2019年02月14日

インテリアとして

    それぞれの好み

 SANY4909.JPGアンティーク好きな人にとっては、自分の気に入ったものを他人に見てもらいたいと、インテリアとして扱っている。
 一方、他人には触られたくなく、自分一人のものとして扱っている人も、それぞれに好みの違いがある。  私は両方の人に友人を持っており、2人とも個性の塊みたいなもの、ある人に言わせれば利己的だとも言うが、それも個性だと思う。
 自分の好きな物は妥協しないと、強い信念の持ち主、それはそれで良いと思うし、だって人の趣味だから。 アンティークとは生活感のあるもの、昔は使われ生活の一部として活躍、だからこそ魅力があるのだと思う。
 単なる物ではなく、生き生きとして活躍して来たものにこそ、そのものであると思うが、受け取り方の違いで扱いも変わる事になる。
 しかし、その物自体は変わる事はないと、それを扱う人が変えてしまうので、それを扱い方で変わる。
 この二つの考え方を持つ者が出くわすと、面白い事が起こり出し、お互いの主張がぶつかり合う事になるのだ。
 別にバトルがはじまるわけではないが、その人の考え方を出し合うもので、各々に主張し合うが、そこはアンティークを愛する人SANY1105.JPG。 

アンティークが好きだから、お互いの気持ちを良く理解しており、ただ扱い価値の違いが、彼らの行動の違いに出ている。
 例えば蓄音機一つを例に挙げれば、本来の蓄音機そのものとして扱い、常にベストの状態を保ちたいと思っている人。
 その一方で、蓄音機をインテリアとして居間などに置き、家具と同じ扱いをしている人もまたいるのだ。 昔から使われて来たものには存在感があり、そこに置いてあるだけで魅力的なものとなるのだが、逆にあくまでも蓄音機だと言う人も。
 どちらにしても蓄音機としてだけに止まらず、インテリアとしても使えれば、もっと幅が広がる事になると思うが。
 蓄音機だけの事ではなく、時計にしても、ランプにしても、器にしても同じ事が言えるのではないだろうか。
 扱い方は違っても、アンティークの魅力は変わらず、楽しく付き合えたらもっと幅広く利用出来るのではないだろうか。










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2019年02月13日

押絵雛

      手作り感

 押絵雛とは元禄年間に生まれたものと云われ、元文4年(1733年)京都SANY2360.JPGで「花結錦絵合」と言う本が出版され、江戸にも広がり、その後少女衣装絵を細工の図にして売り出す。
 押絵の作り方を絵図にして分かりやすくし、自分でも出来るように解説した物が売り出される事により、これが評判となり全国に広まったと言われる。
 武家や町人、農民や商人の間でも流行したと言う、簡単に作れる事と其れを作り、内職として生活の足しにしたといわれている。
 商人たちがそれらを買い上げて販売、瞬く間に広がって行った様で、安価な雛人形として庶民に人気であったというが、古いものは余り残っていないようだ。
 押絵雛は全国に広まったようだが、現在作られているのは信州の松本、ここの押絵雛は天保年間(1830年〜)に江戸より伝わったものと云われている。
 当時は衣装人形とか衣装絵と呼ばれており、信州の地で独自に発達を遂げ、松本の押絵雛は分業化され、顔描き、顔張、胴張、下絵描き、台つくりなどの分業であった。SANY2368.JPG

 この様に別々で作られた部品を組み立てて、押絵雛を完成させるシステムが松本の押絵雛の特徴、特に顔描きは雛人形を作る上での重要なもの。
 顔絵描きが1番難しくて、この職人が幅を利かせていたとも言い、江戸よりの文化が伝わり、歌舞伎を題材にしたものや、当時流行ったものなどが作られた。
 全国的に広がった押絵雛、何故か松本だけに残ったのはどうした訳か、他では古いものは余り見かけず、松本だけに残されているのも不思議だ。
 今回の瀬戸の雛巡りにも、松本の明治時代の押し絵雛を展示、本来は台に刺して飾るものだが、場所を取る事もあって壁に貼り付けて、展示をしている。
 数的にはそんなに多くは無いが、大きなものは横70センチ、縦60センチと大きなものが主体、迫力のある押し絵雛である。
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2019年02月12日

時代の貯金箱

      明治、大正、昭和
 SANY9048.JPG貯金箱、日本人は貯蓄型と云われ、古来より貯蓄を好む民族だと言う、コツコツと地道に貯めてイザと言う時に備えるため日頃から励む。
 昔の人はお金を瓶に入れて土の中に隠したという話があり、実際に土中から掘り出されたこともしばしば、昔話にもそんな場面が出てくるほど。
 一番は瓶に入れた土の中に隠す、これが一般的であったようだが、あくまでも金持ちの話、一般庶民は箪笥の引き出ししまっているのが常。
 明治時代に入り庶民に貯蓄を奨励したのが新政府、ここから貯蓄が国の為になると言う風潮が、庶民はコツコツと貯蓄を行い始めた。
 そして何に入れて貯めるのかと言う事になり、貯金箱なるものが売り出させるようになり、貯金箱を求めて貯蓄するようになる。
 この貯金箱、時代と共に変化して行くが、一つ一つ見ていると、時代が見えてくるようで面白いもの、その時代の世相が見えてくる。

