2019年08月09日

うどん

      日本3大うどん

SANY7992.JPG 麺類には拘りがあり、自分好みの麺を求めて全国食べ歩いた事も、行く先々のご当地麺の美味しい所を探しながら、兎に角良く回ったものだ。
 その多くは蕎麦が主体で、蕎麦の美味しい所を求めて北から南と、そんな訳で大抵の全国のそばを食べ歩いたと思っているが、日本はまだまだ広いもの。
 まだ食べていない蕎麦が多くあると思っているのだが、これからもそれを求めて食べ歩きたいもの、美味しい蕎麦は何処に行けば良いのか。
 蕎麦の歴史は中々難しくて、私の知っている限りでは木曽の定勝寺の古文書による、戦国時代のものが現在の時点で最も古いものだと思う。
 寺の改修時に蕎麦切りを振舞ったと書かれた古文書、これが現在確認されている蕎麦切りの事実を伝えた証拠、この辺りが蕎麦切りの発祥の証しだと言う事。
 その他の地域のものは、言い伝えだけのシッカリとした立証に基づいたものではない事から、木曽地方が蕎麦切りの発祥地とされている。
 この木曽から信州北部へと蕎麦切りは伝わり、信州が蕎麦切りの盛んな地域となり、その後全国に伝わり、現在のような全国的に蕎麦が食べられる事となる。

 一方、うどんもまた中国より伝わった食べ物と云われ、僧侶によって広められたとも言われるが、色々な説も存在しており、発祥地も数々ある。
 日本3大うどんとは、讃岐うどん、名古屋のきしめん、秋田の稲庭うどん、この三つが日本の3大うどんと呼ばれているもの、
 今回の稲庭うどん、秋田湯沢で作られたうどん、その歴史は1600SANY7994.JPG年代に遡ると言われ、古くから作られてきたようだが、一般の食べ物ではなかったとも言われ、上流階級のものであった。
 一般に食べられるようになったのは明治に入ってからとも云われるが、その歴史はやっぱり古いもの、油を使わない乾麺であり、うどんの中に空気を含ませる独特の製造方法。
 一子相伝の秘伝で製造されたうどんだと云うが、その喉越しは滑らかと腰の強いうどんで、1度食べると止み付きになる美味しさ、良く角館で食べたものだった。
 讃岐うどんとも違い、少し細い面、冷麦よりは太いが、やっぱりあの感触は冷麦とも違うもの、稲庭うどん独特の腰と味、何時食べても旨いうどんである。
 稲庭うどんの特徴は柔らかいが腰があり、何とも言えないあの喉越しにあると言って良いが、あれはうどんの中に空気の層が入れてあり、茹で上がった後の喉越しにも影響を及ぼすのだと言う。









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2019年08月08日

蕎麦

   蒸籠と笊

SANY0504.JPG 蕎麦、日本人に親しまれてきた食べ物の一つ、古くは古墳時代に遡ると言われ古墳から発掘されており歴史は長いとも言われている。
 只、蕎麦と言っても現在の食べ方ではなく、蕎麦の実をそのまま食べていたと言われ、その後茹でて食べていた様だとも言われている。
 遺跡からは数々の証拠が出てきており、やはり古くから食べられていた様だが、主食として食べられたのではないと言う。
 その後中国より渡来してきた食べ方をするようになるのは奈良時代からだと言う、しかしこの当時も現代の食べ方とは違ったものであった。
 蕎麦の実をふづして粉状にしたのは室町時代になったからだと言う、うどんの伝来とも関係しているらしく、詳しい事は分かっていない。
 食べ方としては蕎麦の実を粉状にしたものをお湯で溶き、蕎麦がき状態にして食べていたのではないかと言われている。

 当時も上流階級の食べ物ではなく、下々の人々のSANY0586.JPG食べ物とされていた様で、雑穀米の一つであったが飢饉用でもあったらしい。
 そんな蕎麦の食べ方、時代とともの変化して行き、現在の形になったのは江戸時代になってからと言う、蕎麦がきなどで食べていたものをうどんと同じように棒状にした。
 蕎麦切の始まりで急速にこの食べ方が全国に広まり、庶民に受け入れられそれ以後一般の食べ物として普及したもの。
 当時は蒸籠で蒸したものが主流、つまり茹で上げたものではなく蒸して蒸籠のまま客に出していたもので、現在のようになったのはその後の事。
 蒸籠で出していた時と茹でて笊で出した時とでは少し時代が違うが、後世には蒸籠で出す処と、笊で出す処に分かれて行ったと言う。
 その名残で蒸籠と笊の名前が付いているのだと、そんな時代の流れが蕎麦の名称にも影響して、現在に至っているが、笊でも蒸籠でも蕎麦の中身には関係なく蕎麦切である。

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2019年08月07日

流行とは

    何時の時代でも

SANY3010.JPG 流行とは恐ろしいもの、あっという間に世間に広まり、何故かしら人々に受け入れられ、浸透して行くものなのだ。
 老いも若きも流行には弱いもの、何時の時代も同じ事、昔から流行病の様なものと言わるくらい伝わるのだ。
 昨今、車など来年の流行のデザインが紹介され、それを見ると各社同じような物を造り出している事に気付く。
 車で言えば全体のラインとかライトの形とか、テレビや電化製品も又同じようなものが販売される予定だ。
 そんなもののデザインを見てみると、何処となく良く似たもの、それが流行だと言わんばかりに同じだ。
SANY2836.JPG
 勿論商売であるから当たり前と言えば、それで終わってしまうが、それでも真似ではないと主張するから面白い。
 ある車の展示会でテレビの司会者が「何故良く似たデザインではないか」と聞いたことがあるが、その答えは「まったく似てません」と主張していた。

