2018年06月17日

思いで品へそ時計

      忘れられない

SANY2263.JPG 旅の思い出は人其々にあるはず、どんな小さな事でも思い出となる事はあるもの、その品を見れば何時でもその時に戻れるものでもある。
 人にはそのような思い出があり、私もその中でも決して忘れない思い出の品もあり、それは幾度となく行った盛岡の骨董屋の主人の事である。
 始めてその店に行ったのは、35年も前の事であるが、まだ骨董をやり出して駆け出しの頃のこと、私が好きな啄木の足跡を求めて盛岡を尋ねた時の事。
 真っ先に訪れたのは城跡、此処の城跡はあの詩、 
 「不来方の お城の草に寝転びて 空に吸われし 十五の心」と歌った場所であり、在りし日の啄木を偲んだ。

 その近くの骨董屋に立ち寄り、時計を探すが何も見つからず、帰ろうとしたら店主が「何を探しいいるのか」と問いかけてきたので、「時計を探していると」答えた。
 その店主も時計好きで時計談義にはながさき、何時しか時間の経つのも忘れて夕暮れになり、主人が「何処に泊まるのか」と聞くから、「市内のホテル」と言えば、それなら時間があるから「隣の炉辺で飲まないか」と誘い。
 その店の近く、郷土料理「南部炉辺」でマタマタ時計談義開始、結局主人と看板まで飲んでその日は帰ったが、翌日ホテルに電話が入り「こちらに出てこないか」と誘い、何かと思えば、盛岡の近くに買出しに行くから一緒に行かないかとのこと。
 昨日、時計談義でスッカリ主人と打ち解け、歳もそんなに違わず話も合い、私も買出しに同行して時計探しに行くことに、結局1日主人の車で時計探しをした。
 その時計探しで最初に見つけたのがこの時計、何の変哲もないヘソ時計であるが、この時計が切っ掛けで、その後幾つかの珍品時計をこの主人から買う事になる。
 以来約30年の付き合い、その切っ掛けを作ってくれた思い出の時計、この時計が縁で、その後の主人との付き合いの橋渡しをしてくれた思い出深い時計でもある。
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2018年02月10日

携帯日時計

      携帯式のもの
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 古くから使われている日時計、旅には欠かせない必需品、今みたいに何処でも時間が分かる時代、この様な時を知る道具は不思議に思うかもしれない。
 今の若い人には時計すら持たない人が多く、どんな手段でも時間を知る事が出来る時代だから、時計を持たなくても良いのだ。
 しかし昔の人にとっては時間を知ることは重要な事、特に旅に出れば必要不可欠なもの、その為に色々な時を知る手段をこしらえている。
 その1つが日時計、天気でありさえすれば、何処でも時を知ることの出来る道具、その為に様々な工夫をした日時計が造られた。

 そもそも日時計とは、真南に棒を立てさえすればおおよその時間が分かるもので、今みたいに一秒刻みの時間を知る必要がない時代。SANY7244.JPG
 おおよその時間が分かれば済む時代に、持ち運びの出来る日時計は大変重宝されたと思う、その日時計の歴史は古く、紀元前2000前と言う。
 既にバビロニアで使用が確認されている事から、歴史は古く、その後世界に広まったと言われているが、日本に入ってきたのは何時ごろであろうか。
 飛鳥時代以前には既にあった言われ、はっきりとした時代は不明、一般庶民が使うようになったのは、世の中が安定してからの事とされている。

 江戸時代には道中支度の中に日時計も入り、旅人には欠かす事の出来ない道具の1つ、道中関所の開門や閉門の時刻を知るためだ。
 写真の日時計は明治時代のもの、普及品であり、日本の標準時が決められた後のもの、携帯用としては大量に製造されたもの。SANY5769.JPG
 蓋を開けると中央に金属の板が横になっているが、これを垂直に立て、縁にある真鍮のアームを起こして、金属板を固定す。
 左側に付いている磁石を見て、真南の方角に設定すると、手前に刻まれている時刻目盛りに影が差す時間を見ると、その場所の時刻が分かるしくみ。
 携帯日時計の蓋の裏には、日本各地の標準時に対する時間が刻まれているから、それを参考にして時間を計るものだ。
 現在の正確な時間との誤差は2、3分である事は立証されているから、ほぼ正確な時間が分かる仕組み、この日時計は長く使用されたもの。
 シンプルではあるが意外と正確、日時計も馬鹿にならないものだと思う。
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2018年01月30日

時代の変化

    古時計の人気

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  古時計愛好家にとって何が人気なのか気になるが、年とともに変わってゆく事、たんに古時計と言っても種類は多い。
  色々な種類の中で何が一番人気なのか、多くの愛好家もこの事に気がとられていたことは確か、やっぱり気になるのだ。
 人によってはそんな事はどうでも良いと、我が道を行く人も又多い、誰が何と言おうがそんな事は構わないのだ。
 しかし殆どの人は人気の時計がなにか気になるので、何が流行っているか人に聞いて回ることになる。

  私が始めたころの人気はドイツ物の時計、ユーハンスのスリゲル型が一番人気、それこそ猫も杓子もユーハンスが引っ張りだこ。
 時計愛好家にとってはユーハンスを持っていないと愛好家ではないと、SANY2014.JPG誰しもがそんな風に思って、ユーハンスのスリゲル型を集めた。
 だからどこの店にもユーハンスの時計は必要、当然の事値段も高くなり、それでも愛好家はユーハンスを買い求めた。
 その後小型のユーハンスのバイオリン型が流行り出し、これまた皆が飛びついて買い込んだから、必然的に値段も上がることに。

 これから暫くは小型のユーハンスの天下、誰しもこれを求めて探し回り、競い合って買い求め、結果は値段が上がっただけの事。
 時計愛好家にとっては喜ばしい事ではないが、それも自分たちが作り上げてしまった流行り、その後姫達磨のブームが到来。
 SANY4098.JPGすると今度は姫達磨を求めて愛好家が買いあさることに、確かに可愛くて場所も取らない姫達磨、流行っても可笑しくはない。
 しかし値段が問題、これぞとばかりに値段はうなぎ登り、当初の値段の10倍まで上がる始末、これでは手が出なくなり、流行りもすたることになる。

