2015年05月16日

和時計の機構

    目覚まし機構


SANY0466.JPG
 江戸時代に製造された和時計、全国で多くの和時計が製造されたが、その種類は様々なもの。

 特にお抱え時計師の造る和時計は主人の指示に応じて製造されるもの、その為に凝った造りがなされた。

 もともとお抱え時計師は主人の指示で製造するもの、町の時計師とは一線を画した時計師だ。

 日本で江戸時代にどれだけの時計師が存在していたか、それは不明であり、はっきりとしたことは分かっていない。

SANY0459.JPG 特に町の時計師は記録はなく、現存している時計にも名前が刻まれているものもあるが、名もないものの多い。

 だからこそハッキリしないので、調査しても不明なことだらけ、その点お抱え時計師の方がまだ記録がある。

 日本で一番古くて長く続いている時計師は尾張の国、津田助左衛門の家系、現代まで続いている時計師の一族。

 和時計の元祖と言われる初代津田助左衛門、家康のお抱え時計師として君臨、尾張の国に移り四百年。

 SANY0449.JPG代々津田助左衛門を名乗り尾張に在住、明治以後も時計を製造現代まで続く家系、この助座員が製造した和時計。

 各代にそれぞれの和時計を製造、中でも中期ごろに製造された袴腰の時計、独特のスタイルがうけ、時代の流行となる。

 その和時計には目覚まし機構が装備され、より複雑な機械構造を考えだし、袴腰型の形を造り上げる。

 時計の前面に小さく造られたのが目覚まし機構、部品も最少かつ数も少ない構造、文字盤の中央近くにタイマーの針を入れる。

 その針が回転してカムを上げ、ストッパを外すと歯車が回転しハンマー動かす仕組みとなる。

 意外と簡単な仕組み、簡単であるが確実に設定された時間に鐘を鳴らす事が出来、時間を知られるもの。

 写真二枚目、右上についている小さい歯車が目覚まし機構、左上から下に斜めに下がっている棒、この棒が時間で上に上がりストッパが外れる。


  この機構を備えた時計は高級な時計にしかつかないもの、特に袴腰の時計にはこの目覚まし付きのものが多い。



posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計よもやま話

2015年05月13日

尾張の和時計

    助左衛門系列

SANY0477.JPG
 尾張の和時計、歴史は古く徳川義直の時代にさかのぼり、家康の命を受け名古屋城に入場する頃よりはじまる。

 徳川家康のお抱え時計師であった津田助左衛門が、9男義直について尾張国に、名古屋にて時計製造を始める。

 幕末の尾張史によると、津田助左衛門は義直公のお抱え時計師として名古屋に君臨、現在まで続く時計製造に大きくかかわった。

 助左衛門の造る時計は代々尾張形式、代々伝えられてきた和時計の製造、初代の助左衛門から受け継ぐ伝統。
SANY8616.JPG
 尾張で造られる和時計は特長特長がハッキリとしており、時代時代に造り上げられて来たもの、たとえば歯車であったり。

 尾張の歯車は頑丈な造り、一見して尾張だと分かるもの、それと組み合わせられる心棒の造り方。

 歯車の主軸、尾張の特徴でもある八角の太くて頑丈な造り、見た目にも力強くて美しい主軸であること。

 この造り方も尾張で造られる独特、八角の主軸と歯車の組み合わせ、やっぱり力強い主軸の形である。SANY0473.JPG

 江戸中期に造り出された袴腰、これも独特のもの、形的にも美しく優美、時を告げる鐘の留め金。

 クチナシ手と呼ばれる留め金の形、袴腰型には必ず付くもの、これも尾張独特のもの、必ず付かなければならない。

 中期らしい文字盤、蒲鉾型のボリュウムのある文字盤と針、この組み合わせも中期独特のスタイル。

posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計よもやま話

2015年05月09日

古時計回顧録3

    その時は知らなかった


SANY2903.JPG
 全国には古時計愛好家が多くいて、それぞれお互いにライバル同士、古時計を求めて我先にと探し求める。

 たとえば蚤の市であったり、アンティークショップであったり、時として骨董屋であったり、どこかで出くわす。

 古時計のあるところで当然の事だが鉢合わせ、どちらが先に探し求めるか、いつも競争しあっているのだ。

 それは顔見知りであったり、全く知らない相手で会ったり、しかし同じ店で鉢合せして居ても、それが分からない。

 知っている相手であれば、お互いに意識しあい、早く買い求めようとするが、知らない場合はそれも出来ない。
SANY2909.JPG
 ましてや同じ時計を探し求めていることも、それが当日鉢合せして一つの時計を競い合う事もよくある話。

 私もそんな時に出くわした事も多く、ライバルに取られまいとして焦ることに、当然ライバルも同じだ。

 そんな時ほど良いものが、店主は分かっているから値段を言わない、だから尚更ライバル意識がたかまる。

 普段では冷静な人も、こんな場合は別の行動をとる事も、ヤッパリライバル意識が先に、結果は高い買い物をすることも。

 良い物を取られまいとして、ツイツイ見栄を張ってしまう事に、それを店主も見抜いており、高いものにつく。
SANY2896.JPG
 それが知らない同士だと、そんな事にはならず冷静に判断ができ、高い物を買う事もなく、店主を儲けさせる事もない。

