2017年12月28日

後々の事が

      貰う事はしない

SANY4834.JPG
 古時計を展示していると色々な人と出会う、年齢性別問わず出会いはやって来るが、古時計もまた同じ様に出会いがあり、良く展示会場で話しかけられる事がある。
 展示会場を訪れる方の中には展示品と同じ様な時計を持っておられる方が、そんな時は必ず声がかかり、「家にこれと同じ時計があります」と云われる事が多い。

 会場では古時計のキャクションを細かく書いていないことが多く、製造会社と年代位、その他少し特徴を書く程度、私がずぼらのせいだから。
 そんな事で展示会場で同じ時計だと言われる物は珍品時計、確かに何処にでもある単なる八角の時計だから、同じ様に見えるかも知れないが、展示品と中身が全く違う代物。

 しかし見学者は同じ様に見え、家にも同じ時計があると言われるが、良く聞いて見るとまったく別会社の時計、それでもむげには返事が出来ない。
 その上、そんな珍しい時計なら大事にしなくてはと云われ「どれぐらいの値段ですか」と急に現実的な話に、本人は珍品と同じだと思っておられるが、全くの別物で値段は付かない時計だ。
 SANY7875.JPGそんなことも日常で起こるから展示は面白いが、対応如何ではまずい空気に成る事も、スッカリ本人は珍品時計と思い込み、買い取って欲しいと言い出す始末。

 その場で丁寧にお断りをするが、しつこく食い下がる人も居るから、この対応に閉口する事も、何かと展示は気を使うことばかり、そしてもう1つ悩みの種が。

 展示会場に古時計を持ち込んでくる人も多く、昭和の何でもない時計を持ち込み、「親が大事にしていたから貴重な時計では」と云って来る人もいる。
 昭和の何処にでもある時計だが価値があるものと信じている様、この対応にも困る時も、幾ら説明しても信じない時はこちらがギブアップする事もある。
 価値が無いとはおかしい、親が大切にしていたのだからと逆に怒り出す人も、そんな事で展示会は色々な人が来る事に、それを簡単に対応しないように気を使いすぎるのだ。
 1番困るのは古時計を貰って欲しいと云って来る人、若い頃は何でも貰い受けていたが、現在は立場上貰い受ける事は絶対にしない事にしている。
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 その時計が珍品であろうと、高価なものであろうと、手が出るほど欲しいものであろうと、全てお断りしているのだが、それはトラブルを避けるためだ。
 後々、貰った古時計が珍品や高価なものである場合、「返して欲しいと」か、「価値が分からないのに取られた」とか、「安く買われた」とか、兎に角トラブルの原因となる恐れがあるから。
 そんな訳で古時計は信頼する人以外は、この様な行為は絶対しないように心がけているので、貰い受ける事はしないが、展示会では後がたたない位に話が来るのだ。
 何で貰ってもらえないのかと言われるが、これが最善の策と思っており、申し出される方には博物館を紹介して、そちらに寄付されるように勧めるのだ。

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2017年11月24日

持ち込まれた物

   また持ち込まれた

 SANY4192.JPG以前にも紹介した和時計をつくると言う雑誌の付録、今までに3台持ち込まれているが又持ち込まれてきた。
 最近ネットで出ているらしく、それを買い込んだ人が持ってきたもの、触れ込みでは動かないと言う事らしい。
 ジャンク品として販売されていたのを承知で落札、安いからとの理由であるが、あまり感心しない。
 自分で修理できれば良いが、普通の人は修理出来ず、結果は高いものに付いてしまい後悔するだけである。

 安いからと言っても、それにはそれなりの条件があるはず、今回のものもそれにあたるもの、部品が足りないのだ。
 致命的な部品でないから、何とかなるとは思うが、この人が出来るとは思えないし、部品の製作を頼めば高いものにつくはずSANY4196.JPG
 簡単に考えているらしいが、そんな簡単にできない事は少し考えれば分かるはずであるが、そこは欲しいと言う心が先に立ってしまった。

 安いとなれば尚更の事、私でもその気になるのは無理からぬ事、しかしそれは修理する自信があってこその事。
 他人に修理を依頼すれば非常に高いものに付き、新たな部品を探そうとすれば、それまた大変な事だ。
 運が良ければネットで見つけられるかも知れないが、それとても運次第と云事になり、先が分からない。
 友人の紹介で持ち込まれたが、この和時計もあまり造り方が良くないもの、機械に詳しくない人が組み立てたものと思うが、接着剤がいたる所に付いており、汚い仕上がりである。SANY4199.JPG
 動かないと言うので分解する事にしたが、前一番車を固定されている支柱が動かない、こんなことはない筈。

 ピクリともしないのでルーペで見れば、やはり接着剤がこびり付いており、苦労してやっと外すも更に暦を動かす歯車もピクリともしない。
 何故こんな所に接着剤が付けてあるのか、原因は他にもあったが全部接着剤のせい、形は出来ても動かないない筈だ。
 説明書には接着剤を余り付け過ぎないようにと書かれているはず、これも慣れない人が造るせいなのか。
 時間をかけて全部の接着剤を取り除いて動いたが、良く見てください時打ち車や後ろの支柱が2本ない、これを探すのも大変だと思う。
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2017年11月14日

似たもの

      どちらが先か

 SANY2484.JPG古時計には色々な装飾が施されいてるが、豪華な元の代表と言えるのが七宝、装飾の中でも七宝の施されている時計は高級品に多い。
 貴金属を覗けば七宝は非常に高価な装飾、手間を掛けて装飾された時計には目を見張る七宝技術もあり、当時の人たちが七宝を珍重した事が分かる。
 全般的に言えることだがヨーロッパではフランスが多く時計の装飾として用い、その次は中国であったようだが、この七宝と呼ばれている手法。

