面白いと思う。
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2020年03月11日

大阪と京都

    近隣の戦い
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 再び取り上げた大阪と京都、古来より比較されてきた地域、明治期の近代化にもその特徴が現れており、大阪と京都其々に違った考え方で相違。
 明治期に入り、千年の都を東京に移され、京都は間が抜けたような雰囲気に、片方大阪は相変わらず台所としての地位を保ち続ける。
 その気持の差が近代化にも大きく表に出る事に、逸早く文明開化の申し子、西洋時計製造に着手した大阪、一方の京都はこれに出遅れる事に。
 都が移ってしまった事に落胆を隠せない京都は、近代化の並に遅れてしまい、大阪に先を越され、追いつくのに必死となるが既にその差は大きくなっていた。
 何事にも先んじて来た京都、文化の発信地であった京都、それが都が移った打撃は大きくのしかかり、精神的な没落の兆し。
 例えば近代産業の時計製造、大阪は東京、名古屋に追いつくために逸早く時計産業に参入、6社が凌ぎを削っていた時、その時京都はやっと一社が産声をあげる。
 この近代化の遅れは京都にとっては致命的な事、その為に危機快晴の一発を勧業博覧会に求め、明治28年京都岡崎の会場に第四回内国勧業博覧会を開催する。
 この勧業博覧会に数多くの西洋時計を京都から出品、有効2等賞を受賞、西洋時計製造に弾みをつけると共に、京都の時計製造技術を世間に示す。

 この様に大阪に先駆けて勧業博覧会を開催し、時計製造をアピSANY7138.JPGールしたが、大阪の生産数を抜くことはなく、まして名古屋地域の時計との価格競争に曝される。
 その上に大阪の時計製造会社からの攻撃も受け、結果は大阪に追いつくどころか、存続の危機に陥ってしまうことになるが、一時経営を持ち直すも後が続かなかった。
 名古屋からの資本を導入し、尚且つ時計職人も多く名古屋から雇い入れる事に、それにひきかえ大阪の時計製造会社は地元重視の経営を行う。
 この時、大阪の時計製造会社は大阪時計、渋谷時計、松下時計、北出時計、日本時計など、京都は大手京都時計だけ、後は組み立て会社のみと会社は少ない。
 ここにもヤハリ後発と言うハンディーを背負っての時計製造を強いられ、コスト面と価格競争の両面より、大阪の時計製造会社との製造競争は激化、それに加えて名古屋の時計とも競争しなくてはならなかった現実。
 大都市圏の2つの地域、消費人口も多く存在し、時計産業もやり易かったはずなのに、製造会社は長続きせず、両地域の時計製造会社は多く存続しなかった。写真は上から大阪時計、京都大沢時計。
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2020年03月07日

ミステリー

      何処がミステリー
 SANY3457.JPGミステリークロック、世界中で幾つか製造されており、その殆どが特注の高級品、発注者の意向により数々の仕掛けが施されており、正にミステリーな時計となっている。
 前にも書いたが、そのミステリーさは、どの様にして動くのか分からないものが多く、構造的に目に見えるところには機械が見えないもの、機械自体が隠れている。
 その為に如何して針が回り、時間を示すのか分からず、不思議な時計としてミステリークロックと呼び、奇数の構造を持つ時計と言われる。
 そんなミステリークロック、日本でも製造されているが、その時計は余り高級感のある時計は少なく、一般的な時計を改造して作られたものが殆どである。
 素材も海外のミステリークロックと違い、高級な素材は使用しておらず、木製のものが殆どと言ってよく、その構造も複雑なものでもない。

 写真のミステリークロック、名古屋の三工舎製の時計、大正末期に製造されたもので、木枠に凸面ガラスを採用し、スケルトン風に造られた時計。
 SANY3456.JPGSANY3460.JPG文字盤はガラス枠に印刷されており、中央に機械をセットして、表からは見えなくして、ミステリークロックの様な、如何して動くのか分からない様にした時計。
 しかし、海外の時計と違って、横から眺めれば中央部分の機械は丸見え、名前こそミステリークロックと言っているが、其れとは程遠い雰囲気である。
 デザイン的には斬新なデザイン、当時の時計としては画期的なもの、安くて少しばかりミステリーぽく、話題性のある時計としては申し分ない時計、当時はそんなに販売されていなくて、その方が現在では数が少なく、ミステリーであり、機構云々ではなく、単に数が少ない幻のミステリークロックとなった時計。
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2020年01月27日