 この様に古時計にはブームがつきもの、そのブームは作られるものだが、愛好家も助長するので結果は自分に跳ね返って来る。
 ブームとはそんなもの、一時期流行った小型の掛時計も今は下火、飛ぶように売れていたのも今は影を潜めた。




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2018年01月25日

ドイツと日本

    大きさも違いが

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 鳩時計と郭公時計、カラクリ時計として人気の高いもの、何故人気が高いのか、その秘密は何処にあるのか。
 ドイツで造られたと言われる郭公時計、木をふんだんに使い、森林のイメージが強くあらわされている時計とも言える。
 あの形は森の小屋を思い出すような、そんな雰囲気を持っている時計、だからこそ人気があるのではないだろうか。
 勿論、簡単なカラクリが付いている事も重大に要素、このカラクリがあるからこそ人気、フクロウ時計と同じ。

 複雑な仕組みのカラクリではないが、簡単であるから好感が持てて、親しみやすい時計であるのだと思う。DSCN0190.JPG
 ドイツではカッコウ時計、森林に住む鳥であり、鳴き声がさわやかな鳥であるが、自分で子供を育てないで有名な鳥でもある。
 ほかの鳥の巣に卵を産み付けて、その鳥に子育てをされる、ずるがしこい鳥であることから、日本では嫌われる鳥である。
 その点鳩は平和の象徴とされている鳥、日本では郭公から鳩にへと姿を変えて作られるようになったもの。
 あまり関心がないように思えるが、時計の屋根に付いている鳥が郭公と鳩が付いている事だ。

 よく見なければ分からないようだけど、屋根につDSCN0193.JPGいいる鳥は違うもので、右向きと左向きが鳥の位置である。
 ドイツの時計は彫が深いのも特徴、日本の鳩時計は彫がのっぺりとしており、立体感にかける。
 迫力でドイツ物に圧倒されるのが日本の時計、そしてもう一つが機械、ドイツ物は頑丈な造りで出来ている。
 そして大きさもドイツ物は大きくて、日本の鳩時計は小さくまとまっているもの、それも国民せいなのか。

 勿論の事、なき声も少し違いが、外形は良く似たものとなっているが、良く見るとやっぱり違う時計だ。DSCN0185.JPG
 郭公と鳩、何方も鳥ではあるが、これも国民性の表れか、親しみやすい鳥をモチーフにしている事だ。
 写真は上からドイツの郭公時計、下が日本の鳩時計、大きくて迫力のドイツ、こじんまりと日本の鳩時計。

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2017年09月18日

パリ万博

      エッヘル塔誕生   


 SANY1166.JPG1889年(明治22年)、フランス国パリにて第4回万国博覧会が開催され、1回の万博よりも参加国ならびに出点数も2倍になり、また会場も非常に広くなった。
 第4回の万博は色々と話題の多い博覧会でもあり、特にあのエッヘル塔がつくられたのがこの万博で、この会場のアーチとして建築されたらしい。

 その他にも当時としては変わった特別な建物が建築されてが、万博閉会後すべて取り壊されてしまい、エッヘル塔のみが現在も同じ場所に建っている。
 エッヘル塔は高さ312メートルと当時世界1位の高さを誇り、日本の東京タワーが出来るまでその地位を保っていた鉄の塔であり、勿論当時は画期的な建物として、見学者が後を絶たなかったことは言うまでもない。

 当時建設資材に鋼を使用するように支持されていたSANY3731.JPGが、実際に使用されたのは鉄材であり、鋼が何故鉄に変わったのか議論を呼んでいるが、真実はコスト面で安くしたかったようである。

 この後、鉄が世界的に使用され建築物に用いられるようになり、急速に発展して行く切っ掛けを作ったのもパリ万博であった事は、近代化にこの万博が大いに貢献した事だ。

 写真の時計、このパリ万博を記念して造られた時計、機械はアメリカのウォーターべり社の物だが、外側の陶器はドイツ製と国際的な商品で、会場で販売された時計。
 ユニークな形をしており、ブルーの釉薬が掛けられ、細かな模様が施された酒のビン、その中に時計を入れたもので、当時としてもかなり面白い物であった。
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2017年09月16日

西部劇

      西部劇は好きですか


SANY3314.JPG 夕べもテレビで「真昼の決闘」を見ていましたが、懐かしい俳優や古めかしいバックの風景、そこには在りし日のアメリカ西部が映し出されていました。
 子供の頃より西部劇は大好きで、よく映画を見に連れて行ってもらいましたが、字幕はサッパリ読めなかったけれども、その雰囲気は手に取るように分かったつもりでした。

 アメリカ映画、特に西部劇は、「ジョン、ウェーン」、「ヘンリー、ホンダン」、「カーク、ダグラス」、などの名俳優による活劇、数々の話題作が銀幕を飾った。
 その中でも私が1番好きなのは「ヘンリー、ホンダン」の主演、「ビクター、マーチュア」脇役の「荒野の決闘」であり、この映画ほど西部劇だと今も信じている。
SANY3326.JPG
 この映画は実在の人物、実在した決闘をモデルに描かれたもの、当時のアメリカ西部を如何なく描き切った最高の映画、この映画を見なくてどれが西部劇かと思う。
 この映画、時代は1881年10月26日、アメリカ西部の町ツーム、ストンで起きた実在の決闘、主役はヘンリー、ホンダン扮する「ワイヤット、アープ」と「クラントン一家」の争いをモデルとしている。

 舞台のツームストンの町、真昼のOK牧場での決闘が鮮やかなタッチで描かれており、西部劇の撃ち合いシーインが見所、駅馬車が通り過ぎた瞬間に撃ち合いが始まる。
 息ずまる内、一瞬にして決着してしまうが、本当の決闘もこうしたものであろうと、思わせる憎い演出で今も脳裏に深く刻み込まれて、目を閉じれば直ぐに浮かんでくる。SANY3330.JPG

 有名な逸話として語られているのは、ジョンフォード監督が当時まだ健在であったワイアットアープに直接会って聞いた話をもとにしたと言われている。
 彼が映画に描いたアープの姿が事実のようになったと言う事だが、フォード監督が誇張し過ぎたとも言われているが事実は果たしてどうだったか。

