2016年04月25日

ラベルに見る

    古時計のラベル



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 古時計に付いている振り子室のラベル、時計製造会社のラベルが貼られているもの、このラベルどれが古い物なのかと言う疑問。
 振り子室のラベルを見れば時代が分かるとも言われており、ラベルの色とか材質により、製造年代の測定が出来ると言う。
 勿論、製造会社の名前が入っているから、会社名は判別できるとしても、その付いているラベルが古い物なのか、新しいものなのかは判別しにくい。
 シッカリとしたその会社の記録があれば、どれが古い物なのかは分かるが、殆どの製造会社の記録はなく、どれが古い物なのは不明なのだ。

 SANY8754.JPGそれを知るには、その時計製造会社の多くの時計を比較して見れば、時代も判別が可能となるのだが、中々多くは難しいのだと思う。
 その上数少ない古時計であれば、数多くを比較する事は不可能であり、またそれだけ揃わないと思うから、別の方面から探すしかない。
 その一つの方法はアメリカ製の古時計、当然の事だが日本の古時計はアメリカ製のコピー、だから振り子室のラベルもコピーだと思われる。

 ではアメリカ製の古時計のラベルはどうであったのか、それを調べれば日本のものも自ずから分かって来るはずである。
 例えば、アメリカ製の7大メーカーのラベルを調べれば、大体の事は判別できると思うが、これがすべてではないのも承知。
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 只古い時代の傾向値はおぼろげながら分かって来ると思われ、その傾向を見れば察しが出来るとも、そんな訳でそれを見る。
 ジェロームやセストーマス社の古いラベルを見るに、その振り子室のラベルは白い紙である事が分かり、その他の会社も主に白色である。
 勿論これが全てでは無いが、概ねの傾向は分かる事になり、日本でもその傾向にあると思われ、中條勇次郎製造の時計も白ラベルである。
 金元舎のラベルは黒色、大阪時計のラベルは白色であり、各社マチマチのラベルの色である事は分かるが、やはり白色のものが古い物と判断できる。
 これは傾向として、今まで見て来たもののラベルでの事だが、案外当たっているかも知れないと思う、只SANY3687.JPGここで気を付けなければならないのは、新しい時計にも白色のラベルが貼られているから。
 大正、昭和の時代の時計にも白ラベルが貼られており、これらと区別しなければならない事も承知のうえでの判断である。

 一概に言えないが、やはり古い古時計には白色のラベルが貼られている傾向が強いと言う事になり、時代測定に役に立つと思うが。
 写真がその一例であり、ラベルで時代測定が可能かどうかだが、それは古時計を多く見て、統計的に判断する事だと思う。
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2016年04月16日

鶏印の時計

    最近よく見かける


 
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 私のもとに最近鶏印の時計の事で質問が寄せられるが、その質問の内容が皆同じもので、実は驚いているのだ。

 何故かと言えば、この鶏印の時計は珍しい時計で数がそんなに多くなく、今までにも古時計愛好家が探していた時計のうちの一つ。
 なかなか見つからない時計として愛好家からも興味を持たれ、あちらこちらで探している人が多かったもの、勿論私もその一人である。

 この鶏印の時計は名古屋で製造されたものだが、今までに発見が少なく、出れば愛好家が直ぐに手に入れ、姿を消してしまう時計だ。
 DSCN0673.JPG市場に中々出回らなくて、愛好家同士の情報から、お互いに流通しあうものなので、市場に出なかった時計の一つである。
 その為に愛好家も情報が薄くて、そのうえ市場に出回らないから、探すのが大変な時計であったことは事実、見つからない時計であった。

 最も製造数は相当数造られているはず、然しながらなぜ表に出てこなかったものなのか、不思議でもあるのだが。
 明治26年に名古屋の清水町で加藤鉄太郎が製時合資会社を設立、鶏印を付けた時計を売り出した記録が存在している。

 名古屋の時計製造所としては早い方であるあるが、その実態は詳しく分かっていないもので、その後社名を河合時計合資会社となるDSCN0680.JPG
 詳しいことは今までにも色々と書いているから省略するが、今回の質問はなんで今鶏印の時計が出回っているのかと。
 あれだけ無いと言われてた鶏印の時計、それが幾つも出回っているとはおかしいのではと言う事だと思うが、その原因が分からないと。

 確かに言われている通り、鶏印の時計は見つけ出すのに苦労したもの、それが何でと言う事だが、答えは簡単だ。
 実は私の知っている古時計愛好家が二人、コレクションを全部売りに出したのであるが、その中に鶏印の時計があった。
 それも一人の愛好家は鶏印の時計を6、7台持っており、それが一気に市場に出回ったもので、もう一人も確か3台あったと思う。
 それが一気に市場に出回る事となり、愛好家の目に留まることになりDSCN0684.JPG、結果はネットでも数台出る始末とあいなった。
 だから愛好家は鶏印の時計を目にすることが多くて、数少ないと言われたのは嘘かと、疑問を抱いているのだと思う。

 現実は簡単なことだが、これだけの台数が一挙に出ると、誤解が始まるのも無理もない話、しかしこの時計は数が少ない事には変わりはない。
 見つけたら手に入れる事をお勧めするもの、これからもそんなに多く出回らない時計であるから、今がチャンスと思うが。
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2016年04月13日

今年も準備に入る

    時の記念日展



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 毎年の事であるが、日本古時計保存協会主催の古時計展、瀬戸市の久米邸で開催しているが、その時期に来た。
 毎年の事だが何を展示するものなのかと思案、何時もの事であるがヤッパリ考えてしまう、それは何時も同じ展示ではと思うから。
 この期間は毎年大勢の見学者が訪れ、特に古時計ファンが遠方より来場、初日には開館と同時に入場されるのだ。

