2018年06月20日

度が過ぎる

      夜討ち朝駆け
SANY5721.JPG 最近はこの言葉を聴く機会がとみに減ってしまったが、話すのも減ってしまったようだと思う、しかし行動は減ってはいない。
 何故かと言えば我家では日常茶飯事の事、全く知らない人が、この行動をしてくるからだが、ある日突然玄関のチャイムが鳴り、訪問者が現れる事に。
 我家は道路沿いなので良くセールスが訪れることがあり、その都度玄関に赴く事になり、これが度々の事等でウンザリするのだ。
 しかし、向うははじめてのこと、此方の迷惑そうな顔にも無視して話を進めるのだが、其れもセールスの基本かもしれない。
 だけど此方は大迷惑、そんな人たちに混じって時計好きな人たちがやって来る事も、殆どの人は事前にアポを取り、了解のもとに訪れるのだから。
 そんな経緯を無視して突然にやって来る人も多く、ある日突然チャイムが鳴り、訪問者が現れる事に、そしていきなり古時計を見せてほしいという。SANY5729.JPG

 誰しも好きなものは見たいと思う心理は私も同じ、だから分からない事もないのだが、突然訪問されても此方にも都合がある。
 事前に了解を取って訪問されるのは構わないが、「夜討ち朝駆け」の如く訪問されても迷惑な話し、誰しもそうだが突然来られても困る。
 私も若い頃、営業をやっていた関係上、夜討ち朝駆けのセールスも、たまには成功することもあったが、突然の訪問は相手には印象が良くなかった。
 偶然にも成功した事もあったが、それは稀なケース、幾ら商売上の事であっても、相手の都合を無視すれば結果は良くない方向に行く。
 そんな訳で突然の訪問は迷惑この上もない、そんなある日の朝、突然のチャイムが鳴るので玄関に行くと、中年の男性2人がドアー越しに見える。
 用件を聞くと「古時計を見せてほしい」との事、そして「埼玉から来た」と言うのだ、断わろうと思っていたが遠方より来た客、むげに追い返すことも出来ず入ってもらう。
 こんな時は此方も機嫌が良くないから、応対にも力が入らず、結果は来た本人も満足できないと思う、アポは絶対にとって欲しいものだ、自分の為にも時計を見たいなら。
 お互いに好きな事、時計愛好家なら誰でも歓迎はするが、夜討ち朝駆けだけやめて欲しいもの、お互いに好きな時計を快く見学したいもの、そうでなければ楽しくない。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年06月19日

オブジェ

   作品の意図

SANY7064.JPG オブジェとは難しく言えば物体とか、客体とか言うらしいが私にはなかなか理解しがたいもの、象徴的、幻想的とからしい。
 難しすぎて理解できないと思うが、表現が何であれ出来上がった物体である事は理解できるように思う、しかしやっぱり難しい。
 そんなオブジェ、探してみれば色々な所にあり、今まで気付かなかっただけの事、それだけ関心が無かったと言う事だ。
 芸術とはそんなものでもあるらしいが、私には難しすぎて見た目しか分からないもの、しかしあちこちに存在もしている。SANY7068.JPG
 どれが芸術であるかは分からないが、見て分かりやすいものの方が取っ付き易いと思う事も、見ても分からないものも多い。

 これが何であるかはその人が作り上げた真意を知らないと実感できないものでもあり、知ったとしてもやはり難しい。
 瀬戸市の古民家久米邸にはそんなオブジェが多くあり、つい目にすることになるが意味不明なものも多く、これが芸術かとも思う。
 作品は芸大の生徒のものが多く意欲的な作品であると思うが、今回のものもそれ、私には理解できないものである。
 聞く所によると一つは太陽の塔、一つは豆まきと言うが確かにそれらしきものではあるが、やはり難しくて理解不能と思える。SANY7075.JPG
 しかしそれがオブジェなのかも知れない、凡人には中々その真意が分からず、抽象的過ぎるように思えるのだ。





posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年06月18日

瀬戸の散歩

     大正の香りが
 SANY2556.JPG
 瀬戸市内を散策していると、色々な時代の建物に出会うが、明治であったり、大正であったり、又昭和であったりと時代が千差万別。
 まだまだ古い建物が残っているから、少し露地に入るとそれらと出くわす事に、その都度懐かしい気分になるのは見慣れた証拠。
 自分の中に、その時代の記憶が詰まっているからだと思うが、その記憶も小さなものであり、ハッキリとしたものではなく、何となく懐かしいのだ。
 特に尾張瀬戸駅が直ぐの商店街、銀座商店街があるが、ここは昭和の香りが高い場所、アーケド街となっている場所で、昔ながらの店が多く存在。
 今はアーケドも新しくはなったが、店の佇まいは昭和そのもの、三丁目の夕日に出てくる店が、そんな商店街の入り口近くに写真館がある。
SANY2585.JPG 昭和初期の創業、駅から歩いて5分も掛からない所にそれはあり、懐かしい写真館として建っているが、今写真館は閉店している。
 商店街のイベント用に時々開かれる場所、主に展示会が模様されており、商店街のPRの場所としても活躍しているところだ。

