2016年05月31日

何処の時計か

    製造所が分からない


 
SANY7104.JPG 明治期、全国で西洋時計が造られていたが、大きな時計製造会社は記録が残っているから、それを辿れば良い。
 しかし小さな時計製造会社は記録もなく、駄々現物が残っているだけで、何時の時代に何処で製造されたか不明なものも多い。
 そんな古時計が多く存在しているから、古時計愛好家もそれを手にした時、困り果てる事になるのだと思う。
 よく言われるのに、現物を買い込んだが何処の時計か分からないから、あちこち調べているが全く手掛かりがないと。
 調べても名前が出てこないと言われ、現物があるからには製造したところがある筈、しかし調べてもないのは不思議だと。
 明治、大正時代、西洋時計の製造は各地にあったが、小さなところは短期間に無くなっている所も多く、また続いていたとしても記録が無い事もSANY7109.JPG
 そしてもう一つが組み立て会社、この様な時計製造所は自社で販売せず、ただ時計を製造していただけで、販売は別の会社が。
 当時の組み立て会社はどれだけ在ったのかも分かっていないのが現実、数多く存在したと思われるが、現物しか残っていない。
 私の手元にも、訳の分からない古時計が存在しており、何処で製造されたものなのか調べているが、解明できていない。
 例えば東京浅草の伊藤新之助がパテントを取得した、金箔貼り付けの技法、当時の精工舎もこのパテントを使用、時計のラベルに記載されている。
 精工舎の時計には伊藤新之助のはテントと精工舎の文字が一緒に記載されているが、私のの持っている時計には伊藤新之助しか記載が無い。
SANY4214.JPG これは伊藤が独自に時計を製造していたのか、それともパテントだけが記載され、他の製造所が販売したものなのか。
 記録では伊藤新之助が西洋時計を製造した事はないと思われ、もし製造していたのなら、何らかの記載があるはずである。
 勿論当時くパテントの期限は15年と定められているから、それ以後であれば誰でも使用できることになるのだ。
 精工舎がはテントを買い取ったとするならば、写真の時計は伊藤新之助がまだ精工舎に売り渡す前のものなのか。
 それとも、期限が過ぎてからのものなのかは不明であり、この他の時計にも伊藤新之助のパテントの付いた時計が発見されている。
 もう一つの時計は大分で製造された時計、この時計も不思議なものであり、当時大分で西洋時計が造られた記録はない。
 この時計を巡っては、大分在住の人にも記録を探して貰ったが、現在ま
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で大分で西洋時計が製造された証拠はないのだ。
 しかし現物が存在しているからには、大分で製造された事は間違いのないもの、只組み立て会社であったり、販売だけをしていたのであれば分からないとも言える。
 普通は勧業年報に記載されていなければならないのだが、その起債記録もないとの事、益々分からない時計である。
 何れにしても現物の存在が確認されている以上、大分で販売された事は確かであり、これからも研究課題である事には変わりないもの。







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2016年05月27日

ゆらゆらガラス

    ゆがんだ表面



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 古時計にはまっているガラス、古い時計にはゆらゆらのガラスが嵌めてあり、針が歪んで見える時もある。
 何でこんな歪んだガラスが嵌めてあるのかと言う人も、確かにガラスの表面が歪んでいることに気付き、文字盤の字が読み難いのではないのかと。
 正面から見ればさほど感じないが、少し斜めから見ると明らかに歪んで見え、時計なのに何故こんなガラスが使ってあるのか分からないと。

 普通ガラスとは表面は真平らであり、物が歪んで見える事はないので、ゆがんだガラスがはめてあるのがおかしい。DSCN0762.JPG
 そんな事を思う人は多いのだと思うが、今のガラスを知っている人は当然こんな事を言うのが当たり前のこと。
 現在のガラス板は水平の歪んだものはなく、歪んでいたら不良品であり、そんなガラスはおかしいものであると。
 古時計のガラスは歪んでいるのが正しいガラス、今のガラスと違うもの、昔のガラスは製造方法が違い歪んだ物しか出来なかった。
 人間がガラスを吹いて、風船玉みたいに大きくし、それを熱いうちに鉄板の上で切り開く、そして平たくするが、「まったいら」にならないのだ。
 だから古時計には歪んだガラスが嵌めてあるのが普通のこと、逆に平らな歪んでいないガラスが嵌まっていたら、それは新しいガラス。
 知らない人はゆらゆらのガラスが入っていると不思議そうに眺めてDSCN0859.JPGいるが、ガラスは平らなものと思っているからだ。
 古時計のガラスが割れてしまい、大騒ぎをする人がいるが、それはゆらゆらのガラスがなかなか手に入らないからだ。

 入ったとしてもガラスの値段がビックリするほど高いから、それを知らない人は「ガラスなんて何時でも手に入る」と思っているのだ。
 しかし実際にゆらゆらのガラスを手に入れようとすると、むつかしいのが現実的に分かるはずと思う。
 偶然に同じ大きさの壊れた古時計があれば、そのガラスを取れば良いのだが、そんなうまい話は簡単にはない。
 ゆらゆらガラスを探し当てて、交換してもらえばビックリする値段になり、改めてゆらゆらガラスの有り難さが分かると思う。DSCN0855.JPG
 私も何度かゆらゆらのガラスを割ってしまい、ガラスを嵌めて貰らった。
その上高い値段を言われたことか、しかしそれでも入れたいと思うのも愛好家だから。
 古時計の文字盤を斜めから見て、歪んで文字が見えれば、その時計はオリジナルのガラスが嵌まっていると思って良いと思う。

 歪んだガラスは貴重だから割らない事だと思う。





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2016年05月20日

ラベルを見て

    古時計のラベル

 