 時計愛好家なら一度はこのような経験をしたことがあると思うが、私は良くこの様な事になって、後で後悔している。

 古時計の魔力に負け、普段買わない物も手を出してしまう事も、情けない話ライバルに負けたくないと。

 まだまだ修行が足りないと反省するも、そんな場合はヤッパリ同じ事を、先はまだまだ長いようだ。

 この時計も、ライバルに取られまいとして、結果は高い買い物をした時計、今見ても当時の事を思い出すのだ。

posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計よもやま話

2015年05月02日

古時計回顧録2

    出会いの色々

SANY4376.JPG
 古時計との出会いは様々、誰しも古時計との出会いは楽しいものだが、時としてガッカリとか、時としてラッキーとかやはり様々。

 古時計愛好家なら色々な場面に遭遇し、古時計との出会いを経験されていることと思うが、印象深い出会いもおると思う。

 それが思いがけない所で出会う時も、えてしてこのような出会いの方が後になってから印象が深く、後々まで記憶に残ることに。

 そんな出会いをした古時計愛好家も多いのではないだろうか、私の経験上この様な出会いをした古時計や人は今でもハッキリと記憶している。

 SANY9022.JPG古時計を簡単に見つけた時の方が記憶に残らず、苦労した方がより記憶に残るもので、楽した時ほど記憶は薄いと思うが。

 私の記憶の中で一番に残っている時計は、ヤッパリ中條勇次郎製造の時計、この時計に関しては今までに何度となく記事にしてきた。

 それくらい印象深い時計であり、また重要な時計であると、長い間古時計を追い求めてきた自分としては、この時計との出会いは運命だとしか思えない。

 この時計を見つけてから自分の手元に来るまでに、4人の業者の手元を渡り、ようやく自分の物としたので、思い入れも強い時計だ。

 一端は諦めて探すのをやめようとしたが、忘れられずに追い続け、運よく自分の手元に入った事は奇跡でもあると思う。

 あの時諦めていたら後々まで後悔するだろうと、諦めないで探し求めたので自分の手元に、こんな経験をされた方もあると思う。

 SANY0379.JPG2つ目は豊橋時計、新城のお寺でこの時計を見てから、ぜひ欲しいと思い探し回る事10数年、やっと手にした時の感激は今も鮮明に覚えている。
 西尾の古道具屋で豊橋時計を見つけ、譲って貰うのに数年かかり、これもまた苦労して手に入れた時計、その後ここで何台かの豊橋時計を手に入れるのだ。

 縁とは不思議なもので、ここの店主と馬が合ったらしく、その後幾度となく出入りして豊橋時計を4、5台譲って貰った。

 古時計の中でも数の少ない時計を手に入れたことは、古時計を愛する者としては感動的、忘れられない思い出でもある。

posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計よもやま話

2015年04月25日

古時計回顧録

    その時は知らない


SANY8962.JPG
 古時計を蒐集するようになってから40数年色々な事があったが、心に残る出来事も多く、今も走馬灯のように思える。

 古時計とは不思議なもの、単なる時計に止まらず、人との出会い、場所との出会い、あるいは物との出会いと様々。

 この間全国をめぐり、時として思わぬ出会いがそこに、今思い起こしても不思議なことも多く、やはり縁と言うほかはないと思える事。

 はじめは古時計のことも知らず、ましてやどんな歴史があるかも知らないで、ただ好きなだけ、それでも自分では知ったそぶりをしていた。

 SANY7492.JPG得てして小心者がすることを実践し、数々の恥をさらけ出したこと、そんな出来事も楽しい思い出、今となってはお笑い事だ。

 世の中にはすごい人間がいるもので、そんな事も知らずにガムシャラに古時計を求めて歩き回ったものだ。

 行く先でその土地の古時計のコレクターと出会い、その凄さに驚くやら、感心するやら、感動の連続でもあった。

 世の中広いと思った瞬間でもあった事、自分では信じられない時計を数多く持っている人など、そんな時程衝撃度はすごかった。

 SANY8391.JPG古時計愛好家が誰しも通るもの、自分より凄い人に出会い、ある時は驚いたり、ある時には妬んだりと様々な感じ方もした。

 ある程度蒐集が進んでくると、変な自信が湧き、それがうぬぼれと発展、ついつい生意気になり、自分もソコソコの蒐集家だと。

 そんな生意気な気持ちを持ち、結果は大失敗をすることに、若気の至りと思うが、その時はそれがわからない。

 今思うと馬鹿じゃないかと思えても、その時はそんな事すら分からない状態、やっぱりうぬぼれが先行していた。

 時が経つにつれ古時計の奥の深さを知り、それからと言うものは兎に角古時計を研究、ありとあらゆる所に教えを請い、以前よりは古時計を知った。
 知れば知るほど古時計が分からなくなり、幾度となく壁にぶち当たり、現在に至っているが、いまだにやっぱり古時計が分からない。

 当初の目標も達せず、当初は簡単に達成するつもりが、40数年経っても道半ば、果たして何時達成するやら先は遠く感じる。





posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計よもやま話

2015年03月19日

文字盤が小さい

      何だか変

SANY0262.JPG

 古時計を蒐集していると色々な時計と出くわす物、時には珍品であったり、時には面白い物であったり、時には探していたものであったりと様々。

 古時計の1番良いのは全てオリジナルの状態のもの、カンピンと呼ばれる古時計だが、これには中々出くわさない。

 古時計は当然の事時代を経てきている物、あちらこちら部品が変わっていてもおかしくは無く、又当然の事でもある。

 長年使い続けてきたものは故障したり、部品がなくなってしまったりと、アクシデントに見舞われるものなので、それは仕方がない事だ。

 それ故にカンピンは貴重品として取り扱われ、愛好家の人気の的となるもの、カンピン欲しさに高い値段で買うこともある。

SANY0271.JPGSANY0263.JPG しかしながらどれがカンピンなどか、それを知りたいと思っている人も多く、製造当時のままの古時計を求めている。

 今回の時計もその1つ、買い混んだ時にはカンピンだと言われ、それを信用して買ったらしいが、家に持ち帰SANY0277.JPGSANY0278.JPGり再度見て疑問を感じたという。

 ガラス枠と文字盤の位置が合わないと思い、よくよく見て見ると、どうも文字盤が違うような気がしてきて、私の元を訪れたと言うのだ。

 カンピンだと思って買い込んだものが、どうも変、しかし何処が違うのか分からないし、何故シックリと来ないのかと思っているとのこと。

 早速その時計を見て、これは文字盤が変わっていると思い、文字盤を外して見ると、明らかに違う文字盤が付いている。

 本人は先方の人を信用してそこまで見なかったと言い、しかしおかしいとも思っていたが、先方を信用してしまったと。

 時計の振り子室にはメーカーの文字は無く、黒色の紙が貼られているだけ、名古屋の時計に間違いは無いが、製造元は分からない。

 文字盤を外して良く見ると、ネジ後が現れ、今付いている位置よりも外側にあり、明らかに8インチのものではなく、9インチ文字盤のものだと確信する。

 よく8インチと思っていた時計が9インチであると知る人は少なく、違和感があってもそのままでいることが多い。

 国産品の中、蛎殻町や京都時計、吉沼時計、そして今回の名古屋製のものなど、稀に9インチ文字盤のものが存在する。

 8インチにしてはガラス枠が大きく、文字盤枠とガラス枠がしっくり来ないもの、それは文字盤が小さいからだ。







posted by kodokei at 14:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計よもやま話

