2015年08月05日

和時計の顔

    長い歴史の中


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 和時計とは日本独特の時計、世界でも類を見ないと言われる不定時法、いわゆる太陰暦に適合した時計。

 日本人の独特の発想に基づいて製造されたもの、日の出、日の入りに合わせた生活と共に生きて来た。

 かと言って一般庶民と共にした訳ではなく、やはり支配層に使われてきた時計、そんな人達に時刻を告げて来た。
 一般庶民はそんな時間に縛られなく、日の出と共に働き、日の入と共に仕事を終える生活をして来た。

SANY3129.JPG そんな時代、権威の象徴とも言える和時計は支配層に支持され、言わば彼らの好みにより発達して来たとも言える。
 時計と言えば文字盤が時計の顔とも言われるもの、その顔は又好みによりそれぞれ、色々な顔をした和時計。
 古い物は文字盤も大きく、シンプルなものが多く、時代が下がるにしたがって複雑な仕組みとなる。
 人間と同じ様に、おおらかな時代の顔と現代人の顔が違う様に、時計の顔もやはり違い、おおらかな顔から、複雑な顔に。

 その時代に合った顔をしているとも言え、権威を象徴している顔を求めたとも言えるが、作者の顔とも。SANY8044.JPG
 和時計が生まれたころの顔は彩色されていたものが多く、文字盤中央部は赤い漆で塗られているもの。

 写真は初期物ではないが雰囲気は初期、二つ目の写真は幕末の文字盤、針も違う物であれば、数字は割り駒式のもの。

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2015年08月02日

文字盤が回転

    指針は回転しない


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 時計と言えば指針が回転して時を告げるもの、一般的には長針と短針が回転して、時間を告げるのだ。

 掛時計、置時計二つとも長針と短針が付いており、時刻を見るのはその指針がさしている場所が時刻。

 普通の時計はこのような仕組みの時計、短針と長針で、その時の時刻を示す、それが時計であると。

 これが一般的な時計、殆どの時計はこのような仕組みのものが、しかし中には文字盤が動く時計もある。

 勿論このような時計は特殊の部類に入っており、一般的ではないもの、珍品と呼ばれる部類に属するものだ。
 この様な時計は古くから存在はしているが、多くは製造さSANY7728.JPGれておらず、中々一般の人には知られていない。

 古くは和時計の時代から文字盤が回転するものは存在しており、幕末には数多く製造されていた。

 西洋時計が日本入ってきて、この和時計の機構も一時は忘れ去られていたようで、文字盤が固定されている時計が主体であった。

 明治も中頃より時代か下がると、固定式の文字盤だけではなく、回転式の文字盤を持った時計が製造されるようになる。

 時計製造業界も過当競争が激化して、他社との差別化を図るために文字盤の回転式が復活を遂げる事に。

 回転式の文字盤は機構としてはそんなに難しいものではSANY1445.JPGなく、簡単に製造が可能なもの。

 只デザイン的に工夫がされ製造しているようで、各社色々なデザイン、円筒式の文字盤を採用している事。

 長針が上、短針が下の構造となっており、別に難しいものではなく、簡単なもの、その機構を見れば納得するものだ。

 指針は本体中央部に固定されており、上が分で、下が時間と見方が難しくないように造られた。
 普通の時計の長針と短針が、円筒形ものに変わっただけ事、難しく考えない事だ。

 写真はその回転式の文字盤を持つ時計たち、明治後期から大正にかけて製造されたもの、一番下は時間が下で分が上。


















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2015年07月20日

古時計仲間

    性格の違い



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 古時計愛好家、それぞれ好みが違い集める時計ももちろん違うが、古時計が好きな事は同じだ。

 古時計が好きで集めたものばかり、そこには人それぞれの拘りも、当然ある事は当たり前で、古時計を見れば多少は分かる。

 ある人は掛時計が中心であったり、ある人は置時計が中心であったりと、やっぱり違いがあり面白い結果に。

 古時計愛好家は人の集めた古時計が気になる人も多く、他の人のコレクションを見たいとも思う。148.JPG

 自分が集めたものとどう違うのかと、そんな思いで他人のコレクションを見たいと思うのだと。

 自分より凄い古時計を集めているのではとか、自分は他人と比べて水準が上か下かと、そんな事も思うのだ。

 そうかと思うと、人は人自分は自分と我関せずと、自分中心の人もあり、個性的な人もまた多いのだと思うが。

 よく聞く言葉に「古時計愛好家は変わった人が多い」とも言われるが、果たしてその言葉は当たっているのか。149.JPG

 「私もその中の一人」、少し変わっているのかと思う時もあるが、他人はどの様に見ているのだろうか。

 そこで少し時計仲間のコレクションを見てみようと、時計仲間を訪ねてみたので、その時の写真を紹介する。

 古時計愛好家の集めた時計だから、すごい時計ばかりかと思っている人も居るだろうが、そんな事はない。

178.JPG みんな至ってシンプルな時計ばかり集めているもの、それも自分好みの時計を、じっくりと吟味して集めたのだと思う。

 だからこそ好感が持てて、見ていても嫌みがないものばかり、これ見よがしの時計は見た限りではない。


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2015年07月10日

和時計の種類

    幕末期のもの


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 和時計の種類は多く、色々なものが存在しているが、今の時計のように同じ物が幾つも存在しているのと違い、単独製造だ。

