2018年03月05日

蓄音機の針

    錆が来ている
SANY5952.JPG
 蓄音機、懐かしい音色は人々を幼い日の思い出に添いこむが、それは遠い日の郷愁かもしれないもの、幼い日に聞いた懐かしい音でもある。
 現在のプレーヤーが出る音は電気音、確かに良い音もするし、雑音すら無いもの、音としては良い音量、良い響き、研ぎ澄まされた音。
 現代人はより良い音を求めて人工的な音にしていると思えて来るが、それは音の追及ではなく、雑音を排除するものであり、実際の生の音と少し違う。
 何処がどう違うのかは、その人の感じ方であるが、心に響く音ではない事だけは言えると思うが、そんな事を言うのは歳のせいなのか。
 電子音と言うべき音と蓄音機の音、比べてみれば遥かに電子音の方が良いかもしれないが、心には響かない音でもあると思う。SANY5149.JPG
 その点、蓄音機はゼンマイ仕掛けの旧式、機械とはいえ原始的な物に近い、振動を伝える仕掛けはじつに簡単なもので、サウンドボックスから入った音は、パイプを通してラッパ状の拡声器に伝える。

 レコードの溝を鉄の針が通る時、波状の溝が音の源となり、振動が生まれるのだが、その生まれた音はまだ小さな音、パイプを通りラッパへと伝わり、音が増幅されて大きくなる。
 実に簡単な構造であるが良い音を出すので、若い人などは何故そんなに音が出るのか不思議に思うが、其れが蓄音機の実力でもある。
 そして若い人が驚くのが針、彼等はレコードを聴くためには、針を変えなければならない事を知り、又不思議に思SANY4743.JPGうらしい。
 それも、少し聴いただけで又針を変えることに疑問が、今のデスクは針なんぞ変えることなど無いのだから、不思議に思うのは当たり前でもある。
 しかも、鉄の針だと知り、これまた驚く、蓄音機を聴くのに何度驚くのか、それほど蓄音機は新鮮に彼等には見えるものなのだ。
 そんな驚きの鉄針、手入れが悪いと直ぐに錆が来るもの、錆びた針は良くないから、錆びさせないように気を付けなければならない。
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2018年03月04日

友情は成立するか

   ライバル同士

SANY7262.JPG 古時計を集めている同士で友情は成立するか、そんな話が古時計仲間から出て来て、論争となった。
 くだらない事を言うなとある友人が切り出せば、他の人から「果たして友情は存在するか」と厳しい意見。
 何故こんな話になったのかと言えば、古時計を集めている同士が欲しい時計を巡ってどの様に反応するかとの問い掛けが最初。勿論親しい仲間内での論争であるが、そこは古時計を巡っての事。
 つまり自分の探している古時計を同時に見つけた場合、相手に譲る事が出来るのかと言う問いかけである。
 長年追い続けている古時計を2人が同時に発見した時、当然自分も長年追い続けて来たので率直に相手DSCN1507.JPGに譲れるものなのか。

 今まで温めてきた友情はこの一件でもろくも崩れてしまうものか、色々と言う人も多くいるのだ。
 ライバル同士なのに折角のチャンスを見逃すことは出来ないと、それが普通ではないかと言うのだ。
 確かにその通りで果たして自分だったらどの様に対処しただろうか、自信はないと思うのだが。
 事実今までにそのような事は二度経験しており、一度は見事に裏切られてしまい、ライバルに持って行かれてしまった。
 それも騙し討ちみたいな行動で持って行かれ、それ以来その友人とは疎遠になってしまった。

 幾らライバル同士でも騙し討ちだけはやってはいけない行為、信頼していた友人がまさかそんな行動をするとは信じ難かった。
 二度目はその反対で友人がお互いに欲しい時計であるから、話し合いで解決しようと持ち出してくれた。
 長年の付き合いを反古にしたくないとの心使い、それにはこちらも大いに賛成であり、話し合いで解決をして、友人とのヒビは入らず、今まで以上に信頼しあえたのだ。
 勿論相手にもよるであろうが、信頼関係が一番大事だと思うが、その時そのような行動が起こせるかが一つの鍵でもある。
 写真はその時話し合いで解決した古時計で、現在も我が家で存在しているが、この時計を見ると友人を思い出す。

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2018年03月03日

上巳の節句

   厄除けの儀式

SANY0690.JPG3月3日は雛の節句、女の子成長を願うお祭り、戦後になってから一般庶民にまで普及したお祭り。
 現在ではひな祭りとして女の子の祭りとされ、雛人形を飾ってお祝いする行事、楽しい祭りとも言えよう。
 このひな祭り、もとは中国よりの渡来文化が起源と言われ、平安時代に伝わったとも言われている。
 しかしもっと前から伝わったとされ、古墳時代まで遡るとも言うが確かではない話である。
 もともと厄除けの儀式と言われ、1年24節とされる節目に行われていた厄除けの儀式の一つらしい。
 2月3日の節分などと同じ厄除け、3月3日は上巳の節句であり、やっぱり厄を払いのける行事の一つ。
 昔は節目、節目に邪気が入ると言われており、その邪気を払うものとしての儀式であったようである。SANY0064.JPG
 宮中に伝わったものが武家へと伝わり、そして江戸時代には一般庶民にまで伝わったと言われる。
 江戸時代に入り雛人形は急速に発達して行き、武家はもとより裕福な町人に普及して行く事になる。

