2019年02月09日

グリコのおまけ

    販売促進用
DSCN1480.JPG 「おまけ」、この言葉の響きは何とも言えないもので、殆どの人が快く思っているものだと思う、つまり響きが良い誘い文句だとおもう。
 そもそも「おまけ」とは、本来その物だけで商売するのが当たり前、おまけが良いからと本体はそっちのけではおかしいのだ。
 元々は買って貰ったお礼として出していたもの、だからそんなに良いものでは無く、チョットした物をおまけとして出したのである。
 その代表格と言えるものがグリコのおまけ、私も子供の頃グリコは良く買っていたもので、本体のキャラメルはどちらでも良く、おまけ欲しさに買い込んだものだ。
 今でもはっきりと覚えているのは、近所の駄菓子屋に行き真っ先に買い求めるのがグリコ、当時レースカーが好きで、それを求めてのものであった。
 グリコのおまけに金属製のレースカーが付いており、それが欲しくてグリコのキャラメルを何個も買い込んだもの。DSCN1481.JPG
 色々なおまけが付いているが、自分の欲しいおまけが中々出てこないので、幾つも買い込んだがキャラメルは食べないのだ。
 当たり前の事であるが、そんなにキャラメルばかり食べれないもの、キャラメルが欲しいわけではなく、おまけのレースカーが欲しいだけの事。

 一日に何個か買い込んだと思うが、子供の頃であるからお金は無いので、祖母にねだってはお小遣いを貰っていた。
 母親には当然バレない様に祖母にこっそり貰っては駄菓子屋に行き、セッセとグリコのキャラメルを買い込んでいた。
 しかしこちらの欲しいおまけが中々出なくて、何個も同じ物がDSCN1484.JPG出てこともあり、折角祖母にお金を貰って来たのに欲しいものは出なかった。
 その当時グリコのおまけの箱は柔らかい箱、上から押さえれば大体の形は分かったが、そこは同じような形のものもあり、よく間違えたもの。
 だから結果は幾つも間違えて買い込み、失敗たしたものだから、要らないおまけが沢山集まり、友達と交換した。
 しかし欲しいものが同じで、こちらの思うようには交換できなくて、毎日がレースカーを探して駄菓子屋を巡った。
 近所の駄菓子屋で余り多くグリコを買えば、当然母親に分かってしまう事になるから、それがばれない様に遠い駄菓子屋に行く事に。
 DSCN1539.JPG子供の考える事はそれくらいの事、何処でバレるのかは考えもしない、自分ではバレないと思っていたが、隣の友人が母親にバラしてしまった。
 母親にバレてしまった後は暫くはおとなしくしていたが、欲しい物は欲しい、こそこそと母親に分からない様に祖母に御金をせびって、またセッセとグリコを買い込んだ。
 そんなグリコのおまけ、粉ミルクのブリキ缶に二杯分はあったが、引っ越しの時に何処に紛失してしまい、今は無いのだ。
 あれだけ精力的に集めたおまけも、現在残っているものは数が少ないが、それでも楽しい思い出の品。

posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年02月08日

如月

    1番寒い

SANY2340.JPG 1年の内で1番寒い頃、如月2月の呼び方でもあり、この語源は色々あるらしいのだが、中国語源説もその1つだ。
 中国では如月は単に2月の読み方であり、其れが直接日本の2月の如月とは違うとも言われ、この語源は違った意味で色々。
 如月、衣を更に重ねて着る月(気更来)、読んで字の如く、1番寒い頃となり一枚余分に着重ねる月だから、如月となったという説。
 確かにこの時期を表すに持って来いの漢字、気更来(きさらぎ)とかく、漢字だと意味が良く分かる気がするものだが、当て字だと言う人もいる。
 更に他の説は、陽気が更に来る月、気更来(きさらぎ)この漢字の当て字も、確かに陽気が更に寒くなる頃、良く漢字で表している。
 日本人は自然と上手く付き合ってきた証しだと思うのだが、兎に角2月は寒い時期、この2月を表す漢字も又色々あり、仲春、初花月、梅見月、建卯月など色々とある。
 この2月は建国記念日の月でもあり、節目の月と言う事、立春、豆まきと節目、古来2月は特別な月であることは歴史が物語っている。
SANY2346.JPG
 紀元前660年、神武天皇は奈良樫原の宮で、この年の2月11日に天皇に即位、この日を記念して建国記念日として制定された。
 これが日本の国の始まりと云われ、それ以後延々と語り継がれてきたが、史実はどうあれ季節の節目である事には変わりない。
 この節目には邪気が入ると古くから言われており、その邪気を追い払う儀式が節分、大豆を焼いて邪気を追い払い、家に邪気が入り込まないようにしたのだ。
 そして明ければ立春、これから春が始まるぞ、待ちどうしい春を迎える行事も古くから伝えられた伝統行事でもあるものだ。
 この様に如月、2月は季節の変わり目だけでなく、様々な節目に当たる月であること、古くからの慣わしが現在も行われているのだ。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年02月07日

情けない話

    ポートベロー
SANY1341.JPG
 友人に連れらるてはじめて行ったポートベロー、うわさは昔から聞いて知っていたが、実際に見るのははじめて。
 行く前は良いものがあれば買いたいとか、安いものがあれば直ぐ買うとか、そんな思いをしていたが現実に目の当たりにすると、中々買う気にならないのは何故、行く前と全く違う感じだ。
 良いものを安く買い込む、そんなつもりで来たはず、しかし現実は不思議なもので、良いものを見ても買えないのだ。
 勿論言葉も通じないとの思いもあるが、友人はペラペラの英語をしゃべるから、そんな事も心配ないが、でも目の前にある時計が買えないのだが、なんだろうと思っていたら友人、「何をビビっているのか、どんどん交渉しろ」とハッパをかける。
 確かい彼の言う通りかも知れないのと、はじめての事でポートベローと言う町にビビっているのだと自分でも思う。

