2018年04月13日

時計画

      時計の版画は数々ある。

SANY3537.JPG 時計を題材とした版画は多くあるが、趣味で直接依頼して作成してもらったものは、そんなに多くないが堀田時計が販売店に出したもは、大分出回っている。
 堀田両平氏は家業の時計店の店主でもあり、古時計の蒐集家としても知られている我々の先輩の蒐集家、堀田氏が自社の店舗をモデルとして、製作依頼した版画で、時計マニアの間でも良く知られたもの。
 堀田氏は時ある毎に時計の版画を製作依頼しているが、特に伊藤深水画伯の版画が多くあり、美人の版画は人気の的でもある。
 自分の娘(朝丘雪路)をモデルとした版画は人気が高く、マニアには是非とも手に入れたい版画でもある。

 深水画伯の作品は妖艶な美人が描かれているため、時計よりも其の美人のほうに目が行ってしまう。堀田.jpg
 やっぱり美人画は伊藤深水に限ると思うが、時計も良く観察されており、其の特徴を捉えた力作が多い。
 もともと堀田時計は名古屋出身、明治期名古屋市にて時計商を商っており、良平氏はそのルーツを理解していたようだ。
 先祖の築き上げた店を題材にして版画家にその姿を依頼し、表現したものだと思う。
 左の版画は、富山出身の金守世士夫画伯の製作であり、明治期の堀田時計店の店先を描いた版画である。
 当時名古屋市の中心部に大店を構えていた様子が描かれ、店内には櫓時計やそのほかの時計が見え、屋根の上には巨大な時計塔が見える。
 堀田時計初代の堀田良助が1代で築き上げた大店、色使いも良く当時の繁栄振りが見事に彫られている傑作である。
 当時は名古屋市内には、こうした時計塔が幾つも乱立をして、名古屋の時計産業が盛んであった証でもある。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計裏話

2018年04月12日

これは何だ

      鉄の塊

SANY8073.JPG
 またまた友人が分けの分から無いものを持ち込んで来たので、その論議に喧々諤々、またしても論争が激化する嵌めになったしまった。
 たまたま知り合いと酒を呑んでいた時に友人が現れ、何やら重そうな物を持って入ってきたが、何か怪しい雰囲気の物だと感じた。
 一緒に居た知り合いも友人とは顔馴染み、その場に入り込んだ友人、先ずは自分の好きなビールを一気に飲み干し、新聞紙の包みを開けだした。
 現れたものは埃まみれの汚らしい物体、「食べ物の席に汚らしいものを持ち込むな」と私が諌めると、そんな事よりこれは何だと汚らしいものを出した。
 知り合いも「汚いものだなぁ〜」と呑んでいたグラスを避け、その物体を迷惑そうに眺め、やっぱり汚らしいものだと、確かに汚いものだ。
 友人、「これは何だ」と鉄の塊を指差し、貰ってきたが何だSANY8077.JPGか分からないものだ、だけど面白いと思って持って来たのだが、やっぱり汚いなぁ〜と言う。
 酒を呑んでいる席に持って来るものではないだろうと思いつつ、その物体を良く見ると灰皿ではないのかと思うが、それにしても重いものだ。
 仮に灰皿でも何でこんなに重いものを造ったのか疑問、しかし良く見ると自動車の姿をしているように、すると知人が「これ自動車だ」と言い出した。

 私も気付いたのだが古い自動車の形をしている物、灰皿らしきものである事には違いないのだが、時代が相当に古いものだと思う。
 自動車の形から昭和のものには違いないとの認識で一致、しSANY8083.JPGかし戦前にこんなものを造るのかとの疑問も湧いて、モット古いのではと知人が言い出した。
 戦前、つまり昭和のはじめ頃であれば、「金属でこんなもの造るのか、金属不足の中」と友人が、確かに言われれば金属不足のおり、灰皿などに金属を使用するのかとの疑問だ。
 「では戦後の鋳造であるのか」と知人が言うが、戦後の代物でもなさそうな雰囲気、兎に角分けの変わらないものには違いなく、それを肴に3人して酒を呑む。
 自動車の形からはやっぱり大正から昭和初期の自動車、それにしては鋳造方がお粗末で、しっかりとした製造で造られた物ではないと思う。
 そんな事で何だ、かんだと論議をするうちに、酒が回りだしてきて、そんな論議もそっちのけ、酒が旨いと言いつつボトルが空になったしまった。
 写真の鋳物、形もボケたような姿の灰皿、テイブルの上にこんなボケた自動車を置いては恥、だけど何だか捨てがたい雰囲気の代物でもある。

posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アンティーク

瀬戸の染付け6

      より網目らしく
SANY5630.JPG
 幕末以来瀬戸の染付けは進化を続け、その形態も伝統的な図柄と、新作の二種類が渾然一体化し進化をするが、一方でその反動から古来の図柄を復活させようとする動きも起こる。
 何時の時代もそうである様に、新旧交代の時期は様々な軋轢のうえに、新しい時代がやってくるものであり、瀬戸の染付けも此の法則が生きていたようである。
 陶器から磁器への転換期、時期の白い肌に会う図柄が求められ、陶器では用いなかった斬新な図柄の登場により、陶器の図柄の衰退が始まる。
 その最先端が西洋の図柄を取り入れ、文明開化らしい図柄の登場であり、西洋建築の洋館を図柄にしたり、人力車、岡蒸気、蒸気汽船、などの新しい図柄が大流行する。
SANY5637.JPG
 瀬戸の絵付け職人たちは、貪欲に文明開化の図案を吸収して、自分のものにしてから絵付けをしなければ、時代に付いて行けずヤッキとなり図柄開発を行う。
 一頃、この時代に流行した開化物が人気が高まり、値段が一気に高くなる現象を引き起こしたが、一時的なはしかみたいなもので、今は人気急落して昔の面影も無い。
 そんな時代背景に翻弄された瀬戸の染付け、しかし、その裏側には面々と受け継がれて来た古来の図柄もあり、その1つが写真の図柄である。
 網目と呼ばれる図柄、此の図柄文明開化の時代でも衰退することなく、面々と行き続けて現在まで受け継がれている図柄、飽きの来ないシンプルな図柄である。
 時代に翻弄されない力強い図柄であり、器の内部まで網目模様が描かれるのが伝統的な手法、内側に網目を描くのは熟練した職人でなければ描ききれない。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年04月11日

