2017年07月25日

遊び心

       無機質にあらず 

 
 SANY4747.JPG時計の機械は歯車の集合体であり、規則正しくリズミカルに動くもの、与えられた使命は、時を刻む為に絶えず働き続け正確に刻む事である。

 歯車の一つ一つは何の意識も持たず、与えられた方向に逆らわず、絶えず前に進む事を良しとして、前にしか進めないのであり、休もうとしても休めない。

 自分の意思ではどうにもならなく、後ろから急き立てられ、体が擦り切れるまで止まることを許可されないが、時には例外があり機動部の故障時は意思に反してとまる事を許される。

 それが歯車に与えられた一生であり、他の歯車の迷惑にならないように、務めなければならない使命を持たされ、他の歯車に急き立てられ回り続けるのである。SANY4453.JPG

 人間の様に表現するとこうなるかもしれないが、歯車に意思がない為、彼等は何とも思っていないのが現実であり、見ている我々の生活と同じように感じるのは、少し違っているかもしれない。

 時計と言うのは、機械であり人間味など持たされていないものが大半であるが、時には人間味溢れる時計も存在していて、私たちと意思が通うかのような時計も存在する。

 江戸時代の時計師たちは機械である時計を、時として人間味溢れる物を数多く作り出してきたが、明治以後西洋時計の無機質な機械を真似る事のみに専念したお陰で、人間味のあるものを作り出さなかった。

 江戸の職人たちの作った時計は、遊び心がいっぱいDSCN1390.JPGであり、見ていても機械もいかにも楽しそうに働いて、人間臭さがにじみ出ているのは何故であろうか。

 やはり、真似をするだけではその境地には慣れないだろうし、生み出す事もしないであろうと思われたが、明治末期頃になると又遊び心のある機械が出現する。

 もともと日本の西洋時計はアメリカ製のコピー、忠実に再現していた時期が過ぎ、日本独自の西洋時計が生み出されて行くことになる。

 そこには和洋折衷を取り入れ、伝統技術をふんだんに使ったものが生み出され、職人の技術の結晶とも言えるもの。

 写真の時計は、明治末に造られた時計の心臓部であるが、其処には無機質なものは見えず、人間味溢れる遊び心が出ている時計が造られた。
 無機質さを避け遊び心をふんだんに取り入れた機械を造り、みているものに楽しさを与えるものを生み出した。



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2017年07月11日

ムードは良いが

      現代に蘇る


SANY2747.JPG 以前にも紹介したがもっと詳しくと言う事で再度登場の復刻版時計。
 勿論新しく造られた現代的な時計、形は昔の形式を保ったものである。
 古時計も古くなるとその数は非常に少なくなり、手に入れようと思っても中々手には入らず、時計愛好家にとっては頭の痛い話でもある。

 明治時代の時計がそうである様に、自分好みのものを手に入れるには一苦労するもの、それが江戸時代となると話は別であり、当然のこと既存数は極めて少なく、手に入れるのも至難の業。
 値段にいとめは付けないと言える人は別として、普通に手に入れるのはやっぱり難しいが、これも又縁があれば向うからやって来る事もある。

 しかし、世の中そんなに甘くなく、やっぱり金の力がものを云う世界、金のある所に吸い寄せられるのは世の常、我々みたいな凡人の所には程遠いものだ。
 高額だから手に入らないと、だからと言って諦めているわけではなく、自分自身にむちを打って励まし、コツコツと諦めずに足で稼ぐしかない事は、自分自身よく分かっている。SANY1273.JPGSANY1262.JPG

 そんな思いをしても、やっぱり欲しいものは欲しいと、今日も諦めずに噂を聞いて西東、犬も歩けば何とやら、地道に足で稼ぐ日々である。
 骨董の世界は何処で何に出くわすか分からないもの、だから諦めずに歩き回るしか方法が無いのも現実、その劇的な出会いを求めて男のロマンを行く。

 写真の時計、大げさな話になってしまったが、昭和40年代になってから製造された時計、古時計の蒐集家、堀田時計の堀田両平氏が再現したと聞く、トランジスター製の掛時計。
 見て通りの江戸時代の尺時計をモデルとし、新しい機械で再現された時計で、機構的には少し問題があり、歯車とチェーンで繋がれた針が移動する仕組み。
SANY1254.JPGSANY1267.JPG
 長い箱の中に上から下まで鎖で繋がっており、その鎖に張りがつけてあるから、鎖の回転で針も動くことになり、これが上手くかみ合わない時もある。
 雰囲気だけでも味わいたい人にとっては、この時計ほどあり難いものはなく、本物をもてないから之で我慢だ。
 ただこの時計調子がいまいち、中々うまく動かないで雰囲気だけ、実用向きではないものだ。

 私は技術屋ではないから詳しい機械の事は知らないが、友人が時計専門の技術屋で、彼に言わせると鎖と歯車のかみ合わせが上手く行かず、途中で引っかかると言うのだ。
 その上、もともとトランジスターの性能も良くないもの、二つがかみ合っていないからトラブルの原因となると言う、難しい事は分からないが、雰囲気だけでも楽しんでいるので、本物は中々手に入らないから、やはり気分だけでも味わっている。





 
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2017年06月29日

博物館の裏側

    いろいろあるが

 
SANY2501.JPG 古時計愛好家にとって博物館は良い、数多く見学できるところ、特に古時計が多く展示してある所は又良い。
 全国に時計の博物館はそんなに多くはないが、小さな物を含めればそこそこはあるのだが、展示となると。

 長年古時計を集めていると、その様な博物館には見学に行く事に、勿論私も例外ではない。
 今までに時計の博物館と名の付く所は概、見学したと思うが、北は北海道から九州まで。
 勿論沖縄も行ってはいるが、時計の博物館はなかったと思う、そんなことで全国を見て回ったものだ。

 しかし現在開館している所は少なくなってしまい、閉館に追い込まれ残念な結果となってしまった。
 私の友人も以前2人が資料館的な所を開いていたが、2人とも止SANY2497.JPGめてしまったのである。
 時計の展示をしたいと常々私に相談をしていた2人、「古時計愛好家なら夢ではないか」と熱く語っていた2人。
 私はあまり賛成ではなかったので、2人には「古時計を展示したいと言う気持ちは分かる」と、しかし「中々経営は成り立たないからやめた方が良い」と。
 2人に諭したものだが、2人とも暑い意志は固くて、結果は2人とも借金して資料館を設置した。

 一人はバカデカイ倉庫を借りて開館し、一時は大勢の見学者が訪れたが、3年と持たなかったので、2人に「原因は何か」と聞かれたが。
 夢は夢で終わってしまった方が良いと、2人に言い聞かせたものだが、原因はハッキリしていると思う。

