2018年08月21日

ガラス絵12

      本家より充実 

 がらす.jpg今回のガラス絵は、八角型のガラス絵やスリゲル型のそれとも違い、変形型のガラス絵、この形の時計にも色々なガラス絵が描かれているが、線上形式のガラス絵が多い事。
 写真や風景画等とも違ったガラス絵、先ず何処が違うのかと言えば、今までのガラス絵は、振り子室のガラスにに描かれていたもの、今回は振り子室のドアーでなく、時計前面が開くガラスドアー形式になっている時計。
 つまり文字盤の部分と振り子室の部分が一枚のドアーになっている時計の事、振り子室のガラスは多くが小さいドアー、今回のドアーは其れよりもずっと大きなガラスドアー部分に描かれている。
 ご多分にもれず、今回のガラス絵もアメリカ製時計のガラス絵のコピーであるが、日本人には人気の高い時計をモデルとして、コピーをしたガラス絵。

 アメリカでも人気のモデル、ウェルチ社のイタリアン、ハンキングと呼ばれる時計、その時計のガラスに描かれているものを、職人が忠実に写し取った物である。
 芸術の世界では、コピーとは言わず写しと言う、芸術的な絵画は古今とわず写しが当たり前、幾人の人が写しを行い、前任者を越えていったものも存在する。
 師匠より更に優れて、師匠を超える其れが又芸術の世界、このガラス絵を描いた明治の職人は、アメリカのモデルとなった職人が描いたものを超えてしまったのである。
 写真で分かりずらいかもしれないが、ウェルチ社のイタリアン、ハンキングをコピーしたにも拘らず、其れを越してもっと優れたガラス絵を完成させてしまったようである。
 線の太さや全体のバランスを比較してみると、写しのほうが出来が良いのにきずく、細かな部分も手を抜かずに職人魂を遺憾なく発揮している事である。
 当時の日本の職人は、コピーに留まらず、自分の力量を上げる事に精進した過程で、本家を追い越して独自の世界を作り上げてしまったのだ。
 時計も日本製、名古屋で製造されたウェルチのコピー時計であるが、細部に本家の時計よりも優れた技量が発揮され、本物よりも良い出来になっているのが面白い。




 
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2018年04月13日

時計画

      時計の版画は数々ある。

SANY3537.JPG 時計を題材とした版画は多くあるが、趣味で直接依頼して作成してもらったものは、そんなに多くないが堀田時計が販売店に出したもは、大分出回っている。
 堀田両平氏は家業の時計店の店主でもあり、古時計の蒐集家としても知られている我々の先輩の蒐集家、堀田氏が自社の店舗をモデルとして、製作依頼した版画で、時計マニアの間でも良く知られたもの。
 堀田氏は時ある毎に時計の版画を製作依頼しているが、特に伊藤深水画伯の版画が多くあり、美人の版画は人気の的でもある。
 自分の娘(朝丘雪路)をモデルとした版画は人気が高く、マニアには是非とも手に入れたい版画でもある。

 深水画伯の作品は妖艶な美人が描かれているため、時計よりも其の美人のほうに目が行ってしまう。堀田.jpg
 やっぱり美人画は伊藤深水に限ると思うが、時計も良く観察されており、其の特徴を捉えた力作が多い。
 もともと堀田時計は名古屋出身、明治期名古屋市にて時計商を商っており、良平氏はそのルーツを理解していたようだ。
 先祖の築き上げた店を題材にして版画家にその姿を依頼し、表現したものだと思う。
 左の版画は、富山出身の金守世士夫画伯の製作であり、明治期の堀田時計店の店先を描いた版画である。
 当時名古屋市の中心部に大店を構えていた様子が描かれ、店内には櫓時計やそのほかの時計が見え、屋根の上には巨大な時計塔が見える。
 堀田時計初代の堀田良助が1代で築き上げた大店、色使いも良く当時の繁栄振りが見事に彫られている傑作である。
 当時は名古屋市内には、こうした時計塔が幾つも乱立をして、名古屋の時計産業が盛んであった証でもある。
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2018年03月19日

何で安いのか

      1番質問が多い

SANY6113.JPG この所の古時計の値段、以前に比べたらべら棒に安い値段、少し前に高く買った人から何故安いのかと質問攻め、別に私が時計の値段を安くしているものではないのだが。
 そんな事は誰しも知っている事、しかし、自分が買った時よりも安いのに腹が立っていることは確か、これも景気が悪いせいである。
 売り手と買い手、この需要と供給のバランス、どちらかが増えればバランスが崩れ、安くなったり、高くなったりと乱高下する。

 一頃の景気が停滞気味、だから古時計の値段も下降しているのだが、単にそれだけでも無いもので、他の要素もくわわっての話だと思う。
 時計愛好家は現在急激に減ったわけでなく、愛好家は増えてもいるが、世代交代の時期でもある事は確かなこと、次々と売りに出ていることもその要因の1つ。
 一頃みたいに精工舎の姫ダルマ、1時期の物が不足していて時の値段と現在の値段は3分の1以下にまで落ち込んでいるもの、高く買った人が愚痴るのも頷ける。

 あの引っ張りだこだった姫ダルマ、それがどうであろう、昨今出品されても中々買い手が付かない様で、値段も上がらずに停滞気味。
 そんな訳で愛好家はヤキモキしている事は確か、私のもとに相談が幾つも来ているが、これも定めであり、流行でも有るのだから仕方がない事。SANY0379.JPG
 以前は投資気味に買い込んだ人も多く、その人達が売りに出したから値段が暴落、そのトバッチリを愛好家が受けている。
 株と同じ状況下にあるといって良い現実、古時計が投資の餌食となってしまった事は嘆かわしいが、これも又現実の世界、需要と供給のバランスである。

