2017年02月06日

時計の指針

      特徴で分かる



 SANY2352.JPG時計には時刻を示す針がつきもの、デジタル式のもの以外は当然の如く針が必要、之を指針と云い時計の種類によって、その指針も形が色々とある。
 掛時計だけをとっても色々な種類が存在しており、その針を見ただけで製造会社が分かるものもあり、独特の針を付けている時計は、時計の指針を見ただけで製造会社を当てられると言う。
 一般的な時計製造会社のものは、共通の指針を採用しており、一番多く使用されている指針の形は鏑針と呼ばれるもの、針の先が野菜の鏑のような形をしたもの。
 この指針は多くの時計会社が使っており、形状は少しづつ違ってはいるが、大体同じ物を使用している事が多く、何処の会社の時計についていた指針なのか分かりずらい。
 明治期の時計製造会社が出しているカタログ等に付いているものを良く見て、オリジナルな指針を頭に叩き込む事が先ず第一、これを覚えておけば後々非常に役に立つ。
 一番の早道は数多くのオリジナルの指針を見て覚える事、細部的には製造会社によって違いがあるから、その特徴を見極めておく事、例SANY2356.JPGえば、アメリカ製のセストーマス社の指針は、同じ鏑針でも他社よりは鏑部分が細くなっている。
 このような特徴あるものを先ず覚えて、何回か復習する意味でもオリジナルの指針を覚える、このような特徴を少しづつ分析して、細部的な特徴を掴む事。
 当時の指針はドイツの時計のものをモデルとしているものが多く、特にユーハンスの時計についている指針をモデル、精工舎も御多分に漏れずドイツ物を採用している。
 精工舎だけではなく、各時計の製造会社もユーハンスの時計の指針をコピー、良く似たものが色々な製造会社から出ている。
 特徴は琺瑯文字盤の時計は、このタイプの指針を付けいてものが大半、これも当時流行した時計の指針だが、よく見ると全く同じではない。
 其々の時計製造会社がアレンジしたもの、その中でも精工舎の指針がよく知られているもの、製造数も多い事から全国的にSANY2359.JPG広がったようだ。
 写真の指針を見て、どれが何処のメーカの時計に付いているものであるか、当てる事ができる様になれば、先ず一般的な物との区別がつく。
 時計製造会社によっては、他社の物を真似て作られた物があり、之も良く似せて作られているから、判断する上で迷うが、オリジナルの指針さえ、キッチリと把握していれば直ぐに判断できる。
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2017年01月28日

個 性

      装  飾  性


 SANY4376.JPG古時計を集めていると、色々な事を経験させてくれるし、又発見もさせてくれるもの、その時は気づかなかったけれど、家に持ち帰り壁にかけて見ていると、ふと気付くことがある。
 古時計と言うのは、デザインにあまり力をかけていないものと思っている方が多いが、決してデザインをなおざりにしているものではなく、洗練されてシンプルになっているだけの事。
 そのシンプルさも、当然考えられあえてシンプルに作ってあり、シンプルさゆえに考えていないように思われ、そこが製作者の狙いなのかも知れない。
 例えば、極普通の八角合長の柱時計、余分なものを削り取り、八角形と五角形の2つから成る形だ、之が1番シンブルな時計の形と成ったもの、しかし、このシンプルな八角形が最も洗練されたデザインなのだと思う。
 今我々が眺めている時計の形、之には色々な条件での試行錯誤した上で完成されたデザインであるから、今見てもスッキリとして実に美しい形と成っている。SANY0866.JPG
 時計と言えば八角形、日本人はこの形の物に慣れ親しんできた、明治以後140年間以上、日本人と共に時を刻んできたこの形、我々の眼には焼きついてしまったもの。
 シンプルであり、尚且つ親しみのある形、時計としての役割は十分過ぎる位に果たして来たもの、それどころか我々の生活の中に深く入り込んで行ったこの形。
 古き良き時代のこの形の時計、今は影を潜めてしまい、現代に生活している若い人には、時計の形やイメージは、今や八角型から離れようとしている。
 現在販売されている時計は、昔の時計の様な形をしたものではなく、色々な形のものが多く販売されており、彼らの時計に対すイメージは大きく変わろうとしている。
 彼らには、時計とは八角形にあらず、人様々な形をSANY8777.JPG想像するのであろうし、又現在はそうなっている現実でもあり、我々の感覚とは大きく離れるものとなった様だ。
 時計のデザインは時代と共に変わって来たし、またこれからも変わって行くと思うが、我々が慣れ親しんだ八角型の時計には愛着もある。
 人はそれを古いとも言うが、決して私は古いとは思わない、むしろ百数十年経っても今尚受け継がれて来た形は永遠だと思う。
 この形だけは、これからも長く残って行くに違いなく、受け継いでいって欲しいものだと思うが、果たしてどうなる事やら。
 日本人にとっては、時計とは八角型のイメージが長く植え付けられて来た、時代が変わってしまっても、八角型の時計のイメージは変わって欲しくないと思う。
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2017年01月26日

装飾品2

      何が付くか



 DSCN2089.JPG古時計を多く集めていると、色々な事に気が付く事があり、その時々によってはなるほどと感心する事もあるが、その逆に何でこんな物が付いているのか不思議になる事もある。
 当然だが当時を知る事は出来ないから、必然的に推測するしかないが、之が又人其々に推測する事ができるから面白いもの、私が推測したものと、知人が推測したものと違う事。
 当たり前と言えばそれで終わってしまうが、人が推測するのには分けがある事も当前、その時計を見て感じ方が違うから推測も違う、この時計の場合がまさに其れである。
 その時計とは大正天皇即位記念に製造された特殊な時計、この時計をめぐって私と友人とでは推測が全く違ったものになり、ドチラも譲らずに現在まで来ている。
 この時計、天皇家の印、三種の神器がデザインされDSCN2086.JPGた時計であり、数多く製造されたものでなく、少量生産の特殊時計、その為に市場では中々手に入らない物。
 即位記念の時計は数が少ない事、当時記念に時計を製造した会社は数社あったようだが、現存している時計は少ない。
 勿論当時は数があったと推測されるが、何故現在残っていないのか、その疑問が湧くことになるが、原因が分からないのだ。
 ひょっとしてそんなに製造されていないのではと思ったりするが、少なくとも四社が製造したと思われ、現存している時計から推測だが。
 それが事実としてもっと多く製造されたと思われ、どうして姿を消してものか、その原因は何か、色々と考えてしまう。
 そんな疑問は兎も角も、論議の的は時計の両袖に付いている飾りがそれであり、解釈が違い意見は真っ向DSCN2090.JPGから分かれての、喧々諤々の論争に発展していったのだ。
 つまり、こう云う事、三種の神器の中で何故草薙の剣だけが雲の下に配置されるのか、勾玉と八咫鏡2つが上なのか、之が大きな問題である。
 三種の神器は、伊勢神宮にある八咫鏡、熱田神宮にある草薙の剣、そして皇居にあるとされる勾玉、これが三種の神器、むらくもの剣は源平の合戦で安徳天皇と一緒に海底に沈んだとされる。
 この三種の神器が付いている問題の時計、上から鏡と勾玉は上部にデザインされており、草薙の剣は振り子室の扉に付く。
 三種の神器に戒律の差別があるのかとか、草薙の剣が何故下に来なければ成らないのか、意見続出でまとまるどころか、トッピナ意見まで出て、結局は藪の中である。
 この時計の製造会社は中間に雲をデザインした意図は何処にあるのか、今となっては知る由もないもの、皆さんはどう思われるのか、一度考えてみてはどうだろう。
 写真がその時計に付いている、両袖の雲の装飾品、此の雲が中間にあるから論議を呼ぶ原因、果たして真相は明治末期まで遡らないと分からない。
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2017年01月24日