 2通りの製造方法があり、中国ものとフランスものとでは違いがあるが、一方は鉱物質の微粉末をふのりで溶き焼き上げる物とエナメル溶液を施して焼き上げる物の2つがある。
 中国ものはSANY2487.JPG鉱物質の微粉末を用い、フランス式はエナメル溶液を用いる技法、どちらも良く似た物に仕上がるが、輝きの違いが出来、透明感のある物は鉱物質の方。

 しかし、中国ものは透明感のない七宝で、日本の七宝は鉱物質で製造されるが、透明感のある七宝が出来、中国七宝との違いが生じる。
 フランスものはエマイユと呼ばれ、何回もエナメルを上から施して焼、複雑な物を製造しているが、スイスものは繊細な描き方をしている。
SANY2489.JPG 写真の時計に施されている七宝、どちらがフランスもので、どちらが日本のものかお分かりだろうか、見た目にもデザイン的にもよく似ており、一般の人には分かり辛いかもしれない。

 写真は一番上が中国もの、その下がフランスもののエマイユ(エナメル)で製造されたもの、一番下の写真が日本の時計に施されている七宝、ドチラも非常に美しいが、透明度に違いがある。
  フランスものはエナメルを何度も重ねて塗り焼いたもの、日本の七宝はガラス質を重ねて焼いたもの、エナメルよりガラス質のほうが透明度が良い。
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2017年10月26日

組み立て会社

    小規模製造


SANY4346.JPG 明治に入り新政府が改暦を行い、日本各地で色々な時計会社が乱立、多くの国産の西洋時計が製造された。
 大手時計製造会社もあれば、家内工業的な中小の小さな会社と様々な西洋時計製造会社が存在した。
 国産の西洋時計を製造する大手の会社、逆に機械だけを買い入れ、小規模の工場で機械を組み立て、市場に送り出す会社も存在した。
 組み立て会社は自分の所で機械やその他の部品を製造せず、すべて部品を買い入れ時計を製造する会社の事です。

 外国製の機械のみ輸入して箱は日本で製造する大手の会社、すべてを買い入れて製造する組み立て会社など、組み立て会社も様々であった。
 明治期、色々な組み立て会社がある中、個人で組み立て販売していた所も、全国各地に多く家内工業として存在していたのである。
 中小の組み立て会社の「下請け」であったり、まったくの個人で組み立てていた所も数多くある。
 下請けは組み立て会社のラベルをはって自分の社名は入らないが、個人で製造している所は自社のラベルに個人名を入れ販売している所も。
 明治期、全国的に見て、この個人名の組み立て時計製造が非常に多かったのが、名古屋地域であった。
 会社と言えるかどうか知らないが、兎に角西洋時計を製造して販売業者に渡SANY4343.JPGして生活していた事は確かである。
 そんな状態で製造された時計が今生存して現れており、古時計蒐集家達が戸惑う原因になっている事は確かである。
 数が少なければ問題ないが、これが意外と多いので出所不明、幽霊時計として現代に存在するからややこしくなる原因となる事も。

 この時計、形や機構も様々で非常に面白い機械やデザイン、とっぴな時計が存在しているから非常に面白い現象になっている。
 大手の西洋時計会社では経営基盤がしっかりとしており、安定した経営を持っとうとして、堅実な西洋時計を製造した。
 しかし弱小の組み立て会社は、自分の生き残りをかけて西洋時計を製造、大手市場に切り込みをかけていたのだ。
  何故そんな事になったのか、理屈はともかく後にして、珍しい西洋時計には替わりは無いのだから、其れは其れで面白いと思う。
 他社では製造しない、ユニークなデザインや機械構造が特殊なもの、そんな楽しい時計を是非見つけ出して時計蒐集を楽しんでもらえればと思います。











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2017年10月23日

保障ラベル

      色々なラベルが

ラベル.jpg
 時計の背板もしくは振り子室の中に色々なラベルが貼ってあるが、其の中でも1番信用性の高いのは、愛知県時計製造組合の保障ラベルである。
 保障ラベルと言っても数多くの保障ラベルがあり、個人の時計屋の保障ラベルから、時計製造会社の保障ラベル、時計販売者の保障ラベルなど色々あるが。

 明治期に製造組合の保障したラベルが貼られているのは愛知県だけであり、そのほかの地域では見られないが、此のラベルにはいわく付きな話が存在する。
 分業化が進んでいた名古屋地域の時計製造会社は、他社の部品を仕入れてコストを下げ安く時計を製造することに成功していたが、東南アジアや支那などに輸出も手懸ける様になり、粗悪品も出回ることなり、名古屋物と蔑まれらしたのである。
 之には、他の地域との製造販売競争の妬みも、多分に入った風評であったようだが、精度の低い時計も存在したことは確かで、その為愛知県時計製造組合は厳しい制度を設けて、之をマスターしない時計は組合の保障ラベルを張る許可を下ろさなかった。

 愛知県に当時の記録が残っており、全国の時計を集め愛知県の時計も含めて、制度検査をした結果、1番精度が高かったのは名古屋の尾張時計の製造した時計であったとの記録が存在する。
 明治36年、愛知県知事の認可を取り、合格した時計製造会社の時計には、愛知県時計製造組合の保障ラベルを貼る事を義務ずSANY4298.JPGけ、不合格の時計の販売を禁止した。
 それにより、愛知県の時計は信用を回復して、「粗製乱造」との汚名挽回を図り、他地域との製造販売競争に打ち勝って、時計の市場を拡大して行った。