2015年03月03日

古時計回想記48

      小型バイオリン


SANY7262.JPG
 もう30年も前の事、妻と2人で長崎を訪れた時の事、久し振りの長崎だという事で、旨いものを食べようと言う事になり、宿は坂本旅館と決めていた。

 以前にも訪れ料理がうまかったから、今度も卓袱料理を食べようと言う事になり、食べるなら坂本旅館と決め、スケジュールをたてた。

 勿論長崎だけではなくほかも見て回り、最後に長崎で泊まる事にしたが、それには他の用事もあったからだが、それは骨董屋を巡る事。

 以前から長崎は縁起の良いところで、数かすの古時計を手に入れていたが、今回もそれを狙ってのことであり、当然お目当ての場所もあった。SANY0127.JPG

 長崎に着き、早速チャンポンの店に直行、中華街の行きつけの店で食べる事に、丁度飯時で店は一杯、待つことにして店の前で並んだ。

 別に並んでまで食べる事もないと言う人もいるが、美味しい物は並んでも食べたいもの、暫くまってから、ようやく食べられた。

 その後、例の如く眼鏡橋の袂の骨董屋に行くが、目ぼしい物はなく期待はずれ、仕方なく次の店に向うも情報がない。

 こんな時は焦っても仕方がないと宿に、早く入って寛ぐ事にし、坂本旅館は直ぐ近くにあったと思い徒歩で行く事にした。

 しかし近くと思っていたのが近くでもなく、暫く歩いている時、一見の骨董屋を見つけて中へ、すると目の前に小型バイオリンが目に飛び込んで来た。SANY0120.JPG

 それも今までに見た事も無いもの、早速見せて貰うが値段を聞いてビックリ、何と36万もするとのこと、再びビックリしたのは言うまでもない。

 主人曰く「黒柿の小型バイオリンは数が少なく、これでも安い方」と、しかし当時漆塗りの小型バイオリンが15万位、それにしても高い物だ。

 確かに珍しい物だがそんなに高くては手も足も出ない、妻と2人で唖然として、この店を出宿へと急いで歩く。

 坂本旅館に着き、一風呂浴びて食事、卓袱料理に二人して大満足、美味しい物をたらふく食べ、話がさっきのバイオリンの話に。

 あの値段であれば、又2人で長崎巡りが2回も出来ると、とんでもない値段の時計だと、この話に食事中集中した。





posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計よもやま話

2015年02月26日

和時計の部品14

      時打ち装置

SANY0077.JPG

 和時計には時を動かす部分と時を告げる部分とに分かれているが、今回の部品は時を打つ部品、時を進める部分は和時計の前の部分。

 和時計の文字盤が付いている方が前、その後ろにあるのが前車と呼ばれる部品、つまりと機を動かす部分を指す、この部品は3個ないし、4個の部品から成り立っている。

 この後ろにある車が後車と呼ばれる時打ちを司る部品、5個の部品から成り立つ、時を打つためには前一番車に付いている爪が三つ枝金を押し上げてストッパーを外す。

 この三つ杖金は後車の二番車と連動、そして雪輪と呼ばれる時打ち車とも連動しており、三つが同時に連動して動く仕掛。

 和時計は簡単な歯車の並びとなって動くが、実は計算され連動した動きで時を打つ、歯車の数は少ないが、絶妙のバランスを取っている。SANY0083.JPG

 少しでもこの三つ動作が狂えば時打ちをする事が出来ないので、三つの動作は重要な連動が要求されるので、タイミングが合うように組まれている。

 和時計師はこのタイミングをどの様に修得したのか興味の湧くところでもあり、はじめは感嘆には行かなかったと思う。

 まず前一番車の爪が上げられると、三つ枝金が上がり、あと二番車がストッパを外す、ストッパが外れれば5つの歯車が一気に回りだす。

 あと一番車は時を動かす錘よりも重たく作られており、回転数が上がる為に、一定の回転をさせられるように、風きり車と呼ばれる4つの羽根を持った車が回転を遅らせる。

 この後一番車には6っの爪が付けられており、この爪が時を打つ槌と連動して鐘を鳴らす仕組み、一回転する事により6回時を打つことが出来る。
SANY0084.JPG
 時を打つ数は、一番後ろに設けられた雪輪が時を打つ数を示すことに、雪はと呼ばれるこの車、古いものは一回転で一日となるが、その後の和時計は半日で一回転する。

 雪輪には9から4までの刻みが施されており、三つ枝金がその刻みをなぜて、打つ回数をストッパに知らせ、止める指示を与える仕組み。

 和時計は後のボンボン時計よりも部品も少なく、簡単な機構に見えるが、実際し見事な連携プレイによって動く精密に機械である事が分かる。

 見た目には簡単な機構と思われがちな和時計、実際に分解して見ると、実に良く考えられた機械であることを改めて感じされられるのだ。

 写真は二つ目、風切り車と溝が付いてる後二番車と小さい後三番車、三つ目は後一番車と雪輪、この部品で時を打つことになるものだが、やっぱりシンプルだ。

posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計よもやま話

2015年02月23日

和時計の部品13

      図柄らが綺麗

SANY3051.JPG

 和時計の部品は幾つかな物から成り立っており、その一つ一つが全て手作り、勿論その時計の為に一つ一つ造られた物だ。

 和時計師は注文を受けて時計を造るが、お抱え時計師と町の時計師とが存在、特にお抱え時計師は主人の為に時計を製造する。

 勿論主人だけの時計を製造している訳ではなく、献上品としての時計も製造するので、主人の指示に従って時計を造り出す。

 尾張徳川家のお抱え時計師、津田助左衛門もその1人、江戸時代を通して代々尾張徳川家の支持で和時計を製造していた。

 尾張の津田助左衛門は日本初の和時計を製造した人物、そして代々津田家は和時計を製造し、数々の時計を製造したが、その中に袴腰型の和時計を造り出す。
SANY3053.JPG