 つまり一個一個違うもの、一つとして同じものが存在しない事、大量に造るものではなく一個製造だ。

 勿論手で製造するものだから、違いがあって当たり前だが、同じものを造らないのも和時計であり、単体での製造だ。

 其れも一人で造るのではなく、多くの弟子たちが担当して製造されるもので、時計師が一人で製造しない。

 むしろ時計師は設計段階で携わるくらいで、概ねは弟子たちが製造しており、時計師がほとんど手を出さないようだ。
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 特にお抱え時計師ともなると、弟子を多く抱えており、それらに時計を製造させ、自分は事務方に徹していたようだ。

 和時計師が上司宛に製造費の見積書を提出しているが、其れには多くの弟子たちがかかわっている事が分かり、その費用が記載されている。

 材料費は当然の事だが、その部品に何人かかわっていることも記載されているから、その費用も分かるようになっているのだ。

 写真の和時計、良く似た2つの時計だが造り方に違いが、2つとも幕末に製造されたもの、真鍮製の時計である。

 一つは全体に透かし彫りが施された豪華なもの、4本の支柱が付き、真鍮製の枠は板をくり貫き、美しい花の図柄が透かし彫りされたもの。SANY1024.JPG

 この手の時計は高級品とされ、手の込んだ造りの豪華なものが多く、幕末時に多く造られたようだが、現存数は多くない。

 文字盤は簡単なもので幕末特有なもの、指針は固定式、文字盤が回転する仕組みの時計、時計の大きさも小型の部類に属するものだ。

 もう一つの和時計は全体に毛彫りが施された時計、この時計も小型で台時計であり、4本支柱のもの、これも文字盤は固定式。

 毛彫りとは鉄筆で細い線をもって図柄を彫り込む形式のもの、側面には細かく花の図柄が彫られ、時計を豪華に見せている。
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 2つの和時計、良くは似ているが、じっくりと観察してみると、それぞれに違いがあり、作者の意図が見て取れるものだ。

 和時計の中でも人気の高い時計、見た目にも豪華であり、和時計最後の時計とも言えよう。
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2015年07月03日

小さな和時計

    幕末の生まれ


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 和時計は長い間製造し続けられた時計、その時代時代によって変化を遂げた時計でもあり、様々な種類が造られた。
 和時計はお抱え時計師と言われる集団と町方時計師との二つの時計師が存在し、和時計を製造した。

 大名に抱えられた時計師は主人の命により和時計を製造、一般には出回る事のない時計でもあった。

 お抱え時計師は禄を貰い、主人の為に和時計を製造、他藩の献上品としても和時計を製造したのだ。
 和時計には製造した者の銘が刻まれているのが少ないが、これはお抱え時計師は銘を入れるのをしなかった。SANY3120.JPG

遠慮して銘を刻まなかったと言われているが、お抱え時計師だから、銘を刻まなくても製造したものは分かっているからだとも言われる。

 そんなわけで銘が刻まれている時計は数が少なく、何処で製造されたのか不明な時計も多いのだ。
 勿論町方の時計師も存在したから、彼らも全部が銘を刻んだ訳でなく、やはり無名のものも多い。
 写真の和時計も又名は刻まれていない時計、製造されたのは幕末、それも明治近くの時代であろうと思われる。
 SANY3129.JPG小型の袴腰の形、掛時計の形式であるが、置時計としても使用出来るもの、造りは良い物で手が込んだものだ。

 鐘は幕末の時代に流行った形、高さはなく平たくて角のある鐘、和時計最後の頃の特徴ある鐘だ。

 文字盤は割り駒形式のものが付くが、この割り駒は自由に時間を変える事が出来る仕組み、文字盤の裏側にピンで駒か止められている。

 このピン止めが駒を自由に移動する事が出来、時間調整が簡単に出来る事、今まで以上に簡単に出来るようになった。
SANY3126.JPG 外側の板は真鍮製、腐食式で模様を描いており、袴腰時計の独特の形式を造り上げているものである。

 時計全体は非常に美しいスタイルが仕上がっている感じ、和時計の集大成であるかのような雰囲気を醸し出しているよ良い時計だ。






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2015年06月30日

時計職人

    職人から時計師に


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 明治期、全国で西洋時計製造を志したものは多く、色々な種類の人々が参画、やはり時計製造を目指す事に。

 当時の資産家あり、時計商あり、全く別の職種の者ありと様々な人達によって、西洋時計が造られることになった。

 その主な産地はやはり都市、江戸時代より築かれた財力と消費地、そんな土壌が西洋時計にも生かされたのだ。
 全国でもそんな都市周辺に製造会社が設立され、西洋時計製造が盛んに行われたのは、消費地が近かった事だと思う。
 交通の便が決めてである事と消費地がある事、そんな条件が整うもの都市周辺でしかないもの、現実に多くがそこに集中した。
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 そんな中、京都のお隣滋賀県で西洋時計を製造していたことは、あまり知られていないのが現実、資料も乏しいのが知る上で障害であった。

