2016年08月20日

瀬戸の水滴22

    陶器で出来ている



SANY5979.JPG 明治時代に製造され瀬戸の水滴、殆どが磁器で製造されているが、何故この水滴は陶器で出来ているのかと言う事だ。
 明治時代に色々な形の水滴が製造され、全国に送られて行ったが、やはり圧倒的に磁器で造られたものが多いと思う。
 勿論他の地域で製造された水滴を見ても、磁器で製造されたものが殆ど、それも時代の流れであると思われる。
 陶器から磁器へと色々なものが移行した時代、磁器は丈夫であり、それだけではなく墨などの浸み込みも少ない事から、磁器が使われたのだ。

 時代の要求に産地として答えたようで、やはり丈夫て綺麗な方が良い事に決まっているから、市場が求めたとも言えよう。SANY5990.JPG
 やはり新しいものに飛び付く、人間の心理と文明開化の流れが合体したものと思うが、それだけではないと思われる。
 各産地も文明開化の流れを利用して、磁器の売り込みに力を注いだ事が、その大きな要因であると思う。
 そんな事で磁器の水滴は販路を拡大して行き、市場に多く供給された事が、現在現存している理由ではないのか。

 勿論その他の要因も関わった事は言うまでもないが、陶器から磁器への変換期でもあったようだと思う。
 特に西洋時計をモチーフにした水滴は人気を呼んだようで、数多く製造され当時の学校にも反映されていた。SANY5984.JPG
 子供たちの使う水滴が西洋時計の形をした水滴、当時の最先端を行く流行り物、これを子供たちが見過ごす事はない。
 新しい水滴に飛び付いたとしてもおかしくなく、むしろ其れを目当てに生産者は時計の形の水滴を製造したとも言える。
 明治と言う時代は、何から何まで新しいものが庶民の生活に入り込んだ時代、又庶民もそれを受け入れて居たのだと思う。
 写真の水滴はそんな時代に変換期に製造されたもの、従来の陶器で造られた水滴、カラフルな色眼は確かに文明開化を思わせるもの。

 生産者の中には時代に取り残されたものもおり、新しいものに臆病になり、従来の製法で水滴を造り上げたのだと思われる。SANY5997.JPG
 事実、この様な陶器の水滴の方が現存数が少ない事も、その裏付けではないのだろうかと思う、磁器の水滴に押されて居たのではないだろうか。
 当時どれだけ売れたものなのか、それが現物として残っているものを見れば、明らかに差があり、陶器の水滴は売れなかったと思われる。
 写真は当時従来通りの製法で作られた時計の水滴、多くの貫入と呼ばれるヒビが見られ、陶器特有のもの、磁器との違いが表れているもの。

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2016年08月18日

鳩のふいご

    鳩時計の鳴き声

 

DSCN0410.JPG 古時計の種類も色々なものがあり、それぞれに好まれる機種があるが、全般的に好まれるのが鳩時計、この時計は皆好きなようである。
 フクロウ時計、郭公時計等動きのある時計は人気が高くて、その殆どが鳴き声を上げる事、梟時計にしても鳩時計にしても。
 古時計愛好家はこのような動きのある時計を好み、多くの人が一台は所有していると思う、それが鳩時計である。
 鳩時計の特徴は何といっても鳩の鳴く事、扉を開けて鳩が時を告げる、仕掛けはそんなに複雑なものではない。

 カラクリ時計の一種であるが、カラクリと言っても簡単な仕組みの時計、値段もソコソコであり蒐集するのにはうってつけの時計だ。
FSCN0110.JPG 値段も手ごろで数もあり、そんなに難しい時計ではないので、直ぐに手に入れられ、インテリアとしても人気である。
 勿論時計であるから時間も正確に動くが、それよりも求められるのは鳩の動きと声、時を告げる声が喜ばれるのだ。
 鳩時計が嫌いな人は、この声が嫌いだと言う、好き好きであるがやはり鳴き声が嫌いと言う事、そこに違いがあると思う。
 確かにに毎回時を告げるのに鳴き声がうるさいと言う人も居る、これは好き嫌いの判断が違う事にあり、「うるさい」と思うか、「可愛い」と思うかである。
 好き嫌いとは、ほんの少しの事で分かれるものであると思うが、良し悪しは人の判断、とやかく言う事ではないのだ。
FSCN0097.JPG
 その鳩時計の鳴き声、簡単な仕組みのふいごから出るのが声、このふいごは左右二つあり、低音と高音に分かれているのだ。
 あのポッポと言う鳴き声、低音と高音でないと出ない声、実にシンプルであるが、これが意外と難しい仕組みである。
 筒の上にふいごが付き、その下に笛が付くが、ふいごが上下する事により下の笛に空気を送り込む、それにより音が出る仕組みだ。
 非所に簡単に仕組みだが、少し角度が違うと声が出ない事も、簡単がゆえに難しさもあり、そこが鳩の欠点でもある。
 もう一つがふいごの紙が破けて、声が出ない事だが、この紙の張替も面倒な作業、紙に折り方があり、これを上手く折らないと音が出ない。
FSCN0096.JPG これまた簡単な作業であるが、折るのは大変難しく、作法通りにやらないと上手く声を出さいので、これも面倒な事だと思う。
 古い物は木で出来ているが、新しいものはプラスチックで出来ているから、この部品を見れば新しいか、古いかも分かる事になる。
 上は古いふいごで、下は新しいふいご、見た目には同じように見えるが、木製とプラスチックの違いである。





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2016年08月06日

大型の時計

    大きなのっぽの古時計

 

 DSCN1171.JPG友人から電話で「大きな置時計の写真を送って欲しい」と言う、現在は家に無く保存協会の事務局に置いてあると伝える。
 すると「早く写真が欲しいから送ってくれ」と言うので、仕方なく事務局に行き写真を撮ることになってしまった。
 この友人、気が短い性格の持ち主で、何でも早くしたい性格、自分の頼み事なのに早くして欲しいと催促めいた言い方。
 何時もの事だから気にしないが、知らない人だと「何で頼む事なのに、催促めいた言い方をするのだ」と気を悪くするかもしれない。
 長い付き合いであるから「奴は何時もこんな感じ」と思いつつ事務局に、事務局の矢野さんが「また誰の注文か」と聞いて来た。
 DSCN1174.JPGそれもそのはず、私がこの時計の写真を撮る事もないから、不思議に思うのも無理はなく、其れも急いで写真を撮るために来るとはおかしい。
 確かにその通り、私も何で急いで行かなければならないのかと、今一疑問でもあるが、頼まれたから仕方ない。
 この時計は家に置いていたが、大型の時計が三台もあり、狭い家なのに尚更狭く感じると、家から追い出されてしまったもの。
 あちらこちらと転々と置き場所を変えて現在の所に落ち着いたもの、事務局で預かって貰っているのだ。
 今までに色々な展示会には顔を出していたこの時計、会場に置けば必ず人気者に、毎回動かしての展示であった。
DSCN1172.JPG だから見学者からは人気で「今も動いている」と喜ばれ、どの展示会場でも人だかりがあったもの、しかしちょっとデカイ。
 この時計を見つけたのはNKアンティーク平野さん、「戸田さん大きな時計がある」と言って来たのだ。
 話を聞けば重錘式の古い物、機械はセストーマスと言うので興味が湧き、「一度見せて欲しい」と返事をした。
 後日、平野さんのもとにその時計を見に行くが、そのデカさにビックリ、普通の時計よりもはるかにデカい。
 普通の置時計は2メーター少し位、しかしこの時計は其れよりもデカくて、2メーター40を超す大きさである。
DSCN1173.JPG 確かにデカいもの、平野さんもデカすぎて普通の部屋では収まらないと言う、その通りで置き場所に困る大きさだ。
 しかし展示するには迫力があり、絶対に人気になる事は想像でき、私も大きな時計は好きであったから買い込んだ。
 友人が今回この時計を貸して欲してと言った来たのは、彼の知り合いが展示場に注目して欲しいものの隣に置きたいとの事。
 目玉になる時計を探していたが、私のもとにある事に気が付き、展示したいから写真を送って欲しと言う事だ。
 勿論、展示には最適な時計であるが、運搬には手間もかかる大きさ、トラックでないと運べないもの、それを分かった上で貸す事にした。
 しかし矢野さん曰く「簡単に思っているが運搬設置は、そんなに簡単ではない」と言う、確かにその通り。
 そんな訳でこの時計、何処かの展示場に運ばれて行ったが、果たして動かす事が出来たものなのか、疑問でもあるのだが。