 そして本来の厄除けの儀式と言う名目から、女の子の成長を願うものへと進化して行き、現在の雛人形の形が形成された。
 雛人形には二つの形式があり、公家形式の雛人形と武家形式の雛人形とが存在している。
 明治以後は殆どが武家形式の古今雛が中心となって現在まで続けられており、公家形式の有職雛は少数派となっている。
 また昭和に流行った七段飾りの雛人形も時代と共に変化を遂げ、現在ではコンパクトな人形飾りとなってしまった。
 時代は何時も進化しており、雛人形もまた時代につれてその形も変化して行く事になる。
 現在では雛人形を飾る家庭も少なくなってきたと言われ、生活環境も変化して雛人形のあり方も変わったようだ。

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2018年03月02日

電笠

      上向きか下向きか

SANY5941.JPG ランプシェード(電笠)、ランプシェードとはランプの覆い、昔はランプの火が風で消えないように覆いを被せて、風対策をしていたもので、風除けであった。
 強い風から炎を守る為に作られた覆いであるが、単に覆いだけではアッケない、其処でガラスのほやで風から守る事を考案、次第に装飾性を施して行った様だ。
 時代が経つにつれ段々と豪華になり、単に風除けとは云えない代物に変化して行き、当時貴重であったガラスを用いて覆いを作るようになり、次第に派手になった行く。
 何時の時代でも権力者は最高の物を求め、宮殿のランプを鮮やかな物で飾りより豪華さを競った為、ランプシェードは急速に発達する事となる。

 それでも一般庶民はまだまだ直ぐに手が足せる物ではなく、時代が下がらないと普及しなかったが、それでも単なる透明のガラスであり、
装飾性の優れたものは高価で手が出せなかったようだ。SANY5946.JPG
 時代が進み電機の発明と共にランプシェードもその用途が風から炎を守るのではなく、光を集中して下に向けるための用途に変わって行き、形や色彩もより鮮やかな豪華な物が出来上がり、一世を風靡する。
 形式もランプでは無かった形、つまりランプの光は上向きであった為その様な形に作られていたが、電気は下向きでも使用可能であり、新たな形が生まれる事になる。
 西洋では「ランプシェード」と呼び、日本では「電笠」と言う、日本の人は電気の笠なのに何で「ランプシェード」と呼ぶのか不思議であると思う人が多いと思う。
 それはランプから発展していった過程での呼び名であり、ランプシェードと今でも呼ばれ、ランプの笠ではないが日本の人は海外で電気の笠ではないと思ってしまうらしい。
 写真はイギリス製のランプシェード、形はランプのほやそのもの、これは一目見てランプのカバーで電笠ではないと思える位、上向きのランプ用であり、高級なオパールセント、薄くラメ状になっていることが確認できる。
 古い時代のランプシェード、壁掛けタイプのおとなしい形、日本の家屋にもピッタシ合う、シンプルで日本人好みの物、中々日本の家屋にあうランプを探すのも一苦労だ。
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2018年03月01日

今年も

   寄る年波

SANY5957.JPG 毎年の事この時期になるとおこしものをつくる時、今年で何回作った事やらと思いつつ、今日も米粉を練っている。
 何時も人から言われるが何でそんなにおこしものをつくるのかと、確かに言われればそうかも知れない、今日で3回目になるからだ。
 知らない人は何故そんなに何回もつくるのかと、確かにその通りだが、それには訳があるからだが人には分からないのだと思う。
 毎年これを待っている人がいるからつくらなければと、そんな気持ちでつくっているが中々疲れるもの。

 一回に3升分つくるのが普通、出来上がったものは大きな笊2つ分、中々なものであるがつくるのは大変な作業。
 普通の人がつくれば大変な時間がかかるもの、大きな蒸し器がないと時間がかかり、蒸し上げなければならないから。
 勿論米粉を練る事から作業は始まるSANY5966.JPGが、これがおこしものをつくる一番力のいるところ、何時も苦労するところである。
 以前に腰を痛めた為、あまり力を入れる事が出来ず、そこそこの力で米粉を練る事になるが、練りが足りないと美味しくない。
 おこしものは練りが一番大切な事、しっかりと練らないと美味しくなく、もちもちとした味わいが出ずここが大事な作業。

 長年やっている仕事であるから進行には支障はないが、以前に腰を痛めた為に力の入れぐわいが微妙に違うのだ。
 以前であればこんな作業は大したことではなく、簡単に済ませていたが最近は其れも行かなくなってしまった。
 腰をかばっての作業は逆に疲れ、別の所が痛くなるのでスムーズに米の粉を練れないでいる始末。
 やっぱり練りの作業は腰が一番決めて、腰を入れないと上手く練れないもので、その上時間もかかる事になる。SANY5961.JPG
 腰をだましだましの作業も大変、つくる量も多いので早く練りの作業を終えないと次に進めないから。