 この時計製造所は時計職人が自ら平章堂と称して、時計製造に参画、西洋時計を造り出し、年に向けて販売を開始した。

 平章堂、規模がどれだけであったのか全くの不明、資料は特許庁に残された記録だけであり、細部的には不明だ。
 しかし現物の時計が残されており、西洋時計製造がおこなわれていた事実を伝えているもので、そこから見えて来る事実もある。

 SANY0866.JPG振り子室には近江国蒲生郡中野村と記載されており、現在の守山市の近くであるが、その痕跡はないとも言える。
 製造人は灰谷伊右衛門と名乗る人物、彼は時計師であったと言われ、明治初期より時計販売を商っていた。
 明治二十三年には京都時計よりも早く西洋時計を製造、その技術をどこで習得したのか不明である。

 現物の時計が数少ないが現存しており、その技術の高さは現物を見れば納得がゆくもの、特に後半特許を取得している耐震装置つき時計は見事。

 当時日本では灰谷伊右衛門以外に耐震装置つき時計を販売していないから、画期的な発明である。
 SANY0873.JPGどけだけ販売されたのか、また現存数も極めて少なく、知る人も少ないから、見る機会もないと思う時計である。
 しかし技術の高さは時計が物語っているもので、進んだ力を持った人物であった事は確か、ただ商売として成功したのかは不明。









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2015年06月26日

懐中時計の素材

    素材が中心


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 懐中時計、しかし最近人気が下火で話題に上る事も少ないが、根強い人気を保っているのも事実である。
 そんな懐中時計の質問もボチボチとやってくるが、その懐中時計現実はアンティークショップにも出ているのが少ない。
 需要と供給のバランス、今では需要が下火で店頭にあまり見ないので、現実に人気がない事に気付く。

 以前は高額の値段が付いていた懐中時計も今は信じられない位に安く、昔高額で買い求めた人には信じられないのだ。

 私もその一人、自分が買い求めたものが以前の三分の一以下、全くどうなっているのか、これも人気のなさが原因。

 需要と供給のバランスと言ってしまえばそれまでだが、それだけでは納得がゆかないが、それも現実の事。SANY0767.JPG

 そんな懐中時計を友人が集めだし、今だから安く買えるのだからと、セッセと買い求めているのだ。

 確かに言われればその通り、以前は全く手が出なかった懐中時計も、今なら簡単に手に入る時代、求めるのならやはり今だ。
 友人の目は確か、良い物だけを安く買い求め、以前では考えられない位に高額の時計を手に入れている。

 そこで私に、「どの懐中時計を手に入れれば良いか、教えて欲しい」と、言われてみれば彼の言う通りかも知れない、今が買い時。

 しかし、今度はものが出て来るかどうか、高額の懐中時計は手放さない人も多いが、市場に出る事もあるかも。SANY0773.JPGSANY1561.JPG
 それがチャンスだが、そんなに上手くは行かないもの、だけど集める物は良い物が良いのは当たり前。
 懐中時計の素材は色々だが、ヤッパリ金、銀の枠が良いのだが、それだけではなくほかの素材でも珍品の時計は別。
 素材は鉄でも珍品の懐中時計もあり、素材だけでは判断できないもの、やはり懐中時計を研究しなければならないと思う。

 それにしても、昨今の懐中時計の値段はバカ安、昔の値段を知っている私にとっては信じられないのだ。









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2015年06月24日

和時計の鐘

    時代により深さが

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 和時計、日本独特の時計であり、不定時法に従って製造された時計、1500年代から製造されたと言われる。

 はっきりとした起源は明確でないが、西洋時計をモデルとして造られたと言われ、その後日本独自に発達を遂げた。

 世界でも珍しい時計とも言われ、類似する時計はなく日本独自の時計で、その種類も多く存在している。

 和時計の基本的構造は幕末まで変わることなく製造され、時計師の特殊集団によって製造されたものが多い。
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 つまり和時計はお抱え時計師らによって製造されたものだが、町方の時計師によるものも存在しているのだ。

 和時計の構造は時代とともに少しづつ変化して行くが、外形的に一番よく分かるものに鐘があるのだが
 時を告げる鐘、この鐘の形も時代とともに変わって行く、時代が古い物は深鈴と呼ばれ、お寺の鐘のような形のもの。

 釣鐘の形をしたものが初期の鐘、この鐘が付く和時計が一番古い物と言われ、現存している時計は少ないが深鈴がついている。
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 この鐘、はじめはお寺の鐘みたいな形をしいてるが、次第に浅くなり和時計独特の形へと変化、初期より少し時代が新しくなると、形が細長いものから丸い物へと変化。