 当初の保障ラベルは、大きな物であったが時代が下がるにしたがって、徐々に小さくなり、昭和に入り1番小さな保障ラベルとなり、時計製造組合の面目を保った。
 よく耳にすることは愛知県製の時計は質が悪いから、それを挽回するために作られたもので他ではないものだ、性能が悪いからであると言うのだ。
 これは一部の人達が名古屋地域の時計を中傷したもので、他地域の時計が優れていたと言う事ではなく、逆に時計製造組合が保証している例がない。
 それこそ品質管理が徹底されたことの証、他地域との差別化がハッキリしたと言う事、それだけ製造数が多かった裏返しでもある。
 写真は上は最初の保証マークの大きさ、下は最後の昭和の保証マーク、大きさが全然違う時代が新しくなると小さくなる。
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2017年10月11日

堀田版

      モデルは誰 


 SANY4062.JPG時計の版画は江戸時代からあり、その中でも美人画には昔から人気が高かったので、色々な画家が描いているが、やはり第一人者は歌麿であろう。
 歌麿も美人を題材に多くの版画を残しているが、その中には和時計と美人を描いたものも多いし、版画も色々とだして人気を博していたようである。

 その後、豊国もまた美人画を描き、和時計と共に美人も描いているが、豊国の版画は和時計をよりリアルに描いており、歌麿は和時計は付け足しとして描いているに過ぎない。
 其の点、豊国は和時計を全体的に版画の中で主張している事と、細部的に現物に近い和時計の姿を描いて、他の絵師との力量をハッキリと示している。

 現代では伊藤深水が美人画の代表格、その深水もまた時計を題材とした物を製作しているが、芸者姿の美いとう.jpg人は深水の右に出る者は居ないと言われ、その艶やかさは別格である。
 その伊藤深水が、堀田時計の堀田両平氏の要請で製作した版画があり、堀田版と呼ばれ愛好者から熱烈な支持を集め、人気の高い版画となっている。

 写真の版画は、その堀田版であり、鮮やかな色彩と深水にしては珍しく現代的な美人を描いているが、このモデルに付いて色々な噂が飛び交っている。
 題は 「赤と白」 昭和44年製作、堀田両平氏より依頼されて製作されたもの、現代的な美人が描かれているが、このモデルが自分の娘 「朝丘夢路」 であると噂が絶えない。

 当時の夢路は人気絶頂期にあり、話題を誘っていたが真実は藪の中、堀田氏も真相を明らかにしていないので、より論争は過激になり、また別の有名女優の名前も出る始末。
 そんな人気の高い、堀田版の版画、「赤と白」のバランスが新鮮であり、いかにも深水らしい画像構成となっているのは流石であり、論議も呼ぶのも当然の事か。











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2017年09月27日

保 険

      今 も 昔 も

SANY0995.JPG
 明治初期日本に西洋時計が輸入され、一般家庭にまで西洋の最新機械が入ることになるが、機械物は当然の事故障する事に、その為西洋では修理保険なるものがあった。
 その時代の日本には修理保険等と言うものはなく、西洋の様式を取り入れ、急速に保険が発達する事になる。

 当時西洋時計は高価な物であるが、当然時計であるから動かすうちに故障するもの、必然的に修理は必要欠くべからざるもの。
 西洋時計が一般に広まり、更に日本製の時計が市中に多く出回ることになり、町の修理屋は時計修理に精を出すことに。

 今も昔も変わりはないが一般人は時計に対して無知SANY5684.JPGであり、当然修理にはお金も掛か、そのために高額な時計修理に当時から保障制度が取り入れられるようになる。
 修理してもらったが動かなくなったでは済まないし、お金も払うからにはクレームも利かなければ安心できない。

 古時計には写真のような修理表が貼り付けられているが、長年使ってきた証として、修理票もまた時計が生きながらえて来た足跡であり、修理票によって古時計の経路も推測することが出来る。
 右の修理票は長きに渡って使用されてきたようであり、大正期から同じ物を使っていたと思われ、昭和に入り尚且つ戦後になっても古い修理を使っていたようだ。
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2017年09月09日

ローマ数字か

      どちらがどちら


 SANY7236.JPG何時も話題となるのが古時計の文字盤、何故かと言えばその数字の書き方にあり、ローマ数字とアラビア数字、この書き方を論議しているのだ。
 古い時計にはローマ数字の文字盤が付いているもの、古くからローマ数字が用いられてきたが、その後アラビア数字に変更されることになる。

 この両方の文字盤を巡って論争が繰り広げられるのだが、他の人にとってはどうでも良い事かもしらないが、しかし彼等にとっては論議の的。
 日本では何時ごろから文字盤のローマ数字からアラビア数字に変わったのかとか、何故変えたのかとか、小さな疑問が次第に大きく、そして論争に発展。

 はじめは時代の流れだと言う人が多く、すると他の人がすかさず反論、其れは国策だと言う、これを聞いた他の人が又もその意見に反論する。
 するとどちらとも違うとの意見、ローマ数字は読み難いからアラビア数字になったのだと、次から次へと問題が定義されて行くが、最初の話はどうなったと又もとへ戻る事に。

 SANY7230.JPG大正時代にアラビア数字になったのは何故、すると、それは戦争がそうさせたのだと、ローマ数字では24時間表示は読みにくいからだとか、だから見易いアラビア数字にしたのだという。
 確かにローマ数字では24時間表示は難しいもの、簡単に読めるのはアラビア数字、だから変更したのだと、その人に言わせると第一次世界大戦が切っ掛けと言う。

 確かにその頃の文字盤にはアラビア数字が多くなってくるのと重なる事になるが、しかし、其れが原因なのかと又他の人が、当時の流行の影響なのではと、意見が続出。
 アールヌーボー、アールデコの影響がアラビア数字にと変更させたのだと、これも一理ある意見、この時代に流行したものだからだ。

 この論議、次から次にと議題が次々変化、1つの事で論議するのではなく、個人の主観で意見続出、それも又楽しいものなのだから。
 こんな他愛もない論議に白熱した意見が出るのも、古時計愛好家だからこそと、意見は纏らないのだが、それはそれでよいものだ。
 果たして、文字盤問題のローマ数字とアラビア数字、愛好家の間で結論は出るものなのか、今後も論議が最熱して、喧々諤々と意見が出るのを期待している。
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2017年08月23日