 去年は私が少し遅れて開館時間に間に合わず、来場者を待たせてしまったから、今年はそんな事の無いようにしなければ。
 SANY4795.JPGありがたい事で開館を待っておられるから、これが逆にプレッシャーになり、今年はどんな展示にしようかと迷う。

 期待してこられる方々に配慮しないと、見学されてガッカリされては困るから、それも考えてしまうのだ。
 よく言われる事は、もっと他の古時計が見たいと言う言葉、その都度、その都度展示は変えているのだが、それでもこんな言葉が出る。
 それほど期待してこられていると言う事、珍品時計を見たいと言う人と、歴史的な時計を見たいと言う人、やはり見たいものが違うのだ。SANY4912.JPG

 見学者全員の期待に副えればよいのだが、そんな事は無理な話、だが出来るだけ近づけなければなならないのだから。
 定番の中條勇次郎製造時計や蛎殻町製造時計、石原町製造時計等のほか、毎年出品している時計もある。
 しかしその時々にて今をもうけて、毎年変えてはいるのだが、数に限りがあるから、場所の問題も含めて。
 一番良いのは動態展示をする事、しかし毎年悩むのもこれ、中々動態展示が出来ないので、少ししか動かせない。

 こんな事を思いながら古時計を選ぶ、去年は6インチの時計を主体としたので、今年は別のものをと考えている。
 なんにしても早いもので、あれから一年が過ぎてしまい、また今年も展示が出来る事に感謝しなければならないと思う。
 さてさてどの古時計が良いのか、早急に選別して、搬送の準備をしないと、またしても期間に間に合わない。

 写真は去年の展示風景、これを参考に今年の展示を考えて、早急に案を練らなければ間に合わない。
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2016年04月03日

やっぱりこれ

    伊達男の必需品




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 伊達男と言えば金時計、懐中時計は伊達男には欠かせないもの、これが無くては始まらないものである。
 江戸から明治に入り、生活様式にガラリと変わり、頭の上にあった丁髷も無くなり、ざん切り頭が流行。
 長い間頭の上にあった丁髷を落とし、散切り頭にした男達、その代わりに慣れない洋服を着る事になるのだ。
 着物姿から西洋の服を着る事は中々大変な勇気がいるもので、その上に合うかどうかは別としても、ヤッパリ何処かおかしい。

DSCN0570.JPG 今までの和服と違い、活動的ではあるが慣れないせいでぎこちなく、その上短足ではズボンが短すぎるのだ。
 それでも明治の男たちは挙って洋服を着だし、猫も杓子も洋服を着て歩く、そんな姿は滑稽とも言われたもの。
 文明開化とはそんな時代もすんなりと受け入れて、西洋人の仲間入りしようと奮闘中、さぞかし大変であっただろう。
 彼らは時代の波を真っ向から受けて、それを器用に乗り出してのは流石と云えよう、やっぱり努力したのだ。

DSCN0580.JPG 明治の男たちは頑張ったのだと、そんな男たちの必需品と言えば懐中時計、その中でも金時計は一番人気だ。
 しかしこの金時計高価な物であり、誰でもと言う訳には行かず、これまた憧れの代物であったのだ。
 伊達男としてはやっぱり欲しいもの、しかし金時計は高過ぎて手がでないから、銀時計で我慢しなくてはいけない。
 だけど銀時計もそんなに安いものではなく、やっぱり無理しないと買えず、伊達男どもはつらい選択をする事になる。

DSCN0586.JPG 流行とはそんなに甘くなくて、その上金もなくてはならず、伊達男はつらい、それでも彼らは頑張ったものだと思う。
 洋服もちゃんと着こなして、歩く姿も颯爽とは行かないが、それなりに馬子にも衣裳と、そんな姿に懐中時計。
 無理して買い込んだものは、見せたくなるのも人情、胸元からチラリと見せる懐中時計、それどころか、これ見よがしに見せたいもの。
 その辺が伊達男としては、少しばかり見栄を張りたいのだが、これも中々うまく行かずに、ぎこちなく見せて失敗。
 わざとらしくて嫌味に見え、これでは伊達男としては失格、さりげなく見せるのが伊達たるゆえん、やっぱり伊達男はつらい。
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2016年03月30日

なぜ四つ丸が人気か

    八角より四つ丸


 

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 古時計を愛する人達の大半が四つ丸達磨を好む傾向が強い、八角と比較すれば遥かに四つ丸達磨に人気が集中。
 面白いもので古時計はどんな形が好きかと問えば、大半の人は四つ丸達磨と答え、その根拠はの問い掛けに、可愛らしいからと。
 形の上でも四つ丸達磨の人気は高い、八角型は変化に乏してからだと言うが、八角型の古時計も変化はしている。

 しかし八角のイメージはあまり良くはないもの、どちらかと言えば定番で可愛らしくないと、古時計において可愛らしいとは何か。
SANY4078.JPG 一般に古時計愛好家でも、八角型を好きな人はシンプルにものを好む、スタンダードの形をしたものを好む人が多い。
 四つ丸達磨はシンプルとは言えず、逆に派手さを持っている時計と言えようが、その中でも金達磨はその筆頭。

 四つ丸達磨のを好きな人は派手な時計を好むものなのか、しかし四つ丸達磨でもシンプルなものも、金達磨より生地達磨の方を好む人も。
 確かに金達磨は人気の上では三本指に入る時計、特に本四つと呼ばれている四つ丸達磨、この形の時計が一番人気。

 SANY4834.JPG全体のバランスから言って一番余はバランスを持った時計だと思う、だからこそ四つ丸達磨を好むものなのだ。
 バランスで言うならば姫達磨の方がバランスは良いと思うが、どちらかと言えば四つ丸ではないかも知れないが人気は高い。
 形が良くて可愛らしいから、誰にでも好かれるタイプの時計、特に最近の女性には人気が高くて、達磨時計の中で一番である。