 この時計は江戸中期、盛に袴腰型の和時計を製造、その姿は今までの時計と違って実に優美な物となっており、各所にその違いを出している。

 袴腰型に多く用いられた真鍮枠、時計の外側の枠のこと、この枠に独特の模様を付ける事により、今までにない豪華さを出した。

 写真の外枠がその1つ、大型の袴腰時計の外枠、全面に鳳凰の図柄が浮き彫りされた豪華な物、細い線で浮き彫りにされた鳳凰は内外の両面に彫られている。

 正面の文字盤周りには正面お向いた鳳凰が小さく彫られているが、これは文字盤があるために全面に描ききれない為である。

 両脇と後ろの面には鳳凰が全体に大きく彫られ、舞い上がる姿と、舞い降りる姿が左右に彫られ、後ろ部分には正面を向いた鳳凰が描かれている。
SANY3126.JPG

 この浮き彫りは真鍮の板に漆で鳳凰を描き、全体を梅酢の中に下して、腐蝕させたといわれ、漆で描いた部分が解けずに、その他の所は解けて彫りとなるらしい。

 実際に研究をした人によると、中々腐蝕しなくて時間が掛かったと言う事だが、現実には出来ない事ではないらしいのだと言う。

 写真がその鳳凰の外枠、実に優美な鳳凰が描かれており、この彫りの御掛けで時計が一段と豪華となったことは言うまでもない。

 この様な彫りを施した物が袴腰型の時計に取り付けられ、この時計の特色の1つとなっているもので、1つの流行となったようだ。
posted by kodokei at 00:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計よもやま話

2015年02月22日

和時計の梔子形

      色々な形が


SANY3059.JPG

 和時計の部品のうち、産地によって色々な違いが出ているが、時打ちを告げる鐘の留め金、ここには個性が満ち溢れているものが多い。

 和時計は一つ一つ違った物であり、2つと同じ物はなく、其々の個性を出している時計、当然の事だが一つ一つ造られているから違って当たり前。

 逆に同じ時計は造らなかったといって良いのだが、現代の大量生産とは違い、単体での製造、それも幾人かの時計師が製造している物。

 一人一人の個性が表わてこそ和時計、その和時計の中でも袴腰型と呼ばれる和時計、主に尾張で製造されたものと云われる。

 津田助左衛門門下の製造した時計の特徴だとも言うが、同じ型の和時計も存在し、全部が全部尾張製とは限らないものだ、しかしその大半は尾張製が多い。

SANY3078.JPG この袴腰型の和時計、1つのルールーが存在しており、1番の特徴は時打ち鐘の留め金、この留め金の形は梔子と決まっている事だ。

 この説を唱えたのは上口愚朗氏、色々な研究者がいたが、愚朗氏は幾つかの現物を立証して、その定説みたいなものが存在すると言う。

 実際に袴腰型の和時計、この定説に則っている事、何台かの袴腰を調べて、現物にもとずき立証した説、私も愚朗氏の説に同意している1人。

 袴腰型の和時計に蕨手の留め金が付くことはなく、そして末期の和時計に付く平金手も付かないこと、もしそれらの留め金具付いているとしたら、後で取り付けたもの。

 袴腰型の和時計には必ず梔子手の留め金しか付かないと言う事、この梔子型の留め金、和時計の中でも独特の留め金、曲線が美しいもの。

 SANY3151.JPG和時計には蕨手、梔子手、平金手の種類の留め金が存在しており、その中でもデザイン的にも優れた留め金は梔子手、之を考え出した時計師は天才か。

 各種の留め金があるが、複雑に組み合わさった留め金は梔子手以外になく、その優美な曲線を持つ留め金、この梔子手の由来は勿論、植物の梔子から来ている。

 あの曲線は梔子の実の形そのもの、それを留め金にデザインした時計師の美的感覚は、他の留め金と比べれば、遥かに優れた職人と言えよう。

 江戸中期の和時計、袴腰の和時計の優美さは、前後の時代の和時計よりも優れたデザイン性は群を抜いていると言え、その洗練された技は他の追随を許さないと思う。

 写真は梔子手の留め金の種類、背の高い物、背の低い物、そして平たい物等、色々な種類が存在しており、その時計にあったデザインがなされている。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計よもやま話

2015年01月18日

ラベルの色

      時代の変遷

SANY2429.JPG
 古時計の振り子室に付いているラベルの色、良く目にするラベルの色は黒、殆どの時計には黒色のラベルが貼られているのが普通。

 時計製造会社の名前が入っている黒色の物と無地の黒色のものとが、その材質は紙、光沢のあるものと無いものとがあり、時には柄の入っているものも。

 このラベルの色で時代が分かるものも、一般的には白色の紙のラベルが古く、それ以後黒色の紙のラベルになり、又白色のラベルとなる。

 アメリカ製の時計も同じ様な変遷をしており、日本もそれにならった格好となっているようで、セストーマスやイングラハム等もこのスタイルである。

 アンソニアやニューヘブンも良く似た時代背景を辿っていると言えるが、白色の紙が先、時代の古いものは白色、そんなふうに時代が見える。

SANY2423.JPG 1850年代は白色の紙が貼られているのが多く、黒色の紙のラベルは少ないよう、日本でも中條勇次郎の時計、姫路の白鷺舎も白色の紙が貼られたラベル。

 大阪時計の古いものも白色の紙のラベル、明治10年代の時計には白色のラベルの方が多く存在しており、20年代後半は黒色の紙のラベルが多くなり、白色は姿を消すことに。

 その後明治30年代、40年代は黒色の紙のラベルが主流、しかし大正時代に入ると又白色の紙のラベルが多くなる事に、この時期精工舎も白色のラベルを使用している。

 昭和に入ると安い時計には白色のラベルが多い様で、特に名古屋の組み立て会社の時計には白色の紙のラベルが貼られていることが多い。

 この時代は正規の時計には黒色の紙のラベル、デスカウント用の時計には白色の紙のラベルと使い分けがされていた様だ、特に昭和に入ってから。
SANY2434.JPG
 古い時代の白色の紙のラベルは少し厚い素材が用いられており、昭和の時代の白色の紙は特に薄い紙となっており、時代背景が出ていると思う。

 戦争の影響も時計のラベルにまで進入してきたようで、昭和の時計のラベルは素材の悪い紙が貼られているものが多く、物資の不足が原因か。

 何にしても、時計の振り子室に貼られているラベルの色、それによって時代が判別できるから、その素材を良く見極めれば、どの時代の時計かは見極められる。

 その他にも黒色のラベルの紙の厚さ、これも良く見ると時計製造会社によって紙も違ってくるから、厚い薄いと良く見ると判断がつくものもある。

 古時計の振り子室に貼られているラベル、一般的に思われているのは黒色の紙のラベル、しかし実際は色々な種類が存在し、蛎殻町のように赤と青も存在している。

 写真は上からアメリカ、ギルバート社のラベル、真ん中は大阪時計のラベル、一番下は水野時計のラベル、古いものは白色の紙ラベル。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計よもやま話

