2018年12月11日

特許

    記録から見る


SANY8390.JPG 明治から大正にかけて日本で製造された西洋時計、その多くが特許を取得しているが、それをたどるのも大変。
 明治期の時計製造者は最初特許と言うものに興味はなく、只々西洋時計を真似て造る事に専念していたと言える。
 西洋物を如何にして製造するか、それが主眼であり、自分が製造した時計の特許を取得すると言う事も頭になかった。
 勿論、コピーを造る事に専念をしていたから、それは当時の実力、無理からぬ事と言えるが、その後独自の西洋時計を製造する事になる。
 そおなれば自分の製造したものを他人が造る事には抵抗感が働き、自然と特許に目が行き、それを取得しようとする動きが出て来る。
 今でこそ特許の重要性は肌で感じられるが、当時はまだ疎かったと言え、重要だとも感じなかったとも言える。
 しかし逆にアメリカから特許をたてに賠償請求がされるに至り、重要性が身に染みるようになる。
 アメリカのコピーばかりしていた日本の製造者は、この一件から特許に対する意識ががらりと変わる事になる。
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 記録によると明治18年から実施されたとあるが、実際には明治19年からの様で、この特許は発明特許、実用新案特許、意匠登録特許の3種類からなる。
 その中一番多いのは意匠登録、様々な意匠登録が申請させ、特許を取得しているが実際に発売されたかどうか。
 つまり特許だけは取っておいて、他社が製造できないようにする為のもの、特許を取得すれば15年は自社で製造でき、また他社に転売する事も可能となるため、現在でもそれは続いている。
 明治、大正の意匠登録を調べて見ると実に面白い意匠登録がなされていて、見た事もないものも多く存在している。
 記録と言うものは調べれば調べるほど面白い結果となり、はじめての発見もあり、驚く事ばかり。
 明治時代の日本の時計産業の著しい発展が実感できる資料、見ていても飽きないものが出て来るわ、出て来るわ。



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2018年12月10日

行き付けの店

      安くて旨い

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 麺類にも色々あるが大事なのは安くて旨い事、その上早く出て来ることが1番、そんな店は麺類が美味しいに決まっているのだと思う。
 うどんと蕎麦、ラーメンとスパゲティーが麺類の王様、人其々に好きなものが、全国にはこれ等の麺類が広く分布している。
 処により蕎麦好きであったり、うどん好きであったりとその地方の特色が現れ、関東ではそば、関西ではうどんと好みがあるのだ。
 当然味も違うことになり、関東の辛目、関西の甘めと多少の違いが、これも醤油文化と出汁文化の違いから来るとも言われているが。
 そんな違いのある地方、この名古屋地区もまた独特の味文化が存在、特に味噌を中心とした味付けも独特といった良い。
 SANY2533.JPG名古屋の味噌煮込みうどん、関東から来る人にとっては色が気になると言うが、確かに見た目は黒い汁、赤味噌による文化だ。
 我々地元民にとっては赤味噌でない味噌煮込みうどんはうどんでナイト、やっぱりあの独特の香りと色、あれが食欲をソソル源。

 すくし太くて固い麺、ジックリと煮込むことにより、腰と歯ごたえ、何とも言えないのど越しは味噌煮込みならでは、答えられない味だ。
 そしてもう1つがカレーうどん、これまた全国で色々なカレーうどんが存在しているが、やはり名古屋のカレーうどんもまた独特のもの。
 関西の出しの聞いた少し薄いカレーうどんも良いし、関東のあの辛いカレーうどんもまた良いが、地元のカレーうどん、これも又良い。
 尾張瀬戸駅前、パルティーせとの一階にある「うどんや」、ここのカレーうどんもまた旨い、何時行っても店は混んでいるが、待って食べるだけの価値はある。
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 食券を入り口で買い、カウンターに座ると直ぐに水が出てくるが、目の前で麺を湯で出すので、それを眺めて自分の麺が茹で上がるのを見ている。
 待つ時間、何もする事が無いからジックリとカレーうどんが出来上がるのを見て、待っている時間退屈することはなく、店員さんの動きを確認。
 その奥では同時進行でカレーの具を作りだし、麺が茹であがるのと同時にどんぶりの中に、絶妙のタイミングでカレーうどんが出来てくる。
 安くて、早くて、旨い、三拍子揃った麺どころである。
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2018年12月09日

招き猫の前垂れ

    独特の前垂れ

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 瀬戸の招き猫は140年以上前から造られているが、それ以前にも造られているともいわれ、それを立証する招き猫がいる。
 瀬戸の招き猫は磁器製のもの、幕末から明治にかけて磁器で製造され市場に出されたものであるが、古いものは形が小さい。
 もともとは伏見人形を真似て造られたものと言われ、初期のものは素朴なものであり、親しみのある顔をしているものが多い。
 諸説あるが、やはり伏見人形の影響が色濃く残っており、全国に広がった伏見人形をまねて造りだしたと言うべきであろう。
 そんな中瀬戸では時期で招き猫を製造、ほかの地域と一線を設け、独特の招き猫を造り上げ、市場に送り出した。
 他地域の招き猫は「土もの」であり、磁器で製造された招き猫は人気が高く、高価な招き猫であったようで、「土物」と別格扱いされていた。
 土物と比べれば遥かに美しく出来ており、尚且つ丈夫なものであったので瞬く間SANY0233.JPGに市場で人気を博することになる。
 現存している招き猫、時代により少しづつ進化をしているようで、特に前垂れと言われる瀬戸独特のもの、それが時代とともに変化して行く。