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2016年08月04日

続古時計陸奥行脚14

    道が分からない



 
DSCN0927.JPG 花巻から国道を走って来たから、盛岡市内で道が分からなくなり、ホテルとは違った方向に進んでしまったのだ。
 何時もは4号線か高速道路で盛岡に入るが、今日は違った道を走って来たので、方向感覚が鈍っており、今何処だと探し始めた。
 道路標識には盛岡市に入ったはず、しかし北上川が左に見えているから、何時もは右に見えており、ヤッパリ変だと思う。
 国道396号線を走っているから、北上川が左に見えるのは当たり前の事、だが頭の中ではいつも右に見えていたから、変な感覚になるのだ。
 そんな事で、その先の4号線とぶつかり、やっと感覚がつかめ、時間が早いので一気に渋民まで行く事に、勿論啄木の故郷だ。
 そまのまま4号線を渋民に向けて下走り、4時過ぎに渋民に到着、早速啄木記念館に入り、啄木が教鞭をとった校舎に行く。DSCN0928.JPG
 この校舎、以前はここに無かったもので、もう少しお寺に近い場所にあったが、整備されてこの地に移って来たらしい。
 校舎は良く管理されており、昔のままの佇まい、何度か訪れているが、ここに来ると啄木に会える感じがして気分が良い。
 昔ここで啄木が生徒たちと一緒に過ごしたと思うと、感慨深い思いだが、それにしても狭い校舎であると思う。
 当たり前であるが、当時の渋民村は人口も少なく、子供もそんなに多くなかったよう、勿論、当時は何処でもこんなものであったであろう。
 階段を上がり二階に行くと、教室が2つ、昔ながらの小さな机が並んでおり、椅子に腰かけて見るがやはり小さい。
 こんな小さな椅子であったのかと思うが、子供たちはやっぱり小さかったのであろうと、そんな思いが。
DSCN1019.JPG 啄木が上がったであろう教壇に立ってみる、ここから生徒を眺めていたのかと思うと、実感が湧いてくる。
 我々が見終わるまで記念館の方が待っていておられ、閉館時間を過ぎていた事に気が付き、慌てて見学を済ませた。
 近くの公園にある啄木の碑を見学に行く事に、記念館からは直ぐの所、ここも思い出の地、はじめて訪れたのは40数年も前の事、暑い夏の日であった。
 渋民の駅から歩いてこの碑を見に来たが、実に遠く感じた事を覚えているが、着いた時の感激は忘れない。
 前からこの地に立ちたいと思っていたからだが、それが叶い、岩手山が見え、眼下には北上川が流れ、啄木がここから旅立ったのだと思いを馳せたものだ。
 今見ている風景は当時と変わってはいないもの、啄木もこの風景が好きであったと言われ、岩手山を詠ったものも多いのだ。
 そこに建つ碑には有名な歌が刻まれて、岩手山の方向を向いているもの、実に良い風景の所に建つ碑であると思う。

    やわらかに、やなぎ青める北上の 岸辺めにみゆ なけとごとくに

 この公園から少し国道を走ると昔行った店屋があり、そこに行く事にしたが、時間が時間なので慌ててそこに行く事に。
 案の定店は閉まっていたが、店主に開けて貰い中に入ると置時計が目に入り、何かあるのかと期待したが、其れだけであった。

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2016年08月02日

ゆらゆらガラス3

    やはり見にくいが


 

DSCN0700.JPG ゆらゆらガラス、呼び方はいろいろ言われているが波ガラスの事、つまり古い造り方のガスらの事であるが、その見方である。
 何時も質問の中でゆらゆらガラスとは何とか、如何してそれが分かるのかとか、見方を教えて欲しいと言う事。
 今のガラスはまったいらのもの、昔のガラスは吹きガラス、どうしても平のものが造り出せなかったのだ。

 今のガラスと昔のガラスを比べて見ると、明らかな違いが見えて来るが、それは透明度であり、色の違いであったりする。
 これは意図的に比べて見ないと分からないと思う、よく言われるのは何処が違うのかと言う事、それすら分からないと。DSCN0853.JPG
 勿論何となく言われている事は分かるような気がするが、実感が湧かないとも言うのだが、確かにその通り。
 目で見て明らかな違いを実感するには、ガラスに物を映して見ると良いと思うが、その時に少し変と思うだろう。
 何処が変と言えば、ガラスに映るものが歪んで見えるからだが、写真に撮ると中々分からず、今回も又上手く撮れない。
 ハッキリと分かるように説明してと言われているのに、写真に撮ると思っていたのと違うものが写るのだ。
 それは自分の目で確かめて貰うのが一番良いと思うが、ガラスを斜めから見て見ると良い、それも物を映して。
 DSCN0855.JPGするとガラスに映るものがハッキリと映らないもの、昔のガラスは平らでないからものが歪んで見えるのだ。
 今のガラスは物を映しても歪んで見えず、ハッキリとモノが見えるので、それが当たり前と思っていてるのだ。
 そしてもう一つが、良く古いガラスを観察していると、所々に空気の弾みたいなものがある事に気が付く。
 これも古いガラスの特徴、気泡が入ってしまうのであるが、現在のガラスには気泡は全くないもの、そこがまた違うところ。
 言葉で言うとこんな感じであるが、やっぱり実際のガラスで比較しなければ、実感は湧いてこないと思う。
DSCN0760.JPG 今回の写真もそれを意識して映したが、やはり難しかったもので、中々上手く撮れなかったが、おぼろげながらでも分かるのか。
 今のガラスと昔のガラス、違いを実感して欲しいもので、それも自分の目で確かめる事、よく観察して欲しい。
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2016年07月31日