 「わが社独自のデザインで、他社とは関係ないものです」と力説、しかしどう見ても良く似たもので、素人でも察しが付く。
 それが流行と言えばそれで結論は出ているが、それを良しとして受け入れる我々もおかしいと思うが、それが流行か。
 時計の世界でも同じような物であり、明治以後数々の流行を生み出してきたが、面白いように各社が同じものを出しているのだ。
 SANY3014.JPG例えば時計のガラス絵に女性の姿を描いたものが出れば、ここぞとばかりに各社同じものを製造して市場に送り出す。
 写真の時計、同じ時期に製造されたもので、各社から出された時計の一部、面白いのはどの時計にも馬の絵が描かれている事だ。
 これは勿論アメリカ製の時計の物をコピーしたもの、そのデザインの時計が売れ出し、日本の時計製造会社もこぞって、その姿の時計を造り出したのだ。
 写真で見て何処が製造した時計なのか、サッパリ分からないもので、良く見ても同じような絵が描かれている。
 同じ時計ではないのかと、逆に質問されるくらいに良く似ているもの、縁の図柄が微妙に違い程度。
 果たして皆さんは何処の時計か判断が出来ますか、ズバリ当てられたら博士、それがどれだかサッパリだ。
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2019年08月06日

すぎだま

    新酒の出来

 良く造り酒屋の軒先に、茶色の大きなボール状のものが吊るされているのを見たことがありますか、昔は殆どの造り酒屋の軒先には掲げられSANY2911.JPGていた。
 最近では余り見られなくなったが、昔ながらの杉玉を軒先に吊るしているところもあり、ここが造り酒屋と分かるようになっている物、この杉玉、名前を「酒林」と言うそうな。
 本来の意味は酒の神様に新酒の出来お祈りして、杉の穂先で大きな玉を作って、軒先に吊るして酒の神様に捧げたもので「酒林」と言われる物だ。
 青々とした杉の葉でボール状の玉を作り、店の軒先に吊るしていたが、本来の意味よりも新酒が出来た合図みたいになってしまっているが、元々は奈良酒神大神神社の三輪山の杉で、杉玉を作り神様に捧げたものだ。

 酒神大神の杉は神聖な物とされ、その神聖な杉の葉で作られている杉玉であるから、ご利益があるとされ、造り酒屋の軒先に吊りし神に祈ったもの。
 造り酒屋の看板でもなく、毎年新たに作られるのが本当の形、しかし現在では酒も杉の桶で新酒は作らず、まして杉玉を毎年作る造り酒屋はなかなか無いと思う、時代だと言ってしまえば其れで終わりだが、新酒の出来は人間の力で出来る物ではなく、酵母の働き如何に掛かっているもの、人の力で無いからこそ、酒神大神に御願いするのだ。

  極 楽 は  何 処 の 里 と 思 い し に  杉 葉 立 て た る  又 六 が 門
  
 そんな風習も、近代的に酒を作るようになり、神の存在を忘れてしまったようなもの、日本人の持って生まれた優しい心は、既に失われて行ったのか。
 現代経営の酒造りには、酒神大神神社の存在は忘れ去られて、商売優先の厳しい世の中になったしまったらしく、風習も忘れ去られようとしている。
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2019年08月05日

見た目と違う

    球体の時計

DSCN0281.JPG ボール型の置時計、その仕組みはどんな風になっているのかとの質問が多くあったが、そのままになってしまった。
 以前に紹介した時はさほどでもなかったが、その後質問が多くなり今回その答えをしなくてはと思い、置時計を出して見ることにした。
 私も分解して詳しく見た事はなく、手に入れてからそのままに置いてあったもので、別に疑問も持っていなかった。
 只、質問されると知らないとは言えなくて、詳しい所は濁して答えていたが、自分も知らない事にやばいと感じていたのは確か、そこで今回分解して見る事にしたが、そんなに難しい組立ではなく、簡単に外れるような設計に自分も驚いた。
 普通の時計だとネジを多く外さないとカバーが外れず、何本かのネジを外し、後からネジを探す羽目にもなったが、それが普通の時計の仕組み、この時計思っていたよりも簡単で、ネジ一個で外れる事にビックリ、メンテナンスにはうって付けの設計だ。

 置時計はこの様に簡単に外れなければ、素人にはめんどくさくて、DSCN0287.JPGメンテナンスに苦労する事になるのだがそれがこの時計には無い。
 これを設計した人はその事をよく知っている人、素人にも簡単に外せ、メンテが出来るように、有り難い設計をしたものだ。
 まず質問の多くはネジが何本ついているのかとの事、結果は一本だけ、それさえ外せば後は簡単に外れて行くのだ。
 機械は普通の物と同じ形式の置時計の簡単な機械、ただ長針と短針の長さは異常に長い、当然だが球体の形だから、中心から距離があるものだから長くなっている。
 勿論ネジを巻く方も長い心棒が使用してあり、前後に長く突き出している形式、種明かしをして見れば簡単な事だが、球体になっていると、どんな仕組みかと疑問に思ってしまう。
 写真左右の外側を一体化するには、前面に付いている突起物と、後部に付いている切り込み部分をスライドすれば結合完了、機械だけは三本のネジで前面の本体と事てされているので、このネジが一番多いネジ、兎に角簡単に設計されている時計だと思う。
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