円空の顔

      独特の顔

 SANY6812.JPG円空は江戸時代初期の行脚僧、兎に角全国を歩き回り、13万体の仏像を彫りだした僧、常人ではとても出来ないものだが、円空は生涯かけて彫り出した。
 その制作方法は驚くべき速さ、薪を割り鉈で素早く彫り出したと言われるが、実際は多くの蚤を使用したらしく、使い分けて製作したらしい。
 ある仏像の1本の丸太を12体の仏像にしたとも言われ、変幻自在に掘り出した様で、残っている仏像はそれを物語っている。
 現在20000体位現存しており、それも愛知、岐阜に集中しているもの、初期の仏像は30代に製作した物、彫り方は優しい線で作られている。
 40代位から作風が変わりだし、その作風は大胆に彫りだしている物が多くなり、また次第に簡略的になり、躍動感に満ち溢れている物が多くなる。
 この作風の変化は母の死が切っ掛けで、次第に独創的なものとなってゆく切っ掛けと、研究者の間ではそのように言われているとか。
SANY6814.JPG
 確かに円空の仏像は大胆かつ繊細であり、一見誰にでも製作できるように思われがちであるが、その本質をとらまえての仏像製作であり、円空独自のもの。
 そしてこの仏像が個人での所有が多い点にも注目、円空は求められれば製作して仏像を与えたと言われ、その殆どが小さなものが多い。
 個人の仏壇や神棚に祭られている円空仏、大事に扱われて来たのが現像数を伸ばしたものなのか、定かではないが、確かに多く現存する。
 円空の仏像の特徴はかすかな微笑みと云われ、この微笑が人々を虜にする由縁でもあるといわれているが、確かにその微笑みは他の仏像には少ないものかもしれない。

 あたかも鉈1つで彫りだした仏像のようにも見れるが、多くののみを使って彫りだされている事を感じさせないのは、これも円空ならでは。
 写真の仏像や神様も、そうした円空の力量が滲み出ているもの、見る人もこの仏像に引き込まれて行き、虜になってしまうようだ。
 イカツイ仏像も、良く見るとその顔はかすかに微笑を帯びており、人々が親しみやすさを感じるのが分かるような気がする。

 
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年04月10日

デッサン用

      良い絵がSANY0320.JPG

 あるアンティークショップにぶらりと立ち寄り、古時計を物色していると店主が「お客さん、何を探しているの」と声を掛けてきた。
 古時計を探していると答えると、「どんな時計が欲しいの」と又聞く、余り質問されると買う気分にならないのが私の性分、何時もの事だが。
 古時計位は自由に見たいもので、あれこれと聞かれると気分がそちらに行ってしまい、買う気がなくなってしまうので、探している時は邪魔されたくないのだ。
 そんな店を出ようと出口に向かった時、ガラス越しに女性の顔が目に入ってきたのだ、この顔にひきつけられて隣の店に入ってしまう。
 その店はリサイクルショップ、雑然と物が置かれる中、入り口近くのテーブルの上にその女性の顔が、目に付いたのはこの顔。
SANY0329.JPG
 学生時代、図工室に置いてあったデッサン用の石膏像、其れに良く似た物が私の目に入ってきたのだ、近づいて見ると、なんと時計であった。
 まさか時計とは知らずに、石膏像に引かれて来たのに時計とは、其れは高さ60センチ位の時計、その上部に石膏像が乗せてある時計だ。
 セイコーが発売した時計だ、正確には調べていないが昭和30年代に販売されたものと思うが、黒色の大理石の台の上に石膏像を載せたもの。
 時計本体は非常に重い大理石、あたかも石膏像の様な格好をした時計、当時としても変わった時計であったと思われる。
 石膏像は可愛らしい女性、如何にもやさしそうな顔、こんな時計を飾っている部屋はさぞかし楽しい部屋であろうと思われる。
 店主に値段を聞いて見ると「お客さん、幾らで買ってくれるの」と逆に聞いてくる始末。
 2000円なら買っても良いと言うと、「其れでオッケーです」と直ぐに商談成立。
 買ってから手渡された時計の重さにやっと気付いて、こんなに重い時計何処に置くのかと、単に石膏像に魅せられて買い込んだ時計、ヤッパリ飾るところを選ぶ時計だった。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年04月09日

有線七宝

      手間隙かけて
 SANY5662.JPG七宝、七つの宝と書いて「七宝」、金銀や瑪瑙、琥珀のような宝物に匹敵する物として七宝焼きと呼ばれているもの、この七宝焼古くは奈良時代から日本に存在しており、その後戦国時代までは細々と製造されていた。
 正倉院御物の中にも七宝焼が保管されており、当時から貴重品であったようだが、一般人には程遠い存在、その後京都で七宝が製造され、桂離宮、修学院離宮、漫院など扉の引き手や釘隠しに使われたり、刀の装飾品として発達。
 桃山から江戸時代に入り、京都、近江、尾張、などの産地が盛に七宝を製造した様だが、それらはまだ七宝焼きの発展途上でもあったようである。