2015年01月13日

ラべルの変遷

      ラベルが語る

SANY0977.JPG

 古時計、その出生を告げるのは箱に貼られたラベル、大抵の古時計は振り子室にその時計の生まれた場所が記入されているのが普通。
 大半の時計は製造会社がハッキリとしていれば、振り子室のラベルにその名前があり、製造されて会社が特定出来る事になる。

 組み立て会社の場合はラベルが無いものや無地のラベルが張られている物もあるが、それは例外としてラベルで製造の時代も分かる。
 振り子室のラベルはその時計を映し出すもの、出生の秘密を握っているから、ラベルを注意して見る事も古時計愛好家の勤め。
 何処の時計製造会社でも時代によってラベルが代わって行く、古い創業当時のラベルは貴重とも言えるもの、そんなラベルを記憶しておくことも大事。

 その時計が何時造られた物なのか調べる上で1番信頼性のあるもの、ラベル1つで製造された時代が分かる代物、貴重な資料でもある。SANY2135.JPGSANY2129.JPG
 今回紹介するのは林時計のラベル、この林時計はラベルの変遷が激しい時計製造会社、明治期西洋時計製造をリードしてきた林。
 しかし経営は二転三転とくるくると変わって行く、昭和までの間に名前も変わり、その都度ラベルも当然変わったもの、しかし創業当時は安定していた。

 その1番最初に林市兵衛の名前が出て来るのは、中條勇次郎の製造した時計、其処に林市兵衛の名がはじめて登場するが、それが明治20年。SANY2158.JPGSANY2151.JPG
 林市兵衛が参画して時計製造会社を設立、時盛舎としてのラベルが最初、この時は林の名前はラベルには無く、ローマ字で「ジセイシャ」と記入されている。
 このラベルは明治23年一杯まで続く、明治24年にはラベルには「林市兵衛」とローマ字記入、このラベルが林時計の最初のラベル。その後ローマ字で「イチベイ、ハヤシ」と記入されている。

 明治27年辺りから鶴のトレードマークが入ったラベルに変更、しかし「イチベイ、ハヤシ」のラベルも平行して続けているようだ。
SANY2147.JPG
 明治30年代に入ると「H、I 」のマークの入ったラベルに変わり、大正期まで続くが、中間からローマ字のラベル、ハヤシイチベイの名前は無い。

 その後、白色の紙のラベルで名古屋商事となり、さらに白紙で林時計製造会社とある物に変更されているが、これは3回目の会社編成による物である。
 林製造会社時計のラベル、時盛舎、林時計、名古屋商事、林時計と名前も変わり、その都度ラベルも変遷する事となる。
 この他にも変遷期には白ラベルで変わった物が付いている時計を見ることがあるから、林時計には間違いないが、見慣れない人は分からないと思う。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計よもやま話

2015年01月10日

蒐集し易いのは

      どちらもどちら

SANY2036.JPG

 古時計好きが集まると何時も決まった話題となるのが集め易い時計に何か、この話題になるが厄介な事にもなりかねないのだ。

 そもそも時計好きな人が集まれば自分の好きな時計を主張、他人の時計の事など耳を貸さない人まで現れて、それは喧々諤々の論争となる。

 自分の集めている時計の応援をし始めるのだが、これが又油に火を注ぐことになり、次から次へと古時計の話が発展してゆく事となる。

 元はと言えば、掛時計の好きな者、置時計の好きな者、懐中時計の好きな者、そして腕時計の好きな者が入り乱れるのだからたちが悪い。

 次から次へと話題が変わることに、掛時計の話をしていると思えば、直ぐに置時計の話になり、何時の間にかは腕時計の話に。SANY2020.JPG
 よくもまあ話が出てくると思うが、彼らにしてみれば自分の得意な分野、好きなだけの事はあり、実に詳しく時計を説明するのだ。

 蒐集している者にとっては自分の好きな時計を自慢、当たり前であるが人其々、自慢話から何時何処で手に入れた話等、幾らでも出て来るのだ。

 次に論争となるのは、どの時計が1番集め易いかと言う事に、古時計でも種類が違うから、どの時計が集め易いと又相手の時計を攻撃する。

 「腕時計は種類が多いから集めるのには苦労しないだろう」と言えば、「冗談じゃない、掛時計の方が集め易いだろう」と攻めて来る。

 自分の集めている時計は蒐集するのに難しいものと主張が始まり、相手の時計は蒐集し易いと言い出す、お互いに相手の古時計の方が集め易いと言い張る。
SANY2041.JPGSANY2025.JPG

 実に建設的な話でなく、相手の古時計に対して知識が無いので、集め易いと思っている人も居て、自分の集めている物は集め難いとも言う。

 実際に他人の立場で話をすれば、どれをとっても蒐集するのは容易い事ではない、其々に種類はあるが中々簡単に集まるものではない。

 古時計は量が限られているから、少ないものの中探し当てるのは大変な事、新品の時計とは違い過去の時計、現存数も限られているのだ。

 だから古時計、そんな時計を彼らは集めているから、どの分野が集め易いかは、集めようとする物によって条件が違う事に、古時計は簡単に集まらない。。

 何でも良ければ幾らでも集まると思うが、其処には彼らの拘りがあり、だからこそ簡単に集まって来ない事に、それが古時計だと思う。

 簡単に蒐集出来ればこんな論争になる事は無いが、集まらないからこそ、色々な論争となり、古時計談義に花が咲く事となる。








posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計よもやま話

2015年01月08日

古時計の値段4

      何処で決まるのか


SANY0284.JPG
 古時計の値段は何処で決まるのかとの質問が多く、以前にも同じ質問に答えたが、それでも理解されない様だと思うので、今回も少し解説して見る事に。

 古時計の値段が何故決まるのかとは、売り手が決めているからだが、売り手でもどれ位で売れば良いのかと思案しているのは事実。

 つまり決まった値段等ないのだが、1つにはネットでの売れた値段が参考になっていることだけは確か、1度値段が付くとそれを基準としてしまう。

 偶然にも高い値段で落札され、その時計が評価として高くないのに落札値段が高かったからと、その後の基準となっている場合がある。

 このように最近ではネットでの値段が基準となっている場合が多いが、全部がその値段ではないので間違えないようにして欲しい。

 SANY4646.JPG古時計の値段の最大の原因は人気、その時計が人気があるかどうかで値段が決まる事に、同じ形の物でも人気があれば高く値段が付き、無ければ安く、この要素が先ず1番の原因。