幻の扇

くら.jpg      名古屋の倉知時計製造所。


 長い間謎だらけであった名古屋の時計製造所、「倉地時計」、明治35年、36年と2年足らずで姿を消したといわれ、記録には残っているものの、現物は中々見つからなかった。
 明治時代、名古屋市中村区西洲崎橋に倉地時計製造所があった事は、知られていたがその時計となると、中々見つからなくて、私も長い間探していた。

 「トレードマークは扇」である事も分かっていたので、「扇のマーク」を探せば見つかるであろうと思っていたが、結局40年の月日が掛かってしまった。
 名古屋地域で製造されている時計の中には、振り子室にラベルの明記が無い物も多く、只黒いろの紙が貼られているだけの物も多いのであから、何処の時計か分かりずらい事もある。

 その上、古時計に良くある文字盤が変わってしまい、その上ラベルも無ければ何処の時計か分からず、探すのに苦労するのも名古屋の時計の特徴でもある。
 オリジナルの文字盤が付き、機械も変わってない程度の良い古時計を探すのは、至難の業でもあり、その上状態が良い物はそんなに多く見つかるものでもない。

 結局、40年も見つけ出すのに歳月をかけてしまったが、見つかる時は意図も簡単に2台も見つけてしまい、逆に拍子抜けしてしまったようでもある。
 見つかる時はこんなもの、偶然がたび重なって出て来るもの、その2台ともトレードマークの扇がハッキリと残っていたので、倉地時計と直ぐに分かっが何故か半信半疑で見つめていた。

 其れもそのはず、40年もの長きに渡って探した物が、偶然とは言えこんなに簡単に見つかるとは、自分でも思っても見なかったから。
 縁とは、こんな物であると思う、追っかけても、追っかけても逃げられ、逆に縁があれば向うからやって来るもの、正にそのとうりで向をからやって来た。

 写真は扇のマークが少し薄いが良く残っていると思う、文字盤下にはローマ字で倉地と書かれてあり、幻と言われた倉知時計の文字盤だと分かる。
 本体に付いていたビス穴もオリジナルの状態であったので、間違いなく倉知時計の現物である事を確信したのである。
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2017年07月14日

個性的であれ

      良く似た形の時計が



 DSCN1834.JPG古時計を蒐集していると、同じ形の時計を幾つも出会う時があるが、メーカーが違っていたり外国製であったりして、時々迷うことがあり、果たしてこの時計は大丈夫であろうかと、不安になる時がある。
 愛好家ならこんな経験をしたことは何度かあると思うが、そんな時は迷わずその時計を購入する事をお勧め、何故ならば同じ時計の形をしていても、作られた年代が違っていたり、同じメーカーの物でも良く見ると、違っていたりするからである。

 例えば、八角合長花ボタン鋲打ちの同じメーカーの時計でも、花ボタンのプレス型により、形が少しずつ変わっていたりするし、良く見ると形は良く似ていても、違っていたりする事があるから。
 少し、玄人向けにはなるが、同じ形の時計を文字盤のインチ違いで、全種類集めている人もおり、その人に言わせると、微妙に違う物を何種類も集めてこそ、SANY1286.JPG真の蒐集家と言えるのではないのかと。

 つまり、時計を蒐集するのに、1つの方向性を持ってやらなければ、その道の頂点には立てないと、云わば真の蒐集家たるプライドであるとも云われるのである。
 確かに言われてみれば其の通りで、人の後を追っかけて同じ物を集めてみても、人と同じで個性がないもので、蒐集も直ぐに行き着いてしまうのではないのかとも思う。
 しかし頂点に立つためにするのではなく、蒐集とは楽しみたいものだ。

 八角の時計ばかり集めている人を、人は「八角の同じ物を集めて何が楽しいのか」と言う人も居るが、本人に言わせると「玄人であれば違いが分かるはず、其れの分からない者はヒヨコである」と、どちらの言い分が正しいかは別にして、考え方が違ってこそ人であると思う。SANY1188.JPG
 人のコピーは止めにして、自分なりの時計蒐集を心がけて欲しいもの、個性あっての蒐集であると私も思うものであるから、やはり自分でその道を切り開くほかはないと思う。

 その点においても、この時計もその1つ、形こそ良く似た時計はあるが6インチ文字盤の時計は極めて珍しく、私が古時計を蒐集してから中々手にはいらない、最近では中々お目にもかからない珍しい時計である。
 珍しい時計ばかり求めなくても、自分なりの目標を持つことが大切と思う。
 文字盤6インチだけのものをゆっくりと集めるのも一つ、焦って無理しないこと、楽しんで頑張って欲しいもの。











 
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2017年07月07日

新製品1

      何時も新しい物は良い

SANY1942.JPG 何とかと畳は新しいほうが良いとは、昔から言われてきた言葉、確かに新しい物は良いと思うが、何が何でも新しい物が良いとは限らないのも、また事実かもしれない。

 新しい物には実績がないもの、つまり出来たばかりで調子よく動くとは限らないし、新品でありながら故障する事は良くあり、新しいと言ってよく動くとは限らない。

 今の時期になると思い出すのが、大先輩の吉田嘉一氏で、名古屋の時計に関しては師匠、私も何度か吉田さんの家に伺って、様々な時計談義をした。

 吉田さんは名古屋の「愛知時計」に勤務されていたが、古時計にも知識が豊富であり、同じクラブ会員でもあったから、良く古時計に付いて気軽に教えていただいた。

 吉田さんの話は実践的なもの、自分自身が携わってきた時計製造に直に接した人、自分で設計した時計がどう動くか生で経験した人物、だからこそ信憑性がある。

 吉田さんとよく論争をしたのは、愛知時計の初期のものに関する事、明治25年製造の「丸S印の時計」、之が水野時計、後の愛知時計になるもの、この時計に付いているラベルの事。