 愛好家受難の時期かも知れないから、欲しい物は安い次期に買うのが1番、安い時に売るのは止めた方が良いが、惑わせられない様に気を付ける事。
 それしか防ぎ様がないのが現実、良い物を安く買い込むチャンスは今、特に和時計は底値の状況、やっぱり時期が左右する。
 ジックリと見極めて欲しいものだが、自分自身が注意しない事には激動期は乗り越えられないもの、シッカリと見極めて欲しいものだ。
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2018年03月10日

瓜二つ

      双  子
SANY0998.JPG
 古時計には色々な形をしたものがあり、その種類は多くて数え切れない位、どれがどのメーカーで最初に造ったのか分からないものが多く存在している。
 当時のカタログやあるいは特許庁に記録があれば、その時計が何時製造されたかも分かるが、しかし実際は記録も少なく其れを判定するのは極めて困難だ。
 当時も当然の事、特許取得をしている物もあるが、していない物の方が多く、人気の形は各時計製造会社がこぞって製造、そのために類似品はこれまた多い。
 写真の時計、愛好家の間でも一番人気の時計、この形の時計は当時も多くの時計製造会社が製造、しかしその中でも瓜二つと似ている時計が存在する。

 一寸見ただけでは何処のメーカーか分からず、文字盤などが変えられていたのであれば、更に判別するのは難しくなり、よほど古時計に精通していないと判別しずらい。SANY1002.JPG
 一方は精工舎、もう一方は高野時計、この2つの時計兎に角良く似ており、写真で見てドチラがドチラと即答できる人は、古時計に深い知識がある証拠だ。
 部分的に比較写真を見て、細部の違いを認識した上でないと区別できず、精工舎の物の特徴や、高野時計の特徴を細部にわたって観察する事で区別が出来様が。
 それにしても、之だけ同じものを作らなくても良さそうであるが、当時としてはそっくりに真似る事が使命であったのか、それとも市場でその様に求められていたものなのか、判断に苦しむ。
 流行とはそのようなものと言うが売れるものを造るのは製造所の使命、売れない時計を造っても意味はないが個性も大事な要素。
 その個性も流行には勝てないと言う事だろうか、製造者も大変である。
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2018年02月16日

鎌倉彫

      メーカーの違い

SANY4366.JPG 掛時計の装飾には色々な種類の物が施されているが、日本古来の伝統技術によるものの多く、新しい機械式時計の装飾の一端を担っている。
 西洋時計の塗装はニス仕上げが普通、当然日本に入って来た時もニス仕様、その時計をモデルとして日本の職人が製作、その仕様に習って製作した。
 しかし、時代が少し下がると、その中でもニス仕様をあえて日本古来の技術、漆塗りの技法を用いて外装を塗装、ニスにはない光沢を出した。

 これは、当時日本人がもっていた技術もさることながら、日本の伝統技術を新しい物に採用して、新たな分野を切り開こうとした人達の闘いでもあったのでは。
 文明開化の名のもとに、日本古来の技術は忘れ去られようとした時、職人たちの心意気のあらわれではなかったのか、伝統産業を守りぬく気構えが、そおさせたのSANY4675.JPGではないだろうか。
 写真の外装、八角型とダルマ型時計の外装であるが、西洋時計では彫刻を施した上からはニス仕上げが普通、木肌を出した処に光沢のあるニスをかけるのが当たり前の仕様。
 しかし、この時計には鎌倉彫が施されており、その上から漆がかけられ日本古来の技法が使われているもの、ニスの持つ艶と漆の持つ艶、明らかな違いが。

 我々日本人には、漆の持つ艶がしっくりと心に入ってくるよう、新しい技法のニスよりは親近感が湧き、新時代の時計と古来の漆、このミックスほど日本人が好むもの。
 新しい物と古い物の調和を取る、日本人ならではの技量ではないだろうか、和洋折衷の技術の妙とでも言うのか、明治の職人達の心の叫びが聞こえてくるようだ。
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2018年01月23日

人気のフクロウ

    いちばん人気

 古時計愛好家に好きな時計をあげるとしたら何かと聞けば、先ず上がDSCN1079.JPGって来るのがからくり付きの時計がでる。
 古時計の中でもカラクリ付きの時計は人気が高くて、一台は持っている人が多いと聞く、勿論私もその一人である。
 カラクリ付きの古時計と言っても、色々な種類のカラクリがあり、西洋時計のカラクリから日本の古時計に至るまで多種多様。
 その中でも日本のカラクリ時計の方が人気は高いと思うが、一番身近なものは鳩時計、少し前までは家庭にもあったもの。
 そんなに高価な時計ではなく、日常で使用している時計であったが、毎日巻かないと時刻を告げないので面倒であった。
 そんな事からクウォーツの時代となり、自然消滅の様に機械式のカラクリ付き鳩時計は姿を消してしまった。
 カラクリ付きの時計としては身近な時計であった鳩時計、あの独特の鳴き声を支持する人も多いと思う。
 もう一つが梟時計、鳩時計と異なりフクロウ本体の形をした時計、この梟時計が愛好家の間では一番人気の時計だ。
 鳩時計と違いフクロウ本体の口が動いて時を告げる仕組み、大きさは鳩時計よりも少し大きくて、一枚の板からフクロウを彫り出している。
 この梟時計は種類も多く、製造元も多数存在したが、現存数は極めて少ない事から、古時計愛好家からは絶大な人気。
 勿論形の色々あるものの中、親子のフクロウ時計が人気の的、可愛DSCN1078.JPGらしくてみいても楽しい時計、親梟の下の方に2匹の子供がいる。
 この子供のフクロウが居る事で、時計全体が優しい雰囲気を醸し出しているので、ヤッパリ愛好家から指示を受けているのだと思う。
 カラクリの仕組みは親子のフクロウ時計と単体のフクロウ時計と変わりはなく、只表板に親子か単体かの区別があるだけ。
 形的にはミミズクやシマフクロウ、普通のフクロウと色々なものがあるので、それぞれに支持者がいる事は確か。
 どの梟が良いのかは人其々であるから、一概に言えないが可愛らしい梟の方が人気のようだが、私はシンプルな梟時計が良いと思っている。
 色々な各社から出ているが、時代の新しいものより、やはり古い梟時計の方が人気のようで、文字盤も新しい物はプラスチックとなっている。