田中コレクション4

    達磨も多いみたい


 
DSCN1137.JPG
 田中コレクション、精工舎の古時計が大半であるが、中には面白い古時計もあり、興味の湧くところ。
 勿論精工舎の古時計も良いが、私は名古屋の時計が好きで、名古屋の古時計ばかりを集めているから、そちらが気になるのだ。
 田中さんも色々と変わった古時計を持っているが、中にはぜひとも欲しいと思っている古時計があり、譲れと交渉している。
 しかし未だに良い返事は聞かれずに現在まで、そんな古時計の中に林時計の達磨、8インチの本四つ金達磨。
 林の8インチ本四つ達磨は数も少なく、愛好家の中でも人気の高い古時計、程度はまあまあ、しかし金が良く残っている方だと思う。DSCN1134.JPG
 金達磨は金が残っているから金達磨、しかし大半は金箔が剥がれていて、程度の良いものは中々ないので、この時計はましな方だ。
 林時計は金達磨も多く製造しているが、何故かしら程度の良い金達磨を見かけないのは何故だろうか、不思議な話である。
 私が偶々見かけないのだろうか、今までに程度の良い金達磨は数えるくらいしか無く、何か原因があるのか。
 それと林の8インチ金達磨、本四つ金達磨はやはり人気があり、市場に出れば直ぐに買い手かが付くから見ないのか。
 私も程度の良い林の本四つ金達磨を見つけたが、手には入らず他の人の手に渡ってしまったが、今でもあの金達磨は程度が良かったとつくづく思う。DSCN1133.JPG
 田中コレクションの金達磨、おそらく明治末くらいの物、HIのマークがそれを物語っているが、振り子室のラベルは薄くなっている。
 文字盤は残念ながら後から張り替えられているもの、仕方がないがそんなに荒れた文字盤ではないのが良い。
 指針はカニ目の針が付いており、蕪針と比べればどちらかと言えば、こちらの方が面白い雰囲気となっている。
 針一つで文字盤の雰囲気が変わり、改めて指針の重要性がハッキリと理解出来、針は如何に重要なものかを認識した。
 この時計の機械、林時計製造会社が小型の時計専用に開発していた事を改めて確認、従来の改造型ではないものだ。
 DSCN1131.JPG名古屋地域の時計は分業制が進んでおり、他社の機械でも買い入れて自社の時計に流用する、これが当たり前の事でもある。
 他の地域とは異なり、同じ機械が多数の会社に供給されている事、またそれが利益向上に役立つことを立証している。
 自社で開発するよりも、機械を流用する方が合理的、その分ほかに資金をつぎ込む事が出来、経営的に有利である事。
 いずれにしても、名古屋地域の時計製造は、合理的に他社の機械や部品を流用して時計製造されたものだ。
 林時計もその構造を利用している事は明らか、まして林時計はこの時期、経営面で窮地に立たされていた時期でもある。







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2016年07月29日

ガラス絵の違い

    好き好きであるが


 
SANY6830.JPG ニューハバナ型に付いているガラス絵、一番人気のものはクジャクの付いたものである。
 今までの人気トップを占めていたが、最近事情が変わって来たようで、それだけではなくなっている。
 勿論最初からいろいろな図柄のガラス絵が存在している。
 もともとバスケットのハンキング図柄が付いていた。
 そんな図柄の中、何故かしらクジャクの図柄が人気となるが、原因は分からない。
 確かに豪華な図柄であり、パッと目には綺麗に見えるものだと思う。
 しかし長く眺めているとくどく感じて来るもので、私は好きではない。
 しかし市場では今だに人気だと言うが、それも少し変化が表れているようだ。
 SANY8014.JPG誰しも同じクジャクの図柄を持っていると、自分だけは他の図柄にしたいと考え出すのだと思う、それが今現実となったようだ。
 皆同じものを持っていると言う事は、逆な言い方をすればそれだけ数が多いと言う事、それに気が付いたのではないだろうか。
 勿論好きであればそれで良いが、色々なガラス絵が存在しているのに、クジャクだけが持てているのも変な感じもする。
 色々な人が居ても良いはずだが、一つのガラス絵に何故集中したのか、原因は分からないが、仕掛け人が居のではないだろうか。
 日本人的な感覚であれば、花柄のものが良い筈、それを差し置いてクジャクとは、ヤッパリ変であると思うが。
 SANY7194.JPGそして最近だが、アメリカ製のハバナよりも日本製のものに人気が出て来たようで、人とは違ったものをと言う事だと思う。
 日本製のハバナ型、以前はコピーだから面白くないと言う人が多かったが、それが今見なおされて来たようだが。
 確かにアメリカ製のハバナは造りが良く、素材的にも良いものが付かれているから、時計としては良いものだと思う。
 しかし古時計と言う事となると面白みに欠けると思うが、それも好き嫌いと言う事だが、私は面白いのは国産のハバナだと思う。
 造りが少しダサイところが何とも言えない味、そして日本的なガラス絵はやはり国産でしか出ない味、それが見なおされて来たのか。
 それとガラス絵自体に色が付いており、金彩や銀彩とは違い、泥絵の具で彩色されたものが良くて、日本らしさが表に出ている。
 写真の一番下のガラス絵がそれ、見た目にも鮮やかであり、それでいてこの時計にはぴったりだと思うが。
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2016年07月25日

和時計の文字盤

    様々な種類がある




SANY3081.JPG 和時計の文字盤、時計の顔とも言われる文字盤だが、色々な種類の文字盤が存在するもので、一つと同じ文字盤は無い。
 同じように見えても、今の時計の文字盤の様に大量生産されたものでは無く、あくまでも手造りされたものである。
 勿論作者が違うから当然文字盤も違ったものになるのだが、書かれている文字は同じ、和時計の法則にのっとって書かれている。
 和時計は時代により少しづつ変化しているから、初期のものと中期のもの、そして後期のものと末期のもの別れる事になる。
 勿論作者によっても違いがあるから、時代の流れを覚えるのも一つ、少しづつではあるが確実に変化をしているのだ。
 文字盤の素材も重要な要素、時代変化に敏感に反応しているから、その流れも知る事だと思うが、数多くの和時計を見ると変化が分かるもの。
 SANY0466.JPGやはり和時計を多く見る事により、時代変化を知る手がかりになる事は確か、本物を見極める事も大事な事。
 何故かと言えば、時代によって造り替えられているものも存在しているから、後から変えられているものもある事。
 特に幕末時期にはそれが多く見受けられるから、注意して見る事も大事な事、それには和時計を多く見る事が肝心であると思う。
 よく質問にあるのが、和時計の文字盤に干支が書かれていないものがあるが、それは古い形のものなのかと言う。
 確かに古い物の中には数字しか書かれていないものがあり、だから数字だけしか書かれていないものは古い形式のものと。
 こんな判断をする人も居るが、それは間違いであり、時代が下がった幕末期にも数字だけの文字盤が存在している事。
DSCN1069.JPG 古い時代の和時計の形式と、幕末期の和時計の形式は明らかに違うものだから、文字盤だけで判断しない事だ。
 文字盤だけで比較しても正しい時代測定とはならないから、やはり全体の形式を見た上、文字盤の確認をする事だと思う。
 和時計の歴史は1500年代から1800年代後半まで製造されているから、長い期間に変化をして行く事になり、何時の時代の和時計かを先ず知る事だ。
 和時計の初期物の文字盤はまっ平らのものが多いから、これを一つの目安とするのも良い、その時には数字か干支のどちらかが書かれている。
 この文字盤形式が一番古い形、要するに単純な文字盤である事、そこから次第に文字盤が立体的になって行くから、中期頃には蒲鉾状に中央が膨らんで来る。
SANY3129.JPG これも一つの手がかり、見た目に分かり易い変化、その後もっと立体的になり、割り駒形式のものにと移る。
 割り駒形式になると数字だけの文字盤となるから、これが末期の文字盤、この様に文字盤には流れが存在しているから、それを知る事だ。
 それともう一つは素材も変化しており、鉄から真鍮へと変わって行くから、其れも時代測定の材料となるのだと思う。
 色々な方面から文字盤を見ないと、見た目の形や数字で判断は出来ないもの、よく観察して時代に合った文字盤かを見極めてはいかがだろう。
 写真は時代により文字盤も変化をして行く事の見本、勿論例外もあるから、自分自身で確かめてら良いと思う。