 吉田さんに言わせると、愛知時計に経営が移った後も、丸Sマークのラベルは使用されていたと、その後も幾多の変遷があったが、同じことの繰り返しでラベルは使い果たすまで使用したとの事。

 実際に愛知時計の現場で働いていた吉田さんが、自らの経験を話されたことに衝撃と真実を知った思いであったが、その後も色々な新事実を明かされた。

 この事実は、愛知時計のみならず、当時の時計製造会社は同じ事をやっていたもので、愛知時計だけが古いラベルを使用していたわけではないらしい。

 精工舎の石原町のラベルも同じ事、柳島に移ったあとも当然古いラベルを使用していた事は周知の事実らしい、後の人達は否定するが、現場で働いてきた人達にはあたり前の事だそうだ。

 まさに「事実は小説よりも奇むなり」の言葉と同じ、実際は我々の知らない事実が隠されている物であり、歴史の裏側を知らされた思いでもあるが、事実は事実。
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2017年07月05日

旅の思い出4

      やけに勧める

SANY2728.JPG イギリス、アポンエーボンで町の案内をしてくれた現地のバイヤー、シェークスピアの生家や妻の生家を連れて行ってくれたが、其の他に彼の知人が経営するアンティークショップも行った。
 店はそんなに大きくは無く、何処にもあるような店、中に入ったら所狭しと家具のやま、それもキチット整備してある物ではなく、ガタガタの家具が一杯。

 友人は既に商売モード、私みたいに物見よさんではなく、プロの目をしていたので「家具を買うのか」聞けば、「家具ではなくオルゴールだ」と、真剣な態度であった。

 早速、オルゴールを見せてもらう事に、其処の主人が「お前たち機械が分かるか」と我々に聞いていると友人。
SANY2733.JPG すると主人、後ろの扉を開けピカピカのオルゴールを指差して、「其れはどうだ買わないか」と言っているらしいと、マタマタ友人が私に向かって小声で言う。

 そのオルゴールを見る事にして中を開けたが、箱と機械が別物のいわゆる「後家」、プロの言葉で本歌(本物)ではない物を指す言葉、つまりオリジナルではなく合成、私は友人に本歌でないと伝えた。

 すると何処が違うのかと店主、仕方なく私が説明する事に「箱と機械が違う物、組み合わせただけのオリジナルの物ではない」と、違う部品を指で指し説明する。

 店主いわく、「確かにそうだが綺麗だから買えと尚も勧める」、友人店主におされ気味なので私が代わっSANY2738.JPGて、「此方の値段でなら買っても良い」と、身振り、手振りのジェスチャーで値段を提示、その値段は店主の言う3分の1の値段。
 しかし、それでも店主が買えとしつこい、友人「そんなに安いのなら買っても良い」と言い出す、結局更にまけさせて、このオルゴールを買い込んだが、私がついでに棚にあったガラスの置時計と蓄音機の置物をプレゼントさせて決着、その時のものが写真がオルゴールと蓄音機の置物のだ。 

 日本には無い色のガラス、機械は別に珍しくない安物、しかし何となく色ガラスが気に入ったので、私が強引に之をゲットする。
 そして蓄音機の置物が気に入り、時計よりもむしろこちらが良いもの、それを上乗せでまけさせ持ち帰ったものだ。
 それを見て友人、「お前さんには負けるよ」と呆れ顔、「安くオルゴールが買えたのだから感謝しろ」と私が言うと、「それもそうだ」と友人も納得、今も家の棚には他の時計と一緒に、その時のおまけ時計と蓄音機が鎮座している。
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2017年05月22日

変わったガラス絵

      丸 も 進 化 す る


SANY0759.JPG ガラス絵は時計の形によって、パターンが決まっているようで、八角型はどれとか、ダルマ型はどれとか、時計の形によりガラス絵の絵柄は決まっている。
 普通の八角型は「花菱型」、八角花ボタンは「丸形写真や絵柄」、そしてダルマ型は「円形」と大体のパターンは決まっていて、殆どの時計製造会社もこの方式を採用している。

 当然の事、この方式に当てはまらない、時計のガラス絵が存在する事は承知の事実、例外はさて置きパターンかしているガラス絵、之は日本の時計だけではなく、アメリカ製の時計も同じようだ。
 其れもそのはず、アメリカ製の時計をモデルとしているので、同じであって当たり前、しかし日本独自のガラス絵も存在している事もまた事実である。

 ここに挙げた実例は、ダルマ型時計のガラス絵であSANY0743.JPGるが、この手の時計のガラス絵は、殆どが「金二重丸」、つまり金の丸が二重になっているのが普通である。
 「太い枠の金丸と細い枠の金丸が重なった二重の丸」が一般的なガラス絵、これは本四ツ丸のダルマ型も張四ツ丸型も同じように「二重の金丸」である。

 例外としては、小型の姫ダルマ型だけはこの法則に当てはまらないが、そのほかのダルマ型は、この法則に乗っとり同じ模様の金丸が採用されている。
 写真のガラス絵は、この法則に当てはまらず、「金丸が四重」に重なるガラス絵になっており、我々日本人が見ればより豪華に見えるものも、外国の人から見れば、デザイン的に少し可笑しいかもしれない。

 「デザイン」か、「重厚さ」かは意見の分かれるところでもあるが、日本人は時計に重厚さと豪華さを求めた為であろうか、私の持っている時計の中には「5DSCN2006.JPG重丸」の物も存在する。
 しかしダルマ型でも例外中の例外も存在しており、そのガラス絵はヤッパリ個性のあるものが入っているので、見ても楽しいのだ。

