2016年09月20日

ミステリークロック

    何処がミステリーなのか



DSCN1390.JPG ミステリークロックと呼ばれている時計があるが、何処がミステリーなのか、そんな質問も多く寄せられる。
 ミステリークロックは主に置時計が主、勿論掛時計も無い事は無いが、数的には置時計が多いようである。
 ミステリーと言うからにはどんな仕掛けなのかと、そんな期待と疑問が湧くとも言うが、それももっともな事だと思う。
 知らない人にとっては単なる時計であり、細かな機構までは知る由もなく、一見して分からないから疑問も生じるのだ。
 もともとこのミステリークロックは職人の心意気を表していると思われ、普通の時計ではないものを製作。
 普通の時計て思わせておいて、ビックリさせる仕掛けを考え出しており、遊び心も備えた時計だが、機械的には精密さが要求される。DSCN1391.JPG
 ミステリークロックと呼ばれる時計は高級機、つまり普通の時計よりも高価であり、庶民の間ではあまり買う事が無い時計でもある。
 この時計の仕掛け、何気ない時計に見せておいて、よくよく見ると「何で動くのかとふしぎにさせるもの」それが狙いである。
 時計職人はその為に腕を磨いて、如何して動くものなのか分からない機構を考え出し、人々を驚かせた。
 例えば外から見て機械が全く無いように見え、時計の針が宙に浮いており、正確に時を刻んでいるもの。
 そんな時計を見てしまうと、まさにミステリーと言う訳、何で動くのか不思議でたまらないもの、それを自慢したい持ち主。
 それがミステリークロックの人気の秘密、つまり他人を驚かして喜ぶ持ち主のために作られたと言っても良い時計でもある。DSCN1392.JPG
 一番よく知られている時計は二枚のガラス板に梁が付いており、針が如何して動くのか全く分からない時計だ。
 仕掛けは簡単な事、ガラス板が時計下部の本体の中に仕組まれており、歯車と連動してガラス板が動くもの。
 透明のガラスを利用した簡単なトリック、機械もそんなに精巧な仕組みでもない、見た目に高級感があるだけのもの。
 そんな高級な時計ではないが、日本でもそれらの時計を真似してミステリークロックが製造されたが数は多くはない。
 この時計も簡単な仕組みのミステリーと名乗っている時計、名古屋の三工舎が製造したもの、一見機械が見えなくて針が動く様に造られているが、良く見ると機械を固定している金具が四方にあり、ゼンマイが緩むと見えてしまうお粗末。
 しかし当時としては面白い仕掛けのミステリークロックとして販売され、それなりに売れたものである。
 西洋の高級時計とは比べ物にならないが、それが又泥臭くて日本的、古時計愛好家にとっては珍品時計なのだ。
 逆にこの様な簡単な仕組みの時計が、現像数は少なく、今では当時を知る上でも貴重な時計の一つであると思う。


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2016年09月10日

日本製との違い

    寄木八角型

 

DSCN1367.JPG 古時計の中でも寄木造りの時計は人気が高い、何故人気なのかは姿が綺麗であるからだと言うのだが、その真意はどうか。
 古時計は色々な会社から出されているが、その種類も非常に多くて、その実態は藪の中であるとも言われる。
 それは何故かと言えば数が多すぎて把握できないから、全体がどれだけあるのかも不明、それほど多いと思う。
 よく言われるのは古時計の数が多すぎて、どれがとうだかサッパリ分からないから、適当に集めているとも言うのだ。
 確かにその通り、古時計と言ってもその種類の多さは並大抵ではない、置時計から掛時計、懐中時計から腕時計と種類が色々ある。
 簡単な分類だけでもこれだけの種類があり、その中置時計でも大型の物から小型の物まで、千差万別の種類が存在。DSCN1362.JPG
 どれに的を絞るかは本人次第と言う事に、的を絞ったとしても、今度は年代順に古時計が存在する事だと思う。
 年代順でも会社別になるとさらに細かく分かれて行き、膨大な中から古時計を選ぶことになるのだと言う、そしてどれにすれば良いのかと。
 古時計とはそんなもの、奥の深さでは他のものと同じで深い、だから人気のあるものだけに集中するのだと言われている。
 誰でも知っているメーカーであったり、誰でも知っている時計であったりと、範囲を狭くしてものを見てしまいがちである。
 現在でも同じ事の繰り返しで、人気のある古時計を集めたがる人達、確かに一番手っ取り早いやり方でもあるが、落とし穴も多いのだと思う。
 DSCN1360.JPG人気があれば値段も高いものとなっており、需要と供給のバランスの上で、値段が決まり、高い物を買わなければならない。
 結局何を集めるかは本人次第と言う事になり、人とは違ったものを集める人もまた多い、自分は人とは違い求め易いものを集めると。
 逆に人気のない古時計を集めれば、競争相手はいないから、値段も安くて、手に入るチャンスも多くなる事に、考え方次第と言う事。
 皆と一緒に人気のある古時計を持ちたいと言う人も多く、それを満足と思う人もまたいるから、一概には言えない。
 今回のこの古時計、以前は人気であったが、最近では余り人気が無いから、手に入れ易い古時計でもあると言える。
 その上アメリカ製であるが故に、今は人気が低い、条件にピッタリの古時計であるが、好き好きがあるので強要はしないが。DSCN1364.JPG
 同じ年代の日本のものと比べれば、センスの良さは流石に時計先進国のもの、日本のものと一味違う造りになっている。
 勿論この時計をモデルに日本の時計が造られている事は周知の事実、モデルの時計の方が洗練されているのだと思う。
 上下八角の寄木造り、しかし日本のものよりは造りが繊細、横から眺めて分かる事は板の薄さ、厚い板を彫り出して薄手に仕上げているからだ。
 正面から見ると同じように見えても、少し横から眺めれば薄さが際立って見え、寄木と共に繊細さが正面に出ている。
 今は日本製の方が人気が高いから、狙うとしたらアメリカ製の良いものを狙った方が得策かもしれない、良いものを見つけやすくなって居るから。

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2016年09月03日

横の飾りの意味は

    その後はデザインとして

 