消えた時計

    盗難か
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 又同じ話だが何でカタログにない時計が存在するのかと言う質問あり、私の若い頃の話で怪談めいた怖い話ですが事実の話し、大正、昭和と名古屋大手時計製造会社の開発に関わられた方の実際の話、私が古時計を蒐集し始めの頃、名古屋市内に古時計を求めて良く行く骨董屋で、品の良い老人とよく鉢合わせをした時の事。
 その老人に向かって私が古時計を蒐集していると、店の主人が言うと「若いのに古時計が好きですか」とその老人は小さな声で言われた、まだ始めたばかりで詳しいことは分かりませんが、今は「数を多くする努力をしています」と答えると、「其れは其れはご苦労なことですね」と頭を下げられた。
 その後、何度かお会いするうちに、老人が時計製造に携わった当時の事を詳しく語られるようになり、開発製造の面白い裏話を数多く教えてもらった。

 自分は時計製造会社に入り、製造部門を経て新しい時計の開発に関わるようになり、その後そこの責任者となった話、当時は数多くの新商品を開発、会社の命運がかかっており、各社生き抜くために心血を注いで新たな時計開発を行っていた時代。
 その老人は新商品の開発に日夜努力をされ、新たな商品を数多く開発され、試作品の山が出来たと言う話をされ、その一つ試作品が研究室から夜な夜な消えると言う、夕方までは壁に掛かっていたが、朝には姿がなくお化け話のような事があったと言う。
 出来の良い試作品は研究室の壁に沢山掛けてあり、研究者は目にすることの出来るようになっていたとの事、しかし、毎月給料日の前近くになると何故かしら時計の数が少なくなり、何処に消えたか分からなくなったと、其れも日常茶飯事、しかし誰もとがめなかった様で何時の間にか、その時計が質屋に入っSANY2082.JPGていた事も多くあったらしい。
 又、ある時は販売店の店先に試作品が掛かっていた事もしばしばで、其れを見て老人は冷や汗をかいたこともあったと話された。

 老人いわく「当時、給料が安かった職人は給料日前に試作品をこっそりと持ち出しては金に換えていた」と笑顔で昔を語られて、兎に角おおらかな時代であったので、数々の開発された時計が消えても、事件には成らなかった様だが今なら大変に事だ。
 そして、家にまだ試作品の時計があるから「見たければ見せてあげるよ」と、そんな話に私は飛び付き、私を家に連れて行ってくれた。
 老人の家の壁にはその試作品7、8台の時計が掛かっており、今まで見たことの無い時計ばかり、まだ塗装がされてなく白木のままの物もありビックリ。
 驚きの連続で老人の家を後にしたが、今あの時計はどうなったのか非常に興味がある所だが、何処かのアンティークショップに売りに出ているかも、試作品の時計が消える原因究明の回答に成ったが、「カタログに載ってない時計が何故あるのか」の一つのヒントにでもなればと思う、昔の名古屋の時計製造所の話。



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2020年01月17日

ふたつの梟

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   小型のフクロウ
 梟の時計は人気が高くどんな種類のものも古時計愛好家に取っては欲しい時計の一つ、どの手のものでも手に入れたいと思う。
 やはり人気の古時計、主に輸出用に製造されたものが多く、戦前戦後に造られたものが多いが大型のフクロウとは違い、機構的には簡単なもの、安価に製造できた。
 それが又人気の秘密でもあったようで、どの梟時計も販売は好調であったと思われ、数多く造られている。
 然しながら輸出が殆どで、戦後の外貨獲得に一役買っていた。
 特にオキュバイド、ジャパンと記された時計に人気が集中、逆輸入されてものも多いと言う事だ。、そこが又愛好家が好む時計でもある。
 フクロウ時計とされてはいるが、耳が立っている事から本来はミミズク、フクロウの種類には違いが無いからフクロウでも良いか。
 上のフクロウ時計は平面的な造り、一枚板も薄DSCN1988.JPGいが下のフクロウは立体的な造り、顔の表情もおどけた感じのものに造られている。
 上のフクロウは真面目なフクロウ、同じフクロウを造るにしても製作者の意図で全く違ったものに仕上がる、そこが又古時計愛好家から喜ばれる点である。
 面白みのない時計は興味が薄れるが、とぼけた感じのものは人気が出、チョットした工夫で売り上げも違ってくると思われ、苦労のしがいがあると思う。
 どちらのフクロウが好みかは人による、とぼけた感じのフクロウは下の時計、真面目なフクロウは上、それぞれに良い所が出ている。小型だが雰囲気は大型並み、この様にフクロウ時計は人気が出るのもうなづける時計だと思う。

