2018年12月01日

散歩道外伝

    思わぬ処に

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 瀬戸の散歩道、本通りから一歩中に入ると、昔ながらの姿を残しているところが、あちらこちらに見つかる事になる。
 少し探して見ると今まで通り過ぎていた所に発見が、よく見ないと気付かずに通り過ぎ、注意が必要かもしれない。
 それらは主に土留めであったり、階段のアプローチであったり、塀の一部であったりするから、ヤッパリ注意して見る事だと思う。
 土留めと言っても大がかりなものではなく、せいぜい1メートルから1、5メートルくらいの低いもの、塀にしてもそんなに高くないもの。
 つまり、窯から出た廃棄物、それを捨てずに再利用するところにあるが、腕の見せ所はいかに美しく積むことである。

 丸い物や四角い物、長い物や平たい物、それぞれに瀬戸物を焼くために必要な道具であった。
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 高温で焼成された器であり、強度的には十分なものだが、大きくない物ばかりだから、土留めにしても、塀にしても、大きなものには向かない。
 そんなものが大量にあった事から、それらを利用して何処に使うかと考えた事であろうが、身近な所に使う事にた。
 庭先の敷石のかわりに使ったり、溝などの土留めに使ったりと用途は多岐にわたることを知る。
 ただ積めばよいと言うものではなく、そこはその人の美的感覚、へんな積方をしたりしては恥をかく。
 だから積む人はセンスを必要とされ、恥をかかないようにと工夫して、各家庭で競い合ったようだ、今で言うブロック積みたいなもの、きれいに積み上げないと危ないし、見た目にもよろしくない。





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2018年11月29日

秘訣は何

      さがしもの

SANY3565.JPG 古時計愛好家にとって何処で古時計を手に入れるか、其れが問題であり、何時もどのようにして良いものを探し続けようと思うが、簡単な事ではない。
 人よりも早く、そして自分だけが良いものを手に入れたい心理、誰しも経験のあることと思うが、そんなに上手く行くものではない。
 誰だって、人よりも早く自分好みの時計を手に入れたいのは当たり前、しかし現実は甘くないもので、そんな期待をあっさりと裏切る。
 人より先にと業者のもとに、だが我々に立ちはだかる壁が、と言うのはどんなに早く行っても、其れより先に業者間での取引が行われる。
 蚤の市と言うところは、店を持たない露天商、「はたし」と言われる職業集団、売りはたすという事から「はたし」と呼ばれる人達。
 そんな集団だから業者間の取引の方が先、一般の人たちが来る前に良い物は他の業者の手に、我々より早いのだ。
 それ以前にも業者間での連絡仕合、業者から業者へと手に渡り、他の人の所に入ってしまうらしいのだが、そんな蚤の市でも拾い物があることも。
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 例えば、その業者が何が専門なのかと言う事、業者により扱うものが違い、その人のとくいとする分野があり、其れが陶器であったり、着物であったり、アンティーク物であったりと得意分野がある。
 どんな業者でも得意分野以外のものは分からない事が多い、陶器の専物業者は時計の事は不得手、書画専門の業者もまた同じ。
 古時計は不得手に属する部門、そんな業者が時計を持っている場合もあり、其れに出くわすと思わぬものが手に入る事もある。
 それもべら棒に安い値段で手に入る事も、そんな事が起こるのも蚤の市、だからこそ足で稼がなければならないのだが。
 探し出す秘訣は、専門業者も、その的であるが、専門外の業者も見落としてはならないもの、やはり両方共に見張っていないと蚤の市は分からないのだ。
 ある人は、それが運と言う言葉であらわすが、運も付かないと古時計の良いものに出くわさないと思う、その運、是が非でも取り込みたいものだ。
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2018年11月28日

柿の差し入れ

    またまた柿

 SANY8563.JPGこの時期になると友人から柿が届くが、色々な所から届くので種類の違いがあって面白い結果となるのだ。
 届くところにより採れる柿がが違い、食べ比べが出来るのもこの時期、色々な柿があり有難い事である。
 私が大の柿好きと知っての事、毎年この時期になると一日に4、5個の柿を食べる事になるが、食べ過ぎであるといつも言われている。
 確かに食べ過ぎかも知れず、毎日胃の調子が今一なのも柿のせいかもしれないが、それでも柿は食べたい。
 ある友人がそんなに柿が旨いのかと言うので、毎日食べていると言えば「ちょっとおかしいのでは」と言われてしまった。
 その友人は柿は嫌いとハッキリと言うが、何故嫌いなのかと聞けば「甘いからだ」と言うが、奴は甘いのも好きな筈。
 何故だと聞けば「食べた時の感触が良くない」と、口の中で何とも言えない感触が嫌いだと言う事らしい。
 あんなに旨いものを食べないとは可哀そうな奴と、そんな事を思いながらむいた柿を口の中に放り込む。
 送って来た柿は産地が違もので、営業用の高価な柿や自分の庭で出来た柿二軒から、今日届いたものは高級品だ。SANY8570.JPG