 古時計の博物館を経営するのは非常に難しく、時計単体では見学者が常時訪問しない事だ。
 我々みたいな古時計愛好家なら、遠い所でも見学に行くがSANY0714.JPG、一般の人はわざわざ古時計だけを見に行く人はいないと思う。
 これは私が今まで博物館と名の付く所を見て来ての感想、古時計単体の博物館は経営が苦しいのだ。
 無論個人の所有で開館している所はまだ良いが、店舗を借りての展示は難しいのだと思う。

 良く2人にも、付加価値として「喫茶店やレストランを主体なら」と、そんなことを提案してきた。
 あくまでも古時計はインテリアの一部としての存在で、喫茶が中心にして、付属として見て貰う事。
 愛好家の夢は良く分かるが、幾くら貴重な古時計を展示しても、それだけでは中々見学に来てくれないのだ。
 それが現実であることを認識しないと、結果は難しいことになってしまい、成り立たない事になるのだ。SANY1961.JPG

 古時計単体ではなく、付加価値を付けなくては経営は成り立たないと言う事、古時計の博物館だけではやって行けないのだ。
 その現実をハッキリと分かった上で、古時計の博物館を開くかは自分次第、もう少し冷静に判断する事。
 裏話であるが友人が開いた博物館、入場料は300円であったがそれでも入館者は少なく、隣の喫茶店に入ってしまい、博物館には来なかった。
 300円でも来ないのかと友人が嘆いていたが、コヒーさえあれば隣よりこちらに入る筈と思う、それが分かれ道でもある。









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2017年06月17日

面白い時計

   愉快な顔が

 
SANY0764.JPG 古時計は種類も豊富で、色々なものが存在しており、その人の好みによって集めるものも違いが。
 私みたいなものは八角型の極普通の古時計が好きで、今までにも多くのこれらの時計を集めたが、それでも尚集めたいと思っている。
 人は「何で同じものばかり集めるのか」と言うが、まだまだ集めたらない物ばかり、これからも八角型の古時計を集めるつもり。 勿論それには訳があり、古時計を集めると思った時、名古屋で製造された古時計を全部集めてやると決めたから。

 しかし未だに道半ば、人が八角型ばかり集めてどうすると言うが、当時八角型が一番多く製造されたから、集めるのにも都合が良いからだ。
 数が多ければそれだけ見つける機会が多くあると思い、八角の古時計に的を絞ったのだが、それでもまだまだ道半ば。

 当初は数が多いと聞いていたから、簡単に集まるものと思っていたが、しかし40数年経った今でもまだまだ目的の半分。SANY1402.JPG
 後の半分は何時になったら集まるのか、想像すら出来ない状態であると、今はつうせつに感じてる状態。
 そんな古時計の世界、やっぱり奥が深くて想像だに出来ないが、コツコツと前に進むだけ、これも古時計愛好家の務め。

 そんな事はどうでもよいが、古時計にも八角型だけではなく愉快な時計が存在しており、そんな古時計だけを集めている人もいる。
 私も嫌いではないから、安くて良いものがあれば買い込むが、そこは八角型の時計とどちらが先かと言う事になる。

「出もの腫もの所かまわず」とのたえもある如く、何処で出くわすか分からないものだが、同時に出た時には四苦八苦する事になる。
 勿論どちらを先に買うのかと言う事、資金があれば二つとも買い込めば良いが、そんな事は出来ないからどちらかひとつ。
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 私は八角型を選んでしまうが、心の底では面白い時計も欲しい、しかしお金がいなから諦める事に。
 そんな時ほど面白い時計の良いものが出ている場合が多い、心を鬼にして諦める事に、それでも家に帰ったからでも頭の中から離れない。
 人と言うものは厄介な動物、欲しいと言う欲求に負ける事の方が多い、それが当たり前かもしれない。
 そんな面白時計、私とは違ってこちらを優先する人も、大概はこちらを買い込む人の方が多いであろう。
 写真がその面白時計、カラクリ付きの愉快な時計たち、見ていても飽きない時計で、一つは欲しい時計だ。



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2017年06月06日

同じに見えて

      それぞれの個性
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 古時計、明治期にアメリカ製の時計をモデルとして、国産の時計が全国各地で多く製造されたが、あくまでも本物に忠実に作られていた。
 モデルが一緒であれば当然出来上がったものも同じ、全国各地で同じものが出来上がった事になるが、果たしてそうだろうか。

 八角型の時計は兎も角、一番人気の四ツ丸ダルマ時計、今でも当時でも人気の時計、この四ツ丸ダルマには本四ツダルマと張四ツダルマとがある。
 本四ツダルマは余り自己主張を発揮する場所がないが、張四ツダルマにはその自己主張を発揮する場所が存在し、此処に製造者意思が見えてくる。

 四ツ丸ダルマは皆同じ形と思っている人も多いが、実は良く見て見ると製造会社によって、それぞれ違った所が存在している事に気付く。
 形が良く似ているから、ダルマ時計には個性がないと言われるが、実はダルマ時計ほど個性を発揮している時計はないと言って良い。SANY9555.JPGSANY9579.JPG

 少し大げさな表現だが、ダルマ時計1つ、1つ、良く見て見ると全く違った物に見えてくるから不思議、その部分とはダルマ時計の中央部。
 時計の両脇に小さな丸の部分のところが其れ、両脇にはみ出した板が存在するが、この板が自己主張の場所となっている事に気付く。

 手持ちのダルマ時計を良く見て比較して見ると、新たな発見があると思う、実は同じ格好をしていると思っていた所が、違っているのだ。
 何気なしに見ていると気付かないが、じっくりと良く見て見ると、やっぱり違うことに気が付くのだが、多くの時計を比較するともっと驚く事に。

 造られた時代にもよるが、その都度違ったものを製造していたのかと思われるほど、種類が幾つか存在し、見れば見SANY9561.JPGSANY9575.JPGるほどに面白い結果になる。
 気が付かないとはこの事、頭の中ではダルマ時計は同じ形と決め付けているから、幾ら見ても同じものに見えてしまうのだ。

 時計製造者もその事に気付いており、少しでも他社との違いを前面に出したかったのだと思うが、其れが消費者に分かったのであろうか。
 何気ないところに、実は真実が潜んでいる事も、時計もその事に神経をすり減らして製造していたのだと思うと、製造者の苦労が見えてくるのだ。
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2017年05月26日