 この建物、2階が撮影をするところ、店を入って左の急な階段を上がると、撮影場所となっている部屋に出るが、思ったよりも狭い場所。
 勿論当時の写真館は何処もこんな感じの間取りであったと思うが、雰囲気は昔のまま、商店街が管理しており、以前は公開していたが、現在はしていない。
SANY2594.JPG 二間続きの撮影スタジオは今でも営業できるような、そんな状態で保存してあるから、昭和の写真館の佇まいを感じることが出来る。
 手前は待合室のような場所で六畳の部屋、撮影スタジオは8畳より少し大きいくらいの部屋、面白いのは正面に螺旋状の階段が現れる。
 良く見ると看板みたいに描かれた絵、遠くから見ると本物の階段に見え、その下で写真を撮るのだが、何だか西洋間の雰囲気。
 洒落て椅子が用意されており、如何にも写真を撮るぞといった雰囲気、昔の人はこの前に座って、緊張して撮影したであろう。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年06月17日

思いで品へそ時計

      忘れられない

SANY2263.JPG 旅の思い出は人其々にあるはず、どんな小さな事でも思い出となる事はあるもの、その品を見れば何時でもその時に戻れるものでもある。
 人にはそのような思い出があり、私もその中でも決して忘れない思い出の品もあり、それは幾度となく行った盛岡の骨董屋の主人の事である。
 始めてその店に行ったのは、35年も前の事であるが、まだ骨董をやり出して駆け出しの頃のこと、私が好きな啄木の足跡を求めて盛岡を尋ねた時の事。
 真っ先に訪れたのは城跡、此処の城跡はあの詩、 
 「不来方の お城の草に寝転びて 空に吸われし 十五の心」と歌った場所であり、在りし日の啄木を偲んだ。

 その近くの骨董屋に立ち寄り、時計を探すが何も見つからず、帰ろうとしたら店主が「何を探しいいるのか」と問いかけてきたので、「時計を探していると」答えた。
 その店主も時計好きで時計談義にはながさき、何時しか時間の経つのも忘れて夕暮れになり、主人が「何処に泊まるのか」と聞くから、「市内のホテル」と言えば、それなら時間があるから「隣の炉辺で飲まないか」と誘い。
 その店の近く、郷土料理「南部炉辺」でマタマタ時計談義開始、結局主人と看板まで飲んでその日は帰ったが、翌日ホテルに電話が入り「こちらに出てこないか」と誘い、何かと思えば、盛岡の近くに買出しに行くから一緒に行かないかとのこと。
 昨日、時計談義でスッカリ主人と打ち解け、歳もそんなに違わず話も合い、私も買出しに同行して時計探しに行くことに、結局1日主人の車で時計探しをした。
 その時計探しで最初に見つけたのがこの時計、何の変哲もないヘソ時計であるが、この時計が切っ掛けで、その後幾つかの珍品時計をこの主人から買う事になる。
 以来約30年の付き合い、その切っ掛けを作ってくれた思い出の時計、この時計が縁で、その後の主人との付き合いの橋渡しをしてくれた思い出深い時計でもある。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 古時計よもやま話

2018年06月16日

和菓子の日

      6月16日です

SANY7045.JPG 今日が和菓子の日ですと云われても、現在何々の日がありすぎて、何が何だか分からない位に、しかも何でその日が其れに当たるのかも知らない人が多い。
 当然の事だが、今日は何の日か覚えている人はいないのが普通、古くから制定されている行事の日もあれば、最近になってから作られたものも多く、ありすぎて覚えられない。
 6月16日は、そんな行事の日でも最も古い方に入る日、その歴史は「848年」に遡り、「任明天皇」の時代に宮中にて、この日に健康招福を願って16種類のお菓子を奉納し、之を食べて招福を願った事に由来する。
 この儀式を「嘉祥の儀」と云い、其れから後、明治まで続く行事であったもの、1番盛んであったのは徳川幕府が将軍家の権威を示す為に、江戸城に大名、旗本を集め、将軍自ら16種類の餅と菓子を分け与えた。
 この時の菓子や餅がどんな物なのかは分からないが、干菓子や煎餅の類であったようだ、これを江戸の庶民も真似をして、6月16日に16種類の餅と菓子を食べたらしい。

 実際には、そんなに多くの種類のものが買えず、1と6をたした7種類の物で代用していたようだが、一般庶民も生活に苦しい中、健康招福を願っていた事は確かなようである。
SANY2188.JPG 今では考えられないだろうが、昔の6月と言う月は、疫病が蔓延して多くの人が亡くなったので、彼らにしてみれば健康が一番の関心事、之を心から願った事は不思議でも何でもない。
 今の時代とは違う世界の事のように感じる人も、健康招福であれば願いは同じであろう、明治以後徐々にこの儀式も衰退して行ったようで、昭和になってから「和菓子組合」が、この日を復活させたようである。
 そんないわれは兎も角も、今日和菓子の日を招福を願って、旬の和菓子でも食べて、健康を願ってはいかがであろうか、16種類も食べなくても願いは同じはず。
 写真は上は落雁、下は竹の筒に入れた水羊羹、清涼感のある竹の筒に入っており、見た目にも涼しく美味しそうである。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年06月15日