 現実にはワイアットアープは西部の英雄として現在も有名な話、現実と違っていたとしても有名人に変わりはないようだ。

 子供の頃は、てっきり日本の江戸時代の事かと思っていたが、1881年とは(明治13年)の事、ビックリしたものであるが、そんな時代に決闘をしていたアメリカは時代が遅れたいたのかと思ったものだ。
 この映画や他の西部劇映画には、必ずと言って良いほど時計が出てくるが、その時代と決闘場面が日本の明治時代であり、写真の時計が活躍していた時代であるとは、まだ信じられないが事実である。
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2017年08月25日

持ち主

      最 初 の 購 入 者

 SANY1673.JPG今も昔も几帳面な人は何事につけてもその記録を残すもの、自分の行動を日記に記したり、物を買い込んだ場合は何処で何を買ったとか、兎に角真面目に記入している。
 私などは一度もそのような記録を記入したことは無く、全部頭の中に記録してあるのみ、言い換えればいちいち物を買い込んだ記録を書く習慣が無い。

 言い換えれば、「ものぐさで、なまけもの」、そんな几帳面に記録を残すことが出来ない性分、めんどくさいのと直ぐに記録するのを忘れてしまい、記録することはなかった。

 時計の購入者の中には、几帳面な人も多く、何時、何処で、誰が買い込んだのか記録してある物も、1番多いのは時計の背板に書かれているものが多く、その次に文字盤の裏に書かれている物もある。

 そして、その次に多いのは機械が取り付けられている板に書かれている時SANY1663.JPGもあるが、背板よもり多くは無く、やっぱり背板に書かれているのが1番多いのか。
 之が書かれていることにより、始めの持ち主の名前が分かったり、何処の人かもハッキリと分かり、、その上にこの時計が購入された日付まで分かる。

 後世の我々が時計を手にした時に、この時計が何時ごろの物なのかが分かる手掛りに、購入した日付が記入されている物は、我々にとっては1番ありがたい。
 出生の記録があるものは1番ハッキリとした年代が分かる事、少なくともその年代にはこの時計を製造した時計会社があった事がハッキリとし、後に書かれた色々な文章の記録と照らし合わせることが出来、製造年代確定に役にも立つ。

 私も色々な時計を手にしてきたが、やっぱり記録が記入してあるものは、1番ありがたい時計、購入者が何時、何処の誰だか、知る手掛りになる証となるから。
 形が同じ時計でも、この様に背板に書かれている所有者の名前の入った時計は、是非とも手に入れて頂きたいもの、他の同じ時計よりも史料価値の高い時計でもあるから。
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2017年08月15日

木曽の木材

      木曽と時計産業 
 

SANY8613.JPG 明治期、全国に時計産業が生まれるが、名古屋地域の時計産業は、他の時計製造地域と少し様子が違う形態をなしていた。 
 名古屋地域の時計産業の特性は、よく指摘される所であるが、他地域に比べれば労働賃金が安い事、熟練工が容易く確保できた事、分業化が進んでいた事など色々上げられる。
  名古屋地域は古くから和時計の産地、江戸初期津田助左衛門が名古屋に入ってから、時計は名古屋の伝統でもあったことは確か。

 代々助左衛門は時計師として尾張藩に努め、多くの弟子を輩出し和時計造りを盛んにした事が、後の西洋時計製造に大いに貢献することになる。
 多くの弟子の中から明治に入り禄を失ったもの達で西洋時計製造に関わり事となり、時計製造の地盤が早くからきずかれていた。SANY4376.JPG
  技術的にも、素材的にも、そして資本的にも、時計製造の地盤となるものが名古屋地域には存在していた事だと思う。

 江戸時代から続く商業地名古屋地域、そこにある資金源は代々続く商家、今まで蓄えてきた資金が時計製造に役立つことに。
 其の中でも一番の要素は、外箱の木材が容易く手に入った事、江戸時代から木曽の木材、即ち天領地から名古屋へ大量に供給されていた。
 
 交通運搬の面においても、木曽川を下り集積地名古屋に素早く大量の木材が入り、新興産業の時計の材料として容易く手に入っていた。
  環境の良さは材木だけではなく、時計の箱を製造するのに、地場産業であった名古屋仏壇、仏壇職人の技術は高度の技術を要していた。SANY0379.JPG
 
 その名古屋仏壇を作るより、時計の外箱を製造するには遥かに容易く、又職人の調達も苦労せずして手に入っていた。
  こうした地場産業であった名古屋仏壇と時計の外箱、他地域より木材職人も多く又、賃金面において職人過剰ににより、労働力確保は製造者に有利に働いたせいで、当然賃金も安くなっていた。
 
 木曽の材木を安く仕入れ、職人の賃金も安いとなれば、必然的に時計産業に容易く参入できると言う立地条件が重なり、他の地域よりも時計製造会社が乱立する原因にもなった。
  時計の外箱を製造するに、材料は端材で十分であり、高価な材料を要しないのもコスト面において、他の地域との競争力の大きな要因となっていた。               
 天領飛騨地方、木曽の木材が明治期、名古屋地域の時計製造に大いに貢献したとは、当時の時計製造戦争の裏に、木曽の材木が関係していたとは面白い話である。
 
 
 
 
 
 
 

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2017年07月25日

遊び心

       無機質にあらず 

 
 SANY4747.JPG時計の機械は歯車の集合体であり、規則正しくリズミカルに動くもの、与えられた使命は、時を刻む為に絶えず働き続け正確に刻む事である。

 歯車の一つ一つは何の意識も持たず、与えられた方向に逆らわず、絶えず前に進む事を良しとして、前にしか進めないのであり、休もうとしても休めない。

 自分の意思ではどうにもならなく、後ろから急き立てられ、体が擦り切れるまで止まることを許可されないが、時には例外があり機動部の故障時は意思に反してとまる事を許される。

 それが歯車に与えられた一生であり、他の歯車の迷惑にならないように、務めなければならない使命を持たされ、他の歯車に急き立てられ回り続けるのである。SANY4453.JPG