枕ちがい

      枕がそんなに高いのか 


SANY0982.JPG もう20年も前の事、時計仲間と時計談義にはながさき、面白おかしく話をしていたとき時計の話とは知らずに、友人が話しの中に加わって来たのである。
 少しお酒が入っていた事もあり、話が大きくなっていた時の事、加わった友人が「きっきからフランス枕の話をしていたが」と、我々に問いかけてきた。

 すると、前から話に加わっていた一人が「フランス枕要らないか」と、尋ねてきた其の友人に話を持ちかけたのであるが、話に加わった友人は時計の事はまったく知らず、「フランス枕」と聞いて話しに加わっただけの事。
 しかし、他の友人が「俺の持っているフランス枕安くしておくから買わないか」と、話を切り出しフランス枕談議が再会、「前に買ってから調子が良いSANY1001.JPGが、二つも同じ物を持っているので売りたい」と、説明しだした。

 他の者が「幾らで売るのか」と問いかければ、そうだな「10万円で買ったから」と言い出したので、「それは高く買いすぎ」と又他の者があいずちを打つ。
 そんな話に、後から来た友人「たかが枕に10万円も払うのか」と、そして「フランスの枕はどんな素材で出来ているのか」と、其の友人に質問をしていた。

 この人、「フランス枕を時計とは知らず」、眠る時にする「枕」と感違いをしているが、前に居た者たちは分かっていて、後から来た友人をからかう目的で話を進める。
 からかわれているとは知らず其の友人、まだ本物の寝る枕だと思い「フランスと言う所は、枕に金を掛けるんだな」と真剣に話す、それを他の者は笑いをこらえて、尚もからかう。SANY0989.JPG

 どうだ、「奥さんに最高級のフランス枕を買ってやったら」とたたみ掛け、皆して友人をからかって酒の肴にしようとエスカレート、「お前に安く売るから買ない」と追いうち。
 からかわれている友人「買ってもいいが、精々3万円だ」と、訳の分からない返答をして、みんなが爆笑する始末、余り度が過ぎるとイケナイと思い、私がネタ晴らしをする。

 すると友人、まだ本当の枕と勘違いしている始末、このひと感の悪い人で、いつも皆にからかわれているが、本人は何とも思っていないから、やっぱり大物だ。
 写真の時計が皆して友人をからかった時計、七宝入りの程度の良いフランス枕、昔は非常に高くて古時計愛好家は、1つは持ちたいとみんなが思っていた時計でもあった。
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2017年05月24日

よもやま話

      時計にまつわる話



 SANY1153.JPG古時計には色々な逸話が付いて回るものだが、良い方向に勝手に思い込んでしまう人も、古時計であるが故に話が付いて回るのも常、時計の出所もしかり。
 よく古時計には、旧所有者は古くからの旧家であり、由緒正しい家から出た物だから、絶対に良い物であると勝手に決めつけて、出所がよいからこの時計も良い物であると。

 分けのわからない事を言って、古時計を客に勧める店主も多く、如何してもウンチクを勝手に描いてしまい、とんでもない事を言い出す人も現れる。
 写真の時計、中央にマーガレットの真鍮の飾りが付いているもの、この飾りにとんでもない事を言い出した店主が、「この時計は皇室からの拝領品」とばかりに、うやうやしく抱きかかえて持って来た。
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 名古屋市内のある骨董屋の主人がその人、面白いユーハンスの時計が入ったから買わないかと、お誘いの電話を貰った。
 話がどうもオカシイので早速出かけ、その時計を見て「何処に皇室から出た物なの」と、主人に聞けば、「此処を見てよ」と真鍮の飾りを指差している。

 私が「之がどうかしたの」と聞けば、主人「菊の御紋が入っているでしょう」と自慢げ、それには此方も腹から笑えて「どこが菊の紋なのか」と、再度聞く。
 戸田さん「この飾りが皇室から出た証しだよ」と鼻息も荒い、仕方なく「この飾りはユーハンスのスタンダードの飾りだよ」と切り返せば、そんなことは無いと、尚も強気である。

 菊の紋が入ったユーハンスの時計は少なく、まして皇族から出た時計は中々手に入らないものだと言うのだ。
 それではと「確かこの本にも同じ物が付いてSANY1167.JPGいるはず」と古時計の本を出して、同じユーハンスの時計の写真を見せ、「この時計は同じ物が幾つかあり、皇室の紋ではない」全然違う物だよと説明。
 良くある事だが、高く売りたい事は分かるけど、無理やりにこじつけてはいけない、知ってか知らずか、間違いを言って買わせるのはご法度だから。

 最近の天皇退位が話題であるから、しかし飾りの菊のデザインを良くもまあ皇室を持ち出すとは、人は色んな発想をするものであるが、事実は事実それを見極めるのも、古時計愛好家としての楽しみでもあるのでは。
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2017年05月09日

人気のフクロウ

    フクロウ時計


 
SANY1548.JPG 古時計愛好家なら一台は欲しい時計の一つ、そんなに古いものではないが簡単なカラクリにより目や声を出すもの。
 愛らしい表情と目が左右に動き、見た目にも愉快な時計として人気の高い古時計、古時計と言うには少し新しいものだ。
 しかしやっぱり人気は高くて、この一台の古時計で部屋がパッと明るくなると、そんな評判の古時計だ。

 確かに八角型の古時計では部屋がパッと明るくはならず、このフクロウの時計だからこそ明るく感じると思う。
 そこがこの時計の良い所、時代は新しくとも雰囲気は抜群の時計、掛けていて楽しい時計は中々あるものではない。SANY1554.JPG
 古時計は好きではないが、このフクロウ時計は好きだと言う人も多いと聞く、その為に求めたいと言う人も多いので、自然と値段も高くなっている。

 最近の古時計が値下がりしている中、このフクロウ時計は値が下がっておらず、相変わらずの人気の高さを保っている。
 私もこのフクロウ時計は好きで何台か持っていたが、自分の欲しい時計と交換して、今は2台しかない。
 そんなフクロウ時計、ある人から「フクロウ時計で聞きたい事がある」と言って来たので、「何が知りたいのか」と聞いてみた。

 すると「ある知り合いが私のフクロウ時計はおかしいものだSANY1550.JPG」と言われて困っているので見て欲しいとのこと。
 その人曰く「友人の持っているフクロウ時計と部分が違っているからおかしい」、「偽物ではないのか」とも言われたらしい。
 そこで自分のフクロウ時計を見て欲しいとの事、彼の疑問がどんなものなのかこちらも知りたくて持参するように伝えた。