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2019年11月24日

大典記念

    大正天皇即位式
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 明治45年明治天皇崩御、年号が大正と変わり、維新後日本を近代化にと導いた明治天皇、僅か半世紀で世界の近代国家の仲間入りを果たした。
 大正天皇(1879〜1926)、明治から年号を大正とし、第123代大正天皇に即位、天皇は幼少より病弱で在位15年と短い期間であった。
 大正天皇は大正4年、明治天皇の喪が明け、京都御所において即位式を行なわれ、歴代天皇がこおなってきたように古式にのっとった即位式であった。
 この即位式を記念して時計が造られ、市場に供給されたがその独特のデザインが、明治時代にはなかったものに仕上がる事になる。
 当然の事であるが、近代国家になってから即位式は明治以来はじめてのこと、時計業界も始めての経験、ここに西洋時計の影響を全く受けないデザインと独創的なものが出来上がる。

 SANY9229.JPGこの大典記念の時計には時計の側面の房がつけられているものが多く、この時期に作られた時計であり、その後このデザインは一般化してゆく。
 大典記念の時計は製造会社によって色々な形のものが販売されているが、1番多く製造したのは名古屋地域の時計製造会社である。
 大典記念の時計には特徴があり、先ずは何処かに鳳凰が描かれている事、ガラス絵であったり、文字盤であったり、振り子であったりと、何処かに鳳凰の図柄がある。
 もう1つは時計の両脇に付く房、大典記念の時計にはこれも特徴、その後房だけ付くものもあるが、始めは記念時計についたものだ。
 大典記念時計で1番分かりやすい時計は、時計全体が特殊な時計、上から文字盤脇に三種の神器、勾玉でふち取られ、扉室には即位記念の文字、その両脇にはむらくもの剣、そして鏡は文字盤のガラス。
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 この種の時計が1番、その他の時計は大典を示す図柄があること、写真の時計もガラス絵に綺麗な鳳凰が描かれているもの。
 一目でお目出度い記念の時計と分かる代物、この大典を記念して時代、時代に造られており、昭和天皇、今上天皇と即位記念の時計は製造されている。
 現存している時計には何処かにその印があるから、一度手持ちの時計を調べて見たらどうだろうか、発見があるやも知れません。
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2019年09月08日

珍品時計が欲しい

    何処で探せば
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 珍品時計が欲しいがどの様にしたら手に入るものなのか、そんな質問が再びやった来て、どの様に答えるものなのか。
 色々な質問が寄せられて困っているが、またまた厄介な質問がやった来たので、今回はどう答えて良いものなのかと思案している。
 質問する方は真剣にしていると思うが、私にとっては難題でもあり、その人にもよるがどんな珍品が欲しいものか分からない。
 珍品時計とは珍しい時計の事だが、「形が珍しい」もの、「製造会社が珍しい」もの、「数が少ない」から珍しいものと色々なものがある。
 本人がどの様なものを求めているのか、私のように製造会社が珍しいものをさがしており、それとは違ったものなのか。
 こちらが思う珍品時計と同じなのかと色々考えるが、一般的に珍品時計とは形が珍しいものを指す、それが珍品時計と思われている。SANY7109.JPG
 普通の時計と異なり、少し形が違ったものを探している人は多いが、それでも違いはあると思われ、好き好きで形も違うものになる。
 主に掛時計の方が探している人が多いと思うが、置時計の方は少ないように思う、何故ならば人気がないからだと。
 最近は置時計を探す人が少ないように思うが、その原因は場所を取るからだと言う、掛時計は壁にかかるが置時計はそうは行かないからと。
 確かに置時計は置き場所に困る事も、小さい物であれば置き場所もあるが、少し大きなものは場所を取るからだ。
 そんな事もあり、置時計の珍品も人気が無いように思う、これも時代の流であろうか、部屋の状態と絡んで来るからだ。
 そんな置時計の珍品が出たとしても、中々買い手がつかないと言う、以前であれば直ぐに売れたのにと言うのだ。
 だから探すとしたら置時計の方が珍品を探しやすいのかも、そしDSCN0421.JPGて対抗者も少ないと、売り手の店主が言うのだ。
 では掛時計の珍品は何処にあるのか、何処で買えば良いのか、今ではネットの普及で珍品時計も出て来ると言う。
 それも思ったほど値段も高くなく、競争相手も少ないと言うが、果たしてどうだろうか、偶々少なかっただけではないか。
 しかしネットで探すのが一番早い事は確か、全国の情報が入るからだが、逆に競争相手も多いと思うが。
 では何処で珍品時計を探すのだと、コレクター仲間の情報も大切、持っている人を教えて貰う事もその一つである。
 仲間同士の連携も大切な情報源、何処の誰がどの様なものを持っているか、知る事も手に入れる手立てでもあるのだ、私もこの方法を取る事が多い、ある所が分かっていれば、むやみに探しまわる事はないのだから。

