2018年10月06日

本当なのか

    江戸時代に入った

 

SANY0840.JPG ある友人が私のもとに来て、「お前の集めている古時計、江戸時代のものはあるか」と言うのだが、その意味が分からない。
 何故かと言えば彼は和時計を何度も見ているからだが、あれはれっきとした江戸時代のもの、それなのに江戸時代の時計はあるのかとは変だ。
 よく話を聞いてみると、和時計の事ではなくボンボン時計の事だと言う、ある人からボンボ時計は江戸時代に入ったと言われたらしい。
 その人曰く「江戸時代には長崎からアメリカ製のボンボン時計が入って来た」と言う事らしく、彼はそれが納得できないと言うのだ。
 確かに江戸時代には既にヨーロッパから時計は輸入されていた事は確か、主に置時計であると言われているのだ。
 SANY0846.JPG勿論掛時計もあったと言う事らしいが、アメリカ製のボンボン時計となると、話はすこし違ってくると思う。
 アメリカ製のボンボン時計、1850年代に製造が始まっているが、その当時の時計がすでに長崎に入った来るとはちと早すぎる。
 当時アメリカでも新進気鋭の時計製造会社、その製造会社の時計がすでに日本に入って来たとは少し無理がある。
 アメリカでも西部地方には、まだこれらの時計は届いておらず、1880年代にならないと出回っていないからだ。
 それが西部を通り越して日本に渡っていたとは、やはり無理があり、ボンボン時計はその後と思われと思う。
 DSCN1387.JPG
 友人もその時にあり得ないと思ったが、その人が力説しているので反論はしなかったと言う、しかし疑問があったからと言うのだ。
 私も以前にある有名な資料館で、江戸時代の掛時計として展示されていたものを見た事が、その時計はイングラハムの金達磨。
 確かに旧型のものであったが、江戸時代の時計と説明していたので、私が質問をしたら「この時計は1860年代に造られたもの、日本では江戸時代です」と言うのだ。
 その時興味があったので、「時計を見させてください」と言うと、扉を開けて見せてくれ、「興味がありますか」と聞かれた。
 勿論その証拠が見たくてと言うと、機械の刻印を見せてくれたが、文字盤の淵に1870年の刻印を発見。DSCN1386.JPG
 良くイングラハムの時計には、文字盤の淵に時代の刻印があるものが存在しており、この時計もそれであった。
 それ以上は反論しなかったが、機械の刻印が仮にあったとしても、それが直ぐに日本に入ったと言う事はやはり無理がある。
 そしてオリジナルの刻印が文字盤に刻まれている事から、パテントナンバーは1860年代だとしても、そく江戸時代に日本に来たとはならない。
 色々な考え方があるが、拡大解釈しては時代がずれる恐れも、古い時計と思いたい気持ちは良く分かるし、私もそうであるから。
 しかし時代考証を正しく理解しないと、自分の思いだけでは正確性に欠ける事も、だから古時計は難しいとも。
 友人も、やっぱり時代測定は難しいなと言い、その通りで私も改めて難しさを痛感したもの、再度気を引き締めて行きたいものだ。
 誤った時代判定は誤解を生むことになり、ひいては信用を無くしてしまう恐れも、十分気を付けたいと思う。
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2018年10月05日

懐かしいもの

    セリ場で見つけた

 DSCN1453.JPG久し振りに浜松の平野さんの所に出向く事に、2か月振りのセリ場であったが、2、3日前にセリは終わっていた。
 その為に荷物は殆んどと言ってない状態、当然の事でセリが終わった直後、何もないのが当たり前。
 そんな状態であり、荷物が一つもないと思っていたが、片隅に荷物を発見してそこに見に行く事に。
 少しでも良いから荷物を見ようと思っていたから、何があるのか興味もあったが、何だか変なものが多くあった。
 変なものとは子供の玩具らしきもの、しかし形が変で嫌にカラフルなものだと思い近づいてみた。