 後日その人は自分のフクロウ時計を持って現れ、時計上部の機械を見るために開けられるふたの所が違うと言うのだ。
 持参されたフクロウ時計は常盤製のフクロウ時計、一般的な時計で数の多いもの、早速その部分を見る事にした。
 我が家の常盤製のフクロウ時計と見比べて見るに、確かに開SANY1542.JPG閉部の止め方か違うものだ、一方は細い針金を差し込み留め金となっているが、持参したものはビス止めになっていた。

 確かにその知人が指摘した通り、開閉止めの金具が違うものになっているが、これは製造の時代の違いでありおかしなものではない。
 詳しくない人は後から付け足したものか、それとも改造されたもの」と思っているが、オリジナルの状態のものである。
 写真は3台の常盤製の留め金のもの、止め方が違う事が分かるが、故意に替えられたものではなくオリジナルのものである。
  一番上の写真が今回のもの、した2つの写真は同じ常盤製の留め金、3台とも常盤製のフクロウ時計のもの。
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2017年04月26日

苦い思い出

      口 は 災 い の 元 


 SANY3687.JPG若いと言うことは素晴らしい事であるが、失敗もまた楽しい思い出でも在り、今思い起こせば昨日のように思い出され、恥ずかしくなってツイツイ笑い出す。
 もちろん照れ隠しであり、楽しくて笑っているのではないが、人間おかしなもので、失敗をした時は笑ってごまかす傾向があり、大抵の人がその行動に出る。

 私もその一人、忘れもしない去る40年近く昔の事で、仕事の関係で全国を回っていたときの事、札幌のサッポロビール工場で会議があり、北海道に出かけた。
 この頃は古時計をやり始めの頃、何処に行くにも古時計の事しか頭に無かったような気がするが、其の時もやっぱり会議はそっちのけで、地元の友人に古時計のある所を教えてもらう事しか考えていなかった。SANY7246.JPG

 サッポロビールの会議は一日でかたずけ、翌日は骨董屋巡りと自分に決め、会議は2日の予定であったが、参加者に根回しをして夜遅くまで会議を行う事に同意してもらう。
 計画どうり会議は一日で終わり、翌日札幌の友人の車で骨董屋巡り開始、前からこの友人とはうまが合い、何度か一緒に骨董屋めぐりをしている。

 翌日も友人と小樽の骨董屋に向う、以前にも何度か行った馴染みの骨董屋に直行、店に入ると直ぐ目の前に古時計が5、6台掛けてあり、その中の一台に目が釘付けになった。
 振り子室のドアーを開け直ぐに精工舎の石原町と確認、「しめた今日は運の良い日だ」と心の中で喜び、早速値段を聞こうと主人に問いかけた。
 
SANY7025.JPG「この時計欲しいのだが、値段は幾ら」と水を向けたが、主人「何で八角のそんな時計を買うのか」と不思議な顔、よせば良いのに「この時計珍しい石原町で、中々手に入らない珍時計」と、長々と自慢げに話す。
 すると主人「そんなに珍しい時計なら1台位取って置くか」と、全く予期せぬ言葉、この主人今までに一度もそんなこと言ったこと無いのに、その言葉にこちらがビックリ。

 「あんたがそんなに珍しいと言う事は、よっぽど数が少ない時計だから」、「やっぱり売るのはやめた」と、時計を奥に仕舞ってしまったので此方が慌てて、「その時計欲しいのだから売ってよ」と攻めてみるが態度は変わらない。

 結局、私が自慢げに石原町に付いて能書き述べたのが間違いの元、主人よぽど価値のある時計であると確信してしまったようで、折角石原町を見つけたのに手に入れることは出来なく成ってしまった。
 若気の至り、よせば良いのに自慢げに知識を見せびらかし、結局墓穴を掘ってしまった事に、後から後悔しても始まらず、ミスミス珍品時計を自分の手で突き放してしまった。 

 写真は精工舎の石原町製造の1番スタンダードな形の時計で、その後この時計を手に入れるのに10年の歳月をついやする嵌めになるとは、そのとき思わなかった。



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2017年04月20日

分からないマーク

      不明なマーク 


SANY1140.JPG 時計には色々なトレードマークが文字盤に印刷されているが、マークを見ただけでメーカー名が分かるのは、ほんの一握りのものしか判別できない。
 今までに研究がされ明らかに成ったものは余り多くなく、不明のマークーの方が遥かに多く、古時計愛好者にとっては厄介の代物でもあり、メーカー名を知りたくても、如何調査してよいか分からない人が多いと思う。
 私もその一人でトレードマークは見て知っているが、それが何処の時計製造所のものか分からず、多くの色々な人に尋ねた。

 しかし結果は分からず仕舞い、よく見かけるマークではあるが所在が分からず、文献も調べてはみたが見つけられなかった。
 そんなおり明治村の学芸員から特許庁の事を教えてもらったのが切っ掛け、調べたい番号さえわかれば探SANY1160.JPGせると言うのだ。
 ただ番号が分からないと、調べるのには時間が掛かるのではないかとも言われ、マークだけどと大変な作業かも知れないと。

 1番確かな方法は、特許庁の台帳に記録されているマークーを、閲覧することが早道であるが、申請されたマークーの特許番号が分かっていれば直ぐに判明する。
 しかし、番号が分からないときは、其のマークーを順番に探さなければならず、之が大変な作業となり、時間の掛かる仕事、根気と努力が必要となる。

 現在ではコンピューターに全て入力されているので、昔みたいに台帳を一枚一枚めくって探す手間は省け、其の為にやはり特許番号は不可欠である。
 日本の時計愛好家の中でも、之をしたいと思っていSANY1164.JPGる人も多いが、実際に調べるのは大変な事、中々現実に行動を起こす人は少ないようだ。
 そんな中、アメリカの古時計愛好家が個人で、日本の時計のトレードマークを研究し、分からない点について日本古時計保存協会に調査依頼が舞い込んだ。

 日本の人でも其処まで調べようとする人が少ない中、外国の人が日本の時計のマークを調べているとは、感心する事やら感激仕切りである。
 依頼されたトレードマークの一部であるが、之から調査をして、希望に添えるように解明をするため、資料と首っ引きで頑張らないと、日本の古時計愛好家は、ものを知らなさ過ぎるとのお叱りを受けかねない。
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2017年04月11日

時計小物

      大 き さ は 色 々



SANY0935.JPG 時計グッツにも色々な種類があり、其れだけを集めている人も多いが、好きな物は人其々であるから、どんな物がよいとか言えないし、言うべきでもない。
 時計に関するものなら何でも集める人、時計と言うからには動かないと時計でないと言う人、時計の姿があれば絵であれ写真であれ、時計が付いていれば良い人など之も様々である。