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2016年07月18日

82番と1547番2

    一つ一つ違いを


 
DSCN1185.JPG
 前回は蛎殻町製造の地金板の違いと留め金の違いを紹介したが、少しの違いが大きな違いと分かって貰えたであろうか。
 同じように見えても、シッカリと実測して見ると、大きな違いがある事に気が付くが、ヤハリ計って見ないと実感がない。
 私も今まではハッキリと計った事は無く、正確に測った見て気付くことになるとは、そんな思いでもっと詳しく調べてみた。
 製造番号82番と1547番、どけだけ離れて製造されたのか分からないが、明らかに最初期のものと1547番の製造方法は違う。
 地金板の大きさも違う事は前回の通り、見た目に同じようだが、違いはあり、その他の部分も調べて見ると、やはり違いが。
 DSCN1190.JPG82番の数取り車、時打ち車とも言うが、この造りが歴然とした違いがあり、1547番のものと見た目にもわかる近い。
 82番の数取り車には補強の溝が造られているが、1547番の数取り車は補強の溝が無いものになっている。
 面白い事に2000番台にはまた溝があるものもあり、1000番台のものにはないものが存在している事だ。
 この補強の溝が何故無くなり、そしてまた復活するのか、強度不足から復活させたのかは不明であるが、大きな違いの一つだ。
 そして歯車の地金板の幅は補強のあるなしに関わらず7ミリ幅で同じ、同じ幅なのに初期には補強しておいて、中期には補強は無いが、幅は同じである。
 DSCN1196.JPGこれは何を意味しているか理解しがたいが、補強無くても問題ないとの判断であったか、問題があったからまた溝を入れたのか。
 もちろん他の歯車も調べてみたが、やはり違いが存在しているので、初期のものと中期のものとでは明らかな違いがある。
 雁木車も見た目でも違いがハッキリと分かるが、実測して見ると、82番の雁木車の地金板の幅は3ミリであり、1547番台の雁木車は2ミリ幅と薄い。
 わずか1ミリであるが、雁木車の1ミリは非常に大きな違い、見た目でもハッキリと違いが分かる幅である。
 初期の雁木車よりも薄く造られている事は、薄くても問題が無いとの判断であると思われるが、数取り車との関係をどの様に理解するのかDSCN1198.JPG
 補強したり、逆に薄くしたりしているのは、まだこの時期シッカリとした自信が無かったものなのか、それとも他の原因なのか。
 調べて行くと、色々な疑問が浮かんできて、今まで考えなかったことが、実際に機械を調べて、逆に分からなくなったようだ。
 気にも止めないでいると、気にならないが、調べて見て分かる事の方がより疑問が深くなり、あらためて古時計の難しさを覚える。
 蛎殻町製造の時計、やはり謎が多くて理解しがたいが、知れば知るほど面白さも湧いて来るもの、古時計の難しさが浮き彫りとなった形だ。

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2016年07月13日

切り替わらない

    二丁天賦


 
SANY4365.JPG
 古時計保存協会の会員水谷君、彼はまだ高校生であるが和時計に興味を持ち、自分で和時計を造りたいと思っているらしい。
 そして見様見真似で和時計の歯車を板で造ったと、しかし歯車は動かなかったと言う、何故動かなかったか不明だ。
 古いと言うよりも、私は彼の造った歯車を見ていないから、何とも言えないが、たぶん歯車は出来が悪かったと思う。
 シッカリとした板で正確に歯車を造れば回転はする筈、歯車の強度も無かったものなのか、原因は幾つかあげられる。
 そんな話を水谷君から聞き、彼に歯車がどんなものなのかを現物で体験して欲しくなり、彼が来た時にそれを実行する事にしたSANY0439.JPG
 6月の時の記念日展に彼が現れたのでそれを実行する事に、以前には一丁天賦の和時計を2台彼は分解しているのだ。
 始めの一台は本物を触るのも初めて、その為に慎重にと手もゆっくりとなり、しかもおどおどとしてスムーズに進まない様子であった。
 別に壊れる事は無いからと、彼にはプレッシヤーを掛けない様に、自由にしておいたので、彼なりに頑張っていた。
 隣でそれを見ていたが、監視している様なので、後は彼の好きなように組み立てれば良いと、その場を離れた。
 私の考えではまず和時計の構造を知って欲しいと、その為に機械をバラバラにして彼に組みたてさせる事。SANY4940.JPG
 バラバラである事から、歯車がどの様にかみ合ったいるのか、どんな形をしているのか、そしてどの様に造られているのかを目で見る事。
 当時の職人の苦労を目で確かめる事が、和時計を知る上で非常に重要な事、これを知らないと和時計は語れないと思う。
 しかし中々その機会は少ないから、じかに自分の手で組み立てる事が一番、和時計は分解できるのは少ないからだ。
 そんな事で展示会に彼が訪れ、はじめから和時計を組み立てろと、そんな難題にも彼は臆せず、直ぐに和時計に取り組んだ。
 そんな姿を見ていたから、彼には是非とも和時計の仕組みを理解して欲しい、そして何時の日か和時計製作に入って欲しいと。SANY4357.JPG
 そんな思いで彼を試しているのだが、彼はそんな事は知らずに、夢中で組み立てているもので、何時まで続くのかと思っていた。
 彼は組み立てては分解して、また組みたてる事を何度も繰り返していたが、何処かおかしい事に気が付いたらしく、首をかしげている。
 それは雁木車と天賦のかみ合わせ、一番重要な部分であり、ここが一番肝心な時計としての機能、上手く動かないと。
 組み立てたが動かない、何度か組み立てに成功したが、いざ組み立てて動かして見ようと思っても動かないのだ。
 何故動かないのか分からないと、少しは自信が付いていたようだが、時計が動かない、それが信じられないようだ。
 この間の時間、7時間と掛かっていたので、その間何度も挑戦した様、これにはこちらも感心して、次の作業を教える事にした。
 彼の和時計に対する熱意は本物、和時計を造りたいと思う気持ち、それを援助したいと改めて思うことになった。