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2018年01月20日

寄贈したい

    相談に乗って欲しい

SANY1533.JPG 知人から電話で「今日は家に居るのか」と聞いて来たので、「夕方からなら居る」と答えた。
 夕方我が家に友人が来たが、老人が付いて来たので不思議であったが居間に入って貰ったのだ。
 友人一人と思っていたのに二人で来るとは、そんな思いで居間に通すが、突然老人時計を持ち出してきた。
 私が怪訝そうにしているので友人、相談とは「この人の話しを聞いて欲しい」と切り出して来たのだ。
 相談とはこの人の事らしいが、何の事だか知らないが時計が出て来たので、この時計の事には違いない。

 その老人曰く「我が家に古くからある時計で、私の親父が買い込んだもの」と言い、この時計を貰って欲しいとの事。SANY1555.JPG
 知らない老人から時計を貰う事は出来ないので、友人に「何の話だ、訳が分からない」と聞き直した。
 すると老人「この人に私がこの時計の事を相談したら、知り合いが時計に詳しいからそちらで相談したら」と言われ、今日伺ったとの事。
 そして「私が来月養護施設に入るから、この時計をどうしたら良いかと思い、時計を持参した」とも付け加えられた。
 つまり、自分が施設に入るが親父の時計を処分するのは忍びないので、何処かに寄贈したいと思っていたとの事。
 友人がその話を聞き、私の事を話したらしく、すると老人が「知らないところに寄贈するよりは、時計の好きな人の所に預けた方が親父も喜ぶと思う」と言い出したらしい。

SANY1559.JPG そして老人「私が子供のころから、この時計のねじを巻く係りで、今までねじを巻いて来たのだ」とも言われる。
 確かに時計を見れば程度の良いもので、現在まで動いていた証拠、きれいな時計だと思う、しかし私も知らない人からもらう訳にもゆかない。
 すると老人、「知らない人ではなく、この人の友人であれば知り合いである」と言われるので、返事に困ってしまった。
 結局、施設に入るから是非でも私に貰って欲しいと言われ、老人の意思を尊重してこの時計を貰う事にした。
 写真の時計がその時計、手入れが行き届いており、老人が如何に大事にされてきた時計である事がうなずける。
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2018年01月16日

思い出の時計

      志功で盛り上がり

SANY4370.JPG 旅の思い出には色々な思い出があるが、楽しい思い出もあれば苦しい思いでも、そして大失敗をした思い出もあり、其々に今は懐かしいものである。
 仕事で全国を回ったが、その行く先々で古時計との出会いがあり、その殆どが予期せぬ出会い、心に残る出会いは心の奥深くに刻まれている。
 出会いとは予期しないものほど心にしみるもの、現実的に起こるべきして起こったものは、それ相当に想像がつくが、出会ってもあまり感動が無く、ダダの出会いに過ぎない。
 もう35年も前の事、青森県弘前での出来事、まだ私が若かった頃の事、やはり仕事で青森を訪れた時、4月の大型連休の直ぐ前の観光客がまだ少ない頃。
 青森市内の居酒屋で、たまたま隣に座ったおじさんと仲良くなり、何故かしら話が弾んだ、その話とは「棟方志功」についてであったが、おじさんもSANY4371.JPG大の「志功ファン」、当然と言えば当然、ここは青森であるから。

 私も志功好き、話が弾んで大分飲んだ頃、おじさんが帰ると言い出したので、引き止めずにその時はすんなりと見送くり、我々も帰ることにした。
 明くる日、弘前に行き古時計探しを始める事に、弘前市内をさんざん探したが何も無く、疲れて食堂に入ってビックリ、昨日のおじさんが前に座っていた。
 向うもビックリなら、こちらもビックリ、お互いに昨日の話で又盛り上がり、帰りにおじさんが家に来いと言い出したので、誘いに乗って行くことにした。

 おじさん、聞けばあの「弘前ねぷたの絵師」で、自宅に行けば「ねぷた」が、その隣に古時計が目の前に現れ2度ビックSANY4378.JPGリ、早速見せて貰うと「こんな物欲しいのか」とおじさん。
 今まで古時計を探し回ったことを話せば、「欲しければ持って行け」と意図も簡単に言う、こちらがアッケに取られていると「どうした、要らないのか」と聞く、遠慮していると「お前が気に入ったからだ」と言うので有り難く頂いて帰ってきた。
 出会いとはこんなもの、予期せぬ出来事を言う、今ではこの出会いは新鮮であった事をつくづくと思う、楽しい思い出の一つだ。
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2017年12月30日