古時計の振り子

    何だか変


 
 DSCN2004.JPG知人が私のもとに見て欲しいと古時計を持参、訳を聞くと「古時計を買い込んだが何だか変」と感じたからと言う。
 何処が変だか分からないからと、仕方なく彼が持参した古時計を見る事に、「何処で買ったのか」と聞けば、知人「蚤の市」と答える。
 この知人、最近古時計に目覚めたらしくちょくちょくと買い込んでいるらしく、その都度私のもとに持って来るのだ。
 何故古時計に目覚めたのかと言えば、家を改築してから、自分の部屋にインテリアとして古時計を買い込んだのが切っ掛けだと言う。
 自分の好きな時計をと思って時計屋に行ったが、欲しい時計が無かったので諦めて帰って来たらしい。
 その後、蚤の市で程度の良い四つ丸ダルマを見つけ、それが気に入り買い込んで家に持ち帰ってきたとの事。DSCN2011.JPG
 店主は時間もぴったり合う時計で買い時だと言うので、値段を聞いてみたら自分の予算内であったとの事。
 新しい時計を買う予定の予算が図らずも古時計に変わってしまったが、本人は四つ丸ダルマが気に入り、自分の部屋にピッタリだと思ったらしい。
 何より程度が良くて、改装した部屋にもあい、その古時計を眺めていると気が落ち着く感じだと言うのだ。
 本人はとても良い買い物をしたと思っていたが、後日あるアンティークショップに立ち寄った際、同じ古時計を見たとの事。
 しかし、その時に変な感じであったと言うが、何処が変だか分からなかったので、家に帰って自分の古時計を見てみた。DSCN2006.JPG
 すると振り子が違う事に気が付き、自分の振り子はダダの丸いものであるが、見て来たものは少し違っていたと言うのだ。
 何で違うものが付いているのか不思議には思ったが、会社が違うから振り子も違うものだと思ったらしい。
 勿論、買う時店主が言っていたように時間は合うから、その点は安心しているとも言うが、それでも何だかスッキリとしないのだと言う。
 私に何でだと聞くので、「あんたの買い込んだ時計、振り子が違うものだ」と告げれば、そんな馬鹿な「時間がぴったりと合うのに違うものか」と半信半疑。
 普通四つ丸ダルマの振り子は丸いモノの上に葉っぱの付いた振り子が当たり前、例外もあるが単なる丸いものでは無いと教える。
 「結局俺は知らないから、オリジナルのものでは無いものを買わされたのか」と不機嫌になっている。
 仕方なく彼の古時計を取り、文字盤をあけて振り竿を交換、そして手持ちの葉っぱの付いた振り子を付けてやった。
 本人も「これがオリジナルのものか」と機嫌を直し、改めて古時計をモット知ろうと思ったらしい。
 ちょっとの事であるが、その時は気が付かない事も、値段が安いからと言って慌てて買い込まない事だと教える。
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2017年01月20日

フクロウ

      夜 の 見 張 り 番
SANY0709.JPG
 フクロウは一般的に人気が高く、鳥の中でも人々に好まれる鳥として知られているが、何故人気が高いのかと言うと、1つにはフクロウは夜行性であり、夜に活動する事から番人の役割をすると言われる。
 別にフクロウが番人の役目をするのではないが、夜る見るに強い事から選ばれたようであり、置物や飾り物は玄関に良く掛けたり、置いたりしてあるのも、その理由からである。
 しかし、実際のフクロウは可愛らしく見えて実は獰猛な生き物、当然肉食動物であり、小さい生き物にとっては恐ろしい鳥の1つ、しかし人間にはねずみやモグラ等を食べてくれる益鳥である。
 これらの行動からフクロウは人々に人気があり、森の番人とも呼ばれ親しまれている鳥、日本にも数々の種類のフクロウが生息しているが、一番人気はシマフクロウであろうか。
 時計の世界でもフクロウの形をした時計は世界各国で作られており、日本でも製造され人気が高い時計の1つ、あの大きな目DSCN1077.JPGが左右に動き、時刻を知らせる鳴き声を出すのも、人気の秘密かもしれない。
 実際に日本に入って来たのは明治以後、それも多くはなく大正時代になって急に人気となり、多くの時計製造会社が製造している。
 フクロウ型と言っても色々な形のものが造られており、梟の種類も様々なものがあり、ミミズクや子持ちフクロウなども人気だ。
 勿論普通のフクロウ型のものが多いが、特殊な梟を造っていた製造会社もあり、主に中小の時計製造会社が細々と製造した。
 現在人気のフクロウの時計は子持ちのフクロウ型が一番人気、そしてミミズク型のフクロウも人気が高く、梟時計を二分した形となっている。
 両方とも製造数は多くはなく、人気が先行しているために値段は高いものとなり、中々愛好家の手に入り難くなっている。
 無い物ねだりと言う訳で子持ちフクロウの時計は、SANY1846.JPG更に値段が上がっているようで、異常とも言えようが数が少ないから仕方がないのかも知れない。
 普通のフクロウ時計も気長に待てば手に入ると思うが、程度の良いものとなると難しいかも知れず、見つけた時が買い時か。
 写真のフクロウ、実にゆったりとした面構えのフクロウ、厚い板をノミで鋭く削り出しているが、そのノミ後があたかもフクロウの毛並みに見え、作者の意図としているふっくらとした姿が印象的だ。
 じっくりとフクロウの顔を見ていると、どことなくトボケタ雰囲気があり、あの獰猛な行動をする鳥とは思えず、非常に可愛らしく見えてくるのは、作者の心が出ている為なのか。
 やっぱりフクロウは、人間を優しく包み込むような雰囲気を持った鳥であり、そのとぼけた様な顔がまた人々から愛される理由でもあるようだ。
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2017年01月18日