 男性と女性では好む形が違うが、たまたま四つ丸達磨は双方から人気が高い時計、やはりバランスが良いからだろうか。

 その点、四つ丸達磨でも張四つ達磨は、二つの四つ丸と比べれば人気は落ちるもので、少しやぼったいように見えるらしい。SANY0179.JPG
 バランスの上ではドン詰まり感があり、本四つ達磨と比べれば確かに張四つはやぼったいかも知れない。
 これは単に感覚から来るもので、四つ丸だけがその様なものではなく、八角型の中でもバランスの良いものと、そうでないものも存在する。
 やっぱり見た目は重要で、中の機械が良いものでも、外形上で判断されているようで、四つ丸はその筆頭かも知れない。
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2016年03月19日

蛎殻町の文字盤

    詳しくは知りたい

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 蛎殻町製造の文字盤、今までにも何回かブログに取り上げてきたが、なぜかしら質問が多く、その都度答えてはいる。
 今までに写真に撮ったものが何枚かあるが、それでももっと知りたいとの事、私の写真の撮り方がまずいせいでよく分からないのかも知れない。
 それで今回も同じように撮ろうとしたが、どこを撮れば良いのか迷い、結果これでよいのかと取り直して見た。

 何処が分からないからよく見たいとの事だが、実際は写真では分かり辛いもの、細部的には写真では理解できない。
 勿論それを分かっているからこそ、今回も写真の撮り方を悩んだが、結果はこの撮り方になってしまった。DSCN0473.JPG

 この蛎殻町製造の文字盤、何度となく説明の中で言って来た事だが、木製の縁造りであると、しかしこれが分かり辛いらしい。
 写真では質感が伝わって来ないこと、勿論手に触ってみるのが一番早いのだが、写真ではそれが出来ないから。

 どの様にしたら希望に沿うような写真が撮れるのか、色々試みたが私の力ではこれが精一杯、プロの写真屋ではないから。

 縁取りは見た目よりも太くて野暮ったい、何処となく繊細さに欠け、駄々びろいムードであり、幅も広いもの。
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 止めビスの位置は12時の上と5時と8時の位置にある、大体三角形の位置に穴が開いているが、木枠のせいで穴が大きくなっている。

 文字盤の裏はブリキ板が木枠に沿って釘で止められているから、それを見ると木製の縁であると認識できるのだ。

 金属製の文字盤の縁と思うと遥かに幅広くて分厚いものになっているから、木枠であると気付く事が出来るが、やはり現物を見ていないと分かり辛い。

 文字盤は意外と重くて、金属製の文字盤と変わりないくらいの重さ、見た目よりも重いと感じるのだ。
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 紙の文字盤であり、ペイントと思っている人にとっては意外、良く紙の文字盤でオリジナルのまま現存している。

 文字盤中央の指針の穴の下に、アルファベットのAの記号が印刷されているものもあり、新居常七の頭文字と言われているもの。

 一番良い文字盤はAの記号が付いているものだと思うが、紙なるがゆえに中々手に入れる事が難しいものだと思う。

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2016年03月11日

和時計の鐘

    だんだん浅くなる




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 和時計、日本で生み出された時計、不定時報に適合するように造られたもの、日の出、日の入りをもととした時間を刻む。
 和時計は西洋時計をモデルとして造られているが、いつの時点で日本の時間に合うように造られたのか不明である。
 津田助左衛門が造り出したと言われているが、その生み出した記録は残っていないから、現物での立証となる。

 しかしながら初代の津田助左衛門が製造した和時計は現存していないから、立証は難しく、推測の域を脱しえないもの。
 現存している和時計で一番古いとされるのが、1600年初頭のもの、この頃のものはほとんど残っておらず、一番古いとされているものは中頃のものだ。
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 この時計の鐘、初期型の時計には深鈴と呼ばれる鐘がついており、お寺の鐘に近いものが付いているが、何故この形かは不明だ。
 何故ならば初期の鐘とされるものは深鈴、しかし西洋時計をモデルとした割には、お寺の鐘を何故付けたのか不思議でならない。
 現存する家康に献上された時計を見ても、そんな形の鐘は付いていないからだが、普通はその金と同じ形の物を造るのが自然だと思う。

 しかしながら西洋時計の鐘らしきものがついている初期型は見ない、見ないと言うよりは現存していないと思われるからだ。
 そもそも西洋から齎させた時計を忠実に再現したとするならば、当然同じような鐘が付くはず、何故同じ鐘が付いていないのか。
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 津田助左衛門があえて鐘だけは日本の鐘を付けたと、そんな風にはどうしても思えないもの、自然であれば深鈴は付かない。

 この点の事は今までに論議がされていないもので、何故論議がないのかも疑問、あんなに形が違うのに、直ぐに鐘だけが日本風になるものなのか。
 私が一番印象に残っている敷物の鐘は、ブリキのバケツみたいな形をした鐘、当時何でこの中たちの鐘が付いているのかと不思議に思ったものだ。

 写真の鐘は私が所有している和時計の鐘、初期型に近い鐘から、明治に近い時代の鐘まで様々なものがあるが、台数が少ないためにこの写真だけである。
SANY0695.JPG この鐘を見ても、西洋時計らしき鐘ではなく、やはりお寺の鐘に近い形、幕末になれば日本の鐘らしき形になっている。

 浅鈴と言われる鐘、初期型の三分の一以下のもの、非常に薄い形の鈴、これはろくろの技術が進歩したことを表しているものだ。

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2016年03月09日

流行の時期

    時代の先駆け



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 1880年代、パリ万博が好評を博し、これにより世界の目がパリに集中、一気に産業が進歩するきっかけとなる。
 その後次々に万博が開かれ、数々の新しいものが発表されると同時に、それらのものが流行りだす、新たな流れが出来上がる事になる。