 明治期に売り出された貯金箱、磁器でできたもので残っているのが珍しいSANY9059.JPG物、何故かと言えば貯めた後、取り出すときには割ってしまうからだ。
 使用済の貯金箱は割られるのが普通、安価なものが多く直ぐに手に入るから、ちゅうちょ無く割ってしまい、現存している事が珍しい、大正期の貯金箱はブリキ製のもの、貯蓄奨励の文章が貯金箱にそのまま印刷され、国民に貯蓄を促すものとなっている。
 この貯金箱は磁器のように割らなくてもお金が取り出せるようになっている仕掛け、これ以後の貯金箱は簡単にお金が取り出せるようになる。
 昭和に入り貯金箱もより戦争の影響が出始め、質素で簡単なものとなり、贅沢が禁止された事を伺わせるものになるのだ。
 そして戦後、又陶器の貯金箱が出来て、物資の不足、特に金属の不足が貯金箱にも現れ、見慣れたポスト方の貯金箱の登場となる。
 貯金箱1つを見ても、その時代、時代の世相が見て取れ、庶民の生活が戦争によって左右された事の裏付けとなっている。
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2019年02月11日

製造の違い

    金箔と金泥
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 明治期に輸入された西洋時計、一般の家庭に浸透して行くが、1番多く輸入されたのが八角型のボンボン時計、しかし人気の高かったのはダルマ型の時計。
 八角型が普及品であれば、少し高いダルマ型は高級品、そのダルマ型の中でも金ダルマと呼ばれる時計がやはり一番人気であった。
 この時計、アメリカでは八の字とも呼ばれているが、日本ではダルマ型と呼ばれ、縁起の良い時計であった様だが、もう1つの呼び名八の字、つまり末広がりと言う意味にも取れ、やっぱり縁起が良い時計である。
 そのダルマ型の中で金ダルマと呼ばれる時計、この時計に人々は憧れていたよう、人目を引く時計、しかもキンキンラキンの時計は人気も高かった。
 その後、日本でも西洋時計が製造されるようになり、アメリカ時計をモデルとして多くの時計が製造されたが、その中に金ダルマも含まれている。
 人気の高い金ダルマの製造は時計各社にとっても売れ筋、金ダルマの売れ行き如何では売上高にも左右する時計、その為により慎重に製造したものと思われる。

 アメリカ製の金ダルマは「金泥」を用いて製造されているが、日本の金ダルマは「金箔」を用いている点がアメリカ製と異なっている。
SANY4546.JPG 日本にも金泥法は奈良時代に既に入ってきているが、明治期金泥法を使わずに、金箔法を用いた事は何故であろうか。
 当時の時計各社とも同じ様に金箔法を用いて製造しているもので、金泥法を用いて時計を製造した会社は無く、すべてが金箔を用いている点。
 金泥法よりは金箔法のほうがコスト的に安く、又手間も省ける利点があることから、明治期時計に金泥法をもち要らなかった様である。
 アメリカ製の金ダルマをコピーした日本の金ダルマ、しかしその手法は少し違った手法、金泥と金箔との差、日本の金ダルマは金箔で製造、独自のダルマが完成する。
 改めて日本で製造された時計、明治期各社から多くの金ダルマが製造されたが、殆どは金箔手法による金ダルマであった。
 上に写真が日本の金箔で製造された時計、下の時計がアメリカ製の金泥法で作られた金ダルマ、良く似ているが金泥と金箔の違い。
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2019年02月10日

雛巡り

   今年で13年

 SANY9040.JPG瀬戸市で毎年行われている瀬戸の雛巡り、私が参加してから既に13年になってしまい、月日の流れるのも早いと感じる。
 初めて参加した時はまさかこんなに長く続くとは思ってもみなかったし、また続けようとも思わなかった。
 軽い気持ちで展示を引き受け、自分でも不思議に思っていたが知らず知らずに13年が経過してしまった。
 毎年思う事だが展示内容に気を使いすぎ、こんな思いをするのであれ来年はやめようと、そんな思いになっていた。
 自分の体力を考えればすでに止めていて当たり前、年々体力と根気が無くなって来るから、それに腰を痛めてから尚更の事。
 展示には気力も大事だがやはり体力が一番必要で、重い箱を出し入れするのは大変な事でもある。
 勿論古い雛人形であり、乱暴に扱えば壊れる事に、その為に神経も使わなくてはならず、その上スタッフにも気を遣う。
 手伝って貰わなければ一人では展示は出来ず、それも心の負担になり、気を遣いすぎて負担になる事にも。
 そんな事で今年も何だかんだと言いながら展示が完了、しかし今年ほど切羽詰まった事は今までになく、心配の連続であった。SANY9032.JPG

 私のスケジュールと先方の間でうまく合わず、時間ばかり費やして展示が進まず、開催前日まで準備に費やして四苦八苦。
 やっとの思いで完成されたのが2月1日、2日から雛巡りが開催されるから綱渡りも良いとこ、滑り込みセーフと言ったところ。
 その上享保雛は今年は展示しないと思っていたが、何だかんだで結局展示する事に、みんなの希望が優先された。
 私としては今年は展示しないと決めていたのだが、是非展示して欲しいとの要望に押されて、昨年の展示の際エアコンの利き過ぎで屏風が破損してしまい、今年は展示出来ない位のダメージを受けたから。
 享保雛も当然の事ダメージを受けている筈、やはり展示は慎重に行わないと破損の原因となる。
 そんな心配も今は進行している雛巡り、終わるまでは先送りになるだろうと思いつつ今日も過ぎて行く。
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