 そして二つ目が数が多いか少ないか、古時計の値段が付く理由の1つは、数の多いものは余り値段が上がらないと決まっている。

 何処にでもあるような古時計は値段が高く付かないが、逆に数が少なく中々出てこない古時計は値段が高く付く事になり、相場も上がる事になる。

 これは希少価値しとての値段、数が少なく人気であれば尚更の事、値段は高く付く事になり、高いから又売れることにもなるのだ。

 おかしな話だが値段が安いと、珍しい時計でも多くの人が手を出さないから不思議、珍しいが値段がそんなに安いのなら買っても仕方が無いと思ってしまうらしい。

 SANY7875.JPG人間の心理とはそんなもの、高いから良い物だと思い、安い物だから良くないと思う、単に値段で判断していることもあるのだと思う。

 三つ目は形が変わっている物、普通の形ではなく変形型の古時計は値段が高く付く、これは数が少ない時計と同じ、形で値段が違う事に。

 変形型でも余りにもトッピな古時計は逆に人気が無く、思ったよりも安い値段が付く事に、ここにも人気があるなしで値段が違う事になる。

 そして最後は時計製造会社、人気の時計製造会社であれば同じ物でも高くなり、人気の無い時計製造会社では値段も安くなる。

 例えば精工舎と地方の時計製造会社、この2つの時計を比べると精工舎の方が高く値段が付いているもので、これも人気のおかげ。

 古時計の値段は人気があるかないかで、その時計の値段が決まると思って良いが、希少価値の高い時計はこの範疇には無く、何時でも値段が高く付いている。

 古時計の値段とはそんなもの、愛好家の人気で値段も左右されるから、狙い目は人気がなくて、数が少なく、精工舎以外の時計と言う事になる。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計よもやま話

2014年12月31日

締めくくりの時計

      あと一日


 SANY1691.JPG

 1年早いもので明日から新しい年がはじまるが、又歳を取る事になるので寂しいものだ、そんな思いがする今日この頃の自分にあきれている。

 人は歳を取るものと分かっている人は冷静な人、普通の人は何だか自分がとりこのされて行く様な、そんな気分になるのではないだろうか。

 今年も色々な事があったが、明日から又違った経験が出来るだろうかと思いつつ、やっぱり今年の出来事が頭の中を駆け巡るのだ。

 あんな事もあった、こんな事もあったと思い出しつつ、一つ一つ浮かんでくるが、良い事は中々思い出さず、悪い出来事だけが浮かんでくるから不思議だと思う。

 新しい歳を迎えた日、今年こそは珍しい時計を手に入れてやると思っていたもの、その後あちら、こちら奔走したが終ぞ見つからず、ガッカリしどうしだ。

 SANY1703.JPGSANY1704.JPG古時計と言うものは難しいもの、追いかけても、追いかけても、自分の手の中に入ってこず、無駄な時間ばかり費やしたことを悔やむのだ。

 その割に近くでは珍しい時計を手に入れたとの情報が多かったもので、何で自分でないのだろうとも思ったが、他人がうらやましかった。

 珍しい時計がそんなに多くあるはずも無いが、それでも巡り合いたいと願い、コツコツとやって行くしかないと強がりも、しかし実は挫けていたのだ。
SANY1714.JPG
 もう自分はこれが限界なのでは、そんなに古時計を追い求めて如何するのだとも、それでもやっぱり諦めきれなくて、今日まで続けてしまった。

 歳の終わりに今一度この時計をジックリと見てみたくて、壁に掛けてあるのを取り外し、改めて眺めていると、これを手に入れたときの事が思い出され、頭の中に浮かんで来た。

 これを持っていた前任者は私の時計が気に入り、是非とも交換して欲しいと申し込まれ、嫌々交換してしまい、後まで後悔していた。

 今思うと何で後悔していたのか、その時はユーハンスの時計の方が良かったと思っていたので、国産のこんな時計と交換するんじゃなかったとも思った。

 人からも何でユーハンスの時計と交換するのかと、こんな時計は幾らでも有るのではとも、しかしあれ依頼この時計と同じ物を見た事がない。

 絵柄の違った時計は2台出会っているが、磯千鳥が飛び交うこの時計はやっぱり見た事が無いので、今はユーハンスと交換して良かったと思っている。

 人とは勝手なものだと分かっているが、この時計を再度見て見ると、磯千鳥が飛び交う蒔絵が何だか愛おしくなって、やっぱり交換して正解だったと。

 勝手なことを思いつつ、今年も暮れて行くのだ思うと、勝手な事を言ってといわれるような、そんな思いをしつつ、ジックリと時計を見る。











posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計よもやま話

2014年12月29日

動かない

      会員さんからの

SANY1642.JPG
 突如として我家に郵便物が届いて、送り先を確認したところ名前に覚えが無く、何処の人からだろうと配達の人に聞く、「あて先にお宅だから」と置いていった。

 確かに家の住所で宛名も私宛、しかし名前に覚えは無く、仕方なく中を確認する事に、出てきたのは鳩時計、それと手紙が入っていた。

 手紙を開けて見ると、「保存協会の会員であり、この時計を買い込んだが動かない、修理して欲しい」と書いてあり、しかもやっぱり知らない人だ。

 連絡先が書いてあるために電話する事にしたが、先方さんは如何にも親しげに話され「買い込んだ時計を修理して欲しい」と何度も頼まれてしまった。

 確かに会員さんだと分かるが、突然何の前触れも無く時計を送って貰っても迷惑な話、それに私は時計の修理屋でもないから、直接送って貰っても困るのだ。

 相手さんが懇願されるので仕方なく引き受けることにしたが、外国製の郭公時計、良く見るとチェコスロバキアとの刻印がSANY1635.JPGあり、詳しく見る事に。

 機械を見て感じたことは部品が足りない事、そして何よりも程度が悪いことだ、鳴き声を出すフイゴも破れてしまっており、その上鳩も部品が足りないのだ。

 本人さんは知り合いから買い込んだものだが、その時は当然部品はあると思っていたとの事、何処の部品が足りないのか全く分からなかったとも言う。

 知り合いも以前は動いていたから大丈夫だと言う事だったからと、指して簡単に直る物だと思っているようだが、良く見ると鳩を押し出す部品も足りないようだ。

 これだけの部品が足りないと、造ってもらわないと直らないので、当然お金が掛かることになり、それも一万円位では直らないと思う。

 私が部品を造る訳にも行かず、修理するのにも金が掛かるものなので先方さんに再度連絡をするも、直して欲しいの一点ばりで、此方が困ってしまった。

 SANY1629.JPGSANY1626.JPG部品が全部揃っておれば、調整だけで直ることもあるが、部品が足りないとなると簡単には行かず、外国製だと尚更部品に困る事になる。

