2019年06月06日

元気がない

    やっぱり赤
SANY2023.JPG
 家を建ててから、庭にはバラを植えたいと思っていたが、実際にバラを植えたのは大分経ってからの事、あちこちのバラを見学に行き、どの花が良いのか探した。
 あちらこちらのバラを見ていると、どれも良いバラに見えてみんな植えたいと、はじめはそんなことを思ってバラ選びをしていたが、園芸店で良いのを見つけた。
 店で話を聞けば簡単に育つとの事、それなら気に入った物が見つかり喜んで買い込み、庭に植えて咲くのを待ち続けたが、さっぱり花が咲かない。
 その内に虫に食われて苗はダメになってしまい、再び園芸店で話を聞くことに、すると「あのバラは病気に弱く、消毒をこまめにしなくては」と、はじめに言ってた事と違い、手間がかかると言う。

 簡単に花が咲くと言っていたのにと話せばSANY0062.JPG、「バラは消毒をやらないとダメです、常識ですが」と、そんな事ははじめて知ったし、簡単だと思ったのが甘かった。
 その後色々やったが、最後に残ったのがこのバラ、今も狭い庭で生き延びて40数年になり、今では我家の古株、他のバラも少しあるが、このバラが1番好きな花だ。
 このバラのためにアーチをこしらえたが、思うように誘引できず、アーチとは逆な方に伸びてしまい、屋根伝いに先を伸ばしたしまったから大変。
 結局バラの意志に任せて、伸びるほうに伸ばした結果、この様な状態で今盛りに花をつけて、こちらの思惑とは違った格好になったが、元気に咲いていてくれたが今年はおかしい。
 害虫には気おつけているが、敵もさるもの、綺麗に咲いた枝が下を向き、ダメになるのもしばしば、害虫との戦い中でもある、何時もなら上の写真みたいだが今年は下の写真みたいに元気がなく花もない状態である。
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2019年06月05日

老舗の味

    四角い蒸篭

 何時の時代から笊で蕎麦を出すようになったのか、「ざる蕎麦」と言われるからにはその昔笊で蕎麦を出していたもの、現在でも笊で出している蕎麦屋は多い。SANY2895.JPG
 竹で出来たざるを使用している所もあり、如何にもざる蕎麦と呼ばれるに相応しく、食べる方でも雰囲気も味のうちであるから、こうした演出は大事だ。
 もう1つは蒸篭、蒸篭で出てくる蕎麦もざる蕎麦と呼ぶところも、同じざるでも蒸篭で出てくると一味違う、人間の味覚とは不思議なもの、出てくる器でも変わるもの。
 日本食は器で楽しむ、食の世界であるから難しいものなのか、そんな事はない蕎麦の世界に難しさはないが、その分楽しさは無限に広がる。
 それは、日本全国ところにより蕎麦が違うからで、打ち方も違えばつなぎも違う、出される器もまた違う、だからこそ土地土地の蕎麦が食べたくなるのだ。

 信州松本、繩手通りの蕎麦処「弁天本店」、女鳥羽川の辺にあり、創業明治10年松本でも老舗の蕎麦屋、建物もどっしりとした日本建築、これぞ明治の蕎麦屋と思える構え。
 店の中は残念な事に昭和に改造されているから、明治の雰囲気はないが、普通の蕎麦屋と同じ、しかし出てくる器は昔のもの、真四角の蒸篭に、赤く縁取りされた器に乗って出てくる。
 如何にも老舗らしい雰囲気のある器、出し汁も昔ながらのものと思え、少し黒っぽい蕎麦、だが腰があって程よい硬さの蕎麦、一気にかきくむと蕎麦の香りがする。
 さすが老舗の蕎麦、長年培われた蕎麦、現代的な味ではなく、昔懐かしい味であると共に蒸籠が雰囲気を出している。
 現代の蕎麦屋で食べるものとは、一味も二味も違う蕎麦、派手ではないが地味でもない、其処には伝統に培われた蕎麦そのものが、一度は食べてその味を確かめて。

 
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2019年06月04日

確認事項

   日本古時計保存協会の浜松ミーティング開催の件
 時、 6月9日 日曜日
 場所、浜松市東区小池町2543−4
     NKトレーディング事務 053 465 3666
 時間、11時30分開始
 会費、1500円 昼食代含む
 蛎殻町製造時計が新しく入りました、その説明をします。
 尚、オークションを開催いたします、参加ください。
   日本古時計保存協会  事 務 局
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2019年06月03日