 練る作業が終われば、今度は型おこしがはじまるので、練る事はまだ序の口、細かな作業が待っているのだ。
 一つ一つ練られた米の粉を型に入れて起こさないと、黙々と型おこしがはじまり、次から次へと起こさなければならない。
 量が多いから起こすのも大変な作業、慣れた手つきで型おこしを続ていると、見ていた人が大変だねと励ましてくれた。
 それにしても年々米粉を練るのは疲れるもの、歳は取りたくないと最近つくづく思うようになったのも歳のせいなのかと。


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2018年02月28日

テレビで見ました

   展示会場で

 SANY0651.JPG現在展示をしている雛人形の会場で見学者から「ひょっとしてテレビに出ていた人」と言われてしまった。
 確かに1月末に綾小路きみまろさんとテレビに出ていたが、まさか全然知らない人から私であると分かったのが不思議。
 幾らテレビでも直ぐに私だと分かるとは驚きだが、テレビとはやはり恐ろして力を持っているものだと感心した。
 その人曰く「何で時計を集めている人が雛人形何ですか」と問いかけられ、答えに困ってしまった。
 何故ならば多くの見学者がその場所にいたからで、他の人からも何でだろうと声が聞こえて来たのだ。

 確かに言われればその通りかも知れないが、私としては別に雛人形を集めるためにした事ではなく偶然の産物。
 時計を集めるために仕事で全国に行ったついでに、古時計探しに回り時計が見つからなかった時に何か買い込んで来た事は確か。SANY0103.JPG
 目指す時計がない場合、折角来たのだから何か他のものでも買った帰ろうと、そんな思いでなにがしかを買い込んだ。
 まして雛人形を集めるために買い込んだものではなく、ある時店の店主が「時計を買ってもらったからこれでも持って行ってと差し出したのが土人形、それも古い堤人形の雛人形であった。
 その後、他の店でも偶然に雛人形を貰い部屋に置いていたが、これを集めようとは思わずそのまま時は過ぎた。

 名古屋の行き付けの店で大きな享保雛を見て始めて欲しいと思い、値段を聞いてみたらとんでもなく値段が高かった。
 思っても見ない位に値段が高かったので、何故そんなに高いのかと尋ねてみたら珍しいからだと言われた。
 それ以来享保雛だけは欲しいと思うSANY0064.JPGようになり、それからあちこちを探したが中々見つからず、結果は手に入らなかった。
 手に入らないとなると是が非でも手に入れたいと思い、知り合いの骨董屋に片っ端から電話をして享保雛を探し手に入れた。

 しかし、それ以来自分から享保雛も探すことはなく、結局は骨董屋の店の親父が気を利かせて雛人形を集めてくれたと思う。
 そんな訳で集めるつもりでもないのに段々と数が溜まり出し、現在に至ってしまったが何故集まって来るのか自分でも不思議に思う。
 結果は雛人形が多く集まり、人から見れば変な趣味であると思われても仕方がないが、自分では古時計の副産物だと思っている。
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2018年02月27日

連絡事項

 浜松ミーティング開催の件

時期、 3月11日日曜日
場所、 浜松市東区小池町2543−4
    NKトレーデング事務所 053-465-3666
時間、 11時半開始
会費、 1500円昼食代含む

尚、オークションを開催します、出品をお願いします。

 日本古時計保存協会  事 務 局
   
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引き出しの隅

   忘れ去られて

SANY5927.JPG 小さな箪笥が私の部屋には三つあり、それぞれには小物がたくさん詰まっており、必要に応じて取り出している。
 小さな引き出しが付いているので、小物を別々にして入れるのには非常に重宝しているタンスである。
 勿論古いものであちらこちらに虫食いのあとも存在、しかし実用には何の支障もないから便利なものだ。
 兎に角小さな部品とか、飾り物などの小物を手当たり次第に詰め込んでいるが、何処に何を入れたか忘れているのだ。
 勿論入れた時はどの引き出しにあるのかは覚えているが、時が経つにつれ次第に曖昧な記憶となり、何時しか忘れてしまう事になる。
 今回のものもその類で、引き出しの奥に長年忘れ去られていたもの、時計修理に必要な部品があり、あちらこちら探してもないので、一番使っていないタンスを探すことに。
 普段は使わないものがしまってある箪笥の引き出しを開け、中を物色していると奥から名刺入れに何か入っているのを発見。

 蓋を開けてみるとコーラの王冠が入っており、何でこんなものが入っているのかと王冠をひっくり返してみた。
 そこには1000円の文字が、すっかり忘れていたが当時コーSANY5933.JPGラの王冠の裏に当たりが仕組まれており、最高は1000円であった事を思い出した。
 確か当時はコーラは一本60円であったと思う、その大当たりが1000円であり、中々当たらなかったと記憶している。
 その当たりがなんと4個も出て来たではないか、よく見ると皆一緒ではなく色々なものがあるみたいで、何年かにわたっているみたい。
 記憶を辿ってみると昭和54年位から続いていたと思うが、記憶違いかもしれないが大体その位だと思う。
 中々当たらなかったから大事に取って置いたのであろうが、今考えてみれば勿体ない話、今なら2.5倍位になるはず。
 10000円以上になり、やっぱり勿体ないと思う反面、当時が思い出される記念の品だと思うと、それはそれで良いのではないか。
 しかし当時は大当たり、今では公取に引っ掛かり、こんな大金は当たりにつけられない時代、良い時代でもあったと思う。