時計の形

      呼 び 名 は



 SANY2170.JPG古時計の呼び名はいろいろとあり、通称で呼ばれている物も多く、普通の人はどんな物であるか分からない呼び名もある。
 よく知られているものに「四つ丸ダルマ」と呼ばれている時計、古時計を愛好している人はよく知っていると思うが、達磨型の時計の事、形がさかさにするとダルマさんに似ている事から。
 日本では四つ丸と呼ばれているが、アメリカでは数字の8に似ている事から「8の字」とも呼ばれているというが、これも形が良く似ているからだと思う。
 そしてこの時計の小型の達磨時計を「姫達磨」と呼ぶ、姫達磨とは小さいと言うものであるが、可愛いと言う例えにも使われる。
 そんな古時計の呼び名、まだ私が古時計を集め出したころの事、古時計の呼び名など知らない時の事だが、業界では面白い呼び方をしていたらしい。
 たとえば「福助型」と呼ばれる時計、普通の八角型の古時計だが、八角型とは呼ばずに福助とか、福助型とか呼んでいた。
SANY0660.JPG 私も最初は何の事などかさっぱり、店主が福助、福助と呼んでいるので、「すいません福助とは何の事ですか」と聞いたら、店主ニヤリと笑い「あんた素人だね」と一言。
 仕方なく「教えてください、素人だから」と言えば、古時計の呼び名で八角型の時計の事」と教えてくれ、他の店に行ったら知らないと言わないようにと教えてもくれた。
 ようは業界用語で八角型の時計を指すらしい、1つ利口になった気分と思えば、立て続けに主人「もう1つの呼び名もあり、雷型とも言う」と付け加えた。
 要するに業界用語で、「福助とか雷とかは八角の時計を指す言葉」と覚えておけとの忠告、ありがたく拝聴して覚える事にしたが、やっぱりその語源が知りたい。
 今一度「何故福助や雷」なのかと聞けば、「俺が分かるわけない」と今度は吐き捨てるような発言、そんな事俺に聞くなとの返事だが、折角其処まで教えたのであれば、最後まで教えて欲しいものだ。
SANY0866.JPG 店主は何時も呼んでいる呼び名であるが、その語源も分からずに業界用語を使っているだけの事、其れを知っているから時計が安く買えるわけでもないが、知らないよりは知っていた方が良い。
 面白いもので古い道具屋さんは、昔から符号でやり取りをする事が多くて、もちろん素人には分からない言葉である。
 業界言葉である事は確かで、色々な業界言葉があるが、骨董業界にもそんな呼び方をする習わしが存在していたのだ。
 店に来る客を知る上でも、業界言葉が通じれば、それは同業者である証、そんな時は当然の事それらしき対応をしているらしい。
 現在では此の呼び方、殆どの人は知らず、業界の人でも此の呼び方をする人は少なくなり、今でもたまにインターネットで此の呼び方の文字を見る事がある位だ。
 それにしても、「八角型を福助とか雷型とか呼んでいた、昔の人達のセンスの良さは、今の人たちには無い良さかも知れないが、これも又時代なのか。
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2017年01月14日

薄型機械

      イングラハム

 DSCN1609.JPGアメリカ製のイングラハム社の機械、日本に輸入されてから時計のモデルとして明治期利用され、多くのコピー機械が製造された。
 おもに四ツ丸ダルマが多く、日本製はこの機械をコピーした物が入っているが、この機械は普通の機械よりも薄型の機械、イングラハム社製の四ツ丸ダルマのものと同じ。
 当時ダルマ型の時計として一番人気のもの、その原因は薄型のボデーにあり、明治期から現代まで日本人に愛されて来た時計の1つ。
 何と言っても薄型のボデーと金色、日本人を虜にして来たこの形、同じダルマでもアンソニア社の金ダルマと比べれば、その優美さがより分り、やはり人気の高い古時計である。
 洗練されたボディーは他社のダルマと比べ何処と無くセンスが良い。
 それに比べアンソニア社の金ダルマは機械が厚く設計されているため、当前ボデーも厚くなってしまう事に、おかげで人気薄になったのはSANY3926.JPG、その原因が機械にあるのでは。
 イングラハム社の機械とアンソニア社の機械を比べれば、歴然としてその違いが出る事に、全体はさほど違いの無い機械、しかし厚みのあるアンソニアの機械は、指針を動かす支柱や鍵を巻くゼンマイの支柱が長い事。
 これは元々時計本体の形がイングラハム社のダルマの様に薄くなく、馴染みのある見慣れた普通の深さの箱に入っているものだ。
 つまり、イングラハム社の機械が特殊、アンソニア社の機械が普通、これは他の機械も同様で、普通の機械をイングラハム社のダルマの箱に入れようとしても無理だと言う事。
 何故無理解言えば、センターの時計の主軸が短い事と、ゼンマイを巻く主軸も極端に短く、普通の時計の箱が深いせいもあり、両方の主軸が文字盤穴から出てこない。
 写真で見ると左のイングラハム社の機械の主軸と、アンソニア社の主軸を良く比較してみて、その違いが分かると思います。SANY3948.JPG
 右のアンソニア社の機械の主軸が長いことに気付くと思いますが、これが普通の機械でして、殆どの時計会社の機械と同じもの。
 そしてもう1つの違いは主軸の位置、イングラハム社の機械の主軸は狭くて、アンソニア社の主軸は広いのも、これも機械の違いです。
 そして一般の文字盤をつけると、イングラハム社の機械の主軸は見えなくなり、特にゼンマイを巻く主軸は穴の位置から外れている。
 これではゼンマイを巻くことは出来ず、イングラハム社の機械を普通のダルマに入れようとしても出来ないことが、主軸の位置でも分かることになる。
 そんな訳で、イングラハム社の四ツ丸ダルマが優美に見える仕掛がここに、時計本体が薄い事と機械が薄いのとが両立して、あの姿となり、多くの古時計愛好家から支持を受ける理由であると思われる。
 計算された姿こそが、人々を引き付ける魅力となっているもので、偶然から出たものではない事が分かると共に、時計の姿も重要なもSANY3943.JPGのだと言う証拠でもあると思う。
 一番下の写真は左国産の機械、右がイングラハム社の機械、同じ様に見えるが細部にわたって違いが分かる人は、古時計通といえよう。
 もちろん国産の機械はイングラハム社のものをコピーしたもの、しかし何処がどう違うのかはじっくりと機械を見ないと分からないと思う。