 これらの小物を集める為に、愛好家は色々な所から手に入れてくるが、その入手先も人其々で安価な物を販売しているところから、高級な輸入品を扱っている所、ハタマタ100円ショップなど色々。
 海外のものはドールハウス用の高級な小物もあり、値段も張るが種類は意外と多く、置時計から掛時計、大きなグランドファーザータイプの物等豊富であるSANY0557.JPG

 その反面、100円ショップなどで購入する人は、こまめに店を回り色々な物を見つけ出す事の好きな人が多いが、どちらがスムーズに手に入るかは時の運。
 良いものを求めてひたすら捜し求めて歩く、「犬も歩けば棒に当たる」の喩え、思わぬ物に出くわす事もあり、其れが又楽しみで捜し歩く人など。

 やはり拘りを持った人はこまめであり、こまめに捜し歩かない事には、良い物にも出くわさないのがこの世界、コツコツと地道に探し回る人が成果を挙げるのだ。
 何事も地道にコツコツとやらねば、しかしコツコツとやるには忍耐と体力が必要、生半可な気持ちではこれらのグッツは集められないから、人よりも多く店を回ることだ。

 よく言われるのに「足で稼げ」と云う、これは人よりも多く歩き回ればそれだけ見つけ易いと、確かにその通りかもしれない。SANY1086.JPG
 どこに何があるか分からないもので、そのを求めて歩き回る人、偶然性の出会いを求めての事だが、時にはそれが図に当たる事もある。
 だからこそ辞められないともいう、愛好家ならではの考え方であるが、あながち的外れでも無いようだと私も思う。

 人は何でそんなものを探して歩き回るのかと、何処に引き付ける魅力があるのかと、色々と詮索もするがそれはそれで良いとも思う。
 好きな道だから、コツコツと歩き回る事も苦にならないと、やはり拘りの人は割り切っていることだけは確かである。

 写真の小物、真ん中が一番大きくて高さ3センチ実働の時計、両サイドの物は高さ1.5センチと小さく動かない物、これらも何処で見つかるか分からない代物です。
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2017年03月30日

里帰り

      久し振りのふるさと 


SANY4376.JPG 130年振りに帰った故郷、自分でも生まれ故郷に帰ってくるとは夢にも思って居なかったし、実現するとも思って居なかったので、故郷に帰って感慨ひとしおである。
 主人が是非とも故郷の土を踏ませてあげると宣言してから、4年の歳月を経たが主人の言葉どうり愛知県岡崎の地を訪れる事ができ、長い旅を今振り返って見るに、色々な事が思い出される。
 生まれ故郷の三河岡崎を旅立ったのが明治18年の秋だと記憶しているが、19年の春かも知れないが、どちらにせよ100以上前のことであり、半年ばかりずれても大差は無い。

 旅の最初に着いた所が近江の国内保村、此村の庄屋さんの家に住み込みで働く事になったからであり、長い旅を経て内保村に着いたのが、やっぱり秋だった。
 私の働く場所は玄関を入った土間の柱の上、大勢のSANY0370.JPG使用人が何時も忙しく働く場所でもあったが、私は其の人達を上から眺めながら働いていた。
 岡崎の地と違い、この滋賀県内保村、伊吹の山から吹く風は冷たく、冬は寒くて、寒くて体が縮む思いをして、一生懸命働いたが若かったので時には働くのが嫌になり、ストライキをした事もしばしば。

 そんな時に、ここの主人は体を休める為に虎姫の時計屋に養生に出してくれ、2、3日体を休めた後再び土間の働き場所に戻って、朝から晩まで休みなしに働いた。
 そして、昭和16年どう云う訳か突如暇を出されてしまったのであり、しかたなく働く場所を求めて京の都に行くことにし、長い間働いた内保村を後にした。
 京に着いてから直ぐに働く場所は決まったが、其処も長続きせず今度は阿波の国に行き働くが、ここも直ぐにクビになり、遠州浜松にたどり着き、その後直ぐに尾張瀬戸に赴く事になる。SANY4458.JPG

 そして主人より里帰りを促されやっと岡崎に、故郷の空気は懐かしく実に暖かかったのを実感したが、今ひとつは肉親が名乗り出てくれるのを期待していた。
 しかし、期間中に肉親は訪れることは無く、テレビや新聞が取り上げてくれ、捜索を協力してくれたがやっぱり歳月が経ちすぎており、短期間で探すことは出来なかった。
 私の履歴書を紹介したが、私は岡崎で生まれた中條勇次郎製の時計、全国を歩き回り現在は瀬戸市に在住している。

 生まれ故郷で私の親戚の人たちを探すために岡崎に行った、結果は不発に終わってしまったが、それでも意義あるものにはなったと思う。
 長い間歩き回ったが、生まれ故郷は懐かしかったもの、これからも機会を見つけて訪れたいと思っているが、その時に肉親をまた探すつもりである。
 写真の時計は、私の為に一緒に岡崎の地にお供してくれた仲間の人達であり、働く場所は違うが私の故郷行きを応援してくれた、やさしい仲間である。


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2017年03月15日

何の錘か

      この錘は何



 SANY2367.JPG写真の錘は何に使うものであろうか、写真を見て直ぐに分かる人は、相当時計に詳しい人ですが、分からない人も当たり前の事で、さほど気にする事はない。
 写真一枚見て何なのか分かる人の方がおかしいかもと、まあ可笑しな事を言っているのもヤッパリ可笑しいか、何の事やら分からなくなった来た。
 写真を見て普通に考えれば、秤の錘ではないのかと考えるのが、やっぱり普通である事は察しがつくであろう、その通り錘であるが、秤でも秤が違う。
 この錘は和時計に使われている錘で、通称「棒天賦」と呼ばれる「天賦の錘」、良くテレビの時代劇に出てくる、大名家の床の間に置かれている、あの時計、この時計を和時計と呼ぶ。
 この錘は和時計専用の錘、棒天賦に使われている錘で、一丁天賦であれば2個、2丁天賦であれば4個、この錘をかけて使用する物であり、この錘を横にスライドさせて、早くしたり、遅くしたりする為の錘。SANY2371.JPG
 形はそんなに変わった物は無く、この手のものが1番多く使用されているもの、素材は殆どが真鍮製で出来ており、中には銀製も存在するが、稀であり真鍮製が多い。
 錘の作り方は非常に簡単であり、真鍮を轆轤で挽き錘を作る、真鍮は軽いので中には鉛を詰めた物もあり、製作者の好みで変えられた様でもある。
 この錘、小さくて直径が1センチ、高さも1.5センチと小さな物、それ故に良く紛失している事が多く、後世に製造されたものが多くて、製作当時の物は少ない。
 製造が簡単な為に、紛失してもさほど困らない事も原因か、オリジナルの錘が付いている和時計も珍しい方、やはり消耗品と当時の人も考えていたようだ。
 もっとも古い棒添付の錘は型で造られて鉛だけのもの。
 形も素朴なものが多く装飾性に乏しいものが多いようで派手さはないもの。SANY0138.JPG
 時代が下がるにつれて真鍮製の見栄えの良いものに変わって行くが、さほど変化はなく、基本的にはシンプルなものが存在している。
 ただこの錘は簡単に取り外しができるために、初めからのオリジナルの錘であると言う確証がなく、当時の錘がどうかは判定し難い。
 その為に和時計の時代の変遷を調べておかないと難しく、これも和時計を知るための知識。
 兎に角多くの錘を見ることが最善の方法であると思う、百聞は一見に如かずのたとえの如く。