 単なるシンプルな丸ではなく、勿論複雑な模様のものであったり、違った写真が張り付けられているものなど例外も存在する。
 日本のダルマ型ではこのタイプのものはあまり見た事がなく、やはり外国産の時計にはめてあるもの、同じダルマ型でも国産とは違うもの。

 
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2017年05月12日

いがいにも

      古着商から転職している


SANY0205.JPG 江戸から明治に入り、新しい時代となり産業もまた新たな分野が生まれて来、其の中に西洋時計の製造を志すものが出てくる。
 明治初期に時計産業に参入している出資者の中は、江戸時代に家業として、古着屋を営んでいた者も多くいる。
 今と違い江戸時代には一般庶民は新品の着物など買えず、もっぱら古着が当たり前、着物と言ったら古着、それが当たり前であった。

 その為に古着屋は市中に多く存在しており、庶民の強い味方でもあったようで、買い求めるのは何時も古着と決まっていたようだ。
 古着屋は当時は商店としても一般的な商売、何処の町にも存在し、結構繁盛していたと言う、今の感覚とは少し違うものだと思う。
 そんな中、古着屋で大儲けをした商人も多いと聞く、やはり今の時点で考える古着屋とは少し違っているようだ。SANY1660.JPG

 代表的なのは林時計製造所の林市兵衛であり、名古屋市内で古着屋を営んでいたが、西洋時計の流入に刺激され時計販売を志す、当時数多くの古着屋が店を出していたが、競争相手が多く経営は芳しくなかったようである。
 そんな中、林市兵衛は西洋時計の売れ行きに注目、古着屋を続けていては将来は見込みないと悟り、新たな経営に乗り出す。

 一方、精工舎の創始者服部金太郎の父、服部喜三郎もまた名古屋に於いて古着屋を営んでいたが、やはり経営は思わしくなく、江戸に出て再び古着商、「尾張屋」を開業する。
 服部金太郎も又、家業が芳しくないのに気付き、亀田時計店に丁稚奉公に出、その後西洋時計製造を志
すのであり、両者供家業の古着商に見切りをつけるのも、期せずして同じであった。
 当時の古着商は一般庶民を対象としており、現代みたいに新品の着物を買えSANY1178.JPGる様な生活状態ではなく、庶民は古着を買うのが当たり前の時代であった。

 その為、古着商は今の我々との感覚違い、市中には多くの古着商が立ち並び、古着に対する見方が当違っていたし、それが普通でもあった。
 古着商で財を成した人物も又多くおり、林市兵衛も其の1人、彼らが志したのは、文明開化の申し子、西洋時計を自ら製造し、其れを販売する事を目指していた。

 従来の家業に見切りをつけ、異業種の西洋時計製造販売と云う新分野に、自分の将来の夢を託し、其れを勝ち取るため転業していったことは、彼らの先見性の高さの証明でもあった。
 そして彼らは苦難の末、西洋時計の製造販売に成功し、古着商から脱却して、新産業の頂点に立ったのである。
 歴史と言うものは実に奇妙であり、事実は小説よりも希なりの言葉の如く、真実もまた奇である。


 
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2017年04月05日

これも時計小物

      可愛いだるま



 SANY3761.JPG時計愛好家にとって時計は何時見ても興味をそそるもの、喩えそれが本物の時計でなくとも愛着が湧き、れを求めたいと思う。
 時計グッツは色々なものが出回っているが、どれを求めるかは本人次第、ある日とは写真であったり、ある人は置物であったり、ある人は絵画であったりと、やはり人様々。
 一時期時計の水滴が流行ったもので、時計愛好家はそれを求めて捜し歩いたが、今は静かになっているようだ、そんな流行もあるが、流行に左右されず我が道を行く人も多くいる。
 私の友人で紙物を専門に集めている人がいて、おもに版画であるが数が多く、古いものから新しいものまで、ありとあらゆる版画を集めている。
 人がどう云おうがお構いなし、人は人と我関せずの構え、ここまで徹していると感心するもの、逆にそこまでやるかと驚きにも似てる。
 写真の時計、非常に小さくて5センチと小型、寄木ダルマをモデルに作られたもの、この様な小SANY0082.JPGさな時計に関心を持つ人も多い、時計は動かなくても構わないらしい。
 時計の形をしていれば良いとの事、大きなものには興味もなく、小さなものしか集めない人、その人達にとっては、写真のような小物の時計は必須条件だ
 この様なリアルな小物もあるようで中々無いもの、あちらこちらと探し回っている人も、多くは持っていない物だが、価格は安いものだ。
 価格が安いものほど物が無いので、特に非売品となると愛好家の目の色が変わるもの、そんな小物の時計を集めて、だいの大人が探し回るのも滑稽だ。
 しかし、彼らにとってはそれが宝物に見えてくるもの、子供の玩具の時計までも、蒐集の対象であり、真面目に玩具屋に通いもする。
 そんな愛好家の人気のある時計小物が写真の時計、こんな物の何処が良いのかと思う人、それSANY0083.JPGは好き好きで、人には分からないかもしれない。
 愛好家にしてみればそれはお宝に見え、是非とも手に入れたいと思う。
 玩具であるが故、本物の時計でない事が良いと言うのだ。
 そして愛好者からは精密でない方がより時計に近づくように思われると言うのだ。
 本物の時計ではなく、そのムードを如何にして作り出しているかが見どころと言う。
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2017年04月03日

独自の発達

           素材も色々



SANY9467.JPG 掛時計の振り子室の扉、この扉には色々な装飾が施されている物があるが、その中でも特殊な装飾を施されている時計があり、特に古い時計に多いようだ。
 普通の時計の振り子室の飾りと言えば、ガラスに施される絵もしくは線、大抵の時計はこの様な仕様になっていることが多く、簡単な物がほとんどと言って良い。