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2018年02月26日

ペコちゃんとのらくろ

    キャラクターの元祖
SANY0314.JPG
 のらくろやペコちゃん、時代を超えて親しまれているキャラクター、長い時間を生き抜いて来た者たちだ。
 のらくろは1931年、田河水泡によって作り出されたもの、当時軍隊物の漫画としてえがかれ、現在まで人気を保っている。
 かたやペコちゃん、不二家の看板スターとして1950年に誕生するもの、のらくろと違い漫画の主人公ではなく、ミルキーのキャラクターとして生み出された。
 お互いに長い間人気を保って来たキャラクター、何故そんなに長い間人気を保っておられるのか、そこには秘密が存在。

 のらくろは戦前の漫画、軍隊で活躍したキャラクター、時代を繁栄した漫画であるが、決して戦争さんがの漫画ではない。SANY2168.JPG
 名前の由来は野良犬、黒色の野良犬を主人公にしたもので、勇ましいものかと思えば、さにあらず愉快なものに描かれている。
 だからこそ愛されているものだと思うが、その後映画やテレビにも登場、人気を保っているキャラクターの鏡。
 ペコちゃんは企業が生み出したもの、キャラメルの宣伝用として生み出され、店の店頭で愛嬌を振りまいたもの。

 ペコちゃんは七歳の女の子、身長は100センチと決められ、現在までとしを取っていない永遠の子供、現在も七歳だ。
 企業のキラクターとして現在まで人気を持っていること自体奇跡、長い間人気の秘密は何か、それは時代に合わせて変化しているらしい。
SANY1073.JPG
 その時代に合った衣装やスタイルを先取り、その時々の変化に沿った衣装、もしくは季節によっても変化しているのだ。
 写真のペコちゃん、一番の定番スタイル、ペコちゃんと言えば誰しも、このスタイルを創造すると思う、それがペコちゃんの秘密。
 人々の頭の中に刷り込まれてしまったスタイル、勿論のらくろも同じ事、それが長い間人気のを保ってきた証拠でもあるらしい。
 人気を保つと言う事は難しいらしく、人々は常に新しいものを求めているが、それに答えられないと支持されないのだ。
 色々なキャラクターが生まれて来たが、この二つのキャラクターほど人気があるものはないと言え、不思議であるが支持者が多い。


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2018年02月25日

福助2

      登  録  商  標

SANY1667.JPG 本来、福助の置物と福助足袋のマークは同じ物ではないが、福助足袋のマークが有名になってしまった結果、現在の若い人は福助は福助足袋のものと思っている。
 この福助は、福助足袋の歴史よりもずっと古く江戸時代からある置物、其の置物をモデルとして福助足袋がトレードマークとした結果、有名になった物。
 福助足袋は、明治25年に辻本福松が、大阪堺に於いて「丸福」と言う屋号で足袋を販売する店として創立、商売が順調に進み店が繁盛するようになったが、屋号の「丸福」が同じであると訴えられ、裁判において敗訴して屋号を変更。

 福松の息子辻本豊三郎がお伊勢参りの途中、福助の置物を見て、この福助を商標することを思い立つ、親子協議の結果福助足袋と命名し、福助をトレードマSANY1577.JPGークとした。
 明治33年(1882年)、辻本豊三郎は福助マークを登録商標として登録、その後社名も福助足袋株式会社と改名、派手な看板や宣伝を行い、足袋業界においてトップクラスの会社となる。
 福助をトレードマークに採用した効果は絶大で、全国的に福助足袋の名は知れ渡り、足袋と言えば福助マークの付いたものが1番と言われるようになった。

 写真の看板が、遠くからでも一目で福助足袋と分かる看板ができあがり、之が全国に広がり親しみやすさと、派手な赤色で福助足袋を印象ずける事に成功したものである。
 福助足袋の宣伝物は、兎に角目に付く物を利用しており、赤色が印象深くて、大人から子供まで、福助を見れば足袋の会社だと思ってしまうほど覚えられた。
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2018年02月24日

瀬戸の磁器雛3

      呼び名が変わった
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 雛人形の呼び名が変わった物が2つあり、1つは「右大臣、左大臣」ともう1つが「衛士」の2つ、この2つが呼び名が変わったもので、今では随身と呼ばれる(右大臣、左大臣)。
 その昔から右大臣、左大臣と呼ばれていたわけではなく、一説には東京の某人形店が自分のところの雛人形にパンフレットの形で人形の飾り方を印刷、其のマニアルを付けて人形を販売した。
 其処には右大臣、左大臣と記載されており、これが全国の人形店に広がり呼び名の元となったようだが、事実はどうであったか不明な点が多い。
 只、全国的に広まったのはマニアル化された印刷物であった事は確かなようで、それ以後急速に全国に広まったことは確、この右大臣、左大臣と呼ばれた人形、弓矢を持っている。