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2017年01月13日

思い出の品10

    これを見るとあの時の事が


SANY7200.JPG
 昨年5月に陸奥行脚を行ったが、弘前には行けなかったので今でも心残りであり、行けば良かったと後悔している。
 弘前だけなら青森まで飛行機で行き、簡単に行けると思うが、今回は以前辿った道を追っかけ、それを巡る旅であったから。
 盛岡までは行ったが、その先が行けなかったので残念、盛岡からそんなに遠くはなかったが、往復となるとちょっと話が違う。
 折角行くのならあちらこちら行きたい、だからそれでは難しいと諦め、盛岡から引き返してしまった。
 帰って来てから、やっぱり無理しても行けば良かったと、そんな気持ちになってしまい、後悔しているのだ。
 この弘前には多くの思い出があり、若い時より何度となく通った所、特に「南部炉端、鍵の花」は常連であった。
 南部炉端は地元の友人が連れて行ってくれた処、一遍で気に入った処、そんなに大きくない店であったが。
 そこで友人と地元料理に舌鼓を打ち、酒をたらふく飲んだ思い出のSANY7222.JPG処、雰囲気は抜群に良かったもので非常に気に入った。
 しかし10年前に弘前に行き、「鍵の花」を探したが見つからなく、近くで聞いてみたが閉店してしまったとの事。
 これには友人とガッカリ、此処を目当てに弘前まで来たのにと、当時はガッカリしてそのままホテルに帰ったしまった。
 あそこが無ければ何のために来たのかと、2人でホテルの食堂でブツブツ言いながら食事をした事を思い出す。
 そんな鍵の花の思いでは縁起担ぎでもあったので、これが無くなったと言う事は縁起が良くない証拠、そんな風に2人とらえたのだ。
 事実、この後再びホテルを出て、ラーメンを食べに行くが、お目当てのラーメン屋が分からないのだ、確か鍵の花からそんなに遠くない所にあったはず、しかし見つからない。
 2人とも店の名前を憶えていない為、人に聞く訳にもゆかず、それらしき所をあちこちと探すが見つからない。
 確か四つ角にあったはず、それもそんなに大きくない店で、前が広くなっていたと思う、そんな店を探したが見つからなかった。
 弘前まで来て、鍵の花は無く、ラーメン屋も見当たらない、何のためSANY7216.JPGに来たのか、更に2人のイライラは大きくなるばかりであった。
 結局弘前でのその夜は炉端での食事はおろか、ラーメンまで食いはぐれてさんざんであったが、翌日久し振りに友人に電話して合う事に、やはり弘前まで来たのだから。
 友人に話を聞けば、2つの店とも閉店してしまい今はないとの事、だからあれだけ探しても見つからないのだと。
 そんな2人を友人は気の毒に思ったのであろう、炉端のある店に連れて行ったくれ、そこは鍵の花と良く似た雰囲気の店であった。
 昼間から酒を飲むわけには行かず、炉端料理で腹を満たすつもりが、結果は3人とも酒が入り、良い気分で店を出た。
 その帰りに行きつけの骨董屋に立ち寄り、思いがけない時計を見つけて、今までの気分が吹っ飛んでしまったようだ。
 これを見るとやっぱり弘前に行って良かったと、そんな思いで深い古時計で、弘前は縁起の良い所であったと思う。



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2017年01月12日

修理票

      履歴書でもあり



 古時計と付き合っていると、その素性を知りたいと思うのが人情、どう言う経路で自分のもとに来たのか、其れを知りたいと思う。SANY5677.JPG
 誰しもが古時計と向き合うと、こんな思いになった事はあると思うが、私も長年古時計と向き合ってきて、何時も思う事だ。
 我家にやって来た以前に、この時計は何処で暮らしていたのだろうかと、その1つの手がかりは修理票、時計を修理した所の名前があるからだ。
 修理票は殆どの時計に貼られていたと思うが、この修理票はその時計の履歴書でもあり、手掛りの目安ともなるもの。
 時計は長年使えば故障するもの、故障すれば修理がされるが、時計屋さんは保障として修理票を貼るのが普通。
 修理票にはその時の年代や場所、保障期間などが記載されているので、それらを見れば最小限度の出処が分かるのだ。
 何回か修理されている物は、保証書も多く貼り付けてあり、程度の良い修理票は、その時計の履歴書みたいな記録が残る。SANY5684.JPG
 持ち主が大事にしてきた古時計、毎日使うものであるから当然故障するが、その都度時計屋さんが修理表を貼る、これは一種の保証書でもある。
 何年に修理したものなのか、何処を修理したものなのか、値段は幾らであったかなど書いてあるものの。
 我々に一番ありがたいものは、詳しく日付から修理箇所、そして値段まで書いてあるものが一番。
 その古時計の履歴書、逆に言えばその時計の製造された年代も分かるもの。
 時には同じ時計屋さんの修理表が上から張られており、枚数の多いものもある。
 これが一番詳しく分かる修理表の良い例、ただこの修理表を順に剥がすのも一苦労するが、それもまた楽しいものだ。
 この修理票、それだけではなく、その他の事も分かって面白い事も、人手に渡ると別のところの修理表が貼られる。
 SANY5689.JPG其れから推測出来る事は、この持ち主が転居したのか、それとも他人に渡ったのか、修理票の持ち主の名前を見ると、同じか、別の名前か、それで判断もできるもの。
  百年以上を経過した時計などは、その修理表が付いていれば、色々な事が分かってくるもので、修理表も重要な手がかりの1つ、その時計の辿って来た歴史でもあるから。
 修理票を見て、この時計の生い立ちを想像するのも、古時計愛好家のひとつの楽しみ方と思う、自分の所持している時計の生い立ちを、探って見るのも良いのではないだろうか。
 単に時計を集めるだけではなく、その時計が語ってくれる歴史を紐解くのも楽しさが倍増するもの、1つで2度美味しい、そんな楽しみ方もあるのでは。
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2017年01月08日

ちょいと変りもの

    普通の物は面白くない


 
edo0619 051.jpg
 古時計愛好家は二手に分かれるものと思うが、一つはまっしぐらに本道を行く人、二つ目は変わり物を求める人、この二つに分類できる。
 兎に角古時計が好きな事は変わりなく、只集めるものが違うと言う事、王道とも言う本道を歩く人は真面目な人が多い。
 律儀な性格の人とも言うが、几帳面かも知れないが、八角の時計を一身に集め、同じ時計ばかり集める人も居る。
 ある人が「そんなに同じものを集めて面白いですか」と言えば、その人「一つも同じ物はなく、何処が同じか教えてほしい」と、逆に聞かれたと。
 同じものは一つとしてなく、八角だから同じと思う人は研究不足、八角ほど奥が深くて面白いものはないもの、もっと集めたいと言う。
 そんな事を聞いて何処が面白いのかと思う人、もっと研究してくださいよ、奥が深いから、しかし深すぎて難しい。
 その正反対に変わりものを求める人、兎に角変わったものを探したいと、あちらこちら探しもとめ、見つけた時の喜びは堪えられないと言う。
SANY2920.JPG
 勿論誰しも探し求めたものが見つかれば喜ぶに決まっているが、そこは同じ事であろうと思うが、違うと言い張る。
 私には何方も好きが高じて、余りにも狭い道にはまり込んでしまったと思う、何故ならば自分がそうであるから、良く分かる気がする。
 古時計を愛するがゆえに、人とは違うものを求めたいと、そんな思いが段々と大きくなると、変形な時計に目がゆく事に。
 私の友人もこのタイプ、変形の時計が好きで、ちょっと変わった時計にしか手を出さなくて、八角型の時計は手を出さない。
 八角の時計は何処に行ってもあるから、何時でも買えるが、変形型は数が少なく、簡単には手に入らないから、だから集めるのだと。SANY0293.JPG
 彼のコレクションを見れば良く分かるが、キャラクター物が多いように思うが、変形型はキャラクターものに多い。
 何れにして少しでも変わったものをと、そんな思いで集めたらしく、珍しいものも多いが、苦労も多いだろうと思う。
 しかし本人は「だからこそ集める価値がのだ」と、確かに彼の言う通り、集める価値はあるが、苦労も多いのだろう。
 一つに拘ると人はドンドンと前に進む、それが原動力になるようで、ツイツイ力が入るようであるが、あまり頑張らないでほしい。
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2017年01月04日