 例えば線のみで円形の形や菱形の形を描くものが多く、後は写真が貼られているものや、絵が描かれているが、今回紹介するものは、薄い板を切り抜いて装飾した物。
 古い時計に良く見られる木象嵌が時計全体に施されたもの、イギリス製の掛時計などに良くあるものだが、大抵の場合は振り子室のガラスは装飾がないものが多い。SANY2645.JPG

 時計全体に象嵌されているので、振り子室にはシンブルなガラスのみ、それが時計を引き締める1つのデザインなのか、この時計をモデルとして、アメリカで製造された時計。
 それらの時計にはイギリス製にない装飾が施されており、本国の時計とは少し形式が違った物に、あえてイギリス本国の時計とは違うデザインにしたのだ。

 形こそは良く似た物であるが、そこはアメリカ人のフロンティア、スピリットかも知れず、同じ物では面白くなく、また真似だけではプライドが許さなかった。
 そんな思いで、本国の時計とは一線を隠した物を製造したのであろうか、写真の時計の振り子室に施された装飾、ガラスに直接つけるのではなく、手作SANY2649.JPGくりで施された一枚板。

 技術的なものではなく、何処となく温かみのある造りになっているのも、カントリーらしさを表した物なのか、アメリカ人の心意気かもしれない。

 イギリス製の象嵌入りの時計も存在しているが、この時計のように素朴なものではなく高級感のあるもの。
 アメリカの当時の意気込みが伺える造りとなっているのも面白い。
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2017年03月21日

何で綺麗か

    自分のと違う綺麗さ


 SANY2170.JPGある友人が自分の持っている古時計と他の人の持っている古時計と綺麗さが違う、何処が何で違うのか。
 そんな疑問を持っていると言うのだが、その疑問に友人たちが意見を述べる事になるが、それが又大変。
 其々の意見が続出、色々な意見が出て来るが、個人的な意見で、人ぞぞれの考えに基づいているのだが。
 古時計には色々な状態のものが存在しており、綺麗な物から何でこんなに汚いのかと思うものもある。
 状態はそれぞれに違いがあるが、良いものは誰でも欲しいと思う、それもまた古時計愛好家の心理だと思う。

 では良い状態のものは何かと言う事、ある人に言わせれば汚いものは好きではないと言い、ある人はそれが古時計だと言う。
 色々な状態のものが存在している中、自分の好きな状態のものを買い求めるが、数の少ないものはそSANY1426.JPGうは行かない。
 出て来た事がラッキーであり、状態はその次だと言う人と、良い状態のものが出て来るまで待つと言う人。
 しかし数の少ない古時計は今度いつ出て来るのか分からない事に、だから出て来た時に買い込まないと手に入らない。
 状態ばかり気にしていると数も集まらない事に、しかし其れでも良いと言う人はじっくりと待つと言う。

 もともと古時計は長い年月を過ごして来たもの、新品の状態ではなく、当然の事時代による傷や汚れが付くのは当たり前の事。
 その汚れをすっかりと落してしまえば、時代が消えてしまう事になるが、それでも綺麗なものが良い人も居る。SANY8586.JPG
 時代の汚れよりも綺麗な物、そんな人達が好むものに、現在アメリカから輸入される古時計がある。

 この時計日本の生活状態と違い、囲炉裏やとかかまどなどの煤で汚れない事、そのうえきれいに磨いてある事だ。
 つまり昔日本に輸入されたものと現在輸入されたものとに分かれ、何方もアメリカ製である事だが、日本に入って来た時代が違う事。
 私も海外のコレクターの持っている古時計を見ているが、彼らが所有している古時計は全部綺麗で時代感が感じられない。SANY9467.JPG
 彼らに言わせれば製造当時の状態にすることが当たり前、その為には常に磨き綺麗な状態にするのだと言う。

 日本古時計愛好家とは少し考え方が違う、侘び寂精神と結び付き、時代の汚れを落とさないのが日本の愛好家。
 埃は落すがそれ以上は落さないので、当然時代の汚れが付いているもの、アメリカの愛好家とは明らかに違う。
 どちらが好みなのかは本人次第、最近は現在輸入されたものが良いと言う人も増えて来ていると言う。

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2017年03月10日

機械も変形

      超小型時計の機械
SANY0179.JPG

 色々な機械がついている超小型の時計、そんなに製造数は多くないと思うが、今まで見て来た時計の機械は千差万別、何でこんなに違うのがあるのか。
 超小型の時計、名古屋地域で製造されたもの、全国的に見ても名古屋が多く製造したと思う、しかしながら製造会社はハッキリしない。

 林時計と武田時計、高野時計と今津時計、その他の時計製造会社も製造したと思えるが、如何せん数が少なく全容を把握する事は難しい。
 何故この極小時計が製造されたかも不明、新しい時計の雛形として製造されたと言う説が1番真実に思うが、それでも疑問も多くある。

 雛形の時計であればもっと多くあっても不思議ではないが、現存数は極めて少ないもの、何故少ないのかも分からないのだ。
 私も今までに10台以上所有してきたが、今手元にSANY5268.JPGあるのは6台、全部違う機械が入っているから不思議、林時計のものが2台あるが機械が違うのだ。
 武田と高野これも機械が違う形、ダルマ型と八角型、そして頭丸型の3種類、ヤッパリ其々に機械の型が違うもの、謎が増すばかり。
 大先輩の時計の設計に従事した吉田嘉一氏は、時計の雛形とハッキリ断言されたが、私としても同じ気持であり、専用に作られた機械であると思うが、写真の機械は無印の時計の物。

 この機械の地金部分は5センチ角、全体の大きさは縦7.5センチ、横8.5センチと意外と大きいもの、雁木車の位置が少し違った位置にある。
 普通は雁木車の位置とアンクルの位置は下に向いているが、この機械は横から出ているので其れを下の位置に持ってきており、普通の機械だと横向きの位置にある。
 分かりやすく言えば普通の機械を横にした格好になるものを正常な状態にしたもの、つまり横向きと言うことだが、其れもおかしな話だ。SANY5265.JPG