企業もの

      宣  伝  効  果
SANY1139.JPG
 何時の時代でも企業の宣伝は売り上げを左右する重要なもの、企業では売り上げに直結する宣伝には力が入り、最も神経を使うものであることは今も昔も変わりない。
 宣伝は皆の注目をあびなければ役目を果たせず、何処に何を宣伝するのかも企業の思案のしどころ、昔から研究され1番効果的な宣伝を目指した事は言うまでもない。
 宣伝とは、人々に認知され「商品名や物」が人の記憶に残らなければ意味がなく、その為に試行錯誤が繰り返されて1つの宣伝となるものだが、思惑どうりに行かないのも世の常。
 皆が皆、思惑どうりに宣伝をして当たるものとは限らず、どの様に宣伝するかも企業の腕、「目に訴える、耳に訴える」そして人で訴えるなさくび.jpgど、方法はマチマチである。

 何時の時代でもそうであるが、流行に敏感に反応するのが人の常、その流行を先取りするのも企業の努力、やはり企業は大変で宣伝に掛ける努力も最大限に必要。
 時計を宣伝の手段として明治より多くの企業が利用してきたが、西洋物に敏感な庶民を利用し、注目度の高い時計に矛先を向けたのは当然の原理でもあった。
 当時の時計は憧れであり、注目度は抜群な代物であったから、宣伝するのにはうってつけの物、時計の「ガラスや文字盤」に企業のマークや企業名を入れた。

 しかし、どんな時計でも良いとは限らず、やっぱり注目度が高いものでなければならないし、市場に多くあるものでなければ意味がないから、選択には神経を使ったと思われる。
 今回紹介するものはそれらの時計、写真はそんな企業の思惑を担って、宣伝用に利用された時計で、形の変わった時計や注目度の高い時計、当時流行った時計に入れられた宣伝である。
 上の写真はカクタス石油のマークの入った時計の文字盤、下の物はサクラビールのマークが入った時計のガラス。
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2017年12月28日

後々の事が

      貰う事はしない

SANY4834.JPG
 古時計を展示していると色々な人と出会う、年齢性別問わず出会いはやって来るが、古時計もまた同じ様に出会いがあり、良く展示会場で話しかけられる事がある。
 展示会場を訪れる方の中には展示品と同じ様な時計を持っておられる方が、そんな時は必ず声がかかり、「家にこれと同じ時計があります」と云われる事が多い。

 会場では古時計のキャクションを細かく書いていないことが多く、製造会社と年代位、その他少し特徴を書く程度、私がずぼらのせいだから。
 そんな事で展示会場で同じ時計だと言われる物は珍品時計、確かに何処にでもある単なる八角の時計だから、同じ様に見えるかも知れないが、展示品と中身が全く違う代物。

 しかし見学者は同じ様に見え、家にも同じ時計があると言われるが、良く聞いて見るとまったく別会社の時計、それでもむげには返事が出来ない。
 その上、そんな珍しい時計なら大事にしなくてはと云われ「どれぐらいの値段ですか」と急に現実的な話に、本人は珍品と同じだと思っておられるが、全くの別物で値段は付かない時計だ。
 SANY7875.JPGそんなことも日常で起こるから展示は面白いが、対応如何ではまずい空気に成る事も、スッカリ本人は珍品時計と思い込み、買い取って欲しいと言い出す始末。

 その場で丁寧にお断りをするが、しつこく食い下がる人も居るから、この対応に閉口する事も、何かと展示は気を使うことばかり、そしてもう1つ悩みの種が。

 展示会場に古時計を持ち込んでくる人も多く、昭和の何でもない時計を持ち込み、「親が大事にしていたから貴重な時計では」と云って来る人もいる。
 昭和の何処にでもある時計だが価値があるものと信じている様、この対応にも困る時も、幾ら説明しても信じない時はこちらがギブアップする事もある。
 価値が無いとはおかしい、親が大切にしていたのだからと逆に怒り出す人も、そんな事で展示会は色々な人が来る事に、それを簡単に対応しないように気を使いすぎるのだ。
 1番困るのは古時計を貰って欲しいと云って来る人、若い頃は何でも貰い受けていたが、現在は立場上貰い受ける事は絶対にしない事にしている。
SANY8399.JPG
 その時計が珍品であろうと、高価なものであろうと、手が出るほど欲しいものであろうと、全てお断りしているのだが、それはトラブルを避けるためだ。
 後々、貰った古時計が珍品や高価なものである場合、「返して欲しいと」か、「価値が分からないのに取られた」とか、「安く買われた」とか、兎に角トラブルの原因となる恐れがあるから。
 そんな訳で古時計は信頼する人以外は、この様な行為は絶対しないように心がけているので、貰い受ける事はしないが、展示会では後がたたない位に話が来るのだ。
 何で貰ってもらえないのかと言われるが、これが最善の策と思っており、申し出される方には博物館を紹介して、そちらに寄付されるように勧めるのだ。

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2017年11月24日

持ち込まれた物

   また持ち込まれた

 SANY4192.JPG以前にも紹介した和時計をつくると言う雑誌の付録、今までに3台持ち込まれているが又持ち込まれてきた。
 最近ネットで出ているらしく、それを買い込んだ人が持ってきたもの、触れ込みでは動かないと言う事らしい。
 ジャンク品として販売されていたのを承知で落札、安いからとの理由であるが、あまり感心しない。
 自分で修理できれば良いが、普通の人は修理出来ず、結果は高いものに付いてしまい後悔するだけである。