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 古時計の成り立ちから製造まで、明治期の時計について色々と取り出さされているが、それは国産時計の内ほんの僅かなもの。
 殆どの時計はやぶの中であり、資料としても分からず、また研究もされていないもの、ほんの一部が表に出ているだけ。
 確かにその通りであり、明治、大正期に全国で製造された時計、数えただけで100社を越しているからだ。
 そんな古時計、名前の知らない時計製造会社も多く、ラベルの名前を見ても知らない人が殆どと言って良いと思う。
 精工舎や林時計などの様に、一般に知られた時計製造会社、この古時計はラベルを見ただけで何処で製造されたかは知られている。
 知られていると言うよりも、多くの家庭で使用されて来たからこそ、その名前も覚えられたものであろう。
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 しかし実際は知られていない時計が多すぎると思うが、私も色々な資料では聞いた事のある時計製造所もあるが。
 実際に見た事のない時計製造会社のものも多く、逆に言えばその数の方が多いと思うが、それだけ古時計の世界はおく深いとも言える。
 まだ振り子室のラベルが貼られているものは、その所在が明らかとなるから、それは判別できると言って良い。
 ラベルには製造元の名が記載されているから、それが大きな手掛かりとなるものであるが、聞いた事のない会社も存在する。
 ここに上げた古時計、中々市場ではお目にかからない時計製造会社、名前だけでも知っている人はまだ良い。
 しかし聞いた事がないと言う人の方が多いと思うが、これらの時計何処かで見つけたら、是非手に入れて欲しいもの。DSCN0769.JPG
 時計製造会社の存在は確認されているものの、実際には市場で見つからないものだが、そんな時計達。
 時計の形は兎も角として、振り子室に付いているラベルに注目、例え八角型の普通の時計でも、知らない名前が付いていたら覚えて欲しいものだ。
 知らないと言う事は数が少ないと、時計の資料としては非常に重要なものと理解して、保存をお願いしたい。


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2016年05月19日

エッヘル塔と時計

    流行の材質


 
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 パリ万博、1855年に始まり、好評を博して以後幾度となく開催されており、産業振興の役割を果たしたものだ。
 国内産業の停滞を打破する目的で、産業振興を促進するためにとパリで博覧会を開催しようと、当時の皇帝ナポレオン三世によって開催された。
 ナポレオン三世は1851年にイギリスで開催されたロンドン万博に対抗して、パリ万博を開催する事によりイギリスに対抗したと言われている。
 シャンゼリゼに開催場所をもうけ、幅108メートル、横250メートルと大きなものであったが、ロンドン万博の建物の半分しかなかったと言われている。
 しかし規模的には少し小さかったが、蒸気機関や蒸気船などの機械物には先進的な技術を披露して、フランスが産業の主体国である事をアピールした。
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 これはフランスの国際産業の振興と自由貿易の促進を目的とした事は、ナポレオン三世の狙いでもあったと言われている。
 当時はイギリスと覇権を争っていたので、フランスの威信を示す目的でもあった事は確か、その目的をこのパリ万博で発揮したと言える。
 この万博後、フランスは世界に向けて先進国である事を示すと共に、これ以後のパリ万博は盛況を博したのである。

 1889年のパリ万博こそが、最も世界にフランスの力を示した万博であったと言われ、参加国も今までに無い多さを誇った。
 ここでパリが世界的に見直されたのが、エッヘル塔の建設で、世界に類を見ない高さ312メートル、世界一の塔を完成させる。
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 この塔建設は世界にフランスの建設技術が最高のものを持っている事の証と、世界の向けて宣言したのだと言う。
 事実この塔は東京タワーが完成するまで、世界一を誇っていたのは素晴らしい事、75年も世界一を保っていたのだ。
 このエッヘル塔の完成により、鋼鉄の需要は飛躍的な発展をとげ、建設素材として世界的に広がって行く事になる。

 その万博臨場して、色々なものが造られたが、今回の懐中時計もその鋼材で造られ、人気の的となったと言われる。
 今までの金や銀製のものとは違い、最先端の鋼材で造られた事が人気の秘密、今の我々が感じる鉄とは、全く違う感覚であった。
 当時の最先端の素材で造られた事が人気、今で言うチタンやカーボン等といった物と同じ感覚であると思う。
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2016年05月18日

何方が製造し易い

    アンソニアとウォータベリー



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 明治期国産の時計のモデルとなったアメリカの会社、アンソニア社とウォーターベリー社の二つの会社がある。
 このモデルとなった会社の西洋時計、その後昭和まで製造されて日本国内はおろか、海外にも多く輸出された。
 そんな西洋時計、アメリカの色々ある時計製造会社の中、なぜ二つの会社が選ばれたのであろうか、そんな疑問が生まれる。
 今までにも多くの人から、そんな疑問が寄せられ、その都度お答えしているが、それも私の個人的な意見である。

 今までにも多くの先人たちから、数多くの資料が提供され、この問題にも多くが書かれているが、之と言った答案はないと思う。SANY3375.JPG
 もちろん現実に現場で時計を製造されていた人とも、多くの意見を聞く事が出来、参考にもなったと思う。
 師匠の吉田嘉一氏も、その点について多くを語られたが、現実に製造に関わった人でも疑問があるとも言われた。

 吉田さんは時計設計の第一人者であった人、長く愛知時計で実際に時計製造を指揮してきた人、もちろん愛知時計もウォーターベリー型の機械を採用。
 そんな吉田さんだからこそ、何故ウォーターベリーの機械を採用したのかとの質問に、分からないとも答えられた。
 現場での第一人者吉田さんですら、この答であったので、我々が多少の知識で解明できるはずもないが、疑問をわいてくる。SANY1738.JPG
 片方のアンソニア型、これはハートH製鋼所が製造していたもの、もちろん愛知時計とはライバル会社である。
 両者ともに明治、大正、昭和とライバル関係にあり、共に違った機械を製造していたものでね名古屋の時計産業の先駆者。

 そんな名古屋地域の時計製造会社が、各々にアメリカの西洋時計をモデルとして、自社の西洋時計を制作したのだ。
 面白い事に全く違った機械を採用して、昭和まで製造して来たことだが、何処にその機械を採用した切っ掛けがあるのか。
 之からも、その疑問がある以上、資料を探り、事実の結びつくものを探してゆかなければ、解決はしないと思うが。SANY6124.JPG
 写真はアンソニア型とウォーターベリー型の機械、違いは明らかであるが、何方が製造し易かったものなのか。
 一番分かりやすい部分を写真で記載、一目見て明らかな違いが判ると思う、これも参考にしてください。
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2016年05月17日