 明治に入り、ドイツ人ワグネルが透明の塗料を用いた七宝焼きの技術を伝える事により、日本の七宝焼きに急速にその技術が向上、パリ万博に出SANY5655.JPG品し金賞を得る。
 其れにより、世界的に日本の七宝が優れた芸術品であることが認識され、多くの七宝が海外に輸出されるようになり、外貨獲得に貢献する事となる。
 そんな中、京都や名古屋で芸術的な七宝焼きが製造、七宝焼きの技術が確立され、世界的に有名になるが、この両者七宝焼きの製造方法に違いがある。
 それは有線七宝と無線七宝、有線七宝は真鍮や金銀の細い線で図柄を作り、その中に鉱物質の微粉末をふのりで溶いたものを塗り固め、900度の温度で焼き上げる。
 無線七宝は図柄の上にじかに微粉末の溶液を置いてゆき、有線を用いないで製造する技法とに分かれ、其々の特徴を最大限に発揮した。
 写真の七宝は有線七宝の典型的な物、細図柄を真鍮の細い線で縁取ったもの、根気よく一つ一つの図柄を描いてゆく作業は大変な物である。

 
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年04月08日

卯の花

      早すぎる初夏

SANY6360.JPG 春がきて桜が散ったと思ったらもう初夏のよう、若葉が一斉に葉を茂らす時期、四季の内で1番活動的な季節、「風薫る風」等とも云われ、若葉が目にしみるようになる。
 古来から歌にもしばしば登場する「杜鵑ホトトギス」、この鳥いわくのある鳥らしく中国蜀の王が、国を離れて諸国をさまよい続け、やがて其の魂が鳥になったと云う伝説の鳥、それがホトトギス。
 日本でも古くから夏を告げる鳥として珍重されてきたし、多くの里山に飛来して夏を告げる使者、この鳥渡り鳥であり中国から渡ってくるらしく、逸話をもってやってきた鳥。
 ホトトギス、漢字では色々な書き方をされているが、伝説の鳥は(不如帰)と書くらしく、蜀の王がさまよい続け今だ帰らずとのたとえらしく、字もそれに当てはめて書くと言う。

 その他、杜鵑、不如帰、時鳥、など色々な書SANY6356.JPGき方をし、その背景により字が変わるらしいが、現在はあまり気にしなくなり、季節感も薄れ、またホトトギスじたい知らない人が多くなった。
 「卯の花の匂う垣根に、ホトトギス早やも来鳴きて、忍び音もらす、夏は来ぬ」 と歌に歌われているが如く、初夏の代名詞「卯の花とホトトギス」。
 しかし、現在卯の花垣根を見る事はあまり無くなり、卯の花自体見た事が無い人も多いのでは、歌に歌われた「花も鳥も」見た事が無い人ばかりになってしまった様だ。
 歌は知っていても、ホトトギスがどんな鳥か、卯の花がどんな花か忘れられ、日本の風情もまた無くなりつつある様で嘆かわしいが、以前はホトトギスの鳴き声を、「特許許可局」とか「テッペンカケタカ」と鳴くように聞こえると教えたものだが。
 今は、その鳴き声も聞けなくなったから、如何説明していいか分からないが、昔の人はウマく鳴き声を伝えたものだと感心するが、今の人に「特許許可局」と言っても知らないだろう。
 「卯の花垣」、「ホトトギス」、今に忘れ去られるよう、写真は卯の花、このところ日本の気候風土が段々と変わってきている事の現われでもあるようだ。 




posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年04月07日

今年も

   早く出さないと

SANY6363.JPG 瀬戸の雛巡りが終わり、いま後片づけに忙しい毎日だがもう4月に入っているので5月飾りを出さなければ。
 何時もの事だが自分の所の節句は後回し、雛巡りの後片付けが終わらないと5月飾りは出せない事になっている。
 自分の家のものは何時も後回しと妻にも言われているが、確かにその通りで自分の家の人形は中々出せないでいるのが現実。
 そんな事でいつも批判が集中、今年こそは言われる前に出さなくてはと、保管場所から取り出してみた。
 この5月飾り、親父のものだと思っていたら実は爺さんのもの、親父の物より古いものである事が分かった。

 勿論兄弟も見た事がなく、お袋が無くなった後整理していたSANY6390.JPG時に発見したもの、私も実は見るのが初めてであった。
 以前にも親父の5月飾りとして説明したが、兄弟からも違うのではと、確かに言われてみればそれよりも古いもの。
 家に持ち帰った時には親父のものとばかり思っていたので、それより古いとは気が付かなかったが指摘されて事実が判明。
 鎧櫃の内側に書いてある文字を読んでみると、確かに親父の生まれた前、やっぱりこれは爺さんのものだと理解できた。
 長い間日の目を見ることなく物置に寝ていたから、鎧櫃の程度は余り良くないが今まで手入れしていないので仕方がない。
 去年出した時にも気が付いていたが、部品が取れていたので付けようと思い何処のものか探したが分からず仕舞い。SANY6379.JPG

