2019年03月31日

やっぱり違う

      オリジナルとは
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 最近富に多くなったのが文字盤の質問、時計愛好家からの質問で文字盤が違うのではないのかと、数多くの質問が寄せられているのだ。
 古時計にとって1番変わりやすいのが文字盤、特に紙文字盤は痛みやすく、時代が経てば変わってしまうことも多く、又戦時中は変えられてしまった。
 比較的良く残っているペイント文字盤、これだとて帰られてしまったものも少なくないのだが、原因は劣化にあるといえる。
 古くなったペイント文字盤は、触っただけでポロポロと剥がれ落ちる事も、これは劣化と同時に温暖の差が原因、伸びたり、ちじんだりしてペイント部分を痛める。
 ペイント文字盤は中々書きかえると言う事は少なく、上から紙文字盤を張り付けることが多く、元の文字盤を保っていない。
 紙文字盤にせよ、ペイント文字盤にせよ、時代の経過には勝てず、取り替えてしまったものが多く存在、それは仕方がない事。
 時代とはそんなもの、長年の経過で痛んでしまうのは仕方がなく、むしろオリジナルの状態のものを探すのが難しいのだ。

 そしてもう1つが時代の変化、大正時代よりローマ数字からアラビア数字の文字盤に移行、文字盤の書き方が変わったのだ。SANY0314.JPG
 古い形式のローマ数字から、アラビア数字へとの転換、これも時代の流れ、オリジナルの文字盤の上から、アラビア数字の文字盤を貼り付けた。
 古くなっていないものでも上からアラビア数字の文字盤を貼り付け、流行に乗ってしまったものも多く存在しているのだ。
 全く惜しい事だと思うが、当時の人たちのとっては悪い事ではなく、あくまでも時代の流れ、ただその流れに乗ったのみである。
 我々にとっては実に勿体ないことだが、それが当たり前の時代、別に罪悪感等ない時代、むしろ時代の先端であった。
 そんな訳でオリジナルの文字盤が付いている古時計は貴重な存在、古時計愛好家が探し求めるのも当たり前である。
 写真の文字盤の紙が貼り付けられた古時計だが、サイズもお構いなしに貼り付けられている古時計も珍しく、如何に当時の人たちが文字盤に関心がなかった事の現れでもあるが、今となっては面白い原状思われるのだが。






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2019年03月30日

運命が待つ

      めぐり合わせ

 古時計には運命と言うものが待ち受けているが、それは一台一台違うもの、生まれSANY8962.JPGてから色々な運命を背負わされる古時計も多い。
 製造され始めての飼い主の下にゆく、その飼い主が可愛がってくれれば良いが、飽き性だったり、故障したりすると、直ぐに手放す飼い主も居る。
 そうかと思えば何代に渡って可愛がってくれる飼い主も、そんな所に貰われていく物は幸せ、そこで安堵して暮らせるのだから。
 しかし、過酷な運命を持った古時計もあり、次から次へと飼い主が変わり、ひととこに落ち着かせてもらえない物もまたあり、持って生まれた人生でもあるのだ。
 殆どの古時計は転々と飼い主が変わって行く、之が彼らの定めでもあるかのように、そんな古時計に出くわすのも又運命かもしれない。
 過去私の手元に来て安堵した古時計もあれば、直ぐに次の飼い主のもとに行った古時計も多い、私が可愛がらなかった訳ではない。
 私の手元に来た古時計は、大事にしてやったが、貰い手が出来て懇願されて去って行ったもの、だから彼らは幸せものと言える。