色々な焼き印

    所有権のしるし

 

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 明治6年以後、新政府が全国の公共の場所に時計を配布、これは近代化を推し進める新政府の意向、多くの時計が買いこまれた。
 よく交番時計と呼ばれているもの、八角型の天賦式の時計、庶民がよく目にした時計、交番に多く掛けられていたことから、通称「交番時計」と呼ばれていた。

 天賦式の時計とは振り子がついていないもの、少し位傾いても止まらない時計、船時計とも呼ばれているもので、船に積まれていた時計でもある。
 当然傾きにも強い時計として船につまれ、大きく揺れても時計は止まらなため、船に積まれていたので呼び名も船時計と呼ばれた。
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 これらの時計を何故新政府が購入したのかは不明であるが、郵便局、交番、駅等に配布された事は事実であり、この時計が選ばれたのか。
 振り子式の時計と違い、傾いても止まらない事が最大の理由なのか、それともこの時計が当時は安く手に入った物なのか。
 カタログで当時の値段を見る限り、そんなに安いとは思えないし、値段ではないとしたら別の要素があったものなのか。
 それにしても、当初新政府は明治6年に6000台とも言われる西洋時計を輸入したと言われるが、果たしてそうだろうか。
 SANY5675.JPGそんな疑惑は兎も角、交番時計だけが輸入されたわけではなく、大型の時計も買い込まれた事も事実、特に役所や学校と言った所に配布されている。
 勿論公共性のある所に時間の重要性と近代化の両立を図るための策、そんな時代に投入された時計が残っているのだ。
 物によっては最近まで使用されたていたものも、それ程大事に使われて来た証と思われるが、それ以上に当時の歴史を伝える証人だ。

 良くネットでも郵便局で使用されていた時計、文字盤に駅逓寮、駅逓局、逓信省などの文字化書かれたもの、それが当時の時計だ。
 この時計の裏側には当時焼印が押されているのだが、これが国所有の証となる印、この焼印がないものも存在するが、それは少ないものだSANY5671.JPG
 殆どの時計の背板にはその持ち主の証、焼印が押されているのが普通、逆にこの焼印がないものは怪しいと思っても良い。
 焼き印のないものは国所有のラベルが貼られているもの、それが無くなってしまったものもあるにはあるが、ヤッパリハッキリしているのは焼き印だと思う。
 史料価値の高いものは焼き印が押されているもの、写真の焼き印はそれぞれの持ち主の焼き印である。
 それと同時に墨書きがなされているから、併用して所有者がハッキリと分かるのも、国所有の時計であるのだ。

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2016年05月16日

紙文字盤

    なんで紙なのか


 

 DSCN0475.JPG古時計についている文字盤、もちろん時間を示すものであるが、知っている時計の文字盤は紙のものが非常に多い。
 今まで見た時計の殆どが紙の文字盤であったと言う古時計愛好家が多く、素朴な疑問として何故文字盤は紙なのかと。
 こんな事を言う人も少なくないと思うが、何で紙の文字盤なのかと言う事だが、確かに言われている通り文字盤は紙である。
 古時計には紙の文字盤が多いのは確か、しかし全部が紙の文字盤で占められている訳ではなく、色々なものも存在している。
 例えばペイントの文字盤であったり、琺瑯の文字盤であったり、金属製の文字盤と色々な素材のものが存在している。

 DSCN0770.JPGその時計にあった文字盤が取り付けられているもので、主に高級機には琺瑯の文字盤が付いている事が多く、ペイント文字盤も多く使用されている。
 そして時計が造られた時代によっても変化があり、時計製造各社の考え方によるものも、一概にこれだと言えないのだと思う。
 大まかな範囲で言えば、指摘の通り紙の文字盤が多いことは確か、八角型の時計には紙の文字盤が付いている事が多い。
 その次がペイント文字盤と言う事になるのだが、では何故紙の文字盤なのかと言えば、考えられる事はコストが安くて早く造れること。
 紙の文字盤は素早く貼れること、剥がすのも簡単であること、これが一番の理由と思われ、各時計製造会社が採用している。SANY0149.JPG
 勿論これだけの理由ではなく、当時モデルとされたアメリカ製の時計の文字盤も紙製のものが多かったようである。
 そなん事でモデルとした時計と同じ紙の文字盤にしたと言う事、偶々モデルとした時計が紙の文字盤であった事と、作業が簡単であった事が採用の決め手であると思う。
 これだけで問題が解決されたとは思わないが、的が外れているとも思わないので、古時計を色々と見て比べて欲しいものだ。
 その中から自分なりの結論が出るかも知れないので、是非多くの古時計と接して、疑問解決に努力してください。
 そして質問は、もう一つが文字盤に貼られている赤い文字の時間、ローマ数字の文字盤やアラビヤ数字の文字盤にも付いている、あの数字は何。
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 この赤い数字、実は戦時中に24時間表示したときの名残、戦時中は午前1時と午後1時と紛らわしいので、あとから文字盤に張り付けたもの。
 午前1時1で良いが、午後1時は13時となり、午前2時は2時、午後2時は14時となる事に、間違いを無くするためのもの。
 その為に色々な貼方がされており、数字を書き込んだものもあるが、戦時中の名残がそのまま残っているものなのだ。
 これも歴史の生き証人であることには間違いなく、殆どのものが剥がされているが、時々残っているものを見る事もある。
 それは、この様な戦時中に貼られたもので、戦争後剥がされたが、其のままになっている時計の文字盤も存在し、質問の数字はこの時のものなのだ。
 写真上から紙文字盤、2つ目はペイント文字盤、3つ目は琺瑯文字盤、4つ目は金属製の文字盤であり、色々な種類が存在している。















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2016年05月10日

今年も追い込みに

    時計展の準備



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 毎年の事だが古時計保存協会の時計展、6月10日の時の記念日に合わせての展示、その準備に入ったが、色々とあり進まない。
 今年のテーマをどうするのか、未だに決めかねているから大変、当然テーマに合わせて展示物を決めなければならないからだ。
 そのテーマが決まらないから尚更焦っているが、これも人に言わせれば何時もの事、毎年泥縄状態だから、さして驚きもしないと。
 土壇場まで決まらない事も今までよくあり、今年もそうだから別に、当たり前の事をしていれば自ずと決まるのでは。