 中期頃になると、初期物の半分近くまで浅くなるが、まだこの頃の鐘は比較的深いものがついており、一番バランスが取れた美しい鐘だと思う。

 和時計の中で一番バラスンが取れた鐘、私はこの時代の鐘が一番だと思っているが、鐘の深さはまだまだ浅くなる。

 SANY0695.JPGそして幕末近くなると中期の鐘の半分くらいに、時代が下がれば鐘も平たくなることになり、形も皿状になる。

 鐘の淵は垂直となり、形は平たい皿のよう、高さも2センチ位の薄い皿状のものが最後の鐘となる。

 鐘の厚さも薄く、形も平たく、最終の鐘は叩けば金属音の高い音が、初期のものと比べればかん高い音だ。


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2015年06月23日

展示会

    好評のうちに


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 毎年恒例の古時計展示会、今年も古民家久米邸で開催、初日から大勢の訪問者が、ありがたいことである。

 特に毎年見学に訪れている方が今年も初日に訪問され、今年はどんな展示かと期待されてきたようだ。

 しかし今年は病み上がりの為、昨年よりも小規模となってしまい、非常に心苦しく感じている。

 そんな私の為に「今年も開催してもらい感謝です」と言われて、ますます恐縮する始末、来年こそは頑張らないと。

 そんな思いで展示会はスタート、今年は体力の事も考えて、小さな時計をおもに展示する事にしたのだ。SANY0736.JPG

 特に6インチ文字盤の時計を主体に、今までに展示していない時計を展示、後は毎年の定番の時計と様々なものに。

 もちろん中條勇次郎製造時計、蛎殻町製造時計、石原町製造時計らの時計は外す事が出来ない展示だ。

 毎年この時計を見に来る人も多く、展示には欠かせない時計であり、これまでにも何度も展示してきた。

 しかし人気は衰えるどころか、この時計を見るために来たと言う人も多いのには、こちらも驚くことである。

 何度見ても興味は尽きないし、何時見ても興奮させられる時計と言われ、こちらが恐縮する始末である。SANY0740.JPG

 日本古時計保存協会としては他には無い古時計を天使する事も使命と思っているので、毎年同じものは展示しないように、展示には気を配っている。

 今年の展示、明治23年上野で開催された内国勧業博覧会出品時計、新居常七が製造した蛎殻町製造の特殊時計。

 この時計を中心に70台の古時計を展示、古民家の展示らしく派手な展示にならないよう、古民家に溶け込む展示とした。

 そのために古民家久米邸での開催しているのだから、それを分かっている人達によって続けられているとも思う。

 SANY0750.JPG今回の6インチ文字盤の時計は人気、なかなか手に入らない珍品も、それを見つけて来て良かったと言われる人も。

 そんな言葉を聞くと、無理して展示して良かったと思う時、病み上がりを理由に休まなくて良かったとも思えたのだ。



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2015年06月21日

和時計の種類

    なんだか変


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 会員の方から電話で和時計の質問があり、何だか普通の和時計と違うから偽物かもしれないという電話、訳が分からない。

 電話では分からないから写真を送ってほしいと言えば、「ネットで送りました」との事だが、それは困った。

 すぐにネットは見れないから、事務局に行き見せてもらうことにしたが、ネットを見るも大変なことだ。

 スマホを持たないから、このような場合はいろいろと手間がかかるが、会員さんはネットが早いと言う。

SANY0622.JPG そんなことで事務局でネットを見て、会員さんと電話で話すことに、写真を見る限りではおかしなところはなく、「何処がおかしいですか」と質問した。

 すると会員さんから「おもりが少なく、普通はおもりが多くあるはず」と言われるが、確かに言われる通り。

 写真で見ても錘の数は少ない事は分かるが、私が「これで正常ですよ」と伝えると、逆に「何処が正常ですか」と返事が返ってきた。

 本人さんは自分が知っている和時計は大きな錘が二つ、小さな錘が二つあるのが当たり前、しかしこの時計の重りは二つしかない。
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 何で錘の数が少ないのか、ましてや錘をぶら下げる紐も足りない、「こんな時計はおかしいと違いますか」と疑問を持たれている様子。

 確かに本人さんが言う通り、和時計の錘も少なく、紐も一本だけ、普通の時計よりも少し違う仕組み。

 それを可笑しいと思われるのも無理はないが、この和時計は錘を一つにして、時計を動かす方と鐘を鳴らす方の歯車を一つの錘で連動される仕組み。

 一本の紐を両方の歯車に絡ませて、その中間に滑車付けて、二つの動きを可能にした仕組み、つまり錘が少なく済むのだ。
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 普通の和時計とは少し違うもので、おかしいと思われても仕方がないが、改造されている訳でもなく、一本引きの仕組みである。

 中期以後の和時計にある仕組みで、数は多くないが、このような仕組みの和時計も存在しているから、まがい物の時計ではなく珍しい方。

 本人はそんな仕組みの時計を知らないから、錘も少なく、紐も一つでは可笑しいと思ったに違いないが、逆に面白い和時計である。

 よく説明して本人も納得、違った仕組みがあることを分かって、逆に喜んでいる様子であった。

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2015年06月19日

天賦の違い

    どちらが古いの


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 古時計愛好家からよく質問されるのが和時計、和時計は日本独特の時計であり、江戸時代に造られたもの。