 DSCN1400.JPG古時計には色々な記念の時計が存在しているが、どんな意味を持ったものなのか知らない人も多く、単なるデザインとしか見ていないようだ。
 古くは日清戦争勝利記念の時計がはじめの頃、この時計が記念時計の最初ではないかと言われているが、それよりも古い時計があると言う事らしいが。
 実際には見た事が無いので何とも言えない、そんな記念時計、日清戦争勝利記念の時計は見た事がある。
 明治20年代の事、西洋時計をモデルに日本で造られた時計が、宣伝用や記念の時計として売り出されるようになるには時間が掛からなかった。
 それ程日本の時計産業は急速に進歩した証拠、西洋時計は一般庶民の間に浸透し、憧れの時計ではなくなっていた。
DSCN1401.JPG 通常の生活の中に西洋時計が存在しており、生活品の一部として利用される様になっていたのだが、まだ維新後20年も経っていない頃だ。
 今回の話題は大正天皇の記念時計とその後の時計のデザイン、記念時計が発売されて一般に出回るようになる。
 大正三年に大正天皇の即位式が京都で行われ、それを記念して各時計製造会社が記念時計を販売したが、それは独特のデザインの時計が製造されたのだ。
 日清、日ロ戦争の記念時計は時計上部の飾りに、当時の大砲の形をしたものがデザインされて売りに出され、好評を博したと言われる。
 特に高級のユーハンスの時計にその名残が見られるが、殆どの人が記念時計とは知らずにいて、単なる飾りとしか見ていない。
 知らない人はその飾りすら大砲とは気付かないので、何の飾りか全く興味も無いよう、しかし言われてみて初めて大砲であると認識する。DSCN1369.JPG
 しかし大正天皇の即位記念時計は前者のものとは少し違ったデザイン、一番分かり易く造られた記念時計は三種の神器をデザインされた時計。
 八咫鏡と勾玉、そして草薙の剣が時計全体に配置されたもの、一見して即位記念の時計であると分かるものだ。
 この時計は名古屋の林時計や今津時計が製造したもの、奇抜なデザインと即位記念を前面に出した時計である。
 他の会社から出された記念時計には、三種の神器などの分かり易いものだけではなく、時計の側面に房を付けた物がある。
 よく聞かれる横綱付きと言われている時計がそれ、写真の時計はガラス絵に鳳凰が泥絵で描かれており、大正天皇の即位記念の時計である証。
 記念時計には鳳凰が描かれているものが多く、それが記念時計の見SANY6300.JPGどころとも言えるが、ガラス絵が無くなってしまえば、これが記念時計か分からない。
 ただ同じ時計を並べて見ると、記念時計のデザインが同じようなものである事が分かるが、これも見た事が無いと分からないと思う。
 時計の横に付いている房、この房のデザインだけが後の時計に受け継がれて行き、記念時計とはかかわりなくデザインだけが独り歩きする事に。
 そのデザインものが現在残っている時計であり、何で横に綱が付いているものなのかと、不思議に思う人も多い。
 時計のデザインとはそんなもので、流行のデザインがあれば、色々な時計製造会社から造られて市場に出されたものだ。

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2016年09月01日

兎に角重い

    一番重い時計


 
 SANY0128.JPG自分が所有している時計の中で一番重い時計は何かと聞かれれば、間違いなくこの時計だと言えるのだ。
 色々な古時計を持っているが、この時計ほど重い時計は他にないと思えるもの、大きさもさることながら兎に角重い時計。
 初めてこの時計を持った時に、腰を痛めそうになり、慌てて持つのを止めた位に重く、なんでこんなに重いのかと思ったものだ。
 確かに大きな時計は当然重くなるが、小さな時計で重いものはそんなに多くは無く、特に大理石が使用されている時計は別である。
 石であるから当然重いに決まっているが、それでも装飾性の高いものだから、必然的に使はざろう得ないのだ。
 これは置時計に多く用いられている手法、色々な種類の大理石を使用するもの、白であっり、黒であったりと色々な物が使われる。SANY0138.JPG
 もともと友人が所有していた時計であるが、要らなくなったので引き取ってくれと持って来たもの、乗り気ではなかった。
 そもそも置時計は場所を取るから、私は余り置時計を所有して居なくて、それも重い時計は無いのだが、理由はハッキリしている。
 置き場所が無い事、それと重い時計は掃除する時も邪魔、そして動かそうと思っても重くて面倒、腰を痛めるからだ。
 笑い事では済まされない腰、今までにも何度か時計の展示で腰を痛めた事があり、特に重い時計は御免だ。
 一端腰を痛めると展示すら出来ないことになり、大変な状態となってしまうから、重たい時計は避けて通りたいのだ。
 そんな事は友人も分かっているが、処分して欲しい事には変わりなく、私のもとに持って来たのだと言う、有難迷惑な事だと思う。SANY0133.JPG
 確かに古時計は好きであり、持参した時計は非常に良いもの、時代的にも古くて、しかも見た目に可愛らしいものだ。
 エンジェルが2人、人気のある時計である事は間違いないもの、置く場所を好む時計で、扱いにくいものでもある。
 見た目には豪華である事は間違いなく、機械も良いものが入っている高級な時計であるが、重いのが難題だ。
 重さは35キロ以上あるもので、軽い気持ちで持ち上げれば間違いなく腰を痛めるもの、爆弾みたいな時計である。
 何で重いのかはブロンズと大理石、この二つが使用されているから、軽いわけが無く、重さには自信があるみたいだ。
 普通時計は機械が精密であるとか、見た目が豪華であるとか、精度が良いとか、色々な特徴があるもの。
 この時計は、その中の重いと言う特徴があるもの、時計の高さも60センチを超す大きさ、確かに迫力はある。
 今回の時計展示でも運搬には苦労したもので、私は到底持ちきれないから、スタッフに任せたものだが、皆が何でこんなに重いのかとブーイングの嵐。
 運搬するだけでブーイングされる時計は余りないのであるが、この時計に限っては全員がダメ出しを出す始末である。

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2016年08月15日

改めて確認

    友人が火付け役

 

 DSCN1330.JPG私の持っていた時計か欲しくて、譲らなかったので他から手に入れたと持参した時計、象嵌入りの掛時計。
 前にブログで紹介した時計だが、友人の持って来た時計が程度抜群であったので、改めて象嵌の良さを認識した。
 兎に角象嵌入りの時計は余り人気が無い様で、市場に出ても今一だと言うが、何であんなに手の込んだ象嵌入りの時計が人気が無いのか。
 たぶん日本の家屋にはあまり向かないのは確か、しかし現在の日本の家屋は昔と違い、西洋的であるから、インテリアとしては良いと思うが。
 勿論友人もインテリアとして、この時計を欲しいと思っていたと言うのだが、それも頷けると改めて思った。
 以前に何とはなしに買い込んだこの時計、よくよく見て見ると、手の込んだ象嵌だと再認識したが、派手である事には違いはない。DSCN1329.JPG
 当然好き好きがハッキリとした結果となるが、いざ探そうとしても中々ないもの、それが友人であるのだ。
 譲ってやらなかったから、他で探したと言うが時間が掛かったとも言う、私は諦めていたのかと思っていたのに、そうでは無かったようだ。
 それほど欲しいものとは思わず、ツイツイ意地悪をしてしまったが、本当に欲しければ譲ってやったのにと今思う。
 しかし友人が持って来た時計は、抜群の程度良いもの、それを目の当りにしたら、ライバル心が湧いて来たのだ。
 何で此奴が私よりも程度の良いものを探して来たのかと、そして改めて自分の時計を見るに、彼のものより程度が悪い。
DSCN1326.JPG そんなに古時計を好きでない彼が、何故あんなに良いものを探せたのか、少し嫉妬心が芽生えて来た。
 誰しもあると思うが、自分よりも程度のよい古時計を持っている人に、嫉妬してしまうのは私だけではないと思う。
 古時計愛好家とはみなライバル意識を持っていると思うが、持っているからこそ、良いものを手に入れようと努力するものだ。
 それが又原動力となる事は確か、其れが無ければ向上しないと思うが、人よりも良いものを探したいと。
 そんな訳で私も自分の持っている時計を改めて手に取ってみたが、やっぱり彼奴の持って来た時計よりも落ちる。
 見れば見るほどそれが確認でき、如何してこれが良くないものなのかと、そんな気持ちが湧いて来たのだ。
 今まで考えもしなかった事で、以前から同じ場所に掛けてあり、そんなに意識したこと物い時計、其れなのに彼が持った来た時から意識が変わった。
 人に見向きもされないと、別にそれで良いと自分で思うが、人が欲しいと言えば意識が過剰に反応してしまう。
 嫌な性格だと自分ながら思うが、それは古時計を集めている人全部にライバル心があるからだと思う。
 