 SANY6927.JPGそんな風に思っている会員さんも、古時計保存協会としては多くの人達に見学して欲しいから、テーマが大事だと思う。

 そんな訳で展示物の選択を色々と思案、去年は割と好評であった事もあり、小型の時計を中心に展示をと思っても居る。
 小型の古時計の展示であれば搬入も容易いが、大型のものであると搬入も大変なら、当然展示も大変な事になるからだ。

 久米邸の場合搬入の道のりが長いので、運ぶのに一苦労するのだが、小型であれば簡単に運べるからでもある。
 特に蔵まで運ぶとなると苦労の連続となり、その上階段があるため、これが運搬の妨げとなるもので、毎年苦労させられる。

 SANY5896.JPGしかし久米邸の母屋より蔵の展示の方が人気が高くて、古時計の展示にはもってこいと、ムードもあってピッタリの場所だと言う。

 確かにムードは満点、来る人、来る人が環境が良いと喜んで貰っているが、やはり運搬が大変、此方としては母屋での展示が良い。
 そんな事も言っておれず、蔵の展示は今年も続行するしかないので、搬入は蔵から先にと考えて、展示内容を検討中。
 蔵内部の壁に釘は余り打てないから、決められた場所しか釘が打てず、展示物が限られるもので、それもまた思案のしどころ。
 小型のものばかりだと迫力に欠け、やはり大型の物も必要であると、そんな事で大型も運ぶ事に決めはしたが、幾つにするものなのかと。

 会員さんの出展も何が来るものなのか、それによって場所の選定も、やる事が山積状態であり、先に進まないのだ。
SANY4098.JPG そしてある事から、「毎年同じ看板だから、今年は変えて見てら」と忠告もされ、それも頭に引っかかっているのだ。
 しかしあの看板は私も気に入っているから、今年もあの看板で行こうと思っているが、サテサテまだまだ先がある。
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2016年04月25日

ラベルに見る

    古時計のラベル



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 古時計に付いている振り子室のラベル、時計製造会社のラベルが貼られているもの、このラベルどれが古い物なのかと言う疑問。
 振り子室のラベルを見れば時代が分かるとも言われており、ラベルの色とか材質により、製造年代の測定が出来ると言う。
 勿論、製造会社の名前が入っているから、会社名は判別できるとしても、その付いているラベルが古い物なのか、新しいものなのかは判別しにくい。
 シッカリとしたその会社の記録があれば、どれが古い物なのかは分かるが、殆どの製造会社の記録はなく、どれが古い物なのは不明なのだ。

 SANY8754.JPGそれを知るには、その時計製造会社の多くの時計を比較して見れば、時代も判別が可能となるのだが、中々多くは難しいのだと思う。
 その上数少ない古時計であれば、数多くを比較する事は不可能であり、またそれだけ揃わないと思うから、別の方面から探すしかない。
 その一つの方法はアメリカ製の古時計、当然の事だが日本の古時計はアメリカ製のコピー、だから振り子室のラベルもコピーだと思われる。

 ではアメリカ製の古時計のラベルはどうであったのか、それを調べれば日本のものも自ずから分かって来るはずである。
 例えば、アメリカ製の7大メーカーのラベルを調べれば、大体の事は判別できると思うが、これがすべてではないのも承知。
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 只古い時代の傾向値はおぼろげながら分かって来ると思われ、その傾向を見れば察しが出来るとも、そんな訳でそれを見る。
 ジェロームやセストーマス社の古いラベルを見るに、その振り子室のラベルは白い紙である事が分かり、その他の会社も主に白色である。
 勿論これが全てでは無いが、概ねの傾向は分かる事になり、日本でもその傾向にあると思われ、中條勇次郎製造の時計も白ラベルである。
 金元舎のラベルは黒色、大阪時計のラベルは白色であり、各社マチマチのラベルの色である事は分かるが、やはり白色のものが古い物と判断できる。
 これは傾向として、今まで見て来たもののラベルでの事だが、案外当たっているかも知れないと思う、只SANY3687.JPGここで気を付けなければならないのは、新しい時計にも白色のラベルが貼られているから。
 大正、昭和の時代の時計にも白ラベルが貼られており、これらと区別しなければならない事も承知のうえでの判断である。

 一概に言えないが、やはり古い古時計には白色のラベルが貼られている傾向が強いと言う事になり、時代測定に役に立つと思うが。
 写真がその一例であり、ラベルで時代測定が可能かどうかだが、それは古時計を多く見て、統計的に判断する事だと思う。
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2016年04月16日

鶏印の時計

    最近よく見かける


 
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 私のもとに最近鶏印の時計の事で質問が寄せられるが、その質問の内容が皆同じもので、実は驚いているのだ。

 何故かと言えば、この鶏印の時計は珍しい時計で数がそんなに多くなく、今までにも古時計愛好家が探していた時計のうちの一つ。
 なかなか見つからない時計として愛好家からも興味を持たれ、あちらこちらで探している人が多かったもの、勿論私もその一人である。

 この鶏印の時計は名古屋で製造されたものだが、今までに発見が少なく、出れば愛好家が直ぐに手に入れ、姿を消してしまう時計だ。
 DSCN0673.JPG市場に中々出回らなくて、愛好家同士の情報から、お互いに流通しあうものなので、市場に出なかった時計の一つである。
 その為に愛好家も情報が薄くて、そのうえ市場に出回らないから、探すのが大変な時計であったことは事実、見つからない時計であった。

 最も製造数は相当数造られているはず、然しながらなぜ表に出てこなかったものなのか、不思議でもあるのだが。
 明治26年に名古屋の清水町で加藤鉄太郎が製時合資会社を設立、鶏印を付けた時計を売り出した記録が存在している。

 名古屋の時計製造所としては早い方であるあるが、その実態は詳しく分かっていないもので、その後社名を河合時計合資会社となるDSCN0680.JPG
 詳しいことは今までにも色々と書いているから省略するが、今回の質問はなんで今鶏印の時計が出回っているのかと。
 あれだけ無いと言われてた鶏印の時計、それが幾つも出回っているとはおかしいのではと言う事だと思うが、その原因が分からないと。