 初期のものは簡単なひも状のものであるが、次第に前垂れと呼ばれる暖簾みたいなものに進化、全盛期のころは手の込んだものが。
 瀬戸の招き猫は前垂れ一枚一枚に模様が、それもイッチンと呼ぶ技法を使い、模様が浮き上がっているもの、手が込んでいるのだ。
 ただ単に盛り上げているだけではなく、ボリュウム感を出し、豪華な生地のように見える、これにより迫力のある招き猫が出来上がる。
 筆で描くよりも手間と時間がかかるが、これを仕上げたものと、無いものとを見比べてみると、豪華さが際立っているのだ。SANY0222.JPG
 これも他地域との差別化、より瀬戸の招き猫は手の込んだ仕事をしているとのアピール、しかし時代が下がるにつれて、この飾り模様もなくなり、筆で描くようになる。
 その模様は細かくてイッチンほど手間はかからないが、やっぱり手の込んだ造り、瀬戸ならではの手の入れようである。


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2018年12月08日

変わらぬ風景

      ほっと出来る

 長野県松本市、ここは私が若い頃より良く訪れた地、国宝の松本城が好きでSANY2884.JPGよく行ったものだが、昔も今も変わらず人気がある場所でもある。
 こちらの城は平城の典型みたいな城、姿、形が良くて、ドチラから見ても絵になる城、白の壁に黒の板、コントラストが実に良く、名城に相応しい城だ。
 この松本城の近くに古馴染みの骨董屋があるが、過去色々な珍品を見つけた縁起のよい店であり、この先を占う上で縁起をかつぐ店である。
 此処で珍しい物を手に入れると、その年は必ず珍品の時計が手に入るジンクスが有り、この40数年間続いているジンクスでもある。
 最初に手に入れたものは、自分でも分からずに買い込んだものだが、それが又と無い珍品で、現在のコレクションの中でも5本の指に入る代物。
 女鳥羽川の辺の路地にその店はあり、時計類は何時行ってもおいてあるが、珍品となるとそんなに簡単に有る筈が無く、それこそ先を占う店なのだ。
 この路地には三軒ほど時計が置いてある店があるが、この店意外に珍品が出たためしがなく、この店以外は只見るだけで、期待もしていないが、ひょっとして良い物が。

 12月のこの時期が空いており今が一番、近くの駐車場に車を止め、橋を渡って路地を進むと、急に心が騒ぎ出すが、SANY2896.JPGそんな時は必ずと言ってよいが、珍品は全く無く、心が騒がない時は珍品もあるとき、今までのパターンは今も続いている。
 そんな時は、近くに飲食店街があり、昭和の雰囲気を色濃く残して店が密集している所も、雰囲気を味わうのにはうってつけの路地である。
 古時計を探すのも良いが、この様な雰囲気のある所を散策してはいかが。
 美味しくて安い店が見つかるかもしれないし、観光客相手の店よりも、良心的で安いかもしれない。
 それが又旅人にとっては楽しみの1つなのだから、ゆっくりと自分の足で探してみたらどうだろうか、ひょっとしてとんでもない珍品と出会うかもしれない。
 そんな雰囲気を漂わせている店が軒を連ねているからだ。
 今では中々お目にかかれない店が続く路地は、何とも言えない趣がある。
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2018年12月07日

招き猫の個性

    それぞれの顔
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 招き猫、江戸末期からさかんに造られた庶民の信仰、福を招く、人を招く、商売繁盛を願う庶民の心。
 招き猫の起源は中国の故事によると言われ、日本に渡来してから徐々に変化し、いつしか商売繁盛の願い物となる。
 もともと京都伏見の郷土玩具、伏見稲荷の門前で売られていたものが、全国に広がり、何時しか商売繁盛のお守りとなる。
 はじめは素朴な物であったが次第に進化し、形も変わって行くことになり、何時しか現在の形となったようだ。
 発祥については色々な説が存在しているが、どれも後からつけたものが多く、どれがどうだかハッキリしない。
 其々の主張をしているが、どれも似たようなもので、証拠と言えるものはなく、言い伝えやねつぞうが。

 そんな招き猫、明治に入り形も確立し、全国隅々まで行き届くことに、やはり商売繁盛の守り神として。
 しかし、そんな招き猫だが、その姿はそれぞれに個性の塊みたいなものとなるが、製造元の意向もあったはず。SANY1104.JPG
 特に磁器製の招き猫が全盛期のものは、面白いくらい個性の塊みたいなもの、一つ一つ見ると実に面白いものだ。
 一見同じような顔をしていると思えるが、よく観察してみると個性があふれ、一つ一つ実に面白いもの。
 スリムな招き猫と思えば、少し太り気味のでっぷりとした招き猫もあり、作者の意向が表に出ている。
 どの招き猫が好みかは人それぞれ、どれが良いと言うものではなく、信仰の対象となるかである。
 いかにも商売繁盛が叶うような猫であることが、最大の願いであり、客を招いてくれるであろうと思わせる猫が良いのだ。
 そこには個性が満開、それを見越して色々なタイプの招き猫が製造されたことも、産地の思惑かも知れないのだ。
 人それぞれ好きなタイプの招き猫を身近において、商売繁盛を願ったものであろう、庶民の信仰でもある猫だ。











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