2020年02月11日

雪輪

      名前の語源

 SANY3583.JPG雪輪とは、和服の留袖に付いている紋から来ていると言われるが、一説にはこの紋の形が雪の結晶に図案化したもの、その輪郭が雪の結晶と。
 確かに和服の紋はその家の家紋をつけるもの、色々な雪輪の家紋がデザイン化されており、様々な形があるが外形は殆ど同じもの。
 そもそも雪の結晶は六角形の形をして、紋所にあるような外形とは少し違ったようであるが、呼び方を雪輪と呼ばれて今日に至っている。
 もう一つは和時計に出てくる部品の名前に雪輪があり、和服のもんとは少し違ったもの、初期の和時計の部品は鉄製の物、和時計で云う雪輪とは。
 和時計の雪輪は時を打つための部品、時間が来ると時を知らせるために鐘を打つ、その鐘を幾つ打つのかを決める大事な部品が雪輪と呼ばれている。

 この部品も和服の紋と違って入るが、天然の雪の結晶とも違うものだSANY3585.JPGが、呼び名としては此方のものの方が雪の結晶に似ていると思う。
 何にせよ昔の人は上手くその物を喩えるものだと感心するが、何だか優しい心が現れている様にも思え、機械とはいえ血が通った生き物のようだ。
 写真の雪輪、和時計の後ろの部分に仕組まれているもの、落ちこみ金と言われる部品と結合して、時を打つ金の数を支持するもの、雪輪には刻みが付いている。
 その刻みの大きさにより、4つ、5つ、6っ、7つ、8つ、9つと時を打つ様になっており、この雪輪は半打ちが付いているもの、半打ちとは、今で云う一時間毎の事、昔の一刻は2時間であったから、その中ほどで打つように仕組まれている。
 この雪輪は1日に2回転して時を打つ仕組みに刻まれており、1日に1回転する雪輪もあり、時計師により様々な雪輪が製造されている。
 写真で赤く見える所があるが、それは漆の塗料が残っているもの、本来は錆びないように全体に漆が掛けられていたもの、和時計とは手の込んだ時計でもある。
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2020年02月10日

人間国宝の器

    実用的なもの
 
 人間国宝とは国が定めた優秀な技術を持った人を指す、各部門で優れた技DSCN1404.JPG術を持った人に与えられる称号、つまり重要無形文化財技術保持者である。
 国が認定した人物に与えられる称号、各部門で色々な人が認定され、人間国宝となっているのである。
 もちろん範囲は広く、色々な分野に渡っているから、その中から優れた人材が認定されて、技術を保存している。
 色々な部門の人間国宝が存在しているが、すでに亡くなられた方も多い中、私の好きな人間国宝は加藤唐九郎氏である。
 加藤唐九郎氏は瀬戸市出身の陶芸家、日本を代表する陶芸家であり、現在でも人気の高い人間国宝の一人。
 永仁の壺事件で人間国宝をはく奪されるが、逆にこの事で人気がさらに高まり、陶芸界の野人とまで言われた人。
 荒川豊蔵氏と双璧をなした人物、豊蔵氏の優しい茶碗とは対照的に、野武士の様な勢いを持った茶碗を製作した。

 兎に角この人は破天荒な人物であった人で、数々のエピソードを持った人でもあったのだDSCN1405.JPGが、頑固で職人気質の人であった。
 博学家でもあり、古陶器の研究もプロなみ、若い時より研究に励んだと言われており、瀬戸の伝説的人物、加藤四郎左衛門影正は実在の人物ではないと唱えた人でもある。
 その後守山に移住し、作陶活動を続けて数々の話題作を世に出し、唐九郎の実力をいかんなく発揮し絶大な支持を得る。
 その唐九郎の作品を紹介しようと、FMのラジオ放送「アンティークの魅力」の中で取り上げる事にした。
 ここが私の番組担当、特に瀬戸で開かれる祭りを中心に、その話題でアンティークを紹介している。
 今回のぐい飲みや小箱は親父のコレクション、その他にも加藤卓男、中里無庵、近藤裕三、などのぐい飲みが中心。
 勿論瀬戸の作家に話題は集中、唐九郎氏のぐい飲みは、親父が唐九郎氏から直接貰ったもので、親父は唐九郎氏とは親交があった。
 子供の頃、家で唐九郎氏とあった事も、そんな訳で箱のない唐九郎氏の作品が色々とあり、親父は自慢していた。DSCN1406.JPG
 そのぐい飲みで晩酌している親父の姿を思い出すが、色々なぐい飲みを出しては取り替えてのむ、何でそんな事をするのかと不思議であったが。
 今思うと好きなぐい飲みで酒を呑む喜び、其れが今ではやっと理解できる様に、親父の呑む姿が思い出される。