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2016年07月10日

田中コレクション3

    取っ手だらけ



DSCN1152.JPG
 古時計愛好家にとって変わった古時計を手に入れたいと思う気持ちは大きく、何処からないものなのかと探すのだ。
 愛好家はこの動きが楽しいもので、何処かにそんなものが無いのかと、あちらこちらと探し回るものだ。
 別になかったとしても、それはそれで楽しいもので、あれば楽しいに決まっているが、そんなに簡単に見つからないのも古時計。
 探しても、探しても見つからないのもまた古時計であり、だからこそ古時計を追い続けるかも知れないのだ。
 やはり古時計愛好家にとっては、それを探す時間さえ楽しいものなのだが、見つけた時の喜びと、手に入れた時の感動。
 DSCN1156.JPGこれが忘れられないから、同じ事の繰り返しをするものなのだが、人はそれを理解できないらしく、何で無駄な事をするのかと。
 確かに言われてみれば無駄かも知れないが、じっと待って居られないのも愛好家、知らない人は古時計がある処に行けばよいと言う。
 勿論骨董屋やアンティークショップ、リサイクルショップから個人の家まで、探し回っているのも古時計愛好家。
 だからじっとしていては古時計は集まらないと、そんな思いが我々を突き動かすのだと、愛好家は思っている。
 私も田中さんも同じ事、暇さえあれば古時計を探して歩き回り、探して来たのが今回の古時計であるのだ。
DSCN1153.JPG この古時計、形が少し変わっているもので、名古屋で造られたものだが、同じ形のものもあり、色々な会社が造った。
 この時計八角形ではなく六角形であり、掛時計としては珍しいもの、普通時計は八角であるのに対して、これは六角なのだ。
 形としても珍しいが、デザイン的にも奇抜なもので、何だか取っ手が時計の周囲を取り巻いている感じ、変な感覚になる時計だ。
 初めて見る人は好き嫌いがハッキリと分かれる時計、見た目に異様な雰囲気だからと思うが、それが決め手でもある。
 他社との差別化をはかった末のデザイン、奇抜さが売り物でもある時計、何で取っ手なのかは分からないのだが。
DSCN1155.JPG 当然製造者は意味があって造られたものと思うが、ある人は取っ手ではなく蕨手の変形だと言う人も居る。
 確かに見方によれば色々と見えては来るが、見る人の感覚的なもので、取り方が色々とあると思う。
 この時計、名古屋時計のものであるが、何処にもその印が入っていないから、何で名古屋時計かと言われるが、機械形式と同じような時計が幾つも名古屋時計に存在する。
 かたちは違うが名古屋時計が製造した物を並べて比較すると、同じ手法が使われており、製造方法も同じもの。
 同じ会社の時計を並べて見ると面白いもので、その製造所の癖が分かって来るものなので、そこを見つけ出すのも愛好家の務め。




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2016年07月08日

明治の時計塔7

    日本にどれだけあったのか


SANY4791.JPG
 文明開化華やかであった時代、時計塔を造る事が流行ったらしいが、当時どれだけの建物があったのか、興味の湧くところ。
 西洋文明が一気に押し寄せた時代、日本全国で時計塔ブームが巻き起こったと言われているが、果たしてどけだけあったものなのか。
 勿論東京が火付け役であった事は確か、東京の町に突如してあらわれた時計塔、それは当時の流行と聞くのだが。
 その流行がどの様なものであったかは、今知る由もないが、写真が少し残されているので、それから推測しかないのだが、写真で見る限り多く存在したと思う。
 一枚の写真から見えて来るものは何かと言うと、その建物の形や建て方に興味が湧き、調べて見る事にしたのだが。
 実際に調べて見ると難しい事が、全国で残されている時計塔の写真は少なく、中々資料が無い事である。
 SANY5414.JPGそんな資料乏しき中から、色々な写真をピックアップ、すると面白い結果があらわれたが、それは日本的な建て方と西洋的建て方が存在する事。
 勿論当時は日本風の西洋建物が造られ、外形は西洋風であるが中身は日本建築である事、一見西洋建築として見える事だ。
 この時代に建てられた本格的な西洋建築も存在しているが、その殆どは和洋折衷の西洋風の建物である。
 レンガ造りで本格的西洋建築は数える位、後は日本の大工が西洋風に工夫して建てたもの、一番多くあったと思われるものがある。
 それは土蔵造りの西洋風建物、外観も土蔵であるが、一部レンガを使い西洋風に造り上げた傑作土蔵、これが一番多い。
 当時の流行で西洋風に見えるが、土蔵を改造した建物、これが当時の街並みにもあい、人気の建物であったと思われる。
 事実写真を見る限りでは、実にドッシリとした建物であり、土蔵とは一味違ったものであり、当時の流行が見て取れる。SANY5410.JPG
 それにしても、当時の時計塔は遠くからでも良く見え、シンボル的な建物であった事が、写真でも良く分かると思う。
 さぞかし当時の人々は時計塔を文明開化の先駆者的なものと受け取っていたようで、珍しさと奇抜さで人気を博したと思われる。
 残念な事に関東大震災で殆どの時計塔は焼失、もしくは崩れ落ちてしまった様で、現存している時計塔は無い。
 全国的に見ても現在時計塔として現存している建物は数が少なく、数える位しかないが、時計の残骸は残っている。

 写真は東京と名古屋の時計塔の写真、色々な建て方が存在した事が伺える貴重な資料と言えよう、無くなってしまったの残念な事でもある。
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2016年07月03日

