2019年02月04日

古物市場

    素人は入れません
 
SANY8569.JPG
 骨董品やアンティークなものは何処から市場に出て来るのか、良く蚤の市や露店の市場で売っているものは誰が集めて来るのか。
 素朴な疑問が湧いて来るが、販売している人が集めて来るものと思っている人、それは中々無理な事である。
 何時も、何時も、自分で売るものを集めていたら、幾つ身があっても足らないと思うが、どの様にして集めて来るのか。
 そんな思いを持っている人は多いのでは、当たり前の事だが古物商が、あれだけの商品を自分で集めて来るとは思えない。
 確かにその通りで、骨董品やアンティークはそれ専門の市場が存在しており、その多くはこのような市場から商品となるものを買うのだ。
 全国で古物の市場は多く存在し、そこで売買されたものが市場に出回る仕組み、このような市場に商品となるものが持ち込まれる。
 普通、古物市場は古物商の免許が必要、素人がこの様な所に商品を持ち込む事は出来ないし、買う事も出来ないのだ。

 この市場には買出し屋と言われる古物を扱う人が、旧家や田舎の古い家を周り、色々な物を買いだしてくる。SANY0564.JPG
 彼らは販売する店を持たない人達、この市場で買い出して来たものを販売するために来るが、その人が直接売るわけではない。
 市場は集まって来た古物を取り仕切る人がおり、セリ場と言われる様に、骨董商を商う人達が集まり、集まった古物を競る。
 ここに集まって来る物はありとあらゆるものがあり、古い物から新しいもの、高いものから値段の付かない様な物まで、ピンからキリまで。
 兎に角集まって来る物は何でもあり、時には高価な物あり、時には珍しい物あり、それが無造作に集まるのだ。
 それらの集まったものを下見して、気に入ったものに自分の欲しい値段を提示、欲しいもの同士が競り合う仕組み。
 この様な市場では目利きが一番大事、目利きでなければ良いものは買えず、逆に目利きであれば皆が手の出さないものが安く買える事も。
 そんな事が起きるのもこの様な市場、素人は入場も出来ないが、セリを見るのは実に面白いものだある。



posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年02月03日

鬼やらい

    節分祭

 SANY8911.JPG節分、二十四節気の立春前の雑節の1つ、立春の前日豆まきをして邪気を払い、無病息災を願う年中行事、この日を境として暦の上では春。
 節分の歴史は古く中国渡来の文化、日本に伝わったのは古くて、文献として確認できるのは706年、慶雲3年宮中にて文武天皇が豆まきをして邪気を払ったのが最初と言われるが、それ以前にも既に日本に伝わったようだ。
 元々中国では古くから邪気を払うために火で豆を炒り、邪気を追い払ったと言われており、其れが日本に伝わって節分の豆まきとなったようだ。
 季節の変わり目、変わり目に節分は存在していたが、立春前の日が今でも伝わり、この日が節分として残ったようで、後は行われなくなってしまった。
 節分とは「鬼やらい」、追儺(ついな)とも呼ばれ、邪気を払う行事の事、邪気は鬼門の方角から入り込むと言われ、鬼門(北東)の方角は丑寅。
 丑寅の方角を鬼門、鬼は牛の角を生やし、寅のように猛々しいとされ、赤鬼、青鬼と色々な鬼が存在し、災いを運んでくるものだ。
SANY8890.JPG
 この鬼を炒った豆で追い払う儀式、あの鬼の格好とは頭に角を頭に生やしているが、これは「牛の角」、そして「パンツをはいている」が、あれは「寅のパンツ」見慣れた鬼の格好は鬼門から来ているものだ。
 何故寅のパンツを履いているのかは、こうした故事から来ている事をあまり知らない人が多い、鬼の姿1つにもいわれがあるものだ。
 そして、この地方では家の出入り口にヒイラギの枝にイワシの頭を焼き突き刺して掲げ、邪気が出入り口から入らないようにするお呪いを行う。
 ある人に言わせると「イワシの頭も信じんからは、ここから来ている」と言うが、果たして本当なのか、鬼もイワシの焼いた匂いを嫌がるらしい。
 ヒイラギにイワシの頭を焼いて刺すことを、焼嗅(やいかがし)と云い、これも古くから鬼(邪気)から身を守ると信じられてきた行事だ。
 地方によっては節分の行事も其々であるらしいが、春を待つ人の心は古くから待ち遠しく、寒い冬の終わりを告げる行事を今に残しているものだ。
 
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年02月02日

常にライバル

   切磋琢磨して

 何事の蒐集にもライバルがつきもの、どんな蒐集をしていてもライSANY2170.JPGバルは存在しているもの、自分だけがそれを蒐集している者ではなく、必ずや他の人も居る。
 何時の時代もライバルは存在しており、ライバルが居なければ張り合いもなく、それはそれとして面白くも無いものに、やっぱりライバルが居ないと寂しい事。
 自分が蒐集している物が、まつたく他人には興味が湧かなければ、自分の蒐集が価値の無いものに思えて来るから、人とはそう言う生き者だと思う。
 ライバルは居ない方が良いと思う反面、全然居ないと張り合いが無く、さらに自分が集めているものが無意味なものと思え、やる気も起こらなくなるから不思議。
 逆にライバルが多すぎれば求めても、求めても手に入らない事に、ライバルとはやっぱりそんなもの、私の場合もライバルは多く、今でも存在している。
 存在と言うのか、宿敵と言うのか、事ある毎にぶつかり合うとか、決して喧嘩をしているのではなく競い合っているので常に存在が其処のある。SANY8754.JPG