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2016年08月10日

ラチェット

    どの様に違うのか

 

SANY4458.JPG 友人から和時計のラチェットについて知りたいと言って来たが、「何で知りたいか」と尋ねれば、「聞かれたので」と言うのだ。
 この友人、時計の事はまったく知らないくせに、他の人にはあたかも時計の専門家みたいに話す癖が、前にもそんな事があった。
 彼は自分では古時計の事は知らないが、私たちの話を横で聞いている事が多く、自然に耳に入るようで、自分が知っているように思っているらしい。
 大きな勘違いであるが、彼はまともにその様に思っているらしく、他の人に古時計の事なら聞いて欲しいと、そんな事を言っているようだ。
 今回の私に聞いて来たのも、自分が蒔いた種、今までに古時計の事を話した人から、質問されたらしく、そして答えなかったらしい。
 答えると言うよりも、はじめから知らないから答えられないのだが、その場は何とか取り繕ったらしく、こちらに問い合わせた由。
 馬鹿な男だ、知らないと答えれば良いのに、其れも格好が悪いから、言葉で説明しても分からないからと、先方にはその様に答えたと言う。SANY4462.JPG
 実に馬鹿げた話だが仕方がないので、家に来る様に伝えれば、その日のうちに飛んで来たから呆れるのだ。
 見栄を張るにもほどがあるのだが、彼にはそれが通用しならしく、我々と付き合っているから仕方がないと言うのだ。
 他の人は彼は古時計に詳しいと思っているとの事、何時も外では古時計の話をしていると、あほらしくなった来るが、其れも事実だと言う。
 そもそも彼はラチェットなるものを知らないはず、時計の何処に付いているものなのか、どんな働きをしているものなのか、全く知らないはず。
 質問の内容は和時計のラチェットについて、どの様なものなのか、そして他の古時計とどう違うのかと言う事らしい。
SANY4314.JPG しかし彼は今までさんざん時計の事を話して来たから、知らないとは言えなくて、まして和時計となれば知る由もない。
 だから写真でないと分からないと、その人に後で教えてあげると、その場を取り繕って来たのだと言うのだ。
 何だか知らないが、私の周りには訳の分からない男が多い、これも見な友人だが、何とも厄介な男達でもある。
 彼に言葉で説明しても本人も理解できないから、和時計の写真を撮りラチェットの説明しして、この部分がラチェットであると教えた。
 下の2つの写真は和時計のラチェット、基本的には変わらないが、和時計のラチェットはシンプルなもの、古い時計にはこの様な仕組み。
 要するにネジが逆回転しない様に歯車の留め金、写真の上2つには左側に長細い小さに部品があるSANY4301.JPGが、これが留め金である。下は和時計のラチェット、形式はボンボン時計やスリゲル型の時計と変わらないもの、只部品の造りが違うだけ。
 和時計の部品は一つ一つ手造りであり、爪を抑えるバネも叩いて造り上げたもの、勿論爪も同じようにして造られた。
 材質は鉄、バネは持つ論は金であるが、歯車は鉄で出来ているもの、江戸末期頃になれば真鍮のものにかわるが、それまでは鉄である。
 その丈夫さは和時計には敵わず、真鍮は摩耗も早いが鉄はその点丈夫に造られており、大量生産品とは違うものだ。
 和時計は一つづつ造られている事を説明しないと、ラチェットを説明するよりも大事な事であると、本人の言い聞かせるも、果たして分かっているものなのか。
 写真下が和時計のラチェット、左側の小さなものが和時計のもの、特にそれを支えるバネが独特なものである。

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2016年07月17日

人気が今一つ

    場所を取るから


DSCN1086.JPG
 古時計愛好家の人気も色々、時代の流れによって愛好家の人気の時計も変わって来るが、それに伴って値段も。
 需要と供給のバランス、市場の値段とも言えるものだが、欲しい人が多ければ当然値段も上がり、いなければ値段も下がる。
 当然の仕組みであるが、これが非常に厄介な事、自分の都合では支配できないものなのだが、実に不都合なもの。
 自分の欲しい古時計が、他の人も欲しがり、当然競争になる事に、競争すれば古時計の値段も上がる事に。
 市場原理と言ってしまえば其れまでだが、皆が欲しがれば必然的に値段が上がる事に、分かってはいるが。
 そんな古時計の値段、流行の具合で乱高下する事も、古時計は数が増える事は無く、市場から少なくなるものである。
 DSCN1087.JPG一か所に多く止まれば、市場から姿を消し、それでも欲しい人が居ればやはり値段が跳ね上がる事に。
 こんな事を繰り返ししているのも古時計の値段、実に厄介なものであるが、これを止められないのも市場である。
 昨今置時計に人気がイマイチ、以前は今ほどに人気が無かったのではなく、置時計人気もあったが。
 最近では海外の高級品の置時計の方が人気が無く、以前の値段の半額以下、何でこんなに値段が下がるものなのかと。
 そんな疑問が湧いて来るのも昨今の事、市場では置時計は売れないと言うが、勿論特殊なものは引っ張りだこ
 しかし依然人気であった高級時計、今は下火で勢いがないものになり、値段も安い、だからこそ今が買い時。
DSCN1090.JPG 置時計は場所が取るから、今は売れないらしく、古時計の中でも足が遅いものと言われている昨今だ。
 写真の古時計、以前は中々手が出ない時計の部類、時代もソコソコのもので、以前の高級品だと言える。
 以前であれば値段も高くて欲しくても手が出せなかったもの、其れが今はツイツイ手が出てしまう程の値段に。
 昔の値段を知っている我々にとっては驚きでもあり、逆に何で安いのかと思ってしまう事も、いやはや古時計とは奥が深い。
 この時計私も好きな物で、時代も古いが機械も良いものが入っているから、インテリアとしては上もの。
 大理石の台に乗り、アンチではあるが雰囲気は抜群に良いもの、それなのに足が遅いとは分からないのだが。
 今の愛好家は、この様な置時計は好まないらしく、売れ行きは全くないとの事、信じられないが現実であるらしい。DSCN1089.JPG
 何故人気が無いのかと言えば、分からないと答えるしかないのだが、最近は小型の掛時計が流行、掛時計でも人気が分かれているからだ。
 今までの人気とは少し違って来たから、置時計もそのそがれの中にあり、置き場所を選ぶ置時計は敬遠されがち。
 価値の悪い人に言わせれば、「何であんなに重いのか、置時計は場所だけではなく、重さも原因だ」と言うのだ。
 言われてみれば確かにその通り、掛時計に比べれば遥かに重く、場所もとる事は確か、其れでも好きな物は好きである。
 この時計、アールヌボーの片りんを見れた時計、何処となく優美で愛らしく、あまり派手でない事が良いと思う。
 派手すぎて、置き場所にも困るような時計ではなく、美しさがひっそりと控えめに、それでいて存在感のある時計だと思う。
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2016年07月12日