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2019年05月18日

キャラクター

    く ま さ ん

 SANY0029.JPG時計と言っても種類はいろいろとあり、その中でも子供向けに開発された時計があるが、これまた色々な種類の時計がある。
 いまや電池式の時計が全盛期、少し前まではクオーツ時計が全盛であったが、今や電波時計が全盛期、一秒も狂い無く正確に時を告げてくれるハイテク時計。
 クオーツの時代も中の機械は殆ど無く、アイシイ回路がはいっており、時計とは似ても似つかない物になってしまったようで、我々の年代の者は、サッパリ分からない事に。
 兎に角、今の時代電波時計が正確に時を刻んでいるから、時間に対しては問題はなさそうであるが、何だか味気ない時計になって行ったような気がするが、我々の世代だけであろうか。
 勿論時計と言うものは時間を計るものであり、正確でなければならない事は承知しているが、現在その時間に追われて生活しており、一分一秒が命取りとなる事もある。
 正確無比な時間を告げる時計には温かみを感じなく、以前の機械式みたいな時計とは全くの別物で、時計と言うよりももはや電子。
 機械式の時計は狂いもするが、さほど狂いは無いと思うが、現代ではそれも許されないと言うのか、そんな生活に慣れてしまったのかも知れない。
 一分も違えば大変な事になるとも、電車の時間、銀行の閉店時間、学校の授業時間、会社の就業、色々なものが課題となる。

 そんな現代の正確無比な時計ではなく、少しゆったりSANY0021.JPGとした時代の時計、昭和30年代に製造された物、熊の可愛らしい時計であり、木で出来ているもの。
 御研機器株式会社、茨城県石岡市で時計製造をしていた会社の物、子供向けに製造されたもので、当初は木造で前板を製造していたが、その後ダンボールを圧縮してその上からプラスチックのカバーを付けたものになる。
 写真の時計は、初期製造のもので木製の前板を使用、何処となく可愛らしい熊の子供、子供向きらしくて愛嬌があり、この手の時計は人気である。
 ミケンの、この種類の時計は21種類製造されたことが分かっており、プラスチックが最後の物となるが、やっぱり21種類製造されたものの中でも、木製の時計が人気である。
 文字盤サイズも小型で、この種類の中には、ディズニーのキャラクター物が一番人気、ミッキーやドナルドダック、7人の小人等のキラクター物が流行った。
 ほんの少し前まで家庭にあった時計だが、今は中々見なくて、探さないと見つからない時代、クオーツにとってかわられたのだ。
 今は懐かしい時計となってしまったが、やっぱり機械時計は温かみがあり、正確無比な電波時計とは一線を隠したもの、人気の秘密を垣間見る思いでもある。
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2019年02月05日