 大臣が弓矢を持っている事は無く、正式には近衛兵の中将か少将と云われ、天皇の警備に付いた武官であり、人形店の勝手な判断が誤解を生んだもの。
 SANY1433.JPGSANY1434.JPGそしてもう1つは衛士、従者の事をよび雨傘や日傘を持っている人形、現在は仕丁と呼ばれているが人形店によっては従者となっていることもある。
 写真の随身、大正期に瀬戸で焼かれた磁器雛、可愛らしい人形で座っているが、格好が少し普通の随身と違って寛いだ雰囲気、片足を挙げてリラックスしている珍しい物。
 本来は立って警備している姿をしているのが当たり前の姿、この様にリラックスしている物は極めて珍しく、磁器雛の製作者が遊び心を持った人物であったようだ。
 そしてもう1つが、背中に背負っている矢、本来は右肩から出ているのが当たり前であるが、左の肩から出している随身もあり、左右両方から出しているのも珍しい。
 弓矢は右利きである武士は、当然のこと右肩の後ろに矢が無ければ弓に装置する際、左肩に有る事事態ありえない話だが、現在製造されている雛人形を見るに、左肩に背負っている物が多いのは何故であろう。







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2018年02月23日

ガラケイ

   孤立している

SANY7153.JPG 雛人形の展示会場での出来事、私が雛人形の解説をしているときに友人から電話が入ってしまったのだ。
 仕方なしに電話に出て今説明しているから後でと言って電話を切ったが、それを見ていた見学者の一人が、「まだガラケイを使っているのですか、古いものが好きですね」と言われてしまった。
 その人は別に意地悪でそんな事を言ったのではなく、古い雛人形を集めているから携帯も古いものが好きなのかと。
 嫌みではなく本当のことを言われたと思うが、私に言いわけにし聞こえなかったので、ぶっきら棒にそうですと答えた。
 好きでガラケイを持っている訳ではないが、それには訳があるからだけど、そこでは言えなかったのだ。

 ガラケイとはガラパゴスの意味らしく孤立している事の例えらしく、つまり進化が遅い時代遅れとも取れる言い方。
 勿論今はスマホの時代、私も何度か機種変更に出かけたが、その都度嫌気がさして帰った来るのだが、それはそれは一度や二度ではない。
 理由は私が約30年間auを使用しており、機種変更に出かSANY7158.JPGけるが、他社からの変更は無料で長年使い続けている私が、何故機種変更するのに高い値段なのか納得がゆかないからだ。
 長年使用している人よりも新規加入者の方が優遇されるとはケシカラン事だと思うから、やめて帰った来るのだ。
 私には理屈に合わないと思えるから変更せず、現在使用しているものは7年も前のもの、自分がガラパゴス化している様だが、理由がハッキリしているからだ。

 他の人から見れば時代遅れの形態を何時まで持っているのかと、不思議に見えている事も分かっているつもり。
 しかし納得がゆかないから機種変更をしないだけであるが、auからはもう部品がありませんと言われているのだ。
 それなら壊れるまで使ってやると、意地を張っている事は確かで、何時まで使えるものなのか、意地比べでもある。
 友人がそんな私を見て「やっぱりお前は時代遅れな人間だ」と嫌みを言うが、それはそれで良いと思っている。
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2018年02月22日

照明

      改めて見直して

 SANY5721.JPG今まで全く気付く事のなかった蛍光灯、自然に其処にあり明るくて電気代が安い、そんな蛍光灯を無機質な明かりとは思ってもいなかったが、イギリスの友人に言われた言葉が、やけに気になり出した。
 「日本人は、何故無機質な蛍光灯を家庭の中まで持ち込むのか」と、そして「工場で使用しているものを何故家庭で使うのか」と、指摘された事。
 思いもよらない言葉、蚤の市でアンティクランプを探し求め、気に入った物を買い込んだときに、「このランプ何処で使うのか」と、この言葉もやけに気になった。
 云われて見れば、日本の家庭で蛍光灯が使われだしたのは、昭和30年代後半の事、そのときは工場で使っているものと同じ真っ直ぐな蛍光灯、彼らの言う工場で使われているのと同じ物であった。

 工場は当然作業をしなくては成らず、手元が暗くては仕事にならないので、当然明るい事を求められ、部屋全体を照らすように設計されている。
 それをなぜ日本は家庭に持ち込むのかとの疑問、家庭の中まで直接照明をする必要が有るのかと、彼等は間接照明こそが温かみのある照明ではないのかと言うのだ。SANY5728.JPG
 素朴な質問でもあるが、耳の痛い話でもあり、考えざるを得ない様になったが、それ以来自分の家の照明が気になり出し、必要以上に明るくないランプに切り替えだした。

 壁にランプを取り付けて、中央のランプの明るさを、今までよりも小さな物にし、間接照明を取り入れて、部分的に切り替えられるように改造したのである。
 以前の照明と比べれば部屋全体は明るくはないが、決して暗くもないのだ。
 人間の慣れとは恐ろしいもので、明るすぎに気が付かなく、それが当たり前のように思っていた生活、少しは暗いかも知れないが。
 もう1つは、LEDの白色の光を発する電球をやめ、温かみのある黄色のLEDに取り替え、今までより明るくないが暖かさのある光になって、昔のような雰囲気になったの良いと思う。
 省エネの現代、必要以上に余りにも明るいものは避けて、しかも実用的な照明に替える事が進んでいる事は喜ばしてのではないか。