 今年はジックリと何処の部品か探してみたら兜の飾りである事が判明、接着剤で元の位置に付け直し、飾る事にした。
 去年飾っているものを見て友人が、「これってそんなに古いものなのか」と言って疑っていたが、「櫃の中に書いてある文字で分かるのだ」と言ってやった。
 しかし実際には今年確認したもので、友人にはそれを言っていないが彼はそもそも信用していないのだ。
 私が説明すると彼は何時も疑ってかかる癖、今更始まった事ではなく昔からの事だが、それにしても爺さんの物とは驚き。
 当時としては大したものだと思うのは、家紋入りの5月飾りを子供のために作ったとは驚きであると同時に大切にしなければと思う。


posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年04月06日

田舎蕎麦

      田舎蕎麦はここ

 木曽路SANY2861.JPG妻籠宿との付き合いは長い、高校生の頃此処を訪れてからいっぺんで気に入り、その後現在までに何回訪れた事か回数等数えていないが、何百回は来ている。
 まだ妻籠宿が整備されていない頃、友達とぶらりと訪れたのが初め、その頃の妻籠は時代から取り残されたような雰囲気を持っていたし、又事実取り残されていた。
 勿論観光客なぞ合う事も無く、山里のひなびた田舎町であり、行き交う人もなくひっそりとしていたし、たまに人に会えば「何しに来たのか」怪しげな奴ではないかと目を向けられたものだ。
 その当時は生活観が一杯の山里で、何処の家も観光ズレしていなくて、素朴な人々でもあったが、その後観光の波に乗っかりスッカリ観光客ズレして変わってしまった。
 あの頃の方が余程妻籠宿らしかったが、時代のには逆らえず、映画のセットみたSANY0954.JPGいになってしまい、電信柱はなくなり、人々は変わり、雰囲気も変わってしまった。
 当たり前の事ではあるが、「この場所だけは昔の間々までいて欲しかった」と思うのはエゴかもしれないが、それでも妻籠宿だけはそうしていて欲しかった。

 そんな妻籠宿の中ほどに蕎麦処があり、此処へは蕎麦を食べにどれだけ通った事か、特に五平餅は美味しくて、胡桃と味噌の具合がよく、蕎麦を食べると同時に五平餅も食べないと、何だか食べた気がしなく一緒に食べるのが通例で、それも三本と決めているが、友人は蕎麦を余分に頼むのが、これまた通例であった。
  以前の店は昔の佇まいをした造りで昔ままであったが、その後改築がなされてしまい雰囲気が少し変わってしまったのは残念である。
 この蕎麦処、40年も通い続けている店、松本の帰りにも絶対、此処の蕎麦を食べてからでないと家に帰らない主義、特に友人は此処の田舎風の蕎麦がお気に入りである。

 
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年04月05日

おぼろつきよ

   今年は変

SANY6349.JPG 例年なら桜がまだ満開では無い頃、しかし今年は近年になく早く、あっという間に過ぎて行きそう、やっぱり変だ。
 特に今年は暑くて、そして日照りが、近年の現象であるとも言えるが、それにしてもおかしな天気、もう初夏みたいな気候。
 4月初めだと言うのに6月並みの気候だと言う、近年にない状態であるらしく、このままどうなってしまうのか。
 幾ら温暖化の影響でもおかしい、このまま夏になってしまうのかと、そんな風に感じてしまうのは私だけか。
 それにしても春はあっという間に駆け抜けて行った感、何時もであればまだ菜の花も咲いており、桜も満開ではないのに。

 日本の風景の中でも菜の花と桜、この2つが咲き誇る風景SANY6280.JPGは我々日本人には実にしっくりと来る心の風景だと思う。
 日本には四季があり、それぞれに良い所があるがやはり春は木が芽吹き、花が咲き、色とりどりの景色が体感できる時期でもある。
 寒い冬が過ぎ、暖かな春、その四季を日本人は共に味わって来たものだが、ここへ来て四季の境目が分からなくなってしまった。
 例年であれば春霞がじっくりと味わえたものだが、今年はそれもなく夏が来そうな雰囲気、春は何処に消えてしまったのか。

 そう言えば今時はおぼろ月夜、少し遅いかも知れないが、春霞もおぼろ月夜も今は見ない、春と言えばおぼろ月夜。
 唱歌にうたわれたあのおぼろ月夜、日本の原風景で春にはぴったりの時期だが、あの歌もあまり聞かなくなったおぼろ月夜。
 小学校でも現在は教えないと聞く、何で教えないのかと聞けば、SANY6342.JPG現在の状態に合わないからだと言う、時代遅れだとも言うらしい。
 確かに歌詞は難しい所もあり、子供には分からないかも知れないところが、それを教えるのも教師の務めではないか。
 現在に当てはまらないから教えないとは、発展した都会だけが日本ではないと思う、日本全体から言えば田舎の方が広いし多い。
 日本の原風景を見事に歌っているおぼろ月夜、時代が違うから歌わせないとは少し意味が違うと思う、その様に思う我々が古いのか。
 古い、新しいではなく、抒情詩として教えて行く事が大切ではないかと思うのだが、良い歌は良いと思う。
 幾ら時代が変わっても良い歌は良い、日本の心とも言える原風景を子供達にも味わって欲しいものだと思う。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年04月04日