 それにもう一つが瀬戸出身の加藤土師萌氏、2人目の人間国宝であり、地元でも数々の作品を残している。
 紹介している小物入れもその一つ、実際には何に使うものなのか分からないが、飾り小物であるかも知れないのだが。
 親父はこれを煙草入れに使っていたから、別に誰が造ったものなのか知らなかったが、最近加藤土師萌の作品と分かった。
 身近に使われていたものなので、それ程貴重なものとは思わないが、今は親父の思い出の品として保管してある。
 写真は上のぐい飲みが唐九郎作、三番目の写真が加藤卓男作、その下が中里無庵作で、一番上の写真中央の赤い小物入れが加藤土師萌作である。
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黒猫

      孫が見つけた

 我家の孫、9歳になるが猫が好きで、2歳のこDSCN0144.JPGろ我が家にいた猫に興味を持ち、猫に近ずいて尻尾を掴んだが、猫はビッリクして逃げて姿を消してしまった。
 其れ以来、我家の猫は孫を見ると直ぐに逃げ出す始末、無理もない話し孫のやる事は強烈、猫の尻尾を力任せに引っ張る、当然猫は逃げ回るのだ。
 そんな事はお構いなし、孫は猫が気に入ったらしく、相手が逃げ回るのを面白がって追いかけ、部屋中を駆け回る始末、之では猫はたまったものではない。
 幾ら孫が猫を好きになっても、猫の方は尻尾をひっぱり回されてはたまったものではない、逃げ回るのは当たり前の事、それでも孫は追い掛け回す。
 孫にとっては猫が可愛らしくてたまらず、何処の猫を見ても近寄り尻尾を掴もうとする、家の猫ならまだ知らず他の家の猫では危険、相手は驚いて引っかく事もある。
 まだ孫はそんな猫に運よく出くわしていないが、もしもの事があってはと此方はヒヤヒヤなのだが、当の本人は我かんせずとばかりに猫に御執心だった。
SANY4043.JPG
 私の部屋でまたまた黒猫を見つけ、私のもとに持ってきて「黒猫ちゃん」と差し出したが、何処でこれを見つけたのか、沢山あるブリキ缶、その中から探し出したのか。
 小さな子は何をするかわから無い、このブリキ缶は蓄音機の針がいっぱい入っており、もし開けてバラバラになったら針が刺さる事も、持って来た時はヒヤリとしたものだ。
 猫が好きで、この缶についている黒猫が目に入ったらしく、嬉しそうに持ってきたので、こちらが慌てたが態度に出すとビックリするからと、そのくせ内心は怪我しなくて良かったと思ったもの。
 写真が持って来たブリキ缶、三つも持って来るとは欲深いが、缶に付いている猫を見つけるとは、小さな子の目の付け方がヤッパリ違うと感心するやら、驚くやら、この缶を見るとあの時を思い出す。
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2020年02月09日