 日本の時間に合わせて改造された時計、世界に類を見ない時計として人気を集めている時計である。

 もちろん日本国内で製造された時計だが、この時計数々な独自の機構を持っている時計でもある。

 その一番は不定時法に則した時計として造られたもの、24時間一定の時を刻む時計ではないもの。

 時間が変化する時計として日本だけの時計であるのだが、現存している時計も数が少なくなっている。
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 一時は海外に流出し、日本での評価も薄かったが、やっと貴重である事が分かり、今では海外から帰ってくる。

 そんな和時計だが一般にはあまり詳しく知らない人が多く、和時計の動きがどうなっているか興味を持つ人も多い。

 和時計にはいろいろな種類の時計があり、多いのはやっぱ掛時計と置時計、そして一丁天賦と二丁天賦の時計がある。

 その一丁天賦と二丁天賦どちらが古いのか、そんな質問も多く、その都度説明をしているのだが。

 天賦とは何だとの質問もあり、その都度和時計の鐘の下に付いている、横に長い棒状のものが天賦であると説明。SANY4935.JPG

 この棒状のものが一つの場合は一丁天賦、二つあれば二丁天賦と言い、古い方は一丁天賦で鉄の機械のものが古くて、棒状の二つ付く二丁天賦で真鍮の機械ものが新しい時計である。

 つまり一丁天賦で鉄機械は古く、二丁天賦で真鍮機械は新しい、これが普通の時代考証、そして雁木車が一つ物は一丁天賦、雁木車が二つ物は二丁天賦。

 雁木車とは天賦の下に付く歯車の事、天賦と雁木車によって時計が動く仕組み、天賦が前後に揺れれば雁木車が回転する。

 写真は一丁天賦の和時計と二丁天賦の和時計、何方も鉄機械のものだが、二丁天賦の和時計の方が新しいものだ。SANY4940.JPG

 幕末でも一丁天賦の和時計は造られているが、その機械形式が古い物とでは違うから、一丁天賦が付いているから古いと思ってはいけない。

 機械形式を見て判断しないと間違う場合もあり、主に一丁天賦物は古いと思って良いが、機械との連動を見るのが大事だ。

 写真は上が一丁天賦の和時計、下の機械は二丁天賦の和時計、二つとも鉄機械であるが、形式は一丁天賦物が古い物だ。
















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2015年06月18日

色々な姫達磨

    会社の違い


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 古時計の姫達磨、時計の中でも一番人気を誇っている時計、古時計愛好家から絶大な支持を受けている。
 以前から人気の時計であった姫達磨、最近では富に女性に姫達磨は大人気、それは以前の人気と一味違うものだ。
 姫達磨以前の人気は数が少ないと言う理由であったが、現在の人気は可愛いと言う理由、女性らしい人気の原因かもしれない。
 古時計には変わりはないが、男性陣の姫達磨に対する考え方と少し違い、彼女たちの考えはたんに姫達磨が可愛いからだと言う。
 人気には人それぞれの思いがあり、機械的に珍しいからとか、数が少ないから珍品だと言う理由、小さいから人気と色々。SANY0679.JPG
 しかし彼女たちは可愛い時計として、インテリアにしたい時計のナンバーワンと言う、実際に使用する事である。
 部屋のインテリアとして最適だと言う事らしく、現代の時計にはない人間らしい時計だとも、あの時を刻む音が良いと言う。
 クォーツの時計にはない音、コチコチと時を刻むリアルな音が何とも良い音だと、姫達磨に対する気持ちだ。
 写真の姫達磨、精工舎の姫達磨と一味違う時計、姫達磨と言えば精工舎の時計と思っている人も多いが、姫達磨は数多くの時計製造会社が造っている。SANY7357.JPG
 写真左の姫達磨は愛知時計の製造、右の姫達磨はたかの時計製造の姫達磨、それぞれに特徴のあるデザイン。
 精工舎の姫達磨に比べれば高野時計の姫達磨、中央部分の飾り金具が違う事、そして二つのガラス枠も精工舎の枠よりもなだらかな曲線を描く。
 一見同じように見えるが、比べて見るとその違いがハッキリして、やはり製造各社独自な主張をしている事が分かる。
 左の姫達磨、ちょっと見には8インチの達磨時計に見えるが、れっきとした6インチの姫達磨、形が8インチと同じだから誤解される。
 高さも少し大きくて49セSANY0668.JPGンチと長めだが、もちろん姫達磨に違いなく、製造数も極めて少ない時計である。
 振り子室のガラス絵も愛知時計のものは独特のガラス絵、高野時計のガラス絵は精工舎のものとよく似ている。
 いずれにしても2つの姫達磨、同時期に発売されているが、精工舎と違い独自な製造をしている事が良く分かるものだ。
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2015年06月17日

