2018年10月11日

縁は異なもの2

      縁は向うから

 あらかわと.jpg忘れない思い出は私がまだ若い頃、たまたま陶芸家人間国宝の荒川豊蔵氏に会うことが出来、非常に興味深いお話を聞かせて貰ったが、これも偶然のなせる事であった。
 確か昭和59年の11月頃だと思うが、豊蔵記念館が出来たと聞き大萱に出向いて、記念館を見学していた時、管理人さんとおぼしき人に声を掛けられた。
 「焼き物は好きですか」と、私が「隋縁」と名付けられた茶碗の前から動かなかったので声を掛けられたと思うが、確かにこの茶碗に興味が湧いていたのでじっくりと見ていた。
 館内は寒い日で私1人だけ、そんな状態の中、茶碗隋縁の前から動かなかったから不審に思われたのか、私が興味を持っていることが分かり、その人は展示してある扉を開け、「持ってみたら良いですよ」と言われビックリ。

 此方が恐る恐る手を出すと「さあーどうぞ」と私の手の中に茶碗隋縁が納まったのだ、こんな事あるのかと思い、そして本当に良いのかと思いつつ、何ともいえない気持ちで拝見した。
 すると、その人は親父が居るから話を聞けばと言われる、何が何だか分からずによろしくと答えロビーに行くと、豊蔵氏が座っておられた。
SANY3161.JPG これには再びビックリ、その後豊蔵氏から隋縁の経緯や「縁(えにし)」についてお話が聞け、最後に「縁とは向うからやってくるもの、此方が追っかけても逃げてしまうもの」と云われた言葉が胸に響いた。
 豊蔵氏が帰られた後、その管理人さんと再び展示室に行き、残りの物もじっくりと拝見して、管理人さんに「如何して見せて頂けたのか」と聞いた見た。
 すると、「普段は絶対に見せないものですが、あなたが熱心だったのでツイツイ」と云われ、そして、その人が豊蔵氏の息子さんの武夫氏と分かり、またまたビックリ。

 「縁(えにし)とは、豊蔵氏の言われる通り、向うからやって来るもの」と実感した事を忘れない。
 こんな事もあるんだと自分自身で信じられなかった出来事であるが、やっぱり「えにし」は向うからやって来るものだと痛感した。
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2018年10月10日

すずめのお宿2

      やっぱり帰って来た

あすす.jpg 最近すずめの姿がメッキリと減ったようだが、その原因はわたし達に問題があるらしく、自分たちでは気が付かないだけと言う、昔はすずめが多すぎて困った事もあった。
 しかし、現在は以前の3分の1にまで激減してしまったようで、その1つの要因が我々の家に問題があるらしく、現代住宅は機密性が優れており、隙間が無いらしい。
 昔の家屋は隙間が多くて、すずめは自由に巣を家に作れたが、今は隙間無く建てられており、すずめの巣を作る場所がないらしく、繁殖できないらしい。
 住宅事情が良くなっだいで、今度はすずめが住めない時代になったとは、考えても見なかったことだが、現実は急速にすずめが減少しているらしい。
 そしてもう1つの原因はカラス、今都会ではカラスの被害が多く、困っている住民も多いが、すずめもカラスが天敵らしく、体の小さなすずめはカラスに追いやられているらしい。

 いまやすずめの住宅事情は最悪、其れこそ何処をねぐらとするのか死活問題、あれだけ居たすずめが将来見られなくなる事もあるらしく、専門化が警鐘を鳴らしている。あす.jpg
 そんな都市のすずめたちが見つけたねぐら、車が頻繁に行き交う町のど真ん中、夕暮れともなると、何処からともなくすずめが寄って来て、電線に鈴なり状態になる。
 その数は数えた事がないから分からないが、少なくとも3、4千羽いると思われ、街路樹と公園の桜の木を住みかとして、あちらこちらからよってくる。
 こんな場所でしか住みかとしなければならなくなったすずめ、原因が我々にあるとしたら、複雑な思いになるが、此処でしか住みかがないのも、雀たちの現実だ。
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2018年10月09日

ペコちゃん3

    色々な姿が 

DSCN1289.JPG ペコちゃんと言えば黄色のTシャツにオーバオールのズボン、これが定番のスタイルとしか知らない人、しかしペコちゃんはこれだけではないのだ。
 一般的にはあの黄色のTシャツとズボン、不二家の店頭で客を待ち受けているが、このペコちゃん色々なスタイルに変身している。
 そもそもペコちゃんは6才の女の子、身長1メートル、体重15キロと決まっているのだが、実際に店頭にあるものは少し小さい。
 ペコちゃんが生まれたのはミルキー発売時に、そのキャラクターとして誕生し、1950年、昭和25年だと言う。
 面白い事に当初は紙の張り子で造られていたと言う事だが、これが店頭に置かれており、子供たちがさわったり、頭を叩いたりしていた。

 その為に紙であるが故に痛んでしまったと言い、その都度紙を張って修理していたらしく、次第に顔が変化して行ったと言う。DSCN1290.JPG
 当然の事で張り子である事から、顔が変化することになり、紙からプラスチックに変わって行ったと言う事だ。
 まさか紙の張り子であったとは知らなかったが、昭和25年と言えばまだまだ物資の乏しい頃、時代背景が見えて興味深い。
 張り子のペコちゃんが店頭にあったとは、今では信じられない事、そしてそれを修理して使っていたとは。
 このペコちゃん、男の子のぽこちゃんも存在しており、ぽこちゃんは1951年誕生したと言う事だ。
 1年遅れでペコちゃん、ほこちゃんか揃ったことになるが、この二人永遠に6歳のままである事。