世界遺産

      富士山

 SANY4458.JPG先月からはじまった時の記念日展、初日はこちらの表示ミスで多くの人が間違って訪れ、迷惑をかけてしまったがその分交流も生まれた。
 朝早くから見学に訪れた年配の夫婦、私が行くよりも早く来られて会場前で待っておられ、こちらが恐縮する始末、早速扉を開けて展示場に。
 しかし、まだキャクションが途中で貼ってあるのが半分だけ、慌ててキャクションを貼り付けるのに奔走、その様子を見ておられた夫婦。
 「大変ですね、今日からではなかったのですか」と聞かれ、「実は表記間違えで、展示の日にちを1日早くしてしまったので」と釈明。
 「そうなんですか、だから慌てておられるのか」と気を使って下さったが、こちらは冷や汗もの、早くキャクションを貼らなければと、そんな時に又他の見学者が来訪。
 私がキャクションを貼り付けていると、「大変ですね、新聞に出ていたから」と、逆にねぎらいの言葉を受け、恐縮する事になってしまった。
 キャクションを貼るのを止めて、その方たちに時計の説明をし出すが、今度はキャクションを貼る位置が間違っており、慌てて貼り直す始末。
 とんだドタバタ劇を見せてしまい、笑いを誘ってしまったが、これも愛嬌の類と笑ってごまかし、時計の説明に入り、1つづつ解説をする事に。

 するとハートH精工所製造の富士山型の時計の前で全員がストップ、私に向って「すいません此方の時計を説明して下さい」と先の時計を催促。
 見学者は富士山に目が止まったらしく、口々に世界遺産、世界遺産と、確かに富士山は世界遺産に登録され、今や注目の的でもある。
 その富士山型の時計の前で説明せよと催促だ、こちらはそんなつもりで展示をした訳ではないが、やっぱり話題は富士山、世界遺産だ。
SANY7014.JPG
 「何で富士山の形の時計があるんですか」とご夫人の質問、確かに今富士山は注目されているが、別に今始まったことではない。
 昔から富士山は日本一の山、古くから話題になっていたもので、それにあやかりたいと明治期ハートH精工所が時計を造ったのだと思う。
 まさか当時世界遺産になるとは思っても見なかったと思うが、他社に先駆けて富士山までも時計にしてしまった、ハートH精工所、先見の銘があったと言える。
 とんだ所で時計展の話題が増え、こちらとしてはあり難い事、今後見学者には話題として見て貰えるからと期待して、時計の説明をした。
 その後も会場をおとづれた殆どの人が、この富士山型の時計の前で足を止め、何やら語っているのを見かけて、やっぱり流行とはすごいものだと思った。

 
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年06月14日

蝋燭

      あかりを灯す

SANY7026.JPG 赤い衣装を纏ったマウス、言わずと知れたディズニーのキャラクター、一番人気のミッキーマウス、大人から子供まで幅の広い人気者。
 ディズニーの漫画の中から抜け出てきたような姿のミッキー、このキャラクターは誰にでも愛される人気者、ネズミがキャラクター化したものである。
 初期のミッキーマウスは今よりももっとネズミらしい顔をしていたが、時代が経つにつれて顔が丸みを帯びて来て、現在みたいな姿のミッキーに成った。
 昔のミッキーはやせた姿で細身、顔を横から見ると本物のネズミのように顔が長く、目も今よりもキツイ目つき、白黒の世界であったから、よりネズミらしかった。
 写真のミッキーマウス、本来ならばとっくに姿が無くなっているもの、何故ならばこのミッキーマウス、本来は蝋燭であり、灯りを灯す物である。
 以前にも話したが友人のハワイみあげ、新婚旅行に行った際に現地で買い求めた物、私の元に来てから何度も消える運命であったが、結局は現在も消えずに其のまま。

 SANY7035.JPG蝋燭は火を灯せば、当然の事であるが小さくなって消えてしまうもの、使えば使うほど消えてなくなるもの、それが蝋燭の運命でもあるが、この可愛らしい姿を消してしまうのも残念で、ツイツイ先延ばしにして現在まで生き残った。
 友人が之を見て、まだ大事に持っていてくれて感激と言うが、しかし友人を喜ばせる為に取っておいた物ではなく、可愛らしいミッキーが火を灯せば、頭から消えてゆく。
 それが嫌で火をつけなかっただけ、友人の為ではないが、彼は私が何時までも持っている事を感謝、感激しているから面白いもの、感激している人に、あえて本当の事を言わない方が良い。
 それにしても30数年もの長きに渡って、蝋燭が生き延びているのも、また面白く、之からも折角生き延びた物であるから、火を灯さずにそのままな状態にしておくつもり。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年06月13日