 この柿、手のひらに乗らない位に大きなもの、横15センチくらい大きさ、何時もながら立派な柿と感心する。
 こんな大きな柿は特別なものだと友人は言う、確かに大きさと言い、美味しさと言い、申し分ない柿である。
 自分ではまず買わないもの、高くて手が出ない柿、それを待っているのもこの時期、届いた柿をすぐにむいて食べるのは格別。
 有難い事、しかし自分の庭で出来た柿も又別の意味で旨い、写真の横の柿が大きすぎて何だか気の毒であるが、この柿でも10センチは越えている大きなもの。
 確かに横の柿と比べる方がおかしいと思うもの、特別品は別格扱い、この柿でも買うとすると高いと思う。
 あとは待望の蜂谷柿の干し柿が届くのが待ち遠しいが、もうそろそろ届いてもよさそうな時期である。

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2018年11月27日

今年の南天

    一番良い出来か

 SANY8534.JPG我が家の南天、新築当時に友人がお祝いだと言って持って来たもの、はじめは小さな苗であった。
 それも赤い南天と黄色の南天、紅白で縁起が良いから植えておけと、しかしなしに貰ったものだからと植えた。
 2、3年で大きくなり赤い実も付け順調に育ったが、黄色い南天はどうした訳が枯れてしまった。
 同じところに植えたのに赤い南天は元気で、黄色の南天は枯れる事に、何故だか分からない。
 同じ場所でも片方は元気、片方は枯れるとは不思議であるが、友人は院議が良くないと言うのだ。
 片方が枯れてしまえば、両方とも枯れると言うが、赤い南天は今も元気、黄色のものを植え返せと友人。
 しかしそれも運命であると割り切り、その後赤いものだけで現在まで来ているが、災いもない。SANY8538.JPG
 友人の言うように縁起が悪いと、しかし現在までそんな事もなく何とが無事に過ごして来たから、それも良いのではないか。

 その後の友人、この南天を見る時は俺がやった南天のおかげで無事に過ごしてこれただろうと得意減言うのだ。
 南天のおかげ、本当は黄色の南天があればもっと良いのにと、いまだに黄色の南天を植えろと言うのだ。
 この男しっこいので有名、何時までも同じ事を言うから、他の友人からもしっこいと言われているのだ。
 しかし何はともあれ南天の実は今年は上々、赤い実は例年よりも多く付いているよう、40数年経っても元気である。
 それが一番うれしい事、案外災いを転じてくれたのかも知れず、これからもそう願いたいものだ。
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2018年11月26日

流行の最先端

    これぞ明治

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 江戸から明治に入り、庶民の生活はがらりと変貌することになり、人々は驚きとともに新しい世を満喫することに。
 静かな時代であった江戸の生活、一夜明ければ新時代到来、キツネにつままれた様な不思議な気持ちになったであろう。
 この時代いっきに西洋から新しい文化が流入、最先端のものが日本に押し寄せ、見るもの聞くもの驚く事ばかり。
 新政府の政策であるが、時代が目まぐるしく早変わりして、人々はついて行けない位に進む、そんな時代にあこがれも多かった。
 SANY4050.JPG西洋のものは目新しい物ばかりで、一般庶民は流行りものには弱く、すぐに飛びつく習性をもっていた。
 今も昔も変わらない好奇心は時代にかかわりなく存在、興味しんしんであり、新しいもの好きであったよし。

 そんな庶民の動向をいち早く察知して、新時代のものを流行に、そこがまた日本人の性ともいえる行動に出る。
 文明開化の最先端時計、この時計を題材として色々にものを製造、庶民向けに発信することになる。
 時計本体はまだまだ庶民には高根の花、しかし安価な物にはすぐに手を出す、そこを上手くつけ込むように行動。
 一つは浮世絵であり、一つは日用品であり、一つは教材であり、そんなものにも時計をデザインして庶民に提供。SANY0089.JPG

 安価な値段であり、瞬く間に庶民の間で流行することに、安くて時代の最先端のもの、憧れでもあるものがそこに。
 いつの時代でも新しいもの好きな庶民、文明開化の香りに飛び付いたことは当たり前、大流行することになる。
 大人から子供までがこの流行りにりんじょう、其れこそ我も我もと手に入れる事に、安い事もあり流行は急速に広がりを見せる。
 写真は当時のもの、浮世絵から水滴、日常で使われる皿までが、新時代の時計の図柄、如何に庶民が憧れたかが伺えるものだ。

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