外貨を稼ぐ

    こんなものが

はと2.jpg
 尾張瀬戸で製造された陶器が海を渡り、当時貴重な外貨を稼ぐことに、ノベリティーと呼ばれた輸出もの。
 戦後、瀬戸の陶器が海外で好評を博し、大量に海を渡って行ったが、そのほとんどが玩具の人形。
 ドイツのマイセンの向こうを張って、数多くの人形が製造され海を渡ったが、はじめはマイセンの人形とは大分差があったようだ。
 敗戦国同士であるが、ドイツの人形は洗練され、古くから製造されていたもの、それと比較して瀬戸は後発の製造となる。
 当然ドイツ物を追いかける事になるが、その技術は急速に発展し、マイセンと肩を並べるまでになる。
 その製造された殆どが海外に渡り、日本国内には存在しない物となってしまったが、昨今は逆輸入され国内でも見る事が出来る。
 高級品になるとどれがマイセンで、どれが瀬戸だと思う位見事な出来栄え、その技術の高さの証明でもあった。

 そんな人形たちの混じって、他のものも多く製造されて海を渡ったが、その中に花入れも入っていた。
 時計の形をした花入れがそれ、色々な種類の花入れが製造され、特にアメリはと.jpgカで人気を博したと聞く。
 当時、瀬戸で製造していた花入れを私も見ていたが、何でこんなものがアメリカで売れるのか不思議であった。
 いつも見ている窯元で忙しく製造されているものを見、アメリカ人はこんな物を何処で飾るのかと。
 そんな思いで造るところを見ていたが、今見てもヤッパリ誰が使ったのだろうと不思議に思う。
 花入れにしては小さなもの、普通の花入れの半分位、それよりもモット小さなものも、だからこそ疑問であった。
 写真の花入れがそれ、せいぜい10センチ位のもの、これで花入れなのかと思ってしまう。
 しかし、この小さな花入れが当時多く製造され輸出されていたから、事実アメリカで売れたのだろう。
























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2019年01月10日

また恥をかく

       何でも知っている

SANY8155.JPG 古時計を集めていると、時計の事なら何でも知っていると思われているらしく、良くそんな質問を受けることがあるが、何でも知っている筈がない。
 長年古時計を研究している事から、細部的にも知らない事はないのではとか、変な誤解をしている人が多く、これまた困った事だと思っている。
 幾ら古時計を研究していても、何から何まで知っているものではなく、逆に知らないものの方が多いもので、此方が逆に知りたいと思う時もある。
 私の場合は掛時計が中心の蒐集、特に地元の名古屋の時計が主、腕時計や懐中時計、又置時計等知らないことばかりで、そんな時計の事を聞かれると、此方が困ってしまう事もある。
 掛時計に関してなら、明治、大正までのものであれば良いのだが、昭和に入ったものだと少し苦手になり、戦後のものだと全く知らないといえる。

 誰しも得て、不得手があり、得意分野ではその知識を出せる事もあるが、不得手な部分は全くと言って分からないのだが、質問されれば答えなくてはならない。
 そんな時ほど困る事はないが、知ったかぶりは禁物、後で恥をかくことになるのが落ちだからと思うが、しかしその場の雰囲気で云えない時もある。
 ある展示会場での事、知り合いが時計展をやっていたので表敬訪問した時の事、何やら人だかりがしていたのでツイツイその場へ見に行くことに。
 それは古時計を鑑定しているところであったので、私も見学するつもりで見ていたら、知り合いが私を見つけて「戸田さんこれ何処のか分かりますか」と突然聞いてきたのだ。
 まさか私に聞くとはと思いつつ、仕方なく知り合いの下に行き時計を見SANY7246.JPGることになってしまい、渋々時計を見たが、これが全く見たことのない時計だった。
 昭和に入ってから製造された時計には違いは無いが、何処の時計か全く分からないもの、持ち主は明治時代の時計だと思って持って来たらしく、知り合いも困っていた時だった。

 相手は私に何処のか教えて下さいと云うが、まったく知らないマークが付いているもので、返事に困ってしまい、昭和の時計には違いないが、何処の製造か分からないと答えた。
 すると「明治の時計ではないですか」と再度念を押してきたので、それはないですと答えると、時計の裏に明治44年と書いてあると言うのだ。
 確かに年号が書いてあり、確かめもせず、裏を見ずに形だけで判断してしまい、昭和だと言ってしまった自分が恥ずかしくて、先方に謝るやら、知り合いに謝るやらでさんざんであった。
 適当に見て良く調べもしなかったことを反省、その場の雰囲気を壊してし、大恥をかいてしまったもので、後で知り合いに「戸田さんでも間違える事もあるのだ」と嫌味を言われてしまった。
 ツイツイ知り合いの展示会だってので、気を許してしまい、結果は散々な事に、自分としても反省しなくては、この時のことを思うと、今でも顔が赤くなるのだ。