まだまだ未熟

      駆け出しの頃

 SANY3361.JPG私が時計に興味を持ったのは40数年も前の事、その頃は時計であればどんな物でも興味が湧いていた頃、時計と見れば直ぐに飛びついた頃。
 知識何て云うものは全くなく、只興味があるだけの事だが、その興味は大きすぎて自分でも分からない位なもの、時計を目指して前に前に。
 そしてこの頃は時計の知識はなく、自分が良いと思ったものを見つけるだけ、程度が良いにこした事はないが、何せお金がないから安い物をと探し回る。
 回れば回るほど壁に突き当たり、その壁が乗り越えれないものに、一番の壁は資金、当たり前の事お金が無ければ物は手に入らない。
 そんな当たり前の事を忘れ、兎に角欲しいものを見つけ出しに回る、回るといっても限られた行動半径、名古屋市内の骨董屋を回ったり、仕事で行く先々で探し回る事に。
 そんな時に見つけた時計がこの時計、セイコーの腕時計で少し古いもの、セイコークロノスの腕時計、少し高級機であるらしいが、どう高級なのかも知らなかった。

 SANY3358.JPGSANY3356.JPG大体クロノス自体名前も知らなかったが、この時計を見て何んだか欲しくなったので店主に幾らか聞いて見ると、「この時計は非常に人気な時計で、値段も少し高いものです」と云われ、止めようと時計を返すと、店主「二度と手に入らないかも知れませんよ」とたたみ掛けて来た。
 腕時計の事など知らないのに、ここで又悪い癖が出、よせば良いのに知ったかぶり「折角出合ったので買ってゆくか」とツイ云ってしまった。
 見栄を張ったのだが、そんな事は店主百も承知、上手く進められて結局買い込んでしまい、その後腕時計を良く知っている友人に見せれば、「このクラスの時計は何時でも手に入るし、これは程度が悪い」と一言でかたずけられてしまった。
 確かに良く見れば、あちこちにキズがあり、冷静に見ればとても買う代物でないものだが、知らないとは情け無いもの、上手くおだてられて買わされてしまった時計だ。
 それからは、この時計を反省材料にして、時計へと驀進するときは何時も見て反省するようにしたが、直ぐに忘れてしまうのも性格か。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年06月12日

親父の形見4

      今も現役です

SANY1791.JPG 私の親父は色々な物に凝性であったが、特にのめり込んでいたのが陶器、其れも茶道具が主で色々な茶碗を蒐集、その数は非常に多くあり、子供の頃は、家一杯にありうず高く積まれていた。
 自分の好きな物が出れば買い込んでいたようで、母親が何時も愚痴を言っていたのを覚えているが、だからと言って蒐集を止める様な親父ではなかった。
 そんな親父が亡くなって早34年になり、私が親父の年まで近づいているのだが、未だに遺品を整理していなくて、あちらこちらにしまってあり、時々出して整理はする。
 そんなおりに見つけたのがこのカフス、鼈甲で作られもので、高級品かどうか分からないが、大事にしまってあったので気にいっていたものであろう。

 前にもお袋が水晶のカフスを出してきて、私に使えと渡してくれたが、今回見つけたのは鼈甲のカフス、色々な種類の物が入っていたが、このカフスが1番使いやすそうなので出してみた。
 親父は明治35年生まれ、明治の男らしくて頑固、その上どうもお洒落であったようで、持ち物を見て見ると大分色々な物に凝っていたフシがあり、その1つがカフス。SANY6977.JPG
 親父の若い頃は鼈甲のカフスが流行ったのか、種類の違う物が3点ほどあり、その1つが写真の物、私がその中で良いと思った物を出して使う事にした。
 しかし、鼈甲はどの様な物が良く、どの様な物が悪いのかサッパリ分からず、3点のうち之で良いと思ったが果たしてどうだか、知っている人に今度聞いてみようと思う。
 そして、季節的に鼈甲が何時使うのか知らないが、このカフスをはめてみれば、私の口の悪い友人共がどんな反応をするのか、其れによって良し悪しが分かると言うもの。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年06月11日

ランプの部品

      外国製

 SANY6882.JPG友人の奥さんがランプの部品を持って現れ、電球がつかないと訴えてきたが、何のことやら分からず持って来たものを見る事にした。
 この友人の奥さん、最近急にアンティークに凝り出し、気に入ったものを見つけると直ぐに飛び付く性格、其れも何も知らないものでも関係なく。
 普通の人は自分の知らないものだと、その場で衝動買いはしないものだが、この奥さんそんな事はお構い無しに買う人、しかし友人は石橋を叩いても渡らない男だ。
 そんな奥さんだから慎重派と思いきや、正反対の性格らしく、知らないものであろうとお構いなし、良いと思ったら躊躇しない人、直ぐに買い込んでしまうらしい。
 今日持参したのもはその部品だと、何でもって来たのかと聞くと、「自分の持っている電球がつかないから」らしい
 見れば普通のSANY6887.JPG外国製のランプシェード部品、何処がオカシイのか私は分からないので、「何故持って来たのか」と聞けば、電球がつかないからと言う。