 確かに言われている通り、鶏印の時計は見つけ出すのに苦労したもの、それが何でと言う事だが、答えは簡単だ。
 実は私の知っている古時計愛好家が二人、コレクションを全部売りに出したのであるが、その中に鶏印の時計があった。
 それも一人の愛好家は鶏印の時計を6、7台持っており、それが一気に市場に出回ったもので、もう一人も確か3台あったと思う。
 それが一気に市場に出回る事となり、愛好家の目に留まることになりDSCN0684.JPG、結果はネットでも数台出る始末とあいなった。
 だから愛好家は鶏印の時計を目にすることが多くて、数少ないと言われたのは嘘かと、疑問を抱いているのだと思う。

 現実は簡単なことだが、これだけの台数が一挙に出ると、誤解が始まるのも無理もない話、しかしこの時計は数が少ない事には変わりはない。
 見つけたら手に入れる事をお勧めするもの、これからもそんなに多く出回らない時計であるから、今がチャンスと思うが。
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2016年04月13日

今年も準備に入る

    時の記念日展



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 毎年の事であるが、日本古時計保存協会主催の古時計展、瀬戸市の久米邸で開催しているが、その時期に来た。
 毎年の事だが何を展示するものなのかと思案、何時もの事であるがヤッパリ考えてしまう、それは何時も同じ展示ではと思うから。
 この期間は毎年大勢の見学者が訪れ、特に古時計ファンが遠方より来場、初日には開館と同時に入場されるのだ。

 去年は私が少し遅れて開館時間に間に合わず、来場者を待たせてしまったから、今年はそんな事の無いようにしなければ。
 SANY4795.JPGありがたい事で開館を待っておられるから、これが逆にプレッシャーになり、今年はどんな展示にしようかと迷う。

 期待してこられる方々に配慮しないと、見学されてガッカリされては困るから、それも考えてしまうのだ。
 よく言われる事は、もっと他の古時計が見たいと言う言葉、その都度、その都度展示は変えているのだが、それでもこんな言葉が出る。
 それほど期待してこられていると言う事、珍品時計を見たいと言う人と、歴史的な時計を見たいと言う人、やはり見たいものが違うのだ。SANY4912.JPG

 見学者全員の期待に副えればよいのだが、そんな事は無理な話、だが出来るだけ近づけなければなならないのだから。
 定番の中條勇次郎製造時計や蛎殻町製造時計、石原町製造時計等のほか、毎年出品している時計もある。
 しかしその時々にて今をもうけて、毎年変えてはいるのだが、数に限りがあるから、場所の問題も含めて。
 一番良いのは動態展示をする事、しかし毎年悩むのもこれ、中々動態展示が出来ないので、少ししか動かせない。

 こんな事を思いながら古時計を選ぶ、去年は6インチの時計を主体としたので、今年は別のものをと考えている。
 なんにしても早いもので、あれから一年が過ぎてしまい、また今年も展示が出来る事に感謝しなければならないと思う。
 さてさてどの古時計が良いのか、早急に選別して、搬送の準備をしないと、またしても期間に間に合わない。

 写真は去年の展示風景、これを参考に今年の展示を考えて、早急に案を練らなければ間に合わない。
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2016年04月03日

やっぱりこれ

    伊達男の必需品




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 伊達男と言えば金時計、懐中時計は伊達男には欠かせないもの、これが無くては始まらないものである。
 江戸から明治に入り、生活様式にガラリと変わり、頭の上にあった丁髷も無くなり、ざん切り頭が流行。
 長い間頭の上にあった丁髷を落とし、散切り頭にした男達、その代わりに慣れない洋服を着る事になるのだ。
 着物姿から西洋の服を着る事は中々大変な勇気がいるもので、その上に合うかどうかは別としても、ヤッパリ何処かおかしい。

DSCN0570.JPG 今までの和服と違い、活動的ではあるが慣れないせいでぎこちなく、その上短足ではズボンが短すぎるのだ。
 それでも明治の男たちは挙って洋服を着だし、猫も杓子も洋服を着て歩く、そんな姿は滑稽とも言われたもの。
 文明開化とはそんな時代もすんなりと受け入れて、西洋人の仲間入りしようと奮闘中、さぞかし大変であっただろう。
 彼らは時代の波を真っ向から受けて、それを器用に乗り出してのは流石と云えよう、やっぱり努力したのだ。

DSCN0580.JPG 明治の男たちは頑張ったのだと、そんな男たちの必需品と言えば懐中時計、その中でも金時計は一番人気だ。
 しかしこの金時計高価な物であり、誰でもと言う訳には行かず、これまた憧れの代物であったのだ。
 伊達男としてはやっぱり欲しいもの、しかし金時計は高過ぎて手がでないから、銀時計で我慢しなくてはいけない。
 だけど銀時計もそんなに安いものではなく、やっぱり無理しないと買えず、伊達男どもはつらい選択をする事になる。

DSCN0586.JPG 流行とはそんなに甘くなくて、その上金もなくてはならず、伊達男はつらい、それでも彼らは頑張ったものだと思う。
 洋服もちゃんと着こなして、歩く姿も颯爽とは行かないが、それなりに馬子にも衣裳と、そんな姿に懐中時計。
 無理して買い込んだものは、見せたくなるのも人情、胸元からチラリと見せる懐中時計、それどころか、これ見よがしに見せたいもの。
 その辺が伊達男としては、少しばかり見栄を張りたいのだが、これも中々うまく行かずに、ぎこちなく見せて失敗。
 わざとらしくて嫌味に見え、これでは伊達男としては失格、さりげなく見せるのが伊達たるゆえん、やっぱり伊達男はつらい。
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2016年03月30日

なぜ四つ丸が人気か

    八角より四つ丸


 

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 古時計を愛する人達の大半が四つ丸達磨を好む傾向が強い、八角と比較すれば遥かに四つ丸達磨に人気が集中。
 面白いもので古時計はどんな形が好きかと問えば、大半の人は四つ丸達磨と答え、その根拠はの問い掛けに、可愛らしいからと。
 形の上でも四つ丸達磨の人気は高い、八角型は変化に乏してからだと言うが、八角型の古時計も変化はしている。