自分のと少し違う

    何処かがおかしい



DSCN1075.JPG 知り合いから精工舎のヒナンについて教えて欲しいと連絡が入り、何時そちらに行ったら良いのかと、どんな話か知らないが夜なら何時でも良いと。
 そんな事で彼が我が家に、精工舎のヒナンは私も過去に持っていたが、如何しても友人が欲しいと言うので譲ってしまったが、そんなヒナンの話しと言う。
 彼は自分のヒナンを持って現れ、見て欲しいと言うのだが、何処もおかしなところは無いので、「何処がおかしいのか」と聞いてみた。
 すると彼は「知り合いがこの時計を見て、私の知っているヒナンと違うもの」と言ったらしく、偽物ではと言ったと言う事だ。
 その人が何処がおかしいのか指摘していないらしく、自分の見たヒナンとは別物と言う、それが彼は気になって仕方がないと言うのだ。DSCN1076.JPG
 確かに古時計愛好家から自分の時計に付いて指摘されると、気になって仕方がない事は確か、私も経験があるから気持ちは分かるのだ。
 一端気にすると、それが気になって、気になって仕方が無く、何処がおかしいのかと、そんな事を何時も思う日々になるのだ。
 実際に精工舎のヒナンは数も少なく、古時計愛好家から求められている事は確か、ネットに出れば直ぐに売れてしまう。
 そんなヒナンだけど、カタログにも乗っているが、細部的な所まではハッキリ分からず、愛好家仲間からも、このヒナンはカタログと違うのではと何時も疑問視されている。
 それと言うのもやはり現物が少ない事、多くのヒナンを見ていれば、比較対象が出来るのだが、中々それは難しい。
 精工舎のヒナンを持っている人が少ない事も原因、直接見る機会が無いために、疑問も生まれて来ると言う事だと思う。
 今回持ち込まれたものを見るに、「何でこの時計がおかしいのか」、私も疑問に感じたので、兎に角再度聞いてみた。
 違うと言った人は何台のヒナンを見たものなのか、そして見たヒナンと、この時計と何処が具体的に違うのか、それすら疑問。DSCN1101.JPG
 それでヒナンを持っている田中さんとNKの平野さんの時計を写真に撮り、持参した彼に見せる事にしたのだ。
 写真は平野さんが持っている時計、私の見る所どこか違がうと思う人は、時計上部の飾りにあると思うが、この飾り今まで色々な物があったと思う。
 勿論同じ物もあったし、全く違うものも見て来たから、全部が同じ飾りが付いているとは限らないもので、今回の時計と平野さんのものとやはり少し違う。
 それは一人で飾りを製作しているのではないから、複数の人が製作して居ればちょっとは違うものが出来、それが感覚的に違うと思われるのだ。
 古時計はカタログと全く同じとは限らない、あくまでも人の手で彫られたものであり、当然の事同じ物は出来ない。
















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2017年01月03日

古時計の先行き

    どうなるのか

 

 SANY5017.JPG最近自分の集めてきた古時計、この先どの様になるものなのかと、しばし考える事が多くなって来た。
 それと言うのも私の先輩たちが次々と亡くなり、集めてこられた古時計が散出してしまい、行方知れずとなった事。
 勿論ちゃんとした形で整理されたと聞くが、何処の誰が引き受けたものなのかは分からない事になっている。
 実はご子息たちが処分されたと聞く、奥さんに聞けば「息子たちが処分したので」と言われるだけである。
 我々は何処の業者が買い受けたものなのか知らず、噂もあまり聞かないので、消息不明であるとしか言えない。
 そんな事があってから、私の友人も「そろそろ我々も同じことになるのか」と言い出したのである。
 SANY4453.JPG先輩たちの状態を見て来た者にとっては、身に沁みる出来事、自分の古時計が同じようなことになるのかと思いはじめた。
 確かに最近この様な事があった事で、先行きの事を考えてしまうのだと思うが、自分でも不思議に思うのだ。
 何故ならば今までそんな事を考えた事もないからだが、目の前で先輩たちの事を見ているとやはり不安になる。
 長い間かけて集めて来た古時計、自分が亡くなった後、どの様になるのかと思うと心配だと友人も言う。
 私がなる様にしかならないと言うと、「何をのんきな事を言っている」と友人が注意するのだが、それも一理あると思う。
 折角自分が長い時間かけて集めた古時計だからこそ、そのままの状態で残して欲しいものと、しかし家族にとっては宝の持ち腐れ。SANY4458.JPG
 私がどれだけ苦労して集めたかは知らないし、価値観も違うから、処分する時も一気にすると思う。
 友人は古時計の一つ一つに、今までにかけた費用を記録してあると言う、つまりどの時計は幾らで買い込んだと。
 だから自分が亡くなっても、それらの記録を見て息子たちが処分するかを決めるであろうと言うのだが。
 確かに記録として残していれば少しは分かると思うが、所詮は興味のない者達にとっては厄介な物としか思わないと思う。
 「今まで見て来て人達もそうであった」と友人に言うと、うちはそんな事はないと思うとしか言えないと云う。
 何だか頼りない返事であるが、我が家も同じ事だと思う、ただ私はこれと言う古時計は事前に然るべきところに入れておく事にしている。SANY5909.JPG
 それは自分が後の人達の為に残しておくべきであると、そんな気持ちでいるからこそ、然るべきところにと。
 古時計愛好家なら、こんな事を思っている人が居ると思うが、さてさてどうなる事か、先の事など分からないのだ。
 確かに先の事はどうなるのか分からないが、古時計を探し出す事はまだまだあきらめない、これからも資料的に価値のある古時計を探し続けるつもり。
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2017年01月02日

一杯で掛けれない

    これ以上掛けれない

 