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2018年02月21日

雛祭り

   雛人形

 DSCN0390.JPG3月3日はひな祭り、全国で女の子の祭りとして行われている行事、女の子の成長を願った祭り。
 色々に雛人形が各家庭で飾られ、女の子にとっても楽しい祭りでもあるようだが、以前みたいに派手に飾る所が減っているよう。
 核家族化で生活も変わり、住居も以前とは様変わりしているから、和室のない所も多いようだ。
 別に和室がなくとも雛人形は飾れるが、部屋の状態で大きな雛人形は飾れない所も多く、コンパクトな雛人形が主流と聞く。
 いずれにしても子供の成長を願う親の気持ちは変わらないもの、雛人形の大小の問題ではないと思う。

 今瀬戸で私が雛人形の展示をしており、会場で手持ちの雛人形の説明をしているが、面白い事も幾つかある。DSCN0389.JPG
 特に年配の人とか若い人たち、雛人形に対する意識が全く違ったり、それに対する気持ちもまた違う事に気づかされる。
 年配者は懐かしく思うのだが、現代の若い人はあまり興味を示さないと思うが、私の感じ方が違っているかも。
 只、年配者の人達が雛人形をあまり知らない事にも驚かされ、時代の流れを感じ興味深い事を知った。
 それは雛壇に飾られている橘と桜のおきもの、右近の橘と左近の桜であるが、展示物を見て見学者がこそこそと話しているのだ。

 私が説明しているにも拘らず年配者の2人が、置いてある橘と桜の事を論争しはじめ、他の人までその論争に聞き入っている様子。
 話は左近の桜なのに右に置いてありDSCN0385.JPG、右近の橘が左にあるのはおかしいと、2人で言い合っているのだ。
 こちらが説明しているのに前で論争されては前に進めず、仕方なしに2人の論争に加わってしまった。
 確かに2人の論争は分かるが、見学者に説明中にやられても困ったもの、しかしながら目の前でやられたら困るので何故左右が違うのか説明に入る。
 京都御所に行くと紫宸殿の前に植えたある橘と桜、呼び方は右近の橘と左近の桜と言い、これは天皇から見て左右を示しており、京都の左京区と右京区が逆になっているのと同じ、御所から見て左右が示されている。
 だから見ている人からは逆になる事になり、何で逆なのか不思議に思う人も多い、説明を聞けば理解できるが、知らないと間違いではないのかと思う人も多いのでは。


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2018年02月20日

宝探し

   めぼしいものは

SANY1967.JPG
 骨董市場、プロ相手の市場であり、一般の人は立ち入り出来ないところ、全国から色々なものが集まって来る。
 よく言われる様に無い物はないと言われるくらいに、様々なものが出品され、それらを求めてプロが集まって来る。
 買う方も売る方も真剣、一つ間違えば大損する可能性があり、常に真剣勝負の世界、プロ同士の鬩ぎ合いだ。
 勿論本物、偽物が入り乱れて出品されているから、その中から自分の欲しい物を探し、市場のルール
に従い落札するのだ。
 素人には分からない物でも、彼らにとっては一目で真贋を見抜く、しかし時として間違いもあるのが市場の常だ。

 ビックリするほど安く買える事もあればね逆にビックリするほど高いSANY1957.JPG値段で取引されるものもあるのがこの市場。
 出品されているものの中には高いもの、安いもの、そしてどうしようもない物まで千差万別、やはり素人には分からない。
 古い物だと思っていたら、実は新しい物であったり、自分の目では古いと思っても、玄人は新物と見抜いてしまう。
 そんなものが隣り合わせに置いてあるから、どっらが本物か分からないが、そんなものをセリで売買される。
 セリとは、欲しい人が自分の値段を提示、他の人よりも高ければ落札でき、低ければ落札できない仕組みなのだ。
 そのやり取りは一瞬で決まってしまう事に、中地した段階で他の人に持って行かれてしまうから、迷いは禁物。

 しかしそれが本物かどうかは分からず、賭けでもある事には違いなく、勝負SANY1930.JPGの世界、そんなセリ場の雰囲気は実に緊張の場。
 真剣勝負だからだが、素人の我々にとってはそんな場面を見るのは面白く、プロの勝負は実に面白いと思う。
 面白いと感じるのは失礼な事、本人同士は真剣だから、ある種の博打と同じものだと思う、それも一瞬の勝負。
 写真はそんなセリ市場に出品されているもの、兎に角色々なものが山積み状態、よくこれで分かるものだと感心する。
 下見の段階は素人でも見学できるが、本番のセリは素人の出入りは出来ないから、見学会に行くのも面白いものだ。
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葉煙草

      昔は民間で

SANY5704.JPG 煙草、昔から人々に吸われていたもので、古くは紀元前から喫煙の記録はあり、色々な形で吸われていたと思われ、現在のような紙タバコに成るのは近代になってからである。
 そもそも煙草は、ニコチンのかたまりみたいなものであり、中毒症状を起こす刺激な存在、多くの人々に吸われていたが、もう1つは宗教的な儀式にも使われていた。
 神に伝える神聖なものとして煙草は吸われていた時もあり、現在のような嗜好的なものではなく、神聖な儀式用で使われた時代は、一般人は吸うことを禁じられていた時もあった。
 日本では古代には既に吸われていたらしく、これも儀式用であったと言われているが、どう言う形式で行われていたのか不明、庶民に盛に吸われるようになるのは、江戸時代に入ってからの様、それは葉巻たばこではなく、刻み煙草であった。