 安いからと言っても、それにはそれなりの条件があるはず、今回のものもそれにあたるもの、部品が足りないのだ。
 致命的な部品でないから、何とかなるとは思うが、この人が出来るとは思えないし、部品の製作を頼めば高いものにつくはずSANY4196.JPG
 簡単に考えているらしいが、そんな簡単にできない事は少し考えれば分かるはずであるが、そこは欲しいと言う心が先に立ってしまった。

 安いとなれば尚更の事、私でもその気になるのは無理からぬ事、しかしそれは修理する自信があってこその事。
 他人に修理を依頼すれば非常に高いものに付き、新たな部品を探そうとすれば、それまた大変な事だ。
 運が良ければネットで見つけられるかも知れないが、それとても運次第と云事になり、先が分からない。
 友人の紹介で持ち込まれたが、この和時計もあまり造り方が良くないもの、機械に詳しくない人が組み立てたものと思うが、接着剤がいたる所に付いており、汚い仕上がりである。SANY4199.JPG
 動かないと言うので分解する事にしたが、前一番車を固定されている支柱が動かない、こんなことはない筈。

 ピクリともしないのでルーペで見れば、やはり接着剤がこびり付いており、苦労してやっと外すも更に暦を動かす歯車もピクリともしない。
 何故こんな所に接着剤が付けてあるのか、原因は他にもあったが全部接着剤のせい、形は出来ても動かないない筈だ。
 説明書には接着剤を余り付け過ぎないようにと書かれているはず、これも慣れない人が造るせいなのか。
 時間をかけて全部の接着剤を取り除いて動いたが、良く見てください時打ち車や後ろの支柱が2本ない、これを探すのも大変だと思う。
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2017年11月14日

似たもの

      どちらが先か

 SANY2484.JPG古時計には色々な装飾が施されいてるが、豪華な元の代表と言えるのが七宝、装飾の中でも七宝の施されている時計は高級品に多い。
 貴金属を覗けば七宝は非常に高価な装飾、手間を掛けて装飾された時計には目を見張る七宝技術もあり、当時の人たちが七宝を珍重した事が分かる。
 全般的に言えることだがヨーロッパではフランスが多く時計の装飾として用い、その次は中国であったようだが、この七宝と呼ばれている手法。

 2通りの製造方法があり、中国ものとフランスものとでは違いがあるが、一方は鉱物質の微粉末をふのりで溶き焼き上げる物とエナメル溶液を施して焼き上げる物の2つがある。
 中国ものはSANY2487.JPG鉱物質の微粉末を用い、フランス式はエナメル溶液を用いる技法、どちらも良く似た物に仕上がるが、輝きの違いが出来、透明感のある物は鉱物質の方。

 しかし、中国ものは透明感のない七宝で、日本の七宝は鉱物質で製造されるが、透明感のある七宝が出来、中国七宝との違いが生じる。
 フランスものはエマイユと呼ばれ、何回もエナメルを上から施して焼、複雑な物を製造しているが、スイスものは繊細な描き方をしている。
SANY2489.JPG 写真の時計に施されている七宝、どちらがフランスもので、どちらが日本のものかお分かりだろうか、見た目にもデザイン的にもよく似ており、一般の人には分かり辛いかもしれない。

 写真は一番上が中国もの、その下がフランスもののエマイユ(エナメル)で製造されたもの、一番下の写真が日本の時計に施されている七宝、ドチラも非常に美しいが、透明度に違いがある。
  フランスものはエナメルを何度も重ねて塗り焼いたもの、日本の七宝はガラス質を重ねて焼いたもの、エナメルよりガラス質のほうが透明度が良い。
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2017年10月26日

組み立て会社

    小規模製造


SANY4346.JPG 明治に入り新政府が改暦を行い、日本各地で色々な時計会社が乱立、多くの国産の西洋時計が製造された。
 大手時計製造会社もあれば、家内工業的な中小の小さな会社と様々な西洋時計製造会社が存在した。
 国産の西洋時計を製造する大手の会社、逆に機械だけを買い入れ、小規模の工場で機械を組み立て、市場に送り出す会社も存在した。
 組み立て会社は自分の所で機械やその他の部品を製造せず、すべて部品を買い入れ時計を製造する会社の事です。

 外国製の機械のみ輸入して箱は日本で製造する大手の会社、すべてを買い入れて製造する組み立て会社など、組み立て会社も様々であった。
 明治期、色々な組み立て会社がある中、個人で組み立て販売していた所も、全国各地に多く家内工業として存在していたのである。
 中小の組み立て会社の「下請け」であったり、まったくの個人で組み立てていた所も数多くある。
 下請けは組み立て会社のラベルをはって自分の社名は入らないが、個人で製造している所は自社のラベルに個人名を入れ販売している所も。
 明治期、全国的に見て、この個人名の組み立て時計製造が非常に多かったのが、名古屋地域であった。
 会社と言えるかどうか知らないが、兎に角西洋時計を製造して販売業者に渡SANY4343.JPGして生活していた事は確かである。
 そんな状態で製造された時計が今生存して現れており、古時計蒐集家達が戸惑う原因になっている事は確かである。
 数が少なければ問題ないが、これが意外と多いので出所不明、幽霊時計として現代に存在するからややこしくなる原因となる事も。