変わった時計

    本当に古いの


 SANY0639.JPG会員の人から時計を手に入れたが本当に古いのかとの質問、どんな時計かと聞けば、額縁の時計と言う。

 ヨーロッパにはそんな時計もあった事は見て知っているが、国内ではあまり見ない時計、蚤の市でもお目にかからないものだ。

 ネットで見つけてとの事だが、外から見るにそんなに古くは見れないが、時計の裏側を見ると確かに古い。

 表のガラスや金縁のデザインを見ればそんなに古さを感じないので、古いのか新しいのか確かに迷うのだ。

 早速機械を見る事にして裏蓋を外す、四つのビスで止められているだけの簡単な造り、ビスを外すと目に飛び込んできたのは墨書き。SANY0642.JPGSANY0647.JPG

 大きな字で明治37年と書かれているではないか、新しいと思っていたのが何と明治37年とは驚いた。

 墨書きにはほかの事も記載され、時計師の名も書かれているので間違いなく古い物だと、しかし機械を見るに今一疑問が。
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 明治37年の割には機械が新しすぎるのだが、早速機械を外して見る事に、するとどう見ても明治の機械とは思えない。

 機械は小さなもので、一見して置時計の機械であると思われ、其れに足を付けて改造しているのだ。

 この手のものは改造した機械が入っていても不思議ではなく、それは悪くはないものだから差支えない。

 この額縁時計、ヨーロッパ物に良くある改造型、別に無理やり付けた機械ではなく、これように造られたものであると思う。

 それにしても少し新しすぎで、やはり後から機械を変えたものと思われるが、真実は定かでない。

 この小さな機械で表の男の子の顔を動かす仕組み、セコンドの動きと連動した簡単な仕掛け、良く中國物に使われている仕組みと同じ。

 やはり機械そのものは以前の物と違い新しく変えられているが、本体は明治時代のものだと思われ、ガラス等はやはり後からのものである。








 
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2015年06月11日

其々のコレクション

    人それぞれ


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 全国には古時計愛好家は多く、それぞれに古時計を蒐集しているがその種類もまちまち、好きなものを集めている。

 もちろん私もその一人に違いなく、古時計を愛する気持ちは同じ、しかしながら蒐集の種類となると別の話。

 人によって蒐集する古時計はまちまち、自分好みの古時計を集める事に、やはり拘りがあるのだ。

 古時計と言っても種類は多く、掛時計や置時計、懐中時計から腕時計、日時計から和時計と集めるのはまさにまちまちである。

 私も色々な人達と交わって来たが、一人一人違いがあり千差万別、古時計を集めるに人それぞれである事が分かった。
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 古時計愛好家はこんなに集める物も違うのかと驚きと同時に、興味も又湧いて来たのである。

 古時計と言っても種類があり、自分の好きなものを集めるのは当たり前だが、ここに個性も現れる。

 兎に角多くの古時計を集める事に精を出す人、数が勝負とばかりに古時計を集める人はメーカなどは意識しない。

 古時計であればそれで良く、メーカーなど気にしないし、形なども気にしないから、兎に角沢山の古時計を集める。
SANY1324.JPG数が集まれば満足で、数が一番と考えるが、逆にその正反対の集め方をする人も存在、その人はメーカーに特に拘る。

 古時計の製造された会社に興味を抱き、メーカー別に古時計を集める事に専念することを目的とする。

 明治当時、日本で多くの時計製造会社が存在、それぞれに西洋時計を製造していたが、そんな事に興味を抱く人は少ない。

 しかしそれを目的として古時計を集め、自分の拘りとする人もまた多い、古時計の世界は幅が広い事の証。

 その幅の広さが古時計蒐集の魅力でもあり、どの古時計を蒐集するのは人の好み、その好みに従って集めるのも人の常。









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2015年06月10日

新居常七

    博覧会出品


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 新居常七、明治初期より時計商を営み商売繁盛、その勢いをかって西洋時計製造の意欲を燃やす。

 明治初期、幾多の時計商が同じような道を歩み、西洋時計製造を目指したが、新居常七もそれを目指す事に。

 当時は西洋時計製造が一つのステータスであり、時計商の多くはそれを目指す事が流行りでもあった。

 明治23年、東京上野において第三回内国勧業博覧会が開催され、新居常七も西洋時計を製造、この博覧会の為に時計を製造する。
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 三回の博覧会には全国より多くの人々が西洋時計を製造して出品、常七も特殊な時計を製造し出品、この博覧会に掛ける意気込みを見せる。

 この時期は常七は西洋時計の製造に最も勢いがあった時期、当時東京において時計製造の先駆者でもあった。

 数多くの時計を製造し市場に送り出していた時、一番力のあった時にこの博覧会用に特殊な時計を製造した。

 それは自分が時計製造の先駆者であると言う自負、確かにこの出品された時計は、ほかの時計と違っていた。

 写真は常七が博覧会に出品した時計、長い間記録はあっSANY5233.JPGたが実物がなく、幻の時計として噂されていた。

 日本古時計保存協会の福島さんが発見し保護、出品時の姿のままきれいな状態で維持されていたもの。

 地方の時計屋さんの標準時計として使われていた為にオリジナルの状態を保っていたことは奇跡である。

 特に文字盤も当時の姿のまま、あまり色褪せもなく、驚くほどきれい、新居のAの字も鮮やかに残る。

 当時珍しい中三針と言う機構、機械も特殊なものを新たに製造、改造度も究極なものが入っている。SANY5220.JPG

 この博覧会に掛ける新居常七の意気込みが、この時計の表面に現れているような、そんな凄味のある時計だ。
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2015年06月07日