 芝居等で長い大きなキセルと言われる道具で、刻み煙草を丸めキセルの先にある受け口に入れ、口元から吸う仕組みに成っていた物、現在のパイプに近いものである。
 この煙草、明治に入ったからも盛に吸われていたが、明治9年1月(18SANY5709.JPG77年)に時の政府は葉煙草に税金をかせる法律を執行、この時から庶民は国に税金を払って煙草を吸わなければ成らなくなる。
 しかし、当時はまだ専売制ではなく、民間の企業が葉煙草の販売を盛んに行っており、色々な所からは煙草が市場に販売されていたし、海外にも盛に輸出されていたのである。
 そのあと日清戦争後、国は葉煙草の販売が盛んなのに目を付け、明治31年には専売制度が作られて、民間は自由に煙草の販売が出来なくなり、そして明治37年には専売局が発足する。
 写真のラベルは、明治初期まだ民間が葉煙草を販売していた当時のラベル、鮮やかなデザインと各社独自の製法で、葉煙草の販売をしていた当時の物である。
 明治の赤と言われる彩色を施されたデザイン、今見ても非常にインパクトのあるデザイン、この様な鮮やかなものが盛に海外に輸出されていたようである。
 縦23センチ、横17センチの大きなラベル、葉煙草の包装紙の上に張られていたラベルで、各社其々の趣向を凝らしていた。
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2018年02月19日

やっぱりフランス

   何処かが違う

 SANY4695.JPG西洋時計をコピーして日本で製造された時計、本家の物をコピーして製造されたものだが、出来上がった物はやっぱり違う物。
 そっくり其のままコピーした物もあるが、それでも違った物に出来上がってしまうのは何故、材質的には同じ物ではないので、それは考慮しての話である。
 デザインもコピーだから差ほど違いは無いもの、只コスト面を考えれば多少違うかもしれないと思うが、なぜかと言えば機械を含めた真鍮板が薄い事が上げられる。

 素材は同じでも、出来上がった物は重厚感がないのだが、それがそのまま見た感じにつながってしまい、フランスものと比べると、日本のものは安っぽく感じてしまう。
 写真で見比べて下さい、ドチラが日本製か説明しなくても、前の文章から必然的に分かると思いますが、重厚感はドチラかな。
 左がフランス物の時計で、右が精工舎の時計、両方とも文字盤は琺瑯文字盤なので美しい白が映えているが、地金が薄い製もあり、ブリューム感が今1つない。
SANY4698.JPG ガラスは勿論カットガラスを使用している物、只フランス物のガラスと比較すると、精工舎のカットガラスは薄い延べ板を使用している。

 片方、フランス物は分厚いカットガラス、見た目にもブリュームがあり、しかも重い時計と成っており、之が又高級感を与えていると思う。
 ほんの少しの違いなのに、同じ素材なのに、何故こんなにひらきがあるのか不思議だが、事実は事実であり、之は如何ともしがたい。
 製造者はそれほどのひらきが出来ると思って製造したはずではないと思うが、結果は見た目でも感じ取れてしまうのは、やっぱり本物とコピーとの差なのか。
 出来上がった物で、之だけ違いを感じるのも、フランス物の歴史の重さなのかも知れないが、ほんの少しのセンスが違っているかも知れない。
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2018年02月18日

これは何なのか

      何の部品なのか

SANY9444.JPG
 私の古い友人が実家の蔵にあった物だと言って小さな箱を差し出し、「これは何の部品なのか」と、仕方なく小さな箱を開けると紙に包まれたものが中に入っていた。
 彼の実家は甲府の古い民家、私も何度か訪ねたことがあるが、築200年以上は経っているもの、蔵も2つあり、その中の1つに時計があったので貰い受けた。
 この家、地元でも評判の名士、彼の親父は議員さんであったらしく、地元で有名人だそうたが、彼は一番下の末っ子、私とうまが合い、若い時から悪友達。
 昔は地元の大庄屋を勤めた家柄らしいが、そんな事はお構いなし、この男は悪がき、学生時代は遊びほうけて就職もしなくて自由業をやっていた男。

 その後、喫茶店を開き繁盛して、ソコソコの店となったが、そこで満足している男、そんな彼の店には私の時計を常時展示、店の宣伝に役立っている。
 彼が実家に帰ったとき蔵の中に置いてあった箱を見つけ、中を見たらこれが入っていたらしく、何の部品か分からないから見SANY9448.JPGて欲しいと持参した。
 箱を開けると紙に包まれた金属製のものがあり、触って直ぐに豆ランプの部品と分かり彼に伝えるが、まだピンとこない様子なので、私の家にある豆ランプを取り出す。
 そして彼が持って来たものを取り出して比べて見せ、同じものであることを確認させると、何でこんなに多くあったのか不思議だと言うのだ。