82番と1547番

    最初期と中期


 
DSCN1184.JPG
 蛎殻町製造時計、新居常七が明治16年に設立したと言われているが、ハッキリとした立証は無く、確定するには疑問もある。
 色々な説がささやかれているが、明治16年ごろが推定でき、それ以前はあり得ないと思うが、そんな蛎殻町で製造された時計。
 現存数も少ない事から、中々研究が進まない事も確か、私もあちらこちらの資料を集め、色々な方にも意見を聞いてみた。
 文献上でも色々な事が書かれているが今一つハッキリしないもの、どの意見が正しいのかも分からない。
 只、言えることは現物が物語ると言う事、現物程事実を伝えてくれる生き証人、それらの比較から見えて来るものがあると思うが。
 そんな事で我々の仲間も、蛎殻町について調べているのだが、仲間の持っている蛎殻町製造の時計を記録してはいる。
DSCN1187.JPG 私の所有している蛎殻町の時計、速い番号は82番、遅い番号は2856番、その他1500番台と2200番台などある。
 知り合いが持っているのが63番、後は会員さんの持っている蛎殻町製造の時計、それらのものを少し比較して見た。
 主に機械の形状を比較し、最初期と中期、そして末期と順に並べて比較、そこから見えて来るものは何か。
 やはり現物が語るものの真実、数多くのものを比較するのが一番と思うが、勿論その他も比較する事が大切。
 今回は機械の形状を少し比較して違いを見つけ、他の社との違いなど参考にしたいと思い、一部分を比較して見た。
 まずは地金板のその違い、一見見た目には同じように見える地金板、細部を比較して見ると大きな違いがハッキリとする。
DSCN1186.JPG最初期の82番の地金板上部部分の幅を計ってみると、1、4ミリ、1547番の幅は1、8ミリと違いがある。
 下腹部の文字が刻印されている所を図ると、82番は1、6ミリ、1547番は1、8みりと幅広い事が分かる。
 82番の左には御馴染の八角ダブルの印が、1547番には漢字で蛎殻町製造と刻まれ、その違いは歴然とある。
 そして地金板の長さ、82番は16、1センチ、1547番は18、7センチと少し長く、機械が大きい事がハッキリした。
 ほんの少しの違いであるが、時計の機械としては大変な違い、初期の機械は少し小さくて、中期の機械は少し大きい事になる。
 地金板の3つの中央に開けられた穴の大きさ、これは意外にも同じ大きさの穴であり、測る前は当然違うであろうと思ったが、測った結果は同じであった。
 DSCN1192.JPGそして最も違ったものは地金板を止める部品、82番はマイナスネジで止められているが、1547番は六角のナットで止められている事だ。
 最初期の形式と1547番の形式にどれだけの月日が違うものなのか、それを知る手掛かりはないが、初期はそんなに多く製造していないはず。
 中期には其れ相当の製造量があったと思うが、通し番号であると仮定しての話し、連番であると言う証拠はないが。
 先ずは一つの違いを挙げてみたが、これから次々に違いを記すことになる。

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2016年07月01日

田中コレクション集

    個性が表に



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 田中コレクションの中から、私が気に入った時計を少し紹介して行きたいと思い、掛川の展示場に行って来た。
 以前にも田中コレクションは紹介したが、今回は個々的に古時計をとらえて、それを解説して行きたいと思う。
 田中コレクションは主に精工舎の古時計が中心、勿論他社の古時計もあるにはあるが、大半は精工舎のもの。
 そんな中、私なりの古時計を紹介したいと、今回取り上げたのはハートH精工所のダルマ時計、名古屋の時計だ。

 名古屋の時計の中でもハートH精工所は、個性の強い製造会社、色々な変形時計を製造した会社であるが、普通型も多い。DSCN1139.JPG
 その中でも今回上げた古時計は個性が強く、好き嫌いがハッキリと分かれるもの、見た目には少しくどいと思う人も多い。
 普通の古時計とは一味違った時計を製造するのがハートH精工所、そんな個性派ぞろいの時計達を挙げてみた。
 この張四つのダルマ、8インチ文字盤の普通のダルマが基本、本来であれば金箔を施したものか、其れとも生地のままの物か、或いは真鍮をかぶせたもの。

 それが一般的な造り方と思うが、ハートH精工所は、張四つ達磨を少しアレンジしたようで、他社とは違うのを造り上げた。
DSCN1140.JPG 四つ丸全体に彫を施したもの、何の葉っぱなのか分からないが、月桂樹とも思われるような葉っぱである。
 私は多分月桂樹だと思うが、その葉っぱを図案化し、連続して四つ丸全体に彫り込んだもの、これだけ彫を入れると難しい。
 何故難しいと言えば、クドクドとして全体のバランスが取れないからだが、この時計の図案、思ったよりスッキリとしたもの。
 これだけ全体に彫を入れてあるにもかかわらず、ゴテゴテした所が感じられないのだが、それは何故であろう。
 彫がすっきりしている事と、葉っぱが細い事、そしてリズムよく連続してある事が、諄さを感じさせないのか。
DSCN1143.JPG
 普通はこんな感じに出来上がらず、下品でゴテゴテしたものに仕上がるのだが、ハートH精工所はそこを上手く処理している。
 ガラス絵まで同じデザインの葉っぱ図柄を採用しているが、ここまでやると嫌味になるが、それも感じられない。
 やはり葉っぱのデザインがすっきりしているからだと思うが、見る人にとっては違った受け取り方をするのかも知れない。
 何れににしても、この時計個性の塊のようなものだが、全体がスッキリとまとまっており、腕の良い職人仕事である。
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2016年06月28日

古時計の出処

    何処から集まるのか


 
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 古時計愛好家にとって、その時計が何処から出て来るものなのか、知りたいと思っている人も多いと聞くが、その疑問はもっともな事。
 自分が買い求めている古時計がどの様に市場に出て来るのか、それはそれで知りたいと、そんな訳で少し裏側を紹介しよう。
 古時計の市場に出るルートは2つ、一つは業者さんが仕入れてくる場合、もう一つは古時計愛好家から出てくる場合である。
 はじめのルートは一般的なもので、業者間の取引から市場に出て来るが、これがルートの殆どと言って良いもの。
 普段、愛好家が骨董屋さんから買い入れる時はこのルート、勿論蚤の市での買い求めもこのルートから来るものである。
 SANY8578.JPG全国で古物市場が開催され、そこに出品された古時計が愛好家の手に入るもので、骨董市で業者さんが求めて来るのだ。
 幾ら業者でも自分一人で買いだして来て、それを市場に売り出す事は不可能、当然古物市場で手に入れるのが普通である。
 そしてもう一つが愛好家からのもの、これは稀であるが、保存協会の会員さんが古時計を手放す場合もあり、そこから買う場合もある。
 実際に私が会員さんから頼まれて、今まで蒐集してきた古時計をオークションにかけた事があり、一番多かったのが350台であった。
 これはある会員さんが亡くなり、遺族の方からの依頼でオークションにかけたが、この様な事も二度や三度ではない。
 ただこの場合は余程信頼して貰わないと、後でトラブルの原因となる事も、個人で大量の古時計を処分する事は難しい。SANY8582.JPG
 今の時代ネットでの販売もあるが、これは時間と手間が掛かり、ましてや台数が多い場合は大変なことになるのだ。
 包装して郵送するのだが、数台であれば簡単であり、誰でも行えるが台数が多いとそんな訳には行かず、苦労するだけである。
 ただ価格の問題が必ず発生するもので、大量の古時計が出品されると、良いものは早く落札されるが、普通のものは残ってしまうのだ。
 誰しも何時でも手に入るような古時計は手を出さず、結果的に売れないことになり、処分する事が出来ない。
 無理して販売すれば価格も安くなり、遺族との揉め事に発展する事になり兼ねないので、そこが一番難しい所。
 古時計が何処から市場に出て来るかは、主に二つのルートで市場に出るが、ヤッパリ古物市場が主流であるのだ。
 買出し屋と言われる人たちが、個人から買い出して来て古物市場に、この古時計がセリにかけられ、業者が求め、それを我々が買うのである。