 しかし八角のイメージはあまり良くはないもの、どちらかと言えば定番で可愛らしくないと、古時計において可愛らしいとは何か。
SANY4078.JPG 一般に古時計愛好家でも、八角型を好きな人はシンプルにものを好む、スタンダードの形をしたものを好む人が多い。
 四つ丸達磨はシンプルとは言えず、逆に派手さを持っている時計と言えようが、その中でも金達磨はその筆頭。

 四つ丸達磨のを好きな人は派手な時計を好むものなのか、しかし四つ丸達磨でもシンプルなものも、金達磨より生地達磨の方を好む人も。
 確かに金達磨は人気の上では三本指に入る時計、特に本四つと呼ばれている四つ丸達磨、この形の時計が一番人気。

 SANY4834.JPG全体のバランスから言って一番余はバランスを持った時計だと思う、だからこそ四つ丸達磨を好むものなのだ。
 バランスで言うならば姫達磨の方がバランスは良いと思うが、どちらかと言えば四つ丸ではないかも知れないが人気は高い。
 形が良くて可愛らしいから、誰にでも好かれるタイプの時計、特に最近の女性には人気が高くて、達磨時計の中で一番である。

 男性と女性では好む形が違うが、たまたま四つ丸達磨は双方から人気が高い時計、やはりバランスが良いからだろうか。

 その点、四つ丸達磨でも張四つ達磨は、二つの四つ丸と比べれば人気は落ちるもので、少しやぼったいように見えるらしい。SANY0179.JPG
 バランスの上ではドン詰まり感があり、本四つ達磨と比べれば確かに張四つはやぼったいかも知れない。
 これは単に感覚から来るもので、四つ丸だけがその様なものではなく、八角型の中でもバランスの良いものと、そうでないものも存在する。
 やっぱり見た目は重要で、中の機械が良いものでも、外形上で判断されているようで、四つ丸はその筆頭かも知れない。
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2016年03月19日

蛎殻町の文字盤

    詳しくは知りたい

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 蛎殻町製造の文字盤、今までにも何回かブログに取り上げてきたが、なぜかしら質問が多く、その都度答えてはいる。
 今までに写真に撮ったものが何枚かあるが、それでももっと知りたいとの事、私の写真の撮り方がまずいせいでよく分からないのかも知れない。
 それで今回も同じように撮ろうとしたが、どこを撮れば良いのか迷い、結果これでよいのかと取り直して見た。

 何処が分からないからよく見たいとの事だが、実際は写真では分かり辛いもの、細部的には写真では理解できない。
 勿論それを分かっているからこそ、今回も写真の撮り方を悩んだが、結果はこの撮り方になってしまった。DSCN0473.JPG

 この蛎殻町製造の文字盤、何度となく説明の中で言って来た事だが、木製の縁造りであると、しかしこれが分かり辛いらしい。
 写真では質感が伝わって来ないこと、勿論手に触ってみるのが一番早いのだが、写真ではそれが出来ないから。

 どの様にしたら希望に沿うような写真が撮れるのか、色々試みたが私の力ではこれが精一杯、プロの写真屋ではないから。

 縁取りは見た目よりも太くて野暮ったい、何処となく繊細さに欠け、駄々びろいムードであり、幅も広いもの。
SANY5250.JPG
 止めビスの位置は12時の上と5時と8時の位置にある、大体三角形の位置に穴が開いているが、木枠のせいで穴が大きくなっている。

 文字盤の裏はブリキ板が木枠に沿って釘で止められているから、それを見ると木製の縁であると認識できるのだ。

 金属製の文字盤の縁と思うと遥かに幅広くて分厚いものになっているから、木枠であると気付く事が出来るが、やはり現物を見ていないと分かり辛い。

 文字盤は意外と重くて、金属製の文字盤と変わりないくらいの重さ、見た目よりも重いと感じるのだ。
SANY5258.JPG
 紙の文字盤であり、ペイントと思っている人にとっては意外、良く紙の文字盤でオリジナルのまま現存している。

 文字盤中央の指針の穴の下に、アルファベットのAの記号が印刷されているものもあり、新居常七の頭文字と言われているもの。

 一番良い文字盤はAの記号が付いているものだと思うが、紙なるがゆえに中々手に入れる事が難しいものだと思う。

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2016年03月11日

和時計の鐘

    だんだん浅くなる




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 和時計、日本で生み出された時計、不定時報に適合するように造られたもの、日の出、日の入りをもととした時間を刻む。
 和時計は西洋時計をモデルとして造られているが、いつの時点で日本の時間に合うように造られたのか不明である。
 津田助左衛門が造り出したと言われているが、その生み出した記録は残っていないから、現物での立証となる。

 しかしながら初代の津田助左衛門が製造した和時計は現存していないから、立証は難しく、推測の域を脱しえないもの。
 現存している和時計で一番古いとされるのが、1600年初頭のもの、この頃のものはほとんど残っておらず、一番古いとされているものは中頃のものだ。
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 この時計の鐘、初期型の時計には深鈴と呼ばれる鐘がついており、お寺の鐘に近いものが付いているが、何故この形かは不明だ。
 何故ならば初期の鐘とされるものは深鈴、しかし西洋時計をモデルとした割には、お寺の鐘を何故付けたのか不思議でならない。
 現存する家康に献上された時計を見ても、そんな形の鐘は付いていないからだが、普通はその金と同じ形の物を造るのが自然だと思う。

 しかしながら西洋時計の鐘らしきものがついている初期型は見ない、見ないと言うよりは現存していないと思われるからだ。
 そもそも西洋から齎させた時計を忠実に再現したとするならば、当然同じような鐘が付くはず、何故同じ鐘が付いていないのか。
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 津田助左衛門があえて鐘だけは日本の鐘を付けたと、そんな風にはどうしても思えないもの、自然であれば深鈴は付かない。