 その一つが鉄鋼、今までの鉄と違い新たな分野にこの材料が使われる様になり、一気に建築ブームを造り出し、新しいものが建設された。
 その代表格がエッヘル塔であり、この塔が完成すると同時にパリのシンボルとなり、鉄鋼の存在も重要な素材となる。
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 今までにないものが新たに造り出され、アールヌーボとも相まって、流行を生み出し、次々と新しいものが生まれた。
 その中に懐中時計もいち早く鉄を取り入れ、流行の先端を行く事に、今までに無い素材を懐中時計に取り入れる事は非常な冒険でもあった。
 金や銀と言った貴金属ではなく、新たな素材ではあるが、決して派手ではないもの、そんな素材を取り入れて懐中時計を製作。

 これもエッヘル塔の影響であり、新たな素材への憧れでもあったようで、今の我々が感じる事と違い、この当時は単なる鉄ではなく、流行の素材であった。

 金や銀で造られていたものが、我々には格下の鉄を何で素材として選んだのか、理解に苦しむが、当時は最先端であったようだ。SANY0683.JPG
 少し前のチタンが持て囃された時代と同じようで、この頃の鉄鋼は新しい素材、その扱いはチタンと同じようなもの。
 新しさが先に立ち、時代の流れであるから、最新式の素材と受け止められたもの、しかしさぞかし当時の職人はやり辛かったと思う。

 金や銀はまだ柔らかな素材、鉄鋼等の硬い素材では、外側を造るのにも以前よりは難しく、また綺麗に出来なかったと思う。
 あえてその素材を使ったのには、時代の流れであると割り切っての事、何時の時代でも流行とは凄いものだと思う。

 何の抵抗もなく、新たなものを受け入れて、自分達のものにしてしまう自由さと行動力、流行とはそんな力がSANY0690.JPGあると思う。
 懐中時計の高級機に、あえて鉄を使って造り出されたもの、それが流行であったとは、今思うと信じられないようだ。















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2016年03月01日

内国博覧会出品

    蛎殻町製造時計


SANY5017.JPG 古時計愛好家から蛎殻町製造時計の博覧会出品時計をもっと詳しく知りたいとの事、今までに何回となく写真を出しているが。
 それでもモット知りたいとの事、熱心な愛好家が居るもので、研究心は大いに歓迎する所、参考になれば幸いである。

 この博覧会出品の時計は、至る所に今までにない部品が使われているもので、この時計専用に造られたものであると思われる。
 当然のことだが、出品する時計であるからして力の入れ方が違うもの、今までの時計とは違うものを造り出したのだと思う。

 明治23年と言えば、新居常七の蛎殻町製造所は大変な時期であったと思うが、記録によれば明治24年には時計製造から撤退しているのだ。SANY5022.JPG
 博覧会に出品する事を巻き返しの狼煙とも思えるが、それが現実は製造撤退と言う事に、厳しい現実であった。
 そんな時期に造られたこの時計、やはり意気込みが違っていた事は確か、随所にそれを物語っている部品が使われている。

 一番驚くのは中三振の機構、秒針が中央から出ている事、今までの蛎殻町の機械にはなく、また当時の時計の機械にもないもの。

 西洋時計の高級品に使用されていた機構を取り入れて、出品する機械に取り付けたものと思うが、研究がなされたに違いない。

 そして博覧会の記録にも残っている記述に、振り子の支柱に使われた素材が竹製であった事、漆塗りの平たい竹を使っている点である。SANY5032.JPG
 竹は伸縮しなくて木よりも正確に時を告げられるものだと記述してあり、この時計にその竹製の振り子の心棒が付いている。
 そして時計に貼られているラベルの事も、質問の内にあるもので、この頃のラベルなのかとの事、このラベルに付いても同時期のものであると確認している。

 明治22、23年頃のラベルに違いなく、同じ時代の時計には頃ラベルが貼られており、疑う余地はないと思っている。

 文字盤に付いている(A)のマーク、このAは新居常七の頭文字Aから来ているものなのか、それとも他の意味があるのか。

 SANY5049.JPGそんな質問もあったが、私も新居常七の頭文字だと思っており、Aの印は頭文字であると確信しているのだ。
 幾つかの疑問は、内国博覧会に本当に出品されたものなのかとの疑問から来るものと思うが、色々な見地から見て、この時計がそうであると思っている。

 今後も研究はして行く事だが、現在までの博覧会当時の記述に適合しており、現存している類似したものがない。
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2016年02月22日

振り子室のラベル

    ラベルの色




SANY4577.JPG 古時計愛好家からの質問、振り子室のラベルの色は黒だけでしょうか、今までに黒しか見た事がないから、他の色はありますかとの質問。
 古時計には色々な種類の時計が存在し、色々な会社も又存在しているから、色々な振り子室のラベルがあります。

 質問では黒色のラベルしか見た事がないとの事だが、それは黒色のラベルが貼ってある時計が多いからだ。
 数多くの古時計のラベルは黒色が多く、大抵の会社のラベルは黒、だから黒色だけであると思われても不思議ではない。
 この振り子室のラベルは製造者を示すためのもの、トレードマークと言って良いもの、会社の宣伝でもあるのだ。SANY7141.JPG
 何処の時計会社が製造した物だと分かるように張り付けてあるもの、そのほとんどのラベルが色々である。

 何故黒色のラベルであるかは不明であるが、何時のころより黒色になったかは分からないが、アメリカ製の時計を見ると少し違う。

 勿論日本の時計はアメリカ製の時計のコピーであり、其れに付いていた振り子室のラベルを真似て造られているもの。
 しかしアメリカ製の時計のラベル、古い物は白色のラベルが貼られている事が多く、勿論黒色のラベルも存在している。
 SANY7129.JPG日本の古い時計も白色のラベルが貼られているものもあり、黒一色ではないのだが、何故かしら次第に黒色のラベルが多くなってしまったようだ。
 では白色ラベルのほか、どんなラベルの色があるのかだが、赤色のラベルや紫のラベルも存在している。
 そしてピンク色のラベルも見た事があり、一概に白色と黒色だけしか存在していない訳ではないのだ。