 落ち着いて見ると、欲しい時計が目の前にあるのだが、自分の感覚ではいくらで買えばよいのか分からないのだ。
 すると友人「何している、お前の目の前にあるのは欲しいと言っていた時計じゃないのか」とまたもハッパを掛けられる。
 時計も分からない友人にハッパをかけられ、ビビっている自分が情けないと思い、仕方なく店主に問いかけてみる。
SANY1355.JPG 片言の英語で「ハウマッチ」と一言、すると店主が早口でまくしたてるので、再び固まると、隣で友人が助け舟。
 サッパリ分からないが友人まくしたてて相手に迫る、店主その態度を見て「ユーはバイアーと」と問いかけてきた。
 とっさに「イエス」と返すと、態度が一変、玄人の扱いを、そのことで気持ちが落ち着いてやっと交渉が出来るように。
 そんな事でポートベローで初めて買った時計がこの時計、新しいもので良いものでもないが記念すべき時計となった。
 時計が良いものだとかではなく片言の英語で買った事、この時計を見るとビビっていた自分が恥ずかしく思え、また懐かしくも思える。







posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年02月06日

氷柱

    大きさが違う

SANY2206.JPG
 まだ寒い日が続き2月の寒波が、最近の雪はどか雪、雨もそうだか雪もまた普通の降り方じゃないのだが、気象状況も不可思議。
 ゲリラ的に集中、どか雪を降らすが、尋常な降り方ではなく一気に積もり異常事態に、以前はこんな降り方はしなかったと思うが。
 しかも、雪が少し降った位で都会の交通網は弱い、しかも運転する人も雪にはなれていないのでてんやわんやの大騒ぎ。
 雪国の人たちが笑っているがどうしようもないのだ、スリップして車が動けず、次々と止まってしまい交通渋滞を起こす。
 少しの雪で電車もバスも飛行機も、兎に角雪には都会はもろいもので、全部が止まる始末、家に帰れない人が多く出る事もある。
 逆に雪国の人も一気に降る大雪は経験したことが無いと言う、毎年降る雪だがこんな形で降る雪にはお手上げ状態と言う。SANY2303.JPG
 雪が積もれば子供達は大はしゃぎ、普段外で余り遊ばない子供も、この時ばかりは外に出て雪合戦や雪ダルマを作って遊ぶのだ。
 昔はよく見かけられた風景だが、こんな事も今では珍しくなってしまい、家の中に篭りきりでゲームばかりやって過ごしている。
 都会の子供は雪と遊ぶ事も稀だから、如何して良いのか分からないらしいが、困った時代となってしまったよう、遊ぶにも遊べないとは。
 最近は滅多に見ることも無い状態、この前の雪で、前の家の軒下に氷柱が下がっているのを見つけたが、この氷柱、雪国では物凄く大きなものが出来るが、都会ではそんなに雪が積もることが無いので、氷柱も大きくならないものだ。
 しかし雪国の氷柱は兎に角物凄く大きくて、都会の子供が見るとビックリする大きさ、寒暖の差が大きければ大きいほど、氷柱は大きくなると言う。
 わが家の前に出来た氷柱は小さく、それでも氷柱が出来ていれば、手にとって見たくなるが、雪国の氷柱は桁が違う大きさ。
 写真は家の前に出来た氷柱と、この前に野沢温泉で見てきた氷柱、比べようも無いほど大きさが違い、この大きさでもまだ小さいとか。


posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年02月05日

外貨を稼ぐ

    こんなものが

はと2.jpg
 尾張瀬戸で製造された陶器が海を渡り、当時貴重な外貨を稼ぐことに、ノベリティーと呼ばれた輸出もの。
 戦後、瀬戸の陶器が海外で好評を博し、大量に海を渡って行ったが、そのほとんどが玩具の人形。
 ドイツのマイセンの向こうを張って、数多くの人形が製造され海を渡ったが、はじめはマイセンの人形とは大分差があったようだ。
 敗戦国同士であるが、ドイツの人形は洗練され、古くから製造されていたもの、それと比較して瀬戸は後発の製造となる。
 当然ドイツ物を追いかける事になるが、その技術は急速に発展し、マイセンと肩を並べるまでになる。
 その製造された殆どが海外に渡り、日本国内には存在しない物となってしまったが、昨今は逆輸入され国内でも見る事が出来る。
 高級品になるとどれがマイセンで、どれが瀬戸だと思う位見事な出来栄え、その技術の高さの証明でもあった。

 そんな人形たちの混じって、他のものも多く製造されて海を渡ったが、その中に花入れも入っていた。
 時計の形をした花入れがそれ、色々な種類の花入れが製造され、特にアメリはと.jpgカで人気を博したと聞く。
 当時、瀬戸で製造していた花入れを私も見ていたが、何でこんなものがアメリカで売れるのか不思議であった。
 いつも見ている窯元で忙しく製造されているものを見、アメリカ人はこんな物を何処で飾るのかと。
 そんな思いで造るところを見ていたが、今見てもヤッパリ誰が使ったのだろうと不思議に思う。
 花入れにしては小さなもの、普通の花入れの半分位、それよりもモット小さなものも、だからこそ疑問であった。
 写真の花入れがそれ、せいぜい10センチ位のもの、これで花入れなのかと思ってしまう。
 しかし、この小さな花入れが当時多く製造され輸出されていたから、事実アメリカで売れたのだろう。
























posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計裏話