DSCN1886.JPG 古時計を集めて40数年、今までにどれ位の古時計を手に入れたのか、ハッキリと数えた事は無いが6、7000台は超えていると思うが。
 集め出してのが二十代の頃、貰った古時計が最初であったのだが、それから4、5台は増えたがそれで止まっていた。
 その後ボチボチと集めていたが、30歳を過ぎた頃から拍車がかかりはじめ、一気に古時計が増えて行く事になる。
 それまでは一台、一台集めていたが、それでは欲しい時計が集まらないと、まとめて何台か買うことになる。
 一台一台集めていても数多く集まらないので、まとめて買い込み数を増やそうと、そして人よりも多くの古時計を集めてやると。DSCN1888.JPG
 そんな思いで次々と古時計を手に入れて行ったが、次第に数が多くなると、古時計を掛ける場所が無くなった。
 はじめた時から、自分の部屋以外はかけないと決め、古時計を集めていたものだが、それでは収まりがつかなくなってしまった。
 当時は安い古時計ばかりであったから、台数で勝負だと思っており、兎に角台数増やしに没頭していた頃。
 丁度そのころ行きつけの骨董屋で知り合った人と仲良くなり、お互いに情報を連絡し合い、何処で何があったと言う情報を入れていた。
 勿論お互いはライバル同士だが、欲しいものが違っていたからその時は良かったが、後に同じ物を追うようになりはじめ、益々ライバル化したのだ。
 しかしライバルと言っても犬猿の仲ではなく、一緒に古DSCN1889.JPG時計探して旅をしていたもの、その上で競い合っていた。
 そんな事で古時計は順調に数を増して行き、自分の部屋には入らず、何処掛けるものなのかと思案し出す事に。
 家族にはこれ以上古時計を部屋に掛けないでと釘を刺されており、おいそれと他の部屋に掛ける訳には行かない。
 それでは掛ける所が無ければ買わなければ良いと思われるが、古時計愛好家はそれが出来ないと思う。
 何故ならばまだまだ古時計は沢山あり、自分が追い求めている古時計も手に入っていないからだ。
 だから止める訳には行かず、何処に置こうか思案のしどころ、買い込みたいから何とかしなければ。
DSCN1890.JPG 一台づつ違う場所に置いては見るが、直ぐに家族に見つかってしまい、そこから撤去されてしまう始末。
 その繰り返しで、家族とイタチごっこをしつつも、着実に数は増えて行く事に、結果は自分の部屋に戻される。
 多い時には自分の座る処も無い位に、古時計が占領してしまい、これではいけないと思いつつも止まらないのだ。
 自分でも何で買い込んで来るのだろうと、そんな思いも少しはあるのだが、それでもまた買い込んでしまう。
 そんな事で現在まで家族との押し問答の末、古時計を貸し出す事を思い付き、友人の経営する店舗に貸し出している。
 貸し出しているとは人聞きが良いが、実際は無理やりに預けていると言った方が現実、家に持って帰れないからだ。
 しかし当初の目的は果たしておらず、名古屋地域の時計を全部集めるという作業、まだまだ先になりそうである。
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2016年12月29日

堀部時計

      現存数が少ない



 SANY3184.JPG明治期、名古屋地域では時計製造会社が乱立、他の地域とは違い時計製造が容易に出来た事もあり、数多くの時計製造会社が設立された。
 全国的に見ても名古屋地域の時計製造会社は特殊な状態、この地域では時計産業に携わる人口が非常に多く、事実時計産業に参画もしやすかった。
 名古屋地域の多くの時計製造会社は自社で全ての部品を製造した訳でなく、必要に応じて部品を他社から仕入れ、自社では主要部品だけ製造したのだ。
 大手の時計製造会社と違い、後発で中小の時計製造会社は自社で全てを製造していたのでは価格的に大手と戦い出来ず、コスト削減の意味も含めて、部品購入を行っていた。
 このような特殊な形態が出来たのも、名古屋地域の時計産業は分業化が進んでいた事、結果数多くの時計製造会社が出来た要因の1つでもある。
 例えば機械は別、箱は別、振り子は別、ガラス枠は別、渦まき鈴は別と、独立し販売をしていた名古屋地域の時計産業、組み立て時計を製造するのにはもってこいの環境でもあった。
 そんな状況下、名古屋の時計製造会社は独自の時計を製造出来たので、数多くの組み立て会社が出現、百軒時計とも言われる位に時計を製造する処が多く存在した。SANY3181.JPG
 今回の堀部時計も又そんな環境下、外部から部品を調達して時計を製造した会社、記録によると、資本金不明、従業員数23名、月産製造数5、600台、当時は中小の時計製造会社であった。
 明治36年、37年の製造数、年間8000台の時計を製造、勧業年報に、その記録が残っているが、その殆どが海外輸出されたようで、東南アジアに向けて輸出されたと言う。
 其の為に製造数は多くあるものの、国内の現存数は極めて少なく、今では幻の時計として扱いを受けていたもの、記録には出ているものの、現存している時計が発見されていなかったからだ。
 偶然にも私の手元にやって来たこの時計、発見時は半信半疑であったが、持ち帰って調べた結果、間違いなく堀部時計である事が確認できた。
 一見時計の形状から、大正から昭和にかけて製造されDSCN1979.JPGた時計と間違われる様な形態、ラベルが無ければ昭和に製造された時計と言われてしまう。
 まだ市場に残っていると思うが、是非ともこのラベルの物を探して欲しいものだ、そして極めて貴重な明治期の時計であり、名古屋地域にとって資料価値の高い時計であるから。
 振り子室のラベルは白い紙で印刷されたもの、中央にはライオンのトレードマークが付いているから、これが目印。
 勿論、ローマ字で堀部時計製造と書き込まれているから、ラベルさえ残っていれば発見しやすいが、ラベルがないと難しくなる。
 特徴のないごく普通の八角尾長の時計であるから、見た目には何処にでもある単なる時計であり、史料価値の高いものとは気が付かないと思う。

 
 
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2016年12月26日

時代の流れ

    和時計の鐘


 
DSCN1655.JPG 和時計の鐘、時を告げる鐘であるが、時代と共に鐘の形も変化して行くと言う、鐘を見れば大体の時代が分かるとも言われている。
 良く資料にも多く出て来る事柄であるが、実際に鐘を見て見ないと中々分からないとも言われ、やっぱり現物を見るのが一番。
 色々な文献では一番古い物は深鈴と呼ばれているもので、お寺の鐘に良く似たものだと言うのだが、実際の現物はどうか。
 和時計は1500年代に造られたと言われ、それ以来400年間造られた来たもの、長い間には色々な変化が生じて来る。
 その中に鐘も、時代と共に変化して行くが、鐘の形が次第に浅くなって行く傾向にあり、幕末に造られたものと比べると、明らかな違いが。SANY0699.JPG
 初期物の鐘は確かに深くて大きなものが付いており、一見して後のものとは違いが明らか、やはりお寺の鐘に近い。
 そもそも和時計は西洋時計のコピーから始まったとされており、津田助左衛門が和時計の元祖。
 では助左衛門の製造した初期のものが現存していれば良いのだが、現実には現存していないのだ。
 疑問が湧くのは西洋のコピーだとしたら、当時の西洋時計の鐘はそなんに大きくないもの、どの時計をコピーしたかは不明だが。
 静岡の東照宮に現存している当時の西洋時計、これと同じようなものをコピーしたとは思えないのだ。SANY3067.JPG
 勿論、助左衛門がどの西洋時計をモデルとしたかは不明、そして家康に献上したと言われる時計も現存していない。
 実際には推測するしかないと言われているが、果たして初期の和時計に付いている鐘、現存している様な深鈴であったのだろうか。
 ある人がそんな疑問を投げかけた事があるが、一笑されてしまったと言う、しかし実際にはどうであったのか疑問が残る。
 あんな大きな深鈴が付いていたのかと、もっと浅かったのではとも言うが、それを立証する事が出来ない。
 ただ現存している古い和時計はSANY3120.JPG深鈴を付けており、確かに時代の古い物は深鈴であるが、助左衛門は何故深鈴にしたのか。
 私も少しはある人の意見を支持したいような、現実には急にモデルよりも深鈴を付ける理由がないとも思うが。
 そんな疑問もあるとは言え、深鈴から次第に時代が新しくなるに連れ、鐘も浅く成った行く事は確かである。
 古い鐘と最も新たらしいとされる鐘と比較して見ると、驚くほどに小さく、そして浅くなったいる事が分かる。
 特に幕末から明治に入るまでの和時計の鐘は、小さくて浅いものが付いており、現存しているものがそれを物語っている。