 勿論ピンクとか紫とかは特殊な例であり、数は少なく、余り貼られてはいないが、存在はしているものだ。

 振り子室のラベルの色も探して見ると、色々な色が存在しており、それを探すのも面白い事と思うが、一度気を付けて見てみたら。DSCN0421.JPG

 蛎殻町製造時計のラベルも変わった色のラベルが貼られており、黒色だけではないので、三色が存在しているのだ。
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2016年02月13日

鳴かないから

    直して欲しい



 
 DSCN0408.JPG久し振りに例の男が登場してきたが、此奴が来ると今までにろくな事がないから警戒、案の定面倒な事を言い出した。
 機械オンチのこの男、何時もなんだかんだと言って来るから厄介、しかし憎めない男でもあり、友人でもあるのだ。

 機械オンチの癖に何時も機械ものを持って現れ、事件を起こして来たが、良い事も少しはあったから仕方がないのだが。

 持って現れたのは手塚の鳩時計、とうしたのかと聞けば「知り合いが直して欲しいと言われて持って来た」と訳の分からない事を言う。
 自分が直せない事は分かっているのに引き受けて来て、私に直せと言うのだから蒸しの良い話でもあるのだ。
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 何時も他人には良い顔をして来て、この私に難題を押し付けて来たもの、今回も面倒な事になると思い、忙しいからお前が直せと言う。
 直せない事は百も承知、しかし此奴にはいつも甘い顔をしてはならないので、厳しい言葉を投げかけないと、無駄だとは思っているが。
 案の定こちらの話は聞いていなくて、「銭方が早く直して欲しい」と言っているので頼むと、すました顔で言うのだ。

 此奴と話は出来ない、何時ものらりくらりと、結果は何時も修理されられているものだが、今回もそのような状態に。
 DSCN0409.JPG本人は気安く頼まれて来るのだが、修理は此方がしなければならない、そんな不合理が合って良いのかと思いつつ、この男に言っても仕方がない。
 話を聞けば、鳩時計が鳴かないから直せと、簡単に直るだろうとも言う、のんきな男だ、そんなに簡単な事ではないが、彼には機械が分かっていないから無駄だ。
 調べてみれば、ふいごが破れており鳴かないのは当たり前、ふいごの紙を張り替えれば鳴くようになるが、これが又面倒な事になる。
 張るのは簡単であるが、紙の折り方が難しくて面倒、前も何回か直したが、やっぱり面倒な事になってしまった。
 一番簡単なのは新しいふいごの本体を付け替えれば良いが、ふいごが合えば良いのだが、丁度よいのを探さなければならない。DSCN0411.JPG

 仕方なく手持ちのふいごを探し、丁度合うのを見つけ、取り替える事にしたが、この男は私を何だと思っているのか。

 修理ばかりさせて、それでいて少しも悪びれる様子はなく、むしろ威張っているから始末が悪く、それでも酒を持って来るから、それに騙されるのだ。
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2016年02月09日

何故止まるのか

    地球儀が動かない




 SANY7613.JPG豊橋時計、明治期唯一の地球儀時計として製造されたもの、教材用として開発されたと言われているが、実際はどうであったのか。
 他社が製造しない特殊な時計を目指して、明治31年愛知県豊橋市に時計製造会社が誕生するが、普通の時計を製造するのではなく、地球儀時計を製造した。
 短期間でその使命を終えてしまった時計製造会社で、現存数も非常に少なく、幻の時計と言われている。
 しかし人気は高くて市場に出れば引っ張りだこ、高値で売買されており、人気の高さを改めて痛感するものだ。

 この豊橋時計の地球儀付き時計、中々難しい時計であり、真面の地球儀が動かないもの、殆どの時計は正確に動かない。SANY8927.JPG

 新しく開発され、当時高価で高級品の時計が何故動かないのか、それには簡単な原因が存在していたからだ。
 豊橋時計を手に入れたが地球儀が動かず、時計も止まってしまうが、何故そうなるのか教えて欲しいとよく質問される。

 折角高いお金を出して買い求めたのに、動かないとは残念で仕方がないと、そんな声が多く聞かれるのも豊橋時計だ。

 もともと機械は普通のものを使用しているために、複雑な機構であり、動力不足である事はハッキリしている。
SANY8913.JPG
 本来であれば、この時計の為に特殊な機械を開発するのが当たり前、だがそれをせずに普通の機械を改造したところに原因がある。
 その上、連結部分のジョイント部分が上手く行かないために、止まってしまう事に、当然の結果であるのだ。
 本体上部にある地球儀は二度の方向転換がなされる仕組み、これがそもそも原因であり、それに地球儀を動かす力が足りない。
 地球儀とジョイント部分の連結も良くないもの、固定されていなくて、心棒に乗っているだけのもの、これでは上手く動かない。
 この仕組みが一番の原因、力が地球儀を回転させるまでの動力となっていないのと、ゼンマイが弱いために、時計本体まで止まってしまう事に。
 もともと設計ミスの時計であり、発想は良いが実際には動かない事に、原因がハッキリしているから、残念な時計である。
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2016年01月29日

和時計の仕組み

    不定時報にそくして



 SANY4339.JPG和時計とは日本独自の時報に合わせた時計、時刻が一定でない日本の時間、その時間を生み出すために造り出した時計。
 はじめは西洋時計をそっくりコピーしたものであったが、不定時報に合わせられる時計に改良、独自の仕組みを造り上げた。