人気の秘密

    どちらが好きか

DSCN1834.JPG 古時計愛好家にとってどの時計が好きか、これは人それぞれであり、どの時計かは個人の好みによるものである。
 一口に言って古時計とは範囲が広すぎて特定できないもの、掛時計あり、置時計であり、腕時計であり、種類は多い。
 そして一つの種類に絞っても、その範囲はまだ広く、これまた特定の機種に当たらず、もっと細かな範囲に絞られ、やはり難しいものだ。
 古時計を知らない人は、時計といえばあの八角の掛時計をすぐに思うが、古時計の種類は前にも述べたように範囲は広く、八角型だけではない。
 古時計愛好家の中、一番の人気のある時計は達磨型時計、とくに掛時計好きな人達にとってはこの時計が一番という。
 なぜか昔から日本人は達磨型時計に吸い寄せられるのか、不思議でならないが、何故かしら達磨型を好む、多くの人が支持するのだ。SANY2170.JPG

 数ある時計の種類の中達磨型時計が好かれ、昔から支持されて来たようで、現在でも絶大な人気を保っている時計である。
 この時計には人を引き付ける何かを持っているようで、年齢、性別に拘らず、この達磨型時計が好きなようであるのだ。
 では何故この達磨型の時計が好まれるのか、その秘密をさぐって見ようと思うが、果たしてそれが真実かはわからないと思う。
 しかし少なくとも支持されるには、それだけの理由が存在し、その上に立って人々が好む理由が存在し、支持されるのだと思う。
 この達磨型時計には、それぞれに種類が存在しており、四つSANY4834.JPG丸型本達磨と呼ばれるもの、張り四つ達磨と呼ばれるもの、そして姫達磨と呼ばれるものとがある。
 それぞれに支持者が存在し、特に姫達磨の人気は高く、他の四つ丸達磨とは別格の人気、日本人の小型のものを好む性格なのか。
 何故四つ丸達磨が好かれるのかは、あの丸い枠の集合体にあると思われ、四角張った時計よりも柔らかな曲線が人々を引きつけると思われる。
 絶妙なバランスで製造された四つ丸達磨時計、曲線の繋がりが絶妙、心地良い大小の円、このバランスが人々に好かれる由縁であると思われる。







posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年04月03日

人間国宝作

      要らないか
SANY4549.JPG
 友人が鉄瓶はいらないかと突然言い出したので、何故今鉄瓶なのかと聞く、話せば長いことなるからと友人、要は「女房の実家にあった物を貰って来た」と言うのだ。
 何でも彼の奥さんの実家はお茶の先生らしく、色々なお茶道具があるらしく、そろそろ義母も歳だし今の内に茶道具も分配しなくてはと言う事で、実家から貰い受けてきたらしい。
 友人も奥さんもお茶ま嗜みもなく、陶器類に関心もないとの事、まして鉄瓶等全く興味もなく邪魔なものになるだけの事、要らないから我家に持って来たとの事だが。
 奥さんは実家の母がこの鉄瓶は人間国宝が造ったものと言われて来たらしいが、その人間国宝が誰であるかも知らないとの事だ。
 勿論箱に入っていれば作者名が分かるのだが、鉄瓶本体だけでは分からないので、人間国宝が造ったものだから大切にしなさいと。

 友人の奥さんも人間国宝の鉄瓶であるが興味もなければ使いたいとも思わず、持って行けと言われたから貰ってきただけらしい。
 友人、「人間国宝なら探せば直ぐに分かるだろう」と思い、私の所に持ち込んできたらしく、そして人間国宝の作なら貰い手もあるだろうと持ってきたと云う。SANY4560.JPG
 鉄瓶を見て見ると使った形跡はあるが、殆ど使われずにしまってあったようで、所々に少しさびが出ている状態、鉄瓶の中は錆びはなく綺麗だ。
 鉄瓶の注ぎ口近くに正寿堂の文字を発見、これは山形の鋳物師高橋敬典の工房、高橋敬典本人の作ではないと思われる。
 何故かと言えば高橋敬典の作品は我家にもあるが、彼が作った作品には敬典の銘が入っており、正寿堂は量産品につける銘だと思う。
 確かに人間国宝の工房で製造されているものだが、高橋敬典自らの作品ではなく、市販されているものに違いなく、価値的にはそんなにあるものではないと友人に告げる。
 すると友人、「ここにおいて行くからお前が使え」と言う、とんでもない我家にも鉄瓶はあるから、そんなに多く鉄瓶ばかりあっても使いきれないから要らないと言う。
 しかし友人も、「家では誰も興味がないから要らない、処分してくれ」と言うばかり、仕方なく鉄瓶は我家に居座る事になってしまい物置の中に実に迷惑な話だ。

 
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年04月02日

千利休

      志野の焼き物

SANY6326.JPG 私が小さい頃から、我が家の床の間に鎮座していた焼き物、何でこんな床の間に古臭い焼き物が置いてあるのか不思議で、よく見たものだが誰であるか全く知らなかった。
 その後、何処に消えたのか分からなかったが、お袋が引っ越す時に何処ともなく現れ、チャッカリと荷物になって引越しのトラックに、引越し先で又も何処かに消えうせた。
 それから、この焼き物の事等スッカリ忘れてしまったが、私が新築をした家に移るさい、又もどこからともなく表れて私の家に、何だか知らないがどうして着いて来るのか不思議であった。
 我が家に引っ越してきたからはダンボウルの中でひっそりと姿を隠していたが、子供が結婚する事になり、再び荷物を整理していたら、マタマタ現れた。