 この様な状態の機械はこれだけではなく、殆どの超小型の時計の機械は特殊なもの、やはり小型専用の機械を製造していたことの裏づけ。
 ある人の解説だと玩具時計であり、子ども部屋専用の時計だと言うが、当時子供専用に超小型時計の機械を開発する事はしないもの、吉田さんも同じ事を言っていた。

 小さいからと言って子供用などではなく、列記とした時計そのもの、その為に開発された機械が入っている事が何よりの証しだ。
 それにしても当時、この時計を手に入れた人は何処でこれを掛けていたのか、興味の湧くところでもあり、遊び心のあった人てあるとも思われる。
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2017年03月08日

懐中時計の鎖

      人目を引く


 SANY3900.JPG明治時代に入り男のお洒落も様変わり、江戸の粋和服姿は景を潜め、西洋の洋服が大流行、「猫も杓子洋服姿」と言われるほどに、町には洋服が大流行。
 今まで頭に載せていたちょん髷をバッサリと切り、洋服姿で町を闊歩、「散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」とも詠われたとおり。
 日本中のハイカラ好きはこぞって洋服を求め、似ても似つかない洋服を着て満足していた頃、時計もまたステータスなシンボルとして持て囃された。

 特に懐中時計は評判を呼び、金持ち達は我も我もと買いあさったようだが、それは珍しさも多分にあったと思う、彼らは時間を見ると言うよりは自己満足のかたちをなしたものであった。
 その懐中時計は、ヤッパリ金時計が一番人気、胸SANY0249.JPGのホケットからワザとらしく見せびらかし、自分が注目を浴びたい一心であったようだ。
 その懐中時計には付属品として鎖が付く、時計を固定させる為に鎖で繋ぐ物だ、この鎖にも拘りが出始める事になり、人よりも目だったものを欲しがった。

 その為に時計の鎖は自然と派手になり、個性と言うよりも目立ちたいが為、そんな人達は人と変わった物を求め、より競い合うことになった行く。
 金銀の高価なものを材料に、金に任せて次から次へと変わったものを注文、職人たちはその要求に答えて、あらゆるデザインのものをつり出した。
 当然の事だが金の鎖が一番。金時計に金の鎖、まさに成金の塊のようなもの、それに憧れた当時の金持ち達が大勢いたのだ。

 見るからに派手な金時計と鎖、金持ちの象徴たるもの、それを持つことが流行った時代の事、鎖も当然凝ったものを使用した。SANY0243.JPG
 写真の鎖もそのような人の為に作られたもの、普通の鎖状のものよりは繋ぎも大きく、銀製で派手にくみ上げられたもの、この様な派手な鎖を付けて自慢していたのであろう。
 明治時代の男たちの、意地の張り合いを見るかのようで、むしろ滑稽さに見えてしまうのは何故だあろうか、日本人の性なのかもしれない。
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2017年02月24日

カレンダー機構

      曜日か日付け


 SANY0238.JPG時計の中でも特殊な物にカレンダーの機構が付いている時計があり、普通の時計とは別の扱いをされ、その数は余り多くは無いが各社が製造した。
 明治期にアメリカから輸入された時計は多く、その中にごく少量のカレンダー機構の付いた時計も輸入されているが、全体の時計からすれば特殊な部類である。
 普通の時計と比べれば当前の事価格も高価、普通の家庭では余り購入されなかったが、一部の支持層に購入され使われたようで、珍しい時計でもあり、注目もされた。

 カレンダーの付いている時計、種類は大きく分けて2通りに分かれる、単体のカレンダー時計と複数のカレンダー時計、単体とは曜日だけのカレンダーが付いている時計。
 複数のカレンダーが付いている時計は、曜日、日付、月、などのカレンダーが複数付いている時計の事、明治初期にはこの様な複数のカレンダーの付いている時計は殆ど輸入されていない。
 主に単体のカレンダー付き、曜日ならばそれだけ1つ付いている物、日付であればそれだけしか付いていない物、この2種類の時計が少量輸入されていたようである。SANY1638.JPG

 普通カレンダーの付いている時計の内部を見ることは余り無いと思う、文字盤の下に隠れている機構は上からでは見えないもの、どの様な仕組みか余り知られていない。
 そもそも、カレンダー機構は別の歯車と組み合わせによって起動するもの、時計製造会社のよってその機構は少しづつ違いはあるが、歯車が三つ余分に付いており、この組み合わせによりカレンダーとして動く仕組み。

 写真は、日付用と曜日用と二種類のカレンダー機構であるが、写真右端の歯車の歯数により、曜日と日付に分かれるもの、歯数の多いものは日付用、歯数の少ないものは曜日用である。
 真ん中の小さな歯車と左の歯車の組み合わせによって、右の歯車が動く仕組み、中央の歯車が2回転すると右の歯車が回転する仕組みになっており、大きく動くのは歯数の少ない曜日カレンダー。
 小さくしか動かないのが日付用のカレンダー、仕組み自体は簡単な仕組みであるが、歯数の組み合わせが問題で、一定の法則によって歯数が決まる。DSCN1835.JPG
 この組み合わせで取り付け位置が時計製造会社により違いがあり、左の歯車の取り付け位置が、上の方であったり、あるいは下の方であったりと位置が違う。

 文字盤が多少違っても、この歯車は同じ物が使用されており、文字盤が大きいからと言って、変わる事は無い。
 8インチ文字盤と10インチ文字盤、カレンダー機構は同じものが使われ、10インチだから大きな機構を使う事はない。
 文字盤に合わせて針の大きさが変わるだけの事、ただ12インチ文字盤のものは例外もある。

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