 そして定番以外にも色々なスタイルが出されている事、時代の流れに応じて、色々のデザインの服を着ているらしい。
 DSCN1292.JPGあのミッチーブームの頃はテニススタイルであった由、また南極観測隊と共に昭和基地に赴いたらしい。
 越冬隊員から頭をなぜられていたとは驚きでもあるが、一企業物のペコちゃんが南極まで着いて行ったとは面白い事。
 私の記憶では定番の姿とクリスマスのサンタクロースのスタイルしか記憶に無いが、其れだけではないようだ。
 今回紹介するペコちゃんは店頭用に置かれていたもの、夏姿のペコちゃんであり、昭和40年代のものか、それともそれ以前のものか。
 店頭用のペコちゃんの身長は台含めて97センチと言う事らしく、1メートルとうたわれている身長よりもすこし小さく、可愛らしいワンピース姿のペコちゃん、赤い靴を履いた姿が印象的。








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2018年10月08日

何故かしら好き

    フランス枕 
DSCN0353.JPG

 初めてフランス枕を見た時から、何故かしらこの時計に興味を覚え、以来興味とも、憧れとも言えるもので、この時計を蒐集する事になるのだ。
 自分でも分からないが、フランス枕をみてから機械構造の良さに惹かれたのかも知れないが、その後次々とフランス枕を買い込む事になる。
 当時はフランス枕は高価な時計の部類であり、おいそれとは買えなかったから、小遣いをコツコツと貯め、たまればフランス枕を買う事に。 一時期20個を越していたこの時計、現在では少し少なくなってしまったが、それでも15個は残っているから、やっぱり好きな時計だ。
 何処が好きかと言われれば機械と答えるが、それだけの魅力だけなく、全体の雰囲気も心惹かれる。
 この時計の良いところは手が抜かれていない事、真鍮を素材に、カットガラスを用いる処、洗練されたデザイン。
 一つ一つ取り上げて行くならば数が多くて、色々と述べる事になり、時間が幾らあっても足りないのではないだろうか。
 そんな魅力のフランス枕時計、細部的に見て行くと面白い事に気が付き、フランスと言う国の気質が見えて来るような、そんな思いにもなる時計。
 何処となくフランスらしさを感じ、ドイツ物とは少し違い、アメリカ物とも違う、それが何処だと聞かれれば、センスとしか言えないのだ。

 例えば琺瑯の文字盤一つとってみても、ドイツ物の頑丈さとは違うものを感じ、アメリカ物の合理的なものとは違い、やはDSCN0356.JPGりセンス。
 今回のフランス枕もその一つ、文字盤の丸と形とそれを取り巻く真鍮の板、その板に細かく刻まれた刻みが何とも言えない魅力。
 アメリカ物ではこの様なデザインをしないので、其処はフランス人のセンスの良さか、細かな刻みがこの時計をワンクラス上の時計に押し上げている。
 文字盤に書かれた数字にも、同じように見えて何処となく違う何かが、そんな風に感じてしまうのもフランス枕だから。
 やはり同じ形をしていても、少しの違いで全体が変わったものに見えるのは、見えない所にも気を使っているフランス人の手法か。
 それを何だと言えばセンスとしか表現できないもの、私だけの感じ方かも知れないが、やっぱり違うと思えて来るから不思議。
 そんな目でフランス枕時計を見て、他の人はどの様に映るのか、それも知りたいと思うが、私だけの思い込みかも知れない。
 しかしフランス枕が好きな事には変わりなく、だからこそ多くの数を買い込んでしまったのだと、今はその様に思っている。
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2018年10月07日

大典記念

      織部焼です

 SANY2436.JPGペーパーウェート、何の事やらと思う方も居るかもしれないが、早い話重しであり、風などで飛ばないように書類や手紙等の軽い物に、重しとして置くもの。
 日本で言う文鎮みたいな物、西洋では古から使われてきたようだが、日本では明治に入ってから使われるようになった物、一般庶民にはまだ後の事。
 このペーパーウェート、色々な形が作られており、コレクターも存在し、その人たちにとっては特別な物、そんなペパーウェート、ひょんな事から偶然手に入ったもの。
 その時はペパーウェートとは思わず、友人が持って行けと手渡してので、其のままポケットに仕舞い込み、家に帰ってから見ずに机の中にしまった。

 其れ以来20数年机の中、時計の部品を探している時に之を見つけ、初めは何でこのな物があるのかと疑問だったが、記憶がよみがえり、友人にもらった事を思い出した。
 そう言えば之を渡される時、友人が「瀬戸で作られたものだからお前の物だ」と言って渡してくれたのを思い出し、ペーパーウェートの裏を見ると、大典記念と刻印がある。

 SANY2434.JPGSANY2435.JPG大典記念とは、大正4年11月10日(1915年)大正天皇の即位式、その当時、記念として瀬戸で焼かれた織部焼のペーパーウェート、瀬戸のシンボルマーク、壷をかたどった物。
 綺麗な織部釉がかけられ、藤の花が2房描かれたシンプルな物、はじめ見たときには気にしなかったが、改めてよく見て見ると、磁器で作られた高級品だ。
 当時どれ位作られたものなのか、今となっては分からないが、作品を良く調べてみれば出来が良く、其れ相当の商品であったと思われる。
 裏には、瀬戸深川神社の重要文化財、狛犬の形をした印が押されており、御大典記念の文字が刻印されていて、大正時代の物であることが分かる。
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