 世界で日本だけの時計、夜昼の時間が違う、一年中時間が違う時計は世界で類を見ないと言われ、独特の時計と言う。

 冬と夏、日本の四季はハッキリと分かれており、夏の時間と冬の時間は全く違う、夜と昼の時間も違うもの。

 夏の昼間の時間と冬る昼間の時間は当然違う事に、不定時報は日の出日の入りを基本としており、一日の時間は日の出日の入りの時間で刻まれる。
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 昼間の一番長い日と一番短い日と比べれば、その時間が極めて違う事が分かると思う、日の出は早く、日の入りは遅くて昼間の時間が長いと、当然それを12で割る時間。
 逆に一番短い昼間の時間を12で割る時間とは全く違う時間となるのだ、それに合わせなければならないから、時計はその時間を造り出す。

 ではどの様にしてその時間を造り出す事が出来るのか、現在の時計ではこの時間を造り出せないのだが、それは定時法で造られているからだ。

 一定の時間で時を刻むため、日の出日の入りに合わせられないのだが、そこを和時計は時間を合わせる努力をしている。
 その一つは時間を計るために天賦を二つ造り、一つは昼の時間を計る天賦、もう一つは夜を計る天賦の二つを造り出した。
SANY4332.JPG
 これを二丁天賦と言うが、江戸中期頃より、より正確な時間を造り出すために工夫された仕組み、昼夜で天賦が違う。
 その為に、当然切り返しを図らないと昼と夜に切り替えれないので、自動的に切替わる機構を考え出した。

 写真はその機構、天賦の心棒を支える板が二つあり、一つが下に下がって居る時にその天賦が時間を刻んでいる。
 つまり活動して居る時は天賦の心棒を支える板が下に、活動していない時は上に上がり心棒を持ち上げる事により、その天賦は時間を刻まない。
 この板の下には三角形の部品が付いており、これが回転して上下に切り替える役目を果たし、昼と夜の切り替えをする。
 この仕組みが和時計の独特の仕組み、この切り替えでより正確な時間を生み出していたのであるが、これだけではまだ不十分であった。
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2016年01月16日

くちなしで

    和時計の留め金


 
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 和時計、日本独自の不定時報に合うように製造された時計、世界に類を見ないと言われている時計だが、明治時代に海外に多く流出。

 明治新政府により定時法が採用されてから、和時計はその使命を終え、時代の闇に飲み込まれ、姿を消してしまい、忘れ去られた。
 その一方海外では和時計は人気で、非常に値段も安く海を渡ってしまい、日本から多くが姿を消してしまい、海外のコレクターの手に。

 特に置時計や高級な台時計などがその対象となり、良いものほど安く買いたたかれ、残念な事に海を渡ってしまったのだ。
 日本人と違い海外のコレクターはもとの姿に戻そうと、折角時代の付いた姿を消し、ピカピカな状態にしてしまい、台無しになってしまったものも多い。
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 彼らは時代の付いたものは汚いと、すべて磨きをかけてしまい、自分流に改造もしているから、海外に流れたものはもとの姿のものは少ない。

 私も多くの和時計を海外で目にしたが、やっぱり多くは改造がなされたものを見ているので、海外で和時計を手に入れる時は注意して見る事が必要。

 その原因の一つが日本人が手にかけたものの多く、外国人好みに派手な改造をして、豪華に見せかけたものもあり、大が違っていたり、変の所に家紋が入っていたりする。
 それも当時日本人が和時計の評価が低かった事にあると思うが、昭和に入り海外から里帰りしたものも多く、日本の市場に流れ始めた。

 そんな和時計、各地で製造されており、何処で製造されたものなのかよく聞かれるが、これと言った証拠はないものが多くて、ハッキリしない。SANY3078.JPG

 しかし製造者によっては特長があり、特定できるものもあるが、銘が入っていないものが多く、大まかな範囲での判断と言えよう。

 今回の留め金に付いてだが、中期後らから製造されている袴腰の和時計、この時計には鐘の留め金には梔子手と呼ばれる形の留め金が付く。
 この梔子手、植物の梔子実の形をしている事から、そのように呼ばれている留め金、しかしこの形の留め金、一つ一つ形が違うものがある。

 当然の事だが手造りである事から、同じ形のものはないが、産地によっても違いがあり、梔子手と言ったもやはり違うもの。

 一つを見ていると、そんな事は思わないが、多くを並べてみると違いが歴然として分かり、色々な種類の留め金が存在している事が理解できる。SANY3151.JPG

 写真がその梔子手の留め金、良く見ると同じような形でも、それぞれに個性があって、手造りであるとハッキリ分かるものだ。


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2015年11月29日

かざりの色々

    個性を出すには




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 西洋時計、明治期日本で多く製造された西洋時計、西洋のコピーから日本独自のデザインに移行する。

 もちろん日本の職人たちの汗の結晶である事は言うまでもない事、日本人の感性のあらわれであるのだ。

 西洋時計を研究する事は日本の近代化に貢献する事、彼らに課せられた課題であり、それを達成する事が使命でもあった。

 そんな日常が続く毎日、その中から日本人独自のアイデアが、江戸時代から培われて来た美の結晶でもある。
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 西洋の時計は合理的なデザインが多く、日本人に合ったデザインとは少し違うもの、だからこそ合うデザインを造り上げる事。