一番必要なネジ

    これが無いと

 


DSCN0822.JPG 古時計を集めていると色々な問題に直面するが、最も困るのが小さなネジ、文字盤やその他の部品を止めるのに必要。
 古時計は昔のネジが使われているから、現在使用されているプラスのネジは使わないので、マイナスのネジが必要となる。
 古時計愛好家はその事を一番よく知っているから、小さなネジ一つでも大切にしているのだが、新しく買い込んだ古時計にプラスのネジが。
 古時計は古い時計であり、その間に色々と修理がなされているが、もとの部品が其の儘使われて居れば良いのだが、中々そうは行かない。
 オリジナルの部品ばかりの古時計は、逆に少ないと思っているが、幸いにもオリジナルの古時計であれば有り難いのだ。DSCN0824.JPG
 しかし中々そんな古時計にはお目にかからないから、違った部品が付いている事も屡々、特にネジ関係は良くある事。

 古時計を手にし、硝子蓋をあけ文字盤を見てガッカリする事も、それは文字盤がプラスのネジで止められている事。
 そんな事が何でガッカリするのかと思う人もあると思うが、我々古時計愛好家にとっては重要な事だ。
 古時計を見て一番初めに目に入って来るのは文字盤、その文字盤の止めネジが違っていると、意気消沈する事になる。

 最初からアッパーカットを食らった心境、期待を大きく打ち砕かれるような、そんな状態に陥るのだ。DSCN0825.JPG
 たかがネジ一つではないのかと思う人、それは大きな間違いであるのだと、我々古時計愛好家は思う。
 ネジ一つであればまだましであるが、そのネジが多く使われていると、それはもう大変だと思うのが普通だ。
 最近では小さなマイナスネジは少なくなっており、簡単には手に入らないからで、ネジ一つが問題となってしまう。
 事実ネットでも小さなマイナスネジが売りに出させているが、高い値段で出ているのは、欲しい人があるからだと思う。
 勿論私もその一人であり、安くて良いマイナスネジであれが買いたいと思うが、それは小さなマイナスネジが無いから。DSCN0826.JPG

 小さなマイナスネジだけではなく、機械を止める大きなマイナスのネジも無くなってしまい、これまた大変な問題。
 そなん事もあり、私は壊れた古時計から採れるだけのネジは確保するようにしており、もし何処かでそんな状態のものを見れば必ず買い込んで来る。
 何時使うのかと思う人も居るが、そんな事はなく、何時出るかも知れない部品が変わった古時計、出てから見つけていては遅いのだ。
 その為に日頃から準備しているので、小さいネジから大きなネジまで、何時でも使えるようにストック、小さな缶の中に何時も入れている。
 少し位ストックしておいても直ぐになくなるから、見つけた時が勝負、すぐ手に入れる事だと思っている。
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2016年07月05日

案外古いもの

    見た目よりも古い



DSCN1145.JPG
 古時計が何時造られたものなのか、古時計愛好家ならずとも知りたいと思う人も多いと聞く、よく言われるのには見た目。
 古時計には時代の流と言うものがあり、流行とも言われているが、それは時代の流れとも一致している。
 時計の製造も時代の流れに敏感に反応していると、今の自動車の形と同じ、時代によりデザインが変化して行く。
 古時計にそんな時代と一致しているとも、だから色々な時計を見ていると実感して来るが、それが全部であるとは言えない。
 それは私も色々な時計を見て来て実感したもの、形が似ているから同じよう新しい物と思ってしまう事もあった事。
 しかしよく調べて見ると意外な事が分かった来て、新しいものでは無いのではとの疑問が、形こそ昭和のものだと思えても。
DSCN1148.JPG 実際はもっと古い物ではないのかと、そんな時は機械形式から調べて見るのも、機械も当然だが時代によって変化している。
 その為に形こそ新しいものだと見えても、意外と古い時計であったと言う事もあり、やはり先入観だけではダメと言う事。
 以前に私の先輩の人から、「この時計は昭和のものだね、古くはないものだよ」と言われ、私もそのように思っていた。
 ある時、偶然にも同じ時計を見る機会があり、その時計の機械を見て、自分の持っている時計も古い物だと思うように。
 それは見せて貰った時計の機械に刻印が押されており、非常に見にくいが薄っすらと確認でき、家に帰ったから調べてみた。
 以前から持っていたトレードマークのコピー、勿論明治村の学芸員が調べてくれたものだが、その中に今日見た刻印を発見。DSCN1151.JPG
 今まで気が付かなかったが、明治30年代に登録されていたもの、昭和だと思っていた時計が、少なくとも大正時代であると言う事だ。
 今回の古時計もそれに該当するもの、会員の田中コレクションの中から見つけたカレンダー付の時計、一見新しいものに見えるが。
 何気ない普通の頭丸型の掛時計、一般的には昭和の時計に見えるが、文字盤を開けて見ると機械に刻印がある。
 よく見ると林の刻印に見え、「KT」が図案化され菱形に囲まれたマーク、このマークは林時計が明治時代に登録したものだ。
 後で調べて見たら、明治43年に登録されたトレードマーク、少なくともこのマークは大正時代までは使われていた。
 一見昭和に見えてしまう、カレンダー付掛時計、実は大正時代のものである証拠、外形からだと昭和の時計だ。
 やはり形だけでは製造時期を誤解してしまう、製造させた時期を間違えしてまう事に、ジックリと見極めなければならないと思う。
 何処かにその手掛かりがある筈、文字盤であったり、機械の刻印であったり、振り子室のラベルであったりと、色々な所から判別しなければならないと思う。












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2016年06月24日

またまた石原町

    モット詳しく知りたい

 