 この点の事は今までに論議がされていないもので、何故論議がないのかも疑問、あんなに形が違うのに、直ぐに鐘だけが日本風になるものなのか。
 私が一番印象に残っている敷物の鐘は、ブリキのバケツみたいな形をした鐘、当時何でこの中たちの鐘が付いているのかと不思議に思ったものだ。

 写真の鐘は私が所有している和時計の鐘、初期型に近い鐘から、明治に近い時代の鐘まで様々なものがあるが、台数が少ないためにこの写真だけである。
SANY0695.JPG この鐘を見ても、西洋時計らしき鐘ではなく、やはりお寺の鐘に近い形、幕末になれば日本の鐘らしき形になっている。

 浅鈴と言われる鐘、初期型の三分の一以下のもの、非常に薄い形の鈴、これはろくろの技術が進歩したことを表しているものだ。

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2016年03月09日

流行の時期

    時代の先駆け



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 1880年代、パリ万博が好評を博し、これにより世界の目がパリに集中、一気に産業が進歩するきっかけとなる。
 その後次々に万博が開かれ、数々の新しいものが発表されると同時に、それらのものが流行りだす、新たな流れが出来上がる事になる。

 その一つが鉄鋼、今までの鉄と違い新たな分野にこの材料が使われる様になり、一気に建築ブームを造り出し、新しいものが建設された。
 その代表格がエッヘル塔であり、この塔が完成すると同時にパリのシンボルとなり、鉄鋼の存在も重要な素材となる。
SANY1561.JPG
 今までにないものが新たに造り出され、アールヌーボとも相まって、流行を生み出し、次々と新しいものが生まれた。
 その中に懐中時計もいち早く鉄を取り入れ、流行の先端を行く事に、今までに無い素材を懐中時計に取り入れる事は非常な冒険でもあった。
 金や銀と言った貴金属ではなく、新たな素材ではあるが、決して派手ではないもの、そんな素材を取り入れて懐中時計を製作。

 これもエッヘル塔の影響であり、新たな素材への憧れでもあったようで、今の我々が感じる事と違い、この当時は単なる鉄ではなく、流行の素材であった。

 金や銀で造られていたものが、我々には格下の鉄を何で素材として選んだのか、理解に苦しむが、当時は最先端であったようだ。SANY0683.JPG
 少し前のチタンが持て囃された時代と同じようで、この頃の鉄鋼は新しい素材、その扱いはチタンと同じようなもの。
 新しさが先に立ち、時代の流れであるから、最新式の素材と受け止められたもの、しかしさぞかし当時の職人はやり辛かったと思う。

 金や銀はまだ柔らかな素材、鉄鋼等の硬い素材では、外側を造るのにも以前よりは難しく、また綺麗に出来なかったと思う。
 あえてその素材を使ったのには、時代の流れであると割り切っての事、何時の時代でも流行とは凄いものだと思う。

 何の抵抗もなく、新たなものを受け入れて、自分達のものにしてしまう自由さと行動力、流行とはそんな力がSANY0690.JPGあると思う。
 懐中時計の高級機に、あえて鉄を使って造り出されたもの、それが流行であったとは、今思うと信じられないようだ。















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2016年03月01日

内国博覧会出品

    蛎殻町製造時計


SANY5017.JPG 古時計愛好家から蛎殻町製造時計の博覧会出品時計をもっと詳しく知りたいとの事、今までに何回となく写真を出しているが。
 それでもモット知りたいとの事、熱心な愛好家が居るもので、研究心は大いに歓迎する所、参考になれば幸いである。

 この博覧会出品の時計は、至る所に今までにない部品が使われているもので、この時計専用に造られたものであると思われる。
 当然のことだが、出品する時計であるからして力の入れ方が違うもの、今までの時計とは違うものを造り出したのだと思う。

 明治23年と言えば、新居常七の蛎殻町製造所は大変な時期であったと思うが、記録によれば明治24年には時計製造から撤退しているのだ。SANY5022.JPG
 博覧会に出品する事を巻き返しの狼煙とも思えるが、それが現実は製造撤退と言う事に、厳しい現実であった。
 そんな時期に造られたこの時計、やはり意気込みが違っていた事は確か、随所にそれを物語っている部品が使われている。

 一番驚くのは中三振の機構、秒針が中央から出ている事、今までの蛎殻町の機械にはなく、また当時の時計の機械にもないもの。

 西洋時計の高級品に使用されていた機構を取り入れて、出品する機械に取り付けたものと思うが、研究がなされたに違いない。

 そして博覧会の記録にも残っている記述に、振り子の支柱に使われた素材が竹製であった事、漆塗りの平たい竹を使っている点である。SANY5032.JPG
 竹は伸縮しなくて木よりも正確に時を告げられるものだと記述してあり、この時計にその竹製の振り子の心棒が付いている。
 そして時計に貼られているラベルの事も、質問の内にあるもので、この頃のラベルなのかとの事、このラベルに付いても同時期のものであると確認している。

 明治22、23年頃のラベルに違いなく、同じ時代の時計には頃ラベルが貼られており、疑う余地はないと思っている。

 文字盤に付いている(A)のマーク、このAは新居常七の頭文字Aから来ているものなのか、それとも他の意味があるのか。

 SANY5049.JPGそんな質問もあったが、私も新居常七の頭文字だと思っており、Aの印は頭文字であると確信しているのだ。
 幾つかの疑問は、内国博覧会に本当に出品されたものなのかとの疑問から来るものと思うが、色々な見地から見て、この時計がそうであると思っている。

 今後も研究はして行く事だが、現在までの博覧会当時の記述に適合しており、現存している類似したものがない。
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2016年02月22日

振り子室のラベル

    ラベルの色




SANY4577.JPG 古時計愛好家からの質問、振り子室のラベルの色は黒だけでしょうか、今までに黒しか見た事がないから、他の色はありますかとの質問。
 古時計には色々な種類の時計が存在し、色々な会社も又存在しているから、色々な振り子室のラベルがあります。

 質問では黒色のラベルしか見た事がないとの事だが、それは黒色のラベルが貼ってある時計が多いからだ。
 数多くの古時計のラベルは黒色が多く、大抵の会社のラベルは黒、だから黒色だけであると思われても不思議ではない。
 この振り子室のラベルは製造者を示すためのもの、トレードマークと言って良いもの、会社の宣伝でもあるのだ。SANY7141.JPG
 何処の時計会社が製造した物だと分かるように張り付けてあるもの、そのほとんどのラベルが色々である。