 そんな数奇な運命を持った古時計、今回紹介すSANY0370.JPGる古時計はまさに数奇な運命を持った古時計、浜松の支部長の平野さんの店に出向いた。
 其処に掛けてある蛎殻町製造時計の古時計を見るため、この古時計以前にも2人の人から相談を受け、高知から京都へ、そして東京から浜松へと変遷。
 山梨に落着いたと思っていたら又浜松に来ていたのだが、偶然古時計保存協会の会員さんがその場にいて、「戸田さん、この時計本当に珍しい時計ですか」と聞かれた。
 勿論珍しい時計です、「現在確認されている時計は6台」と説明し、是非とも欲しいのだが踏ん切りがつかないと言うのだが、確かに高額だから躊躇するのも分かる。
 しかし私の経験から言えば、この様な時計は見つけたときが買い時、後で後悔する事になるものと言えると、本人さんに助言。
 そして家に帰ったその時、突然電話が入り家内が受話器を渡すので出ることに、すると向うから「突然ですいません、蛎殻町製造の時計はそんなに無いのですか、欲しいのだが信頼できる所で買いたい」と言われる。
 良く話を聞けばネットに出ている時計だと言われるので、「もしかして浜松の店ですかと聞く」、すると「そうです、その時計です」と驚いたように言われる。
 逆に此方が驚く始末、今日会員さんにこの時計を進めたばかり、その日に2人からこの時計が欲しいと言われて驚いている。








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2019年03月29日

竹の器

   竹で作る

 SANY9284.JPG昔から使われて来た竹製の笊、身近に手に入る竹で作られている笊、全国何処ででも作られていた竹製の笊の事だ。
 少し前まではホームセンターでも売っていたものだが、最近は日本製の笊は見かけなくなってしまった。
 見つけたとしても値段が高くて買う気にならないので、手近な中国製の笊を買ってしまい、使っているのが現実だ。
 日本製の笊は非常によくできており、キメもしっかりとして手に馴染むようなつくられているが、中国製のものは雑で目が粗い。
 一時は家の妻も中国製の笊など使わないと、キッパリと言っていたがやはり日本製の笊は高いので買うのを控えるようになった。
 何故かと言えば我が家では毎年節句にはおこしものを作って祝う、その時必要なものが竹製の笊、これが無いと始まらない。

 おこしものを蒸籠で蒸し、蒸し上SANY9298.JPGがったものを笊の上で乾かさないといけないので笊は必需品、これでなければ乾かせないのだ。
 おこしものは米の粉でつくられている為粘りがあり、蒸し上がった時にはべたつき笊についてしまう事になる。
 日本製の笊は丁寧につくられている為、べたついても笊に付くのが少ないが、中国製の笊はおこしものがくっつきやすく日本製との差がある。
 それだけ日本製の笊は精度が良いが、値段的に高くなっているのでツイツイ中国製の安いものに手が出る。
 しかもバリとかが多くある事もそれが問題であるが、値段との相談で自分でそれらのバリを取り除いて使う事になる。
 そんな手間をかけても安く手に入る中国製を使う事に、それだけ需要があり、使用頻度も高いから安いものに手が出るのだ、本当は日本製の笊が一番であるが、値段との相談でやはり安いものに手が出るのも仕方がない事だと思う。

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2019年03月28日

瀬戸の散歩道

      路地裏にひっそり
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 1200年の陶都尾張瀬戸、古くから焼き物の町として栄、今日まで陶器の街としていき続けてきた処、全国的に瀬戸物と呼ばれる陶器の町だ。
 愛知県のほぼ中央部、山間にある盆地に開けた町、三方を山に囲まれた土地にあり、今でも山が非常に近い土地柄、その山には日本一と言われる陶土が眠っている。
 この土を求めてここに来のが加藤四郎左衛門景正、通称藤四郎と言う、 1200年代、彼がこの地の土で作り出した古瀬戸焼、日本ではじめての釉薬を使った焼き物である。
 当時都へと運ばれ貴族階級や神社仏閣で使用された高級陶器、今までは素焼きの器を使っていたので、この釉薬をかけた陶器は持て囃され、全国に広まった。
 この古瀬戸、特に茶器に珍重され、中国陶器の向うを張ってくつられた焼き物、茶人たちにも重用され、その地位を不動のものとしたのだ。
 それ以後瀬戸の陶器は発展をとげ、陶器の街として庶民の器を作り続けて来SANY1034.JPGたのだが、時代の変遷に伴い受難な時もあったもので、特に乱世の世は陶工たちが瀬戸より離散。
 一時は瀬戸物の火が消えようとしたこともあったが、織田信長の力により美濃に移り住んだ陶工をたちを瀬戸に呼び戻して、陶器の生産を再開したのだ。
 江戸時代に入り、尾張徳川家の保護により瀬戸は復活、瀬戸物の産地として関東に大々的に陶器を排出、陶器と言えば瀬戸とまで呼ばれるようになり、瀬戸物と呼ばれ現在まで続いている。