 人間の様に表現するとこうなるかもしれないが、歯車に意思がない為、彼等は何とも思っていないのが現実であり、見ている我々の生活と同じように感じるのは、少し違っているかもしれない。

 時計と言うのは、機械であり人間味など持たされていないものが大半であるが、時には人間味溢れる時計も存在していて、私たちと意思が通うかのような時計も存在する。

 江戸時代の時計師たちは機械である時計を、時として人間味溢れる物を数多く作り出してきたが、明治以後西洋時計の無機質な機械を真似る事のみに専念したお陰で、人間味のあるものを作り出さなかった。

 江戸の職人たちの作った時計は、遊び心がいっぱいDSCN1390.JPGであり、見ていても機械もいかにも楽しそうに働いて、人間臭さがにじみ出ているのは何故であろうか。

 やはり、真似をするだけではその境地には慣れないだろうし、生み出す事もしないであろうと思われたが、明治末期頃になると又遊び心のある機械が出現する。

 もともと日本の西洋時計はアメリカ製のコピー、忠実に再現していた時期が過ぎ、日本独自の西洋時計が生み出されて行くことになる。

 そこには和洋折衷を取り入れ、伝統技術をふんだんに使ったものが生み出され、職人の技術の結晶とも言えるもの。

 写真の時計は、明治末に造られた時計の心臓部であるが、其処には無機質なものは見えず、人間味溢れる遊び心が出ている時計が造られた。
 無機質さを避け遊び心をふんだんに取り入れた機械を造り、みているものに楽しさを与えるものを生み出した。



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2017年07月11日

ムードは良いが

      現代に蘇る


SANY2747.JPG 以前にも紹介したがもっと詳しくと言う事で再度登場の復刻版時計。
 勿論新しく造られた現代的な時計、形は昔の形式を保ったものである。
 古時計も古くなるとその数は非常に少なくなり、手に入れようと思っても中々手には入らず、時計愛好家にとっては頭の痛い話でもある。

 明治時代の時計がそうである様に、自分好みのものを手に入れるには一苦労するもの、それが江戸時代となると話は別であり、当然のこと既存数は極めて少なく、手に入れるのも至難の業。
 値段にいとめは付けないと言える人は別として、普通に手に入れるのはやっぱり難しいが、これも又縁があれば向うからやって来る事もある。

 しかし、世の中そんなに甘くなく、やっぱり金の力がものを云う世界、金のある所に吸い寄せられるのは世の常、我々みたいな凡人の所には程遠いものだ。
 高額だから手に入らないと、だからと言って諦めているわけではなく、自分自身にむちを打って励まし、コツコツと諦めずに足で稼ぐしかない事は、自分自身よく分かっている。SANY1273.JPGSANY1262.JPG

 そんな思いをしても、やっぱり欲しいものは欲しいと、今日も諦めずに噂を聞いて西東、犬も歩けば何とやら、地道に足で稼ぐ日々である。
 骨董の世界は何処で何に出くわすか分からないもの、だから諦めずに歩き回るしか方法が無いのも現実、その劇的な出会いを求めて男のロマンを行く。

 写真の時計、大げさな話になってしまったが、昭和40年代になってから製造された時計、古時計の蒐集家、堀田時計の堀田両平氏が再現したと聞く、トランジスター製の掛時計。
 見て通りの江戸時代の尺時計をモデルとし、新しい機械で再現された時計で、機構的には少し問題があり、歯車とチェーンで繋がれた針が移動する仕組み。
SANY1254.JPGSANY1267.JPG
 長い箱の中に上から下まで鎖で繋がっており、その鎖に張りがつけてあるから、鎖の回転で針も動くことになり、これが上手くかみ合わない時もある。
 雰囲気だけでも味わいたい人にとっては、この時計ほどあり難いものはなく、本物をもてないから之で我慢だ。
 ただこの時計調子がいまいち、中々うまく動かないで雰囲気だけ、実用向きではないものだ。

 私は技術屋ではないから詳しい機械の事は知らないが、友人が時計専門の技術屋で、彼に言わせると鎖と歯車のかみ合わせが上手く行かず、途中で引っかかると言うのだ。
 その上、もともとトランジスターの性能も良くないもの、二つがかみ合っていないからトラブルの原因となると言う、難しい事は分からないが、雰囲気だけでも楽しんでいるので、本物は中々手に入らないから、やはり気分だけでも味わっている。





 
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2017年06月29日

博物館の裏側

    いろいろあるが

 
SANY2501.JPG 古時計愛好家にとって博物館は良い、数多く見学できるところ、特に古時計が多く展示してある所は又良い。
 全国に時計の博物館はそんなに多くはないが、小さな物を含めればそこそこはあるのだが、展示となると。

 長年古時計を集めていると、その様な博物館には見学に行く事に、勿論私も例外ではない。
 今までに時計の博物館と名の付く所は概、見学したと思うが、北は北海道から九州まで。
 勿論沖縄も行ってはいるが、時計の博物館はなかったと思う、そんなことで全国を見て回ったものだ。

 しかし現在開館している所は少なくなってしまい、閉館に追い込まれ残念な結果となってしまった。
 私の友人も以前2人が資料館的な所を開いていたが、2人とも止SANY2497.JPGめてしまったのである。
 時計の展示をしたいと常々私に相談をしていた2人、「古時計愛好家なら夢ではないか」と熱く語っていた2人。
 私はあまり賛成ではなかったので、2人には「古時計を展示したいと言う気持ちは分かる」と、しかし「中々経営は成り立たないからやめた方が良い」と。
 2人に諭したものだが、2人とも暑い意志は固くて、結果は2人とも借金して資料館を設置した。

 一人はバカデカイ倉庫を借りて開館し、一時は大勢の見学者が訪れたが、3年と持たなかったので、2人に「原因は何か」と聞かれたが。
 夢は夢で終わってしまった方が良いと、2人に言い聞かせたものだが、原因はハッキリしていると思う。