 そしてもう一つは過当競争による市場原理、それを生き抜くための手段でもあった事は確かな事実である。

 そんな状態が色々なデザインが考え出され、市場に提供されることになるが、市場は甘くはなく、中々厳しい状態でもある。

 日本人に合うデザインとは何か、西洋にはないものと言うが、全体が日本ではピッタリ来ないもの、其処に和洋折衷案が出来上がる事になる。SANY6864.JPG

 必然から生まれ出たデザイン、西洋でもない、日本でもない、そこには折衷案が生きているのだと思うが。

 出来上がったものは彼らの思いを一身に受けたものに、考え出されたデザインは市場の反応がすべてでもあった。

 現存している古時計を見てみると、当時の人々が支持したデザインは何か、時計が受け入れられたものか、やはり気になって仕方がないのだ。

 勿論色々なデザインが生み出され、製品となって市場に出たが、売れ行きはどうであったのか知る由もないが、残っている時計で判断するしかない。
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 当時は多く製造された物でも、現実に残っていなければ分からず、古載っている時計が少なければ売れ行きが良くなかったとも言える。

 しかしそれだけでは判断に間違いを生ずることも、人気があったが現存していない時計もあるのではないのか。

 そんな疑問を持ちながら、古時計を一つ一つ研究しているとねそこには彼らが如何に苦労したかが浮かび上がって来るのだ。

 古時計とは不思議なもので、当時の最先端の機械であったもの、其れが今古時計と言う名の機械となったのだ。
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2015年11月17日

ゼンマイが切れた

    厄介な事に


 
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 古時計を扱っていると色々な故障に出くわす事になるが、自分が直せる範囲であれば良いのだが、扱えないものも多い。
 古時計愛好家の中には自分で修理する人も居るのではあるが、しかしながら殆どの人は機械までは扱えないでいる。

 簡単な修理と言っても、何処までが簡単なのかと、確かいその通りで機械にうとい人にとっては未知の世界とも言う。
 古時計愛好家だから機械に精通しているとは限らず、逆に時計は好きだけど機械は苦手、そんな人も多いと聞く。
 私もはじめの頃は機械は好きでなく、もっぱら修理は苦手であったが、数が多くなるにつれ、故障も多くなってしまう事に。
SANY0815.JPG そうなれば修理代も高く付き、おいそれと修理に出す訳にも行かなくなり、自分で何とか修理する羽目になるのだ。

 見よう見真似で修理することに、自分で修理を行ううちに次第に腕も上がり、簡単な修理が出来るようになる。
 修理代がもったいないので、結果は自分で修理するしかなく、それが身に付く事になったのだと思う。

 色々な物を修理するうちに、妙な自身が付き、次から次へと修理が進む事に、それが又腕を上げる要因となった。
 今回の写真の時計、良くあるゼンマイ切れだが、これは注意しないと危険が伴うもの、私も何度か経験した事だが、非常に危険な事だ。
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SANY0819.JPG 時計のゼンマイは自分が思っている以上に力が強く、指を落とす事もある危険な作業、うかつに障って怪我をする事にもなりかねない。
 そんなゼンマイ切れ、先ずは針金で、これ以上戻らない様にする事は、ゼンマイを取める事、修理屋は太い針金の器具を持っているが、素人は針金で縛るしかない。

SANY0830.JPG これが一番簡単で確実な方法、しかし箱一杯に戻ってしまったゼンマイに針金を巻く事も難しく、ドライバーやペンチを利用して針金を巻く。

 この作業をしないと、箱から機械を取り出すのに手間がかかってしまい、中々広がってしまったゼンマイが邪魔をして、取り出せないのだ。

 そんな作業をするときには、振りバネやアンクルなどは邪魔になるから、はじめから取り除いておくことが肝心。

 修理とは経験が一番早い近道と思うが、修理代欲しさに自分で修理を行うちに、修理も上達して行くのだと思うが。
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2015年10月25日

名古屋の時計

    生き残りをはかる




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 明治大正期の時計製造、全国で多くの時計製造が盛んに行われ、数多くの国産時計が誕生した。
 西洋時計を国産化し、国内で時計製造がはじまり、その結果過当競争が激化、生き残りをはかり各社は奔走。

 西洋時計が市場にあふれるとともに、価格競争も又激化、量産によるコストダウンも始まる事に。

 そのような市場の状況か、輸出に活路を求め海外に市場を求めたが、ここにも過当競争がはじまる事になる。

SANY2082.JPG 時計製造会社が次々に倒産、それでも新しい製造会社生まれ、その都度激戦が続く事になるのだ。

 そんな業界は新しい時計を求め、価格と精度を求めるようになり、それに対処するために各時計製造会社も又これを追い続ける事に。

 この様に国産時計の製造は過酷な競争を繰り返して、その都度新しい会社が出現して行くが、長きにわたって製造する事の出来た時計製造会社は少ない。

 生まれては消え、消えては生まれると言う目まぐるしく回転、次第に数少ない製造会社しか生き残らなかった。

 SANY4453.JPG生き残りをかけて時計を製造した会社は、それなりの努力をし、他社に負けない時計の開発に取り組んで来た。
 特に激戦区であった名古屋地域の時計製造会社は、他社との差別化を早くから行い、少しでも先に進む事を選択した。

 そんな激戦区だからこそ、新しい時計が生まれ、市場に送り出されて行くが、成功した会社は少ない。

 それだけ時計製造は難しかったと言えるが、大半はやはり輸出の失敗が原因で、これも価格競争のあおりを受けたのだ。

 各社は市場を国内に求めるのか、それとも海外に求めるか、選択を迫られる事になり、其れが命取りともなった。

 写真は名古屋地域で生き残りをはかった証の時計、他社との差別化を進めた結果、誕生した時計達である。
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 激戦区を生き抜くためにも、必要に迫られて生み出された時計達、しかしこれらの時計製造会社も多くが成功したわけではない。












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2015年08月15日

どれが一番少ないのか

    珍品時計の数


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 古時計愛好家からの質問が多く、特に珍品時計はどの様にして手に入れれば良いのか、どの時計が最も珍品なのかと。

 愛好家ならずとも古時計の珍品とはどんなものか、知りたい人は多いと思うが、その種類は様々だからこれと言う訳には行かない。

 前にも話したと思うが、古時計の珍品とは特に数が少ない時計だとかね市場で中々手に入らない時計とか、製造数が極端に少ないとか、それぞれである。
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 だからどれと言う事は確定しないが、確かに極端に数が少ない古時計は存在するので、其れらしい事は言えると思う。