 私が意味が分からないから、再度「どんな電球がつかないのか」と又聞く、すると「当然日本の電球がつかない」とおっしゃるが、当たり前の事だ、このソケットは外国製の物、日本の電球は当然付かないと言うと、何故付かないかと又も不思議顔。
 女の人は電気には苦手な人が多いが、一目見たときから日本の物と違うと気付くのが普通だが、其れすら分からない人らしいので、電球の形が違っているから付かないと説明するが、しかし何処が違うのか分からないとの事、海外電球と日本の電球との違いを図で書いて説明すると、何で違うのかとまたしても振り出しに戻る始末。
 その後、仕方が無いから現物を見せて、日本のものは付かないと納得してもらったが、果たして本当に分かっていたのか疑問である。
 そして、付属の金具についても、日本製と外国製の2つがあり、その説明にも結局理解してもらったのであろうか、ヤッパリ疑問だと思った。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年06月10日

時の記念日

      紀元前の昔から
SANY2143.JPG
 今日6月10日は時の記念日、大正9年に生活改善同盟会が中心となって時間の大切さを教えるために制定したもの、しかし国民の祝日ではない。
 当時は国際的にも時間の正確さや大切さが重要視されていた時、日本もそうした時代の風潮を先取りした格好で、推し進められたようであり、その中心となったのが生活改善同盟会。
 何故6月10日になったのか、その歴史は古く日本書紀に遡り、「天智天皇」10年(671)4月25日に水時計を設置して時を告げたとの記録があり、今の暦に直すと6月10日となり、この日を時の記念日とした。
 しかし、実際には天智天皇が「中大兄皇子」であったときに既に水時計が設置されていたが、何日の記録が無く不明の為、天皇になってからの記録がハッキリした日付けで制定されたようだ。
 その記録には、斉明天皇6年(660)、「皇太子初造漏尅、使民知時」と記録されており、この時から水時計は使用させており、実用化されていた。
  ただ、このときの日付けがハッキリと分からない為、天皇になってからの「日本書紀」の記述を採用したので、6月10日となった。

 この水時計を管理していた役人を「漏刻博士」と云い、彼らは水時計の時間SANY0840.JPGを計り、宮中に時を知らせる役目をしていたが、彼らの仕事は厳しくて、時刻を正確に伝えるために、遅刻や居眠り、時間の間違う等しないように厳しく管理され、また罰則も厳しかったようである。
 当然の事であるが、宮中においての儀式や政務を司る役人の時間管理としての水時計であり、時間の正確を期するために水時計を置き、正確に時を計らせたもの。
 この時の時刻は定時法であり、今と同じ時間であった事はあまり知られていないようで、日本は昔から不定法を採用していたと思っている人が多いが、この時代は今と同じ定時法であった。
 しかし、世の中が騒がしくなり、戦乱の世となると、この水時計をやがては使われなくなり、長い間の眠りにつく事となり、戦国時代へと突入、世が乱れに乱れる事となる。
 戦国末期から江戸時代に入り、世の中が静かになると機械時計が西洋から伝えられ、登城時刻を知らせたり、12時を知らせる役割を果たすシステムが確立する。
 その後定時法から、日の出日の入りを基にした不定時法が発達、日本の社会は世界との時間の隔たりを生む事になり、長い間不定時法を採用、明治6年まで不定時法を使用してきた。
 明治5年12月3日を明治6年1月1日とし、新暦を採用(定時法)に切り替え、数百年続いた不定時法が廃止、長く続いた日の出、日の入りの太陰暦から、新暦の太陽暦に変わり、現在に至っている。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年06月09日

餅より粉が

      ネットの副産物

 SANY3110.JPG以前友人にネットで欲しいものがあったので入札をして貰い、思ったよりも安く落札できて喜んだもの、そして家に商品が送られてきた。
 確かその商品は雛人形の付属品であったと思う、小さな小物を落札してもらい、家に送ってきた落札した物を開封していた時、19センチ位の長方形の木箱が出てきた。
 色々な雛人形の付属品の中で、小物がその木箱の中に入れてあり、紙に包まれていた木箱をあけ何気なしに裏を見たら大正の年号が目にとまった。
 小さな木箱に焼印とは珍しいと思い、その木箱を調べようと上蓋の包み紙をはがしたら、上蓋にもなにやら焼印があることに気がつき、調べる事に。
 少し薄くなっているものの文字はハッキリと、「賜饌]と分かりビックリ、これは思っても見ないものが出てきたと思い、早速その年号の日付けでネットで検索してもらった。
 大正4年、11月16日と神戸市の焼印を手掛りに調べると、大正天皇大礼記念行幸と判明、その時に関係者に出された物である事が分かった。
 「賜饌」とは、天皇から与えられる食事のこと、大正天皇が大正4年11月6日から全国に行幸された時に神戸市に立ち寄られた時に出されたものと判明。SANY3112.JPGSANY3114.JPG