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2018年11月01日

金のわらじを履く

DSCN1938.JPG    わらじとは

 私は蕎麦が好きで、蕎麦の美味しいところがあると聞けば其処へどうしても行きたくなる癖があるが、皆さんはどうであろうか?近くの蕎麦屋であればそれで良いのだが、遠くても美味しければ一向に構わない。
 蕎麦好きを誘って遠くまで一杯の蕎麦を求めて車を飛ばす、蕎麦好きな者同士であるので食べるために時間が掛かっても一向に気にしない者達で、どんな蕎麦なのかと「蕎麦談義」に話が弾み行く道が遠くても近くに感じてしまうの。
 他の人に、その話をすると決まって「馬鹿じゃないか」と言うような顔をして私達を何時も見るが、そんな事はお構いなく「好きだから」どんなに遠くても食べに行きます。
 人は一杯の蕎麦を交通費を含め時間を掛けて「何故食べに行くのか」気が知れないと言う、それも又、事実であるが美味しいものには変えがたいと思う我々は変人であろうか。
 DSCN1945.JPG時として一杯900円の蕎麦を食べるために、交通費を1万円掛けて食べに行くこともしばしばで、好きな者同士で高速道路を3時間も掛けて食べに行くことも良くある。

 ある人が「900円の蕎麦でも高い500円の蕎麦だってあるのに」、その10倍の金を掛けて食べに行くのは「大馬鹿ではないか」と、お前達は「気は確かなのか」との忠告もどきの言葉も頂いた事も多くある。
 諺に「金のわらじを履く」との例えがありますが、若い人にその意味を聞けば何のことか知らない人も多い今の世の中、「かねのわらじ」などあるのかと言われそうだが、「かねのわらじ」などあっても痛くて履けないし、あろうはずが無い。
 しかし、やはり「美味しい蕎麦は食べたい」、お金が掛かっても仲間と食べに行く、正に「金のわらじを履いてでも」美味しい蕎麦はやっぱり食べたい。
 古時計もしかり、其れがどんなに「遠くても」、「時間が掛っても」、「少しぐらいお金が掛かっても」、其れを求めてこれからも時間が有る限り、全国を行脚して行きたいと思うし、又絶対に実行しようと言う気持ちを持ち続けたいと思う。
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2018年09月10日

鑑定依頼

      直接届く

 SANY0352.JPG古時計愛好家からの質問も多くなった来この頃、1番困るのが直接時計を送られる事、ある日突然に荷物が届く事に。
 見慣れない差出人、宅配の人に何処の人だと聞けば「私たちでは分かりません」と当然な返事、こちらも知らない名前だ。
 仕方なく荷物を受け取り中を見るが、出て来たのは古時計、そして手紙が入ったおり、鑑定して欲しいとの文面だ。
 しかし此方としては何の連絡もなく、しかも突然古時計を送られても甚だ迷惑、前もって連絡でもあれば又別の話だが。
 最近この手の荷物が多くなった困っているもの、突然に送られてきて鑑定して欲しいと言われも迷惑極まりない。
 この様な行動は決して相手が喜ぶものではなく、かえって印象を悪くするだけ、事前に連絡すべきものだと思うが。
 そして最悪なものは此方が送料まで払って送り返す事、普通は人に頼まれ事をするのであれば当然の常識として送料も持つのが当たり前。

SANY0356.JPG そんな常識外れの人も居るから驚き、しかし送られてきた物をそのまま返しても大人気なく、結果は鑑定して送る事になる。 そんな時は余り気分の良いものではないが、これも団体としての有名税でもあると思い、鑑定をした送り返すのだ。
 そしてもう1つ多いのが手紙での依頼、手紙での以来は中に写真が入ったおり、この時計は何処の時計だとの質問が多く、大抵はスナップ写真。
 しかしこれが又鮮明な写真ではなく、見辛いものが多く、何処の時計だと分かり難い物だらけ、写真の撮るのが下手で鑑定しがたいのだ。
 特に振り子室のラベルがハッキリとし無いものが多く、肝心なところが写っていないものも多く、その写真だけでは鑑定できないのだ。
 その反対に写真の数も多く、そして何よりも文章で克明に古時計の内容を知らせてくる人も、そんな人には此方としてもシッカリと鑑定をして返答する。
 やっぱり鑑定するからには資料が多いほど正確に鑑定でき、そして相手にも納得の行く鑑定が出来ると思うが。
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2018年08月25日