 この時計、形や機構も様々で非常に面白い機械やデザイン、とっぴな時計が存在しているから非常に面白い現象になっている。
 大手の西洋時計会社では経営基盤がしっかりとしており、安定した経営を持っとうとして、堅実な西洋時計を製造した。
 しかし弱小の組み立て会社は、自分の生き残りをかけて西洋時計を製造、大手市場に切り込みをかけていたのだ。
  何故そんな事になったのか、理屈はともかく後にして、珍しい西洋時計には替わりは無いのだから、其れは其れで面白いと思う。
 他社では製造しない、ユニークなデザインや機械構造が特殊なもの、そんな楽しい時計を是非見つけ出して時計蒐集を楽しんでもらえればと思います。











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2017年09月27日

保 険

      今 も 昔 も

SANY0995.JPG
 明治初期日本に西洋時計が輸入され、一般家庭にまで西洋の最新機械が入ることになるが、機械物は当然の事故障する事に、その為西洋では修理保険なるものがあった。
 その時代の日本には修理保険等と言うものはなく、西洋の様式を取り入れ、急速に保険が発達する事になる。

 当時西洋時計は高価な物であるが、当然時計であるから動かすうちに故障するもの、必然的に修理は必要欠くべからざるもの。
 西洋時計が一般に広まり、更に日本製の時計が市中に多く出回ることになり、町の修理屋は時計修理に精を出すことに。

 今も昔も変わりはないが一般人は時計に対して無知SANY5684.JPGであり、当然修理にはお金も掛か、そのために高額な時計修理に当時から保障制度が取り入れられるようになる。
 修理してもらったが動かなくなったでは済まないし、お金も払うからにはクレームも利かなければ安心できない。

 古時計には写真のような修理表が貼り付けられているが、長年使ってきた証として、修理票もまた時計が生きながらえて来た足跡であり、修理票によって古時計の経路も推測することが出来る。
 右の修理票は長きに渡って使用されてきたようであり、大正期から同じ物を使っていたと思われ、昭和に入り尚且つ戦後になっても古い修理を使っていたようだ。
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2017年08月23日

幻の扇

くら.jpg      名古屋の倉知時計製造所。


 長い間謎だらけであった名古屋の時計製造所、「倉地時計」、明治35年、36年と2年足らずで姿を消したといわれ、記録には残っているものの、現物は中々見つからなかった。
 明治時代、名古屋市中村区西洲崎橋に倉地時計製造所があった事は、知られていたがその時計となると、中々見つからなくて、私も長い間探していた。

 「トレードマークは扇」である事も分かっていたので、「扇のマーク」を探せば見つかるであろうと思っていたが、結局40年の月日が掛かってしまった。
 名古屋地域で製造されている時計の中には、振り子室にラベルの明記が無い物も多く、只黒いろの紙が貼られているだけの物も多いのであから、何処の時計か分かりずらい事もある。

 その上、古時計に良くある文字盤が変わってしまい、その上ラベルも無ければ何処の時計か分からず、探すのに苦労するのも名古屋の時計の特徴でもある。
 オリジナルの文字盤が付き、機械も変わってない程度の良い古時計を探すのは、至難の業でもあり、その上状態が良い物はそんなに多く見つかるものでもない。

 結局、40年も見つけ出すのに歳月をかけてしまったが、見つかる時は意図も簡単に2台も見つけてしまい、逆に拍子抜けしてしまったようでもある。
 見つかる時はこんなもの、偶然がたび重なって出て来るもの、その2台ともトレードマークの扇がハッキリと残っていたので、倉地時計と直ぐに分かっが何故か半信半疑で見つめていた。

 其れもそのはず、40年もの長きに渡って探した物が、偶然とは言えこんなに簡単に見つかるとは、自分でも思っても見なかったから。
 縁とは、こんな物であると思う、追っかけても、追っかけても逃げられ、逆に縁があれば向うからやって来るもの、正にそのとうりで向をからやって来た。

 写真は扇のマークが少し薄いが良く残っていると思う、文字盤下にはローマ字で倉地と書かれてあり、幻と言われた倉知時計の文字盤だと分かる。
 本体に付いていたビス穴もオリジナルの状態であったので、間違いなく倉知時計の現物である事を確信したのである。
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2017年07月07日

新製品1

      何時も新しい物は良い

SANY1942.JPG 何とかと畳は新しいほうが良いとは、昔から言われてきた言葉、確かに新しい物は良いと思うが、何が何でも新しい物が良いとは限らないのも、また事実かもしれない。

 新しい物には実績がないもの、つまり出来たばかりで調子よく動くとは限らないし、新品でありながら故障する事は良くあり、新しいと言ってよく動くとは限らない。

 今の時期になると思い出すのが、大先輩の吉田嘉一氏で、名古屋の時計に関しては師匠、私も何度か吉田さんの家に伺って、様々な時計談義をした。

 吉田さんは名古屋の「愛知時計」に勤務されていたが、古時計にも知識が豊富であり、同じクラブ会員でもあったから、良く古時計に付いて気軽に教えていただいた。

 吉田さんの話は実践的なもの、自分自身が携わってきた時計製造に直に接した人、自分で設計した時計がどう動くか生で経験した人物、だからこそ信憑性がある。

 吉田さんとよく論争をしたのは、愛知時計の初期のものに関する事、明治25年製造の「丸S印の時計」、之が水野時計、後の愛知時計になるもの、この時計に付いているラベルの事。