 そんな因縁でこの焼き物は我が家の床の間に鎮座する事に、現在では時ある毎に出しているが、不SANY6330.JPG思議でならないのは引っ越すたびに現れてくるからである。
 余程我が家に来たくて着いて来たかのようで、其れ以来我が家の一員となり、床の間に居ついてしまったようであるが、この人物誰だか分からなかった。
 てっきり松尾芭蕉とばかり思ったいたら、友人が「何で利休が此処に居るのか」と云われ、初めて利休と分かり常時出しておく事には抵抗があり、かたずけたのである。
 この焼き物、尾張瀬戸で幕末頃に作られたもの、志野焼きで出来の良い作品、てびねりで上手く雰囲気を出している傑作、作者名は無いが素晴らしい焼き物である。
 父親が大事にしていた事が、今になってやっと分かったような気がしてきたが、何処がどうだと言うことは無く、焼き物に対する感覚が少し分かって来たのかも知れない。








posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アンティーク

2018年04月01日

四月馬鹿

   エイプリルフール

 SANY6314.JPG4月1日はエイプリルフール、日本では4月馬鹿と言われている日、嘘をついても良い日として知られている。
 何でもその嘘をつくのは午前中であるとの事、世界中でこの日嘘がはびこる日とされているとも言われている。
 勿論、他愛もない嘘であることだが、中にはとんでもない嘘をついて問題となった例も数多いと聞く、騙して良い日でも度が過ぎては困ったものだ。
 このエイプリルフール、色々な説があるようでフランスが発祥であるとか、聖書から来ているとか、インドが発祥であるとかいろいろ。
 1564年、フランスの国王シャルル9世がそれまで4月1日が新年とされていたのを1月1日を新年としたことに始まると言われている。
 民衆がそれに反発して、4月1日を嘘の新年としてバカ騒ぎをしたのが始まりと言われており、それが広まったものらしい。

 またインド節では僧侶が春分の日から1週間座禅をするが、その明けの日が4月1日であり、直ぐに迷いの境地に戻ってしまうことから、嘘の日と言われるようになったとか。
 色々な説が存在している様だがSANY6322.JPG、この日は嘘をついても良いと言われ、大なり小なりの嘘をついて人を驚かした。
 日本に入って来たのは大正時代であると言われ、嘘の日としてこの日は嘘をついても良い日として広まったとの事だ。
 このエイプリルフール、過去にはとんでもない嘘があったようで、大統領が暗殺されたとか、世界で戦争がはじまったとか、とんでもない嘘が流行したとか。
 幾ら四月馬鹿であっても度が過ぎれば事件にと発展しかねない事もあるが、それに近い事もあったようだ。
 現在では友達同士での軽い嘘がまかり通っている様だが、騙される人もちょくちょくあって楽しい日となれば良い。
 そお云えばお隣の何処かの国がとんでもない嘘をついて問題となった事を思い出すが、国が悪ふざけですると国際問題にもなりかねない。
 幾ら四月馬鹿の日であっても、悪ふざけで人を騙しては後味が良くないもの、ほどほどの嘘で過ごした方が無難ではないだろうか。
 中々日本人はジョークに乏しい民族と言われているから、この日くらいは軽いジョークでも飛ばしてみたら。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年03月31日

FMラジオ放送

   担当して8年

 SANY6294.JPG地元のラジオを担当してから早8年が経つ、月日の流れるのは早いものであっと言う間であった。
 はじめは何から話したら良いのかと緊張しずめで、自分の話したことも分からない始末であったことを覚えている。
 あれから8年も過ぎてしまい、現在では放送時まで何を話すのかも決めていない状態、早い話がぶっつけ本番の状態。
 放送が始まってから頭に浮かんで来たことを話すだけの事、面白い時もあればドタバタで意味の分からない時もある。
 そんな状態でよくも8年も続けられたものだと、自分なりに関心するやら、あきれるやらと色々な思いでもある。
 台本があり決められたセリフを言うのは大の苦手、苦手と言うよりは出来ないと言った方が良い。
SANY6300.JPG
 全くの台本がない方が気楽にしゃべれ、上手く進む場合の方が多く、へたに台本を用意すればトチッテ上手く行かない。
 だから今ではぶっつけ本番、何が飛び出すやら本人も分からない状態、それで生放送が進む。
 番組の名称は「アンティークの魅力」、8年間取り上げて来たものは数知れず、私のコレクションが主な話題。
 自分の経験談が主、だからほとんど台本はなく相方のアナウンサーは大したもの、ベテランが2人。
 こちら側が何を持ち出すか分からないのに平然としたもの、さすがプロのアナウンサーである。
 何時もの事であるが私がアドリブで相手にふっても、そこはプロ平然と受け答えをしてくれる。SANY6303.JPG
 勿論気心も知れているからこそ成り立つ事であるが、流石はプロだと感心すると同時に度胸も大したもの。

 素人相手にやりにくいだろうが、そんな態度は全くなく、順調に番組は進んで行くのだ。
 今回の話題はウイスキーボトル、私の趣味の一つで陶器のボトル、勿論瀬戸製の磁器のボトルだ。
 海外で買い込んで来たもの、外国製と思っていたが何と瀬戸で製造されたボトルとは、開いた口がふさがらない位にビックリ。
 そんな他愛もない話を生番組で紹介、全くの台本なしのアドリブだらけ、それでも上手くまとめてくれるのもプロのアナウンサー。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年03月30日

固有種

       日本の春

 SANY6259.JPG桜前線が日本列島を北に上がって行く、毎年春便りでもあるが今年は少し早いようで、冬に雪が多いときは桜の花も早くなりがち、北海道まで行くには五月前だろうか。
 今我々が見ている桜、日本全国同じ桜が多く分布しているが、実は殆どが人間の手で植えられたものが多いのであり、元々自生していたものは少ない。
 幕末に江戸で発見され、明治に品種改良された「染井吉野」と云う桜、今日本全国に分布しているが、人間の手で植えられ広がったものであり、人工交配の桜が殆どであると言う。
 桜と言えば日本特有の植物と思ってしまうが、原産地はどうもヒマラヤの地であると聞いてビックリ、日本の花だと信じていた人は多いと思うが、実際は世界の温帯地域に広く分布しているとの事。