SANY7022.JPG
 精工舎の石原町製造の時計、今までに何度となく取り上げて来たが、もっと詳しい事を聞きたいとの質問が多い。
 私も詳しく伝えていると思っているが、質問はもっと具体的に教えて欲しいと言う事らしいので、数字的にと言う事らしい。
 質問の意味は十分に分かっているが、新しくなってからのホームページでと思っているもの、しかしそれまで待てないらしい。
 具体的にとはまず石原町製造の機械と、柳島に移ってからの機械の区別らしいが、之は非常に難しい事である。
 何故ならば柳島に移って、製造機械を全部変えてしまったものなSANY6990.JPGらば、まだ判断材料があるが、石原町時代の機械をそのまま使用していたとすると、判別は難しくなる。
 場所が違うだけで、製造する機械は一緒であれば、石原町時代と柳島時代とは区別がつかないし、柳島に移って製造機械を増やしているのなら、また違った事にもなる。

 簡単に石原町の機械がどの様になっていたかは、現存する機械を比較して分かるが、これとて難しいのは当たり絵である。
 部分的に比較して見れば、自ずと違いは判別できるが製造機械が一台ではなく、何台であったかも重要な問題だ。
  複数の製造機械から造られているとしたら、当然何種類の雁木車が出来上がる事になり、当然違いも多くなるのだ。SANY6984.JPG

 一台で製造されていたとは思うえ無いから、2、3台はあったと思うのが普通、では三種類の違う雁木車が存在していることに。
 もちろん当時の記録は正確には残っておらず、後に記憶として文章に書かれているもの、信憑性に欠けるものだ。
 実際に製造されたのは約1年半、その間にどれだけ製造されたものなのか、現存している時計は種類も多い事から、製造数も多くあるようだ。

 前から言われているのは、1年半の間でそんなに多く製造できないはず、柳島に移っても石原町のラベルを使用していたとも考えられる。
 創業当時は上手く製造できなくて、製造数も少なく、軌道にSANY6971.JPG乗ったのは3ヶ月くらい後と言う、それらを考えると、前者の説が浮上してくる。
 今回の写真は明らかに違う2つの雁木車を見比べて、何処が違うものなのか、そして何が分かって来るのか、検証して見る。

 上の雁木車と下の雁木車、同じ石原町のラベルが貼られているもの、無印の機械であり、箱も初期のものと思う。
 上の雁木車、歯車の中の縁がずれている事が分かると思う、そして歯の角度が下の雁木車と違うこと、4本の支柱も太くて下とは違うものだ。
 一番下の写真の雁木車も、2番目のものと明らかに違うもの、目で見ただけで違いが分かるもの、勿論雁木車を支える支柱の形も違う。

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2016年06月21日

べティーさん

    オークション

 

DSCN1091.JPG
 浜松ミーティングで開催されたオークション、数々の珍品が出品されたが、その中でもミッキーとべティーさん。
 この2つは会員さんの注目の的であったが、ミッキーと違って、このべティーさん、ちょっと綺麗すぎると皆が思っていた。
 勿論私も最初はちょっと違和感があったので、手にとって詳しく調べててみたが、皆が言うようなものではなかった。
 新しいものではと敬遠している人も多く、私に問いかけて来る人も、しかし真面目な古い物、決して新しいものではない。
 残念なのは少し塗り直しがあるから、それが見た目に新しく見え、皆が敬遠している理由であると思うが。DSCN1096.JPG
 裏蓋を外して機械も検査したが、別段手を入れた形跡もなく、列記とした本物のベテイーさんの掛時計である。
 今もネットに出ているものもあり、新しいものではと疑問を抱く人も多いが、自分の目で手に取って見れば良い。
 会員さん同士のオークションでもあり、変なものが出品される事は無く、安心して参加して貰えるはず。
 こちら事務局としてもまがい物の出品は遠慮して頂いており、出品時に確認もしているから、安心して参加できるはずだ。
 それにしても今回のオークションは目玉が多くて、会員さんも戸惑っていると思うが、逆に良い機会でもあると思う。
 DSCN1097.JPG疑心暗鬼になっている人は、尚更自分の目を養う良い機会だと思うが、本物を自分で見極め、これからに役立たせるためにも、是非経験して欲しいものだ。
 ネットなどでは中の機械や、塗の状態などを見極める事は出来ないから、こんな機会にじっくりと目に焼き付ける事だ。
 何度か本物を見れば、自然と見る目も養われ、次の機械に役に立つと私は確信しているもので、ヤッパリ本物を多く見る事が肝心。
 本物に勝るものは無く、より多くの本物を自分の手で見る事こそ、上達の早道であると思うが、そんな訳で今回のオークションは良い機会でもあった。
 DSCN1098.JPGこの様な事は協会主催のオークションでしか出来ない事だから、良い勉強会と思い、チャレンジして欲しいものだ。
 それにしても、このべティーさん程度は良い方、思った以上に手が入っていないと、逆に認識したのだ。
 写真がその出品されたべティーさんの掛時計、みれば見る程面白い顔をしているもの、愛嬌のある時計だと思う。
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2016年06月12日

幻のオリンピック

         幻と消えた



DSCN1003.JPG
 昭和15年の東京オリンピック、日本で開催される予定であったもの、前回のオリンピック後開催地を東京と決められた。
 当時は世界中が不穏な空気に包まれていた時代、世界のあちら、こちらで紛争が続いていた時代、日本もその最中にあった。
 そのような状態の中、次のオリンピックは東京で開催と決まったが、その後も様々な出来事が世界で起こる事になる。
 勿論日本も例外ではなく、日中の間でもきな臭い状態となっていた時、国を挙げてオリンピックを開催しようと動き出した。
 その一方、軍部は中国に侵攻を開始してしまい、日中が戦争状態となり、オリンピック開催が危うくなって行く事に。
 DSCN0996.JPG世界からも日本に対する風当たりが強くなり、結局日本は東京オリンピックを辞退する事になり、ここに幻のオリンピックとなったのだ。
 そのオリンピックを当てにして数々の代物が造られた事を、小さな蕾で紹介したが、その内容について質問があった。
 質問は2つ、一つはオリンピックを記念して造られた時計、優勝カップをデザインした時計、この時計についての質問だ。
 時計に付いている振子がおかしいのではと言う事、カップの色が銀色であり、振り子だけが金色では可笑しいのではと言う事。
 写真で見ていてもおかしいと感じたと言うもの、確かに銀色と金色では不釣り合いと思われても仕方がない。
DSCN0999.JPG 私もこの手の時計には、金色のものと銀色のものとがあったのではと言う話を聞いた事があり、前から疑問に思っていた。
 しかし金色の時計は見た事が無いので何とも言えない、振り子が違うかもしれないとの疑問も一理あると思う。
 もう一つがポスター、写真のポスターは公式のポスターではないのではと言う事、その点については質問されるまでもなく、公式のポスターではない。

 勿論文章中にも公式であるとは書いていないが、当時のオリンピックにあやかって造られたポスターである事は確か。
 それに名古屋の逓信局が出しているポスターであり、国が造ったポスターである事、民間で無い所が良いと思う。
DSCN1001.JPG いずれにしても、珍しいものには違いはないが、完全にオリジナルかどうかは分からないと答えるしかない。
 当時の資料も不足している現状は、推測の域を出ないと思うが、オリンピックを当てにして作られた事だけは確かである。
 それにしても、読者とは恐ろしいものであり、冷静に文章を読んでおられると感心する事しきり、これからも気を付けて書かねばと思っている。
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2016年05月31日