 吉田さんに言わせると、愛知時計に経営が移った後も、丸Sマークのラベルは使用されていたと、その後も幾多の変遷があったが、同じことの繰り返しでラベルは使い果たすまで使用したとの事。

 実際に愛知時計の現場で働いていた吉田さんが、自らの経験を話されたことに衝撃と真実を知った思いであったが、その後も色々な新事実を明かされた。

 この事実は、愛知時計のみならず、当時の時計製造会社は同じ事をやっていたもので、愛知時計だけが古いラベルを使用していたわけではないらしい。

 精工舎の石原町のラベルも同じ事、柳島に移ったあとも当然古いラベルを使用していた事は周知の事実らしい、後の人達は否定するが、現場で働いてきた人達にはあたり前の事だそうだ。

 まさに「事実は小説よりも奇むなり」の言葉と同じ、実際は我々の知らない事実が隠されている物であり、歴史の裏側を知らされた思いでもあるが、事実は事実。
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2017年07月05日

旅の思い出4

      やけに勧める

SANY2728.JPG イギリス、アポンエーボンで町の案内をしてくれた現地のバイヤー、シェークスピアの生家や妻の生家を連れて行ってくれたが、其の他に彼の知人が経営するアンティークショップも行った。
 店はそんなに大きくは無く、何処にもあるような店、中に入ったら所狭しと家具のやま、それもキチット整備してある物ではなく、ガタガタの家具が一杯。

 友人は既に商売モード、私みたいに物見よさんではなく、プロの目をしていたので「家具を買うのか」聞けば、「家具ではなくオルゴールだ」と、真剣な態度であった。

 早速、オルゴールを見せてもらう事に、其処の主人が「お前たち機械が分かるか」と我々に聞いていると友人。
SANY2733.JPG すると主人、後ろの扉を開けピカピカのオルゴールを指差して、「其れはどうだ買わないか」と言っているらしいと、マタマタ友人が私に向かって小声で言う。

 そのオルゴールを見る事にして中を開けたが、箱と機械が別物のいわゆる「後家」、プロの言葉で本歌(本物)ではない物を指す言葉、つまりオリジナルではなく合成、私は友人に本歌でないと伝えた。

 すると何処が違うのかと店主、仕方なく私が説明する事に「箱と機械が違う物、組み合わせただけのオリジナルの物ではない」と、違う部品を指で指し説明する。

 店主いわく、「確かにそうだが綺麗だから買えと尚も勧める」、友人店主におされ気味なので私が代わっSANY2738.JPGて、「此方の値段でなら買っても良い」と、身振り、手振りのジェスチャーで値段を提示、その値段は店主の言う3分の1の値段。
 しかし、それでも店主が買えとしつこい、友人「そんなに安いのなら買っても良い」と言い出す、結局更にまけさせて、このオルゴールを買い込んだが、私がついでに棚にあったガラスの置時計と蓄音機の置物をプレゼントさせて決着、その時のものが写真がオルゴールと蓄音機の置物のだ。 

 日本には無い色のガラス、機械は別に珍しくない安物、しかし何となく色ガラスが気に入ったので、私が強引に之をゲットする。
 そして蓄音機の置物が気に入り、時計よりもむしろこちらが良いもの、それを上乗せでまけさせ持ち帰ったものだ。
 それを見て友人、「お前さんには負けるよ」と呆れ顔、「安くオルゴールが買えたのだから感謝しろ」と私が言うと、「それもそうだ」と友人も納得、今も家の棚には他の時計と一緒に、その時のおまけ時計と蓄音機が鎮座している。
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2017年05月22日

変わったガラス絵

      丸 も 進 化 す る


SANY0759.JPG ガラス絵は時計の形によって、パターンが決まっているようで、八角型はどれとか、ダルマ型はどれとか、時計の形によりガラス絵の絵柄は決まっている。
 普通の八角型は「花菱型」、八角花ボタンは「丸形写真や絵柄」、そしてダルマ型は「円形」と大体のパターンは決まっていて、殆どの時計製造会社もこの方式を採用している。

 当然の事、この方式に当てはまらない、時計のガラス絵が存在する事は承知の事実、例外はさて置きパターンかしているガラス絵、之は日本の時計だけではなく、アメリカ製の時計も同じようだ。
 其れもそのはず、アメリカ製の時計をモデルとしているので、同じであって当たり前、しかし日本独自のガラス絵も存在している事もまた事実である。

 ここに挙げた実例は、ダルマ型時計のガラス絵であSANY0743.JPGるが、この手の時計のガラス絵は、殆どが「金二重丸」、つまり金の丸が二重になっているのが普通である。
 「太い枠の金丸と細い枠の金丸が重なった二重の丸」が一般的なガラス絵、これは本四ツ丸のダルマ型も張四ツ丸型も同じように「二重の金丸」である。

 例外としては、小型の姫ダルマ型だけはこの法則に当てはまらないが、そのほかのダルマ型は、この法則に乗っとり同じ模様の金丸が採用されている。
 写真のガラス絵は、この法則に当てはまらず、「金丸が四重」に重なるガラス絵になっており、我々日本人が見ればより豪華に見えるものも、外国の人から見れば、デザイン的に少し可笑しいかもしれない。

 「デザイン」か、「重厚さ」かは意見の分かれるところでもあるが、日本人は時計に重厚さと豪華さを求めた為であろうか、私の持っている時計の中には「5DSCN2006.JPG重丸」の物も存在する。
 しかしダルマ型でも例外中の例外も存在しており、そのガラス絵はヤッパリ個性のあるものが入っているので、見ても楽しいのだ。