 これも驚き、日本固有の木だと思っていた者にとって、ヒマラヤが原産と云われ世界に広く分布していると、これまた驚きでもあると同時にガッカリもした。
 勿論、日本にも固有種は存在しているが10種類と言われ、そんなに多くないもので他の桜が世界に分布しているらしいのだ。
 「だって桜は日本特有の木」であると信じていたから、その桜古くから歌に詠まれているのであるが、梅と二分していたらしい。SANY6290.JPG
 今春の花と言えばさくらと直ぐに出て来るが、昔は梅と出て来るのが普通らしく、色々に歌に詠まれているとは驚きでもある。
 勿論、梅もまた中国よりの渡来、日本古来のものと思っていたが、知ってしまうとなんだか変な感じにもなるのだが。

 「ひさかたの、光のどけき春の日に、しづ心なく、花が散るらむ」と詠んだのは、あの人
紀貫之である。
 ここに歌われた花はもちろん「さくら」、春の日桜の花が散って行くさまを詠んだ有名な句であるが、この桜、今の染井吉野ではもちろん無く、自生している「山桜の花」を歌ったものであり、桜と言えば「山桜」であった。
 古くから日本人に愛されてきた桜、それは素朴な薄い色したやまざくらの自然種で、現在我々が見て楽しんでいる桜とは違うものである。
 勿論染井吉野の花とは少し違い、花の数も少なく色も勿論違ったもの、時代と共に桜の花も進化し、現在見ている桜も将来は違ったものになるかも知れない。



 
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年03月29日

整理する

   身の回りの物

SANY6243.JPG 最近ものが多くなり過ぎて整理して欲しいと妻、確かに身の回りを見てみると物が多過ぎる事に気が付く。
 知らず知らずにものが増え、段々と部屋が狭く感じては居たがそのままの状態であったが、しかし取材となると大慌てで整理する羽目に。
 そんな時、何でこんなに物が多いのかと自分でもおもうが、その時は一瞬思うだけの事で整理しない。
 取材が終われば元の所に返って来る事に、それを可笑しいとも思わずに今日まで来ているが、言われてみれば確かにその通りだ。
 やっぱり物が多過ぎ、しかしどれから手を付けて良いものか思い付かず、そのままにしてあったのだ。
 仕方なしに整理に入ったが手が直ぐに止まり、それは段ボールをあけて見たらマッチの山、旅先で貰った来たものが沢山詰まっていた。
SANY6252.JPG
 私は旅に出たついでに若い頃より訪れた処のマッチを貰う事にしており、その都度マッチを持って帰って来る。
 勿論、タバコを吸うために使用する事もあるが、気に入ったマッチは大切に持ち帰り、段ボール箱に入る事になる。
それが溜まりに溜まり段ボール箱2、3個になっていたもの、整理しようと蓋をあけて見ると、懐かしいものが出てきた。
 特に気に入ったものは整理して別にしてあったから、その蓋を開けてしまったのでツイツイ見入ってしまう。
 今まで行った中でも特に気に入って居るところのマッチ、そこのマッチは手の込んだものだから思い出も特に多い。

 島根の八雲本陣、ここも雰囲気が良い所で何度か訪問し、SANY6254.JPG名物料理を楽しんだ所だからマッチも大切にしてある。
 その隣の御花、ここも何度か泊まった所、立花家の屋敷、今では泊まれない部屋で何度か寝た事を思い出す。
 松本のまるもは今でも年に何回となく訪れるところ、昔と変わらない事も有難い、そして会津の蔵のマッチも思いで多きところだ、
 だから整理しようと思い立っても、このマッチが出て来たからツイツイ手が止まり、整理は二の次となってしまった。
 マッチを手にしていると当時の事が思い出され、やっぱり此処にまた行こうと思いを馳せてしまうのだ。
 これでは整理するどころか思い出に耽ってしまい、整理どころではなく、何時行くのかと空想するだけの事。



posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年03月28日

やさしい

      名人なのに

 SANY0378.JPGけし界の重鎮小椋久太郎、東北を代表する、いや日本を代表するこけしつくりの名人、彼が作ったこけしは何処と無く素朴であり、可愛らしい。
 少年の頃より父、久四郎に付き修業、15、6歳で既に父と同じ様なこけしを作ったとされている人物、さぞかし凄いこけしと思いきや、見てビックリ、そんなに凄い人が作ったものに見えない。
 前垂れと呼ばれている、胴体中央の模様、少し右肩上がりで一見すると、本当に名人が作ったものなのかと、疑いを持つような線であり、花が描かれているが、これも又自分でも書けそうな絵。