 幾らで買われたものなのか知らないが、これからの修理代を考えると、別の時計を探された方が余程安いのではと思うが、そんなにお金を掛けてまで直す時計ではないと思う。

 この手の時計は程度の良い物が安く買える場合があり、気長に探せばモット良い物もあると思う、再度先方にその事を伝えたが、やっぱり直して欲しいとの事。

 こんな事で突如として舞い込んだ時計の修理、全く迷惑な話であるが困っている事だけは分かり、時計の修理屋さんに持ち込むことにした。

 見積もりを取ればやっぱり二万円弱、そんなにお金を掛けなくても良いが、直してもらうように修理屋さんに御願いして帰った来。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計よもやま話

2014年12月22日

和時計の鐘5

      鐘の形で時代が

SANY1473.JPG

 和時計の鐘は造られた場所や時代によって違いをみせ、その時計が造られた年代を測定できるものの1つ、作風や形がそれを物語るのだ。

 和時計の鐘は時代が古ければ古いほど深さがあるもの、時代の古い初期型の時計にはお寺の鐘と同じような形の物がつく、つまり深鈴と呼ばれるもの。

 古い時代の和時計は深鈴と呼ばれる形の鐘、円柱形の長い鐘が付く、その為に古い時計の支柱も当然長いものになるが、時代と共に支柱も短くなって行く。

 この鐘、お寺の鐘と同様に砂型で作られるもの、和時計の鐘は表側は磨かれて綺麗な表面になっているが、内側は砂目と呼ばれるブツブツのザラツキが出来ている。

 この砂目が無いものは和時計の鐘ではないと言ってよい、和時計の鐘には内側に砂目があると言えるもの、この鐘良く変わっているから注意が必要。

 SANY1458.JPGSANY1453.JPG本物かどうかを知るには、先ず内側に砂目があることを確認する事、この砂目があれば本物とおもってよいが、砂目の無いものは疑った方が良い。

 鐘の形は旋盤で製造する事が出来るが、内側の砂目に造りだせないからだ、本物と見極める1番の決め手となるもの、そしてもう1つが1番縁の形。

 和時計の鐘は下の部分、つまり槌が当たる部分、この部分は分厚くなっているから、ここも本物と見極める決め手、鐘の中に手を入れて縁の部分をさわって見ること。

 SANY1465.JPGSANY1476.JPG下の縁部分が出っ張りの無いものは本物の鐘ではないと言えるもの、本物は必ずでっぱりが付いているのが当たり前、お寺の鐘同様にでっぱりがある。

 槌でこの部分を打つために出っ張りを儲けている為だが、現在造られる鐘はこのでっぱりがないから、ここもポイントの1つ、仏壇の鐘との区別が出来るのだ。

 鐘上部にあいている穴、この穴の形も重要なポイント、この穴の形は四角である事、よく丸い穴のあいた鐘が付いているのを見かけるが、これは現代のものだ。

 古い鐘の穴は四角にあけてあるもの、鐘が動かないように四角にあけてあるもので、当前支柱もこの部分は四角になっており、丸くはないのだ。

 仏壇の鈴を代用している物を良く見かけるが、これも丸い穴が空けてあるから、一目で分かるもの、それに仏壇の鈴は内側もツルツルになっているから。

 下の縁が出っ張りもなく、砂目もない鐘は和時計の鐘では無いものだと言って良よい、これも和時計の鐘の鉄則でもあるから覚えておくことだ。

 和時計の鐘をひっくり返して見ると、縁の部分に切込みがあるものがあるが、この切り込みは槌が当たる部分を示しているものなのだ。

 切込みのある部分が槌側と言う事を示しており、ここに槌があたる様に造られており、大部分の鐘には切込みが付いているから、これも調べて見ると良い。

 和時計の鐘は色々と作法にのっとり造られている物だから、1つ、1つ注意してみれば本物かどうか見極められるから、是非ポイントを覚えておく事だと思う。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計よもやま話

2014年12月16日

持ち込まれるもの

      何とも言えない

SANY1391.JPG

 古時計の相談が良くあるが、我家まで持ち込まれる時計も多く、その殆どが昭和の時計、それも2、30年たたない時計たちで、中にはクォーツの時計まである。
 流石にクォーツの時計には参ったが、昭和の時計にもヘキヘキしているのが実状、その上直して欲しいと来るから、これにはお手上げだ。
 私は時計の修理屋ではなく、単に時計を好きなだけの男、どんな時計でも直すと誤解されているようだが、直せるものではなく、自分の時計位は仕方なく直す程度。
 幾ら時計好きでも、人様の物を喜んで直すわけではなく、何処が悪いのかの判断くらいは出来る程度のもの、そんな私のもとに持ってこられても迷惑な話だ。
 しかし、この手の事は日常茶飯事、知人、友人、近所の人などが持ち込んでくるのだが、断わっても直ぐに別の人が持ち込む始末である。

SANY1402.JPG 何でこの様になるのか、確かに展示会や講演会等でも時計の修理の話はするが、それは自分の時計の為のもの、修理すればお金が掛かる為だ。
 お金が掛かるから自分で直す、それも軽修理に限ったこと、根本的な修理は出来るはずもないので、それは修理屋さんに御願いするしかない。
 そんな状態であっても古時計は持ち込まれ、やっぱり迷惑をしている事には変わりは無く、何時まで続くことやら、古時計を集めると言う事は難しい。
 妻の友人が突如古時計を持ってあらわれ、是非とも1度見て欲しいと言うのだが、その時計を見て、やっぱり昭和の時計かと心の中で思った。
 むげに断わる事もできずとりあえず中を見る事に、するとゼンマイは切りており、歯車も歯が曲がった状態のもの、これでは修理するのにお金と時間が掛かる。
 先方に「これだけ痛んでいると修理も大変、それにお金も掛かる事だし、諦めた方が良い」と伝えると、思い出の品SANY1395.JPG是非直したいのだと言う。