何処の時計か

    製造所が分からない


 
SANY7104.JPG 明治期、全国で西洋時計が造られていたが、大きな時計製造会社は記録が残っているから、それを辿れば良い。
 しかし小さな時計製造会社は記録もなく、駄々現物が残っているだけで、何時の時代に何処で製造されたか不明なものも多い。
 そんな古時計が多く存在しているから、古時計愛好家もそれを手にした時、困り果てる事になるのだと思う。
 よく言われるのに、現物を買い込んだが何処の時計か分からないから、あちこち調べているが全く手掛かりがないと。
 調べても名前が出てこないと言われ、現物があるからには製造したところがある筈、しかし調べてもないのは不思議だと。
 明治、大正時代、西洋時計の製造は各地にあったが、小さなところは短期間に無くなっている所も多く、また続いていたとしても記録が無い事もSANY7109.JPG
 そしてもう一つが組み立て会社、この様な時計製造所は自社で販売せず、ただ時計を製造していただけで、販売は別の会社が。
 当時の組み立て会社はどれだけ在ったのかも分かっていないのが現実、数多く存在したと思われるが、現物しか残っていない。
 私の手元にも、訳の分からない古時計が存在しており、何処で製造されたものなのか調べているが、解明できていない。
 例えば東京浅草の伊藤新之助がパテントを取得した、金箔貼り付けの技法、当時の精工舎もこのパテントを使用、時計のラベルに記載されている。
 精工舎の時計には伊藤新之助のはテントと精工舎の文字が一緒に記載されているが、私のの持っている時計には伊藤新之助しか記載が無い。
SANY4214.JPG これは伊藤が独自に時計を製造していたのか、それともパテントだけが記載され、他の製造所が販売したものなのか。
 記録では伊藤新之助が西洋時計を製造した事はないと思われ、もし製造していたのなら、何らかの記載があるはずである。
 勿論当時くパテントの期限は15年と定められているから、それ以後であれば誰でも使用できることになるのだ。
 精工舎がはテントを買い取ったとするならば、写真の時計は伊藤新之助がまだ精工舎に売り渡す前のものなのか。
 それとも、期限が過ぎてからのものなのかは不明であり、この他の時計にも伊藤新之助のパテントの付いた時計が発見されている。
 もう一つの時計は大分で製造された時計、この時計も不思議なものであり、当時大分で西洋時計が造られた記録はない。
 この時計を巡っては、大分在住の人にも記録を探して貰ったが、現在ま
DSCN0769.JPG
で大分で西洋時計が製造された証拠はないのだ。
 しかし現物が存在しているからには、大分で製造された事は間違いのないもの、只組み立て会社であったり、販売だけをしていたのであれば分からないとも言える。
 普通は勧業年報に記載されていなければならないのだが、その起債記録もないとの事、益々分からない時計である。
 何れにしても現物の存在が確認されている以上、大分で販売された事は確かであり、これからも研究課題である事には変わりないもの。







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2016年05月27日

ゆらゆらガラス

    ゆがんだ表面



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 古時計にはまっているガラス、古い時計にはゆらゆらのガラスが嵌めてあり、針が歪んで見える時もある。
 何でこんな歪んだガラスが嵌めてあるのかと言う人も、確かにガラスの表面が歪んでいることに気付き、文字盤の字が読み難いのではないのかと。
 正面から見ればさほど感じないが、少し斜めから見ると明らかに歪んで見え、時計なのに何故こんなガラスが使ってあるのか分からないと。

 普通ガラスとは表面は真平らであり、物が歪んで見える事はないので、ゆがんだガラスがはめてあるのがおかしい。DSCN0762.JPG
 そんな事を思う人は多いのだと思うが、今のガラスを知っている人は当然こんな事を言うのが当たり前のこと。
 現在のガラス板は水平の歪んだものはなく、歪んでいたら不良品であり、そんなガラスはおかしいものであると。
 古時計のガラスは歪んでいるのが正しいガラス、今のガラスと違うもの、昔のガラスは製造方法が違い歪んだ物しか出来なかった。
 人間がガラスを吹いて、風船玉みたいに大きくし、それを熱いうちに鉄板の上で切り開く、そして平たくするが、「まったいら」にならないのだ。
 だから古時計には歪んだガラスが嵌めてあるのが普通のこと、逆に平らな歪んでいないガラスが嵌まっていたら、それは新しいガラス。
 知らない人はゆらゆらのガラスが入っていると不思議そうに眺めてDSCN0859.JPGいるが、ガラスは平らなものと思っているからだ。
 古時計のガラスが割れてしまい、大騒ぎをする人がいるが、それはゆらゆらのガラスがなかなか手に入らないからだ。

 入ったとしてもガラスの値段がビックリするほど高いから、それを知らない人は「ガラスなんて何時でも手に入る」と思っているのだ。
 しかし実際にゆらゆらのガラスを手に入れようとすると、むつかしいのが現実的に分かるはずと思う。
 偶然に同じ大きさの壊れた古時計があれば、そのガラスを取れば良いのだが、そんなうまい話は簡単にはない。
 ゆらゆらガラスを探し当てて、交換してもらえばビックリする値段になり、改めてゆらゆらガラスの有り難さが分かると思う。DSCN0855.JPG
 私も何度かゆらゆらのガラスを割ってしまい、ガラスを嵌めて貰らった。
その上高い値段を言われたことか、しかしそれでも入れたいと思うのも愛好家だから。
 古時計の文字盤を斜めから見て、歪んで文字が見えれば、その時計はオリジナルのガラスが嵌まっていると思って良いと思う。

 歪んだガラスは貴重だから割らない事だと思う。





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2016年05月20日

ラベルを見て

    古時計のラベル

 