代用品ガラス

      こんな物まで
SANY2058.JPG
 代用品とは、本来の物とは違って其れに変わる物として作られた物を指す、つまり本来金属で作られた物であるが、金属ではなく別の素材で作られた物を言う。
 昔から代用品は色々な物で作られており、新しい発想ではなく古来より作られてきた物、例えば絹の代わりに紙で作られた着物、金属で作られるはずの物を木製で作られもした。
 この様な物を代用品と言うが、色々なものが多く作られてきた事は確かであり、その時代に必要として作られた物、それられの物は今となっては史料価値の高い歴史の証人でもある。
 其々に作られた物は時代の申し子的存在、作られるべくして作られた物、必要が生んだ副産物とでも言うべきなのか、それらは決して本物より性能が良いはずもない物。
 あくまでも代用品として作られた物、そのため強度や性能は度外視して製造されており、見た目には同じ様に見えても、張りぼてには違いなく代用品なのだ。
 その中でも異質な物が時計の部品であるが、これは昭和の時代より古くから作られており、明治後期には実用新案特許を取得している物もあり、新しく作られた物ではなく複製品である。
SANY2061.JPG
 写真は時計の振り子と渦巻き鈴の台、時計の振り子、明治時代に製造されたものは、もう少し装飾性に優れているが、戦前戦後に作られたガラスや陶器の振り子は装飾性に乏しい。
 それはやはり代用品としての性格上、質素に製造されているためで、其れ自体に装飾性を持たせるために作られていない物、戦争の副産物たる物である。
 まだ時計の振り子は強度的に問題はないが、渦巻き鈴の台は聊か強度的に問題あり、時うちの力に負けて割れる恐れは十分にあると考えられ、何にしてもそれが代用品の宿命であろうか、もろくて消え去って行くから貴重なのかもしれない。

 
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2018年08月21日

ガラス絵12

      本家より充実 

 がらす.jpg今回のガラス絵は、八角型のガラス絵やスリゲル型のそれとも違い、変形型のガラス絵、この形の時計にも色々なガラス絵が描かれているが、線上形式のガラス絵が多い事。
 写真や風景画等とも違ったガラス絵、先ず何処が違うのかと言えば、今までのガラス絵は、振り子室のガラスにに描かれていたもの、今回は振り子室のドアーでなく、時計前面が開くガラスドアー形式になっている時計。
 つまり文字盤の部分と振り子室の部分が一枚のドアーになっている時計の事、振り子室のガラスは多くが小さいドアー、今回のドアーは其れよりもずっと大きなガラスドアー部分に描かれている。
 ご多分にもれず、今回のガラス絵もアメリカ製時計のガラス絵のコピーであるが、日本人には人気の高い時計をモデルとして、コピーをしたガラス絵。

 アメリカでも人気のモデル、ウェルチ社のイタリアン、ハンキングと呼ばれる時計、その時計のガラスに描かれているものを、職人が忠実に写し取った物である。
 芸術の世界では、コピーとは言わず写しと言う、芸術的な絵画は古今とわず写しが当たり前、幾人の人が写しを行い、前任者を越えていったものも存在する。
 師匠より更に優れて、師匠を超える其れが又芸術の世界、このガラス絵を描いた明治の職人は、アメリカのモデルとなった職人が描いたものを超えてしまったのである。
 写真で分かりずらいかもしれないが、ウェルチ社のイタリアン、ハンキングをコピーしたにも拘らず、其れを越してもっと優れたガラス絵を完成させてしまったようである。
 線の太さや全体のバランスを比較してみると、写しのほうが出来が良いのにきずく、細かな部分も手を抜かずに職人魂を遺憾なく発揮している事である。
 当時の日本の職人は、コピーに留まらず、自分の力量を上げる事に精進した過程で、本家を追い越して独自の世界を作り上げてしまったのだ。
 時計も日本製、名古屋で製造されたウェルチのコピー時計であるが、細部に本家の時計よりも優れた技量が発揮され、本物よりも良い出来になっているのが面白い。