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2016年06月18日

古いミッキー

    六月のミーティング




 DSCN1092.JPG浜松で開催した日本古時計保存協会のミーティング、今年2回目となり、時の記念日近くに開催したものだ。
 本来は瀬戸市の時の記念日展会場で開催するのが趣旨、しかし今年は他の展示と重なってしまい、会場が無くなってしまった。
 その為に急遽浜松の会場に転向したものだが、会員の皆さんには急遽の事で迷惑をかけてしまった。
 こちらのミスで会場がダブってしまった事をお詫びすると共に、支部長にお願いして会場とさせてもらった。
 そんな事で浜松の開催となり、当日会員さんの出足が悪くて、時間を少し遅めての開催と、結果は数人が遅れての来場となった。
 今回のミーティングは時の記念日と相まって、自分のコレクションを1点持ち寄って、自慢の時計の話をしてもらう予定でいた。
DSCN1093.JPG 只事前に早く通達すればよかったが、急遽場所を変えた事もあり、自慢の時計を持参した人は少なかったのは残念。
 次回にはミスの無いように気を付け、是非全員が自慢の古時計を持参してくれることを願っているのだ。
 そんな事で自慢の古時計を持参した人は3人、中でも蛎殻町製造の時計を持参した人が、以前にこの蛎殻町製造の時計を手に入れたとの情報は聞いていた。
 しかし現物を見るのが今日、持参された古時計は間違いなき蛎殻町製の時計、その製造番号が若くて63番である。
 私の所有している時計よりも早く、間違いなく製造開始の明治16年に造られた時計、今まで見た蛎殻町製造の時計では2番目の番号だ。
 私は以前に東京八重洲の骨董屋で蛎殻町製造の一ケタの番号の古時計を見た事があるが、この時計がその後に製造されたものだ。DSCN1094.JPG
 この時計で会場は盛り上がりを見せたが、もっと盛り上がったのはオークションでの事、会員が持参した時計の中に珍品が。
 何時も開催しているオークション、しかし今回は何時もと違い珍品が多く出品され、誰が落札するのか皆が予想していた。
 その珍品時計の一つが、古いミッキーの掛時計、一見まがい物と思われるような、そんな時計でもあったので、会員たちは戦々恐々、本物なのかとこそこそ話。
 私は開催前にこの時計をじっくりと観察、間違いなくオリジナルのものである事を確認、幾等で落ちるものなのかと興味を抱いていた。
 このミッキー、前から存在は知られていたが、見た事が無かったので現物を見るのが初めて、会員の皆もそんな人が多かった。DSCN1095.JPG
 だからこそ本物かと、そんな事でオークションがはじまり、会員さんは余り競り合いにならず、結果は安値で落札された。
 勿論私の思っていた金額の半値、出品者も意外の顔をしていたが、結果は安値での落札と相成った。
 オークションとはこんなもの、牽制しあうと結果はこれ、落札者はニンマリとした笑顔、駆け引きをし過ぎたのである。





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珍品時計発見

    驚くことはない


 

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 我が家を訪れた人、時計がビッシリと壁にあるのは見て、何だか変な気分になったと言うのだが、そのうちある時計を見て驚くことに。
 廊下の上にかけてある時計を指さして、この時計珍品でしょうと私に問いかけて来たので、からかってやろうと、「大珍品ですよ」と答える。
 すると本人「やっぱり珍品の時計なんだ」と感激している様子、これはチットまずいと思いつつも、反応が大きくて面白いので、もう少し其の儘にしておいた。
 その人は尚も他の古時計を見たいと言い出したので、好きなように見て下さいと、古時計のある別の部屋に案内した。

 別の部屋には本当の珍品時計が掛けてあるが、それは本人が見つければ良いと思い、自由に見て貰っていたのだが、他の珍品には目もくれずにまた元の所に。
SANY3822.JPG そして私に「今までに見たことのない珍品です」と言い、手に取ってみても良いかと、「どうぞご自由に」と言って時計を渡した。
 この人、友人が連れて来たもので、別に時計を見に来たわけではなく、たまたま別の用事で友人について来たのだが、何だか時計が気に入ったようだ。

 我が家にやって来る人は時計好きな人、しかし彼は別に時計が好きで来たわけではないが、壁に掛かっている時計を見ているうちに興味を覚えたらしい。
 そして一台の何でもない時計が気に入り、彼は珍品だと誤解してしまったよう、私の冗談を信じてしまったようだ。

 この時計、確かに変わっている事は認めるが、目覚まし時計を改造して掛時計にしたもの、それも簡単に完成させたものだ。SANY0572.JPG
 シンプルな長方形の形、上部に少し飾りが付いただけのもの、その中央に通称「へそ時計」と呼ばれる目覚まし時計を組み込んもの。
 勿論、最近造られたものではないから、変な時計ではなく真面目なもの、前から見た時は単なる掛時計の小さな物としか見えない。
 しかし裏から見ると、目覚まし時計である事が丸見え、箱にすっぽりと組み込まれているもので、目覚まし時計とは思えない。
 普通は小さな機械を入れて造るのが普通、これは単に目覚ましを組み込んだだけ、それを掛時計にしたものだ。

 知らない人は掛時計にしては小さいから、珍品時計と思ってしまった様で、私の言う冗談事も聞いて、なっとくもしたらしい。SANY3820.JPG
 チョットした工夫で全く別の時計に変身してしまうから面白いと思うが、はじめから設計されて造られたものではない。
 そんな事で別の意味で珍品であると、そんな風に受け取られているもの、数は少ない事は確か、しかし正式に販売されたものではないようだ。
 時計の好きな人が改造したものであろうと思われるが定かではない。
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2016年06月15日

この時計動くの

    疑問のまなざし



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 我が家においてある和時計の新しいもの、例の男が持って来たものだが、それを友人が見つけて「この時計動くのか」と聞いて来た。
 何の事か分からないので「何故だ」と聞き返して驚く、例の男が造ったことは知っており、「あいつが造って動くわけがない」と言うのだ。
 確かに言われてみればその通り、奴が動かないからと持って来たものだから、それを知って居ての事だと思うが。
 友人、この和時計の事はよく知っており、彼奴が造るとは思ってもみなかったが、出きる筈がないが、ここに其れがあるから。

SANY0879.JPG 話の内容がイマイチ分からずに、「如何してそんな事を聞く」と又問いかけたが、友人「彼奴の事はさておき、知り合いがこれと同じものを持っていて、それも動かないから」と言う。
 もともと、この男も古時計にはあまり興味がない人、骨董品には興味があるが、機械ものには興味はないのだ。
 そんな男が嫌に和時計の事を聞くから、こちらとしては「こいつどうしたのだ、古時計に興味を持ったのか」とも思ってしまう。
 よく聞けば何の事はない、何処かの誰かと同じで、ひょつとして、この男も彼奴と同じで、誰か安請け合いして来たのかと思い出した。
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 すると案の定、「あの男の時計を直したのだから、他のも直してみたら」と話を向けてきたので、やっぱりこの男も安請け合いしてきたのだと。
 よくもまあ、私の周りの男たちは、自分を良く見せる者ばかりで、「ひとのことを何とも思っていないのか」と、そんな気がしている。
 結果は私の思った通りの事、友人は動かなかった和時計を直してやると安請け合い、そのツケを私のもとに振って来たのだ。