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 古時計の成り立ちから製造まで、明治期の時計について色々と取り出さされているが、それは国産時計の内ほんの僅かなもの。
 殆どの時計はやぶの中であり、資料としても分からず、また研究もされていないもの、ほんの一部が表に出ているだけ。
 確かにその通りであり、明治、大正期に全国で製造された時計、数えただけで100社を越しているからだ。
 そんな古時計、名前の知らない時計製造会社も多く、ラベルの名前を見ても知らない人が殆どと言って良いと思う。
 精工舎や林時計などの様に、一般に知られた時計製造会社、この古時計はラベルを見ただけで何処で製造されたかは知られている。
 知られていると言うよりも、多くの家庭で使用されて来たからこそ、その名前も覚えられたものであろう。
SANY9722.JPG
 しかし実際は知られていない時計が多すぎると思うが、私も色々な資料では聞いた事のある時計製造所もあるが。
 実際に見た事のない時計製造会社のものも多く、逆に言えばその数の方が多いと思うが、それだけ古時計の世界はおく深いとも言える。
 まだ振り子室のラベルが貼られているものは、その所在が明らかとなるから、それは判別できると言って良い。
 ラベルには製造元の名が記載されているから、それが大きな手掛かりとなるものであるが、聞いた事のない会社も存在する。
 ここに上げた古時計、中々市場ではお目にかからない時計製造会社、名前だけでも知っている人はまだ良い。
 しかし聞いた事がないと言う人の方が多いと思うが、これらの時計何処かで見つけたら、是非手に入れて欲しいもの。DSCN0769.JPG
 時計製造会社の存在は確認されているものの、実際には市場で見つからないものだが、そんな時計達。
 時計の形は兎も角として、振り子室に付いているラベルに注目、例え八角型の普通の時計でも、知らない名前が付いていたら覚えて欲しいものだ。
 知らないと言う事は数が少ないと、時計の資料としては非常に重要なものと理解して、保存をお願いしたい。


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2016年05月19日

エッヘル塔と時計

    流行の材質


 
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 パリ万博、1855年に始まり、好評を博して以後幾度となく開催されており、産業振興の役割を果たしたものだ。
 国内産業の停滞を打破する目的で、産業振興を促進するためにとパリで博覧会を開催しようと、当時の皇帝ナポレオン三世によって開催された。
 ナポレオン三世は1851年にイギリスで開催されたロンドン万博に対抗して、パリ万博を開催する事によりイギリスに対抗したと言われている。
 シャンゼリゼに開催場所をもうけ、幅108メートル、横250メートルと大きなものであったが、ロンドン万博の建物の半分しかなかったと言われている。
 しかし規模的には少し小さかったが、蒸気機関や蒸気船などの機械物には先進的な技術を披露して、フランスが産業の主体国である事をアピールした。
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 これはフランスの国際産業の振興と自由貿易の促進を目的とした事は、ナポレオン三世の狙いでもあったと言われている。
 当時はイギリスと覇権を争っていたので、フランスの威信を示す目的でもあった事は確か、その目的をこのパリ万博で発揮したと言える。
 この万博後、フランスは世界に向けて先進国である事を示すと共に、これ以後のパリ万博は盛況を博したのである。

 1889年のパリ万博こそが、最も世界にフランスの力を示した万博であったと言われ、参加国も今までに無い多さを誇った。
 ここでパリが世界的に見直されたのが、エッヘル塔の建設で、世界に類を見ない高さ312メートル、世界一の塔を完成させる。
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 この塔建設は世界にフランスの建設技術が最高のものを持っている事の証と、世界の向けて宣言したのだと言う。
 事実この塔は東京タワーが完成するまで、世界一を誇っていたのは素晴らしい事、75年も世界一を保っていたのだ。
 このエッヘル塔の完成により、鋼鉄の需要は飛躍的な発展をとげ、建設素材として世界的に広がって行く事になる。

 その万博臨場して、色々なものが造られたが、今回の懐中時計もその鋼材で造られ、人気の的となったと言われる。
 今までの金や銀製のものとは違い、最先端の鋼材で造られた事が人気の秘密、今の我々が感じる鉄とは、全く違う感覚であった。
 当時の最先端の素材で造られた事が人気、今で言うチタンやカーボン等といった物と同じ感覚であると思う。
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2016年05月18日

何方が製造し易い

    アンソニアとウォータベリー



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 明治期国産の時計のモデルとなったアメリカの会社、アンソニア社とウォーターベリー社の二つの会社がある。
 このモデルとなった会社の西洋時計、その後昭和まで製造されて日本国内はおろか、海外にも多く輸出された。
 そんな西洋時計、アメリカの色々ある時計製造会社の中、なぜ二つの会社が選ばれたのであろうか、そんな疑問が生まれる。
 今までにも多くの人から、そんな疑問が寄せられ、その都度お答えしているが、それも私の個人的な意見である。

 今までにも多くの先人たちから、数多くの資料が提供され、この問題にも多くが書かれているが、之と言った答案はないと思う。SANY3375.JPG
 もちろん現実に現場で時計を製造されていた人とも、多くの意見を聞く事が出来、参考にもなったと思う。
 師匠の吉田嘉一氏も、その点について多くを語られたが、現実に製造に関わった人でも疑問があるとも言われた。

 吉田さんは時計設計の第一人者であった人、長く愛知時計で実際に時計製造を指揮してきた人、もちろん愛知時計もウォーターベリー型の機械を採用。
 そんな吉田さんだからこそ、何故ウォーターベリーの機械を採用したのかとの質問に、分からないとも答えられた。
 現場での第一人者吉田さんですら、この答であったので、我々が多少の知識で解明できるはずもないが、疑問をわいてくる。SANY1738.JPG
 片方のアンソニア型、これはハートH製鋼所が製造していたもの、もちろん愛知時計とはライバル会社である。
 両者ともに明治、大正、昭和とライバル関係にあり、共に違った機械を製造していたものでね名古屋の時計産業の先駆者。

 そんな名古屋地域の時計製造会社が、各々にアメリカの西洋時計をモデルとして、自社の西洋時計を制作したのだ。
 面白い事に全く違った機械を採用して、昭和まで製造して来たことだが、何処にその機械を採用した切っ掛けがあるのか。
 之からも、その疑問がある以上、資料を探り、事実の結びつくものを探してゆかなければ、解決はしないと思うが。SANY6124.JPG
 写真はアンソニア型とウォーターベリー型の機械、違いは明らかであるが、何方が製造し易かったものなのか。
 一番分かりやすい部分を写真で記載、一目見て明らかな違いが判ると思う、これも参考にしてください。
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2016年05月17日

色々な焼き印

    所有権のしるし

 

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 明治6年以後、新政府が全国の公共の場所に時計を配布、これは近代化を推し進める新政府の意向、多くの時計が買いこまれた。
 よく交番時計と呼ばれているもの、八角型の天賦式の時計、庶民がよく目にした時計、交番に多く掛けられていたことから、通称「交番時計」と呼ばれていた。

 天賦式の時計とは振り子がついていないもの、少し位傾いても止まらない時計、船時計とも呼ばれているもので、船に積まれていた時計でもある。
 当然傾きにも強い時計として船につまれ、大きく揺れても時計は止まらなため、船に積まれていたので呼び名も船時計と呼ばれた。
SANY5664.JPG
 これらの時計を何故新政府が購入したのかは不明であるが、郵便局、交番、駅等に配布された事は事実であり、この時計が選ばれたのか。
 振り子式の時計と違い、傾いても止まらない事が最大の理由なのか、それともこの時計が当時は安く手に入った物なのか。
 カタログで当時の値段を見る限り、そんなに安いとは思えないし、値段ではないとしたら別の要素があったものなのか。
 それにしても、当初新政府は明治6年に6000台とも言われる西洋時計を輸入したと言われるが、果たしてそうだろうか。
 SANY5675.JPGそんな疑惑は兎も角、交番時計だけが輸入されたわけではなく、大型の時計も買い込まれた事も事実、特に役所や学校と言った所に配布されている。
 勿論公共性のある所に時間の重要性と近代化の両立を図るための策、そんな時代に投入された時計が残っているのだ。
 物によっては最近まで使用されたていたものも、それ程大事に使われて来た証と思われるが、それ以上に当時の歴史を伝える証人だ。