 遠くから見たものは分からなかったが、DSCN1452.JPG近くに行ってハッキリと分かり、懐かしいものだとつい手が出てしまった。
 そこにあったものは昔我々が作って遊んだもの、子供の頃自分で簡単に作り遊んだあれが山積み状態にあった。
 四角い棒状の先に羽根らしきものが付き、其処にプロペラが2つ、まさしく飛行機の羽根であったのだ。
 それが色とりどりのものが山積みであったから、変なものに見えてしまったが、何処から持って来たものか。
 平野さんに聞けば「業者が持ち込んだもの」と言い、製造していた所から買い出して来たらしいと言い、額に入った写真が一緒にあった。DSCN1457.JPG

 見ればこの玩具を持った写真が映っており、製造者だと言うのだが、時代は大正期であるとの事、珍しい写真であった。
 今の人達はこの玩具が何であるものか分からないと思う、案の定平野さんも知らないと言い、私がこうして遊ぶのだとやって見せた。
 30センチ位の四角い棒状のものに、先に飛行機の主翼らしきものを付け、それにプロペラを2つ付ければ、立派な飛行機になる。
 非常に簡単なものであるが、当時はこの様な玩具も遊び道具、そしてこの飛行機、プロペラを回すのにはコツがいる。
DSCN1458.JPG 四角い棒状の背には凸凹の溝が彫られており、細い棒で前後に凸凹した所をこすると、振動が起こる。

 その振動で不思議にプロペラが回転しだすのだが、それにはコツが必要、余り早く前後に動かしてもダメ。
 適当な速さで前後にこすってやらなければプロペラは回転したなく、振動だけが起こるだけである。
 簡単な仕組みだからこそ、かえってそれをやるのが難しいが、昔の子供たちは簡単にやっていたものだ。
 今の人達にはこの玩具の面白さは分からないと思う、簡単すぎて、その上貧弱なものだから、玩具と思えないと思う。
 しかし我々には懐かしい玩具、でも私たちはこのおもちゃを買った事は無く、自分で作るものと思っていた。


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2018年10月04日

今年の南天

    縁起もの

  DSCN1593.JPG我が家の狭い庭に南天を植えたが友人から貰ったもの、新築祝いにと貰ったもので、縁起が良いものだと言う。
 南天は日当たりの良い所に植えよと、その様に言われたから一番日の当たる処に植えたのだ。
 私は南天は直ぐに大きくなり、我が家の庭には向かないと思っていたが、友人が災いを避けるものだからと言うので。
 持って来た苗は小さなもので、高さ50センチ位のもの二本、兎に角縁起が良いからと友人。
 南天は中国よりの渡来植物、日本に入って来たのは古いとされるが、何時頃かは不明なようである。
 DSCN1595.JPG元々南天は火災除けの植物とされ、これを植える事により火災から守られると信じられている。
 もう一つは厄除けとも言われており、身を清める働きがあるとも言われ、便所の横に植えられてもいるとの事。
 何にせよ縁起の良い植物である事は確か、新築と同時に植えた南天だが、植えてから2、3年は実を付けなかった。
 その後すくすくと伸び、私の背丈を超す大きさとなり、狭い庭で邪魔な存在となってしまった。
 
 勿論赤い実もならず、背だけは大きくなってしまい、葉っぱは狭い庭一杯に広げる始末であった。DSCN1594.JPG
 縁起の良い植物と言われているが、赤い実はならず、その上庭一杯に大きくなった事で、厄介者になってしまったようだ。
 そこで貰った南天を切る事にして、根元から少し上から切り落としたが、翌年の春に若い芽が出て来た。
 二本貰った南天、切り落した横からも芽が出だし、元の二本と相まって順調に成長、その年にはやっと赤い実を付けたのだ。
 ある人に言わせれば、南天はほかっておくのが良いと言うが、広い場所であればそれも良いが、我が家の庭ではそれはとても無理。
 逆に虐める事により、小さくて良いものに育てた方が良いと、だから切り落として虐める。
 それが正解かは知らないが、今も元気に実を付けており、何度となく切り落としては横から芽を出している。
 我が家では南天は虐めた方が実も良く付くし、成長も早いと思っており、現実には今年も多くの赤い実を付けた。
 あれから40数年も経ってしまったが、貰った南天は元気よく今でも我が家の庭で赤い実を付けている。
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2018年10月03日