 古時計の博物館を経営するのは非常に難しく、時計単体では見学者が常時訪問しない事だ。
 我々みたいな古時計愛好家なら、遠い所でも見学に行くがSANY0714.JPG、一般の人はわざわざ古時計だけを見に行く人はいないと思う。
 これは私が今まで博物館と名の付く所を見て来ての感想、古時計単体の博物館は経営が苦しいのだ。
 無論個人の所有で開館している所はまだ良いが、店舗を借りての展示は難しいのだと思う。

 良く2人にも、付加価値として「喫茶店やレストランを主体なら」と、そんなことを提案してきた。
 あくまでも古時計はインテリアの一部としての存在で、喫茶が中心にして、付属として見て貰う事。
 愛好家の夢は良く分かるが、幾くら貴重な古時計を展示しても、それだけでは中々見学に来てくれないのだ。
 それが現実であることを認識しないと、結果は難しいことになってしまい、成り立たない事になるのだ。SANY1961.JPG

 古時計単体ではなく、付加価値を付けなくては経営は成り立たないと言う事、古時計の博物館だけではやって行けないのだ。
 その現実をハッキリと分かった上で、古時計の博物館を開くかは自分次第、もう少し冷静に判断する事。
 裏話であるが友人が開いた博物館、入場料は300円であったがそれでも入館者は少なく、隣の喫茶店に入ってしまい、博物館には来なかった。
 300円でも来ないのかと友人が嘆いていたが、コヒーさえあれば隣よりこちらに入る筈と思う、それが分かれ道でもある。









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2017年06月17日

面白い時計

   愉快な顔が

 
SANY0764.JPG 古時計は種類も豊富で、色々なものが存在しており、その人の好みによって集めるものも違いが。
 私みたいなものは八角型の極普通の古時計が好きで、今までにも多くのこれらの時計を集めたが、それでも尚集めたいと思っている。
 人は「何で同じものばかり集めるのか」と言うが、まだまだ集めたらない物ばかり、これからも八角型の古時計を集めるつもり。 勿論それには訳があり、古時計を集めると思った時、名古屋で製造された古時計を全部集めてやると決めたから。

 しかし未だに道半ば、人が八角型ばかり集めてどうすると言うが、当時八角型が一番多く製造されたから、集めるのにも都合が良いからだ。
 数が多ければそれだけ見つける機会が多くあると思い、八角の古時計に的を絞ったのだが、それでもまだまだ道半ば。

 当初は数が多いと聞いていたから、簡単に集まるものと思っていたが、しかし40数年経った今でもまだまだ目的の半分。SANY1402.JPG
 後の半分は何時になったら集まるのか、想像すら出来ない状態であると、今はつうせつに感じてる状態。
 そんな古時計の世界、やっぱり奥が深くて想像だに出来ないが、コツコツと前に進むだけ、これも古時計愛好家の務め。

 そんな事はどうでもよいが、古時計にも八角型だけではなく愉快な時計が存在しており、そんな古時計だけを集めている人もいる。
 私も嫌いではないから、安くて良いものがあれば買い込むが、そこは八角型の時計とどちらが先かと言う事になる。

「出もの腫もの所かまわず」とのたえもある如く、何処で出くわすか分からないものだが、同時に出た時には四苦八苦する事になる。
 勿論どちらを先に買うのかと言う事、資金があれば二つとも買い込めば良いが、そんな事は出来ないからどちらかひとつ。
SANY1068.JPG
 私は八角型を選んでしまうが、心の底では面白い時計も欲しい、しかしお金がいなから諦める事に。
 そんな時ほど面白い時計の良いものが出ている場合が多い、心を鬼にして諦める事に、それでも家に帰ったからでも頭の中から離れない。
 人と言うものは厄介な動物、欲しいと言う欲求に負ける事の方が多い、それが当たり前かもしれない。
 そんな面白時計、私とは違ってこちらを優先する人も、大概はこちらを買い込む人の方が多いであろう。
 写真がその面白時計、カラクリ付きの愉快な時計たち、見ていても飽きない時計で、一つは欲しい時計だ。



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2017年06月06日

同じに見えて

      それぞれの個性
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 古時計、明治期にアメリカ製の時計をモデルとして、国産の時計が全国各地で多く製造されたが、あくまでも本物に忠実に作られていた。
 モデルが一緒であれば当然出来上がったものも同じ、全国各地で同じものが出来上がった事になるが、果たしてそうだろうか。

 八角型の時計は兎も角、一番人気の四ツ丸ダルマ時計、今でも当時でも人気の時計、この四ツ丸ダルマには本四ツダルマと張四ツダルマとがある。
 本四ツダルマは余り自己主張を発揮する場所がないが、張四ツダルマにはその自己主張を発揮する場所が存在し、此処に製造者意思が見えてくる。

 四ツ丸ダルマは皆同じ形と思っている人も多いが、実は良く見て見ると製造会社によって、それぞれ違った所が存在している事に気付く。
 形が良く似ているから、ダルマ時計には個性がないと言われるが、実はダルマ時計ほど個性を発揮している時計はないと言って良い。SANY9555.JPGSANY9579.JPG

 少し大げさな表現だが、ダルマ時計1つ、1つ、良く見て見ると全く違った物に見えてくるから不思議、その部分とはダルマ時計の中央部。
 時計の両脇に小さな丸の部分のところが其れ、両脇にはみ出した板が存在するが、この板が自己主張の場所となっている事に気付く。

 手持ちのダルマ時計を良く見て比較して見ると、新たな発見があると思う、実は同じ格好をしていると思っていた所が、違っているのだ。
 何気なしに見ていると気付かないが、じっくりと良く見て見ると、やっぱり違うことに気が付くのだが、多くの時計を比較するともっと驚く事に。

 造られた時代にもよるが、その都度違ったものを製造していたのかと思われるほど、種類が幾つか存在し、見れば見SANY9561.JPGSANY9575.JPGるほどに面白い結果になる。
 気が付かないとはこの事、頭の中ではダルマ時計は同じ形と決め付けているから、幾ら見ても同じものに見えてしまうのだ。

 時計製造者もその事に気付いており、少しでも他社との違いを前面に出したかったのだと思うが、其れが消費者に分かったのであろうか。
 何気ないところに、実は真実が潜んでいる事も、時計もその事に神経をすり減らして製造していたのだと思うと、製造者の苦労が見えてくるのだ。
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2017年05月26日