 確かに彼の言う通り、新品の金具が24個も入っているのだから、彼ならずとも不思議に思うのも無理はないが、逆に言えば彼の家は大きくて豆ランプも沢山あったのではないかと思う。
 普通の家では豆ランプは1つか2つくらいだと思うが、実際には風呂場とかトイレで使ったようで、常時置いてなくて移動して使った物だと言う。
 つまり大きなランプを持って歩くのは不便、持ち運びに便利な豆ランプが利用された、しかし一般家庭では多くの豆ランプはもてなかった。
 SANY9458.JPG多くのランプを持てた事は金持ちを意味していること、ましてや豆ランプを多く使用している事は金持ちの証し、彼の家は大金持ちであったのだ。
 本人はランプの生活等したこともないし、昔の話で知る由もないから、持って来た部品はランプのものだとも知らないのは当たり前のこと。

 豆ランプの部品は、この3本爪のものと2本爪のものとがあり、彼が持って来たものは未使用の3本爪の部品、何時壊れても良いようにストックしてあったものだと思う。
 このように大量の部品をストックできるとは、やっぱり金持ちの家であった事の証し、しかし彼はそれを知らないのだが、持っていたのも知らない。
 使った事の無いものは分からないし、ましてや古いものは分からないのが当然の事、それを知りたいと思うのはまだ良いが、捨ててしまう人も居るから残念なことだ。
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2018年02月17日

継続の難しさ

   瀬戸の雛巡り

SANY0099.JPG 全国で行われている町おこし、様々な地域で町おこしが行われているが、その方法は様々な種類があるようだ。
 全部が同じでないのが面白いと思うが、これが同じであれば何処も成功しないと、当たり前の事でもある。
 その地域に合った町おこしでないと意味はなく成功もしないもの、そこが難しい所でもあるようだ。
 私が瀬戸の雛巡りに参加したのが11年前の事、リタイアした後何か出来る事はないのかと考えていた時、雛巡りの協力要請があった。
 ある友人が古民家でアンタの持っている雛人形を展示して貰えないかと、相談がてらの誘いであったようだ。

 彼は古民家に興味を持っており、その再生や相談に応じていSANY0302.JPGた様であるが中々成果が出なかった様。
 そんな事で私に協力要請をしてきたようで、その一つが雛人形の展示、すでに雛巡りを行われていたが中々広がりを見せなかったようだ。
 まさか自分の持っている雛人形に目を付けられるとは思ってもいなかったが、彼が熱心なもので引き込まれてしまった。
 彼曰く「どんな雛人形でも良いから多く展示して欲しい」と言うのだが、具体的には何の説明もなかったのだ。

 そこで見栄えのする御殿雛を展示してはと提案、軽い気持ちでの提案であったが話はとんとん拍子に進み展示が始まった。SANY0669.JPG
 すると友人「雛人形の説明も一緒にして欲しいと」、つまり会場で番人をしろと言う事らしく、それを私にやれと言うのだ。
 乗り掛かった舟、今更引く訳も行かず番人をする羽目に、雛巡りは約1か月続くもので、結果は期間中縛られることになってしまった。
 展示してから3年はうなぎ登りに見学者が増え、こちらがビックリするほどであったが、その後横ばいとなり、現在は右肩下がりの状況、展示とは難しいもので毎年工夫をして展示物を変えてはいるが、見学者からは変わり映えがしないと厳しい。
 長年同じことを続けて行く事は非常に難しく、見学者の見方も厳しくなり、変化を求められているのについて行くのが大変。
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2018年02月16日

鎌倉彫

      メーカーの違い

SANY4366.JPG 掛時計の装飾には色々な種類の物が施されているが、日本古来の伝統技術によるものの多く、新しい機械式時計の装飾の一端を担っている。
 西洋時計の塗装はニス仕上げが普通、当然日本に入って来た時もニス仕様、その時計をモデルとして日本の職人が製作、その仕様に習って製作した。
 しかし、時代が少し下がると、その中でもニス仕様をあえて日本古来の技術、漆塗りの技法を用いて外装を塗装、ニスにはない光沢を出した。

 これは、当時日本人がもっていた技術もさることながら、日本の伝統技術を新しい物に採用して、新たな分野を切り開こうとした人達の闘いでもあったのでは。
 文明開化の名のもとに、日本古来の技術は忘れ去られようとした時、職人たちの心意気のあらわれではなかったのか、伝統産業を守りぬく気構えが、そおさせたのSANY4675.JPGではないだろうか。
 写真の外装、八角型とダルマ型時計の外装であるが、西洋時計では彫刻を施した上からはニス仕上げが普通、木肌を出した処に光沢のあるニスをかけるのが当たり前の仕様。
 しかし、この時計には鎌倉彫が施されており、その上から漆がかけられ日本古来の技法が使われているもの、ニスの持つ艶と漆の持つ艶、明らかな違いが。

 我々日本人には、漆の持つ艶がしっくりと心に入ってくるよう、新しい技法のニスよりは親近感が湧き、新時代の時計と古来の漆、このミックスほど日本人が好むもの。
 新しい物と古い物の調和を取る、日本人ならではの技量ではないだろうか、和洋折衷の技術の妙とでも言うのか、明治の職人達の心の叫びが聞こえてくるようだ。
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