HOゲージ

   懐かしい
SANY0021.JPG 知人から、「こんなものが出て来た」と持って来られたのがHOゲージの玩具、昔懐かしいものだった。
 何でも家を整理していたら、押し入れの奥から出て来たが要らないから貰ってくれと言う、見れば見覚えのあるものであった。
 自分も昔遊んだことのあるもので、見たとたんに欲しいと思ってしまい、その場で見る事にしたのだが、何だか部品が少くないと思った。
 一つ一つ部品のチェックを始めると、「動くかどうかも分からないぞ」と言い、40数年も使ってないからなと言うのだ。
 確かに持って来たものは時代物のH0ゲージ、それもドイツ物のメルクリン製のもの、当時は高かったものだと思う、私も欲しかったが値段が高くて手が出せなくて、国産のものを持っていたが、やっぱりドイツ物は良いものだ、迫力があると思う。

 私の顔を見て知人、「あまり期待するな、動かなSANY0027.JPGいかも知れないから」と念を押すが、始めから動くとも思っていないし、期待もしていないと答えたが、腹ではひょっとして動くかも知れないと、そんな気持ちで並べてみたら、動力車がまずないの気付き、「先頭車両がないぞ」と言えば、「壊れてしまい前からナイ」と即座に答える。
 やっぱりかと腹で思い、尚も他を検査すると思っていたよりも部品が足りない、足りないと言うよりも無くなってしまったのだと言う、期待が段々とすぼみ現実につれ戻される。
 結果はコントローラーも壊れており、線路も全部はなく、先頭車もない状態、知人「完全なものでない筈」当時から無くなっていたとも付け加え、揃っている方がおかしいと。
 確かにその通りで、完全に揃っていたら奴が持って来ない筈、持ってきたと言う事は要らないから持ってきたのだ、要らなければ捨てろと知人、その様に言われると捨てる訳にも行かず、何とかして動かせればよいと思ってしまった。
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2019年06月02日

信長死す

    本能寺の変

SANY9611.JPG 戦国の世、尾張の地にて生を受けし風雲児織田信長、日本の歴史上最も鮮烈なイメージを、人々に植えつけた人物、其の人となりは様々に評価されている。
 ある人は、「人間味の無い奇人である」とか、ある人は「天才的策略者」だとか、ある人は「殺人鬼」だとか、様々な呼び方をされているのも信長らしい表現である。
 しかし、実際の人物像は正に闇の中、歴史の事実のみが其の姿を浮き彫りとしているが、彼自身戦国の世に、尾張の小国の家に生まれ、侵略されるのは風前の灯とも云われて育ち、奇行に走ったようだ。
 しかし、本当に其れが奇行であったのか、それとも信長自信の演出でもあったのか、其れも又闇の中で今知る人は居ろうはずも無いのである。
 信長の鮮烈なイメージの1つに、あの桶狭間の戦いがあるが、歴史学者が色々な説を唱えて、信長の行動を研究をしているが、現地桶狭間に立つと、学者さんの言うことが信じられない事もある。

 信長の奇襲攻撃により、今SANY9614.JPG川義元は桶狭間の露と消えたが、これも信長の用意周到な作戦計画であったのではないのかと、思われてならない。
 万に一つの勝ち目もないと、戦前から言われ、家臣達も討ち死に覚悟での戦いであったとされているが、戦国の世戦いは死を意味しており、常に隣り合わせていたから、彼らはさほど動揺はしていなかったと思う。
 それを上手く状況判断の末、戦の作戦を練っていた信長であり、偶然に勝利したものでなく、戦略家らしい信長の技量で、運が良かったとは言い切れない。
 その後の信長の戦いを見ても分かるように、偶然で戦に勝利したのではなく、用意周到準備された作戦にもとずいた勝利、長篠の戦ほど信長の真髄を見せ付けられたもので、当時の世界で3000丁の鉄砲を戦に使用したのは、世界で信長が始めてである。
 そんな天才的戦略家の信長が何故、無防備で本能寺に入ったかは不思議でならないが、それも歴史の謎であるのか、今日戦国の勇織田信長が49才の幕を閉じた日である。











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