 それにしても大正4年のものが残っていたとは驚きであるが、それも賜饌の木箱とは驚きも倍、良く遺していたものだと感心したと同時に、何故小物を入れて贈られて来たものなのかと不思議である。
 多分、荷物を送った人はこの木箱が何であるかを知らず、単なる木箱として物を入れて送ったのだと思うが、賜饌の文字すらも分からなかったのではないか、それにしても中身より外箱のほうが貴重と言う話は聞かない、これは儲けものだが雛道具よりも外箱の方が貴重とは。
 ある人に言わせると、この中身は当時お祝いの紅白饅頭が入っていたのであろうと思われ、大事にとってあったのを気がつかずに出してしまったのであろうと。
 それにしても珍しい木箱が偶然に送られてきたものだ、これも何かの縁であろうか、偶然にしろ向うからやって来るとは、約百年を経ている物だから大事に保管する事にした。

 
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年06月08日

特注品です

      伝統工芸品

SANY4915.JPG 明治初期西洋から一気に文明開化が押し寄せ、今までの日本文化が危機にさらされ、文字通り「猫も杓子も文明開化」と叫ばれていた時。
 日本人は西洋文化に飛びつき、我も我もと新しい舶来の物を取り入れ、今まで有った日本の物を大事にしなくなり、次々と海外に出て行ってしまった。
 今、何故こんな重要な物が海外にあるのかと驚きもするが、明治時期に数多くの物が見捨てられ、海を渡って行ってしまった。
 勿論その分、西洋の物が一気に入ってきた中には、重要な美術品もあるにはあるが、出て行って物と比べれば比較にならないほどだ。
 その中には伝統文化に支えられて来た数々の美術品が、ほご同然に持って行かれた事だ、日本人の舶来信仰は、この時大きく植えつけられた。
 舶来品であれば憧れた当時の人々、しかし現在も其れほど変わっては居らず、舶来信仰は継続中、そんな明治期に西洋と日本の合作も生まれた。

 西洋時計に憧れた人達の中には、日本独自のものに拘って人も少なくないもの、その人達は時計にもとれを求め、機SANY4918.JPG械だけはアメリカ製のものを使い、箱は伝統文化の日本の物をと求めた。
 結果、和洋折衷と言われる物が生まれる事に、写真の時計の箱、日本の伝統技術のかたまりのような物が出来上がる事になる。
 外箱は飛騨の春慶塗、機械の箱だが、箱の中まで全部春慶塗が施され、隠れた部分にも手を抜かない、日本の技術が施されている。
 表板は艶消しの漆がけ、その上に漆で盛上げ、絵が描かれたもの、上下には鳳凰の図柄、左右には龍が描かれたものだが、図案化してあり、特に左右の龍は良く見ないと龍には見えない。
 私も手に入れてから10年も分からずに居たが、ある人に龍じゃないのかと言われて、初めて気が付いたもので、良く見ないとそれらしく見えない。
 しかし、是だけの手の込んだ時計は今までに見たことはなく、明治の職人の心意気を感じる貴重な時計である事には変わりないものだ。
 今再現しようとすると、相当な時間と職人技術が必要、昔の人は贅沢な物を造ったもので、伝統技術に裏打ちされてこそ出来上がった時計だと思う。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年06月07日

確認事項

 日本古時計保存協会のミーティング開催件

 日時、6月10日 日曜日
 場所、愛知県瀬戸市朝日町49−3 古民家久米邸
    0561−84−5396
 時間、11時半開始
 会費、1500円 昼食代含む
 近くの私設駐車場をご利用ください。パルティ―や瀬戸蔵があります。
 今回喫茶古時計の見学会を行います参加希望の方は申し出ください。
 尚、当日オークションも開催します参加ください。
   日本古時計保存協会  事 務 局
posted by kodokei at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

代用品のボタン

      出きる物なら何でも

 SANY3509.JPG代用品、本来のものが出来なかったり、もしくは無かった場合に、其れと異なったもので肩代わりするものを代用と言う、戦前にいろいろなものが代用品として製造された。
 太平洋戦争により日本の金属不足が続き、軍需用の鉄が不足する有様、各家庭から金属の供出を強制、各家庭からもあらゆる金属を供出させた。
 現在では考えられない物まで代用品が作られ、庶民の生活の中に入り込んで行くことに、今まで金属で製造されていたものが、木や土で製造されることになる。
 最も珍しい物は貨幣であり、国は本気で貨幣も陶器で製造することを決め、清水焼、瀬戸焼、伊万里焼の窯元に、貨幣の製造を命令する。
 終戦間際にこれ等の産地では貨幣を製造、現物は出来上がり発行を待つまでになっていたが、終戦と同時に廃棄処分となり、産地では破砕して地中に埋めた。
 現在では陶器の貨幣はコレクターの推奨の的となり、何処からか出てくるのかコレクターの手元に存在しており、珍品貨幣として蒐集されている。

 今回の陶器のボタンも、この範疇に属した代用品、服SANY3511.JPGのボタンまで陶器で製造され、金属不足をこれ等の代用品でまかなっていたものだが、このボタンもそのような過程で製造されたもの。
 尾張瀬戸で製造された陶器のボタン、上部のボタンは国民学校用として製造されたもの、下のボタンは軍隊用に製造された陶器のボタン。
 ドチラもサクラのマークが入ったボタン、国民学校用のほうが少し大きく、軍隊用は小さくなっているが、取り付け部分にその違いがある。
 軍隊用のボタンは丈夫に出来ており、糸を取り付ける部分も国民学校用より、変化をもたせ激しい動きにも耐えられるように工夫され製造された。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年06月06日