 古時計に限らず、蒐集はこのようなライバルとの競い合い、力と財力では負けても、努力では負けないと、そんな肩肘をはって今日も古時計を探し歩く。
 よく言われるのは、金持ちが勝つに決まっていると、古物の世界とはそんなもの、財力が無ければ勝てないとも言われ、やっぱり金の力であると。
 しかし私の仲間は金の力は無いが、努力だけは負けないと頑張っているもので、その努力が最大の武器、兎に角求めるものを求めて足で稼ぐのだ。
 ある人に言わせると「そんな無駄な努力はよしなさい」と言うが、それを無くしたら手段が無くなるのだと、そんな思いでお互いに努力するのだ。
 時には無駄を承知で歩くことも、その行動こそが明日に繋がると信じて、そんなライバル同士で仲間をつくり、競い合って居るのもまた楽しいもの。
 あるライバルが自分の求めている時計を手に入れたと聞けば、「やっぱり先を越されたか、残念」と思う反面、よし自分も手に入れてやると益々頑張るのだ。





posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年02月01日

またまた自然薯

      そろそろ底に

 SANY2169.JPG自然薯、山の恵みとも言うべき食べ物、小さい頃から食べなれたもの、秋になると親父が何処からともなく自然薯を持ってくる。
 知人たちが山に取りに行くからだが、そんな自然薯、簡単には取れないもので、簡単に取れるものは余り旨くないのが多く、すんなり育ったものは粘りが少く美味しくない。
 楽な取り方をした自然薯は旨くなく、苦労して取り出したものは旨い、ヤッパリ自然薯は栄養の少ないところと、環境が良くないサバ土の処の物が1番。
 粘りと香りが違う、現在みたいに畑で栽培している自然薯とは絶対に違う、あれは自然薯と言わず、栽培した偽物である。
 苦労して山から掘り出したものと同じでは、本物の自然薯に失礼であり、一緒にして欲しくないと思っているに違いない。
 その自然薯、正月用に暮れに6`買い込み庭に埋めていたが、正月に使った残りが少々あったので、本日のメインデッシュとする事にした。

 正月は親戚一同で自然薯を食べたが、40数人も集まるので其れは大変、我家では正月のご馳走であり、其れを楽しみに来る親戚ばかりだ。SANY2173.JPG
 小さい頃から食べている孫達も大好きな食べ物、恐ろしい位に食べ尽くすので、瞬く間に自然薯はなくなり、残ったものが少しあるだけ。
 そんな自然薯を掘り出して、今夜の主役にしてやるためにすり出すが、我家ではこの摩り時間を堆やするのが習わし、子供の頃からの習わしでもある。
 兎に角良く摩る、親父は自然薯は摩りが大事で、これによって味が全く違っ食べ物になると言っていて、確かに時間を掛けて摩った。
 大抵は2時間は摩り、きめ細かな泡がたつまで摩り、カツオと昆布の出汁で薄める。
 長く摩り下ろした自然薯は喉越しが全く違い、其れを可能にするのは山椒の木で出来たすりこ木だ。
 太くて長い山椒木で出来たすりこ木は中々なく、最近では中国製の物が出回っているようだが、風味が違いヤッパリ国産物に限る。
 この国産の山椒の木で出来たすりこ木を使って仕上げた自然薯が最高の味、長い時間を掛けたものほど旨さが増すのである。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年01月31日

今年もやるの

   やっぱり壊れる

 SANY9016.JPG今年も瀬戸の雛巡りがやって来るが、その準備に忙しい毎日、友人が今年もやるのかと呆れた顔で私に問うて来た。
 彼は私が苦労している事をよく知っているからこそ、こんな聴き方をしているが悪気で言っているのではない。
 彼は心配して言ってくれており、昨年暮れから準備して毎年この時期私が体調不良を訴える事を知ってのこと、有難い事と思っている。
 兎に角忙しい事に変わりなく、時間も迫っているこの時期は弱音も出る時期、それを知っているからこそ気を使ってくれる。
 事実今が一番体力的にきつい時、昨年の終わり頃より準備に入っており、一か月半過ぎているから疲れもピークに達している。
 そんな折に事件は起こる事に、何しろ展示する雛人形の数が多くて、取り扱いには慎重を期してはいるが事件は起こる。
 それもあってはならない事が起き、その事に時間を費やし準備に支障をきたすことに、何時もの事だと思ってはいるが。
 古いものを扱うから当然慎重に対応しているが、数が多い事SANY9012.JPGもありツイツイへまも起きる事に、仕方がない事だ。

 最後の追い込みをしている最中、スタッフの一人が冠を取り出す時に誤って冠を床に落とし、写真のように左側の飾りが全部壊れてしまい展示室は騒然となった。
 悪い事に落とした冠が享保雛のもの、スタッフが騒ぐのも仕方がないが、故意に落としたものでないから仕方がない。
 本人が一番責任を感じているので、直せば良いから心配しないでと慰め、その場は収まりが付いたものの、これを修理しなければならない。
 時間がないから心の中では焦りが、しかし展示会では良く起こる事だと思っており、それが嫌なら展示はしない事だ。
 ただ時間がかかる事には変わりなく、後3日しかないから慌てて修理しないといけないが、そんなに簡単には行かないだろう。
 さてさて展示とは何が起こるか分からないもの、それを恐れていたは前には進まないもの、やるしかない。
posted by kodokei at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記