 何故黒色のラベルであるかは不明であるが、何時のころより黒色になったかは分からないが、アメリカ製の時計を見ると少し違う。

 勿論日本の時計はアメリカ製の時計のコピーであり、其れに付いていた振り子室のラベルを真似て造られているもの。
 しかしアメリカ製の時計のラベル、古い物は白色のラベルが貼られている事が多く、勿論黒色のラベルも存在している。
 SANY7129.JPG日本の古い時計も白色のラベルが貼られているものもあり、黒一色ではないのだが、何故かしら次第に黒色のラベルが多くなってしまったようだ。
 では白色ラベルのほか、どんなラベルの色があるのかだが、赤色のラベルや紫のラベルも存在している。
 そしてピンク色のラベルも見た事があり、一概に白色と黒色だけしか存在していない訳ではないのだ。

 勿論ピンクとか紫とかは特殊な例であり、数は少なく、余り貼られてはいないが、存在はしているものだ。

 振り子室のラベルの色も探して見ると、色々な色が存在しており、それを探すのも面白い事と思うが、一度気を付けて見てみたら。DSCN0421.JPG

 蛎殻町製造時計のラベルも変わった色のラベルが貼られており、黒色だけではないので、三色が存在しているのだ。
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2016年02月13日

鳴かないから

    直して欲しい



 
 DSCN0408.JPG久し振りに例の男が登場してきたが、此奴が来ると今までにろくな事がないから警戒、案の定面倒な事を言い出した。
 機械オンチのこの男、何時もなんだかんだと言って来るから厄介、しかし憎めない男でもあり、友人でもあるのだ。

 機械オンチの癖に何時も機械ものを持って現れ、事件を起こして来たが、良い事も少しはあったから仕方がないのだが。

 持って現れたのは手塚の鳩時計、とうしたのかと聞けば「知り合いが直して欲しいと言われて持って来た」と訳の分からない事を言う。
 自分が直せない事は分かっているのに引き受けて来て、私に直せと言うのだから蒸しの良い話でもあるのだ。
DSCN0410.JPG
 何時も他人には良い顔をして来て、この私に難題を押し付けて来たもの、今回も面倒な事になると思い、忙しいからお前が直せと言う。
 直せない事は百も承知、しかし此奴にはいつも甘い顔をしてはならないので、厳しい言葉を投げかけないと、無駄だとは思っているが。
 案の定こちらの話は聞いていなくて、「銭方が早く直して欲しい」と言っているので頼むと、すました顔で言うのだ。

 此奴と話は出来ない、何時ものらりくらりと、結果は何時も修理されられているものだが、今回もそのような状態に。
 DSCN0409.JPG本人は気安く頼まれて来るのだが、修理は此方がしなければならない、そんな不合理が合って良いのかと思いつつ、この男に言っても仕方がない。
 話を聞けば、鳩時計が鳴かないから直せと、簡単に直るだろうとも言う、のんきな男だ、そんなに簡単な事ではないが、彼には機械が分かっていないから無駄だ。
 調べてみれば、ふいごが破れており鳴かないのは当たり前、ふいごの紙を張り替えれば鳴くようになるが、これが又面倒な事になる。
 張るのは簡単であるが、紙の折り方が難しくて面倒、前も何回か直したが、やっぱり面倒な事になってしまった。
 一番簡単なのは新しいふいごの本体を付け替えれば良いが、ふいごが合えば良いのだが、丁度よいのを探さなければならない。DSCN0411.JPG

 仕方なく手持ちのふいごを探し、丁度合うのを見つけ、取り替える事にしたが、この男は私を何だと思っているのか。

 修理ばかりさせて、それでいて少しも悪びれる様子はなく、むしろ威張っているから始末が悪く、それでも酒を持って来るから、それに騙されるのだ。
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2016年02月09日

何故止まるのか

    地球儀が動かない




 SANY7613.JPG豊橋時計、明治期唯一の地球儀時計として製造されたもの、教材用として開発されたと言われているが、実際はどうであったのか。
 他社が製造しない特殊な時計を目指して、明治31年愛知県豊橋市に時計製造会社が誕生するが、普通の時計を製造するのではなく、地球儀時計を製造した。
 短期間でその使命を終えてしまった時計製造会社で、現存数も非常に少なく、幻の時計と言われている。
 しかし人気は高くて市場に出れば引っ張りだこ、高値で売買されており、人気の高さを改めて痛感するものだ。

 この豊橋時計の地球儀付き時計、中々難しい時計であり、真面の地球儀が動かないもの、殆どの時計は正確に動かない。SANY8927.JPG

 新しく開発され、当時高価で高級品の時計が何故動かないのか、それには簡単な原因が存在していたからだ。
 豊橋時計を手に入れたが地球儀が動かず、時計も止まってしまうが、何故そうなるのか教えて欲しいとよく質問される。

 折角高いお金を出して買い求めたのに、動かないとは残念で仕方がないと、そんな声が多く聞かれるのも豊橋時計だ。

 もともと機械は普通のものを使用しているために、複雑な機構であり、動力不足である事はハッキリしている。
SANY8913.JPG
 本来であれば、この時計の為に特殊な機械を開発するのが当たり前、だがそれをせずに普通の機械を改造したところに原因がある。
 その上、連結部分のジョイント部分が上手く行かないために、止まってしまう事に、当然の結果であるのだ。
 本体上部にある地球儀は二度の方向転換がなされる仕組み、これがそもそも原因であり、それに地球儀を動かす力が足りない。
 地球儀とジョイント部分の連結も良くないもの、固定されていなくて、心棒に乗っているだけのもの、これでは上手く動かない。
 この仕組みが一番の原因、力が地球儀を回転させるまでの動力となっていないのと、ゼンマイが弱いために、時計本体まで止まってしまう事に。
 もともと設計ミスの時計であり、発想は良いが実際には動かない事に、原因がハッキリしているから、残念な時計である。
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