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2016年12月21日

指針が合わない

    古時計の針が

 

DSCN1968.JPG 新しい会員の方から、「古時計を買い込んだが付いている針が合わない」と、「どうしたら良いのか」との質問である。
 話をよく聞いてみると、ある骨董屋さんから古時計を安く買い込んだが、その時、その時計には針が付いていなかった。
 店の主人曰く「針は何時でも入るから別の時計から取れば良いですよ」と言われて、古時計自体は安かったので惑わず買い込んだと。
 店の主人が針は何時でも入るからと言うので、それを信用してその古時計分かったのだと言う、そして後日針を見つけて来て貰って来たらしい。
 家に帰って、早速その貰って来た針を付けようとしたが、針が全く付かない、針の穴と時計の軸の大きさが違い付かないのだ。DSCN1969.JPG
 簡単に付くと思っていた本人は動揺したらしく、店に電話して付かない事を伝えると、「針の穴を鑢ですれば簡単に付く様になります」と言われ、店の主人の言う通り、それを実行する事にしたらしい。
 ホームセンターに行き、細密用の鑢を買い込み、家に帰って針の穴を大きくするため、鑢で穴をすり出したと。
 しかし今までそなん事はやった事がなく、店の主人の言うように簡単ではないと気付き、必死で鑢を動かしたらしい。
 適当に穴が大きくなったので、時計にはめようと思い軸に入れたら、穴が大きすぎて下に落ちてしまったとの事。
 何分初めての事、慎重に鑢を動かしたはずであったがDSCN1970.JPG、結果は穴が大きくなってしまい、失敗してしまった。
 それで又店に電話したら、「そんなに簡単に合う針はない」と言われて、今度はびっくりしたと言う。
 針は簡単に手に入ると言っていた主人が、手のひらを返したように「針は簡単に手に入らない」と言うのだ。
 仕方なく別の店で聞いてみると、「針だけは売ってない」と断られ、他の店も同様に断られたらしい。
 そこで初めて古時計の針は共通の物ではない事に気が付いてと言うのだが、その先どうしたら良いのかと。
 その会員さんは安い時計を買った事を後悔し、古時計はオリジナルの物を買わないと、はじめて思ったらしい。
 そして私のどうしたら良いのかとの質問、確かに言われるDSCN1972.JPG通りでね古時計に付いている針はそれぞれに違うもの。
 時代が違うのと製造所が違うものがあり、同じ部品が付いている事はなく、殆どが別の者と思った方が良い。
 その上で古時計を多く持つためには、壊れた時計から部品取りをして、イザと言うためにストックしておくことだ。
 私も数多くの針をストックしており、何時でも取り換えが出来るようにはしているつもり、しかし其れでも合わない時もある。
 その時は会員さんがやったように、鑢で穴を合わせるのだが、慎重にやらないと失敗してしまう。
 根気よく、少しづつ鑢でする事、慌ててすると失敗するから、穴が大きくなったら使い物にならない事を頭に入れておくことだ。

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2016年12月08日

カレンダー機構6

    カレンダーには色々な物が

 

SANY8038.JPG 古時計のカレンダー機構、いろいろな仕掛けのカレンダー機構があるが、殆どのコレクターは知らないと思う。
 色々と言ってもどんなものが存在しているか、全体像を知っている人は少なく、ごく一般の機構のみである。
 古時計のカレンダー機構と言は日付が付いているもの、そしてもう一つが曜日が付いているものとがある。
 この二つが極一般的なカレンダー機構と思っている人も多いが、実はカレンダー機構にはもっと複雑なものも存在しているのだ。
 普通に見るカレンダーは一つか二つ付いているもの、日付だけとか、曜日だけとかあるが、この二つが付いている古時計もある。SANY0840.JPG
 外国製の古時計には二つ付いたものも多いが、日本製となると数が少ないと思う、何故数が少ないのかと思うが、造らなかったのか。
 カレンダー機構を付ければ、それだけでコストが当然上がることになり、ひいては価格にも反映することになる。
 部品が多くなれば当然価格も上がり、買う人が少なくなることに、時計製造会社としてはあまり面白くないのだ。
 別に技術的にどうとかではなく、日本の時計製造会社も技術は持っており、複雑な機構も出来ない訳ではないのだ。
 製造しようと思えばできた筈、しかし需要が無ければ製造したとしても売れないので、無理して造る事はないのだ。SANY0683.JPG
 外国ではトリプルカレンダーやその上を行く機構を備えたものもあり、高級時計に用いられているのだ。
 それらの時計を買う人も多く、特に富裕層に喜んで迎えられたようであるが、日本ではそこまで行かなかったようだ。
 勿論掛時計だけではなく、置時計や懐中時計、そして腕時計とその種類は多くあり、それだけの需要もあったのだ。
 しかし当時の日本ではトリプルカレンダーは高くて、余り人気もなかったと言う、だから複雑なカレンダーは造らなかった。
 特に掛時計でトリプルカレンダーのついたものは数が非常に少なく、現在市場に出れば引っ張りだこだと言う事。
 それ位に珍しいものであると、ただそのトリプルカレンダーの機構を知る人は少ない様で、外からしか見た事がない人も多い。
 精工舎の機械を利用して、トリプル機構を付けてものだが、その仕組みを見ると、良くここまで考えたものだと感心する。
 飛び抜けて難しい機構ではないが、実によく考え出したものと感心するが、なるほどと思う方が多いのでは。
 西洋時計のトリプルカレンダーの機構と比べれば幼稚である事は確か、しかしアイデアでそれを補っていると思う。
 昔の職人は良くここまで考えるものだと、そこには職人魂がありありと見て取れ、実に素晴らしいとも思う。
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2016年12月06日