自分の記事

      時日の経つのは早い

 SANY6939.JPG出版社からの依頼で原稿を書いて欲しいと言う電話、前に出版した本を見ての話らしいが、詳しい事を聞く事にした。
 出版社に言わせると毎月短い文章を一年続けて書いて欲しいとの事、それも古時計に関する記事であるとの事だ。
 一年も続けて書く事は大変な事、それも専門的な事だと難しくなってしまい行き詰る事は確か、悩んでいると友人がアドバイスをくれた。
 彼に言わせると、「参考書としての本なら最良いものがある」と言う、そんな本を目指すのかと厳しい指摘、確かに彼の言う通り、参考書ではなく読んで面白い本にしたいと言うので止めようかと早くも挫折、そんな時にある友人が家に訪れた。
 友人と話が弾み、昔旅をした時の事を思い出しては、「あの時はこうだったとか、ああだったとか」と、色々と話すうちに、これだと直感した。
 旅の思い出話として時計の事を書けば、読者も読み易いのではないかと、旅の思い出なら幾らでも、文章に苦労する事も無いと思い立つ。SANY6944.JPG
 そんな訳で旅を題材として文章を書き上げ、出版社に原稿を提出、すると出版社から意外な言葉が「戸田さん、文章が硬すぎる」との事、もう少し砕けた文章して欲しいと、しかしプロで無い私はどう書くのか分からない事に。

 出版社の担当者は、素人らしい文章を望んでいるから、プロらしく書かないようにと、これまた意外な言い方で戸惑う始末。
 自分では既に原稿も出来上がったと思っていたのに、ダメだしの言葉を聴いて愕然と、あたり前の事だがお金を頂いて本を買ってもらうから、そんなに簡単に書けたら苦労はないと実感する。
 一からの出直しではなく、文章を途中で変更して、もう少し砕けた文章にすることだが、其れが又かえって難しいものだ。
 何処をどの様にしたら砕けた文章になるのか、その日から四苦八苦して文章構成をやり直すことに、そんな時またまた友人が、「お前は素人だから、普通に下手なもので書けばよい」と、云われて見れば確かにその通り、それで行くかと気合を入れて始める。
この本を見て、そんな事を思い出したが、出版して早や4年も経ち、月日の流れるのも早いものだと感じると共に、歳をとるはずだと自分に言いきかせる。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年06月05日

ブリキの豆ランプ

      普及品

 SANY4045.JPG明治に流行ったランプ、部屋の明かりとして一気に普及、今までの暗い行灯の光ではなく、ランプの光は行灯の何倍かの明るさであったもの。
 当時の人は文明開化の恩恵を肌で感じたものだろうが、その後に現れる電気の明るさにはとても勝てなかったもの、しかしそれまではランプの灯りが大活躍したのだ。
 各家庭に普及したランプ、大型のものから小型まで多種多様なランプが出回り、その用途により使い分けをしていたが、一般の家庭ではそんな贅沢はしなかった。
 一部の金持ちは西洋ランプを購入、色つきの派手なランプを自慢げに披露して、西洋カブレを競っていたもの、特権階級のランプと違い、一般に普及したランプは、透明なガラスのシンプルなもの。
 それでも一家に一台くらいしか購入できなかったものだが、時代が大正期に入るともう少し安価なランプも登場、よりランプも身近なものとなって行く。

 そんな中、普及品のランプのうち、トイレとか風呂場とかの小さな部屋で使用するものとして、開発されたランプが登場、ブリキで油壺の部分が作られたランプだ。
 SANY4049_1.JPGSANY4048_1.JPGガラスのランプよりは安価であったようで、一般の家庭で二台目とか三台目とかに買い込んだようで、小さな部屋での使用に使ったもの、その分燃料も安く済み、明るい生活を楽しんだ。
 小さな部屋には大きなランプは贅沢、しかも燃料が多くいるランプは勿体ないもの、贅沢な明かりは極力避け、質素な生活をしていた一般庶民。
 そんな実生活が垣間見られるかのような小さなランプだが、当時の人達にとってはありがたいランプであり、生活の大事な道具であったもの。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年06月04日

太陰暦と太陽暦

      未だに尾を引く

SANY6863.JPG 江戸時代に使用されてきた太陰暦、俗に言う旧暦とも言うが、その時(とき)の刻みが現在でも、その名残を止めている言葉があるという。
 江戸時代は何時(なんどき、何刻、子の刻とか)と言って、時(ときと呼ぶ)または刻(こく)と呼んでいたもの、例えば子の刻(ねのこく)、丑の刻(うしのこく)、などと呼んだ。
 現代でも頻繁に使われているのが「午の刻(うまのこく)」、明治5年に改暦され145年も経つのに、今も使われている言葉が存在しており、今尚つづいている。
 其れが「午前と午後」、この午前と午後は昔の午の刻の前と後と言うこと、つまり午の刻を基準とした呼び方、江戸時代の太陰暦の呼び方であるのだ。
 もう1つが正午(しょうご)、この正午は午の刻の真ん中の事、つまり午の刻は現在の時間にすると11時から13時の2時間を指す、その真ん中が12時と言う事になる。SANY6867.JPG