和時計の部品6

    目覚まし機構


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 和時計、日本独特の時計として世界に類を見ない時計、不定時法による時計として考案されたもの。

 四季を通じて時間の変化に対応した時計、日の出日没に合わせ、時間が違う仕組みの時計として知られる。

 長年に渡って造られ、独自の発達を遂げたもの、師弟制度の中から造り出される時計、一つとして同じものはないと言われる。

 一台づつ製造され、その構造や仕組みはそれぞれ違い、一台、一台注文製造された時計であることなのだ。SANY3064.JPG

 注文主の要望は多岐に及ぶ、当然の事だが二つとない時計を製造する事、時計師はその要望に応えなければならない。

 時としてそれは外形であったり、内部機構であったりと色々な機構を造り上げなければ、注文主は納得しない。

 時計師はそれを満足の行く様に造り上げ、注文主のもとに届ける事、和時計の原点である事は言うまでもない。

 江戸中期頃より、目覚まし機構が流行りだす事に、時計の大きさに関係なく、目覚まし機構が取り付けられる。
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 大きな時計から小さな時計まで、大きさに関係なく目覚ましが付けられ、今までの時計と差別化を図った。

 この機構はそんなに複雑な仕組みではなく、文字盤裏側に小さな歯車を取り付け、目覚まし機構の仕組み。

 文字盤中央部に小さな穴をあけ、その穴にビス上の棒を差し込む、その棒が後ろ側のストッパーを外し、鐘を鳴らす仕組み。

 鐘を鳴らすハンマーは面白い格好をした槌、この和時計は先に二つのパチンコ玉みたいな球状のものを付ける。
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 動きは棒添付と同じように前後に揺れ、鐘をたたくことになる。

 鐘が円形状になっているため、その球形状に合ったように半円形状の形をしているのだが、あまり大きな音が出ない。

 時打ちの鐘は大きなハンマーで打つため、当然音も大きいが、目覚ましは小さなハンマーであるため音はやはり小さい。



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2015年06月04日

変形の魅力

    一つは欲しい時計


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 古時計とは色々な種類や形が存在しているが、その中でも変形の時計は人気が高く、求め良いとする人も多い。

 古時計の大半は八角型の時計が占めていることは承知の事実、家にも八角型の時計が、そんな事で八角型が多い。

 もう一つは八角型が安価であった事も一つの要因、多くの人たちが買い求めやすかったもの、だから現存数も多い。

 古時計愛好家も蒐集の大半は八角の時計、誰しもが持っている時計である事、蒐集の原点でもある。

 しかし、蒐集が進むにつれ、変わった時計が欲しくなるのも、誰しも通る道であるし、私もそのうちの一人。SANY6856.JPG

 はじめの頃は八角の時計をセッセと集め、それを励みとしてきたのだが、数が多くなるにつれて、変わった時計が欲しくなる。

 八角の時計ばかりでは変化がないので、少しくらいは変わったものを手に入れたいと要求が出て来ることに。

 そんな思いから変形型の時計を求めるようになり、あちらこちらで探し求める様に、他がなかなか手に入らないのだ。

 その原因は変形の時計は数が少ない事、八角型の時計と比べれば、一割位しか存在しない時計であるのだ。

 SANY4879.JPGよく言われるのが関東の時計は変形型の時計が少ないと、確かにその通りで、関東の時計製造会社の多くは変形型をあまり製造していない。

 変形型の時計を多く製造したのは名古屋地域の時計製造会社、逆な言い方をすれば変形型の時計は名古屋製と。

 時計製造の激戦区名古屋地域は、生き残りをかけて変形型の時計を製造、他社との競争に打ち勝つためだ。

 同じ時計では販売に苦労する事は見えており、他社との差別化を図るための、必要に迫られた産物でもある。

 変形の時計は生存競争の産物であった事は確か、その為に中小の時計製造所は他社がつくらない変形型を製造したのだ。







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2015年06月02日

精工舎12インチ

    大型があったんだ

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 精工舎の時計、石原町製造時計を最初として、多くの時計を製造、古時計愛好家から絶大な支持を受けている。

  その製造された時計は数も多く、愛好家も多いために少ない機種は引っ張りだこ、人気の商品は品薄の状態だ。

 特に姫達磨や小型の時計には人気が集中、欲しくても手に入らない人も居るくらいに人気、やっぱり小型が良いらしい。

 最近の傾向は小型の時計、場所を取らないからと言う事らしいが、確かに一台、二台ならよいのだが。
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 それも多くなると小型であっても場所は必要、結果は数が多いと同じ事になると言う事だと思う。

 そんな精工舎で製造された時計、いくつかの種類があるが、その中でも大型の12インチ文字盤の時計。

 精工舎の中にあり大型の文字盤の時計は少なく、一般の家庭では使用する事がなかったから、現存する時計も少ない。

 古時計愛好家でも12インチの掛時計となると見たことがない人も多く、その存在をも知らない人がいる。
 精工舎だけでなく、当時の国内の時計製造会社の中、12インチ文字盤の時計を製造したところは非常に少ない。