 名人が作ったこけしだから、引かれた線もさぞかし真似が出来無いくらいに凄い線と思いきや、曲がった所もあるような線、これが名人の引く線かと疑う。
 其れでいて全体に見渡せば、キッチリと引かれた線よりも、少しくらい曲がった線のほうが柔らか味が出ていることに気がつき、真っ直ぐに引かれた線SANY6711.JPGではこの柔らかさは出ない。
 顔もまた、胴体と同じで目や口も線が少しずれているようにも思うが、其れでいてバランスが取れており、何でかしらないが絶妙なバランスと思えてくる。
 かりに、真っ直ぐな線ばかりで、花の絵もキッチリと描かれたとすれば、何の楽しみも無い機械が作ったものと同じ、ゆとりも無く只硬いだけではないかと思われる。
 名人とは、そんな絶妙な筆使いが出来るからこそ、自分の癖右肩上がりの描かれた線、これを修正することなく終生同じ描き方に徹していた久太郎。
 名人とは、やはり常人には出来ないものを持っている人物、線が曲がっていても、目が少し違っていても、出来上がったものは、人の心をひきつける物に仕上がっている。
 普通の職人には出来ない仕事だと思うし、それを味わいとして吹き込む力量があればこそ出来る事ではないだろうか、やっぱり名人は名人だと思うが。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年03月27日

習慣

   毎朝の習慣

 SANY6039.JPG若い時からコーヒーが好きで朝は必ず飲むことにし、自分でコーヒーを入れていたもの、それも良く出したコーヒーを飲んでいた。
 今考えると何であんなに濃いものを飲んでいたのか分からないが、兎に角苦いものを飲んでいたと思う。
 コーヒーとは苦いものと思っていたから、それが可笑しいとも思わなかったもので兎に角苦いものをと好んで飲んだ。
 その頃はサイホン式のものを利用しており、アルコールランプで火をつけ、一人分を入れては飲んでいたが、面倒なので3杯分をつくり分けては飲んでいた。
 だから苦いものがコーヒーと思っていたから、出したコーヒーを温めなおしてまた飲むと言うもの、当然香りは飛んでいる。
 しかし苦いのが当たり前と思っているから気にせず、毎度温めて飲むと言う事の繰り返し、今思っても滑稽だ。SANY6160.JPG

 そんな時、あるコーヒー店で仲良くなった人に「サイホンよりもドリップの方が美味しい」と言われ、ドリップに替えようと思い立つ。
 すぐに実行に移しドリップ式の道具を仕入れ、実践してみるが美味しいコーヒーどころか、全くまずいものしか出ない。
 何処がドリップは美味しいのか、自分であきれて人の言う事を真面に聴くからこうなると、後悔もした事を覚えている。
 その後、友人が喫茶店のマスターをし紹介してくれ、彼にドリップ式の取れ方を教えて貰う事に、彼の店で毎回研究をして覚えたものだ。
 実践では兎に角温度が大事と教えてもらい、ゆっくりとお湯を入れる事を覚えろと、豆の挽き方も丁度良い程度になるように教えて貰った。
SANY6165.JPG
 しかし現実は甘くなく、何度入れても同じ味は出ず、苦かったり、渋かったりと、一定の味にならず四苦八苦。
 ドリップの器具もその都度変え、はじめは陶器のものを使用、布でこすと言う方法をとっていたが洗うのが面倒になり、布をやめ紙のフィルターの変えてしまい面倒な事もやめてしまったのだ。
 その為に30数年経っても未だに一定の味が出ず、マスターからは落ちこぼれだと厳しい意見、それでも現在も進行中である。
 やっぱりコーヒーの入れ方は難しいもの、何時まで経っても素人のまま、何時になったらプロ級になるのやら。
続きを読む
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年03月26日

春休み

   宿題の仕上げ

SANY6150.JPG 我が家の孫が宿題で造った飾り棚を仕上げに塗装したいと言い出し、何色に塗るのか興味が出てきた。
 もともと小さい頃よりつくる事の好きな子、色々なものを今までにつくって来たがこれは今までで一番大きなもの。
 上級生になってからはつくるものも違って、工夫のいるものが増えたように思うが、本人はそんな事に気付いていない。
 学校では上級生になればなるほど考えて造らないと、そんな事も宿題の一つかもしれないが楽しく造らなければ意味はないと思う。
 ものつくりは楽しくないと、そんな事で小さい頃から成り行き任せで見て来たがやはり高学年になるとつくるものも違う。

  毎年夏休みになると宿題でつくるものが問題となり、何をつくるのか何時も迷ってつくるのが遅くなってしまう。
 あれも造りたい、これも造りたいと本人は試行錯誤、しかし自分で作れる範囲は知れているが本人の自覚がないのだ。SANY6152.JPG
 造りたいけど自分の力ではどうしようもなく、ただ頭で考えているだけで実際に造るとなると四苦八苦したものだ。
 実力以上のものを造ろうと奮闘するも、中々完成せずに本人もイライラが募り、途中で投げ出すこともあったが、そこはつくる事が好きみたいで四苦八苦して完成させた。
 その度に私に相談して来たもので、どうして造ったら良いのかと何度も、その都度相談に乗ってきた。

 よく聞く話が最後は親が造り上げると言う事もあると言うが、それでは本人の為にならないと孫が挫折しても自分で造らせて来たのだ。
 多少見栄えが悪くても、出来上がりがまずくても、それはそれで良いと思う、本人の実力であるから。
 今回の造り物は飾り棚と言う、自分の感覚で設計してと言うのだから面白いもの、多少釘SANY6145.JPGが出ている所もあるがこれが実力。
 変にうまく隠さない方が良いと、そのままの状態で完成させたもの、よく見ると板が割れて居るのだ。
 紙やすりで全体を磨き上げるように教えると、せっせと紙やすりで飾り棚を磨きだし、手がだるくなるまで磨いていた。
 その後、全体を白く塗ると言うので、スプレー式の塗料を薦め自分で塗りはじめたが上手く塗れないようだ。
 それでも頑張って吹き付け、次第に全体が上手く吹き付けられようになり、やっと完成した。




posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記