 正午とは真ん中の午の刻のこと、それを現在も日常的に使っている言葉だが、その起源が太陰暦のものであることを知らない人が多く、其れを現在も使われているとは実に面白い。
 現在日常に使われている言葉が、145年も前に改暦となった暦を使っているとは、歴史とは時を刻むものと言うが正にその通りである。
 今の時刻(じこく)と言う言葉も刻と言えば旧暦の言葉、時間と言う様になったのは改暦後の話、24時間制になってから何時(なんじ)となるもの。
 この時(じ)の呼び方、書き方も試行錯誤があったようで、時とか字とか、色々なかき方を検討した結果、今の時の文字を当てはめる事となった様で、この字が生まれるに当たって喧々諤々の論議があった。
 普段使っている普通の言葉、その起源が長い歴史の上に立つ言葉であったこと、そして知らないで使ったいる事、普段何気なく使っている言葉にも、歴史があると言う事。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年06月03日

伝統産業

      新しいもの

SANY6966.JPG 日本古来の伝統産業を受け継いでゆくのは難しく、其れを継承する跡継ぎも深刻な問題でもあり、後継者育成にも頭の痛い現実があるらしい。
 伝統を守ることは容易い事ではなさそうで、後継者問題や技術伝承、そして何よりも販路拡大が大きな問題とされている今日、地元産業に大きくのしかかっている。
 このような現実から新たな取り組みも各地で行われており、伝統産業の活性化に色々と検討が開始され、新たなデザインと販路拡大に力を注いでいるところも多い。
 その1つが秋田県角館、伝統産業の樺細工、古くからの伝統を守りながら、現代に通用する商品開発を進めている地域、伝統の樺細工の売れ行きも下降気味。
 新しい商品を如何にして生み出すか、若い伝統産業の担い手たちが立ち上がり、商品の新たな開拓と技術確保、この2つを両立させる為に奮闘している。

 伝統の上に立ち、新しいものを生み出す、しかしそれが市場SANY3444.JPGSANY3445.JPGで受け入れられるものなのかは未知、試行錯誤して開発した商品が売れない事もしばしば。
 そんな中、売れ筋の商品もボツボツと出来上がった来ているが、まだまだ販路を広げるまでにはなっておらず、地道な努力が必要になってくる。
 そんな中、写真のような今までに無かった試みも、金属製のものに樺細工を施したライター、木工製品には存在したのであるが、金属製の本体に樺細工を施した意欲作。
 このような新しいチャレンジこそ、明日への飛躍につながるもの、やはり地道な努力の積み重ねしか無いもので、直ぐに成果の出るものではない。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2018年06月02日

瓶ボトル2

      過度期の産物
SANY5644.JPG
 コーラ飲料、最近では余り耳にしない飲み物みたいになってしまった様だが、少し前はこの飲み物の全盛期であったように思う。
 今はペット主流の世の中、ほとんどの飲み物はペット瓶になり、ガラス瓶の飲み物は少なくなったしまったようだ。
 このペット主流の前、過度期の商品として、色々異な物が発売され、市場を賑やかしていた時の物、試行錯誤の時代の産物。
 其の最先端を行っていたのがコーラ飲料、アメリカでは既にペットの時代であり、日本も急激にペット時代に移行使用としていた。
 その繋ぎの時代に現れたのが、写真のボトル、今ではお目にかかれない代物の容器、ペット瓶に移行する予備のもの。
 当時のリンク瓶ではなく、使い捨ての瓶ボトル、それも300ミリボトル、当時は日本人に合った量は250ミリ位がちょうど良いとされていた。
SANY6278.JPG
 アメリカでは既に500ミリのボトルに移行され、日本も大型化が急がれていた時、300ミリか350ミリかの論争が真っ只中。
 試作品として売り出されたボトルがこれ、売値も50円、300ミリの瓶ボトル、使い捨てである為に、現在残っているのは珍しい物だ。
 このボトルを売り出してみて、市場の反応をリサーチした瓶ボトル、如何にも過度期の物と言う雰囲気とボトルの形。
 メーカーが如何に時代の流れを把握しようとしていた事が、目で見てよく分かる代物、ボトルの形や値段も色々と変化した時代の産物だ。
 中身が入った当時のものは、今見つけようとしても中々見つからない物、何故ならば使い捨てられた物だから。
 このボトル瓶の飲み物を見ていると、今のペットの前は如何に市場が変化した時期であったかと、今しみじみ思うものだ。
 ペットボトルが出る前には、日本の市場は瓶ボトルが主流の時代、まだ25、6年しか経っていないが、もう遠い時代の話みたいに思えてくるのは何故だろうか。

 
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記