2020年06月27日

溜まりすぎ

   ツイツイ録画
 見たい番組を録画して、暇DSCN2309.JPGな時に見たいと思いせっせと録画、そのおかげで番組を予約して録画、後から見る事が出来る様になった。
 今のレコーダーは番組を複数録画でき、以前のように一つしか出来ないことは無く、その為に逆に録画が増えてしまい、結構なDVDの枚数になったしまった。
 録画している時は別に気にもせず録画するのであるが、その録画を見るときに何でこんなに多くのDVDがあるのだと気付く事になる。
 イザ自分の撮っておいたものを見ようとDVDを探すも、直ぐに見いだせず何枚ものDVDを探す羽目になり、改めて数の多さに気が付く事になる。
 見たいと思って録画するが、後のことなど考えずに録画、そんな作業を何度となく繰り返した事でDVDの山が出来上がった。

 初めの頃は一回限りの録画DVDを使用しDSCN2310.JPGていたので、その数も多くなってしまい、又倍速で録画することも知らなかったので尚更増えてしまった。
 数が多くなると置き場所にも困るようになり、ラックを買い込んでDVDを整理もしたが、整理したものを見ようと、今度は探すのに苦労する羽目になる。
 思い起こすと以前のビデオテープの時代、録画しすぎてテープの多さに幻滅したことを思い出すが、その時の再現が今、昔の繰り返しをやっている。
 ビデオテープは厚みもあり、嵩張ることになるのでラックの数も自然に多くなり、置き場所にも困った時もあった。
 しかしDVDなら薄いからと思っていたが結果は同じ事になり、やはり置き場所に困る現実が今、情けない事に同じ繰り返しをやって、写真のような山が10個以上ある。
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2020年06月26日

きゅうりの値段

   どちらが安い
 我が家DSCN2306.JPGで毎年栽培しているキュウリ、プランターでの栽培であるがよく育ち、なかなかの収穫で朝の食卓に上るのだ、新鮮さが売りもの。
 今年も去年より収穫は落ちるが、新鮮なキュウリが取れているが、ここえ来て収穫が出来なくなっており、今年はこれで終わりかも知れない。
 今年の苗は昨年の苗よりも出来が良くなかったよう、昨年は多くのキュウリが収穫でき、沢山食べれたが今年は少ない。
 勿論プランターでの栽培だから、プランターの土も入れ替え、肥料も規定量を与え、去年と同じ状態で栽培したのであるが、出来が今一つである様だ。
 色々と考えたが去年の苗と今年の苗とは違いがあったようで、幾ら同じ苗でも同じ収穫があるとは限らないもの、それが自然であると思う。
 そんな話をしていると友人が、「キュウリなど栽培するより買ってきた方が早い」と、その上「手間をかけてまで栽培するようなものではない」と言うのだ。

 確かに彼の言う通りかも知れないが、スーパDSCN2307.JPGーで買ってくるキュウリと家で栽培したキュウリと比べれば、はるかに家で栽培したキュウリが旨い。
 するとまた友人「手間をかけて幾ら収穫するのか」、「何本収穫出来るのか」と言い出し、そして幾らお金が係ったのかとまで言い出した。
 面倒な栽培をして、幾らかの収穫をしても、その手間を考えたら遥かに買った方が安いと、現実の話をするのだが、確かに買った方が安いに決まっている。
 手間と時間を考えたらその方が生産的、しかし彼の言う安いからではなく、美味しいキュウリが食べられると考えるべきと思うから栽培している。
 友人、趣味だからそれはそれで良い、しかし少し位旨いキュウリより、安い方が良い、手間暇かけるのが面倒だと、確かに言う通りだが今年のキュウリ、写真の物が最後のようだ。
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2020年06月25日

思い出の時計

   ポートベローSANY2451.JPG
 以前にも書いたが誰しも思い出の品にはそれぞれのドラマが、友人のアンティーク買い付けでイギリスにお供、大概のマーケットは行ったが、その行った所々で出会いも、それが物であったり、人であったりといろいろ。
 イギリスでの人の思い出は余り良いものは少なく、気分の悪くなるものが多いが、中には今でも心に残る人も、何回かのイギリスの旅のお供で、アンティーク、マーケットは少しは分かるようになった。
 自分でそこに行けと言われれば、絶対に行けないが、連れられて行った所は全部記憶に、その中の一つがポートベロー、ここはあの映画の舞台でもあったからだ。
 しかしそれだけではなく、良い思いでの一つ、例によって土曜日の朝早くにポートベローに行き、早速オルゴールを求めての探索に入った。
 観光客で早くも満員の盛況、しかしバイヤーと言うプロも多い、そんな中、以前に行ったバイヤーの店に着き、友人と早速オルゴールを見る事に。
 バイヤーいわく、「お前たちの為にとっておいた」と指を指す処にオルゴールが5台、確かに良い物のようだが、当然のこと値段次第で決まる。