 単なるシンプルな丸ではなく、勿論複雑な模様のものであったり、違った写真が張り付けられているものなど例外も存在する。
 日本のダルマ型ではこのタイプのものはあまり見た事がなく、やはり外国産の時計にはめてあるもの、同じダルマ型でも国産とは違うもの。

 
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2017年05月12日

いがいにも

      古着商から転職している


SANY0205.JPG 江戸から明治に入り、新しい時代となり産業もまた新たな分野が生まれて来、其の中に西洋時計の製造を志すものが出てくる。
 明治初期に時計産業に参入している出資者の中は、江戸時代に家業として、古着屋を営んでいた者も多くいる。
 今と違い江戸時代には一般庶民は新品の着物など買えず、もっぱら古着が当たり前、着物と言ったら古着、それが当たり前であった。

 その為に古着屋は市中に多く存在しており、庶民の強い味方でもあったようで、買い求めるのは何時も古着と決まっていたようだ。
 古着屋は当時は商店としても一般的な商売、何処の町にも存在し、結構繁盛していたと言う、今の感覚とは少し違うものだと思う。
 そんな中、古着屋で大儲けをした商人も多いと聞く、やはり今の時点で考える古着屋とは少し違っているようだ。SANY1660.JPG

 代表的なのは林時計製造所の林市兵衛であり、名古屋市内で古着屋を営んでいたが、西洋時計の流入に刺激され時計販売を志す、当時数多くの古着屋が店を出していたが、競争相手が多く経営は芳しくなかったようである。
 そんな中、林市兵衛は西洋時計の売れ行きに注目、古着屋を続けていては将来は見込みないと悟り、新たな経営に乗り出す。

 一方、精工舎の創始者服部金太郎の父、服部喜三郎もまた名古屋に於いて古着屋を営んでいたが、やはり経営は思わしくなく、江戸に出て再び古着商、「尾張屋」を開業する。
 服部金太郎も又、家業が芳しくないのに気付き、亀田時計店に丁稚奉公に出、その後西洋時計製造を志
すのであり、両者供家業の古着商に見切りをつけるのも、期せずして同じであった。
 当時の古着商は一般庶民を対象としており、現代みたいに新品の着物を買えSANY1178.JPGる様な生活状態ではなく、庶民は古着を買うのが当たり前の時代であった。

 その為、古着商は今の我々との感覚違い、市中には多くの古着商が立ち並び、古着に対する見方が当違っていたし、それが普通でもあった。
 古着商で財を成した人物も又多くおり、林市兵衛も其の1人、彼らが志したのは、文明開化の申し子、西洋時計を自ら製造し、其れを販売する事を目指していた。

 従来の家業に見切りをつけ、異業種の西洋時計製造販売と云う新分野に、自分の将来の夢を託し、其れを勝ち取るため転業していったことは、彼らの先見性の高さの証明でもあった。
 そして彼らは苦難の末、西洋時計の製造販売に成功し、古着商から脱却して、新産業の頂点に立ったのである。
 歴史と言うものは実に奇妙であり、事実は小説よりも希なりの言葉の如く、真実もまた奇である。


 
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2017年04月05日

これも時計小物

      可愛いだるま



 SANY3761.JPG時計愛好家にとって時計は何時見ても興味をそそるもの、喩えそれが本物の時計でなくとも愛着が湧き、れを求めたいと思う。
 時計グッツは色々なものが出回っているが、どれを求めるかは本人次第、ある日とは写真であったり、ある人は置物であったり、ある人は絵画であったりと、やはり人様々。
 一時期時計の水滴が流行ったもので、時計愛好家はそれを求めて捜し歩いたが、今は静かになっているようだ、そんな流行もあるが、流行に左右されず我が道を行く人も多くいる。
 私の友人で紙物を専門に集めている人がいて、おもに版画であるが数が多く、古いものから新しいものまで、ありとあらゆる版画を集めている。
 人がどう云おうがお構いなし、人は人と我関せずの構え、ここまで徹していると感心するもの、逆にそこまでやるかと驚きにも似てる。
 写真の時計、非常に小さくて5センチと小型、寄木ダルマをモデルに作られたもの、この様な小SANY0082.JPGさな時計に関心を持つ人も多い、時計は動かなくても構わないらしい。
 時計の形をしていれば良いとの事、大きなものには興味もなく、小さなものしか集めない人、その人達にとっては、写真のような小物の時計は必須条件だ
 この様なリアルな小物もあるようで中々無いもの、あちらこちらと探し回っている人も、多くは持っていない物だが、価格は安いものだ。
 価格が安いものほど物が無いので、特に非売品となると愛好家の目の色が変わるもの、そんな小物の時計を集めて、だいの大人が探し回るのも滑稽だ。
 しかし、彼らにとってはそれが宝物に見えてくるもの、子供の玩具の時計までも、蒐集の対象であり、真面目に玩具屋に通いもする。
 そんな愛好家の人気のある時計小物が写真の時計、こんな物の何処が良いのかと思う人、それSANY0083.JPGは好き好きで、人には分からないかもしれない。
 愛好家にしてみればそれはお宝に見え、是非とも手に入れたいと思う。
 玩具であるが故、本物の時計でない事が良いと言うのだ。
 そして愛好者からは精密でない方がより時計に近づくように思われると言うのだ。
 本物の時計ではなく、そのムードを如何にして作り出しているかが見どころと言う。
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