 確かに思いで深い時計だと、修理したいのは良く分かるが、修理代金が多く掛かってしまうので、その値段と思い出とを秤にかけないといけない。
 良くある事だが、以前にもお金は掛かっても良いといって引き受けた古時計、修理が上がった来て、修理値段を見てビックリ、「何でそんなにお金が掛かるのか」と、今度は態度が一変して私に文句を言い出した。
 私が修理したわけではないが、「妥当な修理代だ」と言っても、「そんなに高いのは納得できない」と怒る始末、そんな事もあったので再度修理値段が高く付くことを確認した。
 こちらが善意で修理する所を選び、手配して郵送、その上郵送費もこちらが持って、踏んだり蹴ったりなので、そんな事は二度とお断りと、今回も念を押したのだ。
 しかし、思い出には修理値段は二の次、思い出を取り戻そうと思えば、修理して時計が動くようになれば、思い出も帰ってくると思うが、やっぱり値段との相談か。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計よもやま話

2014年12月13日

古時計の定義

      古時計と呼ぶには

SANY0284.JPG
 古い時計と書いて古時計(こどけい)と呼ぶ、ふるどけいとは呼ばないが、誰かの歌の中で大きなノッポのふるどけいと歌われて、ふるどけいと定着したらしい。

 我々はふるどけいとは呼ばなくて古時計(こどけい)と呼ぶ、当然の事日本古時計保存協会も、ふるどけい協会ではないので、その呼び名は大事でもある。

 展示会でも良くふるどけいと呼ぶ人が多いが、古いからふるどけいと呼んでいるものらしく、本来は古時計と呼ぶのが正式な呼び名である。

 その古時計、古い時計であれば全部古時計と呼んで良いのかと良く質問されるが、確かにその通りであり、何時までを古時計と呼んで良いのか。

 似たような呼び方に、アンティークと呼ぶ物は何時までの時代の物か、これも定義らしきものは百年、つまり百年より新しい物はアンティークとは呼ばないのだ。

 これに当てはめると、日本の古時計は1914年以降の時計は古時計ではない事に、つまり明治時代の時計であれば古時計だ。
SANY0111.JPG
 逆な言い方で昭和時代以降の時計は古時計とは呼ばない事に、百年を境とすればこの様に線引きがされる事になり、古時計は明治の時計と言う事になる。

 では大正時代の時計はそれに含まれないのかと言う疑問が湧いてくるが、大正時代でも古時計と呼ぶ、すくなくとも百年は過ぎているから。

 それでは昭和に入った時計はどうかとなると、これは聊か難しいくなってくると思うが、初期ものは約百年だから入れても良いのではとの質問もある。

 何事にも境目とはあるもので、その境目をどちらに入れるかはその人しだいだと思う、別に百年経たないから古時計と呼ばないと杓子行儀にもしたくない。

 まあそこそこであれば古時計と呼んで良いのではないかと、ただ境目が段々とずれてくるのはその範疇ではなく、そこはけじめをしなくてはいけない。
 
 この大正時代と昭和時代の境目は、やっぱり歴然とした物が存在していると思うが、それに気が付いている人も多いのではないだろうか。SANY0520.JPG

 大正時代の時計のデザインと昭和に入ってからのデザインでは違いが、勿論、はやりのアールデコ様式の時計にも如実に現れていると思う。

 その点、昭和の時計はデコ様式も末期のもの、時計にも時代の波は確実に訪れているのだが、そんな時代を的確に見極めるのも経験からくるものだ。

 やっぱり昭和の時計は古時計と呼ぶのから外されるものになるが、ではなんと呼べは良いのかとの質問が、そこはビンテージとでも呼ぶのか。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計よもやま話

2014年12月07日

目標として

      何処まで続く

SANY0111.JPG
 私が古時計と出会ってから早や40数年、当初は何の当てもなく只古時計を集めていただけだが、途中から目標らしきものが定まり始めた。

 誰しも通る道と思うが、人と違った古時計が欲しいと思い、それを探す楽しみを持つようになり、次から次へと古時計を探し歩いたものだ。

 そしてある程度の目標を持ち、その時計を集めだしたが、目標を持つと同時に中々時計が集まらなくなったしまい、段々と欲求不満な状態となった。

 何故かと言えば思った時計が中々と手に入らないからだが、はじめから焦点を絞ればその方が早く手に入ると思い、目標らしきものを立てた。

 目標を立てたからには、その時計を集めようとセッセツと努力、焦点を絞ったから時計を探すことが容易いと思っていたが、そんなに甘くなかった。

 立てた目標の時計が無いのだ、幾ら探しても、探しても中々見つけられないので、段々と自分の立てた目標が悪いのかと思い出すことになる。

 その目標とは、名古屋で製造された時計を全部集める事、全国でないから簡単に集まると思っていが、それが中々集まらないのでイライラが募って来のだと思う。

 SANY7492.JPG集まらないとなると、人間は実に都合の良い動物、目標を立てたのだから集まって当然だと思ってしまう、こんな自己中心的な考え方になっしてまうのだ。

 後で知った事だが、名古屋の時計ほど種類の多いものは無く、全国の時計製造会社の時計の数よりも遥かに数が多い事を知ったのは、それからず〜と後のこと。

 誰しも自分が欲しいと思った時計は手に入れたいもの、一番初めに探すのは当然の事、しかしこれが中々見つからないとイライラするのは当たり前。

 何方でも経験がある筈、この様な時期は何をやっても上手く行かないもので、どうしてだろうかと悩んでしまう事もあるが、このな時はジット待つしかない。

 よく言われる様に巡りあわせと言うこと、えにし(縁)とも言うが、この縁がなければ何事にもめぐり合わないのも、古時計もまた同じことだと思う。

 不思議なもので、そんな時には古時計の情報もまったく入らないもので、しかしそれが風向きが変わったとたんに情報が入る事もあるのだ。

 名古屋地域の時計は明治、大正期に1番多く製造されているが、その殆どが輸出用、大半が輸出されて日本には残っていないものらしい。

 SANY8962.JPG当時の日本の時計輸出量を見るに、ダントツで名古屋地域の時計で占められている事、記録上からあきらかに、そんな事で製造数は多いが、現存数が少ない。

 目標を名古屋地域と定めたものの、一向に集まらないのはこの様な現実があった事だ、その為に現在まで目標は達成されていない。

 簡単だと思っていた事が、実は1番難しいことだと知り、だけどそれに邁進するしかないが、果たして何時まで続くのか、実に不安である。

 古時計の魅力とは不明な点が多いこと、探せば探すほど疑問点が増えてくる、底なし沼みたいに。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計よもやま話