 和時計の錘は千差万別、作者の意向で次々と変わり、種類は多く存在することになる。
 色々な錘を見るたびに改めて和時計の奥の深さを知ることになる。
 
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2017年03月13日

素材の違い

      ドイツと日本


SANY8510.JPG
 明治期日本に輸入された西洋時計、当時アメリカ製が1番多く、その次がドイツ、フランス、イギリスと順番が出来ていたみたいだ。
 結果的にそうなったものだが、その原因は色々あるが先ずは価格、掛時計と置時計では違うが、圧倒的に掛時計が多く、その中アメリカ製の時計が非常に多い。
 当時は舶来信仰が芽生えた時期、なんでも外国製のものは憧れで、それでいて良い物だと信じていた時代だから、当時の新興国アメリカ製の時計もまた憧れであった。
 しかし、実際にはイギリスやドイツの時計の精度やデザインに、それらは比べものにならない位の時計であったものだが、アメリカ製の価格が安かった。
 同じデザインの時計で比べればイギリス製の時計とアメリカ製の時計、月とスッポンの違い、遥かにSANY8500.JPGイギリス製のものが良く、又精度も良いもの。
 しかし、価格面ではアメリカ製のものは安価であり人気であった事もあり、イギリス本土でも人気であったらしく、多くがイギリスに輸入された。
 この構図は当時のアメリカと日本も同じ、イギリス製やドイツ製の時計は高価、精度もよいが高くて買えないもの、アメリカ製でも高いものだが、比べればアメリカ製の方がよっぽと安い。
 そんな事情もあり、日本にアメリカ製の時計が多く入ってきたが、一方でドイツの時計も富裕層に人気で、特にお医者さんたちには人気であったようだ。
 お医者さんはドイツ語でカルテを作っていたもので、その為にドイツに親しみを持っていたらしく、時計もドイツ物が好かれたのだ。
 日本もアメリカと同じ道を辿り、日本で時計を製造するに当たって、ドイツの時計をモデルとして時計製造に着手したが、アメリカと同様にドイツ物とは比べようも無いほどの差があった。SANY8405.JPG
 写真はドイツの置時計と日本の精工舎の置時計、モデルと成った時計であるが、両社を比べれば日本製が如何に安価な造りかが分かる。
 一番の違いは地金の厚み、ドイツ物にたいして日本製は半分の厚みしかなく、歯車にいたっては3分の1と見た目でも分かる位に薄い。
 素材の違いもさることながら、耐久にいにおいてもドイツ物には比べようが無いほど落ちるもの、それが当時の日本の時計だ。
 そこには物真似をするだけで精一杯の日本の力の無さが、その後技術は発達しても素材はそのままの状態、ドイツを上回る事は無かった。 
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2017年03月12日

之もカラクリ

      カレンダー



 SANY2062.JPG時計の使命とは、何だか難しい言い方をしているようだが、別に難しくするつもりはありませんので、普通に時計は時間を表示する機械であると。
 簡単に言ってしまえば、時間と言うこと、この時間を計る道具として作り出されたものが時計、しかし、時間だけなら正確でないが、日時計が最たる物、短い棒があれば何処でも時間を計る事はできる。
 古来バビロニアの時代から、この方法で時を知ってきた人類、中世科学が進み、時間も正確に計る為に機械時計が発明され、一躍正確な時間が出るようになる。

 その時計が振り子式の時計だ、ガリレオが振り子の原理を発見してからと言うもの、時間が正確に計れる事となり、今まで日時計に頼ってきた人々は戸惑いもあったようだ。
 その後急速に振り子時計は進歩を続け、正確に時を刻むようになるが、人々にとっては時間の正確さが逆に迷惑でもあったようだが当時の人はキッチリと時間で縛られたくなかったのか。SANY1638.JPG
 そんな振り子時計、人々の思惑とは別に更なる進歩を告げ、大掛かりな時計が作り出されるようになり、特に公共の場所に設置された。
 その代表が教会の時計、現在残っている時計の一番古いものも教会のもの、スペインの教会にあるという、12世紀のものだ。
 この時計が次第に小さなものとなり、教会以外の一般家庭にも浸透して行くようになり、時計の進歩は一段と進歩して行く。
 そして時間だけのものから、カラクリのついた時計が造り出され、公の場所で人気を博することに、カラクリ付きの時計がさらに進歩。
 色々なカラクリが施され、時計本来の働きようはこのカラクリの方が重要に成って来る事も。
 それが教会や市庁舎などに時計のカラクリが発達、カラクリの方が有名となり、人々の話題をさらうようになり、時間よりもカラクリを見るために集まって来たようだ。SANY1642.JPG
写真の時計はカレンダー機構の付いた時計、このカレンダーも一種のカラクリであり、時間を表示するものにあらず、曜日を表示する為の仕掛け、そんなに複雑な機構でもなく、四つの歯車の組み合わせで曜日を表す。
 表からでは見えない機械の内部、初めて見る人もあるやも知れないが、短針が2回転すると左の歯車が動く仕組み、指針はこの中央の歯車に付いており、曜日を指す仕掛け。
 いずれにしろ文字盤の下に隠れているために、表からは分からない。
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2017年02月21日