掛時計か置時計か

    うるさい連中が



 
DSCN1891.JPG 我が家にまたまたうるさい連中が集まり、古時計談議に花が咲く、寄るとさわると古時計の話しになるのだ。
 別にその話をするために集まって来た訳ではないが、何時の間にかその古時計の話しになっている。
 誰かが誘発するもので、それが切っ掛けで論議が始まってしまう、何時もの展開となるのだが、それがはじまると時間が長くなる。
 くだらない話が多いのだが、そこはお互い自負があり、ある程度はわきまえての事、脱線しないように気を使っている。
 しかしそれが何時の間にかたがが外れ、持論の展開が始まる事に、それが原因のはじまりとなる事に。DSCN1892.JPG
 古時計を集めていると言うが、分野が分かれており、掛時計派と置時計派に分かれる事となり、戦闘開始だ。
 今まで自重していた者が、酒が入ると口が軽くなり、持論の展開が急ピッチで進む事に、そこに待ったがかかる。
 知らない人には理解できないと思う、何時も我が家の住人は「下らない事でよくもまああれだけ喋れるものなのか」と。
 無論何時もの事であるから、別に驚きはしないが呆れているのだ、しかし当人たちは何処吹く風の勢い。
DSCN1893.JPG 益々ヒートアップして、次々と論議が弾んで行き、その分酒も多くなるのは当たり前の事である。
私は両方を集めているから、どっちにも付くことになるが、これが又災いのもとになり、矛先が此方に向くことになる。
 確かに掛時計派に近いかも知れないが、置時計も好きで、やっぱりどっちつかず、何方も好きに違いないから。
 まだ二手に分かれているから良いが、此処に腕時計派がもしも参戦したとすれば収拾がつかない事に。
 ただでさえうるさい連中ばかり、それにもう一派が加われば、収拾がつかなくなる事は必定、そんな事にはなりたくない。DSCN1894.JPG
 確かに自分の蒐集しているものにプライドを持っている事は良いが、あまり強すぎると相手を刺激しかねない。
 彼らがその良い見本でもあるのだが、一向に反省する所がないのも彼等、だからこそ収集に熱も入ると言うもの。
 何かに打ち込む事は非常に良い事と思うし、目的を持っている事は良い事、それに突き進む力も大事でもある。
 蒐集とはそんなもの、しかし人に押し付けてはいけない、自分も反省しないといけないとも思っているのだが。
 好きな物を論じていると、ツイツイ力が入ってしまい、相手の事が見えなくなってしまうのも悪い癖でもある。
 彼らを含めて、大いに反省しなければならないが、果たして本人たちは気付いているものなのか甚だ疑問でもある。
 他の人がやはりこの光景を見ていれば、他愛のない事で良くも其処まで論議が出来るものなのかと、呆れてしまうのであろう。
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2016年12月04日

部品で測定

    頭を悩ます


 
DSCN1729.JPG 和時計の製造年代を知るには色々な部品から紐解くほかはないと、何故ならば製造された年代がハッキリしてないから。
 今までに色々な人達の手により、和時計の解明は行われているが、結果的には詳細は闇の中であると思う。
 勿論稀に製造された年代が書かれているものもあるが、全体のパーセントで言えば1割もない現実である。
 そして気を付けなければならないのに、明治期に外国人相手に和時計を売りつけた際、外国人向けに時代を付けたものがある事。
 無名だったものに名を入れて高く売りつけ商売をしていた事、その様な行為がなされていた事実。
SANY5909.JPG 時計本体だけではなく、台時計に人気が集中すれば、掛時計や櫓時計も台時計に改造されたようだ。
 そんな時代を経て来た和時計は元の様式を備えていないものもあり、時代の違っている部品が付いている事もある。
 製造されてから時が経っている事も、その原因でもあるが、明治に入り時計屋が改造したものもある事だ。
 それに拍車がかかったのが改暦である事は言うまでもない、改暦後元のままでは使用する事が出来ないためである。
 西洋時間に合わせて文字盤を12時表示に付け替えてしまったものもあり、その時に二丁天賦のものを一丁天賦に改造。
 SANY3146.JPG現存している和時計にも、改暦後に明らかに改造されたと思えるものが存在している事実である事。
 多いものは二丁天賦式の和時計を改暦後に使用するためにどうするかと言えば、二丁天賦の一つ夜用の後ろの天賦を外す事。
 和時計の二つある天賦は夜用と昼用に分かれており、昼用の天賦を使用し、夜用の天賦は不要となり外して使う。
 その為には当然文字盤も変えないと都合が悪いから、12時表示の文字盤に改造して使う事が出来る。
 兎に角和時計は明治時代に入り、色々な改造がなされているものも多く、オリジナルの状態のものは少ない。
 SANY0695.JPGどれがオリジナルかは難しい判断ではあるが、系統的な和時計の製造スタイルがあり、各部品の一つ、一つをつを繋ぎ合わせて判断するしかない。
 部品も当然時代と共に紛失する事もあり、一ヶ所の部品だけでは判断をしない事、総合的に見ないと判断が狂うことになる。
 和時計の上から順に見ていくと、一番上の留め金、つまり鐘を止める留め金から時代に合った留め金かを調べ始めるのだ。
 その次は時を告げる鐘の形、これも時代順に大体の形が使われているから、どんな形であるかを見る事、古い物は深鈴と呼ばれて鐘が深く、時代が新しくなるにつれて浅くなる。
 幕末が一番浅くて、古い鐘の五分の一以下と浅くなることに、これは台時計や置時計にまで波及することになる。

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2016年11月30日

修理の難しさ

    自分で直すも


 
 DSCN1710.JPG古時計は故障がつきもの、どんなに調子が良い物でも時代が過ぎている事、つまり時が経っていると言う事だ。
 毎日使い続けてきた古時計、古い物は明治初期に買い込んだもの、それから100年以上経っている。
 当然故障して当たり前、毎日、毎日動き続けたために摩耗しているので、故障が度々起きる。
 古時計愛好家にとって故障は大敵、自分で直せなければ修理して貰うしかないが、修理代も大変である。
 一台であればそれはそれで良いのだが、何台か修理するとなると意外に修理代が高く付き、ビックリするほどになる。
 以前私も気前良く古時計を修理を出していたが、ある時修理DSCN1576.JPG代が10万円を越している事にビックリ、何でそんなになるのかと。
 確かに一台であれば修理代も1万円位で済む、しかし10となるとそんな訳には行かなくなるのだ。
 数と言うのはそれだけ重いと言う事、その時から自分で直せるものは直すと、自覚して今日に至っているのだが。
 しかし自分で直せる範囲は限られている事も確か、大きな修理は当然時計屋さんに直して貰うほかないと思う。
 機械に詳しくない人も多いと思う、そんな人達はヤッパリ時計屋さんに修理を頼むしかない。
 自分で直したくてもそれが出来ないから、古時計を集めると言う事は修理があると言う事を覚悟しなければならない。DSCN1574.JPG
 今回の古時計もそんな事で修理をしているが、これが難題であり、何度も修理しているが今だに直ぐ止まるのだ。
 この鳩時計、以前にも時計屋さんに修理して貰ったが、中々こちらの思うようには動かないのだ。
 ドイツ物の郭公時計、手に入れてから何度となく修理をして来たもの、友人に言わせると修理代の方がはるかに高くついていると言う。
 勿論それも承知しており、今までにかけた費用は、この時計よりも高いものに、しかし時折止まってしまうのだ。
 機械構造的には問題はない、何処がおかしいものなのかDSCN1716.JPG分からないが、時折止まってしまうのだ。
 修理して帰って来ても、また止まるので分解して何処がおかしいものなのか、さんざん探したのだが。
 原因はハッキリとしなくて、分解して悪いところはなく、また組み立てて動かすもその時は動く。
 しかしやっぱりまた止まることになり、その繰り返しを行っているが、未だに原因がつかめない。
 情けない事だがヤッパリ分からない。
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