枕ちがい

      枕がそんなに高いのか 


SANY0982.JPG もう20年も前の事、時計仲間と時計談義にはながさき、面白おかしく話をしていたとき時計の話とは知らずに、友人が話しの中に加わって来たのである。
 少しお酒が入っていた事もあり、話が大きくなっていた時の事、加わった友人が「きっきからフランス枕の話をしていたが」と、我々に問いかけてきた。

 すると、前から話に加わっていた一人が「フランス枕要らないか」と、尋ねてきた其の友人に話を持ちかけたのであるが、話に加わった友人は時計の事はまったく知らず、「フランス枕」と聞いて話しに加わっただけの事。
 しかし、他の友人が「俺の持っているフランス枕安くしておくから買わないか」と、話を切り出しフランス枕談議が再会、「前に買ってから調子が良いSANY1001.JPGが、二つも同じ物を持っているので売りたい」と、説明しだした。

 他の者が「幾らで売るのか」と問いかければ、そうだな「10万円で買ったから」と言い出したので、「それは高く買いすぎ」と又他の者があいずちを打つ。
 そんな話に、後から来た友人「たかが枕に10万円も払うのか」と、そして「フランスの枕はどんな素材で出来ているのか」と、其の友人に質問をしていた。

 この人、「フランス枕を時計とは知らず」、眠る時にする「枕」と感違いをしているが、前に居た者たちは分かっていて、後から来た友人をからかう目的で話を進める。
 からかわれているとは知らず其の友人、まだ本物の寝る枕だと思い「フランスと言う所は、枕に金を掛けるんだな」と真剣に話す、それを他の者は笑いをこらえて、尚もからかう。SANY0989.JPG

 どうだ、「奥さんに最高級のフランス枕を買ってやったら」とたたみ掛け、皆して友人をからかって酒の肴にしようとエスカレート、「お前に安く売るから買ない」と追いうち。
 からかわれている友人「買ってもいいが、精々3万円だ」と、訳の分からない返答をして、みんなが爆笑する始末、余り度が過ぎるとイケナイと思い、私がネタ晴らしをする。

 すると友人、まだ本当の枕と勘違いしている始末、このひと感の悪い人で、いつも皆にからかわれているが、本人は何とも思っていないから、やっぱり大物だ。
 写真の時計が皆して友人をからかった時計、七宝入りの程度の良いフランス枕、昔は非常に高くて古時計愛好家は、1つは持ちたいとみんなが思っていた時計でもあった。
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2017年05月24日

よもやま話

      時計にまつわる話



 SANY1153.JPG古時計には色々な逸話が付いて回るものだが、良い方向に勝手に思い込んでしまう人も、古時計であるが故に話が付いて回るのも常、時計の出所もしかり。
 よく古時計には、旧所有者は古くからの旧家であり、由緒正しい家から出た物だから、絶対に良い物であると勝手に決めつけて、出所がよいからこの時計も良い物であると。

 分けのわからない事を言って、古時計を客に勧める店主も多く、如何してもウンチクを勝手に描いてしまい、とんでもない事を言い出す人も現れる。
 写真の時計、中央にマーガレットの真鍮の飾りが付いているもの、この飾りにとんでもない事を言い出した店主が、「この時計は皇室からの拝領品」とばかりに、うやうやしく抱きかかえて持って来た。
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 名古屋市内のある骨董屋の主人がその人、面白いユーハンスの時計が入ったから買わないかと、お誘いの電話を貰った。
 話がどうもオカシイので早速出かけ、その時計を見て「何処に皇室から出た物なの」と、主人に聞けば、「此処を見てよ」と真鍮の飾りを指差している。

 私が「之がどうかしたの」と聞けば、主人「菊の御紋が入っているでしょう」と自慢げ、それには此方も腹から笑えて「どこが菊の紋なのか」と、再度聞く。
 戸田さん「この飾りが皇室から出た証しだよ」と鼻息も荒い、仕方なく「この飾りはユーハンスのスタンダードの飾りだよ」と切り返せば、そんなことは無いと、尚も強気である。

 菊の紋が入ったユーハンスの時計は少なく、まして皇族から出た時計は中々手に入らないものだと言うのだ。
 それではと「確かこの本にも同じ物が付いてSANY1167.JPGいるはず」と古時計の本を出して、同じユーハンスの時計の写真を見せ、「この時計は同じ物が幾つかあり、皇室の紋ではない」全然違う物だよと説明。
 良くある事だが、高く売りたい事は分かるけど、無理やりにこじつけてはいけない、知ってか知らずか、間違いを言って買わせるのはご法度だから。

 最近の天皇退位が話題であるから、しかし飾りの菊のデザインを良くもまあ皇室を持ち出すとは、人は色んな発想をするものであるが、事実は事実それを見極めるのも、古時計愛好家としての楽しみでもあるのでは。
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2017年05月09日

人気のフクロウ

    フクロウ時計


 
SANY1548.JPG 古時計愛好家なら一台は欲しい時計の一つ、そんなに古いものではないが簡単なカラクリにより目や声を出すもの。
 愛らしい表情と目が左右に動き、見た目にも愉快な時計として人気の高い古時計、古時計と言うには少し新しいものだ。
 しかしやっぱり人気は高くて、この一台の古時計で部屋がパッと明るくなると、そんな評判の古時計だ。

 確かに八角型の古時計では部屋がパッと明るくはならず、このフクロウの時計だからこそ明るく感じると思う。
 そこがこの時計の良い所、時代は新しくとも雰囲気は抜群の時計、掛けていて楽しい時計は中々あるものではない。SANY1554.JPG
 古時計は好きではないが、このフクロウ時計は好きだと言う人も多いと聞く、その為に求めたいと言う人も多いので、自然と値段も高くなっている。

 最近の古時計が値下がりしている中、このフクロウ時計は値が下がっておらず、相変わらずの人気の高さを保っている。
 私もこのフクロウ時計は好きで何台か持っていたが、自分の欲しい時計と交換して、今は2台しかない。
 そんなフクロウ時計、ある人から「フクロウ時計で聞きたい事がある」と言って来たので、「何が知りたいのか」と聞いてみた。