古時計の形

    八角型以外に


SANY4376.JPG 古時計の形は色々と存在しているが、勿論多い形は見慣れた八角型、これが古時計の定番となっている。
 古時計と言えば八角型と連想する人は多いと思う、それが年配者であればある程、その印象は高いと言える。
 それらの人達の感覚は古時計が八角型と刷り込まれているようで、時計の代名詞となっており、それは幼い時の記憶からだ。
 自分の体験から摺り込まれているもので、現代人とは少し違った印象を持っていると思われる。
 今の人達は時計が八角型であるとの認識は少ないと言われ、その原因は勿論多様化された時計産業にある。
 プラスチック全盛のころはどんな形の時計でも製造でき、八角型に拘らなかったこともあり、八角のイメージは薄れて行った様だ。
 この頃から若い人たちはプラスチックの時計を好むようになり、時間も正確だし、それでいて長い間電池を入れなくて済む。
 いちいちネジを巻く事のない時計を求めたもの、それが段々と普及して行き、ネジ巻の時計が無くなった原因でもある。
 クオーツ全盛の時期、八角型の時計は影を潜め、自由な形の時計DSCN1834.JPGが氾濫、そんな時代に育った人たちにとっては、時計は八角だとは知らないし、余り気にもしていないようで、時計の形はと聞けば、「何でそんなこと聞くのか」と思うようだ。
 色々な形がありすぎて、時計の形と言われてもピンと来ない、それが現実こちらの質問の意味も分からないようだ。
 そんな彼らに「以前、時計の形は八角型が普通であった」と告げると、ビックリしたように「何で八角なの」と聞き直す。
 実際に私も展示会場で若い人から、「ここの時計は何で八角形の時計ばかりなのですか」と、そんな質問をよく聞く。
 こちらがビックリするくらい、彼等は自然に聞いて来るからだが、それが不思議に思えるのも歳をとったからなのか。
 時計は八角だと思っている我々が古くて、今の時代にはズレが生じているのかと、そんな思いになってしまう。
 古時計の世界だけが八角型の世界なのか、これも時代の流れである事は確かだが、最近若い人が古時計に興味を示しはじめている。
 現実に保存協会の会員さんも若い人が多くなって来た事、ネット会DSCN1979.JPG員がそれを物語っていると思う。
 時代、時代に時計の形も進化して行くもの、そんな風に最近は思えて来た今日このごろであるが、それでも納得は行かない。
 しかし我々年配者には古時計の形は、あくまでも八角型、それでなければ時計のイメージが湧いてこない。
 生まれてこのかた古時計は八角型と頭の中に染み付いており、子供のころ時計の鍵巻きは私の仕事でもあった。
 決まった時に鍵を巻くのも当たり前、子供の仕事として常に八角型の時計と接してきたから、時計はこれしかないと思っている。
 それ位八角型の古時計は身近なものであり、他の形の古時計は身近に感じないもの、やはり子供の頃より染み付いたものなのか。


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2017年02月19日

木枠の文字盤

      金属より木


 伝統と技術、長い間に培われてきた伝統と技術、日本古来のもの造りを支えてきSANY2151.JPGた職人、彼らは経験の上に技術を磨いて、伝統産業の担い手となってきた。
 彼らは新しい物を生み出すと言うよりは、今までに培われてきたものを引き続き、自分の熟練した技術によって作り出すことに専念、自らの発想で物を作り出すことは余りしなかったようだ。
 注文主の意思に従い、より良いものを作り出すことに専念してきたのであって、新しい商品としての物作りをあえてしなかったのは、職人としての範囲を超えると考えていたのか。
 あくまでも依頼されたものを完璧に作り出す事、之が彼らの仕事と割り切っていたので、それ以上の仕事はしなかったから、その技術に於いては尚洗練されていった。 明治に入り、西洋物に押されて古来の漆器類は序藷に衰退をして行く、何時の時代でもそうであるが、新しい文化が芽生えると、片方では古来の文化が忘れ去られてゆく運命にある。
 真さにその狭間にあった時代、本来は金属で製造するべき部品、其れを木工技術で製作すると言う仕事SANY2153.JPG、当時はプレス機械は高価で、中々資本投下の出来なかった時。
 西洋から入ってきた西洋時計、当然価格も高くて中々庶民には手の入らないものであったが、明治中期に入り国産化が進む事になる。
 多くの国産時計製造会社が誕生し、西洋の時計をモデルとして製造を開始することになる。
 目的は価格を抑えて一般庶民に西洋時計を供給する事にあるため、色々な部門で苦労する事となる。
 そんなおりに職人たちの技量を利用する事によりコストも抑えた時計を製造。
 職人たちに培われてきた技術を採用する事を思い立ち、木の素材を轆轤で挽き、プレス加工されたものと同じ形を作る事、彼らにすれば朝飯前、簡単な事。
 轆轤で挽かれた木工部品を、今度は漆職人が漆を掛け、更に金箔を施して、金属に見せ文字盤枠を製造、見た目には全く分からず、まさか木SANY2156.JPGで出来ているとは思わない。
  そんな文字盤枠が出来、ブリキの板を釘で打ち付けて、本来の文字盤と同じ形に作り上げた、プレスが無くとも簡単に同じ物を作ってしまった、当時の職人の技量、古来からの伝統技術の結晶でもある。
 この木枠の文字盤枠を製造していた製造会社は、蛎殻町製造の新居常七と吉沼時計の吉沼又右エ門、この両社は木枠を採用しているが、ほんの一時期の事である。
 蛎殻町製造の時計の文字盤、製造番号が106番であることから、最初期の物であることが分かり、吉沼時計も最初期に採用していたようだ。
 その他の時計製造会社も一時期この機枠の文字盤を採用、市場に送り出している。
 写真は木で出来た枠にブリキの板が打ち付けられて、本物の文字盤のように製造された物、写真や目で見てもこれが木で製造されているとわ思われない出来。
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2017年02月06日