呼び方が分からない

    本四つと張四つ
DSCN1459.JPG 古時計の代表格、四つ丸達磨時計、この時計は当初から人気の時計で、現在でも人気の高い時計である。
 日本人に親しまれたこの形の時計、アメリカでは「8の字とかイオニック」と呼ばれている時計、日本では「四つ丸達磨時計」と呼ばれている。
 発売当初からこの時計は人気が高かったようで、八角型の時計と比べて値段も少し高め、しかし当時から人気があったようだ。
 日本人には馴染み易い形であったかも知れないもの、西洋時計の中、色々な形の時計が存在していた。
 当時でも日本人に好まれる時計と、そうでない時計とに分かれており、余りバター臭さのある時計は好まれなかったと言う、日本の家屋に合う、合わないもさることながら、やはり日本人好みの時計はあったようで、現在でも其れは余り変わっていないと思う。
DSCN1460.JPG
 現代の日本の家屋は西洋化されているが、それでも日本人に向かない時計は存在しており、奇抜な飾りの時計は好まれない。
 今も昔も日本人の感覚は余り差が無い様で、好まれる形は存在していると思うが、好き好きに変わりのないもの、この達磨時計は日本人にも好まれた形の時計であり、現在もやはり好まれて求める人が多いようである。
 最近は若い女性の間で、姫達磨の古時計が人気となっているが、ヤッパリ達磨型の時計、日本人好みかと思う。
 その達磨時計で、本四つ達磨時計と張四つ達磨時計と何処が違うのかと、そして何故呼び名が違うものなのかと。
 DSCN1461.JPGそんな素朴な質問が寄せられており、改めて四つ丸達磨の人気が再認識されたと思うが、贔屓目なのかも知れない。
 この時計の呼び名は当時のカタログには色々な書き方がされており、各社統一されてはいないと思う。
 同じように見えてしまう本四つ達磨と張四つ達磨、確かに外形は良く似た形をしているが、それは正面から見た場合。
 同じ大小の丸が付いているから、一見すれば同じと勘違いするが、時計の知らない人でも、側面から見るとハッキリと違いが分かる。

 本四つ達磨は側面から見ると、中央にある二つの小さな飾り、この取り付け方が違う事に気が付くと思う。
DSCN1463.JPG 小さな飾りの支柱が後ろまで続いているので、一本の柱のように見えるはず、しかし張四つ達磨は名前の通り、支柱は無く後ろまで続いていない。
 つまり張四つ達磨の中央の小さな丸は、文字通り表から張り付けてあるだけで、支柱も無く後ろまで続いていないものだ。
 簡単に見分けるには、側面から見て支柱が後ろまで続いているものは本四つ達磨、支柱が無く表しか飾りがないものを張四つ達磨と認識できる。
 呼び名とはよく考えられているものと思うが、この時計に限って言えば、名は体を表すとはこの事かと思う。
 本四つと張四つ、呼び名の通りの形をしているもの、側面から見ると明らかな違いが、それが見分けるコツでもある。
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2020年02月08日

この人誰

   見ても分からない
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 瀬戸の雛巡り、ぱじまってから見学者が多く、毎年の事だが遠方より来られる方も多く、盛況のうちにスタートした。
 毎年の事だがスタートして暫くは見学者もそこそこ、後半戦みたいな混雑はないから、好きな人はジックリと見学できる。
 良く見たいけど人が多くてジックリと見えないと嘆く人も、特に後半戦は見学者が多いからそんな事も度々起きる事になる。
 特に享保雛の展示会場は土日は混雑で、それこそ立ち止まらない様にと催促される始末、見学者が多いからだ。
 私としてはジックリと観察して貰い、享保雛を理解して欲しいと思っているのだが、こちらの意図に反して見学できない人も。
 今年は古民家久米邸の蔵で展示しているから、こちらの方にも見学者が、只中に入れないので外からの見学となる、大勢が入ると古い建物なので立ち入りを禁止しているのだ。
 その為にモット近くで見たいと言われる人も多く、対応に追われるがこれも古民家の欠点かも知れない、安全が第一だから。
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 そんな色々な展示会場には時代の雛人形が展示してあり、江戸時代から昭和までの雛人形が3000体展示してある。
 会場はあちらこちらと分散しているから、足で稼いで見学をしてもらい、雰囲気だけでもひな祭りを味わってほしい。
 その会場の中、松本地方の押し絵雛も展示、明治自体のものが中心、その中の雛人形に注目が集まっているものがあり、「この人誰」と質問が多く寄せられる。
 それが「神功皇后の雛」、鎧兜姿の女性、女の人が鎧を着ているのは何故、こんな人居たのかと、今の時代神功皇后と言っても分からない人が多く、説明には時間がかかる始末、やはり時代が違うのか、今の雛人形には存在しない人、年配者でも全く知らない人も多く、その人誰ですかと聞かれてしまう。

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