 すると「ある知り合いが私のフクロウ時計はおかしいものだSANY1550.JPG」と言われて困っているので見て欲しいとのこと。
 その人曰く「友人の持っているフクロウ時計と部分が違っているからおかしい」、「偽物ではないのか」とも言われたらしい。
 そこで自分のフクロウ時計を見て欲しいとの事、彼の疑問がどんなものなのかこちらも知りたくて持参するように伝えた。

 後日その人は自分のフクロウ時計を持って現れ、時計上部の機械を見るために開けられるふたの所が違うと言うのだ。
 持参されたフクロウ時計は常盤製のフクロウ時計、一般的な時計で数の多いもの、早速その部分を見る事にした。
 我が家の常盤製のフクロウ時計と見比べて見るに、確かに開SANY1542.JPG閉部の止め方か違うものだ、一方は細い針金を差し込み留め金となっているが、持参したものはビス止めになっていた。

 確かにその知人が指摘した通り、開閉止めの金具が違うものになっているが、これは製造の時代の違いでありおかしなものではない。
 詳しくない人は後から付け足したものか、それとも改造されたもの」と思っているが、オリジナルの状態のものである。
 写真は3台の常盤製の留め金のもの、止め方が違う事が分かるが、故意に替えられたものではなくオリジナルのものである。
  一番上の写真が今回のもの、した2つの写真は同じ常盤製の留め金、3台とも常盤製のフクロウ時計のもの。
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2017年04月26日

苦い思い出

      口 は 災 い の 元 


 SANY3687.JPG若いと言うことは素晴らしい事であるが、失敗もまた楽しい思い出でも在り、今思い起こせば昨日のように思い出され、恥ずかしくなってツイツイ笑い出す。
 もちろん照れ隠しであり、楽しくて笑っているのではないが、人間おかしなもので、失敗をした時は笑ってごまかす傾向があり、大抵の人がその行動に出る。

 私もその一人、忘れもしない去る40年近く昔の事で、仕事の関係で全国を回っていたときの事、札幌のサッポロビール工場で会議があり、北海道に出かけた。
 この頃は古時計をやり始めの頃、何処に行くにも古時計の事しか頭に無かったような気がするが、其の時もやっぱり会議はそっちのけで、地元の友人に古時計のある所を教えてもらう事しか考えていなかった。SANY7246.JPG

 サッポロビールの会議は一日でかたずけ、翌日は骨董屋巡りと自分に決め、会議は2日の予定であったが、参加者に根回しをして夜遅くまで会議を行う事に同意してもらう。
 計画どうり会議は一日で終わり、翌日札幌の友人の車で骨董屋巡り開始、前からこの友人とはうまが合い、何度か一緒に骨董屋めぐりをしている。

 翌日も友人と小樽の骨董屋に向う、以前にも何度か行った馴染みの骨董屋に直行、店に入ると直ぐ目の前に古時計が5、6台掛けてあり、その中の一台に目が釘付けになった。
 振り子室のドアーを開け直ぐに精工舎の石原町と確認、「しめた今日は運の良い日だ」と心の中で喜び、早速値段を聞こうと主人に問いかけた。
 
SANY7025.JPG「この時計欲しいのだが、値段は幾ら」と水を向けたが、主人「何で八角のそんな時計を買うのか」と不思議な顔、よせば良いのに「この時計珍しい石原町で、中々手に入らない珍時計」と、長々と自慢げに話す。
 すると主人「そんなに珍しい時計なら1台位取って置くか」と、全く予期せぬ言葉、この主人今までに一度もそんなこと言ったこと無いのに、その言葉にこちらがビックリ。

 「あんたがそんなに珍しいと言う事は、よっぽど数が少ない時計だから」、「やっぱり売るのはやめた」と、時計を奥に仕舞ってしまったので此方が慌てて、「その時計欲しいのだから売ってよ」と攻めてみるが態度は変わらない。

 結局、私が自慢げに石原町に付いて能書き述べたのが間違いの元、主人よぽど価値のある時計であると確信してしまったようで、折角石原町を見つけたのに手に入れることは出来なく成ってしまった。
 若気の至り、よせば良いのに自慢げに知識を見せびらかし、結局墓穴を掘ってしまった事に、後から後悔しても始まらず、ミスミス珍品時計を自分の手で突き放してしまった。 

 写真は精工舎の石原町製造の1番スタンダードな形の時計で、その後この時計を手に入れるのに10年の歳月をついやする嵌めになるとは、そのとき思わなかった。



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2017年04月20日

分からないマーク

      不明なマーク 


SANY1140.JPG 時計には色々なトレードマークが文字盤に印刷されているが、マークを見ただけでメーカー名が分かるのは、ほんの一握りのものしか判別できない。
 今までに研究がされ明らかに成ったものは余り多くなく、不明のマークーの方が遥かに多く、古時計愛好者にとっては厄介の代物でもあり、メーカー名を知りたくても、如何調査してよいか分からない人が多いと思う。
 私もその一人でトレードマークは見て知っているが、それが何処の時計製造所のものか分からず、多くの色々な人に尋ねた。

 しかし結果は分からず仕舞い、よく見かけるマークではあるが所在が分からず、文献も調べてはみたが見つけられなかった。
 そんなおり明治村の学芸員から特許庁の事を教えてもらったのが切っ掛け、調べたい番号さえわかれば探SANY1160.JPGせると言うのだ。
 ただ番号が分からないと、調べるのには時間が掛かるのではないかとも言われ、マークだけどと大変な作業かも知れないと。

 1番確かな方法は、特許庁の台帳に記録されているマークーを、閲覧することが早道であるが、申請されたマークーの特許番号が分かっていれば直ぐに判明する。
 しかし、番号が分からないときは、其のマークーを順番に探さなければならず、之が大変な作業となり、時間の掛かる仕事、根気と努力が必要となる。