時計の指針

      特徴で分かる



 SANY2352.JPG時計には時刻を示す針がつきもの、デジタル式のもの以外は当然の如く針が必要、之を指針と云い時計の種類によって、その指針も形が色々とある。
 掛時計だけをとっても色々な種類が存在しており、その針を見ただけで製造会社が分かるものもあり、独特の針を付けている時計は、時計の指針を見ただけで製造会社を当てられると言う。
 一般的な時計製造会社のものは、共通の指針を採用しており、一番多く使用されている指針の形は鏑針と呼ばれるもの、針の先が野菜の鏑のような形をしたもの。
 この指針は多くの時計会社が使っており、形状は少しづつ違ってはいるが、大体同じ物を使用している事が多く、何処の会社の時計についていた指針なのか分かりずらい。
 明治期の時計製造会社が出しているカタログ等に付いているものを良く見て、オリジナルな指針を頭に叩き込む事が先ず第一、これを覚えておけば後々非常に役に立つ。
 一番の早道は数多くのオリジナルの指針を見て覚える事、細部的には製造会社によって違いがあるから、その特徴を見極めておく事、例SANY2356.JPGえば、アメリカ製のセストーマス社の指針は、同じ鏑針でも他社よりは鏑部分が細くなっている。
 このような特徴あるものを先ず覚えて、何回か復習する意味でもオリジナルの指針を覚える、このような特徴を少しづつ分析して、細部的な特徴を掴む事。
 当時の指針はドイツの時計のものをモデルとしているものが多く、特にユーハンスの時計についている指針をモデル、精工舎も御多分に漏れずドイツ物を採用している。
 精工舎だけではなく、各時計の製造会社もユーハンスの時計の指針をコピー、良く似たものが色々な製造会社から出ている。
 特徴は琺瑯文字盤の時計は、このタイプの指針を付けいてものが大半、これも当時流行した時計の指針だが、よく見ると全く同じではない。
 其々の時計製造会社がアレンジしたもの、その中でも精工舎の指針がよく知られているもの、製造数も多い事から全国的にSANY2359.JPG広がったようだ。
 写真の指針を見て、どれが何処のメーカの時計に付いているものであるか、当てる事ができる様になれば、先ず一般的な物との区別がつく。
 時計製造会社によっては、他社の物を真似て作られた物があり、之も良く似せて作られているから、判断する上で迷うが、オリジナルの指針さえ、キッチリと把握していれば直ぐに判断できる。
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2017年01月28日

個 性

      装  飾  性


 SANY4376.JPG古時計を集めていると、色々な事を経験させてくれるし、又発見もさせてくれるもの、その時は気づかなかったけれど、家に持ち帰り壁にかけて見ていると、ふと気付くことがある。
 古時計と言うのは、デザインにあまり力をかけていないものと思っている方が多いが、決してデザインをなおざりにしているものではなく、洗練されてシンプルになっているだけの事。
 そのシンプルさも、当然考えられあえてシンプルに作ってあり、シンプルさゆえに考えていないように思われ、そこが製作者の狙いなのかも知れない。
 例えば、極普通の八角合長の柱時計、余分なものを削り取り、八角形と五角形の2つから成る形だ、之が1番シンブルな時計の形と成ったもの、しかし、このシンプルな八角形が最も洗練されたデザインなのだと思う。
 今我々が眺めている時計の形、之には色々な条件での試行錯誤した上で完成されたデザインであるから、今見てもスッキリとして実に美しい形と成っている。SANY0866.JPG
 時計と言えば八角形、日本人はこの形の物に慣れ親しんできた、明治以後140年間以上、日本人と共に時を刻んできたこの形、我々の眼には焼きついてしまったもの。
 シンプルであり、尚且つ親しみのある形、時計としての役割は十分過ぎる位に果たして来たもの、それどころか我々の生活の中に深く入り込んで行ったこの形。
 古き良き時代のこの形の時計、今は影を潜めてしまい、現代に生活している若い人には、時計の形やイメージは、今や八角型から離れようとしている。
 現在販売されている時計は、昔の時計の様な形をしたものではなく、色々な形のものが多く販売されており、彼らの時計に対すイメージは大きく変わろうとしている。
 彼らには、時計とは八角形にあらず、人様々な形をSANY8777.JPG想像するのであろうし、又現在はそうなっている現実でもあり、我々の感覚とは大きく離れるものとなった様だ。
 時計のデザインは時代と共に変わって来たし、またこれからも変わって行くと思うが、我々が慣れ親しんだ八角型の時計には愛着もある。
 人はそれを古いとも言うが、決して私は古いとは思わない、むしろ百数十年経っても今尚受け継がれて来た形は永遠だと思う。
 この形だけは、これからも長く残って行くに違いなく、受け継いでいって欲しいものだと思うが、果たしてどうなる事やら。
 日本人にとっては、時計とは八角型のイメージが長く植え付けられて来た、時代が変わってしまっても、八角型の時計のイメージは変わって欲しくないと思う。
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2017年01月26日

装飾品2

      何が付くか



 DSCN2089.JPG古時計を多く集めていると、色々な事に気が付く事があり、その時々によってはなるほどと感心する事もあるが、その逆に何でこんな物が付いているのか不思議になる事もある。
 当然だが当時を知る事は出来ないから、必然的に推測するしかないが、之が又人其々に推測する事ができるから面白いもの、私が推測したものと、知人が推測したものと違う事。
 当たり前と言えばそれで終わってしまうが、人が推測するのには分けがある事も当前、その時計を見て感じ方が違うから推測も違う、この時計の場合がまさに其れである。
 その時計とは大正天皇即位記念に製造された特殊な時計、この時計をめぐって私と友人とでは推測が全く違ったものになり、ドチラも譲らずに現在まで来ている。
 この時計、天皇家の印、三種の神器がデザインされDSCN2086.JPGた時計であり、数多く製造されたものでなく、少量生産の特殊時計、その為に市場では中々手に入らない物。
 即位記念の時計は数が少ない事、当時記念に時計を製造した会社は数社あったようだが、現存している時計は少ない。
 勿論当時は数があったと推測されるが、何故現在残っていないのか、その疑問が湧くことになるが、原因が分からないのだ。
 ひょっとしてそんなに製造されていないのではと思ったりするが、少なくとも四社が製造したと思われ、現存している時計から推測だが。
 それが事実としてもっと多く製造されたと思われ、どうして姿を消してものか、その原因は何か、色々と考えてしまう。
 そんな疑問は兎も角も、論議の的は時計の両袖に付いている飾りがそれであり、解釈が違い意見は真っ向DSCN2090.JPGから分かれての、喧々諤々の論争に発展していったのだ。
 つまり、こう云う事、三種の神器の中で何故草薙の剣だけが雲の下に配置されるのか、勾玉と八咫鏡2つが上なのか、之が大きな問題である。
 三種の神器は、伊勢神宮にある八咫鏡、熱田神宮にある草薙の剣、そして皇居にあるとされる勾玉、これが三種の神器、むらくもの剣は源平の合戦で安徳天皇と一緒に海底に沈んだとされる。
 この三種の神器が付いている問題の時計、上から鏡と勾玉は上部にデザインされており、草薙の剣は振り子室の扉に付く。
 三種の神器に戒律の差別があるのかとか、草薙の剣が何故下に来なければ成らないのか、意見続出でまとまるどころか、トッピナ意見まで出て、結局は藪の中である。
 この時計の製造会社は中間に雲をデザインした意図は何処にあるのか、今となっては知る由もないもの、皆さんはどう思われるのか、一度考えてみてはどうだろう。
 写真がその時計に付いている、両袖の雲の装飾品、此の雲が中間にあるから論議を呼ぶ原因、果たして真相は明治末期まで遡らないと分からない。
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