 良く知られている古時計は蛎殻町製造の時計、精工舎の石原町製造の時計がそれに当たるが、両社とも相当数の数は存在する。

 全国の古時計愛好家の手には大分持っておられるから、合計すれば相当な数、しかし市場に出回らないから少ないと思われている。
 事実、私も何台かの蛎殻町や石原町を持っているから、その数だけでも市場に出回れば、愛好家も喜ぶかも知れない。
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 的を絞るとすれば、歴史的に価値のある古時計と言う事になるが、例えば西郷隆盛が持っていた懐中時計とか、徳川慶喜が持っていた懐中時計。

 もしくは内国勧業博覧会出品時計とか、万国博覧会出品時計等もそれに値する時計であり、歴史の証人たる時計だ。

 この様に歴史上で記録されている古時計は極端に数が少ないもの、だからこそ珍品時計と言われる。
 しかしこれらの時計は台数が限られており、多くの人が手にすることは出来ず、幸運な人しか手に入らない。SANY1106.JPG

 全国の古時計愛好家が探し求めている時計だからこそ、貴重な古時計だが、現存しているかは不明だ。

 現に西郷隆盛の懐中時計と言われるものは二台あり、二つとも博物館に寄贈されているのだ。

 博物館にある時計は個人で所有する事は無理、高嶺の花と思うしかないのだが、ひょっとして偶然に見つかるかもしれない。
 珍品時計とはなかなか手に入らない、台数の少ない時計、だからこそ珍しい時計と言えるもの。
 古時計愛好家の皆さんは、是非ともこれらの珍品時計を探し求めて手に入れて欲しいものだと思う。
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2015年07月30日

小さな鳩時計

    鳩は鳴かない


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 カッコウ時計、日本では鳩時計と呼ばれる掛時計、外国ではカッコウ時計、鳩とカッコウ、勿論二つとも鳥の種類。

 カッコウとは森に住む鳥で、鳴き声もさわやかなもの、あの声を聴くと清々しさを覚えるのだ。

 いかにも森林に来たと思わせる演出とも言える鳴き声、朝の清々しい時に聞くカッコウの声はまた格別なもの。

SANY1438.JPG 森林をイメージさせる鳥を上部に付け、いかにも山小屋風の建物に葉っぱを張り付けたデザインの時計。

 1783年にドイツ南西部の森林地区で製造されたもので、通称「黒の森」と呼ばれる地方、如何にも森林を思わせるデザイン。

 この鳩時計ドイツの森林地区で造られ人気を博し、世界中に広まった時計と言われているが、別にドイツだけで製造されている訳ではない。
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 良く似たデザインの掛時計は各国で造られているが、やっぱりドイツ物が人気、発祥の地らしく雰囲気がそうさせる。

 ではカッコウ時計が日本では鳩時計と呼び名を変えたのは何故、一説にはカッコウは別名(閑古鳥)
と呼ばれ、不景気を連想させる名前だから嫌われ、鳩に変わったらしい。

 事実はともかく日本では鳩時計と呼ばれ、親しまれている時計であり、人気な時計として多く製造されている。
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 そんな中、鳩時計としては極小のもの、写真の時計縦16センチから17センチ横12センチの大きさ。
 鳩時計としては小さいものだが、本来鳩が時刻を告げる機構がないもので、時刻が来ても鳴かない。

 時代的には古く大正期から昭和に製造されたものと思われ、文字盤は紙で出来ているものだ。
 機械は玩具時計と同じようなものが入り単純な機構、子供部屋に使うために作られたといわれているが、実際は普通の時計である。
 写真左のものが古くて、右のものはその後に製造されたもの、細部的に見ると少しづつ違う場所がある。


 
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2015年07月22日

古時計の展示

    どのように見せるか


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 古時計の展示程悩むものはなく、どのように展示をしたら良いのかと迷う事しきり、やはり難しい。

 何故ならば時計そのものは殆どが壁に掛けてあったもの、何処の家庭でもどこかに時計が掛けてあったはずだ。

 当然だが掛時計は壁に掛けるのが一般的、普通の姿が壁であるのだから、あったままを展示しても良いのか。

 SANY2109.JPG勿論掛けて展示をするのは当たり前で、その掛ける場所が問題なのだが、どのように掛けるかだ。

 なんだか堂々巡りみたいだが、その掛け方が問題,唯並べてかけるのが普通なのかとも考えたりするが、其れでは展示ではないと思う。

 博物館などで展示すると、決まって一定の間隔で整然と並べて展示されているが、これでは面白味がないと思っている。

SANY0750.JPG 時計展であるから当然時計だけ並べるのが普通、他の物を並べたら時計展がぶれてしまう。

 そんな事を思っている展示は固すぎ、もっと楽しく展示したいので、時計とは関係のないものも含めて展示したいのだ。

 楽しめる展示、ただ並べるだけの展示はしないと、だから尚更展示か難しくなるのだと思う。

SANY5017.JPG 其れも一定の間隔での展示ではなく、ある時はジクザグニ並べたりして変化を求めたりする。

 それとか時計の雰囲気を高めるために日用品を同時に並べ、関係のないものとのコラボもしたり。

 時計関連グッズも一緒に展示したりと変化を持たせ、親しみやすい展示を心掛けたいとも。

 色々な展示方法を試みたが、どれが一番良いものとはなく、それぞれに変化があってよい。

 雑然と古時計を並べても、それはそれで個性だと思うが、見る方の側にも立ってみないといけない。

 自画自賛では見る方は面白くなく、意外なものとの展示が一番、変化球が一番だと思うが、果たしてそれで良いのか。
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