 良くネットでも郵便局で使用されていた時計、文字盤に駅逓寮、駅逓局、逓信省などの文字化書かれたもの、それが当時の時計だ。
 この時計の裏側には当時焼印が押されているのだが、これが国所有の証となる印、この焼印がないものも存在するが、それは少ないものだSANY5671.JPG
 殆どの時計の背板にはその持ち主の証、焼印が押されているのが普通、逆にこの焼印がないものは怪しいと思っても良い。
 焼き印のないものは国所有のラベルが貼られているもの、それが無くなってしまったものもあるにはあるが、ヤッパリハッキリしているのは焼き印だと思う。
 史料価値の高いものは焼き印が押されているもの、写真の焼き印はそれぞれの持ち主の焼き印である。
 それと同時に墨書きがなされているから、併用して所有者がハッキリと分かるのも、国所有の時計であるのだ。

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2016年05月16日

紙文字盤

    なんで紙なのか


 

 DSCN0475.JPG古時計についている文字盤、もちろん時間を示すものであるが、知っている時計の文字盤は紙のものが非常に多い。
 今まで見た時計の殆どが紙の文字盤であったと言う古時計愛好家が多く、素朴な疑問として何故文字盤は紙なのかと。
 こんな事を言う人も少なくないと思うが、何で紙の文字盤なのかと言う事だが、確かに言われている通り文字盤は紙である。
 古時計には紙の文字盤が多いのは確か、しかし全部が紙の文字盤で占められている訳ではなく、色々なものも存在している。
 例えばペイントの文字盤であったり、琺瑯の文字盤であったり、金属製の文字盤と色々な素材のものが存在している。

 DSCN0770.JPGその時計にあった文字盤が取り付けられているもので、主に高級機には琺瑯の文字盤が付いている事が多く、ペイント文字盤も多く使用されている。
 そして時計が造られた時代によっても変化があり、時計製造各社の考え方によるものも、一概にこれだと言えないのだと思う。
 大まかな範囲で言えば、指摘の通り紙の文字盤が多いことは確か、八角型の時計には紙の文字盤が付いている事が多い。
 その次がペイント文字盤と言う事になるのだが、では何故紙の文字盤なのかと言えば、考えられる事はコストが安くて早く造れること。
 紙の文字盤は素早く貼れること、剥がすのも簡単であること、これが一番の理由と思われ、各時計製造会社が採用している。SANY0149.JPG
 勿論これだけの理由ではなく、当時モデルとされたアメリカ製の時計の文字盤も紙製のものが多かったようである。
 そなん事でモデルとした時計と同じ紙の文字盤にしたと言う事、偶々モデルとした時計が紙の文字盤であった事と、作業が簡単であった事が採用の決め手であると思う。
 これだけで問題が解決されたとは思わないが、的が外れているとも思わないので、古時計を色々と見て比べて欲しいものだ。
 その中から自分なりの結論が出るかも知れないので、是非多くの古時計と接して、疑問解決に努力してください。
 そして質問は、もう一つが文字盤に貼られている赤い文字の時間、ローマ数字の文字盤やアラビヤ数字の文字盤にも付いている、あの数字は何。
SANY2494.JPG
 この赤い数字、実は戦時中に24時間表示したときの名残、戦時中は午前1時と午後1時と紛らわしいので、あとから文字盤に張り付けたもの。
 午前1時1で良いが、午後1時は13時となり、午前2時は2時、午後2時は14時となる事に、間違いを無くするためのもの。
 その為に色々な貼方がされており、数字を書き込んだものもあるが、戦時中の名残がそのまま残っているものなのだ。
 これも歴史の生き証人であることには間違いなく、殆どのものが剥がされているが、時々残っているものを見る事もある。
 それは、この様な戦時中に貼られたもので、戦争後剥がされたが、其のままになっている時計の文字盤も存在し、質問の数字はこの時のものなのだ。
 写真上から紙文字盤、2つ目はペイント文字盤、3つ目は琺瑯文字盤、4つ目は金属製の文字盤であり、色々な種類が存在している。















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2016年05月10日

今年も追い込みに

    時計展の準備



SANY4595.JPG
 毎年の事だが古時計保存協会の時計展、6月10日の時の記念日に合わせての展示、その準備に入ったが、色々とあり進まない。
 今年のテーマをどうするのか、未だに決めかねているから大変、当然テーマに合わせて展示物を決めなければならないからだ。
 そのテーマが決まらないから尚更焦っているが、これも人に言わせれば何時もの事、毎年泥縄状態だから、さして驚きもしないと。
 土壇場まで決まらない事も今までよくあり、今年もそうだから別に、当たり前の事をしていれば自ずと決まるのでは。

 SANY6927.JPGそんな風に思っている会員さんも、古時計保存協会としては多くの人達に見学して欲しいから、テーマが大事だと思う。

 そんな訳で展示物の選択を色々と思案、去年は割と好評であった事もあり、小型の時計を中心に展示をと思っても居る。
 小型の古時計の展示であれば搬入も容易いが、大型のものであると搬入も大変なら、当然展示も大変な事になるからだ。

 久米邸の場合搬入の道のりが長いので、運ぶのに一苦労するのだが、小型であれば簡単に運べるからでもある。
 特に蔵まで運ぶとなると苦労の連続となり、その上階段があるため、これが運搬の妨げとなるもので、毎年苦労させられる。

 SANY5896.JPGしかし久米邸の母屋より蔵の展示の方が人気が高くて、古時計の展示にはもってこいと、ムードもあってピッタリの場所だと言う。

 確かにムードは満点、来る人、来る人が環境が良いと喜んで貰っているが、やはり運搬が大変、此方としては母屋での展示が良い。
 そんな事も言っておれず、蔵の展示は今年も続行するしかないので、搬入は蔵から先にと考えて、展示内容を検討中。
 蔵内部の壁に釘は余り打てないから、決められた場所しか釘が打てず、展示物が限られるもので、それもまた思案のしどころ。
 小型のものばかりだと迫力に欠け、やはり大型の物も必要であると、そんな事で大型も運ぶ事に決めはしたが、幾つにするものなのかと。

 会員さんの出展も何が来るものなのか、それによって場所の選定も、やる事が山積状態であり、先に進まないのだ。
SANY4098.JPG そしてある事から、「毎年同じ看板だから、今年は変えて見てら」と忠告もされ、それも頭に引っかかっているのだ。
 しかしあの看板は私も気に入っているから、今年もあの看板で行こうと思っているが、サテサテまだまだ先がある。
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