 SANY2456.JPG遊びで出来ている訳でなく、主としてオルゴールの買い付けが主、その為に妥協は許されず、当然の事私に対する期待度が大きく、友人は金を出すだけ。
 そんな状態でジックリとオルゴールを見極めるが、見掛けは全部良い物だ、しかし良く見ると部品が所々換えてあり、オリジナルの状態の物は無く、友人に目配せで合図。
 よくある事だが海外のマーケットはピンからキリまで、良いものから悪いものまで、兎に角多く存在しているが、その中から自分好みのものを見つけ出す。
 しかし見た目だけでは騙される事になり、中をジックリと見ないととんでもない代物も多いのだから、素人では中々難しい。
 そんな時、私はガラスケースの中に写真の懐中時計を発見、オルゴールどころでなく、早速懐中時計を見せてもらうが、やっぱり珍しい物であると同時に程度が良く大珍品、「シメタ」これは掘り出し物だとSANY2453.JPG思う。

 この時計は1880年代に流行ったトリプルカレンダーつきの懐中時計、表と裏の両面にカラクリを施した珍品、日付、曜日、月が表示され、尚且つムーンフェイス付きの懐中時計。 
 その後は想像通り、オルゴールを買うから之を安くしろと交渉開始、とは言っても私がするのではなく友人が通訳、友人にも悟られないように「オルゴールもソコソコだから買いな」と云いつつ、「この時計も一緒に交渉せよ」と、結局安く商談成立して、私の思惑通りこの時計を持って帰ってきた。
 あとで友人「最初からこの時計を買うために、オルゴールを俺に買わせたのか」と私に聞く、私は「とんでもない、お前がオルゴールを買うのならついでに」と思っただけだと、しらを切り通し目出度く目指す時計をゲットして帰って来た思い出の品。
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2020年06月24日

木曽の架け橋

   木曽路の旅
 中仙道は江戸五街道の一つ、江戸から京DSCN2305.JPG都まで続く街道であるが、山道が多く続く街道であるが何故かしら姫街道と呼ばれている。
 東海道を避けてこの中仙道を旅したお姫様は多くいたと言われ、それが姫街道と呼ばれる所以でもあるらしい。
 然し山道が多く、ましてや難所と呼ばれる危険な場所も多くて、実際は非常に辛い街道であったよう、姫様達もさぞや苦労し多であろう。
 姫街道は表の東海道を避けなけれならない姫様達、時の江戸幕府は大名の妻子を江戸に人質として住まわせていたから、彼女たちの見張りは厳しく、特に江戸を出る時は厳しく見張ったと言われ、東海道には厳しい箱根の関所や新居の関所があり、出女を厳しく取り締まったから、必然的に中山道に道を取らざろう得なかったようだ。

姫様と言えば幕末の頃、皇女和宮はこの中仙道を通って江戸まで旅をしているが、その行列は語り草となって今に残っている。SANY0579.JPG
 皇女和宮の行列は朝から晩まで行列は続き、宿場は一日中行列が絶えることはなかったと言われ、その行列の長さと豪華さは歴史に残ると言われている。
 また松尾芭蕉は中山道を旅して幾つもの俳句を残しているが、この木曽の架け橋にも対岸に碑が立っており、一句詠ったもの。

 かけはしや いのちにからむ つたかずら

日本三大架け橋を詠った大きな碑がその名残を伝えている。
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2020年06月23日

国境

   今とは違うきそじ.jpg
 コロナの国境解禁で久しぶり出かけた島崎藤村のふるさと馬籠、中山道の宿場町として栄えてきた土地、長い坂道の途中に存在する集落であるが、その歴史は古い。
 中山道は江戸から京都に続く街道の一つ、東海道とは違い殆どが山の中を貫いている街道でもあり、別の呼び方は姫街道とも呼ばれていた。
 東海道よりも厳しい山道であるにも関わらず、姫街道と呼ばれたのは検閲の厳しい東海道を避けて女性たちがこの道を選んだことから来ると言うのだ。
 東海道は「入り鉄砲に出女」と言われる位に女子の出入りを厳しく取り締まり、武家の女性が江戸より出る事を見張っていたと言う。
 つまり武家の妻子を江戸に人質として住まわせ、出る事を禁じたからと言われ、その探索は厳しいものであったと言われる。
 特に東海道は検閲は厳しく、女性が旅をするには難しい街道でもあったと言われる位、検閲をしたのだ。

 コロナ解禁で尾張から国境を超え中山道くにざかい.jpgのほぼ中間あたり馬籠宿、ここが島崎藤村の生まれ在所、つまり誕生の地で現在も生家跡があり、観光客でにぎわっているが、この馬籠宿ある事でも有名になった場所である。
 馬籠宿とは長野県に存在する宿場町と昔の地図にはその様に記されているが、現在は岐阜県中津川市に属している土地である。
 つまり昭和になってから長野県から岐阜県に住民投票の結果、越境した土地として有名になった所、それを知らない人は今でも馬籠宿は長野県だと信じている。
 そんな証拠が写真の石柱、上の写真の碑の近くに美濃の国と信濃の国境の指標、柱にはハッキリと、ここが国境と記されているが、今はずっと下がって5キロほどの馬籠峠まで戻る事になってしまったが指標は現在もそのままの状態だ。
 つまり宿場ごと信濃の国から美濃の国に鞍替えをしてしまい、村を二分したこの選択は当時有名になり県境が変わったと騒がれた、しかし今はひっそりとした宿場町だ。

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