 
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2018年04月13日

時計画

      時計の版画は数々ある。

SANY3537.JPG 時計を題材とした版画は多くあるが、趣味で直接依頼して作成してもらったものは、そんなに多くないが堀田時計が販売店に出したもは、大分出回っている。
 堀田両平氏は家業の時計店の店主でもあり、古時計の蒐集家としても知られている我々の先輩の蒐集家、堀田氏が自社の店舗をモデルとして、製作依頼した版画で、時計マニアの間でも良く知られたもの。
 堀田氏は時ある毎に時計の版画を製作依頼しているが、特に伊藤深水画伯の版画が多くあり、美人の版画は人気の的でもある。
 自分の娘(朝丘雪路)をモデルとした版画は人気が高く、マニアには是非とも手に入れたい版画でもある。

 深水画伯の作品は妖艶な美人が描かれているため、時計よりも其の美人のほうに目が行ってしまう。堀田.jpg
 やっぱり美人画は伊藤深水に限ると思うが、時計も良く観察されており、其の特徴を捉えた力作が多い。
 もともと堀田時計は名古屋出身、明治期名古屋市にて時計商を商っており、良平氏はそのルーツを理解していたようだ。
 先祖の築き上げた店を題材にして版画家にその姿を依頼し、表現したものだと思う。
 左の版画は、富山出身の金守世士夫画伯の製作であり、明治期の堀田時計店の店先を描いた版画である。
 当時名古屋市の中心部に大店を構えていた様子が描かれ、店内には櫓時計やそのほかの時計が見え、屋根の上には巨大な時計塔が見える。
 堀田時計初代の堀田良助が1代で築き上げた大店、色使いも良く当時の繁栄振りが見事に彫られている傑作である。
 当時は名古屋市内には、こうした時計塔が幾つも乱立をして、名古屋の時計産業が盛んであった証でもある。
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2018年03月19日

何で安いのか

      1番質問が多い

SANY6113.JPG この所の古時計の値段、以前に比べたらべら棒に安い値段、少し前に高く買った人から何故安いのかと質問攻め、別に私が時計の値段を安くしているものではないのだが。
 そんな事は誰しも知っている事、しかし、自分が買った時よりも安いのに腹が立っていることは確か、これも景気が悪いせいである。
 売り手と買い手、この需要と供給のバランス、どちらかが増えればバランスが崩れ、安くなったり、高くなったりと乱高下する。

 一頃の景気が停滞気味、だから古時計の値段も下降しているのだが、単にそれだけでも無いもので、他の要素もくわわっての話だと思う。
 時計愛好家は現在急激に減ったわけでなく、愛好家は増えてもいるが、世代交代の時期でもある事は確かなこと、次々と売りに出ていることもその要因の1つ。
 一頃みたいに精工舎の姫ダルマ、1時期の物が不足していて時の値段と現在の値段は3分の1以下にまで落ち込んでいるもの、高く買った人が愚痴るのも頷ける。

 あの引っ張りだこだった姫ダルマ、それがどうであろう、昨今出品されても中々買い手が付かない様で、値段も上がらずに停滞気味。
 そんな訳で愛好家はヤキモキしている事は確か、私のもとに相談が幾つも来ているが、これも定めであり、流行でも有るのだから仕方がない事。SANY0379.JPG
 以前は投資気味に買い込んだ人も多く、その人達が売りに出したから値段が暴落、そのトバッチリを愛好家が受けている。
 株と同じ状況下にあるといって良い現実、古時計が投資の餌食となってしまった事は嘆かわしいが、これも又現実の世界、需要と供給のバランスである。

 愛好家受難の時期かも知れないから、欲しい物は安い次期に買うのが1番、安い時に売るのは止めた方が良いが、惑わせられない様に気を付ける事。
 それしか防ぎ様がないのが現実、良い物を安く買い込むチャンスは今、特に和時計は底値の状況、やっぱり時期が左右する。
 ジックリと見極めて欲しいものだが、自分自身が注意しない事には激動期は乗り越えられないもの、シッカリと見極めて欲しいものだ。
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