江戸の日時計

      高 級 品 
SANY1998.JPG
 日時計と言えば簡単な物と思いがち、確かに日時計は簡単な仕組み、中央に棒が立っており、簡単なメモリが書いてあるだけの物と殆どの人は思いがち。
 事実、江戸時代の日時計は簡単な物が多く、特に道中日時計と呼ばれる物は紙で出来ているものが多く、持ち運びに便利なように作られている物。
 その為か、実にシンプルな物が作られたが、今みたいに何分、何秒などと言う刻みでの感覚ではなく、大体の時間さえ分かれば良く、分刻みの時刻等いらなかった。
 山中での道中、方角や大体の時刻が分かれば良かったが、困るのは関所が閉まる時刻、これだけは分からないと困る事になるから、日時計が必要であったようだ。
 関所の閉まる時刻を知らないと、其処で足止めされ、先に行けなくなるからであり、その為に時刻を知る事が最大の目的でもあった事。これも日の光がささなければ意味が無いが。

 日時計とはそう言う物、太陽が出ていなければ時刻を知ることは出来ないもの、簡単に時刻が分かるが自然まかせ。SANY2000.JPG
 しかし、日時計が質素な物ばかりとは限らないもの、江戸時代でも豪華な日時計も存在しており、写真の日時計外側は真鍮製、文字盤は銀製の豪華な作り。 普通の日時計と全く違った物、上蓋には彫金が施され、見事な龍の細工がされており、日時計と言うよりは芸術品と言った方がピッタリするかもしれない。
 高級武士や金持ちの間ではこの様な日時計を持って旅をしたらしく、一般庶民の日時計とは全く違った物で、実際に使うのが惜しいような雰囲気を持った日時計だ。
 使うのは簡単な事、高級と言っても使い方は同じ、上部中央の前の字を、真南に向けてかざせば、其処の場所の時刻が分かる仕組み、窪んだ処に針があるが、その張の影を見れば時刻が分かる。
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2018年10月02日

懐かしい使い方

    使い方が違う

 

DSCN1669.JPG 万年筆、今は余り使われなくなってしまったが、以前は万年筆は必需品であり、誰しも使用していたものだ。
 古い時代から使われて来たもので、日本には幕末に入って来たと言われているが、珍しい物であった。
 明治以後急速に使われる様になり、必需品として無くてはならないものとなっていた時代であった。
 万年筆は1809年イギリスのフレデリック、B、フオルシュがインキを貯められるペンを考案して特許を取得する。
 これが万年筆の始まりとされているが、まだまだ幼稚なものであったと言われており、その後改良されて行くことになる。
 1905年にオノトが正式な万年筆を世界で発売する事にDSCN1664.JPGより、一気に使用が拡大したと言われている。
 その後ペン先が色々と工夫されて行き、合金などの素材も開発され、耐久性や書き易さが充実して行く。
 日本では1828年に近江の国国友村の国友一貫斎が懐中筆なるものを発明したのが万年筆の始まりと言われる。
 しかしこの懐中筆は毛筆用のものであり、ペン先は付いておらず、万年筆とは少し違ったものであったようだ。
 携帯用に懐に入れられ、しかも漏れないのもであったと言う、当時は非常に便利な筆であったようだ。
 現存する懐中筆は国友の資料館と展示してあるとの事、一貫斎はDSCN1673.JPG鉄砲を製造する鍛冶職であり、発明人でも有名な人物。
 色々な物を発明しており、天体望遠鏡も発明しているもので、その技術は優れていたと言われている。
 そんな万年筆、明治時代に西洋からはどっと押し寄せ、一気に広まったと言われており、官民一緒になって使っていたようだ。
 よく言われる小説家たちがこぞって万年筆使用したと言われているが、それよりも役所関係が先のようだ。
 勿論日本製品も造られるが、それは明治末期になってから、主に大正時代が盛んになっている。
 当時はエボナイトの万年筆が主流、そしてポンプ式のもDSCN1670.JPGのが殆ど使われていた。
 万年筆の柄の後しろに切り込みがあり、ポンプが付いており、上下してインクを吸い込むもの。
 その後、ゴムのチュウブが付く様になり、スポイト方式と変わることになるのだ。
 そして、その後にプラスチックのカートリッジ方式となった行き、インクの取り換えもスムーズに行えるようになる。
 写真はポンプ式のものと、スポイト式のものであり、エボナイトとセルロイドの万年筆である。
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