  国産の12インチ文字盤の時計はそれほど数が少なく、いわば珍品の時計の部SANY9679.JPG類に入り、一般の愛好家の知らない存在。

大型であるが故、愛好家からもそっぽを向かれてしまい、業者も中々売れないので仕入れなくて、やはり市場に出ないもの。

 写真の機械は大和藤内と別大飴色四つ丸達磨の機械、このタイプの時計は数が少ないので見る機会がなく、特に別大飴色達磨は珍品だ。

 この時計明治30年代後半のカタログから乗っているが、機械を見るに自社の製品ではなく、別注のものと思われる。

 雁木車の形や無印の機械は精工舎のものではなく、明らかに別注、そして二種類の機械が存在している。

SANY9688.JPG 上の機械が古くて下の機械は後からのものと思われるが、雁木車はやはり別注、販売数も少なく、ましてや製造数も少ないと思われる。

 精工舎の時計の中でも大型で、しかも別注の機械を入れて販売したもの、市場では中々見ない機械である。









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2015年05月23日

何方が良いか

    形式の違い

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 明治期日本に導入された西洋時計、文明開化の名のもと多くの時計が西洋から齎されたが、なぞも多い。

 新政府が音頭を取り、近代化政策の一環として西洋時計も輸入、瞬く間に日本全国に広まった。

 そして国産化を目指して各地で西洋時計を製造する動きが始まり、それにより近代化に弾みがついたことは確かだ。

 新政府のもくろみ通りに、全国に広まり時計を製造するが、モデルとなった時計は数が少ない。

 国産化にあたりどこの時計をモデルとするのか、頭の痛い課題でもあったようで、色々な海外の時計を研究した。
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 3、4社の機械が選別されモデル候補と、そして国産化へと進むことになるが、各社の思惑も違っていた。

 当然のことながら、当時はコストを下げて安価な時計を市場に供給する事が狙いであった事は確かだ。

 新政府もそれを目指していたもの、輸入拡大による外貨の流出、それを抑えるここと同時に輸出に転じる事だ。

 国内の時計製造会社は二つの機械に的を絞ることに、アメリカ製のアンソニア社とウォーターベリー社の機械である。

 ほとんどの時計製造会社が、この二つの機械を選択、国産化に向けて機械を選定、実用化にと邁進することになる。
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 その後、日本の時計製造会社はウォーターベリー社の機械を多く採用、ほとんどの製造会社が製造することになる。

 片方のアンソニア社の機械は数少ない製造会社に限られ、アンソニア型はコスとがかかると言われる。

 では本当にアンソニア型の機械はコストがかかるのか、確かに地板はウォーターベリー型よりも多くいる事は事実。

 真鍮のコストだけでも高く付くと嫌われたとも言われるが、実際は定かでない、しかし現実にはアンソニアタイプは少ないのだ。

 一方ウォーターベリー型は多くの製造会社に支持され、以後この型の機械が日本の時計の機械を席巻したのだ。

 コスト面もさることながら、機械製造も簡素化できたとの事、やはり効率のおいてアンソニア型は一歩後退している機械か、ウォーターベリー社に軍配が上がったようだ。
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2015年05月21日

和時計の色々な顔

    時代により

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 和時計、世界に類を見ないと言われる時計、日本独自の不定時法に合うために造られた時計。
 もとは外国よりの時計がモデルと言われるが、日本の時間にあった時計を造り上げたことは驚くべきだ。

 日本人の器用さの賜であろうか、試行錯誤から生まれた傑作と言えよう時計、そこから見えてくるものがある。

 日本には四季が存在、その季節に合わせて時間を調節できる時計を考案、文字盤が動くものまで造り出す。

 SANY3081.JPGはじめの頃はは単純な仕組みのものが、時代が経つにつれより巧妙な仕組みに変化、末期のものは文字盤まで変化するものになる。

 時計の顔とも言われる文字盤、当初は単純な刻みの文字盤であったが、少し時代が下がるとものさし状の刻みが入ることになる。

 これにより時間がより正確な読み取れ、本来の時計らしさに戻ることに、西洋の時計は刻みがハッキリとあった。

 しかし、不定時法の日本では西洋の刻みでは時間が合わない、均等に刻まれたものさし状の刻みでは不都合。

 SANY0466.JPGそのために天賦の重りを移動させることで、時間の調整を補助、文字盤との組み合わせ、不定時法に対処した。

 和時計の文字盤は時計一つ一つ個性に満ち合われているものが多く、一つとして同じものはなく、千差万別のものだ。

 時代時代に流行の文字盤も登場、時計師たちはその要求に時代を繁栄させ、様々な文字盤を造り出した。

 はじめの頃の文字盤は平面的なものであったが、次第に立体的な文字盤へと変化、真鍮の文字盤に装飾を帯びたもの。

 そして、江戸末期になると割りごま式の文字盤が登場、世界に類を見ない文字盤を造り出し、時間の調整にも簡単に出来るようにした。

 




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