 兎に角人を私を何と思っているのか、しかし話を聞けば頼んだ本人は真剣に直して欲しいと思っているとの事、この男の話を信用して直してやる事に。
 何だかあの男と同じ様な状態になってしまったが、これも巡り合せと諦め、動かない和時計を持って来るように指示した。SANY1606.JPG
 後日、友人がその動かない時計を持って来たが、案の定ピクリとも動かない、前の時計と一緒の状態である。
 他の部品も見て回ったが、その他は別に異常はないので、雁木車がピクリともしない原因を究明する事にした。
 この時計はマニアル通りに組み立てて行けば、それ程難しいものではないが、チョットした接着剤を付け過ぎて、それが原因で動かない事が多い。
 前の和時計はそれに付随してワッシャーと部品の逆付けが原因、今度のものは接着剤が多すぎて、雁木車が全く動かない状態。雁木車と支柱を外し、ぬるま湯に付けて接着剤を外す事に。
 そしてワッシャまでが一緒に接合しており、苦労して接着剤を取り除き、支柱の穴も接着剤で固まっていたので、これも取り除き、時間はかかったがどうにか動く様になった。
 知らない人は何でも接着剤を多く使う、その為に接着しないでも良いところまで付けて、後は動かない事になるのだ。
 全く迷惑な話であるが、何で待て同じ時計を持ち込んで来るのか、不思議な縁である事は間違いないのだと思う。
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2016年05月28日

時計の絵

    どこかへん

 


 
SANY4009.JPG 文明開化の申し子と呼ばれていた西洋時計、明治初期西洋から齎された近代文明、特に時計は当時の人々の生活を一変させたもの。
 近代化を推し進める新政府、それをまともに受けて変化に順応した人々、驚くほど素早く反応していった庶民。
 新しい文化をどん欲に吸収していった人々には驚くほかない、維新の急速な進歩にもついていったのだから。
 外国からやって来たものを即座に吸収する能力、当時の日本人は新しいものにも躊躇なくチャレンジする姿勢は何処から来たのか。
 江戸時代の静かな世の中から、急激に変化して行く時代に、それ程の吸収する力は何処から、明治の人々は進歩的であったのか。
SANY4053.JPG 何時の時代も新しいものに飛び付く人、それを横目に見ながら旧体制を維持する人、それぞれの新時代の取り組み方である。
 今回の時計の絵柄、西洋時計が日本中にあふれて行く様を、逸早く取り入れて新時代に付いて行こうとする絵師たち。
 この頃に描かれたものを見ると、明治と言う時代に進み方が、如何に早く進んで行ったかが伺えるものだ。
 西洋時計はあっと言う間に世の中に受け入れられ、生活の中に浸透して行くが、現代でも同じ流行は庶民の力でもある。

 兎に角新しいものに憧れ、速く取り入れたいと言う行動は、庶民の願望でもあったのか、色々なものに取り入れられるのだ。
SANY4057.JPG 逸早く取り入れたのは浮世絵、当時は錦絵とも言われ、旧体制のまま、西洋時計と古い人間との融合らしき姿。
 色々な構図が工夫され、西洋時計が錦絵に登場し、それが描かれたものを我先にと買い求めていた明治の庶民たち。
 しかしそれらの図柄、実際の時計を見て書いたものなのか、いささか疑わしいものが多く存在しているのだ。
 現存している錦絵や水滴、花生け、皿などに書かれた時計の図、本当に時計を見て書いたのかと疑うものがある。
 写真の皿、例えば江戸時代か、それ以後に造られたものだと思うが、実際の和時計の文字盤を見て書いたものなのか。
SANY0419.JPG 二枚目の写真の皿、これは明らかに現物の文字盤と逆さま、時計を見ん書いたのならば、こんな逆になる文字盤は書かないはず。
 同じ時代に造られた色々なもの、西洋時計の図柄を書いたものであるが、本物の時計を果たして見た事があったのかと、逆に思えて来るのだが。
 人から聞いただけで、もしくは文献だけで、ひょっとして西洋時計を描いたのではないのかと、思わざろう得ないものがある。
 写真の皿や水滴がその一つ、これを見る限りでは実際の西洋時計を見て造られたものとは、到底思えないものであるからだ。
 皆さんはどの様に写真の皿や水滴を見て、実際に時計を見て造られたと思われるのか、私も興味のある所だ。



 
 
 

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2016年05月26日

見つけて来た

    何時もの男登場


 
DSCN0800.JPG
 お騒がせ男、しばらく顔を見せないと思ったら、突如としてあらわれ、マタマタ何やら変な包みを持っているが。
 この男が持って来る物はろくなものが無いと分かっているが、もしやと思う事も少しはあるから、むげには追い返せない。
 この前、和時計が動かないと言って持って来たが、それ以来影を潜めていたから、此方も静かで良いと思っていた矢先。
 兎に角この男は突如として来るから、無防備な所を狙いすませたようにやって来て、その上、難題を持ち込むのだ。

 今までに何度振り回された事かと、そしてこの男が来ると騒々しい事、声が大きくて、態度がデカイのだから。
DSCN0799.JPG 普通はあれだけ難題を持ち込んだら、少しは反省していると思うが、この男に限ってそんな事は微塵もない。
 むしろ何処が悪いのかと言いたげな態度、全くと言って効き目がないのだから呆れるが、今日もまた何が起こるやら。

 「前にお前がドイツの古い鳩時計を欲しがっていたから」と、今日は持って来てやったのだと言う、しかし其処が問題。
 この男の機械オンチは天才肌、兎に角分からないくせに機械物を扱う、普通は苦手なものは避けて通るはずである。
 しかしこの男、逆に機械物を好んで扱うように見え、私にとっては迷惑な話であるが、これも何かの縁と諦めているのだが。
 持参したのは鳩時計、ドイツで言う郭公時計、余り古い物ではなく、何だか壊れているものに見え、鳩が出て来る扉もとれている。
DSCN0802.JPG
 時計が分からないのに、その上古い物だと思っているらしく、お前が欲しい時計だろうと言うのだが、そく見てガッカリするもの、何処が良いのか。
 裏蓋を取り外して見れば、鳴き声を発する鞴が破れているし、部品も足りないもの、マタマタ変なものを持って来たのだ。
 別にこれ位の鳩時計であれば、探せば幾らでもあるものだが、彼はその様に思っていないらしく、「何でこんな壊れたものを持ち込むのか」と聞く。
 すると、「お前なら簡単に直すから大丈夫」としゃあしゃあと言ってのけ、「持って来てやったから有り難いと思え」と言うのだから、こちらが呆れてしまう。
 この程度になると鳩時計は手間が掛かって、その上、直したとしても価値のない時計、楽しんで直すものなら良いのだが、迷惑な話である。DSCN0801.JPG
 よくよく見れば指針も折れて無くなっているのだから、直しがいの無い時計、それなのにまったく分かっていない様子だ。











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