 今瀬戸の町を散策すると、あちらこちらの露地にかっての繁栄していた名残が、整備されている窯垣の小道と呼ばれる地域、ここには焼き物で焼かれた物を利用した土留めがある。
 陶器を焼くときに使用するもので、窯の中に製品を入れる棚や器、この棚にSANY1047.JPG使用したツク、エブタ、えんごろ、これ等を使って土留めを造り上げた物。
 時には塀としても利用され、露地のあちこちに見られるもの、現代で言うエコ、廃物を利用して身近な物で土留めや塀を造り上げたのだ。
 規則正しく積み上げられたこれ等のもの、瀬戸物の町ならではの産物であり、趣のある土留めや塀が出た上がっているのを見るに、昔の人の知恵や物を大切にする精神が見て取れる。
 地元の人でも気が付かないところにも多く利用されており、これを探しながら瀬戸の狭い路地を見て回るのも一興、観光客の行かない路地には今でも多くが残っている。
 窯垣の小道の付近だけではなく、瀬戸市内全域に今でも残っているので、散策中さりげない処に、この様なものを見つけたときの感激を味わって欲しいものだ。
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2019年03月27日

時計仲間

    古時計愛好家
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 古時計愛好家のコレクションを見ていると、その人の個性がみえて面白く、どの愛好家も時計好きである。
 勿論時計が好きだから古時計を集めるのだが、その集める時計が人それぞれ、大きな時計が好きな人、逆に小さな時計の好きな人と分かれる。
 大きな時計の好きな人は数は少なく、一点趣向の人が多く、そんなに台数を持たない人が殆どと言ってよい。
 勿論、例外な人も居るが、大抵は数は少ないもの、当然であるが大型の古時計は場所を取る、当たり前だがそれが問題だ。
 大型の時計を数多く所有は出来ない、今までに出会った人の殆どは数台の古時計で、置き場所に困るからとも言う。
   確かに大型の古時計は置き場所に困る事は必定、何台か欲しくても場所の問題もあり、そうは行かないのだと思う。
 人間の心理としては目の前の古時計が欲しくなるのは当然の事、ツイツイ買ってしまうが、その後がいけない。
 家に持ち帰ってきてからが大変、家の者には嫌な顔をされ、置き場所はないし、思案するしかないのだ。あさかい.jpg

 そんな事は買う時から分かっているが、古時計愛好家の心理りでは、目先が事が先で後の事は二の次だ。
 それで何時も失敗を繰り返すが、全くと言って反省の色がなく、同じことをくりかえりているのだと思う。
 御多分に漏れず私もその一人、何時も家族に嫌な顔をされているが、こればかりは止められない。
 逆に小さいのを好む古時計愛好家も、場所が取らないことを良い事につい買い込んでくる。
 結果は大型の愛好家と同じ道を辿り、やはり家族からはソッポを向かれて、ションボリとする事に。
 いずこも同じことの繰り返しをしているが、両方とも反省がないのも古時計愛好家の人達と思うが、私だけだろうか。
 好きな物にはツイツイ手が出、家族に受け入れられなくて四苦八苦するが、それでも止められないのだから仕方がない。







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