 現在ではコンピューターに全て入力されているので、昔みたいに台帳を一枚一枚めくって探す手間は省け、其の為にやはり特許番号は不可欠である。
 日本の時計愛好家の中でも、之をしたいと思っていSANY1164.JPGる人も多いが、実際に調べるのは大変な事、中々現実に行動を起こす人は少ないようだ。
 そんな中、アメリカの古時計愛好家が個人で、日本の時計のトレードマークを研究し、分からない点について日本古時計保存協会に調査依頼が舞い込んだ。

 日本の人でも其処まで調べようとする人が少ない中、外国の人が日本の時計のマークを調べているとは、感心する事やら感激仕切りである。
 依頼されたトレードマークの一部であるが、之から調査をして、希望に添えるように解明をするため、資料と首っ引きで頑張らないと、日本の古時計愛好家は、ものを知らなさ過ぎるとのお叱りを受けかねない。
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2017年04月11日

時計小物

      大 き さ は 色 々



SANY0935.JPG 時計グッツにも色々な種類があり、其れだけを集めている人も多いが、好きな物は人其々であるから、どんな物がよいとか言えないし、言うべきでもない。
 時計に関するものなら何でも集める人、時計と言うからには動かないと時計でないと言う人、時計の姿があれば絵であれ写真であれ、時計が付いていれば良い人など之も様々である。

 これらの小物を集める為に、愛好家は色々な所から手に入れてくるが、その入手先も人其々で安価な物を販売しているところから、高級な輸入品を扱っている所、ハタマタ100円ショップなど色々。
 海外のものはドールハウス用の高級な小物もあり、値段も張るが種類は意外と多く、置時計から掛時計、大きなグランドファーザータイプの物等豊富であるSANY0557.JPG

 その反面、100円ショップなどで購入する人は、こまめに店を回り色々な物を見つけ出す事の好きな人が多いが、どちらがスムーズに手に入るかは時の運。
 良いものを求めてひたすら捜し求めて歩く、「犬も歩けば棒に当たる」の喩え、思わぬ物に出くわす事もあり、其れが又楽しみで捜し歩く人など。

 やはり拘りを持った人はこまめであり、こまめに捜し歩かない事には、良い物にも出くわさないのがこの世界、コツコツと地道に探し回る人が成果を挙げるのだ。
 何事も地道にコツコツとやらねば、しかしコツコツとやるには忍耐と体力が必要、生半可な気持ちではこれらのグッツは集められないから、人よりも多く店を回ることだ。

 よく言われるのに「足で稼げ」と云う、これは人よりも多く歩き回ればそれだけ見つけ易いと、確かにその通りかもしれない。SANY1086.JPG
 どこに何があるか分からないもので、そのを求めて歩き回る人、偶然性の出会いを求めての事だが、時にはそれが図に当たる事もある。
 だからこそ辞められないともいう、愛好家ならではの考え方であるが、あながち的外れでも無いようだと私も思う。

 人は何でそんなものを探して歩き回るのかと、何処に引き付ける魅力があるのかと、色々と詮索もするがそれはそれで良いとも思う。
 好きな道だから、コツコツと歩き回る事も苦にならないと、やはり拘りの人は割り切っていることだけは確かである。

 写真の小物、真ん中が一番大きくて高さ3センチ実働の時計、両サイドの物は高さ1.5センチと小さく動かない物、これらも何処で見つかるか分からない代物です。
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2017年03月30日

里帰り

      久し振りのふるさと 


SANY4376.JPG 130年振りに帰った故郷、自分でも生まれ故郷に帰ってくるとは夢にも思って居なかったし、実現するとも思って居なかったので、故郷に帰って感慨ひとしおである。
 主人が是非とも故郷の土を踏ませてあげると宣言してから、4年の歳月を経たが主人の言葉どうり愛知県岡崎の地を訪れる事ができ、長い旅を今振り返って見るに、色々な事が思い出される。
 生まれ故郷の三河岡崎を旅立ったのが明治18年の秋だと記憶しているが、19年の春かも知れないが、どちらにせよ100以上前のことであり、半年ばかりずれても大差は無い。

 旅の最初に着いた所が近江の国内保村、此村の庄屋さんの家に住み込みで働く事になったからであり、長い旅を経て内保村に着いたのが、やっぱり秋だった。
 私の働く場所は玄関を入った土間の柱の上、大勢のSANY0370.JPG使用人が何時も忙しく働く場所でもあったが、私は其の人達を上から眺めながら働いていた。
 岡崎の地と違い、この滋賀県内保村、伊吹の山から吹く風は冷たく、冬は寒くて、寒くて体が縮む思いをして、一生懸命働いたが若かったので時には働くのが嫌になり、ストライキをした事もしばしば。

 そんな時に、ここの主人は体を休める為に虎姫の時計屋に養生に出してくれ、2、3日体を休めた後再び土間の働き場所に戻って、朝から晩まで休みなしに働いた。
 そして、昭和16年どう云う訳か突如暇を出されてしまったのであり、しかたなく働く場所を求めて京の都に行くことにし、長い間働いた内保村を後にした。
 京に着いてから直ぐに働く場所は決まったが、其処も長続きせず今度は阿波の国に行き働くが、ここも直ぐにクビになり、遠州浜松にたどり着き、その後直ぐに尾張瀬戸に赴く事になる。SANY4458.JPG

 そして主人より里帰りを促されやっと岡崎に、故郷の空気は懐かしく実に暖かかったのを実感したが、今ひとつは肉親が名乗り出てくれるのを期待していた。
 しかし、期間中に肉親は訪れることは無く、テレビや新聞が取り上げてくれ、捜索を協力してくれたがやっぱり歳月が経ちすぎており、短期間で探すことは出来なかった。
 私の履歴書を紹介したが、私は岡崎で生まれた中條勇次郎製の時計、全国を歩き回り現在は瀬戸市に在住している。

 生まれ故郷で私の親戚の人たちを探すために岡崎に行った、結果は不発に終わってしまったが、それでも意義あるものにはなったと思う。
 長い間歩き回ったが、生まれ故郷は懐かしかったもの、これからも機会を見つけて訪れたいと思っているが、その時に肉親をまた探すつもりである。
 写真の時計は、私の為に一緒に岡崎の地にお供してくれた仲間の人達であり、働く場所は違うが私の故郷行きを応援してくれた、やさしい仲間である。


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